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五 今のあんはんには絶対に負けまへん

 昼休みの教室で、恵美は机に突っ伏した状態のまま動かなかった。西高校三年二組の教室は三階にあり、その教室からは、校門の桜の木と、向かいのコンビニに昼ご飯を買いに行く生徒が見えた。

 智子は恵美の前に立つと、頭をぽんと手でたたいた。ゆっくり頭を持ち上げた恵美の顔は、まるで寝起きのようだった。


「どへんしたんどすか」

「どうしたかって? いきなり刀で切りつけられ、次に拳銃を突きつけられたのよ」

「ほんで?」

「どうせ信じてくれないんでしょ。いいのよ別に、ペンダントを取られただけで、たいした事は無かったし。死に掛けたけど」

「だけど、大切なモンなんでっしゃろ?」

「別にぃ。確かに母親の遺言が入っていたから、大切かと言われれば、大切には違いないけどさ。命と引き換えにするような物じゃないって」

「そへんどすか。あんはんかて勝てへん人が居るんですね」

「そうよ。そんなの当たり前じゃない。別に私は……誰かと命のやり取りをするために空手を習っているわけじゃないんだから」


 恵美はまた机に突っ伏した。


「そやかて、ほんまに取り返さなくていいんどすか」

「どうしてよ」


 机に伏せたまま、恵美は投げやりに言葉を返した。


「どうしてって、それは……」

「良いのよ別に、わたしは世界がどうなろうと構わないの」


 その日の放課後、恵美は、トラムに乗って郊外の公営住宅へ向かった。整然と立ち並ぶ公営住宅の前で電車を降りた恵美は、持っていたメモと目の前の号棟番号を見比べた。

 智子にはあんなふうに答えたが、鍵の存在が気になっているのは事実だった。ジャンクショップの入口は抜き板で塞がれていて入る事が出来なかったから、祖母の教えてくれた母親の親友と言う人を尋ねてみる事にした。


「目的地は七十三号棟の三一二号室か」


 団地の入口で案内板を見つけた恵美は、目的地である七十三号棟の場所を捜した。目の前にあるのは三十三号棟で、七十三号棟はちょうど反対側だった。


「何だ次の電停の方か近かったな」


 恵美は仕方なく通りに沿って歩き始めた。一駅だけトラムに乗るのがもったいないと思い歩いたが、次の電停にたどり着くまでに、三本のトラムに追い越された。

 七十三号棟に着いた時には、もう空は夕焼けになっていて、体も疲れきっていた。恵美は、十二階建の七十三号棟を見上げて、大きくため息をついた。


「やっと着いた。遠かったな、ここ」


 二台在るエレベーターの片方は故障中で、使えるはずのもう一方も八階から動く気配が無かったので、恵美は三階まで階段を使う事にした。三一二号室は階段から一番遠い角部屋で、吉野と書かれた表札があった。そこには千里と麻紀の名前が並んでいた。


「吉野麻紀? 何処かで聞いた名前だな」


 祖母から聞かされていたのは住所だけだった。名前はまったく覚えてなくて、メモには千里としか書いてなかった。てっきり「センリ」という名字の人だと思っていたが、それは下の名前だった。

 恵美は、一旦躊躇してから、玄関のチャイムを鳴らした。


「はーい」


 中から聞こえた返事の声は、恵美が思っていたより若かった。母親の友人だから三十代のはずなのだが、声だけ聞くと十代だった。


「今あけますよ」


 ガチャガチャと鍵を開けて、中から顔を出したのは、千里ではなく麻紀だった。


「あ、あんた」


 目の前に現れたのが、公園で恵美を助けてくれた少女だったので、恵美は動揺した。


「突然どうしたんですか、北山先輩」


 驚いたのは、どちらかと言うと麻紀の方だった。


「この前はありがとう。お母さん――千里さんはいる?」


 麻紀はしばらくの間、何も言わずに恵美の顔を覗いていた。


「吉野さん?」

「ああ、どうぞ上がってください」

「あ、はい」


 狭い玄関を抜けるとすぐに台所のある部屋に通された。


「母は今出かけているんです」

「え? それじゃあ出直してくるよ。何時頃帰ってくるんだろう」


 麻紀は水を注ぎ足したやかんを、コンロに乗せると火をつけた。


「帰ってきませんよ」

「え?」

「母は帰ってこないんです」

「それ、どう言うこと」

「例の鍵は、あなたのお母さんが私の母に託したんです。そのことが公安にばれてしまったんですよ。すべてを話すまで、母は帰して貰えないと思います」

「そんなあ。じゃあ鍵は」

「ここには在りませんよ。もちろん母の手の中にも。それは本来あるべきところに、既に返してしまったんですから」


 やかんのお湯が沸騰して大きな笛の音がなり始めた。麻紀はやかんの火を止めると、食器棚から取り出したポットの中に紅茶の葉っぱを入れ、やかんのお湯を注ぎ始めた。


「それも、いまや革命派の手に渡ってしまったんですけどね」


 本来あるべき場所に帰り、それが人の手に渡ってしまった。恵美が知っている限り、それは一つしかなかった。


「まさか……。ピオジア?」

 麻紀は注ぎ終わったティーカップを恵美の前にそっと置いた。

「取り返しに行きませんか?」


 恵美はカップをゆっくり口まで運んだ。


「その鍵の事、もっと詳しく教えてくれないかな? あなたも少しくらいは知っているんでしょう」

「ええ、良いですよ、でも――」

「勘違いしないで。まだ取り返しに行くとは言っていないからね。私は母親が守ろうとしていた物が一体何だったのかを知りたいだけなの」

「分かりました。では、奥の部屋に来て下さい」


 麻紀は一口だけ紅茶を飲むと、自分の部屋に向かって歩き出した。恵美も後ろからついていった。

 麻紀の部屋には、恵美のよりも数段重装備のコンピューターが置いてあった。


「すごいね、これ」

「部屋が狭いんで、これしか置けないんですよ。本当はもう一台ラックが欲しいんですけど諦めました」

「これ以上何を組み込むつもり」


 恵美はラックに近づいて、マシンを一台一台確認した。


「最高でしょ。この構成」

「北山先輩のマシンは、これより何倍もすごいんでしょう」

「そんな事無いって。私のはさしずめじゃじゃ馬ってところね。ほとんど自作機だし」


 麻紀の部屋には沢山の本があった。大半がコンピューターに関する学術書で、関係の無い本といえば、その隙間に挟まっているコミックだけだった。

 麻紀は本棚から一冊の分厚い漫画の本を取り出した。カバーをはずすと、ユキシステム概論とかかれた表紙が見えた。


「鍵と言うのは、あるシステムの封印を解くアクセスコードの事です」

「それが、そのユキシステムなの?」

「はい。この本は、ユキシステムを開発した伊集院教授の論文を簡単に噛み砕いて説明ししてある大学の教科書です。現在は絶版になっていますが、いわゆる禁書と呼ばれている本なんです」

「ああ、それで漫画のカバーって訳だ」


 恵美はその本を受け取って、ぱらぱらとめくってみた。恵美もコンピューターに関しては他人に引けを取らない知識と技術を持っていた。しかし、その本は恵美でも難しいと感じるほど高度だった。


「何でそんなやばい本が此処にあるわけ」


 麻紀はその質問には答えなかった。


「ユキシステムの起源はさておき、それが巨大な力を持っていると思ってください。つまり、その力を手に入れ、利用しようとする者が居るわけです」

「それが、この前の人たちなんだ」

「あの人たちは革命派と言われるグループです。ユキシステムの力を使って、この国を変えていこうと考えています。自治州を本国から独立させる事を主張しています。もう一つが国家の安定と世界統一を目論む政府の推進派です。そして現在わたしの母を拘束しているのが、治安維持を前面に押し出している公安です」

「それであなたは?」

「わたしたちは、システムを封印した北山恵子と彼女の考えに賛同した有志なんです。わたしたちは、システムの制御が可能になるまで、彼女を封印することを選択しました。そして現在は、恵子さんのおかげで、何とか封印されている状態なのです」

「だけど、誰かさんが鍵を革命派に渡してしまった。と言う事よね」

「残念ながら、その通りです」

「なんでそんな面倒くさい事をしてくれたのかな、あの人」

「北山先輩。そんなこと――」

「だってそうでしょう。私には何の力も無いんだから。凡人に鍵を預けるなんて、一体何を考えているんだか。それにさ、革命派の主張って聞いた事あるけど結構まともみたいだったよ。今より生活が良くなったりするんじゃないかな」

「ユキシステムの力が暴走したら、革命どころじゃなくなりますよ。この国が地球上から消えてなくなるかも知れません」

「まさか」

「十年前の事件をご存知無いんですか」

「街が死んだ日ってやつ?」

「正確には街じゅうのシステムがハッキングにより一瞬のうちに使えなくなってしまったんですけどね。ある意味占領されたとも言えますが」


 恵美は本を閉じて麻紀に返した。


「あの人がそうまでして守ろうとしたものは何だったのかな」

「私は未来なんじゃないかとおもいます。国の未来と、私たちの未来」

「未来か……」

「北山先輩。一緒に鍵を取り返しに行きましょう」

「嫌よ」

「どうしてですか」

「もうあんな怖い思いは沢山なの。あなたが一人で行けばいいでしょう。前にも言ったと思うけど、わたしは、この世界がどうなろうと、一向に構わないの」

「先輩……」


 恵美は挨拶もしないでに麻紀の家を飛び出した。一気に階段を駆け下り、三十七号棟前の広場で一息ついて、麻紀の部屋がある三階を見上げた。自分が面倒な事に巻き込まれたと思うと、腹が立った。


「冗談じゃない」


 そう呟いてから、恵美はトラム乗り場へ走っていった。


 昼休みの教室で、恵美は机に突っ伏した状態のまま動かなかった。

 智子は恵美の前に立つと、頭をぽんと手でたたいた。ゆっくり頭を持ち上げた恵美の顔は、まるで寝起きのようだった。


「どへんしたんどすか」

「べつに」

「機嫌がようへんみたいですけど」

「だ、か、ら。なんでもないって」

「ねえ、恵美ちゃん。放課後付き合ってくれまへん?」

「嫌よ」

「どうして?」

「またアクセサリーショップでしょ」


 智子は大きく首を振った。


「ちゃうよ。格技場でっせぇ」


 言われたとおり道着に着替えて、恵美は格技場に向かった。今日は空手部と剣道部の活動日である。奥の半分を使って準備運動を始めていた部員たちは、恵美の姿を見つけて、一様に驚いていた。


「北山先輩、今日はどうしたんですか。まだ一ヶ月経っていませんよ」


 部長の高田が準備運動を抜け出してきた。

 恵美が空手部に来るのは早くて月に一体だったから、部員たちも、今月はもう来ないものだと思っていたのだろう。


「ちょっと誰か相手をしてくれない?」

「誰かって、僕でもいいですか」

「うん」

「じゃあ、少し待っていてくれますか」


 部活の準備運動が終わるまで、恵美も少し体をほぐして待っていた。柔軟が終わると、部員たちは中央を囲むように座りはじめた。

「先輩、お待たせしました。でははじめましょうか」

 肩慣らしのつもりだったのに、恵美は終始押される展開になった。


「どうしたんですか先輩。今日は技に切れがありませんよ」

「ちょっと手加減してあげているのよ」


 口ではそう言ったが、恵美はかなり苦しかった。こんなに苦しい戦いをしたのは初めてだった。デスターレとの戦いの後遺症では無いと信じたかった。


「時間切れでっせぇ」


 はかまを着ている智子の姿に、格技場中が騒然となった。


「どうしたのよ、その格好」

「恵美ちゃんとは初めてどすえね」


 智子は高田に小さく礼をして場所を変わった。那知は他と部員と同じ列に座った。


「つぎはわいが相手どす。全力で掛かってきておくんなはれ」

「え、でも」

「今のあんはんには絶対に負けまへん」


 恵美には、智子が格闘技をやること自体驚きだった。


「なんのつもりよ」

「わいを倒したらおせーてあげます」

「倒せばいいのね」


 恵美は攻撃の構えを取った。自分から攻撃を仕掛けるのは久しぶりだった。今日は調子が良くないのは解っていたから、恵美は一気に勝負を賭けることにした。

 ゆっくりと間合いをつめ、大きく足を踏み込むと同時に拳を突き出した。スピードは悪くなかったし、目標も完璧だった。

 しかし智子は、いつも通りの涼しい顔でその攻撃を軽くかわす、右手で腕を掴み、恵美の懐に入り込んだ。

 次の瞬間恵美の体が宙を舞った。


「え?」


 自分が投げられたと気づいた時にはもう地面に転がっていた。

 格技場がどよめいた。剣道部の部員も、練習をやめて恵美と智子の戦いを興味深げに観戦していた。


「ほら、もういっぺん」


 智子は微笑みながら手を振っていた。

 立ち上がって中央まで戻った恵美は、大きく深呼吸してから、構えなおした。


「智子ってば、強かったんだね」

「いーや、本調子のあんはんには、まるっきし敵いまへんよ」


 恵美は蹴りを中心の攻撃に替えてみたが、智子はすべての攻撃を受け流した。思わず大振りしてしまった時、智子の正拳が恵美の腹部を直撃した。

 恵美はその反動で飛ばされて、再び床に転がった。


「大丈夫ですか」


 高田が恵美に駆け寄って手を出した。


「あ、うん。ありがとう」


 恵美は一度手を伸ばしたが、すぐに慌てて引っ込めた。


「あたしの勝ちですね。みなはんお騒がせしたんや。おおきに。ほんなら行きまひょか、恵美ちゃん」


 剣道部から麻紀が飛び出してきて、通りかかった智子に耳打ちした。その後から現れた恵美に対して、麻紀の視線は厳しかった。


「お願いですから、西条様を困らせないでくださいね。北山先輩」


 恵美はそれには答えないで、格技場を出て行った。


 制服に着替えた恵美は、昇降口で智子を待っていた。待っている様に言われた訳ではなかったが、話があるような気がしたのだ。

 授業が終わってからかなり時間が経っていたから、帰宅部の連中はもう居なかったけれど、まだ部活の終わる時間には早かった。昇降口にいるのは恵美だけだったが、廊下や、体育館から部活の声が聞こえてくるため、静かとは言えなかった。


「待っていてくれたさかいすか」

「あ、うん」


 制服姿の智子は、先ほどとは違い普通の高校生だった。


「ちびっと付き合ってくれますよね」

「あ、うん」


 向かった先はロープウェーだった。山の頂上まで一気に連れて行ってくれる大型のロープウェーは観光の目玉だった。那智が先に駅に入り、乗車券を買ってきた。


「乗るの?」

「ええ」


 夜景を見に来た観光客に交じって、恵美たちはロープウェーに乗った。約十分位の間、無言で小さくなってゆく景色を眺めていた。

 山頂の駅に着くと、智子は少し離れた公園に向かった。観光客は展望台に登って夜景を見るが、地元の住民は公園のほうに集まるのだ。智子は空いているベンチに座って恵美を呼んだ。恵美が隣に座ってからも、しばらく智子は黙っていた。


「何を迷っとるのどすか」

「なにも」

「それならええんですけど。鍵はあんはんが持っとるべきだと思うでよ」

「何のこと?」

「吉野はんと一緒に鍵を取り戻してきて欲しいんです」

「その話は、あの子にきちんと断ったわ」

「だけど、あんはんは逃げられへんんです」

「どういう意味よ」

「運命どすから」


 智子は立ち上がった。


「ええあんばいに頼みますよ」

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