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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
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二人だけの時間

「和幸……くん?」


 まるで子供のように私を抱きしめる彼に、私は呼びかける。背中をあまりに強く締め付けられ、苦しかった。やっとのことで言葉が出る、といった感じだ。


「苦しいよ……」と、震える声で訴える。すると、私を縛り付けていた腕がゆるみ、和幸くんは体を離した。目の前に、真剣な彼の顔がある。さっきとはまったく違う表情。――長谷川さんを思い出した。強い信念。恐ろしいほどの覚悟。そんなものを和幸くんから感じる。


「悪魔でもいい」と、和幸くんははっきりとした口調で言う。私はハッと目を見開いた。


「もう……そんなこと、どうでもいい」

「……」


 急に、泣き出すかと思った。和幸くんは、そんな表情を浮かべた。

 自分が悪魔かもしれない……そんな不安を訴える私に、悪魔でもいい、と彼は言った。まるで答えになっていない。何も解決になっていないよ。それじゃ、余計に不安になる。どうして、言ってくれないの? 私が一番ほしい言葉……大丈夫だ、て。気にするな、て。全部でたらめだ、て。なんで否定してくれないの? 私は本気なのに。ほんとに不安なのに!


「どうでもよくない」と、私は涙を流して叫び、和幸くんを突き放そうと腕を動かした。そのとき、逆に彼に腕を捕られ、私は抵抗できないかたちで後ろの壁に押し付けられた。


「あっ」


 ドン、と鈍い衝撃が背中を伝う。雑で乱暴で……彼らしくない。なんで、こんなこと? そう言おうと開けた口は、言葉を発することはなかった。私の腕を捕まえたまま、彼は唐突にキスをしてきた。目をつぶる暇もなく……見開いた私の目から、残っていた涙がぽろりと落ちる。

 唇を単に押し付けるようなキス。ロマンティックとは程遠い、大雑把なキス。でも――体の力がぬけていく。こんなことで、何かが変わるわけじゃないのに……不安が消えるわけはないのに……でも、なぜだろう。ピリピリしていた空気が和らいでいく。緊張が解けていく。心が安らぐ。

 私は目をつぶり、彼に身をゆだねた。手首を押さえつけていた彼の手が離れ、腰へと移動した。その手は、躊躇することなくカーディガンの中へ……シャツの中へと侵入してくる。そして、わき腹に、そのぬくもりを感じた。いつもは手の平でしか味わったことのない、その感触。暖かくて頼もしくて、骨ばった手。撫でるように、わき腹から背中へと肌の上を滑っていく。

 少しくすぐったくて体をよじると、彼は唇を離した。何か言葉を交わすのかと思ったら……私の顔を見ることも無く、首筋にその場所をうつす。彼の唇が触れた瞬間、ビクッと体が反応した。熱い吐息を耳元で感じて、背筋がむずがゆくなった。

 どうしよう、と私は目をつぶった。心臓が……おかしなリズムで騒ぎ出している。頭まで茹で上がったようにぼうっと熱い。体が硬直して……身動きもとれない。


 でも……不思議。こんなこと、初めてなはずなのに……懐かしい気がするの。


***


 オレは、止めるべきなんだろうか。ソファに寝転がり、暗い天井を見上げて考える。


――ねえ、どうすればいいの?


 あせるケットの声が頭の中でした。もう天使はいらない、と言う和幸さんに、こっそり秘密で貸しておいた天使(エミサリエス)の声だ。……秘密で貸す、てのも変な言い方だが。


――リスト! ケットはどうすればいい?


 そうだな。どうしようか。確かにオレは一度、和幸さんに『災いの人形』と恋仲になってほしい、と思ったことがあった。そしたら、『人形』は少なくとも人間(ルル)としての残りの時間を幸せに暮らせる。そう思ったからだ。でも……和幸さんは?

 まさか、ここまであの人が本気に『人形』にのめりこむとは思っていなかったから……想定外だ。オレはとんでもなく、軽はずみなことをしたのかもしれない。これ以上、『人形』と深い仲になっても、待っているのは別れだけ。つらいだけだ。なにより……和幸さんは、それをまだ知らない。オレを信じてるからな。

 にしても、神の子が人間(ルル)を騙すか。やっぱ、オレは『創られた』子。はみだし者なのかな。


――そろそろ、決めてくれないと……止めづらくなるよぉ。


 ケットのパニくった声が聞こえてくる。オレは、ぷっとふきだした。天使(エミサリエス)といえど、子供だなぁ。


――そんなこといいからぁ! どうするの? どうするの?


 帰っておいで、ケット。オレはそう命じる。


「え!?」という声が、すぐ横でした。さっきまで頭に響いていた声だ。「なんで!?」


 結局、パニクってるな。オレはのっそりと体を起こし、戻ってきた自分の天使に微笑みかける。


「せめてもの罪滅ぼし……かな」

「へ?」


 どうせこれも……オレの自己満足なんだろうけど。でも、オレにはこれくらいしかできないから。


「残された時間……二人には、幸せでいてほしいんだ」

「幸せ……でも、『災いの人形』は、神の聖なる創造物なんだよ!?」


 戸惑うケットの声は、子供そのものだ。オレは、まあまあ、とあしらい、ケットの頭をなでる。


「といっても、『災いの人形』は純潔じゃなきゃいけない、なんて……オレは聞いたこと無いけど?」

「それは……」とケットは口ごもる。「過去にも、人間(ルル)と契りを結んだ『人形』はいたけど」

「ほらな」


 じゃ、いいだろ、とオレはまたソファに横になった。にしても、契りを結ぶって……古風な言い方をするよな。見た目とのギャップに、オレは鼻で笑った。


「問題は……」と、頭の後ろで手を組みながら言う。「アトラハシスだけどな」

「あ! そっか。アトラハシスも鏡でのぞいてるよね」

「不憫だよねぇ」


 ため息交じりでそうつぶやいた。いや、本気でそう思う。いきなり、公開プレイって……


「レベル高いわ、和幸先輩(・・)

「一体、何の話さ、リスト」


 冗談はさておき。


「これ以上、和幸さんに嫌われたくもないし。邪魔しないであげよう」


 鼻歌まじりにそういうと、隣でケットのため息が聞こえた。確認しなくても分かる。きっとケットは今、大人びた表情を浮かべている。オレを諭すときの、天使らしい顔だ。


「嫌われるのは、これからでしょう。リスト」


 ほらな。天使さまのありがたいお言葉だ。オレは何も言わず、目をつぶった。


***


「バール」


 暗い部屋で、黒髪の男は手鏡をテーブルの上にふせた。


「なぁに、フォックス?」


 男――フォックスの背後で、露出度の高い衣装を纏った女が陰から姿を現す。ふっくらとした唇を笑ませ、彼女は彼の座るソファの背もたれに腰をかけた。


「少し、外の空気を吸ってきます」


 その言葉に、バールは目を丸くする。


「あら、珍しい」

「わたしが帰ってくるまで、決して鏡をのぞかないように」

「変なことをおっしゃるわね」とバールは小首をかしげる。「一緒に行きますわ」


 フォックスはおもむろに腰を上げると、バールに振り返った。


「たまには、独りで歩くのもいいでしょう」


 バールはクスッと微笑んだ。


「そんなに嫌なら、邪魔をすればよろしいのに。命じてくだされば、簡単にやってのけてみせますわ。たとえば……」


 目を輝かせ、様々な方法を思い浮かべるバール。おもしろがっているとしか思えない。フォックスは呆れたようにため息をつき、首を横にふった。


「必要ありません」


 それだけ言って、フォックスは歩き出す。バールはその後ろで、つまらなそうに唇をとがらせた。


「知りませんわよぉ?」

「一時間……それくらいで帰ってきます」


 振り返ることも無く、フォックスはバールに告げる。その言葉に、バールはにやりと笑んだ。


「もっとかかるんじゃないかしら? 初めてみたいですし」

「……冗談に品がありませんよ、バール」


 冷たくそう言い、フォックスは部屋を去った。


「もお……つまらないお人ねぇ」


 やれやれ、と、バールは腕を組み、玄関のドアが閉まる音に耳を傾けた。

 誰もいなくなった暗い部屋で、バールはまじめな表情を浮かべる。先刻までのおちゃらけた雰囲気は、嘘のように消え去っている。そして、ひとつため息をつき、ぽつんとテーブルの上に残された鏡を、せつなく見つめた。


人間(ルル)の男と結ばれたパンドラを待つのは、悲劇だけ。

 それでもいいのよね……カヤ・パンドラ」


 鏡が返事をするわけもなく、バールの声はさびしく響いて消えた。

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