初デートの諸注意
やべぇ。遅刻だ。俺はイライラしながら、信号が青になるのを待っていた。この横断歩道渡れば、すぐそこなのに。周りには、すでにデートを始めているカップルがわんさかいる。いやぁ、でも……嫌な気がしない。なぜかってそりゃ……はは。俺も単純だな。
信号が青になり、俺は人ごみの間をぬって、目の前の公園へと走る。都会のど真ん中にある、噴水つきの公園。公園、といってもかなり広く、中には博物館や動物園もある。春には桜が咲き乱れ、有名な花見スポットだ。
俺は公園に足を踏み入れると、全力疾走で噴水へと急ぐ。
もう七時を過ぎて、あたりは暗く、点在するぼんやりとした街灯の光が頼りだ。この暗がりを利用して、公共の場だというのにベンチでいちゃつくカップルも目にはいる。
噴水のある広場について、俺は足を止め辺りを見回す。何人か、時計を気にして立っている。彼らも待ち合わせだろう。それで……あいつはどこだ? 暗くてよく顔が見えない。とりあえず、噴水の周りで立っている女の顔を一人一人確認していく。さすがに、何人かに「なに?」とキレられそうになったが、一応無事全員の顔を確認した。……で、どこだよ? 結局、知っている顔はなかった。あいつも遅刻……てことだろうか。俺はそう思って、噴水を眺める。
すると……
「誰かお探しですか?」
ふと、背後からそう声をかけられた。明らかに無理して変えている声色。俺は鼻で笑い、ゆっくりと振り返る。そこには、浅黒い肌をした少女が、両手を後ろに回して立っていた。
「ああ。彼女、探してるんだ」
目を細め、そう言うと、花柄のワンピースを着た少女はクスッと微笑する。
「一緒に探してあげましょうか」
「いや」と俺は呆れたように言う。「もう見つけた」
すると彼女は、ふーん、と試すような視線で見てくる。俺は、やれやれ、と腰に手をあてがう。
「遅れて悪かったよ、カヤ」
言うと、カヤは満足そうに微笑んだ。その笑顔は、やはり美しい。絵画の女神がとびだしてきたような神々しさがある。俺はこれほどまで、目を奪われる女に会ったことがなかった。約三ヶ月前、夕日が照らす廊下で、神崎カヤと初めて出会ったときまで。一瞬で思考を止められ、全神経が視覚に集中された。初めて、『見とれる』という感覚を体験した。だが……それは単なる見た目の問題ではないと思う。不思議な魅力があふれているんだ。まるで妖しい魔術のような、人を惹きつける力。って、自分の彼女をこんなにベタ褒めするのもどうなんだろうな。
「水と紅茶」と、カヤは急に切り出し、後ろに回していた両手を前に出す。そこには、ペットボトルに入った水と紅茶が。「どっちがいい?」
「あ……」
もしかして、噴水の前に居なかったのは……これを買ってきてくれてたのか?
「きっと走ってくるかと思ったから」
俺が唖然としていたからか、カヤは説明するようにそう言った。俺はため息まじりに苦笑する。相変わらず……果てしない心の広さだよな。遅刻してもあんな悪戯だけで、ドリンク用意してくれてるんだから。
「水」と言って、俺はカヤから水を受け取った。
ここが公園じゃなかったら、俺は迷わず彼女を抱きしめていただろう。むなしいことに、付き合いだしてからのほうが、彼女と接触する機会が減った。俺のオリジナル――長谷川正義の事件から、カヤと二人きりでゆっくり過ごす時間はほぼ皆無だったのだ。皮肉にも、あいつのお陰で俺たちの間は縮まったわけだが……俺とカヤのお互いの状況がガラリと変わることになり、学校以外で会うのは難しかった。俺はカインを辞めて焼き鳥屋でバイトを始め、カヤは……本間カヤになった。大部分は、それのせいだった。本間家に養女に入り、手続きやら引越しやらでカヤはてんてこまい。とても、俺との時間をとれる状況じゃなかった。まあ、そのお陰で、俺の携帯メールテクニックは向上したけど。
「どうかした?」
水を受け取ったまま、どうやら俺は彼女に見とれていたようだ。カヤは心配そうに見つめてきた。俺はハッと我に返り、ペットボトルのキャップをはずす。
「いや……ありがとな」と早口で言って、水を口にふくんだ。確かに、走ってきたせいで喉が渇いていたようだ。焦っていて自覚していなかった。喉がじわじわと潤っていくのを感じる。
「よっぽど、喉がかわいていたんだね」
急に、背後――噴水のほうからそんなのんきな声がして、俺は水を変なところにひっかけてむせた。多分、気管にはいったんだ。
「え?」と俺が振り返ると、そこには……あまり会いたくなかった人物が居た。相変わらずの、オシャレなファッション。これは、アメカジとかいうやつか? 長い髪。すました顔。いわゆるイケメン。俺のテンションは一気に下がった。
「どうも、椎名さん」
諦めのような声がでた。
「どっから湧いて出たんです?」と体をくるりと椎名に向けて尋ねる。すると、椎名は、嫌だなぁ、と相変わらず軽い調子で頭をかく。
「ずっとここにいたよ。藤本くんは女の子ばっかり見てたから、気づかなかったのかな」
「……」
なぁんか、この人はいつもチクチク気に入らない言い方をするんだよな。女を見てたのは、カヤを探してたんだよ。わかってるくせに、誤解を生むような言い方を……。俺は頬をひきつらせて椎名を見つめる。
「これ買って来る間、代わりに待っててもらってたの」と、カヤがかばうように言うのが聞こえてきた。これ、とは飲み物のことだろう。
「へえ、代わりにここで待っていたんですか」俺は眉をあげて言う。「ボディガードなら、対象にべったりついておかなきゃいけないんじゃないですか?」
さらに言えば……なんで、俺に声をかけなかったんだよ。カヤの代わりに俺を待っていたんだろうが。黙って俺がカヤを探すのを見ていたってどういうことだ。悪意を感じる……。
すると椎名は、いやいや、と余裕な顔で言う。
「自販機はほら、すぐそこだから。何かあればすぐ駆けつけられるでしょ」
やっぱ、この人……信用できない。俺は、そうですか、と気のない返事をした。だが、内心、全く納得していない。そんなゆるい考えのボディガードがどこにいるんだよ。
カヤのボディガード。椎名望。俺からすれば、スキばかりの頼りない護衛人だ。なんでこんな奴が、カヤのボディガードなのかさっぱり分からない。正直言って、やろうと思えば、今この人をその噴水にぶちこめる自信がある。確かに、鍛えていそうだけど……特別、強そうでもない。それでも、カヤの新しい養父がたっての希望でつけた護衛なんだ。一体、この男の何に惚れて? 俺に頼んでくれればいいのに。ま、もちろんそんなことカヤの養父にいえるわけはないが。俺は一般の高校生。ボディガードがつとまってはいけないはずだ。
「それじゃ」と、このいけ好かないカヤのボディガードに切りだす。「今からデートなんで。ご苦労様でした、椎名さん」
俺は椎名に背を向け、カヤの手を取った。すると、「目立たないようにしているからね」という間延びした声が背後から聞こえてくる。俺は、は? と振り返った。
「帰っていいですよ」というか、帰れ。「カヤはちゃんと俺が家まで送りますから」
椎名は、にたりと得意げに笑み、こちらに歩み寄る。
「僕は、カヤちゃんのボディガードですから」と、なぜか語尾をあげて言う。まるでオカマ口調だ。
「ボディガードなのは知ってる。でも……デートなんですけど」
下校のときにカヤと帰ろうとすると、やはりこいつはいた。いつも、少し離れた後方から俺たちをつけて来るんだ。おかげで、全然二人きりな気がしなかった。全くリラックスできない。自然な会話なんて一つもできない。どうも、誰かがつけていると落ち着かない。カインであったときの職業病なのだろうか……特に、後ろに誰かがいると気になって仕方がない。常に気を張ってしまって、カヤと――というか、椎名と別れたあとは、どっと疲れていた。だが、今夜はデートだ。デートなんだ。いいか、男女が二人きりで甘い時間をすごす、アレだよ。まさか、こんなときもボディガードが後ろからついてくるってのかよ。冗談じゃないぞ。
ふと、目の端で、カヤがおどおどしているのが見える。養父の仕込んだ護衛人と彼氏じゃ……どっちの味方につけばいいのか、悩むんだろうな。
「デートだろうとなんだろうと、関係ないんでね」と椎名はさらりと言う。「君に関しても、注意事項がお父様からきているし」
「は?」
「おじさまから?」
これには、さすがにカヤも口をはさんできた。注意事項ってなんだよ? 俺はカヤから手を離し、体ごと椎名に向きなおる。
椎名は、俺とカヤが見守る中、ポケットから紙切れを取り出した。そして、おほん、とわざとらしく咳払い。
「ひとぉつ」とふざけたイントネーションで読み上げる。「高校生らしいお付き合いであること。身体的接触は手を繋ぐところまで。つまり……キスから先は禁止ってことだねぇ」
「……は!?」
なんだ、それ? どこの高校生が、そんな純情なお付き合いするんだよ? いつの時代のはなしだ? ってか、もうキスはしてるんだけど……。
「ふたぁつ」と相変わらず気に障る読み方で続ける。「デートは九時まで。ちなみに、彼氏くんはカヤを送る必要はない。つまり、デート後に自宅に来るな、てことだねぇ」
「なに、それ?」
俺の代わりに、カヤが、憤慨したように声を上げた。内容も気になるが……それよりもさっきからひっかかっているのは……つまり、のあとだ。なんでいちいち、椎名のコメントがはいってくるんだよ。
「みぃっつ。カヤは、彼氏くんの家に上がらないように。以上!」
満足げに言い切って、椎名は紙をポケットにつっこんだ。
俺は、言葉を失くしていた。なんだよ、これ。やっぱ、付き合ってからのほうがいろいろ難しくなってんじゃんか。
「それ、本当におじさまから?」
カヤは困惑した声で椎名に尋ねる。カヤも初耳なんだな。
「そうですよ。今朝、家を出るときにこの紙を頂きまして」
「こんなの……」と何かをいいかけ、カヤは口をつむぐ。自分を養女に迎え入れてくれた人だ。あまり悪くは言えないのだろうな。
「それで……あんたは俺がその注意事項を守るように見張るわけだ」
「そうなるねぇ」
椎名は、とぼけたような顔を浮かべている。こいつ、楽しんでるな。やっぱり、噴水につっこもうか。
「とりあえず、さっさとデート始めたほうがよろしいんじゃないか、と」
「あんたに言われなくても……」
声を荒げる俺を椎名は右手で制し、左手首の時計を見た。なんだ? すると、椎名はわざとらしく顔をしかめる。
「あと一時間四十五分ですよ」
この野郎……完全に、おもしろがってる。思わず、俺はペットボトルを握る左手に力をこめていた。ペキッというはじけるような音があたりに木霊する。
「そうですよね」
急に柔らかい声がして、俺は我に返る。カヤは俺の肩に手を置き、にこりと微笑んできた。
「せっかくのデートだもん。時間、大事にしよ。ね」
まるで説得するかのような言い方だ。俺が頭にきているのが分かったのだろうか。笑顔の中に、抑えて、と言わんばかりの切羽詰った表情が隠れている。俺はなくなく頷き、ちらりと椎名をにらみつけた。
「じゃ……見張り、お願いしますね、椎名さん」
「護衛、なんだけどなぁ」
俺は答える素振りもせず、くるりと踵を返す。カヤを誘導するように、その背に手をまわし、足早に噴水から離れていった。