春日局さまツンデレキャラになる
それは大奥が春の陽気に包まれ始めた時の事だった。
大奥を取り仕切る春日局〈かすがのつぼね〉さまがわたし達女中を大広間に集めたのだ。
「ねぇお咲ちゃん。春日局さまはこのように大奥中の女中を集めて何をするつもりなのかな」
隣のお宮ちゃんがわたしにヒソヒソと話しかけてくる。その表情にはいつもにも増して不安の影が差し込んでいた。
「お宮ちゃん、春日局さまがわたし達女中をお集めになる時はいつも碌でもない事だと相場が決まっているのよ。きっとまたこっぴどく怒られるに違いないわ」
「やっぱり、そうだよね」
わたしがきっぱりと言うとお宮ちゃんはがっくりと肩を落とした。
お宮ちゃんに限らず大広間に集められた女中の顔色は晴れない。
それもそのはずで、大奥総取締役である春日局さまは大変気難しく、他人に厳しい上に、おまけにすぐに怒る。それはもうとても怖い人物だというのが女中全員の共通認識としてあり、春日局さまが女中を呼び出す時は大方何か不手際がありそれに対して叱る為だと決まっている。
また怒られるのかという空気が大広間にどんよりとした澱となって沈んでいた。
今回は大奥中の女中全員を大広間に集めるほどの事なのだから、さぞや怒り心頭に違いない。これから聞かされるであろう春日局さまのお小言を想像するだけでわたしも気が滅入り部屋に溜まる澱の一部となりそうである。
とはいえ、わたしが思い返す限りにおいては何かやらかしたという覚えはないのだけど――。
「あ、お咲ちゃん。来たよ」
お宮ちゃんに促されてわたしは頭を下げる。
すると、程なくして襖が開き春日局さまが入ってきた。
「皆、面を上げよ」
春日局さまがわたし達女中の前へと座り、そう言ったのを確認するとわたし達は頭を上げる。
女中を舐めるように見回すその表情は相も変わらず厳しく、寸分の狂いもなく着こなされた着物からはその生真面目かつ几帳面な性格を伺い知る事が出来る。
「それで春日局さま、私〈わたくし〉どもが何か不手際を致しましたでしょうか?」
そう訊ねたのはわたし達大奥の女中を束ねる女中長のお里さんである。
向こうから言い出す前にこっちから訊いてしまうとは、嫌な事はさっさと済ませてしまおうという事か。お里さんはこざっぱりとした所があるからなぁ。
春日局さまはお里さんの問いに「うむ」と頷くだけで何かを思案をしているようだった。
何やら様子がおかしい。
いつもなら、すぐに烈火の如く細かい事をグチグチと言ってくるはず。もしかして怒る為にわたし達を集めたわけではないのでは。
わたしがそう考えていると、春日局さまが言いづらそうに口を開いた。
「実は今日の朝方、公方さま(※徳川家光のこと)に呼び出されある事を訊ねられたのだ」
「ある事……でございますか?」
お里さんが怪訝な顔で言うのに春日局さまは「そうだ」と頷くと、
「公方さまはツンデレキャラについて知りたがっておられる」
それは今朝、春日局さまが公方さまにお会いに行った時の事だという。
「お福(※春日局のこと)よ、ツンデレキャラとは何だ?」
「ツンデレキャラ……でございますか」
「そうだ、今江戸の市民の間ではツンデレキャラなるものが流行っているらしい。お福は知らぬのか?」
「申し訳ございませぬ。このお福市井の流行りには疎い故」
「お福よ、ツンデレキャラについて調べるのだ。余はツンデレキャラの事が気になって夜も眠れぬ。お福がツンデレキャラを見せてくれるなら、お福がかねてより申していた御台所(※将軍の奥さんのこと)の件考えても構わぬ」
「!? 真でございますか」
「男に二言はない」
「わかりました。このお福、公方さまに見事なツンデレキャラを演じてご覧に入れましょう」
その様なやり取りがあったらしい。
現在の公方さまであらせられる徳川家光さまは男色の気があり、中々御台さまをお迎えになられないので春日局さまもかなりお気を揉んでいた。そのような事もあり御台所を迎え入れるという条件を出されては断るわけにはいかなかったのだろう。
しかし、春日局さまがツンデレキャラとは……。
「ぷっ、ふふふ」
「お咲、なぜ笑う?」
「あっ、いえ何でもありません」
春日局さまがジロリと睨みつけるのに、わたしは慌てて口元を押さえると笑いを納める。
「今日、そなた達を呼んだのは他でもない。皆にツンデレキャラなるものを教えてもらいたいのだ」
公方さまと約束してしまったものの春日局さまは全くツンデレキャラの事を知らない。それでわたし達女中達の力を借りたいというわけである。
春日局さまは女中達を見渡すと口を開く。
「誰か、ツンデレキャラについて知っておる者はおらぬのか」
「……」
しかし、返事は返ってこない。
業を煮やした様子で春日局さまが続けた。
「多少正確でなくても構わぬ。どうせ公方さまも知らぬのだ。皆それっぽいものを考えよ」
「あの、それならば」
まず手を上げたのはやはり女中長のお里さんだった。
「私が聞きました所によりますと、ツンデレキャラなるものになる為には語尾にニャンを付ければよいと耳にした事がございます」
「語尾にニャンか」
「左様でございます。より猫感が出ると更によいかと」
「そうか……」
春日局さま軽く目を瞑ると、
「ええい、これも公方さまの為だ」
覚悟を決めたようにかっと目を見開いた。
「これでいいニャン? ちゃんとツンデレキャラになってるニャン?」
春日局さまが猫のように両手を丸めながら弾むような声で言う。
「素晴らしいです、見事なツンデレキャラでございますよ春日局さま」
「本当かニャン」
満足気なお里さんとは対照的に、春日局さまはちょっと不満げな表情を浮かべていた。
「いや、公方さまの求めるツンデレキャラとはこの程度のものであるはずがない。この程度では公方さまを満足させるには程遠い。もっとツンデレキャラの完成度を上げなければならぬ。他にツンデレキャラについて知っておる者はおらぬか」
春日局さまが訊ねると、今度は女中最年少のお香ちゃんがおずおずと手を上げた。
「あの……殿方の事をお兄ちゃんと呼ぶと、その……より、ツンデレキャラに近づいてよいかと……思います」
「殿方をお兄ちゃんと呼ぶ、ふむ、ではやってみよう」
春日局さまはこほんと一つ咳払いをすると、
「お兄ちゃん、今度こそちゃんとツンデレキャラになってるニャン?」
「すごく……ツンデレです」
「……」
お香ちゃんは満足していたが、春日局さまが満足する事はなかった。
「他にツンデレキャラについて知っておる者はおらぬのか。まだ足りぬ、もっと、もっとだ。もっとツンデレキャラについて教えよ」
それから何人もの女中が春日局さまにツンデレキャラを提案した。それは言葉遣いはもちろん上目遣いで相手を見るだの、頬を膨らませるだの、頭に猫の耳をつけるだの、着物の裾を短くするだのといった細かい所作から服装にまで及んだ。
「お兄ちゃん、これで本当のツンデレキャラになってるもっふるにゃんとわんだふるピヨピヨピチピチコケコッコー」
「……」
「どうだ、これがツンデレキャラなのか? 完璧なツンデレキャラになっておるのか?」
「……」
春日局さまが言うのに大広間に集められた女中達が目を逸らす。
「どうした、なぜ皆目を逸らす?」
ツンデレキャラについてよく知らない大奥の女中達もさすがにこれはおかしいと気づいたらしい。
「ぷっ、ふふふ、あははははは」
「……お咲、なぜ笑う?」
「はっ」
しまった思わず笑ってしまった。せっかく全然関係ない事を考えて笑わないようにしてたのに。
「お咲、お主もしやツンデレキャラについて知っているのではないか?」
「そうなのお咲ちゃん!?」
春日局さまがジロリと睨みつけるように言うのに、お宮ちゃんを始めとした女中達の目が集まる。
「ま、まぁ……」
大奥の女中の中には市井で流行っている書物なども外部の人間からこっそり貰っているものも多い。わたしもその一人。これだけ女中が居れば一人くらいは正しいツンデレキャラの事を知っている者もいると思っていたがどうやらいなかったらしい。
流行の最先端を追っているのはわたししかいなかったという事か。
ならば仕方ない。めんどくさいけど。
「いいでしょう。わたしが春日局さまにツンデレキャラを教えて差し上げます」
「教えて差し上げますだと、お咲、お前その態度は何か。無礼であろう」
「はい、今の春日局さまの態度はツンデレキャラにふさわしくありません」
「な、なんだと」
春日局さまがぐっと言葉を飲むのに、わたしは人差し指を立てる。
「ツンデレキャラとは厳しい態度のツンと優しい態度のデレを組み合わせて優しさを強調した人物像の事を指すのです。大事なのは厳しさの中に優しさを伴うその精神性なのです。相手の事をお兄ちゃんと呼んだり、語尾にニャンだのワンだのピヨピヨだのコケコッコーだのつけた所でツンデレキャラにはなれません」
「そ、そうなのか」
「でも、安心してください。春日局さまにはツンデレキャラの素養があります」
「本当か」
春日局さまの表情がぱっと明るくなる。
わたしは「ええ」と立ち上がると、春日局さまの前に背を向けて座った。
「春日局さま、わたしの肩を揉んでください」
「なぜ私がお前の肩など……」
「そうしないと、立派なツンデレキャラにはなれませんよ」
「ぐ……」
わたしが言うのに、春日局さまは苦虫を噛み潰したような表情でわたしの肩を揉み始めた。
「ああ、いい気持ちです」
「ぐっ、お咲覚えていろ……」
もみもみと春日局さまによる肩揉みは続く。
「これも公方さまの為、お前の為にやっているわけではないからな」
「今です。春日局さま。今何と言いました」
わたしは咄嗟に春日局さまの言葉に割って入る。
「これも公方さまの為……か?」
「違います。その後です」
「お前の為にやっているわけではないからな」
「それです。少し言い方を変えましょう。あなたの為にやってるわけじゃないんだからね。はい、春日局さま言ってみてください」
「わ、わかった。……あなたの為にやってるわけじゃないんだからね」
「もう一度」
「あなたの為にやってるわけじゃないんだからねっ」
「そうです、それがツンデレなんです」
「これが……ツンデレ」
春日局さまは感慨深そうな様子でかみ締めるように言った。
わたしは元の位置に戻ると、
「春日局さまは圧倒的にデレの部分が足りません。これからわたしと一緒に特訓して立派なデレを身に着けましょう」
それから、わたしと春日局さまのツンデレキャラになる特訓が始まった。
やり始めれば早いもので、数日の間に春日局さま立派なデレを身につけられてしっかりとしたツンデレキャラを演じられるようになっていた。
春日局さまのツンデレキャラぶりには公方さまも大変満足され、お約束の通り御台所を大奥に迎え入れる事が決まった。
わたし達大奥の女中も新しい御台さまを迎え入れる準備に大忙しである。
「あなたの為にやってるわけじゃないんだからねっ」
そして大奥に時折響く声。
見ればお香ちゃんが春日局さまからお菓子を貰っている。
あれ以来、春日局さまは女中達をたまに労わってくれるようになった。
ツンデレキャラを学んだ事できつかった春日局さまの性格も少しはほころんだのだろうか。
「そうだったらいいけど」
わたしはふっと笑みを浮かべると女中の仕事に戻っていった。