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SCENE 4『いつまでも揺り籠の中で微睡んでいたい』

 気が付けば、夜だった。

 結局、あの男性客以外の急な客は来る気配もなく、いつもより早く閉店ということになった。

 それからは、子守をしつつ夕食の準備をしていた奥さんと、倉庫で在庫整理をしていた店長さんと合流し、我が子の無事を確認し、ご好意にあやかって食事を一緒にした。

 その際、少年の口から私たちを一泊させても良いかという話が出た。やっぱり先ほどの話は、急な彼の思いつきだったらしい。奥さんも店長さんも、目を丸くしていた。

 ――直後に、満面一致で了承が出たけど。

 おいそれで良いのか、保護者。


「この子の面倒は見ますから――というか可愛がるから安心してくださいな」


 心配してるのはそこじゃないっていうか、むしろ心配事増やすのは止めてくれませんか、奥さん。


「どうぞ、うちの息子とごゆっくり。大丈夫。明日のお昼まで寝坊しちゃっても良いからね」


 マジか、それって最高じゃないか。

 じゃなくて、何言ってるんですかこのセクハラ店長は。

 や、まぁ、これはチャンスだって思う気持ちはあるけども。何だろうこの空気。生温かいというか。

 無理矢理言葉にするなら、恋に悩む子供を見守っているような雰囲気だった。

 余計なお世話……な気がするようなしないような。

 二人には色々と感謝はしているけれど、それはそれとして複雑な気分になった。


 ――とまぁ、そんなこんなで私は少年と一緒に眠ることになったのである。

 なったのだ。なってしまったのである。

 どういうこっちゃねん、と首を傾げて脳細胞を働かせてみるけど、まるで意味がわからない。これが事実とは小説より奇なりということなんだろうか。なるほど、わからん。


 ――でも、ちょうど良い機会なんじゃないかって、そういう風に思う気持ちもある。


 ずっと足踏みしていた気がした。

 生まれ変わったみたいに人生をやり直して、少しずつ奪われたものを埋め合わせて、ようやくスタートラインに戻った時から、ずっとだ。

 生きるのに精一杯だった。

 取り戻すのに精一杯だった。

 幸せだと思うようになれるまで、精一杯だったのだ。

 そして、いざ穏やかな日々を送れるようになったら、今度は現状維持ばかり続けている。

 別にそれ自体は悪いことだとは思わない。

 でも、私は思うのだ。

 もっと幸せになりたい、と夢見る子供みたいに。

 その幸せの中には、私がいて、少年がいて、我が子がいて、店長さんも奥さんがいる。

 多少関係が変わることもあるだろう。けれども、そうなっても壊れることのないような――そんな幸せが欲しいと私は思うから。

 だから、私は幸せのために何かを始めていく。

 動き出す。

 ――そうして、私たちは同じベッドに横たわった。


「あの、チーサさん……」


 耳元で囁くような声が聞こえてくる。

 少年のものだ。私の態度を伺っているみたいに、少しだけ声が震えている。可愛い。


「どうしたの? ひょっとして、狭い?」

「い、いえ、ベッドには余裕がありますけど、その……」

「近すぎる、って?」


 少年が指摘するとおり、私たちの距離は限りなく近いものになっていた。二人一緒に掛け布団に包まれている。

 何もせずとも、相手の体温がダイレクトに伝わってきた。

 とても温かい。

 これが現実の幸福であることに安心する。


「ええ、まぁ、その……はい」


 一方で少年は、かなり照れているらしかった。

 無理もない。


「いや、まぁ、はい、じゃなくて、その……チーサさんの、その、あれが当たってるんですけど……」

「当ててるのよ」


 私は少年を抱き締める力を強くした。

 身体のある部分――胸の膨らみを強く押しつけるといった風に、私が女という生き物であるとアピールする。

 もう一度、このパーツを異性に使うとは思っていなかった。

 私にとって、この胸は忌むべき身体の一部だった。これがあったから私は苦しんだのだと。死にたくなるほど痛かったんだと、今でも思う。自分の手で焼き潰そうと思ったくらいだ。

 なのに、今は有効に使おうとしている。

 少年と結ばれたくて、手段を選ばなくなっているのだ。情欲を掻き立てるように振る舞って、望む相手をその気にさせて、事実を作る。

 少しだけ、かつて私を嬲った男たちみたいだと思った。

 私がしていることと、彼らが私にしていることと何が違うんだろう。彼らは私を嬲るために手段を選ばなかった。

 男である彼らは、そのあらゆる男らしさを使って、私を嬲るために全力を尽くした。私という人間を誘導した。私を慰み者にするという結果を求めて。

 私は、彼らとどう違うんだろう。少年と一つになりたくて、結ばれたくて、この身体を使っている。

 暴力は使っていないし、心をへし折ったりも、媚薬を使ったりも、金銭で脅したりも、誰かを巻き込んで人質に取ったりもしていない。

 少し考えたところで、違いに気付く。

 とても大切な願望が一つ。

 ――私は、この少年と一緒に幸せになりたいだけなのだ。


「――少年、聞こえる?」


 私は布団の中で問いかける。

 私の大事な音が、聞こえていますかと。

 窓の外では、今も激しい雨が降り続けている。叩き付けるような風も健在だ。時折、窓枠をガタガタと震えさせている。

 それに比べれば、ちっぽけな音かもしれない。

 でも、私の心臓は叫んでいる。

 ――聞こえるだろうか、私があなたに恋をしていると震えている心臓の声が。叫ぶような音が。


「聞こえ……ます。チーサさんの、音」


 少年が、私の胸の中で呟くように応える。

 気が付けば、真正面から抱き締めていた。胸の膨らみで、少年の顔を包み込む。母親や姉のように振る舞うごっこ遊び。ちょっとだけ恥ずかしい。

 恥ずかしいけれど、聞いて欲しかったから。


「少年は、この音、どう思う?」

「なんだか……震えているみたいに聞こえます。ドックンドックンって慌てているみたいに」

「やっぱり? まぁ本当に慌ててるからね」

「そう……なんですか?」

「そうなのですよ。だって、少年のこと、抱き締めてるんだもの。幸せすぎて慌てちゃう」

「幸せ、なんですか?」

「うん、幸せ」


 今の私は、奇跡みたいなものを体感しているんだと思う。

 地獄のような場所から逃げた先で、人生を再スタートさせることが出来た。心を許せるような人たちと出会った。我が子を少しずつ愛せるかもしれないと思えるようになった。

 そして、少年と出会った。

 これを奇跡と言わずになんと言えば良いんだろう。幸せすぎて、気を緩んだら泣いてしまいそうだ。

 今なら、死んでも良いんじゃないかって思う。幸せのまま死ねれば、それで充分だと。今なら何でも出来そうな気がする。

 ――だから、私は勇気を振り絞った。


「少年」

「……はい」

「私はね、少年のこと、好きだよ」


 言った。言ってしまった。

 もう取り返しが付かない。戻らない。何があろうと前に進むしかない。上等だよ。

 色々と汚れたり穢れたりした私だけれど、まだ心は震えているんだ。心臓が動いてくれるんだ。誰かを好きになる気持ちが生きているんだ。死んだままでなんかいられない。

 ――死ぬのは、幸福に生きた先でと決めたのだから。


「……」

「……」


 互いに沈黙する。するしかない。

 ほとんど一方的ではあるけれど、とても大切な告白だったのだ。恋や愛を言葉によって明確にする。

 呪いみたいだ、と少しだけ思う。

 どんな返事が来るんだろう。

 はいか、いいえか、それ以外か。それとも何も言ってくれないかもしれない。どうなんだろう。少年は私を選んでくれるだろうか。わからない。不安だ。

 ――不安すぎて、怖くなる。

 さっきまで、強気で前向きだった自分はどこかに行ってしまった。今ここにいるのは怖がってる自分だけ。誰かに運命を委ねているみたいで。

 怖い。本当に怖いんだよ。

 こんなに怖いのは、産まれて初めてかもしれなかった。暴力などの人を害する攻撃を受けたわけでも無いのに、今の私は子供みたいに未来に怯えている。

 でも、不思議だ。

 ――ちょっとワクワクしてる。


「チーサ……さん」


 そして、少年が私を見た。

 何も映すことが無い、オモチャのような眼球で。

 それでも、まっすぐに――私を捉えていた。

 眼球の奥にある脳で、私のことを真正面から見つめていた。

 告白の答えが返ってくる。


「――僕も、チーサさんのことが好きです」


 まるで、流れ星のように。

 或いは、小さな隕石のように。

 降り注いで――私の心臓に直撃する。


「――」


 息が出来ない。

 殺された、と思った。

 嬉しくて苦しくて、もう死んでしまっても良いような気がしてくる。幸福に死ねるような気がする。

 これが永遠に続くのであれば、いつまでも幸せに生きていけそうな気がした。


「ずっと、一緒に、いてくれますか?」


 少年が問いかける。

 もうとっくに答えは決めていた。

 ――そして、私は永遠を誓うようにキスをした。






 そして、私たちは一つになった。

 暗い部屋の中で、互いの体温を分け与えるようにしながら、肉体を絡ませ合う。

 私は、今、産まれて初めて――本当で本物のセックスをしている、と思った。

 それに比べると、過去に自分が受けてきたセックスとは何だったんだろう。吐き気がするほど偽物だ。

 本物でも、本当でもない。

 どうして、私は今まであんなものを本当のセックスだなんて思って生きてきたんだろう。

 あれは、ただの性暴力でしかなかったのに。

 こんなにも、幸せで、満ち足りたものじゃなかったのに。


「……チーサ、さん」


 少年が私の名前を呼ぶ。

 キスの後に、セックスの最中に、私を求めるようにその名前を声に出してくれる。

 そのことが、どうしようもなく嬉しい。

 ――それからしばらくして、私たちは同時に果てる。


「あ、あの、チーサさん、そのごめんなさい……」

「良いって良いって」


 そうして、何もかも終わってから、避妊をしていなかったことに気が付いた。

 少女チーサ、色んな意味で痛恨のミスである。

 うっかりしていた。というか完全に忘れてた。我ながら馬鹿である。阿呆である。さすが元肉便器。常識が狂っていた。

 考えてみれば、避妊しても良いセックスなんて、これが初めてではなかろうか。

 思い返してみるけど、一回も出てこなかった。泣きたい。クソッタレと叫びたくなってきた。

 次回はしっかりしておこう。うん。

 ――でも、今は。


「――ねぇ、少年」


 今の私は、とても良い気分だった。

 避妊とか忘れていたけど、下手すれば妊娠したかもしれないとは思うけれど、でも本当に良い気分だった。

 これが幸せって言うのかもしれない。

 ふと、その気持ちを茶化したくなって、からかうような言葉が口を突いて出てくる。

 ――そうなったら、そうしようと思ったことを。


「孕んでいたら――産んじゃうね」


 少年は、顔を紅くして小さく肯いた。

 私は、泣きたくなるほど嬉しかった。






 気が付けば、数日が経っていた。

 今となっては大雨の気配はどこにもない。空を仰ぐと、そこには果てが見えないほど広い青色と、照りつけるように輝く太陽だけがある。雲一つ欠片も見当たらない。

 雨の日に隠れていた虫や鳥の声も、今では元通りの日常を取り戻したみたいに聞こえてくる。

 とはいえ、厳密に言えば完全に元通りというわけじゃない。大雨や風の影響が、ほんの少しだけ傷跡のように残っている。

 まぁ、もっぱら被害を受けたのは酒場担当の美人店長だけだが。なんでも客が少ないからと開店中に酒を飲み始めたら、完全にテンションが狂ってしまったらしく、大雨の中に飛び出して数時間ぶっ続けで踊り始めてしまっただとか。

 今は風邪で死にかけらしい。ポーションの差し入れはしたし、それなりに心配はしているけど、ざまぁみろと思う。というか酒に飲まれるほど飲むのはどうかと思う。本当に。

 まぁ、無理矢理アルコールを流し込まれて酔わされて、真っ昼間の大通りで全裸で踊らされた私よりはマシ……思い出すのは止めよう。碌な気分にならない。

 ――それはさておき。

 あの夜に、私と少年の関係は変わったと思う。精神的にも肉体的にも結ばれたからだろうか。

 誰かに奪われたままの何かを幾つか取り戻した気がした。誰かを好きになるということ、誰かを愛したくなるということ、私が私のものであるということ。

 私は、生きている。

 素直にそう思う。生きているから、幸せに死にたいと思う。最初から最後まで幸せに包まれていたい。そう願うのは罪でも何でも無いはずだ。当たり前のことのはずだ。

 だから、私はもう少し勇気を持とうと思う。

 この幸せは私のもので、誰にも手放したくないから。

 ――ずっと守っていくための勇気が欲しい。


「――本当に、大丈夫ですか?」


 雑貨屋のカウンターで荷物を確認していると、少年が心配そうに問いかけてきた。

 窓から見える村の景色は、明るくて色鮮やかだ。太陽が眠気を飛ばしたばかりといった時間帯である。


「あはは、多分、大丈夫」


 私はわざとらしく大したことないと笑いながら、荷物の確認を済ませる。荷物を収納可能な空間魔法系アーティファクトは、正常に動作可能。中身は空っぽ。あとは買ったもので埋めるだけ。

 念のため財布の中身も大丈夫だ。ダミー財布もポケットに装填済み。準備完了。

 あとは前を進む勇気だけだ。


「ちょっと街に行って、買い物してくるだけですから」


 今日は、世間一般的に言うところの休日だ。

 過疎化が進むこの村でも例外じゃない。

 私はこの休日を利用して、少し離れた場所にある街――この村より人気のある――に行き、足りなくなった薬草を調達しに行くことにしたのである。

 ……いや、本当は、もっと曖昧な理由だ。

 私は、この村を第二の故郷と決めた。それは雑貨屋の人たちを初めとする村の住人たちを受け入れられたから、というのもあるけれど、その後に出来たもう一つの理由がある。

 この村の外が、怖くなったのだ。

 かつて私は地獄の中にいた。それ耐えられなくなって逃げてきた。運命からも逃げ切ろうとしたみたいに。

 そうして辿り着いたのが、この天国のような村だ。それに比べると以前いた場所は地獄そのもの。

 いや、ひょっとすると、この村の外側は全てが地獄だったのでは無いか――そういう風に思えて。

 だから、私は村の外に出ようとは思わなかった。

 天国にずっといたいと思っていた。

 でも。


「無理しなくて良いのよ、チーサちゃん」

「そうだよ、もう少し様子を見ても……」


 店長さんと奥さんも、心配そうに私を見ている。

 そんなに心配してくれなくても良いのに。


「でも、チーサさん、街に行くの怖がってたじゃないですか」


 そうだ。少年の言うとおり、まだ怖い。

 かつて逃げた地獄が、また目の前に姿を現すんじゃ無いかって、子供みたいに怯えている。

 でも。


「――少年」

「……はい」


 私は、まだ少年をそう呼ぶ。

 結ばれても、ほんの少し勇気を取り戻しても、まだ私は彼の名前を呼べていなかった。覚えてはいる。忘れてもいない。

 ただなんとなく、まだ照れくさいんだ。

 私にとって、少年は出会った時から少年で、好きになった時も少年で、結ばれた時も少年だったから。

 大好きなままの、少年だから。

 ――でも。


「私はね、もう少し勇気が欲しくなったんだ」


 だから、私はもう一歩踏み出そうと思う。

 かつて逃げ出した場所へと、徹底的に石橋を叩きながらでも良いから、ほんの少しはと。

 前に進みたいんだ。

 前を見据えていたいんだ。

 ――少年のことを、名前で呼んで生きていきたいんだ。


「大丈夫。ちゃーんと無事に帰ってきますから」

「……」

「約束しますよ」

「……約束ですよ、チーサさん」


 そして、私は約束を交わすと荷物を背負った。

 店の外へと一歩踏み出そうとして――。


「――」


 その前に、我が子を見た。

 奥さんの腕の中で、すやすやと眠っている。何の不安も無いみたいに穏やかな顔だ。産まれた過程はともかくとして、本当に可愛い子だと思う。

 私は、この子の母親になれるだろうか。

 わからない。

 でも、なってみたい、とそう思う。


(――帰ってきたら、名前、考えてあげよう)


 もう一つだけ決めて、今度こそ歩き出す。

 前を向く。

 どこまでも広がる青空が見える。

 背中を押すような少年の声が聞こえた。


「いってらっしゃい――チーサ」

 行ってきます。

 そう返事をした時の私は、すごく笑っていたような気がした。

(伏線とか投げっぱなしだけど)めでたしめでたし。

――本当に?


これにて、更新は終了です。

この続きは現在も執筆中。

来年にノベルゲームという形で公開できればと考えております。

では、その時までに。

いつかまた。

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