六 きっと新しい世界が待っていますから
港からバスで一時間ほど山の中に入ったところに、州立の総合大学があった。前面がガラス張りの大空間を抱えた建物で、有名な建築の賞を生津ももらっていた。見た目は確かにすばらしいけど、居住性は悪かった。
正面玄関には広いロビーがあり、そのロビーを中心に管理棟、研究棟、講義棟に分かれていた。デスターレはロビーの一角にある長いすに座って文庫本を読んでいた。由香は正面玄関前に止まったバスから流れ出てくる学生を、ロビーの窓から眺めていた。
「そういえばおまえ、大学を出ているんだったよな」
「ええ、一応は」
「別に謙遜する事は無いだろう。情報工学と認知心理学だっけ?」
「ええ」
「優秀だな」
「いいえ、指導教官が良かったからです」
「誰だっけ? 指導教官」
「伊集院玲子教授ですよ」
「優秀だって?」
「ええ」
バス停からやってきた学生達が正面玄関から講義棟のほうへ流れていった。その中にはかなり派手な服装の学生がいた。
「研究所にはよく連れて行かれたが、大学に来たのは初めてだな。しかしこいつら、本当に勉強をしに来ているのか?」
「多くの学生は、勉強よりも大切にしている事があると思いますよ」
「税金の無駄遣いもいいとこだな。で、こいつらの大切なものって、何なんだ?」
「サークルとかアルバイトとか、あとは恋愛とかですかね」
「恋愛か。お前はどうだったんだ」
「わたしは勉強だけが恋人でした」
「寂しいな。そんでもって行き着く先はあの人か。でも、もうすぐ会えるな。心の準備はできたのか」
「わたしは、別に……」
由香は目をそらしてまた外を見た。
研究棟から小柄な男が走ってきたので、デスターレは読んでいた文庫本を閉じて、その男の到着を待った。
山田武志はデスターレの前で止まった。
「すいません。お待たせしました」
「やけに早かったな、山田」
デスターレは、山田に嫌味を言ったつもりだったが、彼はそれに気付かなかった。
「そうですか?」
「……それで?」
「言われた通に段取りしてあります」
「了解。では時間まで何処かでのんびりするとしようか」
「そうですね」
「あまり目立たないようにお願いしますよ」
山田が慌てて注意をした。
「分かっているって」
デスターレは立ち上がり、管理棟へ向かって歩き出した。
「何処へ行くんですか」
「食堂だ。もうお昼になるからな。大学の学食って言うのを一度見てみたいと思っていたんだ」
「あの」
山田がデスターレを呼び止めた。
「なにか問題でも?」
「いえ、今日のお勧め定食は、ヘルシー定食ですよ」
「そうですか、ありがとうございます」
昼食を食べ終えた由香は、デスターレと一緒に研究棟の一番奥にある鈴木研究室に向かった。
「野菜天丼ってのは、ヘルシーなのか?」
「さあ、どうなんでしょうね」
ヘルシー定食は、野菜天ぷらの載ったどんぶりだった。デスターレは食事を取らず、食堂に集まっている学生を観察していた。
「大学ってのも、いいもんだな」
デスターレは中学しか出ていないから、高校や大学での生活に憧れている様だった。
鈴木研究室を訪ねたとき、教授はまだ昼休みから戻っていなかったので、留守番の山田に案内された。
研究室の中にある教授室には高価な応接セットが並べてあり、由香とデスターレの二人は、長いすの方に座って、出されたお茶をすすっていた。
由香はリクルートスーツに身を包み、束ねた髪とふちの太いめがねで変装していた。デスターレのほうは、西高校の制服をきて、髪はポニーテールに結んでいた。中学生のような童顔だけど、セーラー服を着るとちゃんと女子高生に見えた。
教授室には本棚があり、コンピューター関係の専門書が沢山並んでいた。どの本も由香が学生の時に読まされたものばかりだった。
「難しそうな本ばかりだな」
「そうですね。わたしにも理解できない本が沢山あります」
「読んだのか? これ、全部」
「はい」
伊集院玲子は、自分の研究室に配属になった学生に、まず専門書の読破とレポートの提出を義務付けた。その上で一人ずつ面接するから、他人のレポートを丸写するのは無駄な事だった。それはとても厳しい課題だったけれど、今思えば自分の後継者を捜して居たんだと理解できる。彼女の試験に合格したのはほんの数人だったが、北山恵子はその中でも最高水準の出来だった。
「たいした人だよ、あんた」
「いえ、わたしは……。北山課長には敵いません」
「そうだろうな。彼女は特別だ」
教授室の扉が開いて老人が現れた。
「はじめまして、鈴木です」
鈴木は由香に手を差し出し握手をした。デスターレには軽く会釈をしただけだった。
由香は母親という役どころを演じる事になっていた。デスターレは、その娘と言う設定だった。
「お忙しいところすいません。実はこの子が人工知能を研究している大学に進学したいなんていい出すものですから、それなら一度、鈴木先生の研究を見学した方が良いと思いまして。以前お会いしたことおある山田さんにお願いしてみたんです。そうしたら快くお受けいただきまして。本当にお礼の言葉もございません」
「いえいえ、お嬢さんの将来の為ですからかまいませんよ。この分野は、今や科学者にとっては花形ですからな」
「ええ、まったく」
山田がお茶を運んできたタイミングで、由香は話を本題に移した。
「ところでこの大学には、教授の研究に役立つすばらしいマシンがあると伺っていたのですが」
「それは、えっと。どのマシンの事かな」
「なんでも、史上最強の人工知能と言われているそうですね」
鈴木は由香の言葉に警戒心を表し始めた。
「S三型のことですかね。あれはわたしの研究の中でも出来のいいほうですが、最強と言えるようなマシンでは……」
「いいえ、もっと力のある奴ですよ」
「そんなものは在りませんよ。なあ」
何とかその話を終わらせようと、鈴木は山田に同意を求めた。しかし、彼は小さく首を振っただけだった。
「この方たちがお聞きになりたいのは、ユキシステムのことだと思いますよ。教授」
「おい山田、何を言い出すんだ」
「鈴木教授」
由香はメガネをはずして、まとめていた解いてから一本に髪を束てみせた。
「私のことをお忘れですか」
鈴木は老眼鏡をはずして由香を見た。
「き、きみは保坂由香くん」
「お久しぶりです、教授」
「一体、何をしにきたんだ」
「もちろん、ユキに会いに来たんですよ」
「ここにはユキなどいない」
ずっと黙っていたデスターレがその時初めて口を開いた。
「隠しても無駄ですよ、鈴木先生。もう調べはついているんですから」
デスターレは何時もと違う丁寧な言葉を話した。由香は何故か怖いと感じた。
「お前たち、一体何者だ」
非常ベルを押そうとした教授の額にデスターレが拳銃を突きつけた。
「山田!」
鈴木が助けを求めたとき、山田は引出しから特別電算室の扉の鍵を取り出していた。
「何している」
「すいません教授。僕も科学者の端くれなんです。彼女の本当の力を、この目で確かめてみたいんです」
「残念だか、彼女の封印を解く鍵はここには無いぞ。部屋に入る事が出来たとしても、彼女に会う事は誰にも出来ない。諦めて帰りたまえ。山田、君も今日限りだ」
「本当に残念ね」
デスターレがピオジアを教授に見せる。
「何だそれは」
「鍵ですよ、先生」
「冗談はよしたまえ」
「わたしは冗談が嫌いなんですよ」
「お前たち、何をしようとしているか解っているのか。山田! 早くあの少女から鍵を取り返せ。そうすれば今日の事は忘れてやる。あんたもだ保坂くん。彼女を目覚めさせたらどうなるか――」
「解っていますよ、十二分に。だけど、私は……」
「いいんですよ先生。あなたは黙って見ていてください」
鈴木はデスターレを睨み付けた。
「君は一体何者なんだ。高校生のくせに拳銃など。そうか、これはおもちゃだな。そうなんだろう?」
デスターレは銃口を少しずらして、本棚へ向かって一発撃った。弾は飾ってあった写真たてに命中し、ぼろぼろに砕け散った。
「実は以前、先生にはお会いした事があるんですよ。そうですね、先生がまだ、私の母の助手をしていた頃の話ですけど」
「わたしが助手? 一体何年前だと思っているんだ。あれからもう……。まさか! いやそんなはずは」
「世の中は、本当に不思議な事ばかりですよね、先生」
「伊集院玲子の長女、伊集院可奈か」
由香もその名前を聞いて驚いた。言われてみれば玲子とよく似ている。山田は何故か感動していた。
「なんだ、お前らには言ってなかったか」
「聞いてません」
「まあいい。名前なんか、大して意味のあるものじゃない。ほら山田」
「あ、はい」
山田は、鈴木を実験室から持ち込んだパイプ椅子に縛り付けた。
「先生はしばらくお休みになっていてくださいな。目が覚めたら、きっと新しい世界が待っていますから」
「本当に、封印を解くつもりなのか」
「もちろんです」
「そんなこと、君のお母さんが許すわけないはずだ。封印は、彼女の命令で行なわれたんだぞ」
「ええ確かに。でも、真実は、そんな簡単ではないんですよ」
「どういう意味だ」
「母は案外野心家なんですよ。他の組織に利用されないように封印したんですよ。あなたなら分かるでしょう。あの人は一人の女性を犠牲にして、ユキシステムを作り上げた。倫理のかけらも無い女なんですから」
デスターレの合図を受けて、由香が鈴木の首筋を手刀で殴った。鈴木はすぐに気を失ない、椅子の上でうなだれた。
「また会いましょう、鈴木先生」
デスターレが、何かに感づいて、部屋の外に顔を向けた。
「来たな。保坂、後は任せたぞ」
「分かりました」
由香は机の下に置いてあった長細い包みを拾い、中から長い刀を取り出した。
「では、山田。案内しろ」
「はい、喜んで」