私の忘れ物
もの悲しさの中に優しさを内包するストーリーです。
神崎ニーナ(17)は、今日新しい父親に対面の日であった。
母⚫香世子(43)はニーナに早く準備をするように急かす。
そう、新しい父親との対面を兼ねて近くのスキー場にスキーをしに四日間の小旅行に行く予定なのである。
ニーナはあまり乗り気ではなかった。
この世のどこに母親の再婚相手に会うのが楽しみな子どもがいるのだろうか。
彼女は黒く長い髪をとかしながら思った。
(きっと、相手の男の人は立派な方なんだわ。)
香世子は都内の有名大学卒業後、超一流企業に入社した。
彼女はミスキャンパスに選ばれるほどの美貌の持ち主であった。
しかし、何をまかり間違ったか冴えない貧乏画家の男と結婚した。
そして、その二人の間に生まれたのがニーナなのである。
けれども、当然二人は上手くいかず、別れた。
香世子がニーナを引き取った。
夫は憎くても娘は可愛かったからである。
ニーナは香世子に愛情いっぱいに育てられた。
しかし香世子は今でも自分の経歴に傷がついたことを激しく後悔していた。
そして幾度も過去を思い返しては前の夫を罵倒するのである。
ニーナは父が大好きであったため、そんなに罵ってほしくなかった。
その反面、生計も立てれていないのに画家を続けている父に対してどうしたものかとも思った。
ニーナは複雑な感情を持つ少女に成長した。
「きっと、ニーナも彼を気に入るはずよ!」
香世子は笑顔で玄関先でそう言った。
「……うん。」
ニーナは香世子を真っ直ぐ見ることができなかった。
はじめから彼女は再婚相手に期待などしていなかったからである。
父が家を出ていってから、ニーナが毎晩ベッドの中で泣いていたことを香世子は知らない。
二人はスキー場に到着した。
異様に背の高い、たくましい男が現れた。
その男はこちらへ近づいてくる。
どうも彼が香世子の再婚相手らしい。
香世子は親しげに彼と話す。
彼の名前は、後藤寅雄(40)。
香世子は寅雄と職場の友人のつてで知り合ったようである。
彼は総合商社に勤めるエリートだ。
ガタイがよく漢らしい顔立ちの男であった。
ハンサムとは言い難い。
良く言えば往年の映画俳優のようだ。
「ニーナちゃん!よろしくね!」
寅雄は威勢の良いはっきりとした声をあげた。
「はい……。」
ニーナは正直言って寅雄は苦手なタイプだと思った。
内気な彼女と外向的な寅雄は真逆の性格だからだ。
香世子はニーナと寅雄の仲を取り持とうと必死である。
そのため、香世子が二人に色々と話題を振ってくれたがニーナは上の空だった。
次の日のことである。
なんと香世子はこともあろうか風邪をひいた。
そして熱もあるようである。
彼女は人一倍仕事熱心であるため、普段の疲れがどっと来たのであろう。
仕方ないがニーナは寅雄と二人で滑りに行くことにした。
ニーナはスキーがド下手であった。
彼女自身もそこそこの身体能力はあると思っていたため、衝撃を受けた。
ニーナはこけて雪に埋まる。
寅雄はその姿を見て高らかに笑いながらすいすいと滑っていった。
ニーナは涙が出そうであった。
(お父さんなら、助けてくれたのに。)
心の中で彼女はそう思った。
か細く弱い父であったが、ニーナが困った時はいつも助けてくれた。
彼女は細面で優しい父の顔を思い出す。
寅雄の声がどんどん遠くなっていく。
(もう、ダメだ……。)
その時、ニーナは後ろから強い力で両手を引き揚げられる。
ニーナは驚いて振り返るとそこには寅雄の姿があった。
「大丈夫かい?」
寅雄はニコニコ笑っている。
「……もっと早くに来てほしかったです。」
ニーナは涙を瞳に浮かべている。
しかし、そんなに深刻な涙ではない。
いわゆるウソ泣きだ。
ニーナは彼女を放っておいた寅雄に罰を与えてやろうと悪知恵を働かせたのである。
「えっ!ごめんっ!」
寅雄は子どものようにニーナの顔を覗きこみ、深々と謝る。
ニーナはその姿を見てプッと吹き出す。
まさか、こんな子どもだましみたいな嘘に寅雄の様な大の大人がひっかかるとは思ってもみなかったからだ。
「あっ~!俺、騙された!」
寅雄は頭を抱えて地団駄を踏む。
二人は顔を見合わせて笑う。
こんなに笑ったのはいつぶりかとニーナは思った。
外は寒いが、心はぽかぽかと暖かくなった。
二人はお昼を食べに店に入った。
店の内装は暖色系で統一しており、中にいるとほっこりする。
どうやら店の人たちは寅雄の学生時代からの顔馴染みであるようだ。
「はい、いらっしゃい。寅雄くん!いつも来てくれてありがとう。」
年配の男性店主が寅雄に勢いよく声をかけた。
すると、店主はニーナに気づいたようで彼女に目を向けて、
「こいつぁ~!たまげた!いつのまにこんな若い娘と!」
と叫んだ。
「違うよ!隠し子だよ!がははは!」
寅雄は豪快な笑いとともに否定した。
いや、そもそも隠し子だったらそんなにオープンにしちゃダメだろ!何てツッコミが店中に飛び交った。
ニーナは、はじめは寅雄と店の人たちのしょうもないやりとりに呆れつつも次第に店のほんわかした雰囲気に溶け込んでいった。
二人は空いた席に向かい合って座る。
「ここの店はどの料理も美味しいんだよ。ほら!好きなの選んで。」
寅雄はメニューをニーナの方に向けながら熱烈に語る。
ニーナはその姿を見てまた笑ってしまう。
「えーと、ここのおすすめはね。カレーも美味しいし、カツ丼も美味しいし、鉄火丼も美味しいし、……。あー1つに絞れない~!」
寅雄は頭をガシガシとかきむしる。
「もー!毎度毎度お前って奴は!メニューくらい早よ決めなはれ!」
店主は笑いながら怒る。
結局二人はカレーライスを頼むことにした。
カレーライスは寅雄の言う通り、今まで食べたことのないくらいとびきり隠し味が効いていて美味しかった。
ニーナは緊張したが、自分から寅雄に話しかけてみることにした。
「寅雄さんは、スキーしによくここに来られるんですか?」
ニーナがおそるおそる聞いてみると寅雄は嬉しそうに答えてくれた。
「中学生の頃から来てるよ。高校の時は勉強漬けだったからあんまりかな。でも時々は来てたけどね。大学生になってからはスキーサークルに入ってもっと頻繁に来るようになった。社会人になってからは、休みがとれる度に来てるよ。」
根っからの体育会系なんだなとニーナは思った。
そのニーナの思惑が武男に伝わったのか、
「文化系だと思ったらごめんね。俺は生粋の体育会系だから。がははは!」
と笑いながら答えたのであった。
「……見たら分かりますよ。ふふふっ。」
そうしていると、店主が二人の会話に割り込み寅雄の学生時代から今に至るまでを語り始めた。
寅雄が高校生の時、生徒会の体育委員長を務めた話だとか、大学生の時にアマチュアのスキーの大会で優勝した等の話である。
寅雄自身は人前で自慢話をする人ではないようで、店主に彼の華々しい経歴を人前で語られて少し恥ずかしそうであった。
ニーナは、はじめてしっかり寅雄の顔を見た。
彼女は寅雄を面白い男だと思った。
彼と一緒にいると、不思議な気持ちがこみ上げてくることをニーナは感じた。
ホテルの部屋に帰ると、パジャマ姿の香世子が出迎えてくれた。
香世子は鼻をティッシュで丁寧にかみながら今日あったことをニーナに尋ねた。
香世子は新しい父親が娘に受け入れてもらえるか心配らしい。
(あの人がお父さんだったら嬉しいな。)
ニーナはそう香世子に言いたかった。
しかし、寅雄をお父さんと呼ぶのは戸惑いがあった。
それは、寅雄を新しい父として受け入れることだけではなく、なぜか寅雄をお父さんと呼ぼうとすると身体中に甘い痛みがかけめぐるからである。
ニーナは無難なことを香世子に述べて眠りにつくことにした。
次の日も香世子の容態は良くならず、二人で滑りに行った。
ニーナは相変わらず下手なままであったが、寅雄がいるからかスキーも楽しかった。
寅雄はスキーを教えるのがあまり上手ではなかったが、ニーナと同じペースで滑ってくれたのである。
彼は豪快で明るく楽しい人であるが、手取り足取り何でも教えてくれるわけではない。
明朗快活な性格だがなんとなくそっけない寅雄のことがニーナは気になりはじめた。
ニーナの中で寅雄の存在はだんだんと大きくなっていった。
その日の夕方、二人はスキー場の近くの絵の展覧会に行くことになった。
寅雄の友人の絵画もそこに飾っているそうだ。
美術館巡りが趣味のニーナはワクワクした。
二人は会場の中に入り、並んで美しい絵画の数々を鑑賞している。
寅雄は、ふいにニーナに尋ねた。
「何か将来やりたいこととかあるの?」
ニーナは彼女の頭の中を覗かれたようでドキッとした。
彼女は高校卒業後は、美大に進学したいと考えていた。
しかし、そんなことは香世子に言えない。
香世子は、父のことを思いだし絶対猛反対するに決まっているのである。
「……。」
ニーナは黙って何も言わなかった。
寅雄は珍しく落ち着いた声のトーンで、
「ゆっくりやりたいこと見つければいいよ。」
と言った。
ニーナは寅雄に気持ちを見透かされているようで狼狽したが、自分のことを本当に分かってくれている人がいて嬉しかった。
夜、晩御飯を二人で例の店で食べた。
寅雄の知り合いのバンドのメンバーが来ていたせいもあってか、盛り上がっていた。
ワイワイと楽しそうな歓声が店中に響き渡っている。
そして、店主お手製の色んなごちそうが次々に出てきた。
ニーナはいつも一人で家で食事を摂ることが多いため、皆で食事をすることができてなんだか嬉しくなった。
カッコいいバンド演奏の後、寅雄も飛び入りで歌を披露した。
彼のジャイアンの様な歌声で周囲の人々は冗談めいた罵声を浴びせた。
それでも皆楽しそうだった。
寅雄は皆に笑顔を振り撒いた。
(ずっとこのまま時間が過ぎなきゃいいのに。)
ニーナは心の中で願った。
しかし、ニーナの儚い願いも虚しく店は終店時間を迎え、客は消えていった。
夜、寒空の下、ニーナと寅雄はホテルに向かう。
酒を大量に飲んでいた寅雄の足どりはおぼつかない。
ニーナは寅雄を支えながら歩いた。
大柄な寅雄はニーナが支えるには重さの限度を超えていた。
彼を支えて歩くのは大仕事であった。
けれども、ニーナは寅雄の体温がずっと近くに感じられて嬉しかった。
寅雄がカーデガンの様にニーナの上に覆い被さっている。
暖かい。
胸の中をじんわりしたものが広がっていくのをニーナは感じた。
(私、この人のことが好きだ。)
それはニーナの初恋であった。
ニーナの涙が頬をつたう。
寅雄は酔いが醒めたようで、ニーナが泣いていることに気づきぎょっとする。
「俺、何かした!? べろべろだったから分かんないや。」
彼はニーナを気遣う。
「そうじゃないんです。……ただ……嬉しかったんです。」
彼女は泣きながら笑顔で答える。
「……そう。……なら、よかった。」
寅雄もいつもと違う優しげな目付きでニーナを見つめた。
満天の星空が二人を包んだ。
翌朝帰る用意をして、車に乗り込んだ。
香世子はニーナに忘れ物はないか尋ねた。
ないとニーナは答えた。
目を閉じると寅雄の笑顔と豪快な笑い声がニーナの脳裏によぎった。
悲しいけれどなぜか幸せな気分で満たされるのである。
香世子とニーナを乗せた車はスキー場を後にした。
ゲレンデに初恋を捨ててきたのは彼女だけの秘密だ。
終わり
まだまだ下手なところはありますが、これからも書き続けます。