七 さあ、お姫様のお目覚めだ
学校が終わると、恵美は桜の木の下で待ち伏せした。今日は剣道部の活動はお休みだから、麻紀も帰宅部とおなじ時間に出てくるはずだった。
「吉野さんちょっといいかな」
恵美は先輩が生意気な後輩を呼び出すような口調で麻紀を呼んだ。麻紀と一緒にいた一年生は、怯えた表情をみせながら帰っていった。
「北山先輩が怖かった見たいですね」
「そう? たぶん、緊張していたのよ」
「それで、何か用ですか」
「うん。ピオジアをね、取り戻したいな、とか思ったりしたの」
「そうでしたか。では、頑張ってください」
麻紀は恵美を冷たくあしらうと、一人で先に歩き出した。
「ちょっと待ってよ。吉野さんも一緒に探してくれんるだよね」
「どうして急に、気が変わったんですか」
「別に変わったとか、そんなんじゃ」
「世界がどうなろうと、関係なかったんじゃないんですか」
麻紀が怒っているのが、手にとるように恵美には分かった。
「今更何を言っているんですか、ばかばかしい」
「いや、ほらあれって一応母親の形見じゃない? やっぱり自分が持っていたほうが良いんじゃないかなぁ。何て思ったり」
「それであなたは、勝てもしない戦争を仕掛ける気ですか」
「ずっと考えていたんだよね。わたしが生まれてきた意味とか」
「随分と大きく出ましたね」
「だからこそ、やらなくちゃ」
「何がです」
「運命だから。それがわたしの。吉野さんにも手伝って欲しいのよ」
「何を今更」
麻紀は立ち止まってから大きなため息をついた。
「言っておきますけど、わたしは最初からそのつもりでしたから。北山先輩が勝手に逃げ出したんじゃないですか」
「悪かったよ」
「それじゃ行きましょうか」
「どこに?」
「ユキを捜しに」
大学行きのバスは、一時間に一本しかない為、恵美と麻紀は駅前のバスターミナルで四十分も待たされた。それが原因ですっかり疲れきってしまった二人は、バスの中では眠ってしまい、お互い一言も話さなかった。
「本当にこんな所にあるの?」
大学前のバス停に降り立った恵美の、最初の一言はそれだった。
「ええ、ちゃんと調べてありますから」
「近くにコンビニも無いなんて、どんな田舎だよここ」
バス停から正面入口まではそれほど遠くない。恵美と麻紀は並んで歩いた。時々すれ違う大学生が物珍しそうに恵美たちを見ていった。恵美はその視線をすこし鬱陶しく感じていた。
麻紀は正面玄関に入ると、校内案内図を確かめに行った。
「お、いいねこれ」
恵美はロビーにあるソファーのすわり心地を確かめた。ソファーで軽く飛び跳ねる恵美の姿を大学生が笑って見ていた。
「ねえ吉野さん。本当にここでいいの?」
「間違いないですよ。一階の一番おくの部屋みたいです」
「信じられないな。ここって、普通の州立大学でしょ」
「鈴木教授は伊集院教授の一番弟子といわれるほどの人なんですよ。ユキシステムについては、世界で二番目に詳しいはずです。伊集院教授以外でユキシステムを扱えるとしたら多分この人が一番適任だと思いますよ」
「でもさあ」
「とりあえず、鈴木教授の部屋に行ってみましょうよ。なにか情報が手に入るかも知れませんし」
「そうだね」
恵美が研究棟に向かって歩き出した時、麻紀が恵美を呼び止めた。
「北山先輩、これ」
麻紀は首からかもめのペンダントを外し、恵美の首に掛けなおした。
「何よこれ」
「封印キーです。もし、あの人たちがユキシステムの封印を解除していたら、隙を見てこのキーでまた封印してください。ピオジアがあれば何度でも解除できるそうですから、同時に彼の回収も必要です」
「わたしが持っていていいの?」
「ええ、その方が確実のような気がします」
「どうして」
「何となく、そんな気がするんです」
「なんとなくね」
恵美はかもめを優しく握ってから、鈴木研究室へ向かって歩き出した。
研究棟の廊下は片側が研究室で、反対側が吹き抜けになっていた。落下防止柵と手すりが付いてはいるが、ちょっと間違えると落ちてしまいそうだった。
「どうしてこんな風になっているの」
「有名な建築家が設計したそうですよ」
「信じられない」
恵美はなるべく研究室よりを歩いた。吹き抜け部は一階層以上の高さがあるから、頭から落ちたらひとたまりもなさそうだった。
「先輩って、高い所苦手なんですか」
「ち、違うわよ」
「いい景色ですよ、先輩もこっちに来て覗いて見ましょうよ」
「この、いけず」
恵美は麻紀にはかまわず、足早に目的の部屋に向かった。
鈴木研究室は研究棟一番奥にあった。ガラス張りの研究室にあるすべてのガラスにブラインドが下りていて、中の様子は見えなかった。麻紀は在室マークがついているのを確認してから、ノックをしようと扉の前に近づいた。その時、二人は殺気を感じて入口の両側に飛び避けた。ドアは真っ二つに切られて地面に転がり、扉のあった場所には、刀を構えた由香がいた。
「少し遅かったかな」
「でも、場所は間違いないようです。この女の事は私に任せて、先輩は、彼女の所へ急いでください」
「でも」
「目的を忘れてはいけません」
「わかったわよ。ところで何処に行けばいいかな」
「特別電算室です。ちょうどこの下にあるはずです」
「了解。じゃあ後でね」
恵美は麻紀を残して階段へと走った。麻紀を一人で残してくるのは不安だったけど、恵美にはやらなければならない事があった。
「ちょっと待ちなさい」
恵美を追いかけようとした由香の前に、麻紀が立ちはだかった。
「あなたの相手はわたしですよ」
「そう。じゃあまず、あなたから片付けてあげる。一応名前は聞いておきましょうか」
「悪党に名乗る名前はありません」
「わたしが悪党? まあいいけどね、吉野麻紀さん」
「知ってるんじゃないですか」
「あなたは自分で思っているより、こっちの世界では有名なの」
VIPを警護するために年少者を訓練する機関がある。麻紀はそこを優秀な成績で卒業した。だから、そう言った人たちの間で話題になっているのだろう。
研究室の入口を挟んで、麻紀と由香は向い合った。由香はすでに長い刀を構えていた。麻紀は背中の木刀を取り出すと、ロックを外した。麻紀の木刀から真剣が現れた。
「仕込みの木刀ね」
由香が一歩前に進むと、同じ間合いを保ったまま麻紀は一歩後退した。三度目で麻紀の背中が、廊下の手すりにぶつかった。
「もう後には引けないわよ」
「その言葉の使い方は間違ってます」
「どうだって良いのよ、そんなことは」
由香の刀が頭の上から振り下ろされた。麻紀はなんとかその攻撃を受け流したが、麻紀の横で、ステンレス製の手すりがすっぱりと切れていた。その切り口を見れば、由香の腕のすごさが分かった。
すばやく切り返してくる由香の刀を受け止めた時、衝撃が麻紀の体を打ち抜いた。一間ほど飛ばされた麻紀は、すぐに体勢を立て直して、刀を構えた。
「逃げないでよ」
「逃げてません」
両手刺突に切り替えて、由香が恵美に向かって飛び込んできた。ぎりぎりのところで由香の攻撃をかわしながら、麻紀は少しずつ後退していた。今度は建物の壁が、麻紀の逃げ場を無くしてしまった。
「今度こそ後がないよ」
「やっぱ凄いですね、保坂さん。あなたと戦えて、私はすごく嬉しいですよ」
「お世辞を言っても見逃さないよ」
「ええ、分かってます。あなたを倒さないと先には進めないんですよね」
刃を上に向け、下段に構えてから、麻紀は静かに微笑んだ。それは最後の切り札である捨て身の構えだった。
「後は頼みましたよ、北山さん」
地下二階にある特別研究室の扉を開き、デスターレは真っ暗い部屋に入っていった。
「此処か」
「はい、今電気をつけますから」
山田が部屋の明かりを点けた。デスターレの目の前に在ったのは、二階層分ある天井まで届くほど巨大なコンピューターと、その周辺機器だった。コンピューターは全身真っ白に塗装された鋼鉄製の筐体で、幅は二間もあった。
部屋には空調が整備されているため、室温も湿度も機械にとっては過ごしやすい環境に調整されていたが、人間には、少し寒いくらいだった。
その巨大なコンピューターから、部屋中の端末装置やら周辺機器、ネットワーク関係の機器などにつながっているケーブルは、まるで血管のようだった。
「三年前に筐体を入れ替えたんですよ。ほとんどが記憶容量分です。今のペースで行けばあと五年でこの筐体も満杯ですよ。一応増築スペースはあるんですが、何年持つか微妙ですね」
「封印してあるんじゃないのか?」
「それは人工知能の部分だけですよ。通常の情報収集や演算装置は生きたままですから、常に知識は蓄積していますし、学術計算の共用サーバーとしては今も現役です。それに、人工知能以外の演算装置はその都度最新型に更新していますから、普通のコンピューターとしても明らかに世界一ですよ」
「では、封印した当時より確実に進化していると言うんだな」
「まあ、そう言う事です。でも」
「でも?」
「人工知能のプログラム部分は、八年前のままですから」
「それは問題ない」
デスターレは、コンピューター本体に近づきそっと表面に触れた。デスターレの指との間に火花が散った。
「なるほど。では、はじめようか」
「端末はこちらです」
山田は、本体の横にある端末装置にデスターレを案内した。山田は嬉しそうに、後ろから覗きこんだ。
デスターレはポケットからピオジアを取り出すと、端末の横にさかさまに置いた。
「さて、出番だぞ」
ケーブルをピオジアに差し込んでから電源を入れる。画面には、接続状態を示すメッセージが現れた。
『PIOGIA connecting...success.』
デスターレはピオジアのメモリーにアクセスすると、封印解除用のプログラムを捜し始めた。ピオジアの記憶装置には、ほとんどファイルがなかったから、デスターレはすぐに目的のプログラムを探し当てた。
プログラムを起動させると、それはユーザー名とパスワードを聞いてきた。
「おい、イルカ。パスワードを教えろ」
「やなこった」
「いい性格してるな」
「お互い様だ」
デスターレは別のメモリーカードを端末に接続した。
「何だそりゃ」
「悪いけど解読させてもらうとするよ」
「そう簡単には破れないぜ」
「それでもいつかは破られる。そうだろう」
由香の息はかなり上がっていた。それは麻紀も同じだった。由香は一度刀を降ろし、守りの体勢で体力の回復を試みた。麻紀は、完全に逃げ場を失った状態だった。唯一逃げ出せそうな通路の向こうから、学生の楽しげな声が聞こえてきた。そちらに逃げれば、関係ない学生を巻き込むのは目に見えていた。それは由香も避けたかった。
「さて、そろそろだね」
「そうですね」
由香がまた刀を持ち直し、大きく振り上げながら向かってきた。麻紀はその場で軽く飛び上ると、その反動を利用して由香の足を狙って滑り込んだ。由香がその場で飛び上がったため、麻紀は由香の足元をすり抜けて反対側にたどり着いた。すぐに体を反転して、とっさに刀を振り上げると、それは運良く由香の刀を弾き飛ばした。弾け飛んだ刀は、廊下の手すりを飛び越えて吹き抜けから下の階に落ちていった。
「勝負ありましたね」
麻紀はすばやく下がって刀を構えた。由香の攻撃は刀だけではないはずだった。
「さすがは吉野さん。やっぱり刀じゃ敵いませんね。では、これではどうでしょう」
突然ナイフが四本、麻紀をめがけて飛んできた。一本は何とか刀ではじき飛ばした。けれど、残りの三本は避けきれなかった。ナイフは左足太ももとわき腹、顔を防ぐ為に構えた右腕の三ケ所に突き刺さった。麻紀の刀が手から滑り落ちて転がった。そのチャンスを逃すまいと、由香がナイフを振り上げて襲ってきた。麻紀は背中の鞘をとっさに突き出していた。それは見事に由香の鳩尾にヒットして、勝負はついた。
「まさかな……」
覆い被さるように倒れてきた由香の体が、麻紀のわき腹に刺さったナイフを更に体の奥に突き刺した。
「痛っ!」
麻紀は気絶している由香の体を、自分の体から下ろして立ち上がり、腕と足に刺さっているナイフを引き抜いた。その二本は、それほど深く刺さってはいなかったので、ハンカチを引き裂いて止血する程度で済んだ。しかし、わき腹に刺さったナイフを抜くのには手間取った。
麻紀は三本目のナイフを抜き終わった所で力尽きた。
特別電算室と書かれた鉄製の大きな扉の前で呼吸を整えてから、恵美はゆっくりと扉を開いた。巨大なコンピューターの前に置かれたパイプ椅子で、デスターレがくつろぎながら文庫本を読んでいた。
恵美は直ぐに、給湯スペースでお茶を入れていた山田に見つかった。山田は恵美を追い出すために近づいてきた。
「ここは関係者以外立入禁止なんだ。危ないから出て行ってくれないかな。そもそもどうやってここに来たの。ここは女子高校生が来ていい場所じゃないんだよね」
恵美は、山田の言葉を無視してデスターレの姿を見ていた。デスターレは恵美の視線に気付かない振りをしていた。
「おい、いい加減に――」
「あんたはじゃまよ!」
追い出そうと恵美の前に回った山田は、恵美の蹴りをまともにくらって吹っ飛んだ。山田は床に倒れたまま動かなくなった。
「騒々しいな。何の用?」
デスターレは本を閉じて恵美を見た。
「ピオジアを返してもらいに来たの」
「ピオジア?」
「貴方がわたしから奪っていったイルカのペンダントよ」
「ああ、あれならそこだ」
壁際の端末に接続されたピオジアを見つけた恵美は、取り返そうと駆け寄った。
「ピオジア!」
「遅かったな。待ちくたびれたよ」
心なしか元気のないピオジアに手を伸ばした時、恵美の頭に何かが当たった。
拳銃の銃身だった。
「悪いけど、まだそいつの用事は済んでいないんだよ」
「そうみたいね。でも……」
「いいからそこに座っていろ。今から面白いものを見せてやる」
恵美は拳銃で突付かれて、さっきまでデスターレが座っていた椅子に座らされた。
「本当に封印を解除する気? たかがコンピューターに、国を独立させるだけの力があると思っているわけ? 冷静に考えれば解るでしょう。あなたのやっている事は無駄よ。止めた方がいいと思う」
デスターレは部屋中に響き渡るほど大きな声で笑いはじめた。
「何処でそんな冗談を吹き込まれたんだ。ユキにはその力がある。だからこそ、お前の母親は命を張ってこいつ封印したんだろ」
デスターレはそう言って巨大なコンピューターの姿を見上げた。
「嘘よ。母は事故で――」
「事故は、偶然起こるものとは限らないんだってさ」
「あなたが、殺したの?」
「まさか。彼女は事故で死んだんだ。そうだろう」
「そうよね」
恵美はパイプ椅子を横に引き出し、遠心力を使ってデスターレに投げつけた。飛んでくるパイプ椅子に気を取られているデスターレの右手にある拳銃を蹴り飛ばしてから、恵美は彼女の懐に飛び込んで、鳩尾に力いっぱい拳を打った。
デスターレの体は、まるで鋼のような堅さだった。
「それで?」
今度はデスターレの右足が恵美に蹴りこまれた。その衝撃を受けきれず、恵美は壁際まで吹っ飛んだ。
「どうして……」
「ほら、かかっておいで。でもあんたじゃ、わたしには勝てないけどな」
恵美は立ち上がり、もう一度デスターレに向かって走りだした。手前で飛び上がり後ろを取ったが、攻撃と同時にデスターレの裏拳が恵美の胸を直撃した。コンピューターの方へ飛ばされた恵美は、床を転がって仰向けに倒れこんだ。
目の前にある白色の筐体は、天井まで聳え立ち、恵美はその大きさに圧倒された。
それでも恵美は、また立ち上がって向かっていった。連続して襲ってくる重い拳や鋭い蹴りを防ぐたび、腕と足がしびれてきた。
最後にデスターレの回し蹴りをまともに受けた恵美は、ピオジアが繋がっている端末近くの壁に打ち付けられた。
その時、ピオジオから甲高い音が聞こえてきた。
「どうやら、タイムオーバーだな」
デスターレは端末まで歩いていき、エンターキーを軽く叩いた。
「封印解除」
『YUKI SYSTEM Ver.12 STARTED』
ユキの表面にあるLEDが順番に点灯し始め、内蔵されている換気用のファンが大きな音を立て始めた。
「さあ、お姫様のお目覚めだ」
「そんな……」
コンピューターが光り始め、次第に部屋の色が消えていった。軽いめまいを感じて一瞬目をつぶった恵美が、再び目を開いた時、あたり一面が真っ白に変わっていた。
「なによこれ」
「ユキの世界」
真っ白い空間はそれほど広く無く、三方が白い壁に囲まれていた。残りの一面には枠まで真っ白な大きな窓があり、白いカーテンが掛かっていた。
そして窓の外には雪が降っていた。
「雪?」
部屋の中には同じように白いベッドと机があり、机の上にはコンピューターが置いてあった。それは昔ながらのブラウン管型モニターとデスクトップ型のパソコンだった。それらはすべて真っ白だった。
「おはよう」
窓辺に白いワンピース姿の女性がいた。
少女より少しだけ大人だった。
彼女は静かに微笑えんだ。