真実はとても弱い
「え! そうなの?」
昼休み、一緒にご飯を食べようと教室にやってきた由津里の開口一番がそれだった。
彼女は俺が退院した後のことを何も知らなかったらしい。俺が記憶喪失になっていることを初めて知ったという。
「でも、なんでこの人が美稔のそばにいるの? 何かしたの?」
「違うんだ、真星は俺の記憶を戻す手伝いをしてくれているんだ」
「それなら私で大丈夫じゃない? だって私、美稔のすべてを知ってるんだから」
えっへんと両手を腰に当てて由津里はえばる。いや、俺はお前のことよく知らないんだが。
「じゃあさ、由津里ちゃんはさ、なんで撫川くんが屋上から飛び降りたのか知ってるの?」
「…そ、それは」
さっきの元気が少し小さくなった。本当は悲しかったのだろう。好きな人が理由なくこの屋上から飛び降りたのだから。
「で、でも! 美稔はそんなことしないって私先生に言った! 確かに恨まれることばかりしてきたと思うけど、でも自分から飛び降りるなんて、絶対しない!」
真面目な顔でそういった。本気で言ってくれている。俺だってそう思う。俺はそんなことするような奴じゃない。自分でもわかる。でもなんで俺はそんな行動をとったのか。
「…一番知ってるのはたぶん高倉くんだと思うんだよ。先生に沢山話聞かれてたから」
「なんで、高倉? あ、一番俺に恨みがあるからか?」
「…うん。でも高倉くん、僕じゃないっていってた」
謎が深まるばかりだ。俺はてっきり高倉と屋上で言い争いか何かになって、不意に押されてそのまま落ちたのかと思った。不慮の事故だと思った。でも彼は自分じゃないという。
「なぁ、由津里。俺はお前と最後に会話したのいつだ?」
「むー。由津里じゃなくて、ゆづりんってよんでー!」
ぷくーと膨れた両頬がまるでリスのようでかわいらしい。頭を撫でたくなる。なんか横からの視線が痛いほど感じるんだが。
「ゆ、ゆづりんと俺が最後に会ったのはいつだ?」
「そっか、その日のことも忘れちゃってるんだ。仕方ないよね。うん。えとね、その日だよ。最後に話したのはあの日のお昼。放課後はパンケーキ食べにいこって私が言い出して、美稔は嫌だって言ってきたけど、教室に戻ったあと、ラインで今回だけだぞって返事くれて…」
由津里は思い出したのか涙をこぼし始めた。
「…ごめん。ゆづり、ん。悲しい思いさせたな」
これも俺の本心ではない。俺の知らない俺が言わせている。たぶんきっと。
「ううん。生きてくれているなら、この先いくらでもできる。でも…」
由津里は涙を袖でふき、にっこりと笑いながら俺をみた。
「こういう当たり前を大切に思わなきゃだよねっ」
彼女は俺を一回失った経験で、気付けたことがあったみたいだ。日常の変化に、気付けたみたいだ。
「そうだよ~こうやって私たち三人がいる空間さえ奇跡みたいなものなんだから~」
真星は自販機で買ってきたイチゴミルクをズズズっと飲みながら話す。
「そう、だな。とりあえず、俺の事故の前の記憶を取り戻したい。ゆづり、ん。手伝ってくれるか? お前のこと、忘れてしまっているけど」
「もちのろんだよ! 美稔と一緒にいれるなら私はなんだってするよ!」
ニカーっと笑う由津里は本当にかわいい子供のようだ。さらに視線が痛いんだが。
「よかったね撫川くん。味方が増えて」
ズズズーッとイチゴミルクを飲み干す真星がきつめの声で言ってきた。
「まずは俺の記憶を戻さないと、前に進めない気がするんだ」
昼ご飯を食べ終わり、由津里とは別れて教室に戻ったあと真星と今後の相談をした。
「そうね。撫川くんが、今やりたい事をするべきだと思う。まずはなぜ飛び降りたのか、という問題だね」
「一番近しい由津里ですら絶対しないって言ってるぐらいだから、自殺ではないと思うんだ」
そう口にしたとき、血の気が引くような感覚になった。なんだ、この感覚。
「どうしたの?」
「い、いや。だから俺は誰かに押されたとか、脅されたとか、復讐にあったとかしか思い当たらないんだ。そうなると一番やりかねないのは高倉なんだ」
もし、俺が高倉の立場なら、やりかねない。と思った。自分を押し殺すより、自分を貶す人を世界から葬りたいと願う。だから、可能性的に高いのは高倉、彼だ。
でも由津里は「高倉くんは違う」と彼が言っていたのを聞いている。そして本当に彼ならまず今学校に来ていない。退学処分か停学。もしくは謹慎を余儀なくされているはずだ。でも彼はきちんと登校している。あと、怪しいのは迫川だ。彼女は俺にこう問うた。「つぎのおもちゃを決めているのか」って。彼女は俺の行動をよく見ていた。だから彼女ならなにか知っているかもしれない。
「なぁ、真星。迫川と話しできるか?」
「えー、まぁー。うん」
なんだよその濁す返事は。
「できなくもなくもないけど」
「なんだそれ、話したくない、とか?」
「いや、別にそういうんじゃないんだけど。なんていうかーそのー」
歯切れの悪い返事をする。真星は意見をはっきりいう子だと思ってたんだが。
「できないんだったらいい。俺がする」
「やーーーーーやややや、私から話す。撫川くんが今までどんなことをしてきたのか聞けばいいんだよね?」
「ああ。おねがいだ」
「う、うん」
なんだろう。真星なら「まっかせといて」と余裕ぶって返事するはずなのに、なんだろう。苦手な人間? とか?
「話ってなんですか?」
帰りのホームルームが終わり、真星は迫川に声をかけた。
「あーえとー、真星です! えーと、迫川さんはー撫川くんのことー」
「…私何も知りません。知りたいのは彼が次のターゲットを決めているのかどうかです」
「あーいやー今の彼なら大丈夫ーなんだけどー」
真星は頭をかきながら戸惑っている。おかしい。真星、いつも俺にはっきりものをいうあの態度はどこに置いていった? どうしてそんな歯切れの悪い話し方をするんだ? 俺は自分の席から彼女たちの会話を聞いていた。
「…そうですよね。今まで高倉くんにしてきたことすべて忘れてるんですからね。この間みたいな謝罪で許されるなら警察はいりませんよ。むしろ私が知りたい。撫川くんがなぜ高倉くんをおもちゃとして扱っていたのか。ただの暇つぶし? だったのでしょうか」
迫川は俺の方に目線を向けた。ドキリとするぐらいにらみつけてきた。彼女なら俺に復讐をしかねない。でも彼女もまた退学、または停学や謹慎になどなっていない。
「高倉くんが、あの人に何かしたんでしょうか。恨まれるようなことをしたんでしょうか。彼にとって弱者はただのおもちゃ替わりなんでしょうか。同じ人間だと、なぜわからないのでしょうか」
彼女は俺への目線をそらさずにらみつけながら力強く問うてきた。今の俺ならその気持ちが痛いほどわかる。同じ人間なのに強弱をつける意味。弱者は強者に従わなければならないなんて、動物の世界じゃあるまいし。俺はなんでそんなことを高倉にし続けていたんだろう。俺が問いたいよ。
「あー、えとね迫川さん。撫川くんはね…」
真星が迫川を止めに入ろうとしたが、彼女は止まらなかった。寧ろ俺の方へと歩み始めた。にらみつける顔が俺に近づいてくる。
「今の撫川くんなら、私、言える気がするので、いいます」
そういっている時には彼女は俺の前まで来ていた。教室に残っていた生徒が騒めいていた。
「あなたは人間の屑です。人を死に追いやる気持ちにまでさせられる最低な人間です。貴方さえいなければこのクラスはとても楽しいクラスだったと、思います。…貴方さえいなければ!」
迫川の声量が大きくなる。目には涙があふれていた。
「貴方さえいなければ、高倉くんは、あんなことを…!!!」
…あんなこと?
「も、もしかして、高倉自身が柵を、超えた?」
俺はとっさにそう思った。でもなぜ俺が落ちたんだ? 高倉を引き止めたのか? 迫川がいう最低の俺が? 意味が解らない。
「…し、しりません。私は、ただ、高倉くんが、あなたたちにあんなことをされなければ、屋上には行ってなかったと思います」
あんなことってなんだ…あんな、こと?
視界がぐあんぐあんする。頭痛が再発する。記憶が戻りかけているシグナルだ。耐えていれば何か思い出すに違いない。俺は両手で頭を押さえた。
「ねぇ、迫川さん。貴方、撫川くんが飛び降りた日に会ってるんじゃない?」
真星は迫川さんに告げる。それがなんだっていうんだ? でも、何か思い出しそうになっている。
「…! あなたには関係ない、転校してきたばかりのあなたが、このクラスの何がわかるの?」
「解らない。でもあなたや撫川くんのことは解る。あの時、あなた、撫川くんに何かいったの?」
迫川と真星が俺には解らない会話を始めた。俺はあの日、迫川と会って話していたのか? なんで?
「何も、何も言ってない。ただ、撫川くんが高倉くんを探していたから、場所を教えて…」
ドクン ドクン 心臓の音が大きくなる。 頭も割れるほど痛い。でも。視界がぼやけていたものが鮮明に見えてくるように、濁った音がクリアに聞こえるように、だんだんと色鮮やかになるように、何かが湧き上がってくる。
「…そう、俺は聞いたんだ。迫川に。俺のおもちゃどこいったって」
俺じゃない俺が勝手にしゃべりだしている感覚。霊がのりうつったような感覚。そして鮮明になっていくあの日の事。そう、俺は高倉を暇つぶしにしてやろうとして、矢吹と瀬戸で高倉を探していた。でも見つからなくて、その時だ。迫川に会って聞いたんだ。
「そしたら屋上にいて、あいつ、必死に柵を超えようとしてて…」
俺はそれがおかしくて、情けない姿で、ずっと笑ってた気がする。こいつ、何やってんだろうってなって、さすがだなって。だから…
「そう…そうだよ。俺は高倉にその情けない姿の手本になってやろうと思って」
俺はすぐに柵を超えた。高倉は変な格好になりながら半べそをかいていた。きっしょい顔がすごく笑えてそれがおかしくて矢吹と瀬戸に見せたくてスマホで写真撮って送ってやろうと思ってポケットからスマホを取ろうとした時、握っていた柵の棒を離してしまった。
「俺は屋上から落ちたんだ」
全て思い出した。高倉にしてきたこと、迫川をどう思っていたかってこと。矢吹と瀬戸と笑いながら高倉をおもちゃにしていたこと。これが因果応報。俺のしてきたことへの贖罪。
俺はなんてひどいコトをしてきたのだろう。今更、謝罪したところで高倉の気持ちがもとに戻るはずがない。傷は治るけど、時間がかかる。簡単には治せない。
「ごめん………ごめん…」
どんなに謝ったって許されない。自分の暇つぶしで、他人の人生を台無しにした責任は十分に重い。それを解っていなかった。解ろうともしなかった。自分さえ良ければよかったから。
「…撫川くんは、本当に、こんなことを望んでいたの?」
なぜかその言葉を迫川が言った。その言葉は真星がよくいう言葉だったから違和感があった。
「わからない。思い出したけど、今の俺は、今はそんなことちっとも思っていない。おもちゃにしようとか一切思わない…! それだけは信じてほしい!!」
俺は必死に訴えた。そんな都合のいいようにいかないって解ってはいる。本当、俺みたいな人間が死ねばよかったのに。助からなければよかったのに。
「わかりました。そのかわり、もう、ひどいコトはしないって約束してくれますか?」
多分許してはくれていないだろう。迫川はきっと自分に番が回ってくるのを恐れていた人の一人だ。だから、ここで約束を交わせば自分は大丈夫だと思っているんだろう。それぐらいならできる今の俺なら。してやられることはそれぐらいだと思うから。
「ああ」
俺は凄い疲労感に襲われた。頭痛を我慢していたことと、吐き気を我慢していたからだ。それが理由で立ち上がれないほどになっていた。
「わたし、保健室に連れていくね。迫川さん、もう大丈夫。大丈夫だからね」
その言葉に迫川の鼻をすする音が聞こえた。ごめん。ごめんな…
俺は意識が遠のいていた。その間、真星が肩を貸してくれて歩いていた気がする。
いろんな情報量が俺の脳に入り込んでいろんな感情が俺の心を支配していった。自分ではどうしようもないぐらい、いまぐちゃぐちゃなになっている。
「真星…生きるってこんな感じなんだな…」
「そう。生きていくってこういうことなんだよ、撫川くん」
おぼろげな意識の中、俺は真星にそう告げた。