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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
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密室の葛藤

 俺が唇を離そうとした瞬間、カヤは俺の首に手をまわし、激しく唇を重ねてきた。

 いつから、こんなに積極的になったんだ? と内心驚いていた。いや、もともと積極的だったのかもしれない。よく考えれば……付き合いだしてまだ一週間。カヤのこういう面(・・・・・)は、俺も全然知らないんだよな。


「ん」と漏れた彼女の声が、俺の脳天をつらぬく。一気に、心臓が全力疾走を始めた。

 カヤはキャミソール一枚。肩も胸元も、素肌がさらけだされている。彼女の肩にのせた手を少し動かすと、そのキャミソールの紐が指にひっかかった。その瞬間、ざわっと腹の奥で何かがうごめいた。これは……まずい。そう直感した。

 そもそも、暗い部屋。真夜中。二人きり。これだけそろって、何もするな、てほうが無理があるんだ。

 俺は唐突に唇を離し、カヤを引き離す。


「……」


 じっと彼女を見つめる。いきなりの俺の行動に、カヤは驚いているようだ。きょとんとして、まん丸の目を俺に向けていた。何か気のきくセリフはないか、と俺は必死に探す。だが、俺の頭の中には、こんな状況に必要な言葉のストックはない。こういうときは、単刀直入に言うしかない。


「これ以上は……やめたほうがいい、と思う」

「どうして?」


 俺を真っ直ぐに見つめて、カヤは小首を傾げた。その仕草がまた可愛くて、せっかくかけた理性のブレーキがはずれそうだ。


「多分」と本能を抑えて、言葉を絞りだす。「我慢できなくなる」

「え」


 そんな純粋な瞳で見つめないでくれ。俺は彼女の肩から手を離し、とりあえず身をひいた。目をそらし、帽子の上から頭をかく。


「その、俺も一応……男、というかなんというか」


 いや、普通に男だろ。俺は何が言いたいんだよ。


「我慢……」ぼそりとカヤがそうつぶやいた。聞き漏らしそうなほど、小さい声だった。

「え、なんだ?」と俺は振り返って尋ねる。するとカヤは視線を落とし、相変わらずの小さい声で言う。


「我慢、しなくていいと思う」

「は……」


 なん、だって? 俺がぽかんとしていると、カヤは上目遣いで俺を見てきた。


「我慢しないで、いいよ」


 真剣な目。頬を赤らめ、どこか懇願するような表情。いや……待て。我慢しないで、て……まさか、そういう意味(・・・・・・)で言ってるのか? 話の流れと状況からして、そういうことだよな。俺の解釈があっているとしたら……いやいや、そんなわけない。焦りたくない、て言ったのはカヤだ。それに、まだ付き合って一週間。早すぎる、よな。俺は別にいいんだけど……カヤはそういうの気にしそうだ。そのカヤから、誘ってくるわけはないよな。


「何の話だ?」と、とりあえず聞くことにする。先走って答えて、変なことばっか考えてる男だと思われるのも嫌だし……


「……」


 カヤは困ったような表情を浮かべ、それからうつむいた。「なんでもない」と小さくつぶやいて。


***


「着替えるね」と私は言って、和幸くんに背を向ける。


「あ、ああ」少し困惑気味の和幸くんの声。「向こう、見てるから」


 私はため息まじりに苦笑する。本当に……優しすぎるんだから。というか、まじめなのかな。

 それにしても……砺波ちゃんのアドバイスはもっともだった。


――あいつは奥手だから。カヤが誘惑(・・)しなきゃいけないの。


 ダンボールを開き、洋服をあさる。その間も、さっきのことを考えていた。私は……きっと、和幸くんを求めていた。心だけじゃなくて、体も。自分でもあんな言葉が飛び出すなんて思ってもいなかった。でも、あのまま……全てを奪ってほしかった。そんな気持ちにかられた。焦らないでゆっくり進めよう、て言い出したのは私なのに。笑ってしまうよね。

 私、どうしちゃったんだろう。もしかして、自分で思っている以上に……自由に会えないこの状況に参っているのかな。普段触れられない反動? それとも、不安? 

 付き合う前の数日。私は和幸くんといつも一緒だった。だから安心できた。たとえガールフレンドじゃなくても、和幸くんを独り占めできていたから。でも今は……和幸くんと一緒にいない時間のほうが多い。その間のことが気になる。一緒にいない間に、和幸くんの気持ちが離れていきそうでこわい。その間に、もし和幸くんが、誰か他の、もっと素敵な人に出会ったら……そう考えるだけで、居てもたってもいられなくなる。

 こわいんだ。だから……体で、その不安をごまかそうとしたのかな。会えない時間を、そうやって補いたかったのかもしれない。――和幸くんがそれを知ったら、呆れるかな。

 私は目当ての服を見つけ、さっさとキャミソールを脱いだ。ふと、目の前の姿鏡に目をやる。そこに映っているのは、幸せなはずなのに不安そうな少女。なぜか、寂しそう。

 下着姿の『彼女』は、ずいぶん華奢に見えた。ぼうっと『彼女』を見つめると、段々と漠然とした恐怖感におそわれる。なぜか最近、こうして鏡に映る自分を見るのが恐い。理由は分からない。ただ、鏡の向こうの『彼女』は、とても冷たくて恐ろしい女に見えて仕方が無い。自分じゃない気がする。……恐い。私はたまらなくなって目をそらした。

 とにかく、着替えなきゃ。私は、ズボンもすばやくぬいだ。そのときだった。


「靴、ちゃんと持ってきたか?」


 後ろから、彼のそんな声が聞こえてきた。


   *   *   *


「あ、それなんだけどね……」


 背後から、申し訳なさそうな声がする。


「望さんに見つかっちゃって、持って来れなかったの」

「え」


 思わず、振り返ってしまった。靴がどうの、というわけではない……望、という名前に反応したんだ。そして、目に飛び込んできた光景に、「あ」と俺は声を漏らす。それは、スカートのファスナーを閉める彼女の後姿。上半身は下着だけ。傷一つない滑らかな背中があらわになっている。覗き見なんて最低だ、と思いつつ……目が釘付けになる。触れたい、という気持ちが胸を押し上げてくる。きっと柔らかくて、すべるような手触りなんだろう。想像するだけで、胸が高鳴った。俺はごくりと唾を飲む。

 そのときだった。鏡越しに彼女と目があった。


「!」


 カヤは俺が見ていることに気づき、ハッと目を丸くした。俺も我に返り、やっと顔をそむける。


「悪い!」と慌てて謝った。


 カヤからの返事はない。俺はじっとしていられず、部屋の中を歩き始めた。もちろん、カヤに背を向けて。

 みっともない。こっそり見てるなんて……ありえないよなぁ。付き合ってるんだし、堂々と見るほうがマシ、か? いや、でも……相手がカヤだと、どうも軽はずみにそんなこともできない。純粋無垢。そんな言葉が彼女に合っている。(けが)れを知らない……いや、穢しちゃいけない。そんな気がする。

 そりゃ、俺も男だし、興味はある。てか、こんなシチュエーションで何もしないほうがおかしいだろ。砺波に知れたら、大爆笑を招くな。でも……踏み出せない。つい、慎重になりすぎる。きっとそれほど……俺はカヤのことが、好きなんだ。

 部屋の中をフラフラ歩いていると……ガタッと足元に何かが当たった。


「え?」と下を見ると、それは白い長方形の箱。荷物は端にまとめられていたはず。なんでこれだけ、こんなとこにあるんだ? 箱は開けられていて、中に入っている何かが月の光を反射してキラリと光る。よく目をこらしてみれば、なんてことはない。ただのヒールの靴だ。なんていうんだっけ。こういうの……砺波がよく履いているんだよな。パン……なんとか。パンパースみたいな名前の……まあいいや。


「カヤ、靴あるじゃんか」と俺はしゃがみ、箱の蓋をつまむ。

「え? 靴?」


 どうやら、さっき覗いてたこと怒ってはいないようだ。声がいつもと変わらない。


「あぁ。ほら……」ここで振り返ったらさっきの二の舞。俺は靴を片方だけ箱から出し、カヤに見えるように掲げる。横目で、俺もじっくりとその靴を見つめた。なんだ、新品か? やたらときれいだ。

 するとやや間をあけて、「あ!」という驚愕した声が背後から聞こえた。あわてて近づいてくる足音がして、俺の手から靴が奪われる。は? としゃがんだまま背後に振り返ると、カヤがその靴を胸に抱きしめ、せっぱつまった顔をしている。どうしたんだ? と言おうと口をあけて……俺はそのままぽかんとした。

 着替えたカヤは……すごく、可愛くなっていた。思わず、見とれた。白いシャツに黒いカーディガン。そして、ふんわりとしたカラシ色のスカート。見るからに、清楚なお嬢様。正直、すごいツボだ。そりゃ、今日のデートで着てきた超ミニワンピースも、有難かったんだけど……どうも、どっかの自己チュー女を思い出してイマイチ好きになれなかった。もちろん、そんなことカヤには言えなかったけど。だから、こういう服のほうがカヤらしくて俺は好きだ。


「これは、ダメなの」


 そんな、どこか恥ずかしそうなカヤの声で俺は我にかえる。あ、そうだそうだ。靴の話だった。


「なんで?」


 もしかして、服と合わない、とかそういうことか? ファッションのことは良くわからない。履ければどうでもいいと思うんだが。充分可愛いし、これでビーチサンダル履かれても俺は気にならない。


「これは……」とカヤは靴をぎゅっと抱きしめ、口ごもった。


 靴に関することで、そんなに真剣になる問題はあるだろうか? 外反母趾? サイズがあわない? いや、それにしては乙女な表情をしているし。俺は眉をひそめてカヤの言葉を待つ。

 カヤはしばらく視線を落とし……そして、深呼吸をした。で、急に目を見開いて俺を見つめてくる。頬は赤らんだまま、真剣な表情だ。


「ねぇ、和幸くん!」

「は、はい!?」


 思わず、そんな返事をしていた。いきなり、なんだよ?


「ダンスとか……興味ある?」

「は? ダンス?」


 靴の話はどこいった?

恋愛小説はまだまだ続きます。かなり続きます。

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