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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第二章
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別れの決意

「藤本さん!」


 和幸は、ある病室のドアを勢いよく開けて、中に飛び込んだ。そこは、清潔感のある小さな個室。花柄のカーテン。小型の液晶テレビ。木製のタンス。そして、部屋の端にはベッドが一台。そこに上半身を起こして座っているのは、六十になる男。手には、リンゴとナイフがある。入ってきた少年に、目を見開き、そして優しく微笑んだ。


「和幸」


 和幸は、今にも泣きそうな表情でベッドへと駆け寄る。


「大丈夫かよ? 心臓発作って……」

「曽良から連絡がいったんだね。すまないね、心配させて」


 藤本は、ベッドの上に置かれた小さなテーブルにりんごとナイフをひとまず置いた。


「体調は?」

「いいよ。なに、心配することはない。歳なだけだよ」


 そういって、藤本は慰めるように和幸の腕をさする。だが、それで不安がぬぐえるわけがない。和幸は、疑うような表情で藤本を見つめた。


「ちゃんとした病院にいったほうがいいんじゃないのか? 筒井さんには悪いけど……ここじゃ、設備が……」

「失礼だよ、和幸」


 声を落とし、藤本はそういさめる。和幸は、口をつぐんだ。


「救急車で運ばれるとき、ここがいい、とわたしが頼んだんだ。一番、落ち着くからね」

「……」

「それに、もうなんともない。心臓発作といっても軽いものだよ」


 軽いものといっても心臓発作だ。和幸は心の中でそう反論する。


「でも、和幸の顔がみれてほっとした。来てくれて嬉しいよ。ありがとう」


 和幸は何も言わずに、微笑んだ。ベッドのそばにある小さな机の上には、大量のフルーツやお菓子、花束が置いてある。きっと、藤本は同じセリフを、見舞いに来たカインの子供たちに言い続けているに違いない。


「それ、むくよ」と和幸は、ベッドの上のテーブルにおかれたリンゴとナイフを手に取った。藤本は、ああ、と嬉しそうに頬をゆるめる。


***


 リンゴをむく俺を見つめながら、藤本さんはおもむろに口を開いた。どこか、申し訳なさそうに。


「入院している間は、『おつかい』は中断しなくてはならないな」


 俺は思わず、ナイフを持つ手を止めた。いきなり、『おつかい』の話か……心臓がまた段々と早くなる。藤本さんが心臓発作を起こしたって聞いたときとは違う緊張だ。俺は、すごく大事な話を藤本さんにしなくちゃいけない。でも、こんな状態の藤本さんに言っていいんだろうか。また体調を悪くしたら……と不安になる。


「そうだ」と、俺の心配をよそに、藤本さんは明るくきりだす。「わたしが入院中の間だけだが、曽良にわたしの代理を頼んだ」

「え!?」


 俺は思わず、ナイフを落としそうになった。曽良に!? と驚愕する。


「藤本さん!? 曽良って……本気かよ?」

「あの子は、カインの中で一番顔が広い。まあ、若いが……年上のカインたちからも信頼が厚いしな」


 俺は、あからさまに不安を顔にだしていたと思う。確かに、曽良は人望がある。それも、年齢関係なく、だ。だが……あの曽良に代理を頼むのか? 性格もいい。信用もできる。ただ問題は……。藤本さんは俺の顔をじっと見つめてから、はは、と笑った。どうやら、俺の考えていることを読み取ったようだ。


「あの子は、頭のいい子だよ」

「ええ!?」


 藤本さんはどこを見ているんだ、と失礼ながら呆れてしまった。曽良が頭がいい? 変なニックネームばかりつけるあいつが? ギターケースに花束いれてた奴だぞ? だが、藤本さんの目は真剣。自信に満ち溢れている。藤本さんには……俺の知らない曽良が見えているのかもしれない。


「能ある鷹は爪を隠す。あの子にぴったりの言葉だよ」

「……」


 鷹というより馬鹿な気がするけど。でも……藤本さんは俺たちの父親代わり。ずっと育ててきてくれた。藤本さんがそう言うなら、きっと曽良は鷹なんだろう。俺は、ただ微笑んだ。


「まあ、わたしが入院している間だけ、だ。連絡係をしてもらうくらいだろう。夕べのようにな」


 そうか。連絡係……それで、あいつから不在着信が来てたのか。ここに居たのも、見舞いにくるカインを取りまとめるためだろう。一度に、カインが皆来たら、大混乱になるもんな。藤本さんも休めやしないだろう。


「それで、だ。和幸」と、藤本さんは頬を緩めて言った。

「はい?」

「お前に、曽良をサポートしてほしい」


 俺は思わず、言葉を失った。


「カインの中で一番、しっかりしているのはお前だ。曽良もお前が大好きだし……」

「……」


 藤本さんは、俺がすんなり頷くと思ったのだろう。黙り込んだ俺をみて、首をかしげている。


「どうした?」


 ナイフをもつ手が震えだした。言うときがきたんだ。でも、大丈夫だろうか。藤本さんは昨日、心臓発作を起こしたばかりだ。違う日にしたほうがいいかもしれない。でも……だからといって、ここでいい顔して曽良のサポートを引き受けるわけにもいかない。嘘もつきたくない。


「和幸?」


 藤本さんが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。決断しなきゃ。今、言うか、言わないか。


「藤本さん……俺……」


 言って、藤本さんを見つめた。


「なんだ?」


 優しくそう尋ねてくる藤本さんに、俺は言葉を詰まらせる。だめだ。言えない。藤本さんは……ここまで俺を育ててくれた。自転車の乗り方を教えてくれたのもこの人だ。分数の割り算に、日が暮れるまでつきあってくれたのもこの人だ。広幸さんに叱られた俺を慰めてくれたのもこの人だ。同級生とのケンカに、耐えろと諭してくれたのもこの人だ。

 俺はこみあげてくるものをこらえるように、うつむいた。


「和幸」藤本さんの手が、ナイフを握る俺の手に伸びてきた。「わたしには何を言ってもいいんだ。分かってるだろう?」


 分かってる。藤本さんには何でも言えた。藤本さんが居てくれたから、俺はここまで生きてこれた。だからこそ……言うのがつらい。でも……俺は、決めたんだ。


――たまに、不安になることがあるんだ。君たちは、ここでちゃんと幸せに暮らしているのだろうか、と。


 いつかの藤本さんの言葉が蘇る。俺はぐっと目を瞑り、覚悟を決める。もう後戻りはできないんだ。


「俺は……」と口にし、目を開く。「幸せだった」

「え?」


 顔を上げ、藤本さんを見つめた。何を言い出すんだ、と不思議そうな顔をしている。俺は、安心させるように微笑んだ。


「カインノイエで……カインとして生きて、幸せだった」

「和幸?」

「でも……やらなきゃいけないことができたんだ」


 俺の深刻な表情に、藤本さんは眉をひそめている。

 俺は、手に持っていたナイフとリンゴをテーブルに戻し、腰から銃を出した。


「和幸!?」


 いきなり銃を出したんだ。それはびっくりするよな。


「引き金が……」とつぶやき、俺はその銃を見つめる。やはり、俺の手は震えていた。「引き金が、あんなに軽いとは知らなかった」


 引き金の重さ。どれほど力をいれれば、引けるのか。分かっていたつもりだった。だから、俺は銃を扱える、と思っていた。これは身を守る武器だ、と信じていた。それは、買いかぶりだったんだ。引き金は、ずっと軽かった。俺が思っていたより、ずっと軽かったんだ。俺は、あんなにも簡単にカヤを殺しそうになった。

 思い出しただけで、ゾッとする。俺は銃を、リンゴの隣に置いた。


「武器を手にしたら……そんなつもりじゃなかった、なんて通用しないんだ」


 人を殺さなきゃいいんだ、と勝手に決めていた。銃を持っていても、それで人を殺さなきゃいい、と思ってた。でも、違うんだ。銃を持った時点で、俺は人殺しだ。俺が誰も殺さない、と誰がわかる? 俺にだって、そんなことわからないんだ。たとえ、俺がそのつもりでも……引き金は、あんなに簡単に引ける。銃に心はない。信用しちゃいけなかったんだ。


「和幸、なにがあったんだ?」


 戸惑う藤本さんを、俺はじっと見つめた。


「本当に、誰かを守りたいと思うなら……きっと、武器を捨てなきゃいけないんだ」

「え?」


 俺が誰かを殺して、それで喜ぶような奴は、最初から守る価値はない。カヤは……身を挺して、俺を守ってくれた。世界のルールの中に残れるように。


「理想論かもしれない。でも……違う方法を探してみたいんだ。誰も殺さずに、大切な人を守れる方法を……」


 どうやら藤本さんは、もう俺の言いたいことを悟ったようだ。寂しそうな目で俺を見つめていた。でも、何も言うことなく、黙って俺の言葉を待っていてくれている。俺を信頼してくれてるんだ。

 俺が、自分がクローンだという事実に耐えてこれたのも、この人の理解があったからだ。十二年もの間、俺を心から愛して育ててくれたから。だから……だからこそ、俺は信じてる。たとえ会えなくなっても、絆は消えない、と。


「俺……カインノイエを抜けます」

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