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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第二章
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救世主の条件 -9-

 和幸は立ち上がった。目の前のその人物をじっと見据えながら。

 ドッペルゲンガー。その青年はそう表現した。自分のことを。


「まさよし……だな」


 和幸は、落ち着いた声でそう尋ねる。体育倉庫で、大野という男が自分を呼んだ名前。


「初めまして。長谷川正義だ」


 男は静かにそう答え、教室に入ってきた。

 似ている、なんてものではない。和幸はぐっと拳を握り締める。自分がいる。目の前に、もう一人の自分がいる。呼吸がはやくなっている。息をすっても胸にはいってこない。動揺している。これまで経験したことないくらい、ひどく動揺している。


「和幸くん」


 カヤは、和幸の拳が震えていることにきづいた。その手を、握り締めてあげなくては。そう思い、とっさに立ち上がると、和幸の拳に手をそえる。汗でしめっている。カヤは、心配そうに和幸を見つめた。やっぱり……無理だったんだ。オリジナルと会うなんて……と、カヤは唇をかみ締める。


「大丈夫だ」と、額に汗をうかべながら、和幸はカヤに微笑んだ。


「……」


 その笑顔はひきつり、頬の筋肉が正しく動かされていない。大丈夫ではない。カヤは、そう確信した。それはそうだ。和幸にとって、自分がクローンだということは一生消えないコンプレックス。それを受け入れることは自分を否定するようなもの。だからこそ、『クローン』という言葉を避けてきたのだ。『創られた』、と言葉遊びのようにごまかして。

 それが、『本物』の自分が目の前に現れてしまった。もう、ごまかしはきかない。自分はクローンなのだ。その事実が、ナイフのように胸に突きつけられる。


「いろいろ話したいこともあるが」と、正義は和幸とカヤに歩み寄りながら、つぶやく。「とりあえず、大野という男を殺してきてほしい」


 和幸は、目を見開いた。ドクン、ドクン、と心臓があつくなっていく。


「なんだと?」


 急に、何を言い出した? 和幸は、自分の耳を疑った。殺してきてほしい? なぜ、そんなことを頼む?


「まだ、そんなことを言っているの!?」


 一歩前に出て、そう怒鳴ったのはカヤだ。和幸は、彼女の取り乱す様子に目を丸くした。彼女がこんなに声を荒げるのを、今まで聞いたことなどない。


「もう諦めて! 和幸くんは誰も殺さない!」


 そもそも、自分はこうして大野の手から離れたのだ。和幸があの男を殺す恐れは、何一つない。それでも、この男はなぜまだ諦めないのだ。やはり狂っている、とカヤは恐ろしくなった。


「銃、持ってきてくれたんだろ?」


 長谷川はカヤに目をくれることなく、和幸に指を差した。

 和幸はハッとして腰に手をあてる。そこには、確かに銃がある。マンションで会った男に、もってこい、と言われた銃だ。だが……と、和幸は、眉をひそめ、正義を睨みつける。それは、大野という男の伝言だったはず。それなのに……なぜ、この男は、『持ってきてくれた(・・・)』と表現したんだ? まるで、それは自分のためのような言い方ではないか。


「一体、どうなってる?」


 和幸は、荒い息をこぼしながらそう尋ねる。その言葉に、正義は首を傾げた。


「和幸くん、相手にしちゃだめ」と、カヤが和幸に振り返り、懇願するように叫んだ。だが、その言葉は、和幸の耳には届かない。ふつふつと沸くある感情が、和幸の心を支配しはじめていた。


「俺はその大野という男に呼び出された。いや、そう思っていた。なのに……なぜ、大野は俺を知らない?」


 カヤの心に、ある嫌な予感がおしよせる。和幸の表情が……長谷川のそれ(・・)に似ている。冷たく、残酷な表情。


「和幸くん……もう、行こう」


 カヤは、おびえながら、和幸に歩み寄る。とにかく、この場から去らなくては。とにかく、和幸をこの男から遠ざけなくては。それしか考えられなかった。このままでは……和幸が、別人になってしまうような気がしてならない。せっかく、気持ちが通じ合えたのに。これ以上、この男と一緒にいてはだめだ。カヤは、必死に声を張り上げる。


「もう、いいよ。もう……」

「その大野を殺せ、となんでお前が言う!?」

「和幸くん! お願い、もう帰ろう!」

「まさか、お前が全部……」

「帰ろうよ!!」


 カヤは和幸の腕をつかんで、高い声で叫んだ。長谷川は、やれやれ、とため息をつき、冷たく言い放つ。


「お前、俺のクローンだろ」

「!」


 和幸は、動きを止めた。それは、たった一言で、彼の存在を消し去る呪文だ。カヤはそれを知っている。なぜ、それを言ってしまったの。カヤは愕然とした。和幸の今の気持ちを思うと、涙がこみあげてきた。


「和幸くん?」と、震える声でよびかけ、和幸の顔色を伺う。目には狂気が宿り、そして視線は長谷川に固定されている。カヤを見ようともしていない。まるで、カヤの存在に気づいていないかのようだ。そして、察した。きっと、もう自分の声は届かない、と。彼の中で、何かが狂い始めている。よくないことがおきる……カヤは悟った。


「大野はとんでもない悪人だ。大麻をばらまき、遊びのために金を稼いでいる。

 その上、大麻を買った相手を脅し、奴隷のように扱う」

「もうやめて、長谷川さん!」

「世の中のために……殺したほうがいいと思うだろう? そこで、君の出番だ。これからは、世の中のために、手を汚したらいい」

「和幸くん、耳をかさないで!」


 カヤは和幸に必死に訴える。だが、和幸の耳にははいらない。彼にもう冷静な心は残っていなかった。心の中で……何かが切れた(・・・)。何かがはずれた(・・・・)。そんな感覚を覚えていた。


――かずゆき? 大丈夫なの?


 天使の声が頭に響くが、それも幻聴にしか思えない。和幸の心は、ある一つの感情に侵食されていた。憎悪という大きな、人を狂わせる感情。


「な。あの男は、死ぬべきだと思うだろ? よりよい世の中のためなんだ。

 お前は……俺のクローンなんだから」


 再度、耳にしたその言葉に、和幸は、肩を震わせた。長谷川は当たり前のように言い放つ。


俺のため(・・・・)に、できるよな?」


 和幸の手がぴくりと動く。和幸に表情はなかった。それを見て、カヤは身が凍るように、ゾッとした。人は、ここまで表情を消せるのだろうか。


「和幸……くん?」と、カヤはおそるおそる和幸の頬にふれる。だが、和幸はピクリとも反応しない。何か……よくないことがおこる。そしてそれを……きっと、自分は止められない。カヤにそんな不安がおしよせた。


「そのために、お前は生まれたんだ。そう考えたら……少しは、楽になるんじゃないか? 俺のクローンでよかった、と思えるような未来を……」


 そこまで言ったときだった。和幸はカヤをおしのけ、正義に向かって四、五歩すばやく歩み寄る。そして……腰から銃を抜いた。


***


「和幸くん!!」


 私はかすれるほどの叫び声をあげていた。和幸くんが、長谷川さんに銃を向けている。こんなの、だめ。嫌だよ。

 私はあわてて和幸くんに駆け寄る。


「お願い、銃をおろして!」


 和幸くんは、私に見向きもしない。銃口を長谷川さんの頭に向けている。銃口と長谷川さんの間は一メートルほど。きっと、和幸くんははずさない。その目は真剣だ。こんな和幸くんは、見たことない。


「和幸くん! やめて」


 長谷川さんは、こんなこと想像もしていなかったのだろう。ごくりと唾をのみ、硬直している。やっぱり、何も分かってなかったんだ、この人。あんなこと言えば、こうなるに決まっているのに。クローンだなんて……どうして、本人にそんな言葉を投げかけられるの? 自分のことしか考えていないんだ。そんな人が、正義を語るなんて!


「和幸くん、お願い。やめて」


 声が震える。涙がこぼれてくる。


「おい、本気かよ?」


 だめ。あなたは何も言っちゃいけない。私は長谷川さんに振り返る。


「黙って!」

「お前は、俺のクローンだろ! 俺を殺せるわけが……」


 カチャッという音が聞こえた。私が和幸君に振り返ると、親指で撃鉄を起こしていた。私は銃とかには詳しくない。ドラマとかでしか見たことがない。でも、分かる。あれを起こせば……あとは、引き金をひくだけなんだ。


「お前は俺のふりして、カヤを騙した」


 和幸くんは低い声でそう言った。


「お前の言葉を聞いてて分かった。お前は、また……やる」

「和幸くん?」

「俺は、それを許すわけにはいかない」


 私の呼吸が乱れる。もしかして……あの人がひどいことを言ったからじゃないの? 私のため?

 いやだ。私のためだ。和幸くん……私を守るために、彼を殺そうとしている。


「和幸くん。私は大丈夫だから!」

「やっぱり……殺し屋には正義なんて分からないんだな」


 長谷川さんが吐き捨てるように言った。

 和幸くんの引き金におく人差し指に力がはいるのが分かった。どうしよう。何かしなきゃ。でも、何をすればいいの? 和幸くんは、私の言葉に耳を貸してくれない。説得は無理。じゃあ、ほかに何ができるの?


「ドッペルゲンガーは……」


 和幸くんは震える声で言った。緊張している。怖がっている。私はそのとき、悟った。和幸くんは、警官を殺していない。和幸くんは、まだ誰も殺していない。私は目の前の拳銃を見つめる。これを防がなきゃ。防いだら、和幸くんは、まだ私の好きな彼のままでいられる。防がなきゃ。


「ドッペルゲンガーは会うと死ぬらしい」


 防がなきゃ。


「だめ!!」


 気づいたとき、私は和幸くんの銃に手をのばしていた。冷たい鉄の感触がして、私はそれを自分のほうにひっぱる。


「カヤ!?」


 和幸くんが驚いて私の名前を叫んだ。そのときだった。何か、胸のあたりに……妙な熱を感じた。


***


 バン、という耳をつらぬく破裂音が校舎に響く。

 すべては一瞬だった。覚悟を決めて、引き金に指をおき、力をいれた。人は殺したことはないが、銃は何度も撃ったことはある。どれくらいの力で引き金が引かれるのかなんて分かっていたつもりだった。

 初めて人を殺す。それも、自分のオリジナルを殺す。大罪だと思った。何よりも許されないことだと思った。それでも、俺はやらなきゃいけないと思った。俺がクローンだどうだ、というのはもうどうでもよくなっていた。俺にはカヤがいる。俺だけの……大切なものをやっと見つけたんだ。俺は彼女を守る。それが俺の使命だ。そう決めたんだ。彼女を守るために、俺は生きていく。だからこそ……俺はやらなきゃいけないと思った。この男は危険だ。殺さなきゃ、カヤがまた危険な目に会うと思った。

 だが、引き金に力を入れようという瞬間、何かが銃口の向きを変えてしまった。一瞬だった。それがカヤの手だと気づく前に、俺は引き金をひいていた。勢いだった。まさか、カヤが銃を動かすとは思ってもいなかった。急に動かされ、俺の指は引き金をひいたんだ。暴発だった。だが、そういったところでどうなる?

 俺はカヤを撃った。

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