女神の神託
「なんだ、ここ!?」
俺はパニクって声を張り上げた。彼女は、そんな俺とは対照的に、あくまで冷静に答える。
「パンドラの記憶を元に、構築した世界。夢に近い、まがい物」
「は?」
「お前と会うために創ったまやかしの世界。気に入ったか?」
「はあ!?」
彼女はうすら笑みをうかべ、俺をじっと見つめている。意味がさっぱり分からない。状況が把握できない。分かることといえば……目の前の女は、彼女ではない、ということ。見た目は彼女そのものだが……別人だ。理解はできないが、もう受け入れるしかない。
「お前は、何だ!?」
なぜか、誰だ、という言葉はでてこなかった。自然と……何だ、と尋ねていた。
彼女の姿をした女は、相変わらず微笑を浮かべたまま、くるりとこちらに体を向ける。
「名は、ティアマト」と、女は静かに言う。
「ティア、マト……」
「聖域に住まう神々の母にして、地球に残りし唯一の女神」
「……」
は!?
「わたしは、地球の天であり、地である」
いや、待て。俺はまだ、頭の整理がついてない。
「か、神?」
頭が混乱する。待ってくれよ。どうなってるんだ? 目の前に……神がいる? どんな状況だよ、それは。まあ、リストやケットと毎日顔をあわせてる俺だ。いまさら神が現れても、気が狂ったりはしない。だが……と、ティアマトと名乗る女を見つめる。
「なんで、その姿……あいつにそっくりだ」
「これは、本来の姿ではない。パンドラの姿を借りたまで。お前にこれを書いてもらうためにな。うまくいっただろう?」
ティアマトは、ちらりと背後に目をやった。そこには、さっき俺が書いたこっぱずかしい詩がある。
あ……ちょっとまてよ。今、「パンドラの姿」って……。おい、てことは、パンドラってあいつのことか? いやでも、さっき、十二人のパンドラたち、て言ってたし。
「パンドラって、なんだよ?」
他にも分からないことはたくさんあるが……とりあえず、思いついたものから聞いていこう。もう、俺の情報処理能力はとっくに限界だ。
「パンドラは、世界に終焉をもたらす女。『災いの人形』と呼ばれる、魂をもった土人形」
「『災いの人形』!」
それが何かは、もう知ってる。そうか、やっぱりあいつのことだったんだ。十二人のパンドラ……つまり、これまで十二回の『裁き』があった、てことか? 驚いたな。あいつのほかにも『災いの人形』がいたなんて。だが、それなら……と、俺はぐっと拳を握り締める。
「なぁ」と、俺はティアマトを真剣な目で見つめた。「その中で――これまでの『災いの人形』で、人間として生き残った奴はいるのか?」
すると、ティアマトは俺に冷たい視線を返してきた。どこか悲しげな、憂いを含んだ表情だ。
「いない」
「!」
ティアマトの一言が、俺の胸に突き刺さる。過去十二回の『裁き』……『災いの人形』は、皆それぞれ殺された? やっぱ……難しいのか。俺はうつむく。はは、聞くんじゃなかったな。
「だから、お前を呼んだんだ」
「え」
どういうことだ? 俺はばっと顔を上げる。
「アトラハシスは使命を見失い、ニヌルタの王は殺戮に走り、マルドゥクの王は禁忌を犯した」
禁忌を犯した……ギクッとした。マルドゥクの王はリストだ。つまり、禁忌とはクローンのことを言っているんだろう。やっぱ、まずいよな。神の一族がクローンを創っちゃ……俺にだって、そんなこと分かるぞ。リストを創った奴は何考えてたんだよ?
「『裁き』さえ、崩れかけている。このエリドーで神にもっとも近い者たちが、この有様。
エリドーの長い歴史の中、今までこんなことはなかった。アトラハシス、ニヌルタ、マルドゥク……彼らが、神の意志に逆らうことなど、なかったのだ」
正直、ティアマトが何の話をしているのか、よく分からない。ってか、神と話している状況事態、理解不能だ。いや、こいつ、本当に神なのか? 神ってこんなに簡単に会えるものなのかよ。なんだか、肩透かしだ。ああ! ったくもう、こうなったら開き直りしかない。とりあえず、黙って話を聞くしかない。
「わたしは思った。もう……このエリドーが、神の手から完全に離れるときがきたのだ、と」
「!」
神の手から完全に離れる? それは、どういう意味だ?
ティアマトはじっと俺を見つめてきた。
「わたしは……これを、最後の『裁き』にしたいと思っている」
「最後?」
「この『裁き』が、ニビルに住まう神々の、最後の干渉となるだろう」
つまり、あいつが最後のパンドラになるってことか? もう二度と、『災いの人形』は生まれない? もちろん、もし……この『裁き』で世界が滅びなければ、だろうけど。世界が滅びたら、『裁き』も何もありゃしない。
「お前の書いたこの詩は、そのためのものだ」
「!」
唐突に、ティアマトはそんなことを言ってきた。な……んだって? 衝撃的な発言に、俺は息をのむ。意味がさっぱり分からない。理解できない。なんで、俺の詩が? ってか、なんで俺!?
「もっとも」と、ティアマトは目をつぶり、笑みを浮かべる。「それを決めるのは、彼女だが」
「彼女?」
俺が眉をひそめてそうつぶやくと、ティアマトはゆっくりと目を開け、俺を見据える。
「お前の愛するパンドラだ」
俺の愛する『災いの人形』って……
「な……なんで、あいつなんだよ?」
「彼女には、その資格があるからだ。世界を裁くために、生まれてきた存在なのだから」
「わけわかんねぇよ! そもそも、あんたが本当に神なら……この『裁き』自体、止められないのか? 中止にしてくれよ」
そしたら、全部丸くおさまる。あいつが世界を滅ぼすことも、死ぬこともない。なんの心配もいらないんだ。
「それはできない」
俺の期待をよそに、ティアマトはきっぱりと否定した。
「わたしは、神の世界から追放された身だ」
「……は?」
「ここに、たった一人残ったのもそのため。いや、残された……といったほうが正確か。体を引き裂かれ、天と地に封じられた。
だから、わたしに『裁き』を止める権利も力もない。できることといえば……このような小細工くらい」
「なんだよ、それ……」
神も追放とかされるのかよ? 俺たちと、かわんねぇじゃねぇか。
「『裁き』そのものに干渉することはできない。
わたしがパンドラにしてやれるのは……これくらいしかない」
言ってティアマトは、また俺の書いた詩を見つめた。
俺も、つられるように黒板に目をやる。そこにあるのは雑な字で書かれた短い詩。この詩はどうやら……あいつ次第で、神からこの世界を切り離す鍵になるらしい。……って、そんなわけあるかよ。書いたのは俺なんだ。特別な詩でもなんでもない。ただ……あいつを想って書いた詩。それも、センスのかけらもありゃしない。てか、詩として成り立っているのかも俺には疑問だ。
もう、これ……全部、単なる夢おちなんじゃないのか。そんな気がしてきた。ハッと目を覚まして、「夢だったのか」で終わるんだ、きっと。そもそも、いくら俺がカヤと特別な関係にあるからといって、普通、俺の前に神が現れるか? いや、まあ……世界を滅ぼす女と付き合ってる時点で、普通じゃないんだけど。
「この詩は……」と、ティアマトはおもむろに切り出す。
「え?」
「この詩は、お前の……いや、お前たちの望みを叶える希望の詩となるだろう」
「!」
俺たちの望み?
ハッとする俺に、ティアマトは振り返る。無表情に近い、冷静な顔だ。
「その希望は……お前たちにとって、完璧ではないかもしれない。
パンドラにとって、呪いにも似た希望になるだろう。
それでも……もし、パンドラがそれを望んだなら……」
「どういうことだ? 希望って?」
心臓の鼓動が、どんどんとテンポを上げていく。この、はぐれた女神は……俺に……俺たちに希望を与えてくれるってのか? でも、あいつにとって呪いにも似た希望? それはなんだ? 俺たちの望みって、なんだ?
「いいか、パンドラの愛する人よ」
ティアマトは、一歩一歩と俺に近づいてくる。どうやら、俺の質問は無視のようだ。
「お前は、絶対に死んではならない。世界のためにも、パンドラのためにも、生きなければならない。お前がいなければ、全て終わりだ」
あいつとまったく同じ顔なのに、俺は彼女に見つめられ、たじろいだ。すごい眼力だ。
「お前たちが神を信じずとも……わたしは、お前たちの愛を信じています」
「!」
ティアマトの右手が、俺の胸元におかれた。なんだ? 何かされる……そう直感が告げる。
「手伝ってくれて、ありがとう」
急に、見た目につりあった口調でそう言って来た。にこりと微笑む顔も、彼女そのものだ。
「ティアマト?」
「パンドラが……カヤがお前を待っている。帰りなさい、ルルの子」
「!」
ドン、とティアマトが俺の胸を力強く押した。俺はぐらりとバランスを崩し、後ろに倒れていく。なぜか、抵抗する気も起きずに、俺は重力に身を任せた。徐々に……頭がぼうっとしていく。また、記憶にもやがかかっていく。
ちょっと、待てよ、ティアマト。まだ……聞きたいことが。
ティアマト……ティアマト……あれ? ティアマトって……なんだっけ?
眠りに落ちるような感覚がして、気が遠くなった。




