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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第二章
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真紀

 タクシーをつかまえなきゃな、と和幸くんが隣でつぶやいて、それからぶつぶつ何かを言っている。耳をすませば、この辺はタクシー少ないんだよな、とかなんとか言うのが聞こえた。それに、早朝だしね。私は心の中で相槌をうつ。


「あ」


 ふと、私の目に、白いコンクリートの小さな建物が飛び込んできた。正門のすぐ近くにある体育倉庫。つい、ぎゅっと和幸くんの手を強く握り締める。


「どうした?」

 

 それに気づいたのか、和幸くんが優しく声をかけてきた。


「あ、なんでもない」


 わざわざ、話すほどのことでもない。ちょっと、大野って人のこと……思い出してしまっただけ。和幸くんに変な心配かけたくないし。


「曽良でも呼び出して、タクシー捕まえさせるかぁ」


 和幸くんは相変わらず、帰る方法を探していた。私は通り過ぎざま、横目で体育倉庫を見つめる。私はもう少しで、ここで……そう思うとゾッとする。考える必要はないのにね。もう、大丈夫なんだから。ただ、気になるのは……なぜか、扉がなくなっていること。夕べまではあったのにな。どうしたんだろう。よく目をこらせば、倉庫の中でひしゃげて転がっている。まるで、外からふっとばされたみたい。まさか……和幸くん、かな。私は、苦笑してしまった。

 そのときだった。私は……体育倉庫の中に、ある影を見つけた。ここからじゃ、はっきりとは分からないけど……誰かが倒れている。


「あれは……」


 嫌な予感がする。私は和幸くんの手を離し、体育倉庫に走り出した。


「あ、おい!? カヤ!?」


 後ろから、和幸くんの戸惑う声が聞こえる。私は、走りながら振り返る。


「長谷川さん、倒れてるの!」

「え!?」


 そう。あの茶色い髪。あの服装。私には見覚えがあった。倒れているのは、和幸くんのオリジナル……長谷川さんだ。


***


「長谷川さん!」


 カヤは、体育倉庫に駆け込んで、倒れている青年に呼びかけた。青年は、うつぶせに倒れている。床には、血のあと。カヤはぞっとした。


「長谷川さん!?」


 あわててしゃがみこみ、青年を仰向けに動かした。カヤはその顔を見て、言葉を失う。もう、この青年が正義かどうか、分からなくなっていた。頬や目ははれ、歯もかけている。頭からは血がながれ、額が赤くそまっている。


「正義……?」


 遅れて入ってきた和幸も、正義のその状態に呆然とした。


「長谷川さん、しっかりして」


 カヤは、正義の頬に手をおき、優しくなでる。和幸はその様子をみて、改めて彼女の心の深さを実感した。騙されてさらわれて、ひどい目にあわされたというのに……よくそこまで本気で心配できるな。自分は、そこまで器は大きくない。正義を逃がしたのは、カヤのため。俺は許したわけじゃない。和幸は、冷たい視線で正義を見つめながら、そんなことを頭の中で考えていた。


「和幸くん、救急車!」とカヤは切羽詰った表情で振り返る。

「呼ばなくていい」


 かすれた低い声が聞こえた。カヤはハッとして、正義に目を戻す。腫れた目を、できる限り開けようとしているのが分かる。


「長谷川さん!」


 カヤはほっと安堵し、微笑んだ。そうっと正義の頭を抱えあげ、ひざにのせる。

 和幸はそれを見てぎょっとした。いくらけが人とはいえ、膝枕はやりすぎではないか。それに、相手は一応自分のオリジナルだ。いい気分ではない。気に入らない表情を浮かべて、二人のほうへ歩み寄る。


「なにがあった、正義?」


 心配する様子もなく、和幸は腕を組んでそう尋ねる。だが、正義はぴくりとも反応しない。じっとカヤを見上げている。


「病院は、だめだ……俺は大丈夫だから」


 俺は無視かよ、とますます和幸は気分を害す。


「でも、ひどい怪我だし」

「真紀……」

「え?」


 いきなり、正義は体育倉庫の天井を見上げ、朦朧としながらその名前をつぶやく。


「真紀……真紀……」


 壊れたプレイヤーのように、その名前を繰り返し続ける。さすがにその様子に、和幸も眉をひそめた。


「真紀?」カヤはアドバイスを求めるように、和幸を見上げる。「誰?」


 クローンだといっても、分かるわけがない。和幸は力なく首を横にふった。


「とりあえず……タクシー拾ってくる。病院に連れて行こう」

「でも、病院は」とカヤは慌てて引き止める。本人が嫌だ、というのだ。何かしら事情があるだろう。

 和幸にも、それは分かる。だが……このまま、放っておくわけにもいかない。というより、カヤがそれを許さないだろう。まさか、正義も治療してほしくないわけではないはずだ。きっと、警察沙汰を避けているだけだ。


「カインノイエが世話になってる医者がいる。その人なら、事情も分かってくれる」


 カヤの返事を待つことなく、和幸は体育倉庫から出ていった。タクシーを拾いにいったのだ。だが、この辺はタクシーが拾いにくい、とさっき文句を言っていたはず。カヤは、ふうっとため息をつく。しばらくかかりそうだ。カヤは正義へと視線を戻した。相変わらず、ひざの上で朦朧としながら「真紀」とつぶやいている。


「真紀って誰なの?」


 あざに触れないように気をつけながら、カヤは正義の顔をなでた。


「真紀、すまない……すまない」


 気づくと、カヤの手には正義の涙がつたっている。カヤはハッとし、静かに涙を流す正義の瞳をじっと見つめた。もしかしたら、彼のあの異常な行動には、何かわけがあったのかもしれない。カヤは、そう思い始めていた。


***


 すぴー、すぴー、という気持ちよさそうな寝息が、待合室に響いていた。ソファに腹をだして寝ている少年が一人。

 ここは自宅を改装した小さなクリニックだ。白を基調とした壁。待合室には水槽と大型テレビ。そして、寝心地のいいソファがある。


「曽良くん、起きなさい」


 三十代後半。縁無しめがねをかけた男性が、ぱたぱたとスリッパをならして待合室にはいってきた。四角い顔に、くっきりとした二重。目じりには、同世代よりもずっとはっきりとしたシワがきざまれ、さらさらとした黒髪は、七三にわけられている。


「ほら、曽良くん! 診療時間がくるよ」と、ソファにだらしなく寝ている少年の尻をはたく。

「筒井さぁん……俺、頭が悪いんだぁ。診察してくださぁい」


 ソファに寝ている少年、曽良は、えへへ、となぜか嬉しそうにそう言った。筒井は、大きくため息をつく。


「それは、自分で治せるでしょう」

「生まれつきでしたぁ!」


 曽良は、ムンクの叫びのように、手を両頬におしつけた。


「いいから、さっさと起きなさい! やることがあるんでしょう?」


 呆れて筒井は、曽良の尻を今度は思いっきりたたいた。痛い! と叫んで、曽良はソファをごろごろしている。


「まったくもう……これが、未来のカインのリーダーですか」


 やれやれ、と筒井は頭を横に振った。そのときだった。

 ドンドン、と誰かが入り口のドアをたたくのが聞こえてきた。これには、曽良も驚いて飛び起きる。


「さて、一人目が来ましたよ」と筒井は白衣をなびかせ、入り口へと向かった。

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