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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
序章
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プロローグ

ある神話をもとに書いていますが、実際の神話とはまったく関係はありません。

また、実在の都市も登場しますが、全てフィクションです。実在の国、都市とはまったく関係はありません。

 まだ空には星が浮かび、地平線が赤く滲み始めたころ。

 夜明けが迫る砂漠にぽつんと佇む神殿があった。風が絶えず吹き荒れるそこは、砂が渦を巻いて舞い、神殿を覆い隠していた。その存在は伝説として語り継がれるだけで、たとえ砂嵐に浮かぶその影を目にした者があっても蜃気楼が見せる幻としか思わない。そうやって隠されてきたその神殿を、古より人知れず守る一族がいた。


 『賢者』と呼ばれるその一族は、この日、神殿の中に集っていた。冷たい石造りの壁に囲まれ、ゆらゆらと揺れる蝋燭の火が照らす円形の広間に、皆、重々しい面持ちでずらりと並んでいた。揃いの黒いマントを頭から被り、物言わず、広間の中央を見つめて佇んでいる。――その視線の先にあるのは、古びた木箱だった。

 その木箱から一定の距離を置いて、円陣を組むように並ぶ人影の中、ひときわ小さな人影があった。他の大人たちと同じく、分厚いマントを着込む六歳ほどの幼い少年だ。深みのある黒い瞳に、浅黒い肌。聡明そうな顔立ちは、しかし、不安げに曇っていた。

 ふいに、そんな彼の肩を、ぽん、と背後から叩く手があった。


「大丈夫?」


 少年が振り返ると、やはり黒いマントを頭からかぶって、髪も身体も隠した女性が微笑んでいた。その優しい顔立ちはどことなく少年と似ている。

 少年は彼女の顔を見ると、ほっと安堵したように微笑んだ。


「少し寒いだけだよ、母さん」

「そう」


 彼女はぎゅっと息子の肩を強く握り締めた。わずかに、手を震わせながら……。


「フォックス」


 ふいに、静まり返った広間に低い声が響く。

 少年がはっとして振り返ると、箱の傍らに男が佇んでいた。おもむろにフードをおろすと、さらりとなびく黒い艶やかな髪があらわになる。二十代後半ほどの、彫りの深い整った顔立ちの男だ。まだまだ若々しい見目麗しい青年だが、その落ち着き払った眼差しは老成して、この世の全てを見透かしているかのよう。悟りを開いた僧のそれを思わせる。


「フォックス、お父さんのところへ行きなさい」


 フォックスの背後で母はそう促し、彼の背中をそっと押した。周りの大人たちもその様子をじっと見守っている。フォックスは、多くの視線をその小さな身体に感じながら、箱のほうへと歩を進めた。


「フォックス・アトラハシス」


 フォックスの父親は、呪文を唱えるかのようにゆっくりと彼の名を口にした。異様な緊張感に包まれ、歩みを遅くしながらも、父親の視線に促されるようにフォックスは箱の前に立った。

 この箱の存在は昔から知っていた。この神殿に祈りを捧げに来たとき、何度かこっそりこの箱に触れようとしたことがある。しかし、そのたびに、どこからともなく一族の者が現れ、フォックスを止めた。そして、すぐに父親の元へ連れて行かれ、何時間も説教をされたものだ。三、四回それを繰り返し、やっとこりたというのに、なぜいまさらこの箱の前に立たせるのだろうか。フォックスには分からなかった。

 父親はそんな息子に説明をする様子もなく、周りを囲む二十人近くの一族の者たちを見回し、おもむろに口を開いた。


「アトラハシスの子供たちよ。我らが偉大なる神、エンキからの神託がくだった。再び、我々、人間に罰が下されようとしている」

「……父さん?」


 父親の、こんなに恐ろしく深刻そうな声は聞いたことがない。フォックスはおびえた表情で父親を見上げた。しかし、どうやらおびえているのはフォックスだけではないようだ。周りの大人たちからも不安の声が溢れるのが聞こえてくる。


「『パンドラの箱』は、日の出とともに開かれる」


 父親はそう唱えると、箱を見つめた。フォックスははっとして父親と同じく、箱を見下ろした。


「パンドラの……箱?」

「我々人類は、今一度……神の『裁き』を受けることになる。人間を憎む神、エンリルによって」そこまで言って、父親は深く息を吸い、覇気のこもった声を響かせる。「アトラハシスの子孫たる我々の使命は、人類を滅ぼさんとする者たちの手からこの『パンドラの箱』を守ることである! そして……エンキはさらに私に命じた」


 父親はぐっと口を噤んでから、神妙な面持ちでフォックスを見下ろした。


「私に、アトラハシスの王から退き……」


 その言葉で、広間にこだましていたざわめきはどよめきに変わる。そして――全員の視線は示し合わせたかのようにフォックスに集まった。


「え――?」


 きょとんとするフォックスに、父親は覚悟を滲ませた目で息子を見下ろして言った。


「新しいアトラハシスの王に、我が息子、フォックスをすえよ、と」

「……王?」


 時が止まったかのように、その場は静まりかえった。フォックスには、わけが分からなかった。アトラハシスという言葉は、彼にとってはただの名前にすぎなかった。『アトラハシスの子供』が何を意味するのかも知らない。ましてや、王とはどういうことなのか。

 父親は詳しい説明をする素振りもなく、しゃがみこんでフォックスの目を覗き込む。


「フォックス。『パンドラの箱』が開いたとき、お前に、エンという名を授ける」

「……エン?」

「王、という意味だ」

「父さん、よく分からないよ。いったい、どういう……」

「アトラハシスの王となるお前の役割は、この世界にふりかかる災いをしりぞくことだ」

「王? 災い? いったい、なんの話……」


 困惑するフォックスの救いを求めるような問いかけは、しかし、悲痛にも「アッシュ」という声に遮られた。


「日の出だ」


 神殿の東側にある小さな窓から外を眺めていた一人の若い男が父親に言った。

 その声に父親は頷き、すっと立ち上がると再び箱を見つめる。


「フォックス・エン・アトラハシス。――箱が開くぞ」


 窓から日の光が注ぎ込むとともに、箱から黄金の光がもれはじめ、がたっと大きくゆれた。


「……動いた?」


 フォックスだけでなく、周りの大人たちもたじろいでいる。ある者は、急に祈りをささげ始め、ある者はただ呆然と箱を見つめていた。

 次の瞬間、爆発するかのようにまぶしい光が箱からあふれ、急に何事もなかったかのように静かになった。しんと静まり返った広間で、皆が固唾を飲んで見守る中、父親はフォックスの背中を押した。


「今日から、これを預かるのがお前の使命だ」


 やがて、ぎいっときしむ音とともにひとりでに箱が開き始め、フォックスは誘われるように箱へと歩み寄る。そうして、開いていく箱の中を覗き込み、


「……え」


 そして――、箱の中に眠る『運命』に、フォックスはそんな間の抜けた声しかだせなかった。


   *   *   *


 神殿の周りに吹き荒れていた砂嵐がぴたりと止んでいた。

 いったい、何百年ぶりか。天から打ち込まれた楔のようなその姿を、神殿は煌々とそそぐ朝日のもとに堂々とあらわにしていた。

 それを待ち構えていたかのように佇む男が一人。彼は神殿を見上げながら、タバコを咥えていた。歳は十九。あごには剃りのこしのひげ。茶色の髪はかるく肩にふれるほどの長さで、無造作に乱れている。


「始まったか」


 タバコを咥えた唇の隙間から、そんな低い声をこぼすと、


「――タール!」


 タールと呼ばれた男は、ぎょっとしてタバコを落とした。振り返ると、そこには黒髪の少年がふくれっつらで立っている。その鋼のような黒髪は少年の腰まで伸び、真ん中で分けた前髪も胸にかかるほどの長さがある。黒真珠のような瞳は大きくクリっとして、まさに純真無垢というにふさわしい輝きを放っている。

 タールはそのまっすぐな瞳に見つめられて、へらっとだらしない笑みをもらした。


「レッキ。なに怒ってんだ?」

「ちゃんと伝えたよね? 我らが神、エンリルの神託!」


 タールは、やれやれ、とタバコを踏みつけて火を消し、ため息をついた。


「分かってるよ。心配するな」


 そう言うと、天高く手を伸ばす。すると、一筋の光とともに大きな剣が頭上に現れた。タールはその剣の柄を力強く握り締めると、刀身を肩にのせた。


「邪魔なアトラハシスの一族には滅んでもらおうか」


 その言葉に、レッキは視線をそらした。


「どうした? レッキ」

「……」

「罪悪感は必要ないだろ。エンリルは全ての人間を消し去るつもりなんだからな。そして俺は……その神、エンリルの騎士。この世界を滅ぼすお手伝いをする運命だ」


 タールは剣を肩に乗せたまま、神殿へと向かって砂を踏みしめながら歩みを進める。


「今から何人殺そうが、何も変わらないだろ」

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