表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サムライトリップ・イノグランド  作者: TKG
第4部 帝国進撃編
77/88

第77話 シャムラ村の糸伝説


──ツカサ──




 誘拐騒ぎのあったマティナの街から小一時間。

 俺達は兄妹三人と共に、シャムラという村に到着した。


 思ったより近かった。というのが正直なところだ。

 車のない異世界だと、平気で一日二日歩かないとつかないなんてこともザラにあるから。


 一日かからないと言われていても、昼に出て日が沈む前に着けばいいな。なんて思っていたくらいだ。


 それが、まだ日の高いうちにつけたというんだから、驚いても不思議はないと思うのだが、どうだろう?



 村の入り口をあらわす門をくぐると、その先には一面もふもふ草。正式名称モザールという草の畑が大きく広がっていた。


 クレーターのように地面から少し低い谷間の地形一面に広がる白いモザールの綿毛。

 それは、砂漠も近い荒野の中に、雪が降り積もったかのようだった。


 それは、赤熱の太陽が降り注ぐ中、雪国に来てしまったのかと錯覚しかねないほどの光景だ。


 こいつは、すげえ。

 こんな光景を見に来ただけでも価値はあったかもしれない。


 このまま畑に飛びこんで泳ぎだしてみたいところだけど、あのもふもふな綿毛があるのは草のてっぺんだけだから、きっと望むような結果にはならず、ずぼっと突き抜けて地面に叩きつけられるのがオチなんだろうなぁ。

 だが、畑でなく小屋いっぱいのもふもふほくちなら、泳いでも問題ないくらいの量はあるはずだ!


 俺達が。

 いや、俺がこの村まで彼女達を送り届けた目的は、その小屋いっぱいのもふもふほくちを堪能するためにあるんだから!


 ちなみに建前上としては、誘拐でこうむった損害の分を補填してあげるというものである。



「おやまあ。ネーシャちゃん。ネーシャちゃんでねえか!」

 俺達が村に入ると、畑の中からお婆ちゃんが出てきた。


 このネーシャってのは、この前助けたお姉さんの名前だ。ついでに弟はマッシャで、その妹はリッシャ。思い出したかな?


 意外にモザールの草ってヤツは背が高い。お婆ちゃんがしゃがんで作業していたら完全に隠れるくらいの高さだ。

 だから、今までそこにお婆ちゃんの姿が見えなかったのも当然というわけだ。



「ネーシャちゃん。無事だったんだねぇ。うちのバカ亭主が変なことを言って、マッシャ君泣かせたから、心配していたんだよ」


「心配をかけました。でも、こうして無事戻ってこれましたから!」


 三姉弟の長女、ネーシャが元気よく腕をL字に突き上げ、二の腕を叩いた。


「おお。よかったよぅ。よかったよぉ」


「もう。大げさよ」


 女神様に祈りをささげはじめたお婆ちゃんに、ネーシャさんはけらけらと笑った。



「あとでうちのバカ亭主、謝りに行かせるからね。ごめんね。怖い思いさせて、二人共」


「いいんだ。そのおかげで、ねーちゃん助かったから!」

「うん!」

 マッシャとリッシャの二人が笑顔で返す。



「それは、どういうことだい?」



「まあ、いろいろあってね。詳しいことはまたあとで話すわ。今日は、その助けてくれた恩人に一晩の宿を貸さなきゃいけないし、おもてなしもしないといけないから」


「ああ、そうだね。恩人なら、大切にもてなさないとねぇ」


「それじゃ、またね。おばさん」


「ああ。またねぇ」



 そうして村の入り口でお婆ちゃんと別れ、俺達は彼女の家に案内された。


 粘土とレンガを組み合わせて壁を作り、そこに木の屋根を渡して作られた戸建の家だった。

 家族三人で住むには少々広い。元々は三世代くらいの家族で生活するよう作られた大きさだった。


 風雨。風にさらされたせいかぼろぼろになった壁は、かなり年季が入っているように見える。


 修復する余裕がないのか、それともそういう味として楽しむ文化なのかは、異邦人の俺にはわからない。



 入り口は木のドア。



「部屋は余ってるから、好きなところで寝てもらうことになるわ」


「あ、それより……」


 姉のネーシャが扉を開けようとしたところで、俺は思わず口を開いてしまった。

 それほど例のブツが待ちきれなかったということだけど、どうかヒかないで欲しい。


 村の入り口で思わずそう思い描いたそれが、もう少しで実現しようというのだから、案内を思わずせかしてしまのも仕方のないことだろう。


 はよ。

 はよっ! って気持ちが前面に出てしまっても!


 欲しいものが手に入る目前なんだから、どんどんその期待と興奮が高まって待ちきれないのを理解してほしい!



「わかったわ。じゃあ先に、小屋の方に行こうか。ホントに全部買う気なの?」


「ああ」


「普通こういうの、全部売れるわけじゃねえんだから、ツカサの酔狂に得したと思えよ」

「それは否定しないけどね」


 酔狂か。リオに酔狂言われた。

 いやでも、正直な理由言ってないし、ただの善意のように見えるから、そういわれても仕方がないか。



 小屋は、家の裏手。彼女達の畑と家の間にあった。

 それは、石と土壁で固められた、ザッ、倉庫という建物だった。


 入り口は正面の木の扉と、天井にも蓋みたいな窓のようなものがあるのが見えた。

 天井のは倉庫の裏手からそこに上がり、その窓からほくちをほうりこむための物らしい。


「マッシャ」

「うん」


 名前を呼ばれた弟君が、懐から鍵を取り出した。


 彼女はそれを使い、木の扉を開ける。


 ぎぃ。と鈍い音を立て、その扉は開いた。



 暗闇だった倉庫の中に、外からの光がさしこむ。



 おおっ!


 中を見て、思わず声を上げそうになった。


 小屋の中には、あふれんばかりのもふもふほくちがあった。

 入り口の前にネットが張ってあり、そのおかげで入り口からはあふれてこない。


 天井近くまでつめこまれたそれは、上から飛びこめば間違いなく泳げるだろう。

 ネットに飛びつけば、巨大ぬいぐるみに抱きしめられたかのような感触も楽しめるだろう。


 すごい。こいつはすごいぞ!

 俺の思い描く、もふもふの楽園が、確かにそこにあった!!



 あぁ。なぜこれが、地球にはないのか。

 世の中ってほんとままならない。


 なぜ俺は、これを地球に持って帰って育てられないのか。

 俺なら、この世のものとは思えぬさわり心地の最高のもふもふ草にしてやるというのに!


 俺がもって帰れるのは記憶と記録だけ。

 まっことこのルール。残念でならんにごわすよ!


 なぜ俺は自由にこっちに物が持ってこれるというのに、こっちからは記憶しかもって帰れないのだ!


 いや、記憶や経験が大切ってのはよくわかる。わかるよ。

 でも、こんな素敵な物を目の当たりにしたら、そう思わざるを得ないってもんだよ!



 だが、どれだけ願ってもそれはかなわない。

 俺にそんな力はないのだから。


 だから俺は、残されたこの一瞬一瞬を大切に生きるしかない。


 持って帰れないというのなら、この世界でしか堪能出来ないこれを、最大限までしゃぶりつくすのが礼儀というものだろう!

 小屋いっぱいのこの草。俺は、このすべてを揉みつくして……



「……こいつは、ダメね。売れないよ」


「はいぃ!?」


 扉を開け、中を確認したネーシャ姉さんの第一声がそれだった。

 その言葉に、俺も思わず声を上げてしまう。


「い、いったいどういうことだってばよネーシャさん!」

「そうだぜ。いきなり売るのが惜しくなったってのか?」


 俺の言葉に、リオも続く。

 どんな理由があろうと、約束を破るのはいけないことなんだぞ!



「売るのが惜しいとかそういうわけじゃないわ。こいつらは売り物にならないの。不良品なのよ。そんなものを、恩人に引き取らせるわけにはいかないわ」


『どういうことですか?』

「不良品? 拙者には、弟殿が売っていた物と違いがわからんが……」


「マッシャが売っていたのもこれと同じもの。つまりは、それも不良品だったってことよ。私の管理が悪かったのね。これじゃ、例えばらしても、火のつきが悪い、ほくち失格の代物になっちゃってるの」



「つまり……?」


 恐る恐る、俺が聞く。

 答えは出ているけど、まだあきらめたくないからだ!



「この小屋にあるものは、一つたりとも売れないってことよ」



 なん、ですと……っ!?



「待てよ。しばらく収入なかったのに、こいつらが売り物にならなくて、大丈夫なのか?」


「大丈夫よ。たくわえはないわけじゃないし、畑にモザールはまだまだあるから。それより、不良品をこんなにいっぱい持って歩いて、モザールほくちの評判が悪くなる方が大事になるわ。あなた達、これから帝都の方へ行くんでしょう?」


「うっ、確かに」

「品の評判は、確かに死活問題にもなりかねんからな……」


「これがいいものならむしろ全部持っていってもらうけど、そうじゃないんだから、あきらめるしかないわ」



 プロの誇りと、先を見据えた考えってヤツですかー!

 目の前に吊り下げられた餌に食いつくんじゃなく、長期的、広い視点で見て、これは売れないってことですかあぁぁぁ!!?



「そういうわけだから、あきらめて」


「あっ……」


 ぱたんと、とめる間もなく入り口は閉められてしまった。

 あまりのショックに、俺はまったく反応することも出来なかった……



「おねーちゃん。ボクが勝手にあけちゃったから?」


「違うわ。私のやり方が悪かったの。マッシャのせいじゃないよ」


 彼女は弟の頭を優しく撫でた。

 むむっ。あの撫で方。なかなか悪くない……!


 ……はい。現実逃避です。



「そんなわけだから、悪いんだけど今後の仕込とかしなきゃいけないから、畑に行きたいんだけどかまわない? ついでに夕飯の材料もとらなきゃだしさ。あ、夕飯いらないとか言わないで。お礼はちゃんとしないと私の気がすまないから」


「うむ。拙者達にとめる理由はない」

「だな」


 マックスとリオがうなずく。


「ボク達手伝うー」

「あたちもー!」


「じゃあ、お姉ちゃんとお芋掘りに行こうか。恩人におっきなの掘ろうね」

「うん!」

「うん!」


「しばらくしたら呼びに行くから、村を適当に散策でもしていて」



 そうして三人は手をつなぎ、裏の畑にむかったようだ。


 俺はそれを、ただ唖然と見守るしか出来なかった。



「やれやれ。おいら達がどこで使って誰に見られるかもわからねえから、どうしようもねえか」

「あるのなら使わぬわけにもいかぬしな。長い目で見れば、妥当な判断であろう」



 二人が言っている通り、販売拒否されたあれを買うという説得が出来そうにないからだ。


 質の悪いほくちだから、ほくちとして使わないから買い取るよ。と言うことも考えたけど、じゃあなにが目的でと言われると返答に窮してしまう。

 支援のためと名目は、最初に不良品だから売らないと言われた時点で意味がなくなったから、それ以外。それ以上の理由をあげなきゃならない。


 そりゃ、あるけど、もっともっと大きな理由あるけど、もふもふしたいだけだから売ってくれなんて言えるわけなーい!


 確かにほくちとしての性能はどうでもいいし、本命はそのさわり心地だけど。

 あのもふもふほくちを撫で回してその感触を堪能したいだけだけど、さすがにそれを口にして、どうせ捨てるんだからいいじゃん。くれよ! とか言えるわけないよ!


 なにその職人の苦労やプライドなんてドブに捨てろ宣言。

 将来のこととかそういうの全部無視した失礼な発言。


 そんなこと言ったら間違いなくぶん殴られる。


 リオやマックスからも、失望しました。俺の友達やめますなんて視線で見られちゃうこと必至!



 だから、そのまま行かせるしかなかった。

 いい説得法が思いつかなかったから!


 なぜだ。


 なぜ、こんなことになった!



 目の前に楽園はあるのに。

 ベヴンがそこにあるのに。


 たった一枚の扉に閉ざされてしまうなんて……!



 ネーシャさんが聡明じゃなくて、目の前の金に飛びついてくれるような人な……



 ……人、なら?



 ぴん。ときた。


 そうだ。そもそも別に、ここの小屋にこだわらなくてもいいじゃないか!


 もふもふほくちことモザールほくちはここの特産品。

 なら、他の人も生産しているはずだ!


 それは別に不良品ではなく、金さえ積めば売ってくれるはずのもの。

 しかも金に目がくらむ人なら見事に全部売ってくれるかもしれない!



 なんてことに。

 なんてことに気づいてしまったんだ俺は。天才か!


 不良品と正常品にどんな違いがあるかはわからないけど、手に入らない高嶺の花より、確実に手に入る物を選ぶのも一つの勇気!

 決して説得する材料が皆無だとか、正直に欲しい理由を話す勇気がないとかそういうわけじゃぁ断じてない!



「ところでツカサ殿。ネーシャになにか言いたいことがあるようでしたが?」

「そういや、入り口閉めた時なにか言おうとしてたな」


「さ、二人共。村を散策してくるよ。ついてこないなら置いてくから」


 俺はすたすたと、歩きはじめた。



「ちょっ、ま、待ってくだされツカサ殿ー!」

「散策なら一緒に行くってー!」



 ふー。なんとか追求はかわせたようだ。

 さすが、俺!


 こうして俺は、新たな楽園を求め、村をさ迷い歩くことになるのだった。

 しかし、すぐに気づかされることになる。


 俺の求める楽園は、ココにしかないと……




──ツカサ──




 他の小屋からもふもふほくちを買い占めるとして、問題はいくつかある。

 まず、なぜ一小屋分買うのかという理由だ。


 マッシャ&ネーシャさん家族の場合は、勢いで口にした後、後付で誘拐されて出た被害を援助するという名目的理由があった。

 でも、他の人にはそれは使えない。


 素直にモフりたいからと口に出せればいいが、それが出来るなら殴られる覚悟でネーシャさんに頼んだ方が早かっただろう。


 今、他のところにも小屋いっぱいにあのほくちがあるのかという問題はあるし、リオ達への言い訳も考えなくてはならない。



 これらの問題を一気に解決出来る妙案はどこかにないものか……



 うーむ。

 と考えながらシャムラ村の中を歩いていると……



「あんれま。あんたら、どうしたんだね?」


 また、村の入り口で会ったお婆ちゃんと出会ったのであった。

 白い畑の中からぬうっと出てこないでください。お化けかと思うじゃないですか。



「夕飯まで時間があるというので、時間つぶしがてらに散策しているにござるよ」


「そうかね。モザールしかない村だから、見てもあまり面白いもんはないで」


「いやいや、荒野にいきなり現れる雪原のようなこの光景。これは王国でもなかなか見れるものではなく、簡単には飽きぬにござる」


「そうかね。いいこと言ってくれるねぇ。それじゃ、おばちゃんがこれをあげよう。さ、ささ」


 そう、おばちゃんが懐から取り出して俺達の手に乗せたのは、もふもふほくちだった。



「この村にゃ、これしかないからね!」


 すっごくいい笑顔で微笑みかけられた。ウインクまで。

 でも、これはむしろチャンスかもしれない。


 ここから小屋いっぱいのもふもふほくちを手に入れる交渉なんかにもっていければ……



 ……って、ん?



 俺の華麗な交渉術で自然な流れで交渉に持っていこうかと脳内シミュレーションをしようとしたその時、俺は、手の上に乗っているもふもふほくちの感触に違和感を感じた。


 なんか、感触がだいぶ違わない?


 重さを確かめるかのようにほくちを手のひらに乗せたまま上下させ、思わず首をひねった。



「どしたの、ツカサ?」


「いや、なんか、ネーシャさんのとだいぶ違わない?」



 俺の言葉に、リオが首をひねる。

 マックスの方も、手渡されたほくちをじっと見た。



「ちが、う。……の?」

「拙者にはさっぱり」


 二人共この違いがわからないようだ。


 いや、かなり違うよね? 手に乗ってるだけだけど、こっちのが軽いというか、しっとり感がないというか、ぱさぱさしてるというかさ。

 不良品の方がしっとりしてて、綿毛に艶があって、しっかり触れている感触があった気がする。


 おばあさんがくれたこれは多分、不良品ではなく、売り物となる正常品。

 確かにこっちの方が、触れれば簡単にバラバラになりそうで、よく燃えそうな感じがする。


 お婆ちゃんのほくちとネーシャさんのほくちと比べれば、ネーシャさんのは不良品だと言われるのもなんとなくわかる気がした。



「? どうしたんだい?」

 お婆ちゃんも、俺の反応を見て首をひねる。


「あ、いえ。ネーシャさんが不良品と言っていたのとこれ、ずいぶんと手触りが違うと思ったので」


「あんれま。よくわかるね。そうなったらもう捨てるしかないんだわ。乾燥がうまくいかなかったんだね。一度ちゃんと乾燥すればあとはほっといても平気なんだけど、留守にしている間に、ダメになっちまったんだねぇ。ネーシャちゃんも災難だね」



 確かに災難だ。

 リオもマックスもわからないみたいだけど、こんなにファーストタッチの感触も違うなんて。


 てことは……



「ちょっと失礼」



 思い切ってこの場でこれを揉んでみた。



「っ! やっぱり。違うっ!」



 揉み解した時の感触の違いに、思わず声が出てしまった。


 まさかここまでさわり心地が違うなんて。

 手触りのよさで言うと、不良品と拒否されたあのもふもふほくちの方が圧倒的にいい。こっちはちょっとぱさぱさしすぎる。


 触った感覚が薄くて、不器用な俺のやり方でもすぐぼろぼろになっちゃったから、ほくちとしては正しいのだろうけど、これじゃ、ダメだ……!

 この小さな湿気によってほくちとしての機能を鈍らされ、燃えにくくなった不良品の手触り。


 あの不良品の感触を知ってしまった今、俺は、これでは満足出来ない!



「これ、他のも同じですか?」


「もちろんだよぉ。それがモザールほくちさね。この村のどこへ行っても同じ品質で使えるのさ」



 となると、どこに行っても味わえるのはこの乾いたぱさぱさとした感触のモザールほくちということになる。

 俺が至高と思ったどこかしっとりとしてもっちりとしたあの手触りのもふもふほくちは、ネーシャさんとこの小屋に眠るあの不良品のみということになる!


 不良品だから、あの手触りだったということになるっ!


 なんてことだ。

 なんてことだ!


 これじゃあ他の小屋を買っても、もふもふざぶんしても、俺は『これ、やっぱ違うんだよなー』という小さな棘を感じてしまう。

 心の底からその楽園を楽しめないということになる。


 なんと。なんということだ!


 他の小屋で済まそうと思ったが、真の楽園は一つしかないだなんて。

 結局は、あの小屋以外にないだなんて……っ!!



 なんということなんだー!



「ダメだ。急いで戻らないと」



 もう恥とか外聞とか言ってられない。

 処分される前に、なんとか理由をつけて、あの小屋の中のもふもふほくちを確保しないとー!


 理由や口実は道中考えればいい。


 なんとしてでも、処分に待ったをかけなければー!



「ちょっ、ツカサ!?」

「ツカサ殿ー!?」



 俺は二人を置き去りにし、再びあの小屋へと舞い戻るのだった。




──マックス──




 小屋いっぱいのほくちの購入を断られた時、冷静沈着なツカサ殿にしては珍しく、どこか名残惜しそうな表情を見せたのがわかった。

 畑へむかうネーシャの背中に手を伸ばそうとし、あきらめたのだ。


 引きとめようとしたが、彼女の心情に配慮をし、言い出せなかったような風であった。



 彼女が去ったあと、それとなく聞いてみたが、あっさりはぐらかされてしまった。



 いったいなぜ、あのようなほくちにこだわるのかと疑問に思ったが、その答えは、すぐに出ることとなった。

 ツカサ殿はただ金銭で彼女達を援助するだけでなく、この村の未来さえ見据えて動こうとしていたのだと……



「あんれま。あんたら、どうしたんだね?」

 ツカサ殿を追いかけ村を散策していると、村の入り口のところで出会ったご老人と再び顔をあわせた。


 時間つぶしの散策であることを伝えると、彼女は拙者達にモザールのほくちを手渡してきた。

 先ほどネーシャが不良品だと言ったのとは違い、こちらは正常な品のようだが……


 正直、違いがわからない。



 しかし、ツカサ殿はそれを持ち、首をひねる。



「どしたの、ツカサ?」


「いや、なんか、ネーシャさんのとだいぶ違わない?」



 言われ、改めてそのほくちをまじまじと見たが、拙者もリオも、この正常な品と不良品の違いがわからない。

 そもそも街であの少年が売っていた物と、小屋にあった物。そしてこれと、どれも同じほくちにしか見えない。



「? どうしたんだい?」

 ご老人も、ツカサ殿の反応を見て首をひねった。


「あ、いえ。ネーシャさんが不良品と言っていたのとこれ、ずいぶんと手触りが違うと思ったので」


「あんれま。よくわかるね。そうなったらもう捨てるしかないんだわ。乾燥がうまくいかなかったんだね。一度ちゃんと乾燥すればあとはほっといても平気なんだけど、留守にしている間に、ダメになっちまったんだねぇ。ネーシャちゃんも災難だね」


 どうやらほくちの生産者たるご老人にはその違いはわかるようだ。

 つまりツカサ殿は、その道のプロと同じく、このほくちの些細な違いがわかるということ。


 さすがツカサ殿にございます。ツカサ殿は、こういったことにも造詣が深いとは。拙者、驚きを隠せません。



「ちょっと失礼」



 ツカサ殿はおもむろに、ご老人にいただいたほくちをその場で揉み解しはじめた。

 この場で使うわけではないが、なにか確かめたいことがあったのだろう。



「っ! やっぱり。違うっ!」


 街の時と同じように揉み解したが、今回のこれは、見事にばらばらとなった。

 街の時とは違い、手の中から零れ落ちるほくちの欠片を見れば、さすがの拙者達もその違いがわかった。


 確かにこちらの方が、より細かくなり、よく燃えそうだ。



「これ、他のも同じですか?」


「もちろんだよぉ。それがモザールほくちさね。この村のどこへ行っても同じ品質で使えるのさ」



 つまりこのぱらぱら感が、正常なモザールほくちということになる。

 確かに街で見たあれと状態が大きく違う。不良品とネーシャ殿が言い切ってしまうのも納得がいくしろものだった。


 拙者もリオも、顔を見合わせ納得する。



「ダメだ。急いで戻らないと」


 なにかを確信したツカサ殿は、そうつぶやいた直後、大慌てできびすを返し、もと来た道を走り出した。



「ちょっ、ツカサ!?」

「ツカサ殿ー!?」


 いったいなにが起きたのか。

 正直拙者達にもわからなかった。


 ツカサ殿は拙者達の制止も聞かず、ものすごい勢いで走っていってしまった。



「なんなんだい、いったい。若い子は、わからんねぇ」

 あまりのことに、ご老人も当惑しておられる。


 共に旅する拙者達とて意味がわからないのだから、なおのこと理解は出来ないだろう。



「これでいったい、ツカサはなにに気づいたんだよ」


 リオが、ツカサ殿がほぐし、地面にこぼれたほくちの欠片を拾い上げ、光にかざした。



「なにかわかるか?」

「ぜーんぜん」


「ご老人は?」


「綺麗にほぐせてるねぇ。これならよく燃えるよ。あの子、ほぐすのうまいんだねぇ」


 ご老人の感想は、なんか見当違いだと、拙者でもわかった。



「そうだ。先ほどツカサ殿が街でほぐしたのが拙者のほくち箱に入っている。それと見比べればなにかわかるかもしれん」


 ほくち箱を取り出し、蓋を開けた。

 そこには街でツカサ殿がほぐしたモザールのほくちが入っている。


 それでもわからなければ、リオの袋に入れたままのほぐしていないほくちもある。



「……」

「……」


 ほくち箱を取り出しぱかっと開けてみたが、正直、見てもなにがどうなのか、さっぱりわからなかった。

 一番上に、ツカサ殿がほぐそうとしてまとまってしまったモザールほくちがある。


 ある。が、それとこれとで、いったいなにが違ってダメなのか、拙者達の頭脳では答えが導き出せなかった……


 ツカサ殿。あなたの千里も見通すまなこと聡明な頭脳が導き出す答えは、我等凡人には難解すぎるにございますよ。

 毎度ヒントは出していただけておりますが、もう少し、もう少しだけ、お優しくお願いいたします……



「ほー。いいほくち持ってるねえ」


 拙者達と一緒に、ご老人もほくち箱をのぞいていた。



「この、一番上にある塊。これはなんだい? 綺麗な綿に見えるけど」


「ああ。これは、この村に来る前、ツカサ殿がお試しとしてモザールほくちをほぐして出来た物に……」


 ……っ!

 ご老人の疑問に答えようとそこまで口にし、拙者はある事実に気づいた。



「なあ、おばちゃん。一個聞いていい?」


「なんだねぇ?」


 拙者が思わず黙ったところで、リオが口を開いた。


「村全体でさ、このモザールを糸や綿にしようとしたことってある?」


「ああ。あったねぇ。ネーシャちゃんとこのおじいさんは特に熱心でね。でも、どれもうまくいかなくて、いきついたのがこのほくちってわけさ」


 ご老人が、どこか遠い目をして、オレンジ色に変わりはじめた空を見た。

 その夢はまだあきらめ切れていないという過去への哀愁にも見えた……


「やっぱり……」

「うむっ!」


 リオと拙者は、同時にうなずく。



「ちょい」

 リオが袋から棒を取り出し、ちょちょいと細工をし、簡易の紡錘を作り上げた。

 ちなみに紡錘とは長い木の棒の先端に回転力を高めるおもりの円盤をつけ、その回転力を用いて繊維をねじって撚りあわせ、糸にするための道具だ。


 リオはそれを片手に、ツカサ殿がほぐし損ねたそれをつまみ、伸ばし、紡ぎはじめた。



 しゅるしゅるっ。



 するとそれは、見事な糸に変化していった。



 きらきらと輝きそうな、美しい糸だ。


「糸だ」

「糸にござる」


「糸だ」

「糸にござるぞ!」


「糸だねぇ」


 拙者達の興奮に、ご老人も思わず声を上げる。


「これだよ。ツカサの目的は!」

「これにござるぞっ!」


 そしてこれが、ツカサ殿の求めていた、答え。

 拙者達が思った疑問の答えだったのだ!


 ツカサ殿はあの時、誘拐の件だけでなく、この事実にも気づいていたのか!

 少年から話を聞きだすためだけでなく、小屋一つを買い占めようとしたのは、これが事実かどうかを確認するため。小屋いっぱいのモザールがまとめられれば、立派な糸を紡ぎ、布を作れる!


 誘拐の後始末を他に任せ、ここに急いできたのも、それを確認するため。


 ツカサ殿があのネーシャの拒絶を名残惜しそうにしていたのは、その確認が出来なくなったと思ったから。

 彼女の意図を察してなにも言わなかったのも、あの時は正常な品でも出来るとお考えだったからだ。


 しかし、正常な品では糸は出来なかった。


 すなわち、あの不良品でなければ糸は出来ぬと悟られたのだ!



 だから、急いで来た道を戻った。



 村の希望ともなるモザールを、処分されないように!



 すべてのことが繋がり、拙者達の視界が開けたような気がした。


「ご老人、御免!」

「お婆ちゃん、また!」

 同時に、拙者達も小屋にむかって駆け出していた。



「なんだったんだろうねぇ。今のは。若い子の考えることは、わからないよ」




──ツカサ──




 俺は走った。

 あの不良品の烙印を押されたもふもふほくちの処分に待ったをかけるために。


 だが、走る中いろいろ考えた結果、どう考えても処分に待ったをかけるのは無理だと悟った。


 だってあれ不良品だもん。ネーシャさんが処分しない理由なんてないもん!

 最初に不良品だから売らないって言った人に、その処分やめてなんてどう説得しろってのさ!


 正直にあれでをモフモフして楽しみたいと言えれば希望は出るかもしれないけど、さすがに自分の性癖を大きな声で口にするのはちょっと。いや、かなり恥ずかしい。

 そもそもそんなこと告白出来るのなら、一番最初の売らない時にそう言ったってのはもう何度目だ。


 出来ればそれをすることなく、ほくちの処分に待ったをかけたかった。

 かけたかったが、そいつは俺の頭脳では導き出せない、無茶な要求だった。


 だが俺は、そこで逆転の発想を得た。


 処分されるのは避けられない。なら、その処分するのを手伝って、その時大いに楽しめばいいじゃないか!

 そうすれば、運ぶ時ほくちを両手で抱えて手で、体で、顔でその感触を楽しめるし、誤って転んだりとかしてうっかりほくちのお山に頭をつっこんだりするハプニングもあったりするかもしれない。


 処分するんだから、一見ぞんざいにあつかっているように見えても怒られることはない。


 そう。処分にかこつければ、むしろおおっぴらにやれなかったことがやれるような気がするじゃないか!



 俺は、なんてことをひらめいてしまったんだ。



 処分を手伝うという理由なら、不良品を売らないとかそういうのは関係なくなる。これはあくまで善意の行動。熱意を持って頼みこめば、ネーシャさんも「しかたないなぁ」と折れるに違いない。

 そしてネーシャさんは処分の手間が省け、俺はあれを楽しめる。俺が撫でリストというのも周囲にバレることはない!


 完璧。完璧じゃないか!


 俺は確信し、ネーシャさんにほくち処分を手伝う約束をするため。ほくちを堪能するため、あの人がいる畑の方へと走っている!



 ちなみに、オーマはこの村に着く前からちょっと早めのお休みをとっている。

 今までずっと静かだったのはそういうことだ。


 誘拐事件を解決するのに人探しでがんばりすぎた反動らしい。


 まあ、オーマのおかげで解決したのも同然なんだから、この睡眠は名誉の就寝といえるだろう。


 今日はゆっくりと休んでほしい。



 だがオーマが寝ているということは、周りを見ている人もいないということだ。

 だから……


「あ」

「あっ」


 小屋の方にむかって走るネーシャさんと思いもがけず鉢合わせしてそんな声を上げてしまってもおかしくないことだろう。

 というかなんでこの人も、小屋の方へ走ってるの?


 いや、それはどうでもいい。

 むしろ、好都合!



「ちょうどいい。ネーシャさん。お願いがあるんです。あの小屋のほくちの処分、俺にやらせてはもらえませんか!」



 俺は鉢合わせした驚きから立ち直った瞬間、ネーシャさんにお願いをしていた。

 心の熱意を最大限にこめた、不退転の決意とともに!



「……いいわ。ちょうど私もそれを考えてたの。手伝ってくれるならありがたいわ」



 ちょうど片付けようと思っていたところですとー!?

 だから、小屋にむかっていたのですか。


 つまり、ギリギリのセーフ!

 なんとか処分前にすべりこむことが出来たー!


 心の中で、ガッツポーズ。

 これは、手伝うしかない!

 ないじゃないか!


 俺はネーシャさんに連れられ、もふもふほくちのつまった小屋へむかった。


 再び鍵が開けられ、その楽園の扉が開かれる。



 ふおおぉ。

 また会えたー!


 小屋の中には、きらきらと輝く(俺主観)、真っ白いほくち達がそこにあった。



「じゃあ、運びやすいように好きにまとめて入り口に運んで。私は外で、それを運ぶ準備をするから」



 と、彼女は俺を小屋に入れる。


 なんですとっ!?

 俺に好きにやれですと?


 いや、冷静に考えれば、適材適所。ほくちをとって外に出すというのはけっこう重労働なのかもしれない。

 それをパワーのある俺にまかせるというのは、ある意味正しい。


 むしろそれがいい!

 俺だけでいい!


 外から彼女がどうするのかは知らないが、小屋に俺だけなら、それは最高のシチュエーションじゃないか!



「任せてください!」



 俺は異論を発することなく、ネーシャさんの指示に従い、小屋のほくちに手を伸ばした。

 まとめろっていうんだからしかたないよねー。


 そりゃまとめたら小さくなって、運びやすくなるもん。

 しかたないよねー。


 なんて、このほくちの特性を考えればその指示はおかしい指示だったなんてまったく欠片も考えず、指示なんだからしかたがないと、都合のいいことだけを鵜呑みにして、作業を開始するのだった。



 もふっ。


 おふっ。

 手にした瞬間、思わず声が出そうになった。


 そうそう。これこれ。この手触り。

 これは、正常品では味わえなかった手触りだ。


 どこかしっとりとして、手に絡みつくような、それでいてさらりと指の間をすり抜ける。言葉で表現するのはとても難しい、一言で言っていいならとても気持ちいい感触だった。


 ただ、この素敵な丸い球体は、撫で回すとすぐに小さくなり、その素敵な感触は失われてしまう。

 街の時はこれで終わりだったが、ここにはまだまだ在庫がある。


 あの時は出来なかった、この小さくなった塊をさらに集めてみたらどうなるのか。という興味もむくむくとわいてきた。


 俺はその好奇心を抑えることもなく、手に残るそれと、新たなほくちを両手に握る。


 合体。

 合体。


 合体!


 ほうほう、そうなりますか。


 一度小さくなってしまい感触が小さくなったのも、こうして再び両手に収まるほどたくさん集めれば、そのしっかりとした手触りから別の扉を開いてくれそうだ。

 最初のやわらかさはないが、こうなるとしっかりとして、しっとりとしてふにふにして、これはこれで悪くない!


 こいつは、集めて二度おいしいってヤツじゃないか!


 俺は運びやすいという言い訳を背に、こいつを抱えられる一杯の大きさにまとめ、ほおずりとかしてその感触を最大に味わった!



 さすがに抱えきれなくなるほど大きくなれば、それを指示通り入り口の方へ転がし、俺は新たな塊の作成に入る。



 大玉を四つくらい作った時だろうか。

 ネーシャさんが俺の隣に座り、同じようにほくち球を作りはじめた。


 視線を入り口にむけると、マックスとリオが、入り口につけられた荷車へほくち球を乗せているのが見えた。



 なんてこった。更なる人手が現れたから、今度はネーシャさんがまとめる方に加わって、作業スピードを上げようって魂胆か!

 そんなの。そんなのいらないのに!


 そんなことされたら、俺の取り分が減っちゃうじゃないか。

 俺の楽しみがなくなっちゃうじゃないか!


 こうなったら仕方ない。速度を上げて、ネーシャさんより多く、この楽園を楽しむしかない。

 本当なら多く長く楽しみたいところだが、彼女の目的と俺の目的は違うところにある。


 こればっかりは、しかたない……っ!



 だから、早く、多く。それでいて濃密に、この至福の時間をすごす。俺は!



 もふもふもふ。

 もふもふもふ。


 もーふもふもふももも!



「……」



 ……うん。飽きた。

 小屋のを全部モフってやろうと意気込んでたけど、八割くらいやったところでさすがに飽きたよ!


 やっぱ、生き物と違って帰ってくる反応が同じだから、それが悪いのかもしれんね……



 飽きたなー。



「うん。もうこれくらいでいいわ。残りはそのまま籠に入れて荷車で運ぶから」


「わかりました!」


 それは天の采配!

 残り一割に入ろうとしたところで、ネーシャさんの新たな指示が出た。


 なので俺は、それに逆らわず、その指示に従った!



 残りを小屋にあった籠に入れ、外に運ぶ。

 外で待っていたマックスがそれを受け取り、荷車へ乗せた。


 あぁ、少しばかり名残惜しいけど、これにて堪能の時間も終わりだ。



 飽きるほどにモフれて、俺は大満足。外に出ると風が涼しい。気づけば、もう夕日がだいぶ傾いているのがわかった。



「思ったよりも早く終わったわね。でも、夕暮れも近いわ。悪いんだけどリオ、夕飯を作るの、手伝ってもらえるかしら?」


「ああ。かまわないぜ」


 小屋から出てきたネーシャさんが外を見て、リオに頼む。



「では、拙者はその間にこれを広場の方へ運んでおこう」


「お願いします」


 そう言うと、マックスは元小屋いっぱい分のほくちがのった荷車を引き、歩いていった。



「えーっと、俺は……」


「あとはゆっくりしてて。君は村の夢をかなえてくれた恩人。これ以上手間はかけさせられないわ。今日は、本当にありがとう」



「え? いや、大げさですよ。俺はただ、ほくちの処分を手伝っただけ。それを感謝されたとしても、それ以上のことでお礼を言われるいわれはありませんよ」



 村の夢がなんのことかさっぱりだけど、俺はただ、もふもふほくちを思う存分撫で回しただけなんだから!

 むしろ、片付けにかこつけて欲望を満たしただけだから、感謝されると微妙に罪悪感があるってのは秘密だぞ!


 だから、ありがとうと言われても後ろめたいのだ。



「……そうね。そうだったわね」


「だから、お礼はこれ以上はいりません」


「わかったわ。この件については、もう言わないわ。でも、私達が感謝しているということだけは、忘れないで」



 そんなに感謝されるようなことした覚えは欠片もないんだけど。

 でも、感謝してるってんなら、それは素直に受け取っておこう。


 悪い気はしないからね!




──ネーシャ──




 ほくちは売れないと断り、ツカサ君達三人と一度わかれ、私はマッシャ、リッシャの二人と一緒に裏手の畑に来た。

 そこで二人と一緒に、今夜の夕飯の材料と、ほくちを新しく作るための収穫をはじめる。



 ……ああっ、カッコつけすぎたかしら。


 弟達が芋を掘りに行き、ほくちの材料となるモザールの綿毛を集めようとして、思わずため息が出そうになった。


 弟達が近くにいるし、心配はさせられないから、実際にため息はつかないけれど。



 でも、小屋いっぱい分の売り上げは、半年以上の生活費にもなるのだから、思わず心が揺れてしまっても仕方のないことだわ。


 かといって、あれはほくちとしては不良品。

 形が悪いだけの規格外品とかではなく、形は同じで品質が悪いという代物だ。


 一応ほくちとして使えないこともないけれど、それを人前で使われてモザールほくちの評判が落ちるのは避けたい。


 人前では使わないと彼等は言うだろうけれど、どこで誰が見ているかもわからないし、ぽろっと口に出してしまうかもしれない。それに、お金のためにたやすくそれを売り渡すとすれば、生産者としての質も落ちる一方になる。


 ただでさえモザールほくちは生産時の管理が難しくてほくちとしては割高なのに、質まで適当だと噂が立ってしまったら、私だけでなく村そのものの存亡に関わる。

 より良いものを広めてもらうのはいいことだけど、悪いことを広めてもらっては困るもの。


 そんな無責任なこと私の一存で出来るわけがないわ。


 まあ、代替品の多いほくちの中で、モザールほくちの他にない良い特徴と言えば、ほぐす時の手触りがいいことくらい。

 そんなの、誰もほくちに求めていないから、広めてもらってもしょうがないことだけど。



 こんな時、父さんならどう判断したんだろう。

 やっぱり私と同じ判断をしたかしら。


 早く、帰ってこないかな。


 いくらここで畑を耕しているより稼ぎがいいからって、戦争するための兵士になんてならなくていいのに。

 私もあの子達も、ここでつつましく、父さんと一緒に暮らせていればそれで満足なのに。


 戦争は、ホント嫌。


 でも、皇帝が望んでるって話だから、どうしようもないわ……

 十年前、ダークシップが来てこの国も被害を受けたというのに、それでどうして戦争なんて出来るのかしらね。



 ああもう、気分が沈む。

 ダメダメ。気分を切り替えていこう。むしろ誘拐されて無事に戻ってこれただけでも幸運なんだから、それ以上高望みしちゃダメ!


 気持ちを切り替えて、今日の夕飯と明日のモザールのことを考えましょ!



「おねーちゃん!」

「ねーたん!」


「お芋掘れたよ!」

「んっ!」


 泥だらけになった二人が、両手一杯の芋を私に見せてくれた。


「すごい。大きいわね。これならあの子達も喜んでくれるわ!」


「わーい」

「えへへ」


 二人共かわいい。

 そうよ。私にはこんなにかわいい弟達がついていてくれるのだから、大丈夫!


 村の人達だっているんだから!

 もちろん根拠はないけどね!



「他に手伝うことある?」

「ある!?」


「そうね。それなら、モザールの綿毛を一緒にとろうか」


「うんっ!」

「わーい」


 籠を持ち、弟達と明日のための材料をとりはじめた。



 モザールの綿毛。

 これは、いわゆる綿と同じで、先端に咲いた花がはじけ、綿毛になっているわ。

 でも、モザールは綿とは違い、糸にしようと紡ごうとしても綿毛同士はまとまらず、タンポポって花の綿毛と同じようにバラバラに崩れてしまう。


 だから、ばらばらにしてほくちにするしか使い道がないの。


 畑にはまだ白い花を咲かせ、綿毛になる準備をしているのもある。

 咲かせる時期をずらして、長く収穫出来るようにしてあるのよ。



「くすくす」

 モザールの綿毛を見て、妹のリッシャが楽しそうに笑った。


「どうしたの?」

「んとね。思い出したの。あのサムライのおにーちゃん。とても不器用なのよ。あたちでも出来ること、出来ないの」


「へえ」

 まだ四歳のリッシャより出来ないって、それ相当ね。


「ほくちほぐすのくらいあたちでも出来るのに、あのおにーちゃんバラバラに出来ないんだから」


「バラバラに出来なかったのね」

 笑っちゃいけないとは思うけど、それは確かに不器用ね。

 あの時弟。マッシャが売っていたのは、火のつきが悪いだけで、バラすことに関してはさして問題があるものじゃない。子供でも簡単にバラバラにほぐすことの出来る代物だ。


 それをバラバラに出来ないなんて、どれだけ不器用なのかしら。


「そうなの。逆に塊になっちゃったの」


「……え?」

 リッシャの言葉に、私の手は思わず止まった。


「そういや、そうだったな。あのにーちゃん全然ばらせなくてさ、結局このくらいの塊のままになっちゃったんだ」

 こんな。と、補足してくれたマッシャが手で大きさを作ってくれた。


 それは、最初こぶし大だったほくちから、五分の一くらいのサイズに圧縮されただろう塊だった。


「あんなすごい人なのになー」

「ねー」


 二人で顔を見合わせ、あの子のギャップを思い出し、笑う。


 ほほえましく笑う二人に対し、私は動揺を隠せない。

 綿毛を摘む手さえ止まってしまっている。


 ちょっ、ちょっと待ちなさい。



 マッシャもリッシャも、モザールが糸や綿に出来なかったからほくちとして売られていることは知っている。

 村にいれば散々話題になることだから、知らないわけがない。


 けど、そのモザールをどうやって糸と綿にするかまでは、この二人は知らない。

 どうやって糸が作られるかなんて、糸もつくれていないのだから、知るわけもない。


 だから、この違和感を感じることはなかったんだろう。


 糸を作るためには、それを塊にして、そこから一部をねじりあわせることで、細い糸となる。

 つまり、紡ぐために。撚るために、その綿毛を塊にしなきゃはじまれない!


 モザールはそれが出来なかった。


 綿毛のような形をしているのに、それを寄り合わせようとしても、見事にバラバラになってしまう物だった。


 バラバラにしかならないから、モザールはほくちにならざるを得なかった。


 そのモザールほくちはこぶし大の綿毛を揉み解して使う。

 つぶすように揉むことで、それはバラバラに崩れ、ほくちとして使う以外にない白い毛の束にかわる。


 いくら不良品だからって、燃えにくいだけでそこは変わらない。普通にやれば、赤子だって綿毛をバラバラに出来る。いや、なってしまう。


 なのに、あの子は、それをまとめて塊にした……っ!?



 それはむしろ、不器用なんて話じゃない。もっと別の、そうじゃない次元の話よ!


 ありえない。と思うけど、この子達が私に嘘をつく理由はない。

 むしろ真実を見たままに語っているという可能性の方が高い。



 でも、それなら。


 それならっ……!



 確かめに行かないと。


 私はすぐそう思った。

 いてもたってもいられない。


 それが本当なら、小屋の中に眠るあのほくちで同じことが出来るはずだ。

 出来なければおかしい。


 なら、すぐにでも確かめにいかないと!



「二人共」


「なに?」

「今日はもうほくちはおしまい。お芋を持って先に家に戻っていてもらえるかな?」


「ねーちゃんは?」


「私はまだやることがあるの。先に戻って、お芋を綺麗にしておいて」


「うん。わかった」

「はーい」


 二人を家に送り出し、私は小屋に走り出した。


 確かめないと。

 確かめないと。

 確かめないと!


 その考えだけが、私の頭の中をしめる。


 それが本当に出来るのなら。綿毛をバラバラにしないでまとめることが出来るのなら、それを紡いで、糸になるから!

 この村の夢が。長年の悲願が、実現するのだから!!



「あ」

「あっ」


 小屋にむかおうとしたら、肝心の彼と鉢合わせした。


 こっちの道は、うちのほくちがある小屋しかないのだけど、どういうことなの?



「ちょうどいい。ネーシャさん。お願いがあるんです。あの小屋のほくちの処分、俺にやらせてはもらえませんか!」


 なん、ですって?

 耳を疑った。


 でもこれは、わたりに船かもしれない。

 あの子達が言ったことが本当に本当なら、処分ということでほくちに触れば、真実が見えてくる。


 まとめさせて、バラバラになったならそれでお終い。そうでないのなら……



「いいわ。ちょうど私もそれを考えてたの。手伝ってくれるならありがたいわ」



 やってもらうことにした。


 本来なら、命の恩人にさせるようなことじゃない。

 でも、確かめなきゃいけないことがある。なにより、彼がやりたいと言っているのだから、それをむげにするわけにはいかないもの!


 そう言い訳し、私はツカサ君をつれ、小屋へむかった。


 鍵を開け、彼を中に入れる。



「じゃあ、運びやすいように好きにまとめて入り口に運んで。私は外で、それを運ぶ準備をするから」


「任せてください!」


 まとめろなんて無茶な言い方したけど、彼からの反論異論はなく、私の指示に素直に従い、小屋の中のほくちに手を伸ばした。


 私はそれを、入り口で作業するフリをしつつ観察する。

 これで、謎がとける……っ!



 ……そういえば。

 彼の動きを目で追っている最中、ふと思うことがあった。


 ツカサ君はなぜ、戻ってきて処分を手伝いたいなんて言い出したんだろう?

 なにか目的があってほくちに触れたいというのなら、私が不良品と言って断った時、それならと言い出せばよかったはず。

 なのに、あの時はあんなにあっさりと引き下がって、今度また処分を手伝いたいなんて……


 感じた違和感。でも、その疑問も違和感も、彼がほくちを手にし、作業をはじめた瞬間、吹っ飛ぶことになる。



「っ!?」



 まるまるまるまるまる。



 その光景は、正直信じられなかった。

 モザールほくちを知る者にとって、目の前で起きている『ソレ』は、ありえないことだったのだから。


 ツカサ君がほくちを手の中で転がすと、それはみるみるうちにまとまり、縮まっていく。



 私の知るモザールほくちは、両手で揉んでまとめようとすれば、即座に崩れ、手の隙間からあふれるはず。すぐに手の中は空になって、手の中になにも残らない。

 なのに彼は、欠片も手からこぼさず、みるみるうちにほくちを小さくまとめあげてしまっている!


 信じられない。


 ほら、私が同じことをやっても、ぼろぼろ崩れて床にほくちの残骸が散らばるだけじゃない。

 思わず近くにあったほくちを手にしてやってみたけど、結果は散々だった。


 目の前のそれが現実と受け止めたくなかった私は、思わずほれみろと思ったけど、さらに信じられない光景が、私の目の前で繰り広げられることになる……



 え、嘘。



 彼は一つ目が小さくまとまったのを手のひらの上で確認すると、それを持ったまま、次のほくちへ手を伸ばした。


 もふもふ。


 新しく手にとったそれを、手のひらに残るそれとあわせ、再び揉み解す。すると、二つは合体し、新たな小さな塊が出来た。

 それがすむと、彼はまた別のほくちに手を伸ばし、二つをもみあわせ、どんどんその塊を大きくしていく!



 ちょっ。ちょっと待ちなさい。崩さずほくちをまとめるだけでも異常事態なのに、それをさらに合体させていくなんて!


 どんどんどんどん大きくなるそれは、まるで糸を紡ぐ前の、綿の塊のようにも見えた。



 となると、あとは……



「あとは、あの塊を紡げば、糸が出来る……?」


「ああ。出来るよ」


「ぴゃっ!」


 後ろから声をかけられ、思わず飛び上がってしまった。


 振り返ると、外にはマックスさんとリオがいた。



「で、出来るって、どういう?」


「あのまとめたヤツから、糸は出来るって言ったのさ」



 そう言い、リオは彼がまとめたほくちから簡易的に紡いだ糸を見せてくれた。

 まだ紡ぎ途中の、まとめたほくちから伸びた証拠の糸。


 その糸を見て、体が震えたわ。


 太陽の光を反射して、白い光を放っているようにも見えるほどの艶。

 ちょんと触れてみて、あまりの質に腰さえ抜かしそう。



 これがこの村のモザールを原料にして出来たとは、ちょっと信じられないほどだった。



 驚く私に、なぜ彼がここに戻ってきて、処分を手伝うと言ったのかも説明してくれた。

 確かにそれなら戻ってくるわね。


 正常品で試したけどダメで、この不良品でなければまとめられないかもしれないのだから。



「そんな考えがあるのなら、処分するのを手伝うなんて理由言わなくていいのに……」


 思わず口に出た。


 戻ってきた理由が、不良品なら出来るのかを確かめることなら、わざわざ処分を理由にして手伝うなんて言わず、最初から糸が出来るかもしれないからと説明してくれればいいのに。



「まず、ツカサ殿とてその時はまだ、確信がなかったからだろうな。あの方は、糸の素となるほくちの集合体が作れるのかを確認したかったのだ。リオの手にあるこれが一回限りの偶然ではないことを。それが確認も出来ず、ただの幻でしかない無意味な希望を口にするのは、ただ残酷なだけであろう?」


「……それは確かに」


 それ一回限りの奇跡を見せて、村の夢がかなったと勘違いさせられるのは確かに残酷だ。

 それを避けるため、彼は処分を手伝うと理由をつけて、ああしてまとまるか確認しているということね。



「なにより、そうやって別の理由で手伝っておけば、糸を作るのに成功しても、あの方は自分はほくちを処分するのを手伝っただけだからと、その手柄をすべて放棄することが出来るからな」


「え?」

 いったい、なにを言っているの?



「ま、いつものことなんだけどさ」


「もっとどういうこと!?」


 マックスさんとリオの言葉に、私は混乱する。

 この二人に言わせれば、むしろこっちの方が理由が大きいとまで聞こえる気がする。



「そう。ツカサ殿が他に理由をつけて、ご自身の手柄を放棄してしまうのはいつものことだ。あの方は、富や名声などまったく興味はない。あるのは、正しく努力する者達が笑顔でいられる未来のみ。ツカサ殿に言わせれば、世界を救ったことさえ、自分の手柄ではなく、自分を支えてくれた者すべての手柄なのだそうだ。あの方は、ご自分の栄誉より、他人の栄誉を重んじる」


「いやいや。おかしいでしょ。普通、そういうの自分の物にしたいから、そういうことするものでしょ」


「普通はね。でもさ、ツカサは違うんだよ。ネーシャだってもう知ってるはずさ。ツカサがそんなの求めてないってことを。もう一度目撃してるんだから」


「え?」



 ……あっ。



「私の誘拐事件!」


 そうだ。あの子はその解決の名誉も栄誉もすべて放り出して、小屋のほくちを得るためこの村にやってきた。

 それこそが、二人の話の証明に他ならないっ!


「元々あの方は、こうしてまとめられると例を残し、消えるおつもりだったのだろう。この村の者が、モザールを糸にするのをあきらめ、ほくちにいたったその変遷や努力も推測しておられたから。その栄光は、この村の者のものだと思っているからであろう」


 誘拐された私を助け、弟達を救ってくれただけでなく、あの子はこの村にまで希望を与えようとしている。

 弟から村の状況を簡単に聞いただけだというのに、モザールの実物を見て、これなら可能だと、ここまでしてくれるなんて……っ!



 なんてことなの。私は思わず、彼の方を振り返った。


 再び、彼に私達の視線が集まる。

 彼はよほど集中しているのか、新しく来た二人を気にも留めていなかった。


 こうして話す声さえ、その耳に届いていないように見える。


 一心不乱に、糸の素を大きくしているだけだ。



 その作業を、私達に見せつめるように……



「……そういうことか」


 マックスさんが納得したようにうなずいた。



「ツカサ殿は今、我等にほくちがまとまるところを見せている」

「え。ええ。見たままね」


 そんなの言われなくてもわかることだわ。


「ならば見たまま、ほくちをまとめ、糸の素を作れるのか?」


「っ!」


 言われた瞬間、それがなにを意味しているのかわかった。



「拙者は、ツカサ殿の弟子を名乗っているが、あの方になにかを直接教えてもらったことはいまだにない。あの方が凡人に口で説明出来ることなどないからだ」


「そういや、マックスも弟子入りした時、ツカサは教える気ないから、勝手にしろってついてきたんだったな」


「そう。今回も、それと同じにござる。武術と同じく、職人の技も、言葉で教えられるものではない。見て、考えて、理解することで初めて身につくのだ。目の前でこうして実演していること。これこそが、ネーシャに教える最大の授業に他ならない!」



 うちのおじいちゃんは偏屈者で、教えるのは下手だった。


 だからお父さんも私も、その背中を見て技術を学び、こうしてほくちを作る職人になった。


 それと同じで、ほくちをまとめる技術。見て覚えろってことなのね!



「そういうことね。こうなったら、あの糸の素の作り方、完全に学ばせてもらうわ!」



「ああ。その意気だぜ」

「うむ!」


 二人の応援を背に、私はツカサ君からあの糸の素の作り方を学ぶ!


 自分達の足で、夢のスタート地点に立つために!



 じーっ。



 私は、彼の作業を、じっと凝視する!


 さっき現実が信じられなくて、思わず自分流でやったから、それは成功しないとわかっている。

 まあ、今まで自分の知るやり方で成功出来るというのなら、不良品に触れたこの村の誰かが成功していたはずだわ。


 だから今度は、彼のやり方をそのままトレースする。



 ばらばらばら。



 うん。やっぱりそう簡単じゃないわね。

 手の中で崩壊したほくちの有様を確認し、私はうなずいた。


 私はまだ、なにも理解できていない。

 まだ手を動かす段階じゃない。トレースするのにも、その動きをしっかり理解しなきゃダメだ。


 しばらく手を動かすのはおやすみ。


 じっ。


 まるで鼻歌でも歌い、ほくちの感触を楽しむかのように動くその手を、体をじっと観察する。


 その手の動きはどういう意味があるのか。手の中でほくちがどう動いているのか。

 その時ツカサ君はどう動いているのか。


 ツカサ君の手の動きを。ツカサ君の体の動きを。ツカサ君の手の動きをっ!


 すべて見逃さぬよう、じっと観察する。



「っ!」



 そして、気づいた。


 そうか。

 そうだったのか。


 私は、気づいた。

 確信した。



 彼は、ほくちを解きほぐそうとしているわけじゃないんだわ。揉んで、それを糸にまとめようとしているわけじゃないんだわ。


 むしろ、撫でているだけ! 誰かの頭を撫でるように、愛でるように、ただ、ほくちを優しく撫で回しているだけなんだわ!


 そうすることで、ほくちの綿毛に負荷がかからず、その手によって綿毛が絡まりあい、自然とまとまってゆく。

 糸にしようと手を動かしてはいけなかった。



 ただ、愛でるように撫でてあげればよかった!

 それだけで、よかったんだわ!



 こんなの、誰も想定していないわ。

 これでは、糸にしようとして出来るわけがない。


 糸を紡ごうとしていたら、絶対に糸に出来ない特性をモザールは持っていたのね!



 揉むではなく撫でる。

 それを確信し、私は改めてモザールほくちを手に取った。



 撫で撫で撫で撫で撫で……



 崩れない。

 手の中で、モザールほくちが崩れない……っ!


 私の手の中で、モザールの綿毛の塊が、出来上がっていくのがわかった。



「でき、た……!」



 今までとはまったく違う感触。

 開いた手のひらの中に、それはあった。


 ほくちとしてしか使えなかったソレとは一線を画す、見事にまとまった、糸の原型。糸の、素。


 きっと私の手の中のこれは、綿としても使えるだろう……

 このまま紡げばきっと、糸にも出来るだろう……



 今、ここに、私達シャムラ村の悲願が、かなった……っ!



 私は新しく生まれたその希望を持ち、天にかかげた。



 おじいちゃん。父さん。ついに出来たよ。皆が出来ないと思い、諦めたそれが!


 まさか、一度ほくちに加工して、さらにそれをダメにしたものからこんな希望が生まれるなんて。

 一度はあきらめ、ほくちにしなかったら、この奇跡のようなことはならなかった。


 遠回りしたけど、必要なことだった。


 村のみんなが紡いできた道が、今、ここに繋がったの!



 夢が、かなったよ!



 だから、父さん。もう兵士なんて危険な仕事する必要ないよ。村に、帰ってきてっ!!



「二人共、家に走って荷車を持ってきてくれる? まとめられたのは、それにのせて、あとで村のみんなに見せるから!」


「わかった」

「まかせよ!」


「あと、マッシャ達にも声をかけておいて」


 二人に荷車に出来た糸の素をのせるのを任せて、私もその素作りに参加することにした。



 私の姿を見たツカサ君は、一気に作業スピードを上げた。

 とてもじゃないけど、私の目では追いきれないほどの速度。


 やっぱり、この子はあえてその技術を私に覚えさせるため、理解出来るほどの速度でやってくれていたのね……


 二人の言うとおり、ほくちの処理を手伝うためにやっているなんて口にするかもしれないけれど、その本心は別のところにあるのは間違いないわね。


 なにも知らずに見ると、私達のことなどまったく気にしていないように見えるけど、そんなことはなかったわ。


 ホント、とんでもない子だわ。



 抱えきれない量になったらそれを荷車にのせ、さらに新しい糸の素を作る。

 そうしていつしか、小屋の中のほくちはほとんど糸の素へと変わってしまった。


 最初の量からすれば、一割ほど残っているけど、これはあとでモザールが糸の素になることを村のみんなに証明する時に実演して使うから、そのままでいいでしょう。


 その残りを籠に入れ、マックスさんに広場へ運んでもらった。

 明日にでも、村の夢がかなうことを実演しなくちゃ。



「えーっと、俺は?」


 リオとは一緒に夕飯を作ることとなったら、ツカサ君もなにかしたいようだった。

 リオが言っていたけど、彼はただお世話をされ、座りっぱなしでいるというのが苦手らしい。隙さえあらば、人のためなにかしているような人なんだそうだ。


 でも、さすがにこれ以上してもらうことはない。


 村の恩人に夕飯を作らせるなんて、さすがの私でも恐れ多い。



「あとはゆっくりしてて。君は村の夢をかなえてくれた恩人。これ以上手間はかけさせられないわ。今日は、本当にありがとう」


「え? いや、大げさですよ。俺はただ、ほくちの処分を手伝っただけ。それを感謝されたとしても、それ以上のことでお礼を言われるいわれはありませんよ」


 きょとんとして言われてしまった。



「……そうね。そうだったわね」



 思わず苦笑いしてしまった。


 本当に、二人の言っていた通りだったわ。

 この子は本当に、名誉も栄誉も手柄も名声も、そんな人の栄光は眼中にないんだわ。


 彼はそんなこと、本当に求めていない。

 それが、理解出来てしまった。



「だから、お礼はこれ以上はいりません」


「わかったわ。この件については、もう言わないわ。でも、私達が感謝しているということだけは、忘れないで」



 私の言葉に、彼は静かにうなずいた。


 きっと彼は、それだけで満足なのだろう。

 こんな小さな感謝の言葉だけで、彼は世界さえ救ってみせるに違いない。


 この子は、自分が満足出来たのなら、それでいいんだわ。


 なんて自分勝手で、自己犠牲の塊なのかしら……



 これが、サムライ。

 これが十年前も、今も、そしてこれからも、世界を救い続ける、サムライの姿なのね。



 なら……



 ──次の日。ある少年の一行がシャムラ村を去ったあと、モザールの加工に革命が起きた。



 それがのちに帝国最高の肌触りを持つ糸と呼ばれるようになる、『サムライの糸』が誕生した日といわれている。


 なぜこの糸が『サムライ』と名づけられたのか。それには諸説あり、謎が多いことでも有名である。


 それが誕生した時期は、ちょうど世界を救った伝説のサムライが帝国へ進出し、大きな話題となっていた時期であるから、それにあやかったという説。

 これはこの糸だけでなく、多くのサムライ関連の名前を語った商品が出回ったことからきているが、この糸の質を考えれば、そんな名をつける必要はなかったとも言われている。


 もう一つは、この村の名前。『シャムラ』とサムライの響きが似ているから、聞き間違えたという説。

 これも、この時期サムライがその名を轟かせていたことで、その名と聞き間違える者が多くても不思議はないと広まった説である。


 この二つ以外にも、八個ほどの説が唱えられているが、この名前にこめられた意味を本当に知るのは、その名をつけた者達にしかわからないことだろう。

 ゆえに、その真意については、いまだ歴史の中に隠されたままなのである……



 ちなみに余談だが、モザールから最高の糸が出来る。金になる。と知った者達がこぞってそれを糸にしようとしたが、実現出来た者はシャムラ村以外になく、逆にサムライの糸の価値を高めるだけだったという。



 どんとはらい。




 おしまい

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ