103話 とある見習いメイドが見た世界
あたり一面に広がる赤。
全てのものに燃え広がる赤色。
何処を見渡しても、赤、赤、赤。
これは夢だ。
何度も何度も繰り返し見るあの夢だ。
私達の行った魔術の、共同魔術を失敗したあの時の夢だ。
失敗して、火に包まれ。
失敗して、傷を負って。
失敗して、色んな物を失った。
あの日の夢だ。
これは魔術学院で私達の班が失敗した共同魔術、大規模な火魔術の失敗の記憶だ。
結局なにが悪かったかは分からない。
確かに難易度が高い魔術であったとは思う。
だが私達なら出来ると思ったのだ。
思って一生懸命準備した。
出来るだけ安全になるように細心の注意を払ったはずだった。
だけど失敗した。
少しのミスが、まだ巻き返せると思ったミスが連鎖的にミスを引き起こして、不味いと思った時には制御する事も、逃げる事も出来ない状況になっていた。
一瞬だった。一瞬で私達全員が炎に囲まれてしまった。
必死で生き延びようとした。
残りの魔力を全力で注ぎこみ、もうほとんど制御出来ていない魔術を必死の思いで続けた。
炎がこれ以上近づいてこないように皆で必死に炎を押し戻すように制御した。
しかし、一度勢いが付いた炎は私達の渾身の力でもどうにもならず、私たちに襲い掛かってきた。
それでも私たちは必死にもがいた。
顔や体に熱や痛みを感じながら必死に生き延びようともがき続けた。
もがいてもがいてその後の記憶はない。
ここで夢は自分の部屋の、ベッドの上に寝ている場面に切り替わる。
ここからは、あの事故から奇跡的に助けられた後の記憶だ。
私があの事故の後、最も長い時間を過ごした場所の記憶だ。
私達はあの事故現場の近くにいた人たちによって全員助けられ、何とか一命をとりとめた。
しかし意識を取り戻した私達に待っていたのは辛い現実だった。
回復薬によって命は繋いだが、あの事故で受けた痛みと苦しみは傷は心にも体にも残ってしまった。
そして私にも火魔術への恐怖と顔にやけどの痕が残った。
あの規模の火災に巻き込まれたにしては、顔のそれも右側の小さな部分だけというのは控えめに見て奇跡的とも言えた。
もしもの時を考えて耐火装備で全身を覆っていたのが良かったのかもしれないし、最後の最後まで皆で懸命にあがいたのが良かったのかもしれない。
私の周りの家族は皆して、この程度で済んでよかったと喜んでくれた。
私も最初はそう思った。
命が助かってよかった。
この程度の傷で済んでよかった。
そう思ってた。
一命はとりとめたものの、心と体に受けた傷は直ぐに治るものでもなく、日常生活をするにも大変な事が多かった。
だから私たちは魔術学院を休学し、魔術学院のある中央からそれぞれの家にある地方へと帰った。
私は最初、少し大げさだと思った。
それなりに大きな怪我だが、中央にある家でも十分療養できるし、何よりも治ったら直ぐに復帰できる。
だから別に帰らなくても、そう思ったが、両親の特にお母さんの凄く心配しているため、帰る事にした。
家に帰った私に待っていたのは、事故の事で私の事を心配してくれていた家族だった。
母も父も兄も妹もみんな、私の姿を見て、とても悲しんでそして無事だったことをとても喜んでくれた。
前と変わらず、いや少し過保護になった家族に囲まれて私は療養生活をしていた。
友人も沢山訪ねてくれた。
皆、とても心配してくれて、命があってよかったと言ってくれた。
パトリシアお嬢様も一度お見舞いに来てくれた。
既に魔術学院で生活していたのにわざわざ会いに来てくれたのだ。
とても嬉しかった。
少ししたら、もう少し良くなったら、直ぐに魔術学院へ帰ろう。
そう思ってた私の元に婚約者である、あの人が尋ねて来たのもこの頃だ。
彼は、私のような弱小貴族の家とは釣り合わない、とても古く大きな家に生まれた人だった。
本来であれば、婚約など決して成立しないような差が両家にはあったが、彼のたっての願いで決まった話だった。
何でも、子供の頃、一度会った時に好きになってくれたらしい。
婚約の話が来た時も、直接本人から私の事を心から愛しているという言葉を貰った。
遠くに住んでいる彼と会う事はほとんどなかったが、毎年誕生日になるとプレゼントを贈ってくれるのを楽しみにしていた。
その彼が、私の事故の事を聞きつけてわざわざ遠くから、駆けつけてくれたのだ。
当然、顔にやけどの痕が残っている事も聞いているらしい。
その事が向こうの家で問題になっており、婚約を考え直せと言われているらしい。
ただ、彼はその事を全く気にしてないと言ってくれた。
今回の事故の事は残念に思っているが、その事を聞いてもなお、私への気持ちは少しも変わっていない。
そう言ってくれた。
とても嬉しかった。
こんな姿になっても、まだ好きでいてくれる人がいてくれる事がとても嬉しかった。
だから、そんな彼からの願いを簡単に聞いてしまった。
彼は帰る間際、私の顔が見たいと言ってくれた。
包帯で隠された素顔が見たいと。
私の顔の右半分を覆う包帯を取って欲しいと。
止めてその包帯は取らないで。
そう思ってもダメだ。
夢の中の私は言われるままに包帯を取った。
取ってしまった。
その時の彼が夢の中で再現される。
彼が息を飲むのが分かる。
顔が引きつっているのが分かる。
その時は気が付かなったが、夢の中なら分かる。
彼の表情の意味が、今なら分かる。
彼は私に、「その傷があってもそれでも尚、あなたは美しい」
そう言ってくれた。
私はその言葉が本当に嬉しかった。涙が出るほどに。
彼の本心には気が付かず。
そうして彼が出て行った後、私は彼にお礼を言っていないのに気が付いた。
わざわざここまで駆けつけてくれた事も、こうして私を励ましてくれた事も。
何一つ、彼にお返しが出来ていない事に気が付いた。
だから私は追いかけた。
部屋を出て、追いかけて彼にお礼を言おうと思った。
止めて追いかけないで。
その願いも虚しく、夢の中の私は玄関を出た直後の彼に追いついてしまう。
「あれはダメだ。傷を見るまでは、そんな事はないかと思ったが見たらダメだったな。やけどの痕ってあんなに醜いものなんだね。あれはダメだ。ああなったらもう女としておしまいだな」
後ろにいる私に気が付かず夢の中の彼がそう言い放つ。
この後、私はどうしたかは覚えていない。
その後の記憶はとてもあいまいだ。
ただ覚えている事は、ずっと部屋に籠って誰にも会えなかったという事だけだった。
その後、彼からは正式に婚約解消の連絡が来た。
手紙には親を何とか説得しようとしたが無理だった、済まないとか言う文言が書いてあった気がするが直ぐに捨ててしまったので、よく覚えていない。
彼と会って以来、人の目が怖くなった。
皆が皆、私の事を心の中で醜いとさげすんでいると思ってしまうからだ。
そして、その中でも特に男の人の視線は駄目だ。
男の人に見られると恐怖で何も出来なくなった。
気分転換に私は私に出来る事を探した。
女としての幸せが無理なら、私は魔術師として頑張ろう。
そう思った。
そう思って再び魔術師の修行を始めた。
あの事故の日以来の魔術。
震える手を抑えて、私は魔術の訓練を始めた。
まずは簡単な魔力の操作。
できる。
長い間、使っていなくてもすんなりと出来た。
やれる。
魔力の量を増やしていく。
魔力の操作を複雑にしていく。
できる。
簡単にできる。
これなら。
この勢いのまま、私は魔術を行使する。
まずは一番簡単な種火の魔術だ。
火の魔術で一番最初に習う魔術。初歩中の初歩。
目をつむったって出来る簡単な魔術。
魔術を発動させた。
はずだった。
魔術が発動しない。
それどころか今までよどみなく出来ていた魔力操作がうまく出来ない。
火魔術を使う寸前になるとまるで制御できない。
あっという間に自分の手の中にあったはずの魔力が霧散していく。
原因は分かっている。
あの時の事が頭をよぎってしまうのだ。
そのせいで魔力がうまく制御できない。
いやそうじゃないかもしれない、自分で火魔術を使わないように無意識のうちに止めているのかもしれない。
とにかく火魔術は使えない、その事が分かった。
じゃあ、土魔術は? 土魔術ならどうだろうか。
そう思い、魔力を集めようとしてやめた。
もし、これで土魔術まで使えなかったら? 私が使える全ての魔術が使えなかったら?
その事を考えると怖くなってしまった。
怖くなって、土魔術を試す気にはなれずそのままその日は部屋に帰って眠りに着いた。
次の日も、その次の日も。
その日から私には本当に何もなくなってしまった。
女としてもダメ
魔術師としてもダメ
私には何も本当にもう何もなくなっていた事に気が付いた。
そこからは地獄だった。
私は部屋から一歩も出れなくなった。
人の目にさらされるのが怖い。
何かをして何も出来ないことが怖い。
そんな恐怖にかられて、ただただ部屋に籠って過ごした。
部屋に籠って籠って誰とも関わらず死にたかった。
ただそんな私を見捨てないでくれる人達がいた。
両親、妹、そしてお嬢様。
こんな、何もない私を励ましてくれた。
方々に手を回して私の傷が少しでも癒えるよう、色んなことをしてもらった。
全ての事を諦めていた私に希望をくれた。
そんな支えられる人達の為にももう一度、立ち上がろう。そう思い、頑張った。
少しずつ時間が解決してくれる。
その言葉を信じて少しずつ少しずつやってきた。
本当に少しずつ。
そうして何年も時間が流れた。
何年もかかって少しずつ良くなっていった。
部屋から出れるようになった。
人と話せるようになった。
仕事が出来るようになった。
男の人の前に立っても立ち竦まなくなった。
でも駄目だ。
少し進めた。今度こそ立ち直れた。
そう思うたびにこの夢を見る。
夢は再び炎に包まれた場面に戻る。
失敗したあの日に。
全てを失ったこの場面に戻る。
この夢で、この炎で色んな事が甦る。
あの時の痛み、苦しみ、後悔、懺悔が甦る
色んなものがこの熱さで甦る。
あの時、死んでいたらこの苦しみを味合わなくていいのだろうか。
そんな事を思いながら生きていく。
熱い熱い熱い熱い
私は後どれだけこの夢を見なくてはならないのだろうか。
辛い辛い辛い辛い
お願いだれかこの炎を
この記憶を消して
消して下さい
何度願ったか分からない願いをする。
両手を握って何度も何度も願う。
何度願っても叶えられない、そんな願いをまた今日もする。
このまま、目が覚めるまで何度も。朝が来るまで何度も。
しかしそんな時、ふとこの両手を誰かに握られた感触がした。
その感触と共に、握っていた両手に優しい温もりを感じた。
身を焦がすような熱さではない。
じんわりと体を温めてくれる、そんな優しい熱だ。
こんな事は初めてだ。
この繰り返し見る夢の中で初めて感じる痛みとは違うものがそこにあった。
その優しい温もりを逃さないように、すがるように集中して感じていると、それは次第にそれ大きくなっていく。
両手から徐々に腕に、肩に、胸に徐々に広がっていく。
広がっていたその温もりはやがて全身を満たしていった。
そして、最後、最後の最後に炎に纏わりつかれて痛むはずの顔の傷にまで浸透していく。
痛みが、長年苦しんだあの痛みが和らいでいくのを感じる。
あんなに痛くて痛くて痛くてうずくまる事しか出来なかった、あの痛みが軽くなっていく。
相変わらず痛みはある。
だが、それと同時に温もりを強く感じた。
これなら、これなら今度こそ、私は――
そう思った瞬間、今感じているものがどんどん薄くなっていくしていく。
夢から覚めるあの感覚だ。
この苦しみから解放される安堵とこの優しさが感じられなくなっていく寂しさみたいなのを感じながら意識は覚醒していく。
目を開けるともう自分の体中に満ちていた痛みも温もりも全部嘘のように無くなっていた。
それどころか、どんな夢を見ていたのかも急速に分からなくなっていった。
自分はどんな夢を見ていたのだろうか。
体がぐっしょり汗をかいている事から、あの火事の夢であることは間違いないと思う。
でも不思議だ。
あの夢を見たならもっと気持ちが沈んでいていいはずだ。
何とか仕事が出来るようになった今でも見るとその日は一日は引きづってしまう夢なのに。
不思議と嫌な気持ちがしない。
何か大切な物を得たようなそんな気さえするのだが、一向にどんな夢だったか思い出せない。
暫く、ぼーっと夢の事について考えていたが何も思い出せそうにないので起きることにした。
ベッドから降りて化粧台の前に座り身支度を始める。
何時ものようにまずはお化粧からだ。
顔の傷を隠すための厚めの化粧をしよう。
そう思い立ち、道具を用意している時に、ふと机の奥にしまっていた手鏡が目に留まった。
何時もは絶対に化粧をするまで、いや化粧をしても鏡なんか見ないのだが、何故だか今日は鏡を使ってみようと思った。
鏡を使って自分の顔を見て見たくなったのだ。
何故、そんな事を思ったのかは分からない。
もしかしたら今日見た夢のせいかもしれない。
何年も見ていなかった鏡をのぞいてもいいような、覗いたら何かが変わっているようなそんな気がした。
だから、思い切って鏡をのぞいてみる。
そこには、相変わらず顔の右側にやけどの痕をつけた辛気臭い女の顔があった。
まあ、それはそうだろう。
不思議な夢を見たからと言って何かが変わるわけでもない。
昔、嫌というほど思い知らされた現実なんてそんなもんだ。
しかし、まあそれだけだった。
昔は見るだけで胸が締め付けられたあの顔の傷を見たのに、感想はそれだけだった。
涙が出る事もなければ、胸が張り裂けそうになるほど苦しいと感じる事もなかった。
やけどの痕があるな、くらいのものだ。
そうか、いつの間にか大丈夫になっていたんだ。
今度こそ、本当に。
何だかとても嬉しくなってきた。徐々に徐々にだが、嬉しさがこみあげて来る。
まじまじと傷痕を見る。
こんなに見たのは久しぶりだ。いや、初めてかもしれない。
よく見ると、そんなに大きくもないし、醜くもない。
むしろ、少し愛嬌があるのではないだろうか。
これなら化粧もせず、仮面もつけないでも生活できるのではないだろうか。
まあそんな事はないや。普通に不気味だ。
不気味な傷痕を顔に付けた女だ。
さっさと化粧をしてしまおう。
コンコン
「クレア、いくらなんでもそろそろ起きなさい。いくら何でも遅すぎます。起きて仕事をしなさい」
そう思い手を動かそうとした瞬間、ドアがノックされアマンダさんが部屋に入って来た。
そしてそのまま、化粧台の前で鏡を見ていた私と目が合う。
ちょっと気まずい。
今は昼を少し過ぎているくらいの時間だろう。
寝坊も寝坊、大寝坊の時間だ。
普段ならもっと早くに起こされているはずだが、昨日までダンジョンに行っており昼夜逆転の生活をしていた事も考慮され、今まで見過ごされていたのだろう。
しかし、この時間ともなればその考慮もなくなってくる。
いくら何でも起きて仕事をしなきゃいけない時間だ。
そもそもが私が無理を言って、お屋敷の仕事を休んだのだ。
休んでワタルさんにダンジョンに連れていってもらっていたのだ。
そのせいでアマンダさんや他の人たちにかけた迷惑の事を考えたら、もっと早くに起きて仕事を開始するべきだった。
「すみません、今起きました。支度をしますのでもう少しだけ、待ってください。直ぐに仕事に向かいますから」
そう言いながら慌てて化粧を再開しようとする。
「クレアあなたその顔…」
クレアさんがそう言ってじっと私の顔を見て来る。
クレアさんは当然、私の傷痕の事も知っているし、何度か見られたこともある。
私の事情も知っている。私が素顔で鏡を見ない事も、誰にも傷痕を見せないようにしているのを知った上で何かと気を使って貰っている。
そのはずだが何故か今日はじっと見られている。
「すみません、今すぐお化粧をするので、そのちょっと」
「あっ、失礼。しかし失礼ついでにもう少し顔を見せて下さい」
そう言ってアマンダさんが近づいて私の顔を見る。
近い、アマンダさん。近いです。
「クレア、私の気のせいかもしれませんが、その傷小さくなってませんか?」
「えっ」
「前に見たのが大分前なので断定できませんが、小さく薄くなっているように思います」
「嘘、そんな」
再び、鏡をのぞいて自分の傷痕を見る。
確かに小さくなっているような気もするが、分からない。
昔見て以来、ほとんど見ていなかったのだ。どんなものだったかなんて覚えていない。
「すみません。少し迂闊な発言でした。もしかしたら気のせいかもしれません。と言う訳で少し様子を見てみましょう。もしかしたらこのまま良くなっていくかもしれませんし…」
そんな感じでアマンダさんの提案で様子を見る事になった。
何で良くなったのか。これからも良くなるのか。
それは分からなかったがこの傷痕が小さくなっていかもしれない。
その事を考えると嬉しくなってきて、じっと傷痕を見てしまう。
「すみません、本当に迂闊な発言でした。クレアもう昼を過ぎています。今すぐ支度をして早く仕事をしなさい」
じっと鏡を見ていたら、今度こそ本当にアマンダさんに叱られてしまった。
慌ててお化粧をして身だしなみを整える。
しかし、鏡を見ながら身だしなみを整えるなんて久しぶりだ。
改めて使うと鏡って便利だな。
そんな事を思いながら今日この日を始めるのであった。
皆さま大変長らくお待たせいたしました。
色々な事が要素が複雑に絡み合い休載期間が加速してしまいましたが、どうにか2019年内に更新する事が出来ました。
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次はもっと早くに更新できるよう頑張りたいと思います。
では皆さん来年もよろしくお願いいたします。