2章 邂逅
2章
邂逅
波の音で目を覚ました。
目の前に広がるのは闇。
しかしいつも見ている狭い家の天井の闇とは違う。
空にきらめく星々…を模した人工衛星だ。
そうか、そうだったな。俺は思わず逃げ出したんだったな。
不安な気持ちもあったが、開放的な気持ちが上回った。
このような感情を持ったのは久しぶりだった。
あたりを見回す。無限に広がる水平線。
俺はどこに向かうとか、荷物を準備するとか、もう少し準備をすればよかったと後悔した。
しかしよく目を凝らして回りを見渡すと遠くに、遠くに、光が見えた。
人工衛星の光ではない。俺は喜んだ。
どこか懐かしいような光を感じ、残り燃料が少なくなってきた音のするモーターを走らせた。
どんどん光が近づく。島だ。
信じられないほど輝いている。太陽があったらこんな輝きなのだろうか。
縞の輪郭が見えてきたところで、エンジンが空回りする音がした。
「ああ、やられた」
正直燃料がないことは感じてはいた。
目の前には光の島。俺は指をくわえて見ているだけのことはできなかった。
そして俺は意を決した。
決死の思いで深い闇の水に飛び込んだ。
あまり泳ぎは得意ではなかったがもっと強い力が俺を動かした。
必死に水をかく、かく、かく。
顔を上げると島が近づいてきた、きた、きた…!
一瞬ほっとした次の瞬間、俺の体は緊張が解け、力が入らなくなった。
あ…!脳裏を走馬灯のようなものが駆け巡る。
そこで記憶は途絶えた。
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苦しい、苦しい、苦しい。
生を受けてからその感情だけが神経をめぐる。
肉を貪って飢えをしのいでも、体はさらに肉を求める。
永遠になくなることのない無限の渇き。
見つけた。
動くたびに苦しい体に鞭打って歩みを進める。
私が食べることができるのは動かない死んだ肉だけ。
腐って柔らかくなった部位を舐めとるようにして食らう。
ゆっくり近寄って…動かないのを確認する。
重力で覆いかぶさるように体に食らいつく。
非常に弾力がある。死んで間もないのだろうか。
這いずり舐め回って最も柔らかい部位を探す。
あった、ここだな。
顔の、食道につながる開口部。
ゆっくり顔を近づけて唇と舌を押し付ける。
口内の唾液をゆっくり舐めとる。
一時的でも、だんだんと苦しさが和らいでいく。
肉を食らえと神経が指令を出すが、衰弱した筋肉は弱弱しく反応することしかしない。
すり減った神経と身体が暖かくなっていくのを感じる。
いつの間にか私は、食事でなく、その行為自体にのめりこんでいた。
私はゆっくりと唇の感覚を味わった。
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冷たい水に揺られながら、脳味噌は記憶をゆっくり辿っていく。
思い出したのは母との思い出。俺に聞かせてくれた昔話。
「昔々に、大きな龍が太陽を飲み込んでしまったの」
その一節を俺はよく覚えている。
母はよく太陽があった時のことを嬉しそうに話してくれていた。
それを飲み込んでしまうなんて、どんな悪い顔をした、邪悪な竜なんだろうか。
眠れない夜、その邪悪な龍が頭に浮かんで、母親を飲み込んでしまう。
そんなイメージが浮かび、何度も母親のところに行き、一緒に眠った。
そんな母親との別れはそんな悲劇的なものでなく、
老衰だった。
比較的若いうちに天命を全うしたが、
俺の記憶の母親は、体が弱く、そうなるのも道理だった。
その日、俺は泣いた。溢れ出る感情がそうさせた。
冷たい体なのに、どこかから母親の温かみを感じる。
身体がだんだん熱くなっていくのを感じる。
脳味噌にだんだん血が通う。
生きている…?俺は夢かと思ったがだんだんと意識が戻っていくのを感じた。
しかし体は動かない。
暗闇の中、わずかに力の入る目をゆっくりと開ける。
眼前には光を浴びて輝く双眸。
人の形をした肉の塊が弱弱しく俺の口と体を押さえつけていた。
体を動かすと肉塊は驚いたように、目を見開き押さえた口を離した。
肉塊の肺から空気が漏れ、鳴き声のような音が俺の鼓膜に伝わった。
その音によって、俺は一気に現実に引き戻された。
動くようになった腕で、へばりつくような肉塊を払いのける。
それは思っていたよりも軽く、力なく地面に倒れこむ。
その体が完全に地に着くのを見る間もなく、俺はその場から一目散に離れた。