第07話 塵旋風は竜巻と違う
──ツカサ──
ヤーズバッハの街から西へ向かう街道は、王都キングソウラまで続くこの国の大街道である。
この街道は、かつてヤーズバッハ地方まで領地に収めていたかの大国へ進攻するために作られた道であり、千年前地の底より現れた邪壊王を滅した、初代キングソウラ王によって作られた国を東西へ貫く、国の大動脈とも言える重要な道であった。
そこをつなぐため南北に枝分かれする小さな街道も多く、街道を旅するもののために用意された宿場はその街道だけで三百をこえ、要所要所には必ず宿場があり、旅人を暖かい食事とやわらかいベッドで迎えてくれる場である。
ただし、大抵の場合どの宿場もバックにはそこを仕切る親分がおり、時には宿場同士の縄張り争いが起きることもあった。
彼等は多くの場合賭場やいかがわしい場所も経営しており、人々をよろしくない方向へ導くという立場であるが、宿場の治安を守るという面も担っており、一概にその彼等を悪とは断罪できない面もある。
「てーことだから、行く宿場行く宿場で親分サン一家を張り倒すってのはやめておくれよ。ヤーズバッハみたいに二人共極悪人とは限らないし、必要悪ってヤツでもあんだから」
「へー」
俺は今、茶屋の店先で休憩をしながらリオから簡単な街道宿場講座を受けていた。
ちなみにここはその街道と街道の間にある小さな茶屋である。宿場になくとも、こうしてぽつんと休憩できるような場所が用意されているらしい。
この世界の基本移動手段は歩きか馬、馬車だから、宿場と宿場の間にもこういった茶屋もあるもんらしい。
リオの説明を簡単にまとめれば、宿場につくたびそこを牛耳るヤクザ(日本的表現)に喧嘩を売るな。ということらしい。
うん。実にわかりやすいまとめになったな。と思ったけど、なぜに俺がその親分サン達に喧嘩を売るなと釘を刺されねばならない。言われなくてもそんなことしねーぞ。サムライサムライって言われてるけど、俺からああいう危ない人に喧嘩を売ったなんてことは一度もないんだから! 平和、万歳主義なんだから!
「……わかった」
頭では色々考えたけど、出た言葉はこれだけ。
決して口が回らなかったわけではない。面倒だったから。そう。説明するのが面倒くさかったからだ! もしくは喉の調子がわるかったから。うん。
『そんな心配しなくったって、相棒の目の前で下手なことしなきゃ問題ねーって。むしろ目の前でなにかやらかすのなら別だがな。おめーの時みてーによ』
「お、おいらのことがあったから注意してんだろ!」
『なんでぇ、自分だけってのがなくなんのが嫌なのかよ。残念だが、お前に出会う前に袖刷りあっただけで先遣隊を一人で潰しにいくとかあったんだからしゃーないぜ』
「おいらと会う前からなにしてんだよ……」
「ん? なにが?」
「いや、なんでもねーよ。ツカサのお人よしに呆れてんのさ」
呆れられてしまっている。
やばい。リオとオーマが話をしていたから、俺は出されたベーコントーストに意識をむけてもぐもぐ食べていて全然聞いてなかった。
なんか機嫌が悪いみたいだけど、一体なにを話していたんだろうか。
お人よしと言われたんだから、一応褒められたんだろうか?
「褒めるなよ」
「褒めてねー!」
違ったようだ。
ちょっとしゅんとしてしまう。
「あ、別に悪いってことじゃねーからな! つまり、ええと、バーカ!」
しかられてしまった。
「冗談だ。気にしてない」
というかなんで呆れられたのかのかも理由がわからないから、怒られても気にならないというのが本音だ。
「な、ならいいけどよ」
『けけけ』
「わ、わらってんな!」
俺のすぐ近くに立てかけてあるオーマとリオがまた喧嘩をはじめてしまった。ちなみにオーマは腰に帯びていなくとも、ある一定の近さにあれば翻訳機能は聞くらしい。といっても、かなり近くないと駄目だが。
「おい」
突然、後ろから声をかけられた。
俺達が食事をしていたのはいわゆるオープンテラスの場所で、外にテーブルを置いて椅子に座って食べるという……いや、そこを説明する必要はないか。
ともかく、俺達は街道から見えるところで食事をしていたんだけど、その俺達に街道から声をかけてきた人がいるらしい。
今の時間はおやつごろ。客は俺達しかいないので、その野太い声は俺達に向けられたものだろう。声は聞いたことがない。つまり、知り合いではないはずだ。そもそもこの世界の知り合いなんてほとんどいないけど。
考えてもしかたがないので、振り返る。
そこにいたのは、二人組の男だった。見たことはない。どちらも、俺のつたないイメージで悪いが、きこり。というような格好をしている。
片方は長髪で頭にワッカのようなものをつけている落ち着いたきこりで、もう片方は髭をもじゃもじゃはやした落ち着きのない男だった。
どちらも年は三十くらい?
俺に声をかけたのは髭の男で俺がそちらを向くと猿みたいに飛び跳ねて喜んでいた。
まったく知らない二人だ。誰なのか。ともう少し体をひねりそちらへ体を動かした瞬間、がつっとテーブルに立てかけておいたオーマに足が当たってしまい、オーマはテーブルの下へ滑りこむように倒れていってしまった。
「やっぱり%$#*¥&%……」
Oh。翻訳機能がなくなっちまったよ。
おっさんが俺に向けてなにかを言っている。だが、当然なにを言っているのかさっぱりだ。
こっそりオーマに手を伸ばしたり足を伸ばしたけどさっぱり届かない。むこうはなにかいい気分で話しているから、それを中断させるのも悪いと思い、にこにこしてイエスイエスと示すようにうなずいて笑顔を浮かべるしかできなかった。テーブルの下では、オーマへ足を伸ばしつつ。
なんか髭の人は勝手にヒートアップしていく。
ちょっとすると長髪の人が彼の肩をたたき、二人は街道の真ん中へ移動し、一定の距離を持って向かい合った。
まるで俺になにかを見せたいかのようだ。一体なにをするのだろう。と思わずオーマを探す手をとめてしまう。
すると、長髪の男が荷物から一本の木片を取り出して上に放り投げた。
視線がそれを追うと、それは重力に引かれてその二人の間に落下してくる。
「#$%!」
「#*!」
二人が同時に声を上げ、背中にあった斧っぽい武器が同時に引き抜かれた。
ずだん!
ものすごい音が響いたかと思うと。宙に浮いていた木片が綺麗な十字を描いて真っ二つ。いや、真っ四つになっていた。
すげぇ! 二人の息がぴったりとあっていなければできない荒業だ! そうか。この人達は大道芸人なのか。
俺は思わず、感嘆のうなり声を上げてしまった。ぱちぱちと、惜しみない拍手を送る。こいつはすげぇぜ!
でも……
「%$#$$%*@!」
でも髭の人が怒り出してしまった。
え? この世界拍手ってひょっとして相手を侮辱する意味でも……いや、違う。大道芸なのだ。ここは拍手だけでなくおひねりもあげるべきだったのだ! 拍手が悪いんじゃない。俺の態度が悪かったから怒られたのか……!
申し訳ないとあわてて懐に手を入れようとしたけど、その前に俺へ来ようとした髭の人を、長髪の人が肩をつかみ連れて行ってしまった。
ずるずる引きずられた人はなにか言っていたけど、当然意味は理解できない。
申し訳ないことをしてしまった。せっかく芸を見せてくれたというのに、おひねりも渡せないなんて。これは反省すべき点だな。
「$%&$#」
リオが大きく息をはいて声をかけてきた。オーマが翻訳してくれないから、なにを言っているのかわからない。なにかまた呆れたような表情をしている。こっちも俺の常識のなさにあきれたか。すまない。チップとかそういう文化のない世界から来たもんでね。
自己嫌悪に少し陥りつつ、オーマへ手を伸ばし回収した。
「ちょっと態度が悪かったかな?」
「いや、むしろああいうのはああいうあしらい方でいいと思うよ」
ああ、別におひねりをあげなくてもよかったのか。そうか。無理やり芸を見せて金をせびる。というのもありえたな。でもあの芸はすごかったと思ったから、ちゃんとお金を上げてよかったと思うよ……
「……とんでもないやつらだったね」
「そうだな。すごかったな」
リオが去ってゆく二人組みの背中を見て、小さくつぶやいたので俺も同意しておいた。
そういえば大道芸人の二人、なんて名前だったんだろう……?
──リオ──
「やっぱりだ。ヤーズバッハの街で噂になってたサムライだよ兄じゃ!」
「そのようだな」
ツカサに声をかけた男がカタナのオーマとツカサを見てそうだと確信したように大きく飛び跳ねた。長髪の落ち着いた男の方は、それにただうなずくだけ。
「よう、てめぇの噂はヤーズバッハの街でよく聞いたぜサムライさんよぉ。俺達はナイゼン兄弟。泣く子も黙る、ツインアックスのナイゼン兄弟とは俺たちのことよぉ!」
ナイゼン兄弟!?
おいらは驚いて思わず声を上げそうになった。
ナイゼン兄弟といやあ、ヤーズバッハの街にも名前がとどろくくらいのとんでもなく強い傭兵兄弟じゃないか!
ダーエンとこのヤツもカーク一家のヤツ等もあの兄弟はヤバイって言ってたほどのヤツ等だよ!
自己紹介を終えた髭の男が、親指で自分を指差してにやりと笑った。こっちはどこか頭の足りなさそうな粗野な雰囲気を受ける。さっき兄じゃと言っていたから、こっちは弟なんだろう。
そしてもう一方の兄の方は落ち着いていて、ツカサのことをなめるように監視してる。どっちもなんかやばい目をしているよ。
「……」
ツカサの方は、いきがる弟の方を見てただ優しく微笑みを浮かべているだけだった。
相手にはしているが、その態度には余裕があって、子供の話を聞く大人のような態度だった。
やっぱりそれは、弟には気に入らなかったらしい。
「おい、なんだその態度はよぉ。このナイゼン兄弟が話しかけてんだぜ。もっと驚くとか、なんとかできねぇのか!」
髭でよく見えないが、口元をひくひくさせた弟が背中にある斧へ手を伸ばそうとする。
「待て。勝負はこの次にしろ」
「兄じゃ!?」
でも、肩をつかまれ、制された。
「こんなところでいちいち時間を食っている場合じゃないだろう。用があるんだ。そっちを優先だと何度も言っているだろう」
「そ、そうだけどよ。でもこのままなめた態度をとられたままじゃ引き下がれねえぜ! 俺達が逃げたと思われてなめられるぜ!」
「逃げたんじゃねえって証拠に、俺達兄弟の腕前を見せておきゃいいだろう」
「そ、そうだな!」
兄と顔を見合わせた髭の男がにやりと笑い、二人は街道の真ん中へと移動した。
二人は一定の距離をとって立ち、おいら達の方を見た。
兄じゃと呼ばれる長髪の男が懐から木片を取り出して宙に投げる。
ちょうど二人の間に落ちてきたそれ。
「いくぞ!」
「おう!」
二人が同時に声を上げ、背中にあった斧を同時に引き抜いた。
ずだん!
重たい音が響いて、木片が縦と横に真っ二つにされて、四つに割れていた。
おいらはその瞬間、ぞっとした恐怖が背中を駆け抜けたよ。
この二人。とんでもなく強い。
戦いが得意じゃないおいらにもこのすごさはわかる。
二人が同時に同じ目標へ切りかかるってことは、二人を同時に相手しなきゃいけないってことだ。
一方に気をとられればもう一方にやられる。左右から同時に襲い掛かってくるあの二人を同時に相手するなんて、普通はできない。
どちらかに集中すればもう一方への注意が散漫になる。でも、集中しなければかわせないほどの鋭さだ。そんなのを二人同時に相手するなんて、普通は難しい。
さらに相手の武器は斧。片手に一本ずつの武器を持って対応しようとしても、今度はパワーで潰されるのがオチだ。
一人ひとりが強いというのに、そこに息のあった完璧のタイミング。たぶん、見せても対処の仕様がないって絶対の自信があるんだろう。
実際、たった一人で相手にすれば、間違いなく負けない息のあったコンビネーションだ。
「他人じゃこうもぴったりといきはあわねえ。俺等兄弟を一度に相手したら間違いなくあの世いきだと人は言うぜ」
二人がにやりと笑った。
おいらもそれは事実だと同意しちまった。
いくらサムライでも、この二人相手には分が悪いって……
おいらの心に不安がのしかかり、思わずツカサの方へ視線を向ける。
するとツカサは、なぜか感動したみたいに拍手を送っていた。
ぱちぱちぱち。
華麗な拍手が場に響く。
拍手してるー!
おいらはもう、目玉が飛び出すかと思ったよ。
だってそうだろ。あの二人が見せた極上のコンビネーションを、ツカサはまるで大道芸を見たかのように評しているんだから。
あのすごいのを見て、芸を誉めるような態度だったんだ。恐れるんじゃない。怯えるんじゃない。ただただ感心してすごいと誉めていたんだ。
おいら達の目にそれは、「よく出来た芸だね。えらいえらい」とパフォーマンスを褒める通人のようにしか見えなかった。
圧倒的に上からの目線で、よくがんばりましたと褒めているようにしか見えなかった!
なんて、なんてすごい人なんだ……!
でも、そんな態度相手が許すはずがない。現に髭の男は顔を真っ赤にして怒りを見せている。
今にもツカサへ斬りかかってきそうだ。
でも、斬りあいにはならなかった。
「よせ。ここでお前だけ斬りかかったら相手の思う壺だ」
「っ!」
兄の制止に弟の動きがとまった。
二人の視線が、懐に手を入れたツカサの方に集まる。
カタナは手にないけど、懐からなにかをとりだしていつでも対処できるような格好になっていた。
あの二人の強さにも穴がある。それは、一人ずつなら普通に腕のいい戦士だということ。サムライなら負けないということ。
ツカサは油断なく狙っていたんだ。これが、一流の戦い……
「もういいだろう。俺達は急いでいるんだ」
「お、おぼえてろよ!」
そのまま兄が弟を引きずって行ってしまった。
おいらは思わず、ほっとして椅子に深く体を落としちゃったよ。
「これが、一流の駆け引きなのか……」
ナイゼン兄弟の技もすごかったけど、一人をおびき寄せようとするツカサもすごかった。
「ちょっと態度が悪かったかな?」
「いや、むしろああいうのはああいうあしらい方でいいと思うよ」
ちょっとやりすぎかと思ったけど、戦士の駆け引きってヤツならありだと思うから。
「……とんでもないやつらだったね」
「そうだな。すごかったな」
この時、ツカサの言葉でおいらは不安になったんだ。
ツカサは一人ひとりを分断して相手にしようとしていた。それってつまり、二人同時にしたらヤバイってことなんじゃないかって……
そんなことを、おいらは思っちまったんだ。
────
「くそっ、イラつくぜ!」
ナイゼン弟が、街道転がる石を力いっぱい蹴飛ばした。そのパワーで蹴られた石は街道をはずれ、近くの草むらへとかっとんでゆく。
「そうイラつくな。いい話をしてやる」
やれやれと、喧嘩っ早い弟をなだめながら兄が言葉を続ける。
「サムライはあの時お前をおびき寄せようとしただろう?」
「ああ。思い出してもむかつくぜ!」
自分達の技を芸のように馬鹿にされたのを思い出し、弟はぺきぺきと指を鳴らした。
しかし兄はそんな弟を見てにやりと笑った。
わかっていないのなら教えてやる。という態度である。
「そいつが逆に、ヤツの限界を示しているってことだ」
にやりと笑う。
弟はわけがわからず、思わず足を止めてしまった。
「どういうことだ兄じゃ」
同じように足を止め、きょとんとする弟を振り返る。
ゆっくりとわかりやすく、愚かだがそこが愛おしい弟へ答えを告げてやる。
「お前を先に倒そうとしたってことは、二人同時に相手するのは分が悪いってことだよ」
「そ、そうか!」
「だからお前を挑発した。つまりだ」
「俺達二人で戦えば、サムライに勝てるってことだな兄じゃ!」
弟に笑顔が戻った。それを見てナイゼン兄もにやりと笑う。
「そういうことだ。あの伝説を倒したとなれば、俺達の名はさらに高まる。次のターゲットは決まったな!」
「ああ。次が楽しみだぜ!」
二人は顔を見合わせ、にやりと笑った。
まずは最初の目的を済ませなければならない。
傭兵ナイゼン兄弟。その二人が目指すところは、争いのある場所である。
──ツカサ──
その日の夕方。
俺達はヨークスとかという宿場街に到着した。
ちょっと小さめな宿場だけど、時間はそろそろ夕方。今日はこの宿場で一泊するのは間違いない。
まあ、食事と風呂とベッドさえあればどんなささやかなものでもいいだろう。この世界に四季があるのかはわからないけど、今は過ごしやすい春から初夏にかけての陽気のようだから。
宿場につくと、そこはなにやら祭りのような騒ぎだった。
暗くなりはじめたとおりには煌々と明かりがたかれ、宿と宿の軒には旗が通され、道には酒に酔っ払って笑い転げていたりする人達の姿があった。
「ああめでてぇ、めでてえなぁ」
「まったくだ、ばんざーい!」
なんて言って宿の食堂(酒場)から出て別の食堂へはしごしている姿も見えた。
『なんかにぎやかだなぁ』
「祭りでもあるのかな?」
俺がきょろきょろしていると、オーマとリオも口を開いた。どうやら二人にも理由は良くわからないようだ。
「おお、旅人さん。いいところへ来なさった。今日はめでたい祭りだよ!」
宿場の門から入ったところで呆然としていた俺達のところへ酔っ払って上機嫌のおっちゃんがやってきた。
『一体なにがあったんでぇ?』
「おお、渋い声だなにーちゃん」
あ、オーマの声が俺の声と勘違いされた。
「今日はよ、このヨークスの宿場を支える親分さんの結婚が決まってよ。その祝いの祭りなんだよ。あの人のおかげであたしたちは安心して商売できる。その親分さんが結婚ときたもんだ」
「そうそう。親分さんのおかげでよ。俺達はこの街で安心して暮らせているってわけさ。義を重んじて情に厚いお方なんだ。そんな人が幸せになるんだから、こんなめでたいことはないだろう!」
もう一人近くで飲んでいた爺さんがかんぱーいと杯を掲げた。
二人の説明で、事態がよくわかった。
確かにそいつは、めでたい。
「だから今日は親分さんのおごりなのさ! さあ、旅人さんも飲んで食べて休んでいきなよ。かんぱーい!」
「かんぱーい!」
「かんぱーい!」
わーいと、おじさんがハイタッチを求めてきたので、俺もリオもハイタッチをして宿場の中へと歩いていった。
「いやー、ついてるね」
「だな」
わくわくとリオが軽い足取りで街道を歩く。俺も同じだ。いくら金があるといっても、やっぱりおごりで食べられるのはいいことだ。
「でも、中々したたかだと思うよ」
「ん?」
「食事はおごりだろうけど、宿はただじゃないだろうからね。食って飲んだら動きたくなくなる。後は泊まるしかないさ」
「ああー」
そいつは確かに。俺もうなずいた。中々したたかじゃないか。とはいて、食事分と宿代でとんとんな気もするけど、そのくらいパーッと払ってあげるのもいいことだろう。
俺達は適当に目についた食堂へと足を踏み入れた。
相変わらず文字は読めないけど、お勧めとリオになにがいいかを聞いて注文を済ませた。
やっぱり炭水化物は小麦系がメインなのでちょっと米が恋しくなってきたり。
食事中。
他のテーブルから話が聞こえてきた。
「そういや、親分さんの嫁さんはどんな人なんだ?」
「なんでも半年くらい前にここにやってきた給仕さんなんだがね、親分さんが一目ぼれしたらしく、毎日のように通いづめたそうだぜ」
「ええっ、そんな話だったのかよ。きっとかわいい子なんだろうなあ」
「ああ。器量もいいし愛想もいい。きっといい女将さんになるだろうよ」
「そいつはめでてぇ! 親分さんにはこの宿場を守ってもらって、しかもいい嫁さんが来るとか、この宿場は安泰だなあ!」
「まったくだぜ!」
周囲のテーブルでは宴会が続いている。
どうやらあの集団は、この宿場の人達のようだ。
めでたいなあ。と思いつつ、食事を口に運び、水を飲む。
「なんか、関係ないけどめでたい気分になるね」
「そうだな」
リオもどこか口元が緩んでいる。素直に他人を祝えるのは、なんか気分がいい。
でも、あんまり長くその空気は続かなかった。
「大変だ大変だ大変だー!」
宿場の街道を、そんな声を上げて駆け抜ける人がいた。
宿に顔を出し、親分さんを探して大変だと言っては次の宿へと向かってゆく。
「なんだなんだ?」
「どうしたどうした?」
宴会が一度中断され、ざわざわと店の外へと客も俺達も顔を出す。
すると走り去った後ろから、別の男がやってきた。同じかっこうしているので、この人も先に大変と走っていった人の同僚か仲間なんだろう。
「なにがあったんだい?」
「ああ、とんでもねえことになりそうなんだよ。下手するとこの結婚、吹っ飛ぶかもしれねえ」
「なんだってぇ!? まさか親分の身になにかあったのかよ!?」
店の外にいた、さっき入り口で声をかけてきたおっちゃんがつかみがからん勢いで迫った。
「まだ親分には被害はねえよ。これからやばいんだよ。ガラン宿場のガラント一家の奴等から喧嘩状がたたきつけられたんだよ!」
「喧嘩状!?」
なんてこった。と天を仰いだ。
「喧嘩状?」
「ああ、喧嘩状ってのは……」
首をひねった俺に、リオが説明してくれた。
簡単に言えば、宣戦布告状みたいなものらしい。これから○○時、もしくは何日にそこを襲撃します。と予告するものらしい。
つまりは、喧嘩をしに行く予告状だそうだ。
喧嘩。といっても川原で殴り合って決闘罪で捕まるようなものじゃない。この場合は、ガチの殺し合いもふくまれている非常に物騒なお話である。
さすが異世界。無法もぶっとんでいるぜ。
「確かに下手すると、結婚式に出られなくなるとかなるなあ」
「宿場のシマを争うようなもんだからね。戦争だよ」
リオもやばい時にきちゃったよ。とため息をついていた。
確かに、この情報のおかげで結婚式の祝いの空気は完全に吹っ飛んでいた。
「し、しかも奴等傭兵を雇ったんだ。あのナイゼン兄弟で、めっぽう腕の立つ流れ者だって話なんだ!」
「奴等助っ人まで用意しやがったのか! しかもあのツインアックスなんてどうやって雇ったんだよ!」
「わからねえが、どうやら欲しいものがここにあるらしい。そいつを報酬にもらうそうだ。一体なにを狙ってるんだやつら!」
「なんてこった……このまま親分になにかあれば、この宿場はガラント一家の縄張りになっちまう……」
「あのあくどいガラントの宿場になるなんて地獄だよ! これは結婚どころか俺たちだってどうなるかわからねえ……!」
「そういうことだ。お前達喧嘩の準備をしておけ! 俺は親分に伝えてくる!」
そう言い、肩を落としたおっちゃんを残して男は走っていった。
ざわざわと、動揺が宿場に広がっていくのがわかった。
従業員まで外に出てきて、どうしようどうしようと話をはじめる。
「なんてこった。悪名高いあのガラント一家め! ついにここに目をつけやがったか!」
「ナイゼン兄弟なんて助っ人をつける算段がついたから攻めてきやがるんだ。このままじゃユークス宿場がなくなっちまうぞ!」
「くそっ。どうすれば、どこかに頼りになる助っ人が……っ!」
従業員の人が視線をめぐらせ、なぜか俺のところでその視線がぴたりととまった。
「ああ、どこかに……」
おっちゃんが視線をめぐらせ、なぜか俺のところでその視線がぴたりととまった。
他の人達も、ぐるりとめぐらせた視線をなぜか俺でとめた。
みんなが、俺を見てる。
「い、いたぁー!」
一斉に指差された。
「こ、この格好、この曲剣。あなたもしかして、も、もしかして、サムライですか!?」
「……あ」
なぜか。って助っ人と思われる心当たり、あった。
そうだ。俺は、サムライ・サン。に間違われる姿なんだった……
いや、そんな助っ人なんて無理無理と断りを入れようと頭の中で数十パターンの断り方をシミュレーションをし、口を開こうとした瞬間。
「ふふっ。その通りさ。あんたらついてるな! そうよ。ここにいる兄さんこそが、噂のサムライにしておいらのアニキ分、天下無敵のツカサ様たぁこの方のことよ!」
「おおー!」
リオー!
俺が違うと否定する前に、否定できないような材料をこの場に投下するのはやめてくれませんかねぇー!
『その通りよ! 相手が極悪非道な悪党ってんならおれっち達は黙ってみてはいられねえ! サムライの強さを目玉ひん剥いて脳裏に焼き付けなー!』
「おおー! 喋る剣。インテリジェンスソード! やっぱり本物だー!」
『当然よ!』
オーマぁ!?
「むむっ、ツカサはあのストロング・ボブを倒したし、ヤーズバッハの二大悪党を駆逐した義の人でもあるんだ。あんた等この人がきたからにはもう安心していいよ!」
『当然相棒がいるんだ、お前達の心配はまったくいらねぇ! だからおれっちの言葉を聞けー!』
「むっ」
『むむー!』
……なんで君達張り合うようにして俺のすごさをアッピールするわけ? なんで競うわけ? やめて。恥ずかしい上にそんな大口たたかないで。恥ずかしい。それ全部ウソだから。間違いだから……!
でも、話はもう俺が断れるような状態じゃなくなっていた。
もう熱狂に近い盛り上がりで、「サムライ!」「サームライ!」コールが沸き起こってしまっている。
俺が一人加わったからって戦力になるわけないでしょうがー!
ここでやめます無理ですなんて言い出したら、今度は暴徒と化した宿場の人達にナントカされてしまいそうな雰囲気だよ。
今宿場の人達に囲まれているので逃げ場なんてない。なのでイエスもノーも言えないまま背中を押され、俺はその親分さんのいるところへ連れて行かれるのであった。
────
街道沿いに宿が並ぶヨークスの宿場町。その宿群から一本裏に入ったところにある少し大きめの平屋。
そこがこの宿を取り仕切る、ヨークス一家の親分の住む館であった。
この地を裏から仕切る親分の家だというのに、過度な装飾もないとても慎ましいたたずまいは、宿屋から過度なみかじめ料も受け取らず、最低限の暮らしさえできればよいというヨークス一家の行動の証でもあった。
しかしこの少しボロいくらいのこの家は、綺麗に手入れされている。義を重んじ、情にも厚いため、中々金を受け取らない親分のために、宿場の人達が自発的に壊れた屋根を直したり、壁の手入れをしたりしているのである。
それだけで、この家に住むものがこの宿場の者達にどれだけ慕われているのかというのもよくわかった。
ただ、これを見てわかるとおり、慎ましい生活であるがゆえ、この一家の戦力はそこまで大きくはない。
親分の志に賛同した子分達は大勢いるが、武闘派に舵を切る集団から大きく劣るのは明白であった。
武闘派で名の知られたガラント一家とナイゼン兄弟という強力な助っ人の前に、分が悪い。いや、勝てるはずがないのは明白であった。
だというのに、館の中に集まった子分達の士気は低くはない。
この場にはまだサムライという伝説がいるという情報は届いていない。ゆえに彼等の脳裏に勝利という文字は欠片もないはずなのだが、うろたえ、親分とこの宿場を見捨てて逃げようとする選択肢は彼等にはないようだ。
「皆、聞いて欲しいことがある」
館の中に集まった子分達に向け、一人の男が口を開いた。
館の入り口から広がる大広間。その一番奥に立ち口を開いた男こそ、このヨークス一家を束ねる十二代目ヨーク・ヨークスである。
年は三十手前で、どこか頼りなさそうな雰囲気をかもし出す人物だが、頼りなさげであるがゆえ子分達は自分がこの人を支えてやらなきゃという気概を持つ、不思議な男だった。
武としての実力はあまり高くはないが、その人徳の高さによってこの宿場をまとめているのである。
皆の注目を集めた十二代目ヨークスは、隣に一人の女性を呼んだ。
綺麗で純朴そうな女性だ。年は、二十歳そこそこか。この女性こそ、宿場で話題になっていた彼の花嫁である。
「あの兄弟。ナイゼン兄弟の目的は、彼女なんだ」
ヨークスの言葉に、子分達は大きくざわめいた。窓の外でことの次第を聞いていた宿場の者達も小さく驚きの声をあげている。
「アネさんが!?」
「一体、どうして!」
「ああ。彼女はな、あの兄弟に言い寄られ、半年前に住んでいた町から逃げてきたんだ。そしてこの宿場に来て、せっかく安心して暮らせる土地になったかと思った矢先、奴等は彼女の居場所をかぎつけ、追ってきたんだ」
「アネさんを手に入れたいナイゼン兄弟とこの土地を手に入れたいガラント一家の利益が一致したから、ここを攻める気になった。ってことですか?」
子分の一人が手を上げ質問を告げた。それを聞いたヨークスは大きくうなずく。
ナイゼン兄弟がツカサに言った用事がある。というのはこういうことである。
「ごめんなさい。私がここに来たから……」
顔を伏せ、彼女は申し訳なさそうにつぶやいた。
「いや、長くいたがらない君を引き止めたのは俺だ。すべての責任は俺にある! 君も、そしてこの宿場も必ず守るよ!」
涙を流そうとする彼女の肩をつかみ、ヨークスはこぶしを握る。
「いや、例え君が花嫁でなくとも、この宿場にいたのなら花嫁など関係なく守った!」
「親分、そこは宿場を勘定に入れなくていいですよ」
「そうですぜ」
勢いよくこぶしを握った親分に、子分がちゃかす。こんなこと、普通のところでは言われない光景だろう。
「ですから親分、俺達に言わせてくださいよ。例えアネさんが親分と無関係でも、俺達は全力でアネさんを守ると!」
「それだけじゃねえ、親分の幸せは、必ず守るって!」
「そうだそうだ!」
「親分が宿場も大切に思っているのは知っています。だから、俺達もアネさんと親分。そして宿場を守りたいんです!」
「お、お前達……」
「みなさん……」
サムライが助っ人にいるなんて知らず、間違いのない負け戦だというのに、彼等はそれでも諦めず、自分の敬愛する親分を守ろうと手を上げたのだ。
皆こぶしを上げ、迷いなくこの宿場と、尊敬する親分とその奥さんを守ろうとしているのだ……!
その姿を見るだけで、この地を仕切るヨークス親分がどれだけ子分に、そして宿場のものに慕われているかわかるというものだろう……!
──ツカサ──
俺達は、この絶望的な戦いに向かうヨークス一家の団結を開けっ放しになっている入り口から見ていた。
「親分達は、やっぱり死ぬ気で戦う気なんだ……」
俺と一緒に来た門のところであったおっちゃんがこぶしを握る。
「ワシも、戦おう」
「俺だって、彼等と戦う! 親分さんに今まで受けた恩を返すんだ!」
「でもあんた……!」
「いいんだ。もし俺が帰ってこなくても、悲しまないでくれよ」
「あんたぁ……」
俺の後ろで、なんかそんな悲壮な別れをやってる夫婦の声が聞こえてくる。
そして皆の視線は、なぜか俺に集まった。
「あんたには全然関係ない話なのはわかっている。だが、頼む、頼むよサムライさん。助けてくれ!」
「親分さんを助けてあげてください!」
「お願いします!」
近くにいた奥様方が、俺にすがりついてきた。
戦えない人達だから、戦えるだろう俺にすがってきたんだ。
「俺達も戦います。皆、この宿場が好きなんだ。頼む。俺達じゃなく、親分の幸せを守るために!」
さらに男衆も俺にぐいぐいやってきた。
四方八方からすがりつかれている状態。
みんなわらにもすがるような思いで俺を見上げてくる。
大人のおっちゃんおばちゃん達だが、まるで雨にぬれた子犬のようだ。
そんな視線に見つめられて……
「わ、わかった……」
……一体誰が、断れるだろうか。
俺はそんな状況でノーと言えるほど強くない。なので素直にうなずくしかできなかった。
俺の答えに、わぁ! と館の外が沸き立つ。
その歓声に気づいたヨークス一家の人達が外へ顔を出した。
宿場の人が俺を親分さんに紹介し、親分さんも俺のことを大歓迎してくれた。
親分さんはやっぱり人懐っこくて、近所の気のいいにーちゃんみたいで、俺を気に入ってくれたようだ。
サムライがきたから、みんな悲壮感も吹っ飛んで勝つぞ! 勝てるぞ! という意気ごみで宴会がはじまった。それを隅で見ている俺は、いろんな意味で罪悪感がハンパない……
俺みたいな一般人が混じってどうするってんだよ……!
これ以上宴会にいると胃とかが駄目になってしまいそうなので、宿にひっこむことにした。
宿もこの宿場で一番いい宿の一番いい部屋をただで貸してもらえて、その心遣いが余計に俺を痛めつける。
着替えなんかもそこそこに、俺はさっさとベッドに入ってしまった。
「……」
毛布をかぶり、考える。
この宿場の人達はみんないい人だ。そんな人達が戦おうとしている。人情としてそりゃ力を貸したい。でも俺が加わったところで人数がただ一増えるだけで倒せる敵が増えるわけでもない。
しかも高い確率で俺も怪我をする。下手すりゃ死ぬかもしれない。
そんなの当然ごめんだ。
なら、さっさと逃げるべきだろう。
ここは一階。窓を開ければすぐ逃げられる。俺の身は安全。でも罪悪感ハンパない。
でも残れば死ぬ。死にたくない。
どうする? どうする!?
うんうん悩んで悩んで悩んで悩んで悩んで……
何時間悩んだだろうか。途中思考がパンクして寝ていたかもしれないけど、必死になって結論を出した。
「よし、逃げよう」
命と罪悪感を天秤にかけ、出した結論はそれだった。
この宿場の人達には悪いが、俺がいても戦力が上がるわけじゃない。俺が命を無駄に散らすだけだ。いや、もっとシンプルな理由だ。死にたくない。ただそれだけだ。
そうと決めた俺は、動き出す。
何時間悩んだんだかわからないが、もう深夜だった。いや、ひょっとするともう朝が近いのかもしれない。外の宴会の音はもう消えて、しんと静まり返っている。誰の話し声も聞こえない。逃げ出すのなら今のうちとも言える状況だった。
むくりとベッドから起き上がり、靴を履く。
『行くのか相棒』
びくぅ。と思わず体がはねるかと思った。驚きすぎてむしろ体が硬直してはねることすらできなかったけど。
誰か。と思えば、ベッドの横にある棚のところに立てかけておいたオーマだった。
「起きてたのか」
夜だから寝ていると思ったけど、まさか起きていたなんて。ま、なんと言われようともう逃げると決めたから無視して逃げるけどさ!
『ああ。相棒の考えていることくらいわかるさ。さあ、行こうぜ!』
おぅ。逃げるなとか言われるかと思ったけど、どうやら杞憂だったようだ。そうか。何時間も悩んでいた俺を見て、察してくれたのか。なら話は早い。安心して逃げられる。
そしてついでに、ちょっとだけ罪悪感が消えた。ありがとよオーマ。
腰のベルトにオーマをさしこみ、二つあるベッドの間にある窓へと足を進めた。
『あいつはどうする?』
「……」
俺の隣のベッドには、リオが寝ている。ベッドでもぞりと動いた彼女の姿が目に入る。
どうしよう。俺が逃げたというのにここに置いていったらヤバイかな。ヤバイよな。ヤバイよ。なにせただで飲み食いしていい部屋にも泊まっているんだから。
うーんと、窓に手をかけたまま俺は悩んだ。まさかここでもう一つ悩むことが発生するなんて。
『おれっちは連れて行っていいと思うぜ』
「そうだな」
オーマの一言が背中を押した。というわけでもないが、俺も決断した。罪悪感と命を天秤にかけたんだから、リオの命もちゃんと天秤にかけなきゃいけない。
決して罪悪感を共有して罪の意識を少しでも減らしたいという下心があったわけじゃないぞ。
「説得は手伝えよ」
『わかっているさ相棒』
俺は、髪を解いて眠るリオの肩に手をかけた……
──リオ──
肩を揺り動かされて起こされた。
目を開いてみると、部屋の中は薄暗くて、まだまだ夜は深いんだと思った。
一瞬なにがなんだかわからなかったけど、目の前にぼんやりと浮かび上がるツカサの顔を見て、肩を揺り動かされて起こされたんだとわかった。
「しっ」
ツカサが人差し指を一本口の前に立て、静かにとジェスチャーを見せる。
「行くぞ」
おいらが起きたのを確認するとそれだけを言って、ツカサは窓を開けはじめた。
「え? え?」
おいらはなにがなんだかわからない。
いきなりそんなことを言われても……
でも、徐々に頭がはっきりしてきて、ツカサがなにをする気なのか理解できた。
ここに来る前、オーマが言っていたことを思い出したからだ。
『残念だが、お前に出会う前に袖刷りあっただけで先遣隊を一人で潰しにいくとかあったんだからしゃーないぜ』
前にも同じように、一人で敵を倒しに行ったってオーマが自慢していた。
こんな時間に出発するってまさか……
ツカサは一人で、ガラント一家とナイゼン兄弟と戦いに行く気なんだ!
でも、あの兄弟を相手に一人でどうするんだよ。この一家と一緒に戦えば、少なくともツカサは生き残……って、そうか。だからか。
ツカサは、それが嫌なんだ。
この戦いは、宿場の人達も参加する。そうなったら、その人達が傷つく。下手をすれば、死人も出る。その時、帰りを待つ人の悲しい顔が嫌ななんだ。
力ない人が協力して立ちむかうってのはいいことだと思うけど、その時に発生する被害は馬鹿にならない。
おいらみたいなのに手を差し伸べる人なんだから、この宿場の人達を救いたいと考えて当然じゃないか! だから、一人で行こうとしているんだ!
馬鹿だよこの人は。たった一人で行ってどうするんだよ。誰にも知られずに戦ったって、誰も褒めてくれないんだよ。
そして、とんでもないわがままな人だよ。自分ひとりでなんでも解決しようなんて!
でも、大丈夫なのかい?
あの兄弟の同時攻撃に、ツカサは勝てるのかい……?
おいらは不安になっちまった。だから、たった一人で行かせるんじゃなくて、この宿場の一家の奴等と一緒に戦った方がいいんじゃないかって思ったんだ……
窓を開けるツカサが、オーマをおいらの方にぽんと投げてきた。
『おいおい。相棒が信じられねえってのなら残ってもらってかまわねえんだぜ』
「え?」
『お前が無理についてくる必要は最初からねえってことさ。でも説得を手伝うって相棒と約束したからな。窓があくまでのちょーっとした時間にイイ話をしてやるよ』
ツカサが窓をガタガタ開こうとしている。
なんかわざと時間をかけているように見えた。
(……おかしい。腰にある刀がひっかかって窓に手が伸ばしにくいと思ったけど、違うのか)
ちなみにその窓は、横に開くんじゃなく、下から上に開けるタイプだった。それにツカサが気づくのにもうしばらくかかりそうだ。
おいらは、オーマがにやりと笑ったように感じた。
『おめーの深刻な顔を見りゃ、嫌でもわかるぜ。でもよ、それは無用の心配ってヤツだ。サムライ、なめんじゃねーぞ。あの時の拍手は挑発なんかじゃねえよ。サムライにとっちゃ、あんなの本当に芸なのさ。それとも、相棒の腕信じられねえってのか?』
「っ!」
そうだ。たとえ凄腕だとしても、ダーエン一家とカーク一家を壊滅させたツカサが負けるわけがない!
なんでおいら、不安になったんだ。あんなに強いツカサを! サムライを!
「けっ。気にいらねえな。自分が一番ツカサのことをわかっているみたいでよ」
『事実だからな!』
「気にいらねえな。でも、あとで覚えとけよ!」
その位置に、いつかおいらがなってやる!
手早く髪をまとめて、帽子の中につっこんだ。おいらとオーマの会話が終わったのと同時に、ツカサは窓をあけ、おいらの方を振り返った。
おいらの方に手を伸ばす。一瞬わたしに手を伸ばしたのかと思ったけど、すぐオーマを渡して欲しいのだと思い、ちょっと恥ずかしい思いをしたのは内緒。
「行くぞ」
「あ、ちょっと待って」
腰にオーマをさしたツカサが今度はおいらに手を伸ばしてくれたけど、気づいたことがあったから先に窓から出てもらった。
おいらは暗がりの中、月明かりを頼りにペンをとり、さらさらと棚の上にあった紙の上にそれを書いてゆく。
これは、今からおいら達がガラント一家もナイゼン兄弟もぶっ潰すってことを知らせる置手紙さ。
誰にも言わず行っちまったら、逃げたと思われるし、手柄もなにもあったもんじゃないからね。手柄を主張しようとしないツカサもかっこいいと思うけど、後ろ指さされるようなツカサを見るのはおいら嫌だからさ!
ちょうどツカサが窓を開けてくれた位置から月明かりが入ってきたから、文字を書く分には問題はなかった。
『早くしろよ』
外からオーマがおいらをせかす。
わかってるよ。これでよし!
わかりやすいところにそれを残し、おいらも窓から外へと飛び出した。
外ではツカサがおいらを受け止めてくれた。
わわっ。なんかちょっと恥ずかしい。
抱きとめられて、そこでもう一つ気づくことがあった。
「でもなんでおいらを一緒に連れて行ってくれるの?」
「なに言ってんだ。俺達一蓮托生だからだろ?」
そう言われて、思わずにんまりしちまったよ。そうだよ。おいらはツカサの仲間じゃないか! ツカサはおいらのことを信頼してくれている。なら、おいらもツカサのことを信じなくてどうするんだい!
──ツカサ──
『さあ、相棒行くぜ!』
「ああ。ナビ頼む」
『任せとけ!』
リオも外に出し、俺達は暗闇の中オーマのナビに従い、俺達は進む。
オーマはわかっていると言ったから、きっと色々サーチして間違いなく安全な場所へと連れて行ってくれるだろう。
『(相棒。まかせてくれ。相棒の望みどおり、ナイゼン兄弟のいる場所へきっちり案内してやるぜ! そこは間違いなく、ガラント一家のいる場所だろうからな!)』
※オーマは一度会った人間の位置を探ることができる。
朝日が昇りはじめ、その光が大地を照らしはじめた。
今日は、春めいた日というより、少々暑めの一日になりそうだ。
街道という開かれた場所に降り注ぐ太陽の光と、それによって高くなる気温。
ある自然現象が発生する条件が徐々に整ってゆくことに、この時の俺は気づかなかった。
────
朝日も昇り、日が高くなりはじめた。
ヨークスの宿場を狙うガラント一家が仕切るガラン宿場。その宿場の入り口は大きな宿が立っている。門と一体化したようにして建てられ、ごてごてと無駄に装飾されたその宿は、入り口の見張りと、ガラント一家の本拠地としても使われるガラン宿場一の宿屋であった。
この宿場で得られるみかじめ料、さらに利益の大半をつぎこみ装飾されたその宿は、ヨークス一家の館の慎ましさとは対照的に、ぎらぎらとした野望が透けて見える実に趣味の悪い外観をしている。
その外観が気に入る者はやはり同じ感性を持つ者であり、そうした者達が多く集まる宿場がここなのである。
当然、この地は評判が悪い。評判が悪いがゆえ、そういった奴等が多く集まる。
その宿の中では、ヨークスを攻めるためガラント一家が今から行くぞという決起集会が行われていた。
「くそっ、風が強くなってきたな。なんだってんだ今日は……」
階下で起きる雄たけびのような声を聞きながら、見張りの男が空を見上げぶつくさとつぶやいた。
彼がいるのは二階と屋根の間に作られた外から見るとわかりにくい見張り台である。怪しい事業もしているこの宿場は、常にお上の手入れを恐れてもいる。今日の喧嘩も官憲の手が回っては厄介であるから、見張りは当然のようにつかされている。
ヨークス侵攻に参加もさせてもらえず、見張りをするしかない視力だけが自慢の男は、下から感じる熱気と、見張り窓から吹きこむ風を受け、なぜかぶるると体を震わせた。
外は晴天で暑いくらいだというのに、どこか嫌な予感がして悪寒を感じて身震いしたのである。
「な、なんだ……?」
嫌な予感が頭をよぎり、不安にかられたその時、彼は見張り窓にいきなり張り付いた。遠くからやってくる人影を見つけたのだ。
その姿は、ナイゼン兄弟から聞かされている。それを見て、彼はこの悪寒の正体がなんなのかすぐに理解し、下の階へと走り出した。
一階の食堂ではヨークス攻め最後の鼓舞が行われていた。
今から出発し、宿場に亀のように閉じこもっているヨークス一家の奴等を皆殺しにするのである。
「おう。てめえら準備はいいか!」
ガラント一家の親分が声を上げた。髭もじゃの大男である。まさにパワーで生きてきたと主張する姿の大男だった。
「おうよ親分! いつでもいけるぜ!」
「こっちもだ!」
「今回は楽勝な戦いだ! なにせ俺達にはナイゼン兄弟がついている!」
ガラントの言葉に、食堂の中央で肉を食らっているナイゼン兄弟へ視線が集まった。
その視線に二人の象徴といえる武器、斧をかかげ答える。
「おおー!」
「だが、油断はするんじゃねえ。奴等は実力こそはねえが、結束力はピカイチだ。奴等を全滅させるまで安心するんじゃねえぞ!」
ヨークス一家は烏合の衆だが、窮鼠猫を噛むというし、なにより士気や結束力はこの周辺一だ。実力はないが人徳のあるヨーク・ヨークスは、彼等にとっても目の上のたんこぶなのである。
だが、ナイゼン兄弟が加わったことにより、そのたんこぶも今日で終わりだ。
ガラントは出発の号令を出すため、にやりと口をゆがめた。
「た、大変だー!」
そこに見張りの男が大慌てで駆け下りてきた。
「何事だ!」
「まさか、先に攻めてきやがったか!」
あまりの慌てように、誰かが奇襲をかけてきたのかと声を上げた。
喧嘩状とは、果たし状に近いものもあるが、日時を指定しぶつかり合うだけではない。道の途中で待ち伏せをし、奇襲を仕掛けるのも立派な戦略だ。
当然、先に襲撃を仕掛けてきてもおかしくはない。だが、相手が少ない奴等がこっち側へ襲撃を仕掛けてくるとは予想していなかった。
「バカな。数の少ねえあいつらが宿場捨てて出てくるもんか!」
いわゆる篭城作戦ならば、戦力が少なくとも大軍と渡り合える可能性がある。喧嘩が長引けば、騒ぎを聞きつけたお上の一団がやってくることもある。ゆえに、ヤツ等の取れる手段はそれしかないと誰もが考えていた。
それを捨ててこちらに出てくるとは、予想外のことだった。
「ははっ。なら話は早い。手間が省けたってもんだぜ」
ガラントはむしろ笑みを浮かべてしまった。
あちらから攻めてくるということは、彼等にとって好都合な事態だった。
面倒な門の突破などせず相手を壊滅でき、宿場は無傷で手に入る。いいことずくめだ。
だが、彼等の予測はことごとく外れた。
「ち、違うんですよ! ナイゼン兄弟が言っていたサムライが、サムライがこっちにきているんです!」
「なにぃ!」
「なんだと!」
反応は二つに分かれた。
一つは伝説がやってきたと恐れ、動揺する者達。
もう一つ。とはいえこの反応はナイゼン兄弟だけだが、驚きながらも喜びながら立ち上がった者達だ。
「本当なのか!」
「ま、間違いありません。あんた達の伝え聞いたとおりの格好だ。それが一人の子分みてえなチビをつれてこっちに走ってきてやがるんだ!」
「間違いない。俺達が見たサムライだ!」
「ああ、どうやらヨークス側についたみたいだな兄じゃ!」
「なにぃ!」
また、ガラントが声を上げた。
場に大きな動揺が広がる。
彼等も裏社会で生きる人間。賞金首のストロング・ボブやヤーズバッハの街でしのぎを削っていた二大悪党の崩壊の噂は耳にしている。
そんな化け物が敵についたなんて、聞いていない。
だが、その中でナイゼン兄弟はにやりと笑った。
彼等は一度サムライと対面している。その上で、勝てると確信があったからだ。
「来たのはサムライだけか?」
「え、ええ。あとは子分のようなガキだけです。でもそいつは宿から離れた場所で立ち止まってます」
見張りからの言葉を聞き、兄も弟も唇がひん曲がるんじゃないかと思うほどその唇を吊り上げた。
「兄じゃ!」
「お前等、今すぐ行くぞ! サムライ狩りだ!」
ナイゼン兄弟は立ち上がり、場にいるならず者達を外へうながした。
「で、でも相手はあのサムラ……」
「うるせえ!」
「サムライなんざ俺達兄弟の敵じゃねえ。見てろ!」
ガラントが声を上げようとしたが、その言葉は弟にさえぎられた。
ガラント達が動揺するのも当然だった。ここしばらくの間で流れた噂を聞けば、一人でガラント一家を皆殺しにするだけの力があるはずである。
それを知っていた彼等は不安を覚えたが、兄弟はそれを大きな声でさえぎったのだ。
それを言わせると場の動揺がさらに広がり、戦わずして負けるような状況に陥るからである。
場を鼓舞し、兄弟は自分達が先頭となって宿を飛び出す。
ナイゼン兄弟に引っ張られるように、ガラント達も外へと飛び出した。
「兄じゃ、絶好の機会がむこうからやってきたな」
「そうよ。今こそが好機!」
二人はにやりと笑った。
二人の一撃は二身一体の攻撃。兄の攻撃を受ければ弟の攻撃が。弟の攻撃をかわせば兄の攻撃が決まる、一人では決してかわせぬ無敵の一撃。
それを決して邪魔されぬたった一人でやってきたのだ。これを好機と言わずしてなんと言う!
宿屋から飛び出したナイゼン兄弟とガラント一家は自分達の宿場を背にし、サムライの進路へ立ちふさがった。
彼等の街道への展開に気づいたサムライは走るのをやめ、足を止めた。
距離はメートルにして五十メートルほどだろうか。飛び道具でもなければまだなにもできない距離である。
「……」
サムライは無言で、目の前に現れた一団を凝視している。
ガラント一家はゆっくりと間合いをつめ、その距離は四十メートルほどとなった。
「よく来たなぁサムライよ。歓迎するぞ!」
「ああ、まさかお前の方からやってきてくれるとはな! 俺達が歓迎してやるぜぇ!」
兄弟が口々に言い、一団から抜け出し前に出た。サムライに対して多少の警戒があるのか、距離はまだ長い三十五メートルほどの位置だ。
サムライは二人の姿を見てもかまえはとらず、左手を刀にそえただけだった。
すでに喧嘩状を送り戦いがいつはじまってもおかしくはないというのに、総勢五十人の前に立つサムライの姿は悠然としていて自信にあふれているように見えた。
「ちっ、余裕かよ」
「こないのなら、こちらから行くまで!」
「おうよ兄じゃ!」
二人の掛け声とともに、ナイゼン兄弟はそこから走り出した。
二人は背中に手を回す。
(くくっ。先に俺達のコンビネーションを見て警戒してきたようだな。だが、それこそが俺達兄弟の狙いよ!)
兄が心の中でにやりと笑った。
背中に手を回した二人は、腰にそえつけてあった二本の手斧を取り出した。
右と左に一本ずつ。二人で合計四本。
それを見た瞬間、戦いを見守っていた五十人のガラント一家は驚きの声を上げた。
巨大な斧にばかり目にいっていたが、まさか別の武器を持ち出すとは誰も思っていなかったのだ。
彼等の二つ名。ツインアックスには二人で一人であるかのような同時攻撃の他に、もう一つの意味がある。
それは、巨大な斧を手斧に持ち替え、それを使ってターゲットへ同時に投げながら攻撃するという方法だ。
手斧を一本投げ、同時に相手へ攻撃を仕掛けるという、格上と認めた相手にのみ使う奥の手。
この戦法は、一度巨大な斧のコンビネーションを見せることにより最大の効果を発揮する。わざわざ自慢するようにして見せたのは、相手に背中の斧へ注意を向けさせるためでもあるのだ。
相手が背中の巨大斧に注意を向ければ向けるほど意表がつける。そして本命の手斧による二段攻撃をしかけるというのが、彼等の戦術なのだ!
走る二人はジグザグに体の位置を変え、背中に隠す手斧を悟られぬようサムライとの距離をつめてゆく。二人がどのタイミングでどのように攻撃してくるのか、狙いを定まらせないように動いているのだ。
むちゃくちゃな動きのように見えるが、二人の息はぴったりであり、兄弟である二人出なければ決して実現しないコンビネーションだろう。
距離が詰まって二十メートルほどとなったその時。サムライが突然刀を抜いた。
ナイゼン兄弟の兄は、その刀法を知っていた。
「イアイギリってヤツには抜くのは早すぎるぜ!」
距離はまだまだある。そこで刀を抜いたからって、二人にあたるわけがない。
ひゅん。という小さな風きり音が響いただけだ。
その行動に意味があるとは、誰も思えなかった。
(それがどうした! なんの意味もないじゃないか!)
その行動は、おびえて混乱するガキのように見えた。
むしろ刀を抜いて隙が生まれたようにも見える。
(しょせん噂は噂よ!)
(俺達に勝てるわけなぞねえさ! 兄じゃと俺の同時攻撃は無敵だ!)
二人は同時に背中から手斧を抜き、一本をサムライにむけふりかぶった。
──勝った!
必勝の戦術に、ナイゼン兄弟は勝利を確信した。
力一杯、その手に収まる手斧を相手めがけて投げようとフルスイングで腕を回す。
しかし、その次の瞬間信じられないことが起きた。
ゴゥ! という音が、二人の耳に届いた。
「「え?」」
その声は、同時に発せられた。さすが息ぴったりの同時攻撃をする兄弟である。声までぴったりであった。
その声とともに、勝利を確信した笑みを浮かべた兄弟の体は宙を舞っていた。
唐突に地面から引き剥がされ、ぐるぐると回転しながら上へと引き上げられてゆく。
二人は一瞬、いや、最後までなにが自分達の身に起きているのかわからなかった。わかったのはただ、自分達がぐるぐる回って地面が遠ざかってゆくということだけだ。
彼等二人は、ぐるぐると回転する渦に巻きこまれ、空の彼方へ吹き飛ばされたのである。
「へ?」
宿の前に陣取ったガラント一家の者達もまた、その光景に目を点にして驚くしかできなかった。
ナイゼン兄弟とは違い、離れた場所から見ていたゆえ、なにが起きたのかはすぐに理解できた。しかし、その現実は彼等の理解を超えていた。
ただただ、その現実とは思えない光景にあんぐりと口を開き、目玉が飛び出さんばかりに驚くことしかできない。
ツカサの後ろで隠れてみていたリオも、同じようにぽかんと口を開いて唖然としているしかできなかった。
はっきりいって、ありえないことだった。
彼等の目の前には、巨大な竜巻があった。
サムライが刀を一振りしたと思った瞬間、そこに風が集まり渦を巻き、巨大な巨大な竜巻が生まれたのだ。
それが、ナイゼン兄弟をのみこみ、どこか遠くへ吹き飛ばしてしまった。
それはまさに、信じられない光景であった……
しかし、サムライの伝説を思い出せば、そんな不可能可能にして不思議でない。彼等はそれに思い当たった。しかし、思い当たったところで遅かった。
唖然とするガラント一家の目の前に、渦の威力がさらに増し、より発達した巨大な竜巻が迫ってきていた。
砂塵が舞い、すべてをのみこみ破壊する力。暴力を自負し、理不尽に他者を従わせることに喜びを覚える彼等を襲う、真の理不尽。
「はっ、に、にげろおぉぉぉ!」
目の前に迫ったその危機にやっと気づいたガラントが、悲鳴混じりに叫んだ。
が、気づいた時にはもう遅かった。
急速に発達したそれはガラント一家をやすやすとのみこみ、彼等を地面から引き剥がし空へと舞い上がらせる。はるか上空へ吹き飛ばされた彼等は無事ではすまないだろう。さらに門をのみこみ、そこに隣接された彼等の本拠地さえも倒壊させ、すべてを吹き飛ばした。
時間にして約一分という短い旋風。
まるでガラント一家のみを破壊するために生み出された竜巻は消滅する。
運よくその竜巻にまきこまれなかった数人の手下はぺたんと尻餅をつき、歯をカタカタと震わせながら戦意を一瞬にして喪失させた。
当然だろう。たった一撃でナイゼン兄弟はおろか、ガラント一家が壊滅してしまったのだから。
たったの一振りで、すべてが終わってしまったのだから!
噂は事実だったと、伝説に間違いはなかったと、はっきりと認識させられたのだから……
即座に武器を捨て逃げ出してもいいくらいの震え方だったが、あまりの恐怖で腰が抜け、逃げ出せないというのが正しかった。
戦闘は一瞬で終わった。
いや、これは戦いですらなかった……
この時生き残ったガラント一家の一人が、あるゴシップ新聞へこう語る。
『あの時は信じられなかったね。誰もがあの時、ナイゼン兄弟の勝利を確信したよ。あの兄弟の同時攻撃を破るとしたら、二人を同時に攻撃するしかない。そりゃ、そんな単純なことは誰でも思いつくよ。でも、それを実行するのはとんでもなく難しい。相手はあのナイゼン兄弟だからな。二人は完全に別々に動いているんだ。それを同時に攻撃するなんて、並の腕じゃできねえ……』
そこまで語ったところで、彼はその時を思い出したのか、ぶるぶると震えだしてしまった。
『で、でもよ、それを実行するのに、竜巻を起こすヤツが、どこにいるよ……』
そう。サムライは二人の敵を同時に攻撃するという難題に、竜巻を起こして二人を同時に吹き飛ばすという方法をとったのだ。
『そのついでに一家も壊滅させるとか、スケールが、格が違いすぎる。勝てるわけがなかったんだ。俺達は触れちゃいけない者に喧嘩を売っちまったんだ……!』
彼は頭を抱えてしまった。現場にいなかった我々には、彼の抱える恐怖はわからない。しかし、想像はできる。
『そして、ヤツは腰を抜かした俺達の前にきたんだ。竜巻を見て唖然としている俺達に向かって、ヤツはこう言ったんだ……』
「あれは本物なんかじゃないよ」
『や、ヤツはそう言ったんだ! あれは本気なんかじゃないって! サムライの本物の一撃は、あんなもんじゃないって言ったんだ! 俺達なんか、まるで相手にしていないようにそう言ってのけたんだよ!』
ここから先はもう、インタビューにはならなかった。彼はもうガタガタと震え、頭を抱え、「ごめんなさいごめんなさい」とひたすらに謝り続けていた。
以上でこの記事は終わるが、サムライの恐ろしさは十分に伝えられたと思う。
彼は最後にこう言っていた。
『サムライには手を出すな』
本件は過去のサムライ案件同様竜巻という自然現象の仕業と片付けられたが、彼の証言からサムライの仕業であるというのが真実である。
以上が、後日発売されたゴシップ新聞からの抜粋である。
──ツカサ──
オーマの指示に従って、俺はリオを連れて必死に歩いた。夜があけ、明るくなって暑くなってきた中でも必死に歩いて、そしてたまに走った。
『もうちょっとだぜ相棒! リオはそろそろ距離をとっておきな!』
「わかったよ!」
もうちょっとと聞き、やっと逃げなくてすむと思い、俺はゆっくりと足を緩めた。
前には別の宿場の門が見える。ここに入れば安全ということか。さんきゅーだぜオーマ。
すると門が大きな音を立てて開いて、そこから昨日会った大道芸人の二人が出てきた。
後ろにはぞろぞろと似たような格好をした人達がいる。みんな奇抜だ。まさかあの人達も大道芸人だというのだろうか?
五十人くらいいるぞ。
そして、あの二人がその一団から一歩前に出てきた。
「よく来たなぁサムライよ。歓迎するぞ!」
「ああ、まさかお前の方からやってきてくれるとはな! 俺達が歓迎してやるぜぇ!」
二人が一度両手を広げた。歓迎? 前に怒らせたというのに、なぜ歓迎なのか。
一体どういうことなんだろう。ひょっとして今から俺に芸を見せるのか? ひょっとして、機嫌を悪くしたあの芸のリベンジをしようというのか!?
なんて芸人魂なんだ。ならば受けてたとう。今度は対応を間違わないようにして、ちゃんとおひねりを投げてから拍手するぞ! さあ、見せてみろ大道芸人、あんた達の魂の芸を!
俺は思わず、オーマを握り締めてなにが起きるのかとわくわくしてしまった。
直後二人はだっと俺の方に向け走り出してきた。
どうやら前の芸とは違うのを見せてくれるようだ!
びゅう。
直後、俺の耳に風の音が響いた。
ジグザグに迫ってくる彼等の方に向け、俺の背中から彼等の方へふいているのが感じられた。
小さなほこりが舞い、風の流れる筋が見える。
その筋は、小さな渦を作りくるくると円を描いていた。
「っ!」
この状況、似ている……!
俺は中学の頃、これと同じ状況を経験したことがある。
これは、塵旋風の起きる前兆だ!
塵旋風。こう書くととってもかっこいいが、簡単に言えばつむじ風のことである。地表付近の大気に上昇気流が発生し、これに水平方向の強風が加わるなどして渦巻き状に回転しながら立ち上がる突風の一種である。
晴れた日に校庭で起きる小さな竜巻。と言えばわかりやすいだろう。
乾燥した土や砂、埃や細かいゴミなどの粉塵を激しく舞い上げることから塵旋風と名づけられたのだという。
晴天で強風の日中などに、平らで広い場所。たとえば校庭などで発生しやすく、小学校の頃小規模のものなら校庭で渦を巻くそれを見た覚えがある人は多いと思う。
小規模ならば小学生がそこにとびこんでいっても問題はないが、大規模な塵旋風が発生すれば、重たいゴールポストや車さえひっくり返す大きな被害をおよぼすほど恐ろしい自然災害となる。
ちなみにだが、塵旋風と竜巻は形は良く似ているように見えるが、定義や発生要因が根本的に違うので別のものである。
竜巻は主に積乱雲による上昇気流によって渦が発生し、その渦が積乱雲から地上にまで降りてきて数十分もの間暴れまわるモノをさし、塵旋風は晴れた日に校庭などの上で発生した上昇気流が校舎などの障害物によって局地的に地面から渦が生まれ、突然一分ほどの時間螺旋を渦巻かせるものをさす。
竜巻はある程度発生の予測が出来るが、塵旋風は突然発生するので予測が困難である。ただそれは、上昇気流が生まれ砂埃が舞った予兆から発生までの時間が短いからであり、予兆そのものはあるので、小さな砂埃が舞い上げあっているのを見かけた時は注意してみよう。
このように、竜巻と塵旋風は規模やメカニズムが大きく違う。
中学の頃、俺はその大規模な塵旋風に遭遇したことがある。体育の時間、校庭に渦がまいたかと思ったら巨大な渦巻きが立ち上がり、何百キロあるかわからないローラーやゴールポストを軽々と吹き飛ばしたのだ。
あの時の塵旋風は人間さえ何十メートルも飛ばすような威力があり、地方新聞どころか全国ニュースになるほどのものだった。
この知識は、そんなことがあった次の日担任の先生に教えてもらった知識だ。
その時と同じような、風が集まる雰囲気が俺と走って近づいてきている二人の間にあるのだ。
しかも、その時よりすごそうなものが生まれそうな気配を感じる。
風の集まる予兆と言えばいいのだろうか。それが、なんかすごいのだ。
一度経験したからこそわかる嫌な予感。
それが俺の体を駆け抜けた。
これは、ヤバイ。俺の本能が、ヤバイヤバイと警鐘を鳴らしている。
これに気づけるのは、前に一度それが発生しているのを見たことがある俺くらいだろう。
方向からしてこのつむじ風の進行方向は俺を大歓迎している大道芸人さん達の方だ。
せっかく歓迎してくれているというのに、このままじゃ大惨事がまぬがれない!
早く避難をうながさなくては! なにせ大道芸人二人はその発生しそうな地点に走りこんできているのだから!
ヤバイ、ヤバイよ。このままじゃあの二人、発生する塵旋風につっこんできちゃうよ。飛ばされちゃうよ!
逃げろと言わないと。
でもいきなりつむじ風が起きると言って信じてもらえるだろうか? それは間違いなく否だ。芸の邪魔をしているようにしか思えない。芸人魂の塊のようなあの人達の怒りを逆撫でするだけだ。しかも立ち止まってもらうだけでは不十分。発生した塵旋風の進行方向は明らかに大道芸人さん達側なのだから!
だから言ったらすぐにここから逃げ出してもらわないと!
つまり俺のやらねばならないことは、即座にあの二人に危険を知らせて、即座にそこからどかせなければならない!
……そうだっ!
ひらめきが舞い降りた。
ピコンと頭の上で白色LEDランプがきらめいた気がする。
刀、俺の腰には刀があった!
こいつを抜いて、狂ったように振り回す!
それは明らかな危険! そうすれば大道芸人さん達も身の危険を感じて逃げてくれる! あとで塵旋風が起きそうだったと説明すればきっと納得してもらえるはず! 危機を救えばきっとわかってくれるはずだ! 最後は笑ってハッピーエンド。
なんていいアイディアなんだ。さっそく実行するしかない!
右手で柄をぐっと握って刀を一気に引き抜く。
前(第1話)に抜こうとした時はうまくいかなかったけど、今回は一発で抜けた。
ぶん! と横に大きく振り、さらに奇声をあげて振り回そうとした。
でも、遅かった。
刀を抜いて一度振ったところで、小さく生まれたその渦は一瞬にして大きくなり、こちらへ向かってきていた二人の大道芸人さんをのみこんでしまった……
轟音とともに生まれた巨大な塵旋風は、二人を易々と地面から引き剥がして空へと吹き飛ばし、さらに前に集まる五十人ばかりの他の大道芸人さん達の方へと突き進んで行く。
塵旋風が来ると身構えていた俺はなんとかすいこまれることはなかったけど、必死に踏ん張っていなければならず、助けに行くことも声を出すこともできなかった。
巨大な風の渦を作り出したそれは、街道の石や砂も巻き上げ、さらに大きく成長して唖然とする大道芸人さん達をのみこみ、さらにその後ろにあった門と宿までも蹂躙してゆく。
バキバキと大きな音を立て、まるで竜巻のようなそれは障害物を破壊し、空へと舞い上げていった。
もう、目も開けられていられないほどの風と粉塵が舞い踊る。
都合一分ほどの短い蹂躙劇は終わり、あたりに静けさが戻ってきた。
風も収まり、やっと目が開けられる状態にもなり、あたりを見回すと、大道芸人さん達が出てきた門とそこに併設してあった宿らしきものは綺麗になくなっていた。
とんでもない威力である。まれに竜巻クラスの塵旋風が発生するなんて聞いたことがあるけど、これがまさにそれだった。
それとも、さすが異世界。と言えばいいのだろうか。この世界の塵旋風はむしろこのくらいが当たり前で、竜巻はさらにもっとすごいとか。
だとすれば、パネェな異世界。
そして、その仮説が正しければ、ヤーズバッハの街で地面が爆発したのもちょっとは説明がつく。
きっとここは災害発生率も高いんだろう。きっとそうに違いない! そうじゃないとおかしい! さすが異世界。俺の常識じゃとても推し量りきれない世界だぜ。
そのうち大規模な地震や雷、火山の噴火とかも起きたりして。なんつってな(フラグ)
ないない。と俺は自分の荒唐無稽な考えに呆れつつ小さなため息をついてオーマを鞘に納めた。
「……みんな逃げてくれれば、助かったのに」
突発的に発生する突風だからどうしようもなかったというのはわかっているが、どうしてもそんなことを思ってしまった。
『しかたねーさ。相棒は悪くねーよ』
オーマが俺に優しく言ってくれた。そう言ってもらえると少し心が楽になったよ。
『(そうさ。相棒は悪くねぇ。相棒は火の粉を払っただけ。悪いのは相棒の実力も測れずつっかかってきたあいつ等さ……)』
ここでくよくよしていてもしかたがない。
誰か助かった人はいないかと思い宿場の方へとむかったけど、宿は根元から完全に吹き飛ばされていて、救助するにしてもするべき人も物もなかった。実にとんでもない威力だ。飛ばされた人がどうなったのか、俺にはもう無事を祈ることしかできない。
他には運よく巻き込まれなかった人達が、塵旋風の通り過ぎた現場を見るように尻餅をついていた。
あわあわと完全に泡を食った状態で呆然としている。
さすがにこの被害はこっちの人でも尋常じゃないのか。
少しだけ俺の常識と同じで安心しつつ、ひとまず声をかけるために近づいておいた。
尻餅をついている大道芸人さんは五、六人しか残っていなかった。運悪く固まっていたのだからしかたがないだろう。
俺が声をかけようとしても、みんな「ひぃ!」と怯えて会話ができそうにない。とんでもないトラウマになっちまっているね。目の前で仲間が飛ばされればしかたがないか。
「たっ、たっ、竜巻を起こすなんて……」
誰かがあわあわとつぶやいているのが聞こえた。
いや、あれは塵旋風というもので、竜巻とは違うとわかっていたので、俺は思わず。
「あれは本物なんかじゃないよ」
と言ってしまった。竜巻じゃないよと言おうとしたのに、なんか変な言い回しになった上、こんな時にそんな指摘をするような状況じゃないと気づき、少し恥ずかしくなった。
こんな時にそれを指摘するような状況じゃないじゃないか。些細な違いがわかる俺かっこいいなんて勘違いしているようで、被害を受けた人に塩を塗りこんでなにが楽しいんだ……
こんな状況でなにアホなことを言っているんだよ。俺はアホかと、ちょっと自己嫌悪に陥ってしまった。
『(……弱いものいじめのようになって、心をいためているのか。相棒、あんたは優しすぎるぜ)』
「ツカサー!」
リオが走ってきた。
何事かと思ったら、俺達が来た方からヨークスさん達が走ってきているのが目に入った。
しまった追いつかれた!
「リオ、逃げるぞ」
「え? うん!」
俺はまた走り出した。
もうへとへとだけど、ヨークスさん達に捕まったら今度は命にかかわる。
こんな状態で喧嘩に連れて行かれたら間違いなく行く前に力尽きる!
だから俺は、さっきの宿場の門の前を素通りし、西に向かう街道から別の街道へと走っていった。
どうやら彼等は被害のあった宿場の救助へ向かうらしい。残念だが建物は全部吹き飛んでいるから無駄だぜ。でも、そんな優しい君達が大好きだ!(逃げられる的な意味で)
そしたら、リオがなんか俺をじっと見ている。
併走しながら、俺の顔をじーっと。
やめろよ。見るなよ。
逃げる俺をそんな目で見ないでくれよ。
なので、いいわけじみたことを口走ってしまった。
「彼等なら、俺がいなくても大丈夫だ(喧嘩に勝てる的な意味で)」
「ああ、おいらもそう思うよ」
予想外にあっさりと同意が得られてしまった。
なんだ。それならよかった。これで安心して俺も逃げられるってもんだぜ!
(やっぱりツカサはあいつらの幸せに動いてた! 無傷でこの一件を超えられたんだ。あとはツカサに頼らず皆を幸せにできねーんじゃ、おいら達に顔向けできねーもんな!)
俺達は顔を合わせ、一度うなずいてからそのままそこからすたこらさっさと去ってゆくのだった。
──リオ──
やっぱり、やっぱりツカサはすごかった! おいらの心配なんて本当に杞憂でしかなかった! たったの一振りであいつ等を全滅させちまうなんて!
二人同時にかかってくるのなら、二人同時にぶっ飛ばせばいいなんてそんなのできるのツカサくらいだよ!
終わったのを見計らって近づいていく。
声をかけたら、オーマが『ふふん』と自慢げに笑いやがった。このやろー。とはらわたが煮えくり返ったけど、最初にツカサを信じられなかったのはおいらだ。そして、信じていたのはこいつだ。今ばっかりはしかたがない。でもな、おいらだっていつか必ずツカサを理解して、お前以上に信頼信用されてやるんだからな!
「逃げるぞ」
歯軋りをしていたら、ツカサに声をかけられた。
見ている方向を振り返ると、ヨークス一家がこちらに来ているのが見えた。
おいらの置き手紙を見てくれたんだな。だからすぐに追いかけてきてくれた。
でもツカサは、逃げるって言い出した。やっぱりツカサは手柄なんて主張する気はないんだな。おいらが気を利かせて置き手紙をしておかなかったら、この一件もダーエンの時みたいに誰にも知られず、ただの噂でしかあがらなくなっちまうところだったよ!
ヨークスさんよ。この人があんた達を救った男だぜ。しっかり感謝するんだな!
おいらはヨークス一家に手を振ると、ツカサを追って走り出した。
──ヨークス──
朝、サムライのダンナを起しに行ったらすでにその姿はなく、リオの小僧が残した置き手紙を読んで俺達はすぐガラント一家の元へと出発した。
まさかたった一人であのガラント一家とナイゼン兄弟と戦おうだなんて、いくらサムライでも無謀だ。そう思っていたのだが、まさか俺達が到着した時にはすでに戦いが終わっていたなんてな。
突然巨大な竜巻が吹き上がったのには驚いたが、あれこそがサムライのダンナの一撃だったのだろう。
その証拠として、俺達の行く手を阻むはずの宿場の門は失われ、戦意のあるものはすでに誰一人としていなかったのだから。
俺達が剣を抜くまでもなく、すでに勝敗は決していたのである。
一体なぜ、彼はこれほど俺達に力を貸してくれたのだろう?
俺達はなにもしていない。宴会になかば無理やりまきこんだだけだ。
それなのに、これほどのことをしてくれるなんて。
「……幸せに。か」
俺は、置き手紙の内容を思い出した。
『このまま戦えば、宿場の人達まで傷つき、死ぬかもしれない。そうしたら、その人の家族は幸せにならない。こんなにも宿場の人に慕われているヨークスさんが、宿場の人を逆に不幸にするのが、ツカサは良いとは思わないみたいなんだ。だからツカサは、一人で戦いに行くみたいなんだよ。誰一人欠けることなく、宿場の人達がみんな幸せになれるようにって戦いにいったんだ。でもツカサはそのことを誰にも知られなくていいと思ってる。おいらはそれがいいとは思わない。思わないから、あんた達にはこんなお人よしがいるってことを知っていて欲しいんだ』
殴り書きされていて、少し読みにくかったが、それを朝見つけた時、なんて無謀なことをするんだと追いかけてきた。
でも、俺達が心配する必要はなかった。むしろ、俺達がいてはあの竜巻は使えなかったのだろう。
そして、あの小僧が置き手紙を残していなければ、俺達は誰に助けられたのかもわからず、下手すりゃ彼を逃げたと罵っていたかもしれない。
彼は、それでいいと考えているようだ。俺達が全員無事で幸せになれるのなら、それでいいと。
確かに奴等と戦えば、大勢の死者が出ただろう。彼が戦ってくれなければ、全滅もありえた。
この置き手紙は、その行動を我々に教えてくれた。
だが、この一人で戦うというのは、俺達の誇りを傷つける行為でもある。
だから彼は、なにも言わず、手柄も主張せず無言で去るのだろう。
感謝を押しつけるのでない。罵りたいのならば好きに罵れというその態度。彼は俺達の幸福も、誇りも守ろうとしてくれていたんだ。
どんな傲慢も押し通せる強さを持っているというのに、それを誇らず、名声も求めず、俺達の幸せだけを望むなんて、この手紙にあるとおり、なんてお人よしな人なんだ。
そして、どうして助けてくれたのか。それは終わって宿場のみんなに聞いてわかった。
みんなが、サムライのダンナに助けてくれと頼んだのだそうだ。
だから彼は、俺達を助けてくれた。
『義を見てせざるは勇なきなり』
このことを聞いたとき、俺はこの言葉を思い出した。
これは、『人として当然行うべきことを知りながらそれを実行しないのは勇気がないからである』という意味だ。
これはかつて、伝説のサムライが己の道ということで語った言葉として知られている。
彼の行動とは、まさにこれだった。
この信念だけで、彼は見ず知らずの我々に救いの手を差し伸べてくれたのだ……
「かなわねえなあ。こうなったら、意地でも幸せにならないと、あの人に顔向けできねえな」
「そうですね。親分」
走り去ってゆくその若い背中を見ながら、俺は惚れ惚れするように息をはくしかできなかった。
子分達も俺と同じ結論に達したんだろう。
その姿はまさに、義を重んじる俺達が目指す信念を持つ男の背中だったのだから。
俺達の目指す信念を受けてこの戦いを乗り越えることができたのだ。俺達はその彼に顔向けできるよう生きなければならない。そのためには嫁さんを幸せにして、宿場を笑みの絶えない場所にする。それができずしてあの若いサムライに恩を返せるだろうか? いや、ない!
だから俺達は誓うぜ。必ず幸せになるって!
俺は、子分達と一緒に去ってゆく二つの影を見えなくなるまで見送った。
「さあお前達。これから忙しくなるぞ!」
「へい!」
こうして、ヨークスの宿場とこのガラン宿場はヨークス一家により仕切られることとなった。
仁義に厚く人望もあったこの一帯の宿場は治安もよく、安心して旅人が休める地として長らく発展することとなる。
その影にはヨークス一家の危機を救った伝説のサムライの姿があったと噂されるが、真偽は定かではない。
おしまい