スクーターに乗ろう
「かわいい」
私は思わず、そんな声をあげていた。家から少し離れたところに、和幸くんはソレを停めていた。赤いスクーターだ。
「曽良から借りてきたんだ」と言いながら、和幸くんはスクーターの鍵をはずす。まさか、こんなの用意してくれてたなんて。飛び跳ねたくなった。
「んで、これも借りてきた」と和幸くんはシートの部分をぱかっと開けた。へえ、こんなところが収納スペースになってるんだ。私は興味津々で中をのぞいた。そこには、二つヘルメットが入っている。和幸くんは帽子をぬいでそこにいれ、代わりにヘルメットを取り出した。
「これ被って」と渡されたのは、フルフェイスタイプのヘルメット。顔が全部すっぽりはいって、目の部分にはシールドがある。スクーターにしては大げさにも感じる。でも、こういうものなのかな。私はそれを、まじまじと見つめた。これ被ったら、強盗みたいになりそう。
「どっか、行きたいところある?」
いいながら、和幸くんもヘルメットを被る。私に渡したものと違って、頭だけ隠れるタイプのものだ。運転する人が、こっちのヘルメットのほうがいいんじゃないのかな。そんなことを考えてぼうっとしていると、和幸くんは「あ」と目を丸くして私を見てきた。
「こんなの被るのださい、とか思ってるんだろ」
「え? 違うよ。そうじゃなくて……」
和幸くんは私の手からヘルメットを奪うように取り上げて、それを私に無理やり被せた。ちょっときつかったけど、スポッと顔がヘルメットにおさまる。すると、ほんの少しだけど視界が悪くなった。顔を覆うシールドのせいだ。でも、和幸くんの呆れた笑顔ははっきり確認できる。
「お前に何かあったら、一番困るのは俺なんだから」
え……。きゅん、と胸が締め付けられた。すんなりと言ってのけたけど、それ、すごく甘い言葉じゃない?
「せっかく」と、眼鏡を外し胸ポケットにいれる和幸くん。「砺波にそのヘルメット借りてきたんだからな」
「砺波ちゃん?」
このヘルメット、砺波ちゃんのなの!? 私はぎょっとした。
「あいつは、あれでバイク乗りだよ」
ええ!? バイク……砺波ちゃんが? あれ……曽良くんがスクーターで、砺波ちゃんはバイク? 逆な気がするのは、偏見だろうか。
「で? どこに行きたい?」
ヘルメットについているゴーグルをはめ、和幸くんはこちらに向かって微笑んだ。私は無駄に慌ててしまう。行きたいところ……急に言われても思いつかない。本音を言えば……和幸くんと一緒なら、どこでもいいんだ。
「えっと……」
でも、そんなことを言っても困らせてしまうだけだし。私は一生懸命、行きたいところを考える。しばらく、ううん、と唸って……私は降参するように笑顔を浮かべる。
「どこでも」
結局、でたのはそんな言葉。せっかく、どこか連れて行ってくれる、て言ってるのに。
「じゃあ」と、和幸はとくに嫌な様子もみせずに微笑んだ。「虹の橋にでも行くか」
「へ?」
虹の橋? なんだろう、それ? 私はぱちくりと目を瞬かせる。
和幸くんは説明する気はさらさらないようだ。さっさとスクーターにまたがって、エンジンをかけた。赤いスクーターが嬉しそうに、声をあげる。
「後ろ、乗って」
「え」
和幸くんが上半身をねじってこちらを見てきた。
いけない。ぼうっとしてた。そうだよね。私も乗るんだよね。
「うん」と、あわてて言って、私は和幸くんの後ろに……て、どうしよう。私は急に動きを止める。じっとシートを見つめ、スカートを握り締める。足をあげて……ここに、またぐんだよね。スカートでそんなこと……したことない。こんなことなら、スパッツでもなんでもはいてくるんだった。恥ずかしい。
「どうした?」
和幸くんの声がして、私はハッと顔をあげる。
「……」
「大丈夫か?」
あ、また……その言葉だ。胸がずきっとした。こんなときまで、何、心配させているんだ。スカートをつかむ手に力をいれる。和幸くんは今にもエンジンをきって、スクーターを降りてしまいそうだ。
「大丈夫!」と、私は声を張り上げる。
「え?」
いきなり大きな声をだした私に、和幸くんは驚いたようだった。
和幸くんは、殺し屋を辞めた。裏の世界を捨て、日向に来た。新しい世界で、新しい人生を始めた。変わろうとしているんだ。私も……変わらなきゃだめだよね。今まで、いつも和幸くんが迎えに来てくれた。連れ出してくれた。守ってくれた。でも、これからは違う。私が、和幸くんを支えるんだ。強くなりたい。
「行こ」
言って、私はスカートをひざ上までたくしあげる。なぜか、和幸くんはあわてて前方に顔を向けた。でも、これで……と、堂々と足をあげ、シートをまたいで腰を下ろす。スカートがめくれあがって……やっぱり、ちょっと恥ずかしい。けど……
「落ちるなよ」という冗談交じりの声が聞こえ、私は腕を彼の腰にまわした。
「うん、大丈夫」
動き出すスクーターの上で、私は必要以上に強く彼にしがみついていた。彼の背中に体をよせる。ヘルメットさえなければ、この背中に顔をよせられるのに。それでも、安心する。こうして、抱きついているだけで……彼に触れていると実感できるだけで、幸せなんだ。