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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ソラリス星のソラリスさん

 僕は父・大瀧和夫とSF映画が嫌いだ。

 これには宇宙の彼方にある、ソラリスという星が関わっている。

 ソラリスには海があって、生き物が海月みたいぷかぷか浮いている。いや、生き物というのは失礼だな。彼らは立派な知的生命体だ。重力操作ができるくらいの科学力があるし、塩基生物といって、

海の塩分を栄養としながら生きている。

 あまり知る人がいない事実だけどね。僕も8歳になるまでは、そんな真実とは縁遠い生活を送って

いた。


 僕が8歳になった夏、親が脱サラをしてさ。西川口のマンションを売り払って、熱海の岬に近い古民家を一軒買ったんだ。

 そしてそのまま引っ越して、改築を始めた。


 引っ越した先は古民家というだけあって本当にぼろぼろだった。

 梁の見えている天井を眺める形で、ホコリだらけの民家の隅に寝袋を並べて皆で寝たりするくらいだった。

 このことに母は口では色々文句を言っていし、たまにこの件で父を大喧嘩をしたけど、楽しんでいたんじゃないかな。

 僕も楽しかった。毎日がキャンプみたいで。


 古民家はどんどん小奇麗になっていって、父の目標とする形に近づいていった。

 彼の目標、それは『ペンション大瀧』の創業。

 地元の漁師さんに弟子入りをして、魚の獲りかたを覚えて、宿泊客に地魚を振舞うという夢が父にはあった。変哲のない夢だけど、父は楽しそうだったから、僕は反対をしなかった。

 子どもというものはそういうものだと思う。親の好きなものを好きになるし、反対なんていちいちしない。


 それに、海も嫌いじゃなかったからね。夜の波の音は子守唄のように聴こえた。晴れた日の海は波全体が光を孕んで、目に痛いくらい煌いていた。

 そんな日は、僕はよく浜に下りて、汀で波と追いかけっこをしたりした。カナヅチだったから泳げなかったのが残念だけどね。


 ある夏の晩の事だ。

 父と母が大喧嘩をした。理由は分からないけれど、生活費とかそういう事だったと思う。

 僕は悲しくなってさっさと寝袋に入って寝ちゃったんだけど、早く寝たせいか夜中に目が覚めてね。トイレに行った。用を済ませても何となく寝袋には戻りたくなくて、こっそり家を抜け出して浜に下りてみたんだ。


 砂に腰を下ろして夏の蠍座を見上げていたら、頭の部分が点滅した。

 いや、またたくとかじゃないんだ。光が消えてはまた点いてを繰り返して、最後は真っ黒になった。


 僕はびっくりして、父を起こしに行こうとした途端、浜が弾けた。


 砂、岬を形作る岩石、小石、海水、潮を含む大気、そういったあらゆるものが、吹き飛んだ。

 砲弾が当たるとああなるのかもしれない。僕は訳も分からずに両腕で顔をかばったんだけど、無事で済むわけが無い。


 ……と、思うだろう? 

 実際は手のひらを小さく切っただけだった。普通はあり得ないけどね。

 でももっとあり得ない事が起きていたんだ。


 弾けた砂、岩石、小石、海水、その場で爆散していた全てが、ぴたりと停止していた。時が止まったみたいだったけど、実際はものすごくゆっくりと動いている感じでさ。


 僕はわけもわからずに、空中で月光に煌いている海水の雫を、指先でつついたりしたんだけど、やっぱり気になるのが爆発の中心部だ。


 多分蠍座から何かが飛来して浜に衝突。それから全てが停止している。

 

 僕は闇に目を凝らした。

 切れた手から血が流れていたけれど、それどころではなかった。


 爆発の中心には、ラピスラズリ、星空みたいな深い藍色の影があった。海月みたいな形をしていてね。

 大きさは8歳の僕と同じくらい。

 子どもサイズの海月はかなり大きい。


 その海月がむくむくと膨らんでね。空中で静止した小石、岩石の破片、色んな爆散物の中、僕は怖くて叫びそうになった。


 けど、結局叫ぶことはなかった。


 海月は人型になって、色も抜けて綺麗な肌色になって、ビーナスの誕生みたいな曲線美を持つ裸の女性になって、こっちに口を開いたからだ。


 いや、裸の女性くらいじゃ、やっぱり怖くて叫んでいただろうな。


 彼女の口から旋律が出た。声じゃない。旋律だ。

 ずっと後で調べたら、それはバッハの『ブランデンブルグ協奏曲第2番へ長調BWV1047 第1楽章』という曲だった。

 不思議だろう? 

 浜が爆発して子どもサイズの海月が現れて、裸の女性に変わって、口を開いたら音楽が流れた。

 僕は口をぽかんと開けて、叫びたい気持ちはしばらくおさまった。

 でもやっぱり怖くなって逃げ出そうとしたら、曲が変わったんだ。


 男性の歌声が流れた。

 やっぱり後で調べたところによると、チャック・ベリーの『Johnny B. Goode』だった。

 びっくりするくらい伸びやかで素敵な歌だった。


 目をしばたたかせる僕をまじまじと見て、女性は音楽を変えた。今度は野太い尺八。これはとてもシュールで、僕は笑ってしまった。


 ……この後も色々な曲が流れたけれど、それは割愛する。


 結論から言うと僕は彼女と仲良くなった。

 彼女はソラリスという星からきた宇宙人のソラリスさん(名前という文化が彼らにないので、僕が命名した)で、惑星探査機、ヴォイジャーのレコードから地球の文明と、海の存在を知り、逆に探査機を飛ばしてきたとのことだった。

 この頃の僕は探査機の存在なんか知らなかったから、逆に色々と訊いたりした。


 ソラリスさんの星の人たちは、海に住んでいる。

 彼らは海水を食べて生きているから、僕らでいうと、レモンゼリーのプールで生活しているみたいなものかな。海にも色々な味があるらしく、この味を求めて彼らは色々な星の海を探査するそうだ。探査には重力制御の技術を使う。技術というか、重力制御用のナノマシンが遺伝子組み込まれて、もう能力といっても良いレベルらしい。

 爆散する全てを静止させたのも、この能力だ。


 ひとしきりの会話の後で、僕は訊いてみた。

「地球の海も美味しい?」

 ソラリスさんはモナリザの絵みたいな微笑を返した。

「美味しいですが、お酒っぽいですね。未成年には禁止です。わたしは未成年、お酒はだめ! 絶対! 飲酒は成年になってから!」

 ソラリスさんは僕の脳から言語の知識を引き出したみたいで、色々と言葉の使い方がおかしかったけど、しょうがないと思う。彼女は宇宙人だから。


 僕は少しがっかりした。

「飲めないんだね。せっかく宇宙からきたのに」

「未成年の飲酒は体に毒なのです。わたしたちは特に。大量に飲むと死んでしまいます。でも、成年たちにとっては美酒の海ですね。地球は」

 納得のいかない僕に、彼女は少し困った顔をした。

 それからこちらにかがみ込み、まだ血が流れている僕の手を両手で取って、傷口をぺろっとなめた。

「ひゃ」

 と声をあげた僕に、ソラリスさんは笑った。

「地球の貴方たちは、体内に海を抱いているんですね。血という海水はわたしにも美味しいです」

 彼女の言葉に恐怖するには、僕は子どもすぎた。意味がよく分からなかったからだ。

 かわりに疑問が首をもたげた。


「でも、なんで未成年なのに、きたの?」

「家出です。両親がいつも喧嘩をするのが嫌になって、家をでました。仲良くしてほしいのです」


 ……どこの世界も似たようなもんだなあ、と今になっても思う。

 それから、僕の血は美味しいのか、と思って手を見ると、傷口が消えていた。これもソラリスさんの不思議な力なのかな、と思って彼女を見上げると、ソラリスさんはモナリザの微笑みを、やっぱり作った。

「わたしの体液は貴方がたには良薬みたいです。嬉しいことです」

「嬉しいの?」

「はい。怪我をしたら治してあげれます。素敵なことです」

 

 家出ソラリス星人のソラリスさんは、それから一ヶ月、浜に住んだ。

 人間のふりを手伝ってあげるために、僕は母の洋服箪笥から服を持ち出したりした。

 彼女は塩水を食事にしていたけれど、やっぱり栄養が足りないらしく、内陸の養豚場に忍び込んでは、豚を大量に殺して血を吸ったりしていた。


 そんな彼女に恐怖をしなかったのは、ソラリスさんが色々な音楽を歌ってくれたからだ。

 音楽は全部、ヴォイジャーのレコードを解析して覚えたらしい。凄いと思う。


「でもそろそろ帰ろうと思います」

「なんで?」

「両親も反省していると思いますし。わたしも両親が恋しくなりました」

 お腹が空き過ぎて人間を襲いたくなったから、というのも理由だったろうけど、彼女は言わなかった。


 それが優しさかもしれない。

 僕はそんな彼女の優しさも分からずに、とても悲しい顔をしたと思う。


 彼女は困ったように笑った。自然な笑顔だった。全然モナリザっぽくない。


 見送りを申し出ようとした時、小船に乗った父が沖から僕に手を振った。

「おーい! 乗せてやるぞお」

 この頃の父は自分で漁もするようになっていて、しきりにその自慢をしたいらしく、僕を船に乗せたがった。

「お嬢さんも一緒にどうですか? いつもこいつと遊んでくれるお礼ですよ」

「そうですね。せっかくですから」

 小船を浜に乗り上げた父に、ソラリスさんはにこやかに頷いた。


 ……のが、駄目だったのだろう。

 美人な宇宙人であるソラリスさんを乗せて、父・大瀧和夫は妙な張り切り方をした。

 彼のいいかっこしいは、船の操作を大胆にさせ、突如の大波、複雑で荒い海流を読みきれず、暗礁に激突して船は転覆し、僕達は沖に投げ出された。


 僕は不幸な事にカナヅチだった。父に必死でしがみつくも、逆に力の限りつきすぎて、僕らは海流が渦巻く真っ暗な海底に沈んでいった。それは意識と共に。


 気がつくと、僕と父は陽光がキラキラする白い浜辺、つまり僕とソラリスさんの遊び場に横たわっていた。

 でも彼女は消えていた。


 その晩の事だ。


 地方局のニュース番組で、アナウンサーが実況中継をしていた。

『幻の海月が網にかかりました。非常に薬効の高い珍味として、文献に残されている海月です』

『いやあ、珍しいから嬉しいね。今夜は漁協の皆でこいつを肴に酒盛りするさ』

 画面にはソラリスさんが映っていた。海月の形のソラリスさん。

 ラピスラズリの色をした肌が美しいソラリスさんだ。


 地球の海は酒と同じ。未成年には毒。大量に飲むと死んでしまう。

 ソラリスさんは僕らを助けて、大量飲酒で気を喪い、海月の姿で網にかかって、いまテレビに映っている。

 かすかにその体が震えている。震えているということは。

「駄目だよ! ソラリスさんは生きている!! 動けない!! 怖がっている!! 殺しちゃ駄目だよ!!」

 僕はテレビのモニターの左右の縁を両手でわしっと掴んで、必死に叫んだ。


 ……そういう訳で、僕はSF映画が嫌いだ。

 特に、宇宙探査員が辺境の惑星の原住民に襲われるシーンがあると、必ず吐いてしまう。

 吐きながら、早くこの家を出たいと思う。


 父は写真を飾るのが好きで、居間にはいくつもの写真が並んでいる。

 そのうちの1つは、ソラリスさんが殺された日のものもある。

 額縁の中の父はソラリスさんの肉片を片手に白い歯を見せて乾杯をしている。


 あの日漁協にお呼ばれをして、のこのこ出て行った父・大瀧和夫を、僕はまだ許すことができない。

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