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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第二章
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救世主の条件 -10-

「カヤ!!」


 和幸の叫び声が教室に響いた。

 カヤは朦朧としながら、左胸の上のあたりをおさえる。手になにか、べっとりしたものがまとわりつく。緑色のブレザーがみるみるうちに赤く染まる。


「あ……」


 カヤは、急に寒気を感じた。意識が遠くなっていく。足に力がはいらない。

 一体、何があったんだろうか、とぼんやり考える。和幸が目の前で、真っ青の顔で立っている。なにを、そんなおびえた表情で自分を見つめているんだろう。あぁ、とカヤはぼんやり思い出す。そうだ。撃たれたんだ。いや、撃たせてしまったんだ。なんてドジなんだろう。撃鉄のあがった銃を自分に向ける馬鹿がどこにいるの。こうなるに決まってるのに。慣れてないことは、するもんじゃないなぁ。カヤは、呆れ笑いを浮かべ、崩れるようにその場に倒れた。


「カヤ!!」


 和幸は銃を放り投げ、倒れこむカヤを抱きとめる。


「カヤ、カヤ! しっかりしろ!」


 涙声でそう叫び、カヤを床に横にさせる。

 正義はあぜんとしてそれを見つめていた。目の前で、少女が撃たれた。自分が連れてきた女だ。自分が、己の正義(せいぎ)のために犠牲にしようとした女。そんな彼女は、自分を守ろうとした。足が震えだす。至近距離で胸を撃たれた。これで、助かるはずはない。犠牲にしようとは思ったが、殺すつもりはなかった。少し、大野に体を触られる程度ですむ。そう思っていた。正義は、震える手で頭を抱える。彼女は殺し屋ではない。彼女に死ぬほどの罪はない。そんな彼女が死に直面している。撃ったのはクローンだが……このすべてを引き起こしたのは、自分に他ならない。自分の正義(せいぎ)は、これを許さない。「こんなはずでは」と正義は震える声をだした。


 和幸は、カヤのブレザーを脱がし、シャツの胸元を破った。下着の右側は、もう元の色が確認できないほど暗い紅色にそまっている。傷口からは血があふれるように流れ出ている。和幸はカヤのシャツの一部を破ると、傷口におさえつけた。

 正義はそれをみているだけで、大量の血にめまいを起こした。吐き気がする。


「カヤ! 目をつぶるなよ。いいな、しっかりしろ!」


――かずゆき!


 ケットの声が頭に響く。だが、かまっている場合じゃない。和幸は答えることすらせずに、カヤに必死に呼びかける。カヤの目は焦点があっていない。


「なんで……なんで、手を出したんだ!」


 和幸は涙をぬぐいながら、力強く傷口をおさえつける。白いシャツがみるみる赤くなる。出血がひどい。


「お前! なにしてんだよ!?」


 和幸は、呆然としている正義に怒鳴りつける。


「救急車、呼べ!」


 正義は、顔を横に振る。


「もたもたすんな!」

「呼んだら、なんて事情を説明するつもりだよ。全部、話す気か?」


 正義は、震える声でそう言ってきた。その言葉に、和幸はハッとする。怒りと憎悪がこみあげる。


「ここまできて、自分の心配しかできないのかよ!?」


 くそ! と叫び、和幸は片手を離し、携帯電話を取り出す。


――かずゆき! だめだよ!


 天使の声が頭に響いた。こいつもかよ、と和幸は腹を立てる。


「なにがだめなんだ!?」


 急に大声で独り言を叫んだ和幸に、正義は眉をひそめる。気でもふれたんだろうか、と憐れむように見つめた。


――かずゆき、誰も呼んじゃだめだ! 皆、ムシュフシュに殺される!


 和幸はハッとした。ムシュフシュ……カヤが気を失うと現れるという化け物。ゆっくりとカヤに目をやる。カヤはなんとか目を開けているが、かろうじて、といった状態だ。これだけ血が流れれば、意識を失うのは時間の問題だろう。

 そして、カヤが気を失えば……その瞬間、その場にいた者はムシュフシュに殺される。


「ちょっとまて……じゃあ……」


――病院で気を失うことになったら、大勢の人が殺されてしまう。彼女を連れて行かないで。


 和幸の血の気がひいた。冗談じゃない。そんなもたもたしていたら、本当に間に合わなくなる。こうしている間も、カヤの血は体外に流れ続けている。病院は、すぐ近くにある。今すぐ呼べば、きっと助かる。


「ムシュフシュは……お前が、どうにかできるんじゃなかったのか!? そのために、こうして俺に憑いているんだろ!?」


――リストが、ケットをかずゆきに貸したのは、かずゆきを守るため。ケットがかずゆきに宿っていれば、ムシュフシュはかずゆきには手をださないから。


 こんなせっぱつまった状況で、そんなややこしい説明をされても理解できない。和幸は顔をしかめる。


「どういうことだよ、それは」


――ケットに、ムシュフシュを止める力はないんだ。ただ、ムシュフシュはケットに手を出さない。だから、ケットが宿っている限り、かずゆきはムシュフシュには襲われない。それだけなんだ。


 てことは……と、和幸は苦渋の表情を浮かべ、携帯を放り投げた。


「なんだよ、それは!? 意味ないじゃないか!」


 そもそも……と、和幸はいらだった声で叫ぶ。


「ムシュフシュはカヤを守る化け物なんだろ!? なんで、俺はこうして簡単にカヤを撃てた!? なんで、そいつはこうなる前に止めなかったんだよ!?」


 分かっている。こんなの、責任転嫁だ、と。撃ったのは自分だ。だが、それでも……ほんの少しでも、これを回避できる方法はなかったのか、と和幸は探りたくて仕方がなかった。今となっては、すべて無意味だというのに。


――違う。彼女を守る使命は、アトラハシスのもの。ムシュフシュじゃない。


 その言葉に、和幸は鼻で笑う。


「言ってることが、今朝と違うだろ! ムシュフシュはカヤを守る化け物だ、て言ってただろ!?」


――ムシュフシュは、万が一のときの備え(・・)なんだ。アトラハシスが彼女を守っている前提で宿された怪物。アトラハシスが、きちんと自分の使命をこなしていれば……本来、彼女にこんな危機は訪れないはずなんだよ!


 アトラハシスがいれば……と、和幸は心の中でつぶやく。なんて、情けない。何が、『無垢な殺し屋』だ。俺は、とんでもない役立たずじゃないか。和幸は、カヤの顔を見つめ、悔しさに奥歯を噛み締めた。そこに横たわる少女は、ついさっき唇を交わした彼女と、まるで別人のようだ。血に染まり、顔は青ざめ、目はうつろ。唇はかたかたと震えている。


「病院につれていけないって……どうすればいいんだよ!?

 くそ! ムシュフシュなんて役立たずのお荷物じゃねぇか!」

 

 余計なものを宿しやがって、と和幸は悪態づいた。

 

――連れて行けない、とは言っていないよ。


 え、と和幸は顔を上げる。


――ムシュフシュは、周りに危険がないと察知するとすぐに消える。ほら、かずゆきもそうだったでしょ?


 そういえば……と、和幸は思い出す。夕べ、自分がカヤを助けに向かったとき、すでにそこは血の海だった。ムシュフシュが男たちを殺したあとだったのだ。だが、そこにはもう怪物の姿はなかった。和幸はそのまま、気を失っているカヤを連れ出し、家まで無事に運ぶことができた。


――ムシュフシュが消えてからなら、意識がない彼女を病院に連れて行っても大丈夫だよ。


 ケットは、安心させるようにそう告げた。良い報告をしたつもりだった。だが、和幸は皮肉そうに笑う。


「ふざけるなよ!」


――え?


 和幸は、カヤの傷口を押さえる手に力をこめる。当たり所が悪かったのだろう。血がどんどんあふれてくる。


「カヤがこのまま気を失うまで待てっていうのかよ!? そんなことしてたら……」


 手遅れになる、という言葉を喉の奥におしこんだ。カヤはまだかろうじて、意識がある。そんなときに、いえるわけがない。


「このまま……見ていろ、ていうのか」


 涙でゆがむ視界の中、ふと、カヤの口が動くのが分かった。和幸は、ハッとして、つくり笑顔をうかべる。


「カヤ、大丈夫だ。すぐに病院に連れて行く。だから……」

「ごめんね」


 それは、もう声とはいえないほど、かすれていた。

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