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SCENE 3『ファムファタールは初めてキスをした』

 穏やかな日々を送っていると、これが永遠に続くんじゃないかと思うことがある。

 もちろん、そんなのは錯覚だ。始まりに終わりがあるように、永遠なんてものはない。人生は円環ではないのだから。

 それでも、思うことは自由だから、永遠を夢見てしまう。

 二人はいつまでも幸せに暮らしました。めでたしめでたし。なんて、ありきたりな物語の締めくくりみたいに。

 子供っぽい夢だろうか。砂糖菓子のような夢物語。根拠のない空想で作られた、あり得ない幸福の詰め合わせ。

 そうだ。これはあり得ない夢の話だ。

 いつまでも永遠に幸せなままでいられるなんて、そんな夢物語なんてあるわけがない。私の人生は一度完膚なきまでに壊されたことがあるのだから。

 壊されたら、もう戻らない。

 この世界の大半は、優しくないものだけで出来ている。自業自得だと認識されたら、誰も助けてくれない。お前が悪いんだとレッテルを貼られてからは食い物だ。そして、結果的に加害者と被害者が誕生する。その繰り返し。

 現実なんてそんなものだ。ソースは私。当事者の言葉が嘘だと思うなら、実際に被害を受けて、私と同じ苦しみを体感してみれば良いよ。本当に死にたくなる。

 死にたくなることがあったくせに、私はあり得ない夢を見てしまう。叶って欲しいと願ってしまう。

 永遠の幸福を。当たり前のことを求めるみたいに。

 ――私の人生が、幸福なまま閉じられるのを、いつまでもいつまでも、夢見る子供のように願っている。






 その日は雨が降っていた。

 本当に酷い雨だ。

 午前中は雲一つ無い青空が広がっていて、洗濯物や干物を乾燥させるのにうってつけな日という感じだったのに。

 なのに、昼を過ぎた途端にご覧の有様だ。青空はドブネズミのような雲に覆い隠され、少し触れただけでもビショ濡れになりそうな重い雨粒が降り注いでくる。

 それに加えて、風も酷かった。

 まるで何もかもを薙ぎ払うかのような勢い、と言うと大げさかもしれないけれど、この風の音を聞いていると、私の人よりも小さめの身体が吹き飛ばされて、そのまま遠くへと攫われてしまいそうだ。半分冗談だけれど、もう半分ほどは本当にそう思えてくる。

 ――本当に、酷い雨だった。


「――酷い雨ですね」


 同調するかのように、少年の声が聞こえる。たったそれだけの言葉が、沁み込むように心地よい。

 私たちはいつも通りに店番をしていた。椅子に座って、肩を並べて、ぼんやりと話をしながら客が来るのを待っている。今日はもう来ないだろうと確信しながら。


「お客さん、今日はもう来ないかもしれませんね」


 少年も私と同じように感じたらしい。

 なにせ、外は完全に土砂降りな上に、常連含む客は午前中のうちに入店済みだ。ほとんどの客が必要な買い物を慌てて済ませていき、雨が本格的になる前に去って行った。

 あれきり客は誰も来ない。それもそうだ。今の雨音を聞くと、誰だってこんな大雨の中を歩く気が無くなると思う。雨風に揉みくちゃにされたい人か、怪我をしたい人なら話は別だが。

 何はともあれ、誰も来ない。

 私たちは暇だった。

 手持ち無沙汰になるくらいに。


「どうしましょうか」

「どうしましょうね、チーサさん」


 本当にどうしたものか。

 早々に店仕舞いにしても良いが、ポーションを目当てに急な客がやってくる可能性がないわけではない。

 魔法が生活に浸透したこの世の中では、多少の病気や怪我などは魔法でどうにかなるが、それらは対象の自然治癒能力を活性化させるものが大半だ。疲労困憊だったり、体力のないものには効果が期待できない。

 ポーションなどの薬は、使用者の体力を補いつつ自然治癒能力を高めることが出来る。魔法と同時に使えば効果は劇的に上昇だ。よっぽど酷い怪我で無い限り、なんとかなる。

 そのポーションを売っているのが、村の中ではほとんどここだけだ。万が一のことがあったら、ここに駆け込むしかないわけで。

 そんなわけで店仕舞いを渋っているわけだが――。


「万が一に何か、ありそうですかね?」


 疑問系になってしまうのは、不安の表れだろうか。

 万が一というのは、稀によくあることだから怖いのである。可能性が虚無――じゃなくて、皆無でないのが問題なのだ。つまり起きない時は起きないが起きる時は起きる。本当に起きてしまったらおしまいなのだ。


「ないとは思いますけど……うーん」


 少年も不安げである。

 心配性と言えばそれまでかもしれないが。喩えるなら、喉の奥に刺さった小骨みたいな悩みだ。即決できない優柔不断な気分になる。

 このままじゃ、うんざりしそう。


「――チーサさん、今日泊まりませんか?」


 そんな中、ふと思いついたように少年が言った。

 素晴らしいアイディアが浮かんだとばかりに良い笑顔を浮かべている。可愛い――じゃなくて。

 なるほど、たしかに私が泊まれば万事解決しそうな気がしなくもない。閉店まで店番できるし、土砂降りの雨風に巻き込まれながら帰らなくても済むし、何より少年と一晩一緒に寝ることが出来るかもしれないからだ。なるほど。なるほどなるほど、確かにこれは良いアイディアだ。あっはっは。

 じゃなくて。


「少年、その、何? なぜに、そういう発想に?」

「こうすれば、チーサさん、閉店まで店にいてくれますよね」


 いやまぁ、たしかにいるだろうけど。


「外も雨とか風とか酷いですし」


 今もザーザー降り続けている。たまに窓枠がガタガタと揺れているような軋んでいるような音が聞こえてくるのが、ちょっとずつ不安を煽ってきた。


「というか、赤ちゃん抱えたまま外に出れます?」


 ついでに指摘された。ちょっと考え込んでみる。

 外に出たらどうなるか。

 まずズブ濡れになること間違いなし。雨具があっても、濡れ鼠と化してしまいそうな気がする。

 或いは、風に飛ばされてどこか遠くへと、どんぶらこどんぶらことどこぞのお伽話みたいに――んなわけないけど。

 でも、ありそうでちょっと怖いかもしれない。

 何はともあれ、これ以上外に出たくないお天気であった。


「あとは、まぁ」


 少年は他にもまだあるみたいに言う。

 他にどんな理由があるって言うのだろう。

 その疑問に答えるように、少年は少し勿体ぶったような口調で続ける。


「――僕も、チーサさんと一緒に寝たいですから」


 本当に、なんてことを言うんだろうか。

 この少年は。この男って生き物は。

 ストレートにぶつかってきたと思ったら、爆弾を抱えての自爆特攻だったという感じ。おかげで私の頭の中は、しっちゃかめっちゃかな汚部屋状態である。


「あっ、い、いや、その」


 その一方で、少年は自分の発言に問題があったことに気が付いたらしく、じたばたと慌てだした。

 顔を真っ赤に染めて、手を小さく振り回している。

 なんだろう、可愛い。


「寝たいって、そういうことじゃなくて」


 そして、こぼれ出る言い訳じみた言葉。

 次から次へと洪水みたいに溢れ出てきた。


「いやまぁ、チーサさんとならって思う気持ちが無いわけじゃないんですが、本当はもっとこう、普通の意味で寝たいってことで、一緒にお泊まりしたいなとか、つまりはそういうわけなんですよ、もっと、プラトニックに」


 なんというか、だだ漏れであった。


「……あっ」


 ピタリ、と少し遅れて少年の言葉が止まる。

 言い訳が失言と化していたことに気が付いたらしい。なんというか資金繰りに失敗して、内蔵を売るレベルの借金を背負わされたような顔をしている。どんな顔だ。

 ――その一方で、私もおかしくなっている。


「ぷ、プラトニックに……?」


 何か言わなくちゃと思って、無理矢理絞り出して、声に出したのがそれだけだ。

 プラトニックってなんだっけ。どういう意味だっけ。思考がこんがらがってまとまらない。頭の中が痒いのかもしれない。

 いけない。早く正気に戻るんだチーサ。


「よ、ようするに、雨が酷いから一泊してってことよね。うん、それで合ってるわよね。そうよね」

「そ、そうです。万が一があったら困るので、この家にいてくれた方が良いです。はい」


 結局、私たちが出来たのは早急に話を纏めてしまうことだけだった。空気は死んでいる。唇はひび割れそうなほど乾いていて、潤滑油を差さないと軋む音が聞こえてきそうだ。

 ほら、耳を澄ませてみると、ぱしゃぱしゃという音が。

 ――ぱしゃぱしゃ、って軋むような音だったっけ?


「ご、ごめんくださいっ」


 思考を巡らせているうちに、いきなり店の扉が開いた。ズブ濡れの男が店内に入ってくる。

 少し遅れて、客だ、と認識が追いついた。

 意識を切り替えて接客する。


「いらっしゃいませ、何か入り用ですか?」

「あぁ、ポーションを一つ……酔いに効くヤツ」


 その男性客は、苦しそうな顔でそう言った。今すぐでも吐きそうだ。あまり見ない顔である。

 どうやら最近やって来たばかりの冒険者らしい。

 薬草を採取に来た、という感じだろうか。

 この村を訪れる冒険者は、大抵が薬草を採りにやって来る者ばかりだ。何せ、この村の近くにある森は、質の良い薬草が生えることでそこそこ有名だ。そこでしか取れないものもあるとか。

 依頼を受けて採取しに行こう――と思った矢先に、土砂降りに出くわして、仕事できずに仕方なしに飲んだくれてたら、気持ち悪くなってきた、というところだろう。

 ここでは割とよくある話である。


(あの店長ったら、んもう……)


 アルコール酔いに効くポーション――アルコールを緩和しつつ、荒れた胃腸を癒やす代物だ――を取り出しながら、私はため息を吐く。

 この村には、宿屋と酒場と食堂を合体させたような施設がある。外から来た人間は、だいたいがそこで飲み食いをする。村の住人も自炊する気力が無い時に使ってるが。

 それはさておき。


(ストック切れたら、すぐに注文しろってのに……)


 大方、酒場担当の美人店長のせいだろう。

 需要と供給があるっていうから、酒場に置くためのポーションを納品してたってのに。

 飲んだくれてるうちに、記憶からすっぽ抜けたんじゃなかろうか。かなり残念な美女だと思う。


(間接的にしわ寄せが来るのはこっちなんだから。今度忠告せねば)


 小さく決意しつつ、私は男性客から代金を受け取って、小さな瓶に入ったポーションを差し出した。

 男性客はそれを慎重に受け取る。アルコールで酷いことになってるせいか手がぷるぷると震えている。大丈夫だろうか。

 ふと、目が合う。


「ど、どうも……うっ!?」


 ――その時、男性客の表情がこわばった。

 何かを見ている。

 何を見ているんだろう。

 何を見てこんなに驚いているんだろう。

 ――なんて逃避をするな、チーサ。


「あ、あはは……どうも」


 私は、苦笑いして誤魔化した。

 言葉を濁す。演技するみたいに取り繕う。

 よく言われるんですよ、気にしないでくださいよ、だからあなたも何もなかったみたいに振る舞ってくれませんか。ちっぽけな同調圧力。祈りに似た願い。


「あ、ありがとうございました」


 男性客は逃げるように店を飛び出していった。

 ポーションをしっかりと抱えて。

 きっと彼は宿屋に戻って、ポーションを飲んで、ぐっすり眠るんだろう。明日になって天気を確認して、今日はどうするかなって考えて決めるんだろう。

 その時には、私のことを忘れてくれるだろうか――。

 ――なんてね。


「――チーサさん」


 少年が少し悲しそうな顔で、私の名を呼ぶ。

 不思議だね。私は平気なのに、どうして君がそんな顔をするんだろう。ちょっと嬉しくて貰い泣きしそうな気がするよ。

 ひょっとしたら、君は私が悲しくなったら、代わりに泣いてくれるんじゃないだろうか。私のために泣いてくれるのだ。

 そうだったら、本当に嬉しいかもしれないな。

 ――私は、私の顔に手を当てる。

 化粧で少しだけ誤魔化した顔を。

 今でも疼く、火傷の痕がある本当の顔を。

 おそらくあの男性客は、それを見抜いたんだろう。近くで見たからだろうか。それとも勘が良かったんだろうか。はたまた私の化粧が杜撰だったんだろうか。

 どっちでも、何も変わらないけれど。


「――あの、チーサさん」


 少年が私の名前を呼ぶ。

 チーサ。

 私が私のために作った名前。自分自身で決めた名前。本物にすり替わった偽物の名前。

 どこに行っても、小さな私。

 小さな少女――チーサ。

 私は小さい人間なのだ。小さい生き物なのだ。小さくて小さいのだ。小さな運命に潰されるくらいに。

 だから、私はチーサなんだ。

 顔を焼いて生まれ変わった、小さな生き物なんだ。

 ――そうなるって、私が決めたから、なったんだ。

 うん、だから大丈夫だよ。

 本当に大丈夫なんだ。

 ちょっぴり嬉しいくらいなんだから、本当だよ。


「――泣きそうな顔してますよ、チーサさん」


 ふと、抱き締められた。


「本当に、私、泣きそうな顔してる?」

「そう思います」

「あはは、そうだったら嬉しいね」


 不自由な歩行で、けれども触れるほど近付いてくれた少年の温もりを感じながら、私は笑う。或いは微笑む。

 大丈夫。私は嬉しくてたまらないんだ。


「今晩、お世話になっても、いいかな」

「……はい」


 私は泣かない。

 だって、少年が抱き締めてくれた。

 もう離さないみたいに、ぎゅっと腕に力を込めてくれる。温かくて、胸の中が締め付けられたみたいに苦しくなって、困ってるのに笑いたくなる。

 これが、幸せなんだと思いたくなるくらいに。

 ――私はそれが永遠に続くような気がして、泣きたくなるほど嬉しかった。

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