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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第三章
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インターミッション:情報屋の休日

「ちょっとぉ……ここまで来て仕事してるわけぇ?」


 バスタオルを巻いた、スレンダーな女性がバスルームから姿を現す。濡れた髪は人工的な白に近いブロンドで、腰まである。様々な色を経験した髪は、痛んで一本一本が細い。だが、彼女はそれはそれで気に入っていた。細い眉はゆるやかな弧を描き、奥二重の目はぱっちりとして、中の黒目はやや大きい。こぢんまりとした鼻に、厚い唇。歳は二十代後半の、妖艶な魅力漂う女性だ。

 彼女は、ダブルベッドに横になってパソコンをいじっている青年を睨みつけた。青年の長髪は一本にまとめられ、馬の尻尾のようになって彼の背中に乗っかっている。その顔は、依然としてこちらに向けられる様子はない。夢中でパソコンの画面を見つめている。

 女性は、やれやれ、とため息をつき、バスタオルだけの格好でベッドに腰をおろした。あたりにはポルトガル調の家具が並び、ソファ、液晶テレビ、ドレッサーが備え付けられている。女性は、それを見回し、頬を緩める。


「こんな素敵なホテルに泊まれるなんて。最高のヴァケーションじゃない」


 しかし、後ろから返事はない。女性は苛立ったため息をつき、体を放り投げるようにして青年の隣に寝転がった。


「聞いてるわけ? 三神」


 すると、青年――三神は、口元だけ笑みを浮かべる。相変わらず、視線はパソコンの画面に釘付けのまま。


「聞いているよ、ユラ」

「嘘よ。聞いていないでしょ」


 あぁ、もう、とユラは諦めたように、ごろんと仰向けになった。


「せっかく、マカオに来てるってのにぃ。海外よ、海外! 分かってるの? いっつも、デートもろくにしてくれないんだから。この旅行中くらいは仕事はなし、て約束したでしょー。一週間、情報屋は休業! ユラのことだけ、考える。そう言ったのは誰よぉ?」


 不平不満の応酬に「だから」と、三神はベッドに頬杖をつき、ユラに視線を向ける。「ちゃんとユラがシャワーのときだけにしてるだろ」


 ユラは仰向けのまま、ジト目で三神をにらむ。三神は観念したようにため息をつき、画面を見ることなく、パソコンをぱたんと閉めた。


「これでいいのかな」


 すると、さっきまで不機嫌だったはずのユラはころりと表情を変える。くるりと転がって、三神に寄り添う。


「満足」と、ユラはにやりとする。寝転がったまま、ぎゅっと三神の胸に顔をすりよせた。


「それで……なんの情報調べてたわけ?」


 その言葉に、三神はげんなりとした表情を浮かべる。


「情報屋はお休み、て言ったのは君でしょ。何、さっそく僕から盗もうとしてるの」

「いいじゃない。教えてよ」


 結婚も考えている相手ながら、彼女も情報屋であることに変わりはない。油断もへったくりもありはしない。だからこそ、おもしろいのだが……と、三神は、くくっと笑った。


「本間秀実だよ」と、三神はすんなりその名を口にする。すると、ユラはハッとして顔を上げた。


「国家公安委員長の? ずっと、調べているけど、なんなの?」

「ただ……気になってね」


 彼を調べるきっかけになったのは、カインノイエのリーダーである藤本マサルの依頼だった。藤本マサルは、『無垢な殺し屋』と呼ばれる子供たち――カインを束ねる、六十をすぎた男。彼は、人身売買を牛耳るトーキョーの黒幕を長年追っていた。そして、とうとう、その尻尾をつかんだのだ。もちろん、トーキョーに三神あり、と謳われる凄腕の情報屋である彼の手柄だった。三神は、警察内部の情報筋から有力な情報を得、そして隠し口座を見つけ出し、国家公安委員会委員長、本間秀実を黒幕だ、と断定した。だが、その正体を伝えた途端、藤本は態度を一変し、もう情報は要らない、と言ってきた。もっと調べろ、と依頼されると思っていた彼は、拍子抜けだった。さらに、藤本マサルは心臓発作を起こし、入院までしてしまったのだ。

 いつもなら、依頼以外のことは一切調べない三神だったが、どうしても本間秀実は気になって仕方がなかった。情報屋は中立、私情は挟まない。それがモットーの三神でも、人身売買には心を痛めていた。正直、カインノイエをえこひいきしてきたのは否定できない。だからこそ、せっかく暴いたトーキョーの黒幕を放っておくのは気が引けた。


「それで、何か見つけたわけ?」


 これに関しては、正式な依頼があるわけでもない。いわば、自分の趣味のようなもの。ユラも質問してはいるが、明らかに興味がなさそうだ。隠す必要はないだろう、と三神は話し出す。


「本間秀実は、国家公安委員長になる前……議員として、ある法案に関わっていたみたいなんだ」

「ある法案?」


 ますます、ユラの興味はそがれている。三神には、彼女の声だけでそれが分かった。だが、自分としても言葉にだして情報を整理してみたかった。構わず、話を続ける。


「二年前に可決された妙な法律があっただろう。まあ、最近のメディアは報道規制がいろいろかかっているから……そのときも、あまり流されていなかったけどね。内容が内容なだけに、国はこっそり可決したんだ」


 それを聞いて、あ、とユラは声をあげる。


「新治安維持法ね」


 それに、三神は真剣な表情で頷く。こういうときの彼の目つきはするどく、二十代という若さを感じさせない。


「簡単に言えば、反政府運動を行う秘密結社を罰する法律。過激な社会運動を防ぐためのものなんだけど……」


 その言葉に、ユラは半笑いを浮かべる。


「社会運動?」

「そうなんだよ。そんなことしてる奴を、少なくとも、トーキョーでは見たことがない」


 それは別に、平和だから、うまくいっているから、というわけではなかった。ただ単に、社会運動をするほど人々は国に関心を持っていないのだ。


「そんな法律を、本間秀実は必死になってサポートしたようなんだ」

「サポート?」ユラは、鼻で笑う。「つまり、賄賂でしょ」

「その通りだね」


 だが、不可解なのは……と、三神は考える。その後、可決されてからその法律が効力を発揮した様子はない。本間秀実が何か得をした様子も見られない。あるとすれば……と、三神は眉間にしわをよせ、低い声でつぶやく。


「公安……か」

「公安? 公安警察のこと? それがなに?」

「法律が通って、公安警察の中で、新治安維持法を遂行するための部隊ができているはずだ」

「へえ……聞いたことないけど」


 僕もそうだ、と三神は心の中でつぶやく。もともと、公安警察自体、警察の中でも秘密の多い部門。新しい部隊ができていたとしても、その名前すら公表されていなくても当然だが……。公安警察だけでない。人々の言論や表現を制限する力まで持つ新治安維持法は、国民の反対を恐れた国がメディアに規制をかけ、国民の注目を避けて可決された。それゆえ、新治安維持法の実態をよく理解していない国民も多い。まあ、大々的に流したところで、誰も気にかけなかったかもしれないが……と、三神は皮肉そうに笑った。


「それで、その公安警察と本間秀実がどう関係するわけ?」

「法案が可決されてすぐ、内閣は変わり……本間は国家公安委員長に任命された。きっと、前々からそういう取引もあったんだろう」


 三神はユラの髪から手をはなし、むくっと起き上がる。


「つまり……本間は、法案の可決で、二つのものを手に入れた。新治安維持法はもちろんだが、それと……公安警察の中にあると考えられる、新治安維持法の執行部隊」


 ユラも起き上がり、はずれかけたバスタオルをぎゅっとつかむ。目を細め、得意げに微笑んで三神の言葉を補足する。


「国家公安委員長は警察のお目付役。公安警察にも圧力がかけられる、てわけね」

「それ以上かもしれない」と間髪いれずに三神は言う。「彼は、その執行部隊を組織するところから口出しできたはずだから」


 ベッドから立ち上がり、三神は上着を脱ぎだす。ユラはそれを見つめ、首をかしげた。


「でも、だからなに? 今まで、特になにかしたわけじゃないんでしょ? その法律も公安の執行部隊も使われた様子はない。違う?」


 上着を放り投げ、三神はユラに振り返る。彼には珍しく真剣な表情で、ユラは一瞬たじろいだ。


「だからこそ、不気味なんだ」三神は低い声でそう指摘した。「それに……秘密裏に使われている可能性も否定できない。僕の調べがまだ足りないのかも……」


 服を脱ぐと、三神が実は筋肉質であることが分かる。割れた腹筋。太い二の腕。三神はわざといつもゆるい服を着て、それを隠していた。情報屋といっても、裏の世界で生きる以上、命を狙われないとは限らない。相手を油断させておけば、スキもできる。そのために、あえて柔なフリをしているのだ。

 ユラは唯一、彼が裸のときだけ、そのひきしまったボディを楽しむことができる。三神の話はそっちのけで、ここぞとばかりに、彼女はなめるように見つめていた。そのうち、体が熱くなってくるのを感じ、いてもたってもいられなくなる。


「ねぇ」とユラは甘い声をだし、ベッドから腰をあげる。三神に近づくと、その胸元を人差し指でひっかいた。「とりあえず、この一週間は仕事の話はなし」


 三神は腑に落ちない表情でユラをにらむ。


「情報を聞き出してきたのはそっちじゃないか」

「細かいことは気にしない」


 言って、ユラは三神の首元に厚い唇を押し付ける。一、二回、繰り返し、ハッとする。


「そういえば……あの子の父親も政治家じゃなかったっけ」

「ん?」


 ユラは、ほら、と顔をあげ、三神の目を見つめる。


「三神にも手伝ってもらったでしょ」

「あぁ」と三神は、思い出すように右上を見上げた。「長谷川正義くんか」


 そういえば、困り果てた彼女を見かね、ほんの少し手助けしたことがあった。彼女が探していたのは、藤本和幸という少年。依頼人である長谷川正義のクローンだった。カインノイエと長い付き合いである三神は、大体のカインとは会っている。無論、藤本和幸にも何度も会っていた。

 三神は、『カインに関する情報は漏らさないこと』という契約を、高い口止め料と引き換えに藤本と結んでいる。とりあえず、藤本和幸の住所と『殺し屋』であることだけをユラに教えたのだ。『カイン』とは一言も言わなかったから、契約違反ではないだろう。三神はそう正当化させていた。だがきっと、それが藤本マサルに知れれば、契約違反だ、と怒鳴りつけられることだろう。三神はその様子が容易に想像できた。


「そうそう」とユラは人差し指で空を切る。「あの子も、確か……参議院議員の息子じゃなかったかなぁ。いや、衆議院議員? どっちだっけ……」

「……」


 そしてしばらく、部屋が静まった。二人は各々、何かを考えている。


「結局」と先に声を出したのは三神だった。「仕事の話しかしてないねぇ、僕たち」


 ユラは、ただ苦笑した。

既存の治安維持法を基にしていますが、無関係です。

次話から、本題に戻ります。インターミッションでした。

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