跳躍
和幸くんが見つけた靴……それは、お昼に砺波ちゃんから受け取った靴。砺波ちゃんの高校が指定した銀色のパンプス。クリスマスパーティの、シンデレラの靴だ。それを片方、前もってパートナーに渡して、パーティの夜にその靴を履かせてもらう。それが、ルール。私は、できるなら和幸くんと行きたいと思っていた。ううん、絶対一緒に行きたい。だから、この靴もいつか彼に渡そうと思っていたんだ。でも……気になることが一つ。それは、靴と一緒に砺波ちゃんがくれた衝撃の言葉。
――和幸って、ダンスパーティとか嫌いじゃなかった?
そう。話を聞けば……和幸くんは、そういうイベントごとは好きじゃないらしい。思わぬ、事実だった。もう付き合ってるし、あとはタイミングを見計らって……ロマンティックに誘うんだ、なんて張り切っていたのに。思わぬ障害があった。そうだよね、和幸くんが乗り気じゃない可能性もあるんだ。
でも、でも……もしかしたら、砺波ちゃんの勘違い、てことも。私はすがるように和幸くんを見つめていた。
「ダンス……」と和幸くんは眉をひそめる。そして、首を横に振った。「あんま、好きじゃないけど。なんで?」
「……」
あ……うそ。やっぱり、幼馴染の砺波ちゃんの言葉を信じるべきだったぁ。私はがっくりと肩を落とす。あんま、好きじゃない。そう口では言ったけど、顔にははっきり書いてある。嫌いだ、て。
「カヤ? ダンスがどうしたんだ?」
「な……なんでもない」
私は力なく靴をその場に下ろし、自分で足を入れる。うーん、味気ない。
「それ、ダメなんじゃなかったのか?」
和幸くんはいぶかしげな表情でそう言って立ち上がった。うん、ダメだったんだよ。ついさっきまでは。パーティの日まで履かないつもりだったんだ。でも、和幸くんと行けないなら行く意味もないし。本当はすごく精神的に大ダメージ。でも、私が勝手に盛り上がっちゃってただけだ。クリスマスは、何か二人で楽しめることをしよう。私の誕生日でもあるし。そうだよね、二人きりで何かしたほうがいいよ。うん。私は顔を上げ、にこりと微笑む。
「もう、いいの」
そういえば……同じ言葉を和幸くんに言われたことがあったな。私はそのときのことを思い出し、苦笑した。
「あ、これ……もう片方の」と和幸くんは、思い出したようにもう一方の靴を箱から取り出し、私に渡してきた。
「ありがと」
それを受け取って、同じように自分で履く。今更だけど、自分で靴履いちゃったら、もうシンデレラ失格だよね。とほほ、て言葉……初めて言いそうになった。
トントン、とつま先をたたくと、視線を感じて私は和幸くんに振り返る。彼は腰をあてがい、不敵な笑みを浮かべていた。何か、企んでるような、そんな顔だ。
「じゃ、覚悟はいいか?」
ん? 覚悟? 唐突に、何を言い出すんだろう?
きょとんとしていると、和幸くんが歩み寄ってきて、いきなり私を抱き上げた。いわゆる、お姫様抱っこ……ドキッと心臓が大きく揺れた。
「な、何?」
それは、こんなことされてすごくときめくんだけど。でも、狙いが分からない。覚悟って何の?
「そうだなぁ」と和幸くんはもったいぶったようにつぶやく。「すんごい体験させてやるよ」
「へ?」
どういう、体験? 私は目をぱちくりさせて、自慢げに微笑む彼を見つめた。
* * *
「本気、なの?」
「怖いか?」
「それは……こんなこと、したことないし」
「大丈夫。カヤは何もしなくていいから。っつーか、あんま動くなよ」
「う、うん」
「ま、とりあえず……声、ださないようにな」
「……そんなの、絶対無理!」
「家の人に声聞かれたら、アウトだぞ」
「……わ、かった。がんばる」
カヤはぐっとこらえるように唇をかみ締め、うなずいた。まさか、こんなことになるなんて……想像もしていなかった。自分を抱きかかえる彼の腕――背中を支える腕、膝を抱える腕に、ぐっと力がはいるのを感じる。彼は本当に実行するつもりなんだ。カヤは、ごくりとつばを飲む。
「覚悟はいいか?」
そうたずねてくる彼の顔に緊張感はなく、眼鏡のレンズの奥で目が輝いている。おびえるカヤとは対照的だ。
「本当に」とカヤはおそるおそる口を開く。「本当に、塀の向こうまで跳ぶの? ここから?」
「ああ」
和幸は涼しげに短く答える。
二人は、屋根の上にいた。四角いキューブが重なるようなデザインの屋敷は、屋根が平坦になっている。しかも、がっしりとしたコンクリート造りで、さらに広い。和幸にとって、充分な助走スペースだ。一つ、不安要素があるとすれば、カヤを抱えて飛ぶことくらい。多少負担はあるだろうが、それでも軽く道路まで飛び降りられるだろう。パッと見ただけだが、高さも塀までの距離も、大した事はない。高さはせいぜい、ビル三階程度。縁から塀までの距離は、五メートルほどだろう。今まで、これ以上の高さから飛び降りたこともあるし、これ以上の距離を飛び越えたこともある。和幸は、一切心配などしていなかった。
「本当の本当に、飛び降りるの?」
カヤは、和幸に抱きかかえられたまま、しつこく確認する。和幸は、はは、と苦笑し、一歩ずつ後ずさっていく。真剣なまなざしで、屋根の縁を見つめながら。――助走の距離をとるために。
「それ以外に、お前を連れ出す方法ある?」
言われて、カヤは、ええと、と考える。
「あるんじゃない、かな」
その嘘は彼女の最後のあがきだった。
「ないよ」と和幸は一蹴し、勢いよく始めの一歩を踏み出す。カヤははっとして、和幸の首にしがみつくように腕を回した。一体、彼が何歩進んだのか、数えることもままならないスピード。これが、高校生の脚力だろうか。カヤは改めて、『創られた』子供が特異な存在であることを思い知った。
充分取った距離を、和幸は一瞬のうちに走り抜け……そして、屋根の縁を思いっきり蹴ると、勢いよく宙に飛び出す。ふわっと体が浮く感覚がして、カヤは和幸の首に絡める腕に力を入れる。そしてぐっと目をつぶった。風の吹き付ける音が耳をつらぬく。重力が臓器を押し上げる。遊園地……そんな言葉が頭に浮かぶ。幼いころに乗ったアトラクションを思い出した。ただ高い位置から下降するだけの単調な乗り物だった。それを、とても気に入っていた気がする。怖いけど、空を飛んでいるみたいで気持ちよかった。そのときの感情が蘇る。カヤはいつの間にか、目をつぶったまま、微笑んでいた。
ダン、という乾いた音がして、地響きにも似た振動が全身に伝わってきた。
「うぅ……気持ちわる」
そんな声が耳元でして、カヤはあわてて目を開き和幸を見つめる。
「大丈夫!?」
「いや」と、和幸はひきつった笑顔を浮かべる。「いつものことなんだけど……着地すると変な痺れがあってさ」
そりゃ、あんな高いところから飛び降りたら……と、カヤは心の中でつぶやく。顔を上げると、ついさっきまで居たはずの屋根が、塀の向こう、さらに高いところにある。あんなとこから……ここまで飛んできたんだ。カヤはあたりを見回した。確かに、ここは塀の外。暗い路上。信じられない、とカヤは目を丸くする。
「本当に丈夫なんだね、体」出てきたのは、そんな言葉だった。半ば、呆れたような声だ。
「もう、丈夫、の一言じゃ片付けられない気もするけど」なんて和幸も呆れたように言う。我ながら、冗談みたいな体だよ、と和幸は苦笑した。
ラブコメすぎますね。
*くれぐれも屋上から決して飛び降りないように。大怪我します。当たり前ですが、念のために。




