救世主の条件 -11-
「ごめんね」? それは、俺のセリフだ。俺が……カヤを撃った。涙が、あふれてくる。なにしてんだ。カヤが不安になる。俺は笑っていなくちゃいけないんだ。
「何言ってんだ。とにかく、何も喋るな」
「ごめ……んね」
相変わらず、力ない声でそうつぶやいている。
「誰も……殺させたくなかったのに」
俺はハッとした。殺させたくなかった? 何の話だ? 俺はカイン。殺し屋。それは、カヤも知っているはずだろ。
「和幸くんのままで……いてほしかったから」
「カヤ、しゃべらなくていい」
「殺し屋に……なってほしくなかった」
俺は、傷を抑える手の力をゆるめてしまった。カインになってほしくなかった……それは、まるで……知っていたようだ。カインの中で唯一、俺が人を殺したことがないことを。
「誰も……殺さないで、ほしかった」
「カヤ……」と俺は震える声で尋ねる。「それが理由なのか? 俺に人を殺させないために……それで……」
俺は言葉を失う。それで、あんな無茶したのかよ。ぐっと唇をかむ。そんなことまで、考えていたなんて。
「これじゃ……本末転倒、だよね」カヤは、微笑を浮かべた。「私……死んじゃったら、ごめんね」
カヤの目から涙がこぼれた。死んだら……て、やめろよ。俺はもう、つくり笑顔をたもてなくなっていた。
「忘れてね」と、カヤはかすれた声で言う。「今夜のこと、忘れて……ね」
なんでそんなこと言うんだ。俺はまたぐっと傷口をおさえ、首を横に振る。
「頼むから」喉が絞まる。声がでない。「……れ、に」声になってない。これじゃ、カヤが不安になる。
「俺に」と、声をしぼりだす。「俺に……お前を殺させないでくれ……」
くそ。なんで、こうなるんだよ? おい、神さま。助けてくれよ。カヤは、お前が創ったんだろ!? 俺がかわりになるから、カヤは……助けてくれ!
――かずゆき!
急に、天使の声が響く。なんだよ!? 何もできないくせに、うるさい!
――あの人を追い出して。
あの人? 俺は顔をあげる。すると、そこには正義がたちすくんでいた。震えながら、ひどい顔色でカヤを見下ろしている。こいつ、まだいたのか。何もしないで突っ立って。
――ケットが助けられるのは、かずゆきだけだ。すぐにも『災いの人形』は意識を失う。だから……
そうか。このまま、あいつがここにいると……ムシュフシュに殺される。
――かずゆき! 早くして!
ケットは必死で急かしてくる。
でも……と俺は躊躇した。助ける価値があるのか、あいつに? このまま、ムシュフシュに食い殺されても文句はいえないだろう。あいつが、全部引き起こしたんだ。俺はもとから、あいつを殺すつもりだった。あいつさえ、カヤを連れ出さなければこんなことには……
「……き、くん」
そのときだった。ふと、俺の頬に冷たい何かがふれた。ハッとして俺は視線をおとす。冷たい何か……それは、カヤの手だった。ついさっきまでは、あんなに温かかったのに。カヤは、もう危ないのかもしれない。俺の心にそんな不安がよぎる。
俺は傷口から左手だけ離し、カヤの手をとった。
「カヤ……」
「……和幸くん、許して」
「!」
それは、とても小さくてか弱くて、今にも消え入りそうな声だった。
「……許して」
許してって……こんなときまで、何でお前はそうなんだよ? なんで撃ったんだ、とか、よくもこんなことを、とか……いくらでも罵ってくれ。そのほうが、ずっと楽なんだ。
でも、お前はそれをしないんだ。そういう奴なんだ。カヤは、いつも他人を思う。この傷も……正義と、そして俺を守るために体を張ってくれたんだよな。俺はその気持ちを裏切っちゃだめだ。
俺は、ごくりと唾をのみ、正義を見上げる。
「正義」
正義は、びくっとして俺を見た。急に名前を呼ばれて驚いたようだ。
「出ていけ」
「え」
こいつを、カヤはここまでして守ったんだ。俺が、誰も殺さないように。こんな男を……カヤは守ったんだ。だから、俺はこいつを死なせちゃいけない。
「早く、出て行け!」
「……」
「行け!!」
正義は俺に怒鳴られ、びくっと体を震わせた。こんな状況で、あいつも参っているみたいだな。さっきの減らず口はどこかへいっている。正義は戸惑いつつも、じりじりと後ろへひいて行った。でも、と何度か言いかけたが、俺に睨まれ、口をつぐんだ。最後にじっとカヤへ視線を送ると、くるりと踵を返して去っていく。最終的には、逃げるように走っていった。結局、あいつは自分が巻き込まれなければそれでいいんだろう。内心、ほっとしているんだろうな。
俺は、ふうっとため息をつく。これで、とりあえず、ムシュフシュが現れても大丈夫だ。ケットがついている俺にはムシュフシュは手をださないらしいし。でも……カヤはもつのか? こんなに血を出して、目もうつろだ。これで意識を失うまで待てってのかよ。いや……それより、気を失わずに、そのまま死んだらどうなるんだ? リストは言っていた。カヤも『テマエの実』を食べなければ人間。普通に死ぬ、と。このまま、ムシュフシュが現れて、そして消えるまで放って置いたら……
「死にますわよ、これじゃ」
「!」
急に、女の声がした。どこかで聞いたことのある、色っぽい声だ。
***
和幸がハッとして顔をあげると、目の前に、ビキニのような麻布を着込んだ妖艶な美女が立っていた。世の男すべてを惑わせるだろう、完璧なプロポーション。その浅黒い肌は、どこかカヤを思わせる。ぷるんとした唇。赤い瞳。そしてなにより、うねうねとしたドレッドヘアー。和幸には、そのシルエットに見覚えがあった。
「お前は……」と、女に向かって言う。
「アトラハシスに仕えるエミサリエス、バールと申します。また会えたわね、ルルの坊や」
やはり、と和幸は目を丸くする。この女こそ、和幸の部屋に忍び込み、呪いをかけた張本人だ。そして……アトラハシスの守護天使。
「なんで今頃現れたんだよ!?」
アトラハシスは、カヤを守る使命をもつ人間。それがなぜか、ストーカーまがいのことをしてカヤを遠くから見守っているだけだった。今更、なにをしにきたんだ、と和幸はいらだった。それに彼女は、カヤはもう死ぬ、と発言した。カヤは、なんとか意識はたもっているようだが、朦朧としている。もう話の内容を理解できてはいないかもしれないが、だが、それでも彼女の前でそんなことを言ってほしくはない。
「あなたのせいで我が主 が取り乱して……て、細かい話をしている暇はありませんわ。こちらも、彼女に死なれては困ります」
バールは、腕を組んで和幸を見下ろす。
「ケット・シー。姿をあらわしなさいな。いるのは分かりましてよ」
和幸は、眉をひそめる。ケット・シーとは、ケットのことだろうか。だが、リストがそんな風に呼んでいるのを聞いたことがない。
「バール、久しぶりだね」
和幸の隣に、光の粒子が集まり、ケットが輝きの中から現れる。その表情は真剣だ。そしてどこか、緊張している。
「挨拶している場合じゃありませんわ。彼女が死ねばすべては終わり。
あなたの主人……マルドゥクはどこ?」
和幸は、え、と眉をあげる。マルドゥク。それはリストのことだ。
「なぜ……」と和幸がつぶやくと、バールは腕を組み、豊満な胸を余計に強調する。
「なぜ、マルドゥクを探すか? それは……ケット・シーにお聞きなさいな」
バールは、冷たい視線でケットを見下ろしている。責めるような視線だ。ケットは何か隠しているのか? 言われて和幸は、ケットに振り返る。
「ケット?」
ケットは、難しい表情でバールをじっと見つめていた。
「リストは……」
そのときだった。
「ここにいますよ」
場の雰囲気にあわない明るい声が響いて、リストが教室に入ってきた。
「リスト!?」
和幸は彼の姿を見てぎょっとする。いつのまに、そしてなぜ、彼がここにいるのだろうか。ケットには、リストに知らせなくていい、と言ったはずだが。
「やぁ、和幸さん。えらいことになってますね」
リストは血だらけのカヤを見て、苦笑いを浮かべる。まるで状況の深刻さが分かっていないかのような、のんきな表情だ。
「リスト、不謹慎だよ」とケットが遠慮がちにいさめる。
「バール、か。初めまして」
リストはケットの言葉を気にする様子もなく、バールに微笑んだ。彼女こそ、アトラハシスに仕える、アサルルヒのエミサリエス。聞いていた通りの、妖艶な姿だ。
まじまじと見てくるリストに、バールは厳しい視線で睨みつける。この少年を、彼女は見覚えがあった。鏡で『災いの人形』を監視しているとき、何度かこの金髪碧眼の少年を見たことがあったのだ。確か、『災いの人形』と一緒に劇に参加していた。まさか、高校に入り込んで、彼女に接触していたとは。バールは、半ば、呆れた。
「あなたが、マルドゥクの王」
「アトラハシスは?」
間髪いれずに、リストはそう尋ねる。
「見ているわ」
「ここには来ないか……」
リストは、ちっと舌打ちをした。アトラハシスのもつ鏡。それは、離れたところからでも、『災いの人形』を観察することができる便利な道具だ。さらに、エミサリエスであるバールを、鏡が映し出す場所に出現させることもできる。彼自身がここに来る理由もないか、とリストはため息をついた。
「リスト!」という和幸の叫び声がリストの耳にはいってくる。「どうにかならないのか!?」
どうしてリストがここにいるのかは分からないが、どうでもよかった。リストは神の子孫。もしかしたら、奇跡を起こせるかもしれない。和幸は、意識を失いかけているカヤを見つめる。もう少し、がんばってくれ、と心の中で叫ぶ。
「……さすが『災いの人形』。よく、ここまでもっていますね」
リストはカヤのもとに歩み寄り、そんな言葉をもらす。
「こんなときまで、人形扱いかよ!?」
「こんなときだからこそ、ですよ」
「!」
リストの視線は冷たい。いつものようにからかっているわけじゃない。和幸は、それに気づき、ゾッとした。リストの表情からは、焦りも不安も感じられない。こんなカヤの姿を見ても、顔色一つ変えていない。それは、冷静だから、の一言で片付けられるものではない。冷酷すぎる。和幸は、はっきりと確信した。リストは、この状況に何も感じていない、と。
「リスト……助けに来てくれたんじゃないのか?」
和幸の、絶望に満ちた声が、暗く静かな教室に響いた。ケットはその言葉にうつむく。ケットは分かっていた。リストがここにいる理由。それは、『災いの人形』を助けるためではない、ということを。
リストにこの場所を伝えたのはケットだった。和幸には、リストに知らせるな、と言われたものの、ケットの主人はあくまでリストだ。マンションで呼び出されたときから、ずっとリストに伝えていたのだ。和幸がこの校舎にはいったときには、すでにリストもここに来ていた。カヤが撃たれて苦しんでいるときも、実はすぐそこにいた。だが、何もしなかった。リストはケットに口止めをし、様子を伺っていたのだ。アトラハシスに会うために。
『災いの人形』を守る使命をもつアトラハシス。彼は、神への信仰を捨て、好き勝手をしている。だが、和幸からストーカーの話を聞き、確信した。信仰は捨てたが、まだ使命は捨てていないのかもしれない、と。何らかの理由で未だに『災いの人形』を守っている。それなら……彼女のピンチに姿を現すはずだ。和幸がカヤを撃ったとき、そう思いついた。だからリストはずっと待っていた。アトラハシスが現れるのを。結局、現れたのはバールのみだったが。
とにかく……と、リストは和幸を見下ろす。こうして姿を現した以上、もう知らんふりはできない。
「なぜ、助けると思うんですか?」
リストは、和幸の目の前にしゃがみ、微笑を浮かべてそう言った。
「なぜって……カヤは、このままじゃ……!」
リストがそんなことを尋ねる理由さえ、和幸には分からない。早くしなくては間に合わなくなる。こんな話をしている場合ではないのに。そういらだちながら、和幸は怒鳴った。だが、リストは相変わらず平然とした顔で和幸に告げる。
「彼女が死ねば、和幸さんはこの世界の救世主です」
「……え?」