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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第二章
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救世主の条件 -8-

 カヤが、腕の中にいる。抱きしめることができる。それが……こんなにも嬉しいことだとは分かっていなかった。心が温まる。生きている心地がする。これが愛おしいってことなんだろうか。


「和幸くん」


 俺の耳元で、カヤの声がした。やっと聞けた……そんな風にさえ感じた。ファミレスの前で傍観していたときとは違うんだ。カヤの声が聞こえる。俺に話しかけている。カヤはここにいる。あのとき感じた距離が、ここにはもうない気がした。

 俺は、彼女をさらに強く抱きしめた。どこまで強く抱きしめていいんだろう。これ以上はだめなのか? か細い彼女の体は、もろくてすぐにでも崩れそうで、俺は力の加減に悩む。それでも……できる限り、ギリギリまで強く抱きしめたかった。


「和幸くん」と、カヤはもう一度、俺の名前を呼ぶ。かみしめるように……。「私、本当に……呆れるくらい、単純な女なんだ」


 いきなりそう切り出すと、カヤは腕を俺の首にまわし、俺の肩に顔をうずめる。


「さっきまで、怖くて怖くて……涙が止まらなかったの」


 そうだろうな。俺は、胸が痛くなった。こんなところで一人で隠れていたんだ。俺が名前を呼んでも、目をつぶってじっとしていた。よほど、怖かったに違いない。それを思うと……俺は自分が許せない。また、俺のせいでカヤを危ない目にあわせたんだ。カヤに、たとえ恨まれても当然なのに……。


「でもね」とカヤは顔を動かして言う。その吐息が、俺の首筋にかかった。「こうして、和幸くんがそばにいてくれるだけで……それだけでね、世界が変わるの。恐怖でいっぱいだった世界が……和幸くんが現れただけで、喜びに満ち溢れて……胸が高鳴って……心が息を吹き返したようだった」

「カヤ……」


 こんなこと、言われたことなどない。俺は頬があつくなるのを感じた。

 カヤは顔をあげて、ほんの少し身をひいた。首にからむ腕がゆるむ。ゆっくりと視線をあげ、俺を見つめる。数センチ先にカヤの顔がある。俺の心臓がざわめきだしていた。カヤを探していたときの鼓動とは違う。悪い気分じゃない。それとはまったく別。正反対のもの。それでいて、狂いそうなほど激しいもの。自分が恐ろしくさえ感じる。どう抑えたらいいのか分からない。俺の中で、『何か』が爆発しそうだ。俺のオリジナルはきっと、今もカヤを探しているに違いない。今すぐにでもカヤを安全なところへ連れ出さなきゃいけない。だが、それを俺の『何か』が止めていた。このままでいたい。あと数分、数秒でもいい。そして……と考えている自分がいる。

 だめだ。カヤと離れたほうがいいような気がしてならない。こんな状況なのに……このままだと、俺は彼女に何かをしてしまいそうで……。


「もう」と、カヤは俺の心配をよそに、唇を動かした。「もう、怖くないの。それよりも……」


 そしてカヤは、俺の頬に手をそえる。涙が一粒、頬をつたうのが見えた。その表情は、少しも悲しそうではない。カヤは……微笑んでいた。


「それよりも、嬉しいの」


 それは、今まで見た彼女の笑顔の中で、最も美しく、そしてはかないものだった。

 カヤは視線をおとし、恐怖と緊張で乾いた唇をなめる。細い喉元が、ぴくりと動くのが見えた。一つ一つの彼女の動きに、目が離せない。不安にも似た、焦燥感にも似た、この高揚はなんだろう。奪われたくない。失いたくない。カヤをずっと……こうして抱きしめていたい。

 カヤは震えながら息を吸い、俺を潤んだ瞳で見つめた。


「私、和幸くんのことが……」

「カヤ、悪い」

「え」


 気づくと俺は……彼女の唇をうばっていた。


***


 ガタン、と教卓がゆれた。和幸に押され、カヤの背中があたったからだ。

 和幸は、衝動的にカヤと唇を重ねていた。一体、何が引き金だったのか分からない。ただ……自分を止められなかった。カヤは驚いて体をびくん、と動かしたが……抵抗することもなく、力をぬいた。

 和幸はカヤの体を支えるように、彼女の背中をしっかりと抱きとめる。カヤの唇は柔らかくて繊細で、激しく動かすこともはばかられた。ほんの少しだけ彼女の唇をあじわって、和幸はゆっくりと離れる。

 カヤは目をつぶったまま、浅くため息をついた。


 それは、短くてはかない初めてのキスだった。


***


 どうしよう。言葉がでてこない。目が開けられない。胸が苦しい。体があつい。


「カヤ」


 和幸くんの声が聞こえる。その言葉は、あの唇からでているんだ。私の口をふさいだ、その唇。困るよ。キスまで、優しいなんて。

 頬に和幸くんの手がふれた。


「大丈夫か?」という、いつもの心配そうな声が聞こえてきた。そう、この声。この言葉。やっぱり、あの人とは全然違う。和幸くん、あなたはクローンなんかじゃない。


「いきなり……よくないよな」


 申し訳なさそうな声。今にも、悪かった、と言い出しそうだ。私は、首を横にふり、ゆっくりと目を開く。


「ううん」と、頬に触れている彼の手に、自分の手を上から重ねる。「ただ、名残惜しかっただけ」

「……」


 和幸くんが頬を赤らめて、きょとんとした。

 和幸くんが、目の前にいる。すぐそばにいる。これが、今の私の幸せなんだ。


「そっか」と、和幸くんは目を細めた。照れくさそうで、それでいて優しい笑顔。和幸くん、私……今なら、運命を信じられる気がするよ。きっとね、私はあなたに恋する運命だったんだ。

 私は目をつぶり……もう一度、和幸くんの唇の感触を思い出す。また、できるかな。何度でも……何度でも繰り返したいよ。ねえ、せめてもう一度……今度は、優しくしなくていいから。もう一度……


「ドッペルゲンガー」


 突然聞こえたその言葉に、私はハッとして目を開いた。和幸くんの声……でも、それは目の前から発せられたんじゃない。ドクン、と大きく鼓動が一つなった。和幸くんの表情が、急にこわばる。私は、和幸くんの手をぎゅっと強く握り締めた。

 ゆっくりと、和幸くんは顔を横に向ける。教室の入り口へ。その表情は、今まで見せたことないほど、緊張している。私の胸に一気に不安がおしよせてきた。

 

――俺がもう一人いるなんて、気持ち悪くて仕方ない。それに……オリジナルと会えば、ますます自分が『創られた』人間なんだ、て思い知らされる。コピーなんだ、てな。


 夕べの、和幸くんの声が蘇る。和幸くんは、大丈夫なんだろうか。オリジナルと会って……正気を保てるだろうか。『自分』を保てるだろうか。気づいてもいなかった、その懸念。それが私の胸を圧迫するようにこみあげてきた。

 和幸くん。お願い、信じて。『自分』を。私は、祈るようにそう心の中で訴えた。


「ドッペルゲンガー発見」


 冷たい長谷川さんの声が、教室に響く。

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