虹の橋 -悪魔-
なに言い出してるんだ、俺は。いきなり、結婚って……馬鹿じゃないのか。焦りたくない、て言われたばっかだろ。でも……居てもたってもいられなくなったんだ。カヤの左手をつかむ俺の手が震える。無理だ。嫌だ。カヤのいない世界なんて、絶対に嫌だ。想像もしたくない。俺は自分勝手な人間だ。カヤと引き換えに、どんなにいい世界を与えられても、俺はきっとそれを拒絶する。カヤを犠牲にした世界なんて……俺はいらない。だから、絶対、カヤと二人で……
「そんで、ここをライトアップしよう」
まるで小学生みたいな発想だな。でも、それでもいいんだ。お前がそれを見たいというなら、俺が実現してやる。いや、一緒に創ろう。お前の望む世界を、一緒に創ろう。
「豆電球でもなんでも使って、俺たちでライトアップするんだ。……二人で」
カヤはぽかんとしている。俺がいきなり、熱弁をはじめたんだ。そりゃそうだよな。
ごめんな。今はまだ何もいえないんだ。でも、必ず、お前を守るから。お前の誕生日――『収穫の日』、俺がお前を守る。『テマエの実』なんて食べさせない。君を……人である君を守るんだ。そしたら、二人で新しい世界を……未来を見ていける。一緒に生きていける。
「結婚……」とカヤはうつむいた。指輪をじっと見ている。
正直、断られてもかまわない。付き合って一週間で何言っているんだ、と笑われたってかまわない。俺はただ、誓いたかっただけなんだ。結婚、なんて言葉をつかって……子供みたいだけど、それしか思いつかなかった。俺はそれだけ、カヤを失いたくないんだ。誓いなんだ。『収穫の日』、君を守る……神だとか使命だとか運命だとか、どうでもいい。俺に分かるのは、君を守りたい、という気持ちだけだから。俺は、一人の女に惚れた……ただの弱い人間なんだ。
「結婚」とカヤはもう一度つぶやいて、俺を見上げた。頬を赤らめ、目に涙を浮かべ、そして微笑んだ。「結婚、したい」
「へ……」
あれ……と、俺は思考がとまり、体が固まった。すんなりオーケー? 理由も聞かずに、そんな簡単に……? ぽかんとしていると、カヤはハッとしてうつむいた。
「あ、やだ。もしかして、冗談だった?」
「え?」
「ご、ごめん! 本気にして……あ、気にしないでね。本当に、真に受けた私が頭悪いだけだから」
カヤは、耳まで真っ赤にして、俺の手から左手をはなす。パニクって、あたふたしている。俺はつい、その様子に噴出していた。我慢できずに声をだして笑うと、カヤはしょんぼりとうつむく。
「カヤ」と、俺は彼女の両肩をそっとつかむ。笑顔を消し、真剣な顔で。「俺は、本気だ」
はじかれたようにカヤは顔を上げた。涙の残る瞳を、大きく開けて俺を見つめている。
「本当に?」
「ああ」
「本気の、本気?」
「ああ」
カヤの頬がゆるんだ。いつもの彼女と違って、子供みたいな笑顔だ。
「楽しみ……楽しみだな、誕生日」
カヤは小声でそういって、頬を手で覆った。か、かわいい。俺はついにやけそうになった。
「そういえば」と、ずっと疑問に思っていたことを口にする。「誕生日、いつなんだ?」
というより、『収穫の日』はいつなんだ? というのが本音だ。それがカヤにバレるわけもないのに、なぜか俺は緊張していた。
カヤはまだ頬を赤らめたまま、はにかんだ笑顔をみせる。
「クリスマス」
「え」
***
和幸くんは、唖然としてしまった。顔が青ざめている。私は眉をひそめた。これが……彼女の誕生日を聞いた彼氏の表情だろうか。私の誕生日は十二月二十五日。聖なる日、クリスマス。確かに、そんな特別な日に生まれたのは、珍しいのかもしれない。でも、それにしても、この驚きようは異常だ。
「どうしたの? クリスマス、何かあるの?」
もしかして、クリスマスが大嫌い、とか? イベントが嫌いな和幸くんだもん。それも考えられるよね。一年で一番嫌いなのは、クリスマスなんだ! とか叫ばれたらどうしよう。って、和幸くんはそんなことしないよね。
「あと……二ヶ月もない」と、和幸くんは力なくつぶやく。
「う、うん。あと一ヶ月と二週間……くらいかな」
私は努めて明るく言った。でも……和幸くんは愕然とした表情でうつむいてしまった。やっぱり、変だ。なんなんだろう? 一体、どうしちゃったの? クリスマス、そんなに嫌いなの? それなら、私……誕生日、変えてもいい。日にちなんて、どうでもいいもの。
「和幸くん」と、私は和幸くんの頬に触れる。薬指に光る黒い石――小型カメラがキラリと鈍い光を発する。「どうしたの?」
彼の額には、汗がにじんでいた。張り詰めた表情で、じっと私を凝視する。何かを言いたそう。でも、口が開きそうで開かない。実は、体調でも悪いんじゃないか。私はそんな心配までし始めていた。
そのときだった。
「不吉な!」
どこからともなく、そんな怒鳴り声が聞こえた。私も和幸くんも驚いて、びくっと肩を震わせる。声は背後から聞こえた。かすれて震えた声だ。一体、誰? 私はおそるおそる振り返る。すると、そこには……さっきまで、橋の反対側で横になっていたおばあさんが立っていた。白髪は鳥の巣のように頭の上でからまっている。その体は、まるで骨と皮。洋服も汚れて、元がどんな色だったか分からない。おばあさんは、ゆらゆらと揺れるように私たちに歩み寄ってくる。
なんだろう……私たち、何か悪いことしたのかな。おばあさんの顔……まるで鬼のような剣幕だ。こんなことを言ったら失礼かもしれないけど……今にも噛み付かれそう。私は不気味な恐怖にガタッと肩をふるわせる。
すると、その肩をぐいっと引っ張る手が。
「スクーターに」
和幸くんの冷静な声がした。私はハッとして和幸くんに振り返る。
「帰るぞ」
「う、うん」
その間も、おばあさんはじりじりと近づいてきていた。
私はすぐ横に停めてあるスクーターに駆け寄り、ヘルメットを取って頭をおしこむ。
「不吉な!」
「ばあさん、悪かったよ。邪魔した」
そんな和幸くんの声が背後でした。やっぱり、私たち……気づかぬうちに、おばあさんの気に障ることしていたのかな。にしても……不吉ってなんなんだろう?
「お前は……」というかすれた金切り声がする。「お前は悪魔だ!」
「え!?」
あ、悪魔!? 急におばあさんはあたりに響き渡る大声で叫んだ。一体、誰のことを……まさか、和幸くん? 怒っているとしても、言っていいことと悪いことがあるよ。私はムッとして振り返る。
「悪魔だ!」
「え……」
おばあさんの指は……私に向けられていた。何? 悪魔って……私のこと?
「いい加減にしろよ!」と和幸くんがおばあさんに駆け寄り、私を指差す腕を払いのけた。「カヤ、行くぞ」
和幸くんはまるで焦っているかのような表情。いきり立っている。そんな彼の腕を、おばあさんはすがるようにつかんだ。和幸くんは後ろに重心をもっていかれ、一瞬よろける。
「アレは不吉だ」とおばあさんは相変わらずの調子で続ける。そして、和幸くんに問いかけた。「なぜ、アレを殺さない!?」
「……!」
時が、止まったかと思った。どす黒い何かが、心にうずまいた。恐怖と不安が、私の胸に襲いかかった。なんて残酷な質問……私の体は一気に震えだす。もちろん、私は悪魔じゃない。そもそも、悪魔なんて信じてない。ただ……おばあさんのその言葉は、あの夢を私に思い出させた。
私は腹部に痛みを覚え、そこに手をおく。長谷川さんに連れ去られた夜、夢の中で……和幸くんに刺されたところだ。恐ろしく不気味な剣で。
あの夢の中で、和幸くんは私を殺そうとしたんだろうか。ただの夢なのに……どうしても、それが気になるの。それを考えると、恐いの。
ねえ、和幸くん。――私は顔を上げ、おばあさんと対峙する和幸くんを見つめる。
「どうして……」という弱弱しい声が、ヘルメットの中で響いた。
どうして……何も言わないの?