愛の詩
「週番?」
急に、後ろからそんな声が聞こえてきた。
「え?」
振り返ると、そこには……彼女が、いたずらっぽい笑顔を浮かべて立っている。
西日が差し込む、学校の廊下。彼女の浅黒い肌は、夕焼けのせいで少し赤みをおびえている。やっぱり、きれいだ。俺は一体、彼女に何度見とれたらいいんだろう。
「なんちゃって」と、彼女は手を後ろにくんで、俺を上目遣いで見つめてくる。
「……」
「覚えてない? 初めて会ったとき、こんな感じだったよね」
「……」
俺はぽかんとしていた。何かが、しっくりこない。どうなってんだ? なんだ、この違和感は?
「どうしたの? 何か、変だよ」
「え……あ、ああ」
なんだろう。頭がぼうっとしている。記憶が、もやがかかったようにはっきりしない。俺は頭を抱えた。
「どうなってる?」
正直、なんで今、俺がここにいるのかも分からない。いや、学校なんだから……授業が終わって帰ろうとしてたんだよな。でも、授業のことさえ、思い出せない。今日は何日だ? 何曜日だ? 何時だ? どこかで頭を打ったんだろうか。
「ね、和幸くん」と、彼女は明るい声で言う。「宿題、手伝ってくれる約束だよね?」
「……宿題?」
そんな約束したか? 俺はぽかんと彼女を見つめた。すると、むっとした表情で彼女は俺を見上げてくる。
「もしかして、覚えてないの?」
「え、いや……」
「ほら、手伝って」
彼女は俺の腕をとり、教室へと俺を連れ込んだ。
二組に足を踏み込んで、一番最初に目に飛び込んできたのは、学級旗だ。教室の後ろに掲げられている。体育会系が多い二組らしく、気合のはいった旗だ。旗いっぱいに男とも女ともつかない、どでかい顔が書かれてある。そして、勝利、という大きな文字。ぼうっとそれを見ていると、背中をつっつかれた。
「はい、書いて書いて」
「……え?」
振り返ると、彼女の手には白いチョークがあった。書いてって……なにを? 俺が眉をひそめると、彼女は優しい眼差しで頬をゆるめた。
「詩」
「……ウタ?」
意味が分からず、俺はとりあえず鸚鵡返しをした。彼女はゆっくりとうなずいて、チョークを俺の右手に握らせる。
「書いてほしいの、愛の詩を」
「は?」
「ラブポエムだよ」
頭を傾け、彼女は無邪気に微笑んだ。
はあ? おい、それ何の宿題だよ? 国語か? それとも、音楽? なんにしても……と、俺は困った表情を浮かべて頭をかく。
「ちょっと、待てよ。俺、そういうの全然センスないから」
「センスなんてどうでもいいんだよ」
彼女は冷静に、すんなりとそう言ってくる。迷いはない。そんな感じだ。これは……断れそうに無いな。
「私も、一緒に考えるから」と、最後の一押し。
「ってか……」と、俺はチョークをくるりと宙で回転させる。「お前の、宿題なんだろ」
チョークをキャッチし、ジト目で彼女を見つめた。すると、一瞬きょとんとして、彼女は照れたような笑みを浮かべる。
「そうだったね」
おいおい……俺は苦笑する。
「それで……愛の詩、といわれても……俺にはさっぱり思い浮かばないんだけど」
とりあえず、チョークを黒板にたて、俺はそう弱音を吐いた。
「私への気持ちを、詠えばいいと思うよ」
「!」
思わず、顔があつくなる。いや、待て。それ、アドバイスのつもりか? 逆効果だぞ。本人目の前に、そんなことできるか。いたいキザ野郎のすることだろ。恥ずかしくて、余計に書けない。チョークが心なしか震えている。
「いや、無理だって!」結局チョークをはなし、俺は振り返った。「詩なら、曽良に頼んだほうが」
「あなたじゃなきゃ、だめなの」
「!」
ビシッと間髪いれずに言われ、俺はあっけにとられる。なんだ? ただの宿題なんだろ? なんでそんなにムキになるんだよ。
「お願い」と、彼女は泣きそうな顔で訴えてきた。「書いて」
「……」
よっぽど……成績を気にしているんだろうか。まあ、そこまで必死に頼むなら、俺も知恵をふりしぼってなんとかするしかないか。
「うぅん」
でも、まったく思いつかないぞ。俺は、黒板としばらくにらめっこを続けていた。
「なんでもいいんだよ」と、後ろから助言がまいこむ。「愛さえこもっていれば」
「……」
だから……そういわれると、余計に書けないんだっての。
彼女への想い、か。それをいきなり、詩にしろって言われても。そうだなぁ。俺は、あきらめたようにため息をつき、黒板に文字を書いていく。カツカツカツ、と軽快な音が教室に響き渡る。文字が連なるごとに、俺の頬はどんどんと熱くなっていく。絶対、これ……自分で読み直さないからな。てか、宿題ってことは提出されるんだよな? まさか、匿名にしてくれるよな。いやいや、その前に……全部、俺が書くのかよ? 彼女の宿題だろ? なんで俺が全部書いてるんだ? ええい、もういい。ここまでもう書いちゃったし。
俺はすでに、残りあと一行にきていた。と、そんなとき、後ろからまたアドバイスがとびこんでくる。
「俺、より……僕、のほうがいいんじゃないかな」
「……」
なんで、彼女はそんなに余裕なんだ? 知ってるんだよな? この詩、自分にあてたものだ、て。そしたら、普通……照れるよな。特に、彼女は顔を赤くしてうつむきそうなものだが。ちなみに、書いているこっちは、もう顔がゆでだこ状態だよ。
とりあえず、依頼人である彼女の意見を尊重し……俺は、『俺』に×をつけ、その下に『僕』と書き足した。
よ、よし。とりあえず、こんなもんか。俺にしては、即興でよくやったよ。恥ずかしさで、心臓のテンションが高い。投げ捨てるようにチョークを置き、くるりと身を翻して俺は黒板に背を向けた。すると、目の前で、彼女が微笑しながらつぶやき始める。
「君の……」
俺はハッとし、あわてて彼女の口をふさいだ。
「声にださなくていい!」
彼女は楽しそうに肩を震わせ、うんうん、と頷く。
「つーか」と、彼女の口から手を離し、今更ながらたずねる。「なんで、黒板に書かせたんだ?」
すると、彼女はけろっとした様子で答える。
「彼女に見せるの」
「……彼女?」
誰のことだ? 先生か? いや、教師を、彼女、とはいわんだろ。
不思議がってる俺の横を通り過ぎ、彼女は黒板に歩み寄った。じっと詩を見つめている。は、恥ずかしい。俺はそういうガラじゃないんだ、て。
「これで、十三人目」
「!」
急に、彼女の声が低くなった。どこか、大人びた話し方だ。彼女らしくないトーン。なんだ? 十三人目?
「他に、十二人も……こんな詩、書かせたってことか?」
「いや」と彼女は短く言ってから、すんなりと答える。「この詩を書かせたのは、これが初めてだ」
「!」
やっぱり、変だ。彼女らしくない話し方。それに……なんだ、この異様な雰囲気は? 俺はぞっと背筋に寒気を感じ、あとずさった。この感覚、覚えがある。そうだ……リストやケットから感じるアレだ。――畏怖。でも、ちょっと違う。なんていうんだろう……もっと、強烈なんだ。気を抜くと、腰がぬけそうなほど圧倒的な威圧感。それでいて、懐かしささえ感じる、親近感。
「他の十二人のパンドラ達は……皆、憎しみに蝕まれたまま、土へと還った」
「は?」
パ、パンドラ? 何の話なんだよ?
「もう、見飽きたのだ」と、彼女はこちらに振り返った。「だから、お前をここに呼び出した」
「え……」
「偉大なる力、『メ』を使い、パンドラのある言葉に仕掛けをしておいた。その言葉を聞いた者が、わたしの元へ訪れるように」
待て待て待て。なんだよ? どういうことなんだよ? 話がまったく読めない。
パニックになる俺を尻目に、彼女は怪しげな笑みを浮かべる。
「お前は、その言葉を聞いた者……パンドラが心から愛するルル」
「!」
いきなり彼女の威圧感が増し、全身に鳥肌が立った。そしてその瞬間、頭の中に、ある言葉がよみがえる。
――私、和幸くんのこと……愛してる。
それを皮切りに、一気に記憶が頭の中に叩き込まれた。霞がかっていた頭の中が一気に晴れ渡る。その瞬間、俺は目を見開いた。周りを見渡し、後ずさる。ガタン、と机が腰に当たって俺はそこで立ち止まった。やっと、この奇妙な状況に気づく。どうなってんだ!? ありえないだろ。俺は、さっきまで彼女と部屋にいたはずだ。なんで、急に学校にいるんだよ?




