俺の妹は可愛いのにおバカ
「お兄ちゃん、わたし眠いんだけど」
「俺だって眠いわ」
「早く終わらせてよ」
「俺だって早く終わらせたいわ!」
つい、きつい口調になってしまった。
まずいな。眠すぎて、苛立ちがピークに達しつつある。
現在、時刻は深夜の二時。丑三つ時と呼ばれる時間帯だ。
こんな時間なのに、俺と妹は、とあることをしてる。
妹の部屋で二人きり。両親はとっくに寝てるし、誰にも邪魔はされない。
俺が結構大きな声で叫んだってのに、起きてくる気配はない。
いやまあ、エロい意味は一切含まれてないんだが。
妹なんかに欲情するわけない。妹だぞ、妹。
血がつながってないなんてトンデモ展開はないし、実の兄妹だけど愛し合ってるなんて展開はもっとない。つうか、想像するだけでキモい。
そういう奴らがいてもいいが、俺たちは違う。
妹は妹。可愛いとは思うし好きだが、あくまでも家族としての好きだ。
だから、禁断のラブストーリーとか起こりようがない。
んで、今の俺たちが何をしてるかっていうと、たいしたことじゃない。
単に、妹に宿題を教えてるだけだ。
なんでこんな時間なのか。もっと早くすればいいのに。
普通はそう思う。もちろん俺だって。
でも妹は、本当にギリギリになって俺に頼んできた。「宿題教えて」と。
宿題をやり始めてから、既に二時間ほど。普段なら寝てる時間だ。
勘弁してくれよ。明日も学校なんだぞ。朝早いんだぞ。
ふと横を向けば、そこには温かそうなベッドがある。妹のベッドが。
自分のベッドじゃなくてもいいからダイブしたい。眠りたい。
「ベッド……あったかいベッド……」
「お兄ちゃんの変態。わたしのベッドを見てハァハァしないでよ」
「ぶっ飛ばすぞ、てめえ」
誰のせいでこうなってると思ってるんだ。
「俺をからかってる暇があるなら、とっとと宿題終わらせやがれ」
「まだまだかかるよ。終わるまで寝させないからね」
今夜は寝かせないよ、なんてセリフは美少女から言われたかった。
くっそ……眠い。マジで眠い。
なんでこうなったんだか。鈍くなった思考で、いきさつを思い出す。
一月下旬のある日のこと。
高校で出された課題を片付け、夜も更けたので寝ようとした、その時だ。
俺の部屋のドアをノックする音がした。コンッ、コンッ、って。
うちは、両親と俺、妹の四人家族なんだが、ノックの音で誰か分かる。
このノックは妹だな。
「泉香、こんな時間にどうした?」
部屋の中から声をかければ、妹の泉香がドアを開けて入ってくる。
中学一年生のくせに、アニメ柄のパジャマを着てて子供っぽい。
顔も体型もお子様なんだよ。ロリコンなら歓喜するだろう。
さて、そのロリっ子妹様は、こんなことを言った。
「お兄ちゃん、宿題教えて」
「はあ? 今からか?」
宿題を教えるのはいい。だが、時間を考えろと言いたい。
今、何時だと思ってるんだ。夜の十一時半だぞ。明日も学校あるんだぞ。
「明日じゃダメなのか?」
「明日が提出期限なの」
「俺、眠いんだが」
「おねがあい、お兄ちゃあん」
体をくねらせて色っぽい声音を出した……つもりなんだろ。本人的には。
悪いが、ガキが背伸びしてるようにしか見えん。色気の欠片もない。
チビでぺったんこなこいつに、男を欲情させる色気があるわけないんだ。
欲情したら、そいつは逮捕しとくべきだな。幼女の安全を確保するために。
「お兄ちゃあん……うっふうぅん」
「キモいわ」
キモいが、妹の捨て身の懇願を聞いてると、さすがに哀れになってくる。
兄として、少しは力になってやるか。
深夜の十一時半になって、俺は妹に宿題を教えることになった。
妹の部屋に行くと、机の上には教科書や問題集が並べられてる。
数学か。俺の得意科目で、妹の超苦手科目だ。
妹は成績が悪いんで、得意科目なんてない。あるのは、苦手と超苦手だけだ。
中一の内容だし、俺の得意な数学となれば、早く終わるだろう。
三十分ほどでちゃちゃっと済ますつもりだった。
「教えてもらいたいのはどこだ?」
俺が尋ねれば、妹は数学の問題集を指差した。
「ここと、ここと、ここと」
ペラッとページをめくり。
「ここと、ここと」
ペラッとページをめくり。
「ここと、ここと、ここと」
ペラッとページをめくり。
「ここと」
ペラッとページをめくり。
「って、待てやコラ」
ページをめくる手が止まらない妹に、俺は突っ込みを入れた。
突っ込みたくもなるだろ、これは。
どれだけあるんだよ。十ページ以上ありそうだぞ。
かろうじて救いなのは、十ページ丸々じゃなく、半分は解いてあることだ。
でも、残ってるだけでもかなりの量になる。ちゃちゃっと済ますなんて無理だ。
俺は妹を正座させて、説教を始める。
「これ、昨日今日出された宿題じゃないよな。こんな量を一日や二日でやってこいって言う先生はいないだろ。いつ出されたんだ?」
「一週間ほど前」
「なるほど。それで、自力でできる問題は、コツコツと解いたわけだ」
「うん」
「半分はやったけど、残り半分は解けないから、残しておいたわけだ」
「うん」
「残りは、俺に教えてもらおうと思ってたと」
「うん」
状況は把握したし、半分解いた努力は認める。でもな。
「残った分を、どうして今になるまで放置した?」
「まだ時間あるって思って後回しにしたら、そのまま忘れてた。思い出したのが、今日の数学の授業で先生に言われた時なの」
「だったら、帰ってからすぐに言えよ。そうすればもっと時間あったのに」
「テレビ見たかったの」
ひっでえ理由だな、おい。ダメだこいつ。
もっと説教したかったが、時間が惜しい。この際だから、俺は非常手段を取ることにした。
問題は俺が解く。ルーズリーフにでも途中式と答えを書いて、妹にはそれを丸写ししてもらう。
量は多いが中一の問題だ。書く時間を考慮に入れても、たいしてかからない。
褒められた行為じゃないのは理解してる。妹の勉強にならないからな。
普段なら絶対にしないが、俺は眠いんだ。今日だけはやむを得ない。
「わたしが理解できないと意味ないから、ちゃんと教えて」
ところが妹は、俺の提案を拒否した。
全くもってその通り。正論だ。いい心がけだ。俺だってそうしたいさ。
時間があればな。
何時だと思ってんだ。説教してる間に、日付変わったんだぞ。
突き放してやろうかとも思ったが、教えるって約束した俺が悪い。
何時間かかってもやるしかない。
で、それから二時間が経過した。
この二時間、俺はひたすら妹に説明していた。
解くだけなら簡単だが、妹が理解できるように説明するのが難しい。
疲れた。眠い。頭が働かない。
それでも、まだ問題が残ってる。今のペースなら、あと一時間以上かかるか。
「なあ、これ無理だろ。諦めればどうだ?」
「やだ。だってこれ、明日の授業で当たるもん。どの問題が当たるか分からないし、一夜漬けでもいいから理解しておかないと、当てられた時に答えられない」
「答えられないことなんて、これまでもあったんじゃないか?」
「これまでは、なんとか誤魔化してたの。当たる日は分かるし、その時だけ友達に教えてもらって。答えられないと恥ずかしいから」
一度決めたら妹は頑固だ。折れそうにない。
こうなったら、毒を食らわば皿までだ。やってやる。
そこからさらに一時間が経過する。ようやく終わりが見えてきた。
残り一問となったところで、それは起きた。
「ひっ……くちゅ」
妹がくしゃみをしたのだ。
くしゃみなんて誰でもする。珍しくもない。
「うー、お兄ちゃん、ティッシュ取って」
「あいよ」
ティッシュがたまたま俺の近くにあったため、箱ごと渡してやった。
妹はティッシュを二、三枚抜き出し、鼻に当てる。
そこで、なぜか俺の方をチラッと見た。
何かと思っていると。
――ジュビビュビョビャオヴヴァビュルッルギョバブリュボビュ!!
と、大変に汚らしい音を立てて、頭を振り回してどこまでも豪快に、鼻をおかみになられましたとさ。
「って、汚ねえわ!」
妹のバカな行動に、頭を軽く叩いた。ぺちっと。
妹は、ティッシュを丸めてごみ箱に捨ててから。
「興奮した?」
妹のバカな発言に、俺は無言のまま強めに頭を叩いてやった。ばきっと。
「痛い」
「痛くしたんだ。興奮するか、バカ」
「えーっ、興奮しなかったの?」
「いや、お前さ。兄をなんだと思ってるわけ? 妹が下品に鼻をかむ姿に興奮するって、どんだけ倒錯した性癖の持ち主なんだよ。常識で考えろ。そんな兄がどこの世界にいる」
何こいつ? バカなの?
成績うんぬんじゃなく、もっと根本的な部分から、本格的にバカなの?
可愛く言えばおバカ。どっちにしろ、俺の手には負えない。
「あれー? おかしいなー? クラスメイトのアオちゃんが言うには、『男って生き物は、女が下品な音を立てるのに興奮すると相場が決まってる』って話なのに」
アオちゃんって誰だよ。付き合う友達は選ぼうね。いい子だから。
それにしても、困った。
何が困ったかって、アオちゃんの発言があながち間違ってないことだ。
俺は、妹が下品に鼻をかむ姿になんか興奮しない。これは断言できる。
他の女の子でも、おそらく大丈夫だ。
けど、鼻をかむ以外で、女の子が下品な音を立てたら?
具体的に言ってしまうと十八禁になるのでこれ以上は差し控えさせてもらうが、この場合はぶっちゃけ興奮する。
男って、そういう生き物なのさ。
だから困る。アオちゃんの言葉を否定できない。
せめて、「女が下品な音を立てる」じゃなくて、「妹が下品な音を立てる」だったら否定できたのに。
アオちゃん恐るべし。これで、妹のクラスメイトだぞ。中一だぞ。
最近の若い子ってのは、どうなってるんだ。けしからん!
「まあ、アオちゃんはどうでもいい。最後の一問、さっさと終わらせるぞ」
「アオちゃんのこと、気にならないの? 超美少女だよ」
「ならん」
美少女でも中一だ。俺は高一だし、相手は三歳も年下だ。
何より、妹のクラスメイトで友達ってのがよろしくない。手を出せるか。
「お兄ちゃんのシスコン」
「バカだろ、てめえ」
「だって、『アオちゃんなんかより、泉香が一番可愛いよ』だなんて」
「言ってねえよ!」
「大一君って、シスコンのロリコンだったんだね」
「自分で自分をロリって認めて、悲しくならないか? あと呼び方」
「おっと、お兄ちゃん」
こいつは、昔から俺を名前で呼んでた。「大一君」って。
中学生になると、名前呼びが恥ずかしくなったみたいで「お兄ちゃん」に。
なかなか定着せず、よく元に戻るが。
じゃねえよ! 話が逸れてる!
「おら! 残りをさっさと終わらせろ! いいか、この問題は……」
これまでと同じように解説してやれば、やっとのこさ終わった。
つっかれたあ……
もう無理だ。眠気が限界。自分の部屋に戻るのすら億劫だ。
俺は、妹のベッドにダイブした。あったかい布団と毛布にくるまる。
妹の匂いがするが……俺は断じてシスコンじゃない!
「もっと詰めてよ。わたしが寝れない」
妹がなんか言ってても、俺は半分以上夢の中へと旅立ってる。
おやすみ。
翌朝。
「大一……泉香……」
妹を起こしにきた母さんに、同衾現場をバッチリ目撃されてしまった。
シングルベッドのど真ん中に俺が寝転がったんで、妹は窮屈そうに俺にくっついてる。
事案である。
「お……お父さん! お父さん! 大一と泉香が危ないわよ!」
母さんが部屋を飛び出して、父さんに報告しに行った。
どこか楽しげに。
親として、それはどうなんだ? 不謹慎な関係を疑って怒る場面だよな?
ああ、そっか。妹がバカなのは、母親譲りなんだ。
相変わらず俺にくっついてる、おバカな妹の寝顔を見て。
「可愛いな」
無意識に声が出てた。
こ、これはだな。小動物チックで可愛いって意味であり、女としてではなく……
「大一くぅん……」
こいつ、ドンピシャなタイミングで寝言漏らしやがった。
昨夜は苦労させられたし、普段からおバカな奴だが。
まあ、可愛い妹だよな。