第60話 御前試合に行こう
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御前試合。
それは、お殿様、将軍の面前で行われる武術の試合のことである。
選ばれた十六名のサムライのみが出場を許され、栄誉と名誉のためだけに武を競い合う。
表の社会から将軍の姿が失われすでに百年以上の時が流れたが、それでもこの儀式は脈々と続けられていた。
それは、サムライの意識を高め、武と技を競い合わせるためだけではない。
このサムライ同士の戦いは、闇将軍と呼ばれる世の破壊を企て、サムライによって封じられた存在の封印を強化するためのものでもあるのだ。
サムライ達に栄誉の目標を与えるだけでなく、士力をぶつけ合わせることにより、彼等の仇敵の封印を強める。
それが、この時代にまだ御前試合と呼ばれるものが行われる理由である。
そして、その闇将軍の封印を守る要。
それこそが、すべてのサムライの頂点に立ち、彼等が守るべき存在となる、裏将軍であった。
表の社会から姿を消し、裏でも将軍が存在するのは、その人が世を穢す悪を封じているからだ。
この御前試合は、その裏将軍が封印強化のため人々の前に姿を現す唯一の機会。
要となる裏将軍が失われれば、闇将軍の復活も成る。
闇将軍の復活を願う団体があるとすれば、この絶好の機会を逃すわけがない。
だが、その日は多くのサムライが集まる日でもある。
しかもサムライきっての武等派が集まるのだから、襲い来た死士が裏将軍のもとへたどりつけたことは一度たりとも存在していなかった……!
前回の開催から八年。
久方ぶりの開催である。
その十六名の参加者の選出法は強さでのみ。
老若男女。性別不問。ただ、強いと評価された者のみが選ばれる。
ゆえに、人を救うことを重きにおいて選ばれる名刀十選の中から選ばれないこともあった。
時に、名刀十選以外の選出サムライが優勝することもあり、純粋な強さが見たいと思う者達にとって、これほど胸を高鳴らせるモノは存在しない。
社会を守るためにも、誰が強いのかというサムライの本能ともいうべきものに対しても、すべてに答える一大イベント。
それが、御前試合であった。
──片梨彼方──
御前試合の招待状がきました。
意外にも、ポストに無造作に入れられているんですね。
この御前試合とは、サムライ衆が表向き活動している劇団の舞台のことではなく、サムライの本業。平和を守るサムライとしての力を試す試合のことです。
八年ぶりの開催で、参加はもちろん観戦できるのは士力の見える関係者のみだと亜凛亜さんに聞いています。
だから、ウチに届いたのも、私と兄さんの招待状だけになります。
まあ、士力の見えない父さん母さんが行ってもしかたがありませんから。
むしろ、兄さんと一緒に行ければデートみたい! あ、でも兄さんの実力を考えれば参加する側だし、そもそも兄さんこんなのに興味でしょうから、意味が……
「……え?」
なんて考えながら、封を切りチケットを確認したら、思わず驚きの声が出てしまいました。
入場チケットとなる招待状には、士力によって浮かび上がる文字が入っていました。
普通の人にしてみればただのチケットですが、士力を見れる人には別の合否が見れるようになっていたのです。
それは、御前試合参加の可否。
ここに、『第百二十四回 御前試合 参加 可』とあれば、これは一転して参加券にはやがわりするのです!
そしてその士力文字は、私の名前が入ったチケットにデカデカと描かれていました!
驚きました。
隠れて暴れまわり、『無刀』なんて呼ばれるようになった兄さんが本戦に招待されるのならまだわかります。
でも、新参の私が選ばれるとは思ってもいませんでした。
なにか裏でもあるのか? なんて思わず勘ぐってしまうほどです。
「どうした?」
「あ、兄さん」
兄さんがチケットに浮かび上がった参加の文字を見て固まる私に声をかけてきました。
「今度、御前試合があるみたいなんです」
兄さん宛の招待状が入った封筒を渡します。
兄さんはそれを見て、どこか納得したようにうなずきました。
「ああ、サムライの」
「はい。なんと私も出られます!」
「え? 舞台に立つのか?」
「はい! 舞台に立ちます!」
流石の兄さんも驚きを隠せなかったみたいです。
ちょっとだけ優越感ですね。
「それはすごいな……」
どこか関心したように兄さんも自分の封筒を開けています。
よかった。無関心にそうか。なんて言われたら参加する気も失せていたところです。
「それで、兄さんは?」
兄さんが封筒の中身を確認するのを待ち、恐る恐る聞いた。
私が参加可能なのだから、私以上の実力を持ち、認められている兄さんが参加できないわけがありません。
「そりゃもちろん、お前の晴れ姿を見に行くよ」
ああ、やっぱり。
うん。知ってた。そんな感想が心の中に出る。
それはつまり、私の応援はするけど、御前試合には出ないということだった。
まあ、これは予想通り。
そもそもそうして表に出るのをよしとするのなら、兄さんはとっくに名刀十選の一人になっているのだから。
そういう栄誉も名誉も興味ない。
そんな兄さんのストイックなところ、私は大好きです!
御前試合の参加は強制じゃありません。
滅多にいませんけど、はじまる前に怪我などをして棄権する人もいますから、リザーバーは確保してあると亜凛亜さんに聞いて覚えもありますし。
だから別に、兄さんが出場しないのは問題にならないでしょう。
まあ、不機嫌になる人はいるでしょうけど。
でも、兄さんが出ないというのなら、私もわざわざ出る理由もない気がする。
私を出場させるってのがあの第一刀の目的のような気もしないでもないから。
出場を拒否する、兄さんを引っ張り出すための……
「お前を応援するって約束したからな」
「へっ?」
兄さんがチケットから顔をあげ、私を見た。
「がんばれよ。俺は客席から応援している」
に、にいさーんっ!
ぶわっと涙が出るかと思いました。
兄さんが、私に、期待してるっ!
私はこれだけで、やる気マックス、テンションマックスになりました。
だって、兄さんが私を応援してくれる。それだけで世界を敵に回してもいいくらいの価値があるんですから!
誰かの思惑なんてどうでもいいです。
兄さんが私の活躍を期待しているというのなら、それに全力で答えるまで! それだけです!
「兄さんも絶対に来てくださいね!」
「ああ」
御前試合。
急に楽しみになってきましたよ。
こうなったら、あの第一刀を私が倒して、優勝する気概でいってやります!
──ツカサ──
「どうした?」
ポストから取り出した手紙を見て唖然としている彼方を見つけ、声をかけた。
玄関前で突っ立ってると邪魔だぞ。
「あ、兄さん。今度、御前試合があるみたいなんです」
ごぜん、じあい?
なんじゃそりゃと思いながら、彼方に封筒を渡された。
それは、劇団サムライから送られてきたものだった。
「ああ、サムライの」
俺はそれを見て納得する。
御前試合。
なにかと思えば、公演のことか。
そうだよな。劇団だもんな。タイトルからして時代劇か。
「はい。なんと私も出られます!」
彼方が嬉しそうに言う。
オイオイ、マジかよ。
入ってばっかだってのに、もういきなり舞台デビューかよ。
スカウトまでされたっていうから期待されてるとは思ったけど、まさかこれほどだとは。
さすが俺の妹。天才だけあるぜ。
そりゃ、中身を見て驚くわな。
「え? (演劇の)舞台に立つのか?」
「はい! (試合の)舞台に立ちます!」
「それはすごいな……」
思わず感心してしまった。
天才ここに極まれりって感じだな。こんな短い時間で舞台に立つなんて!
じゃあ俺に渡された封筒にはなにが入っているんだと思い、あけて中を見てみる。
するとその中には、御前試合のチケットが入っていた。
そこには、俺の名前と公演の場所と日時が大きく記されている。
軽く注意書きを見た限りだと、いわゆる入場券であり、この演目は関係者のみが見れる限定公開の公演のようだ。
つーか、この公演、開始まで一週間もないんだけど、そんな短くて平気なの? それとも前々からやるって決まってて稽古してきたの?
あ、そういやそんな感じのことがあるって彼方が亜凛亜さんに聞いたとか言ってた覚えあるな。
むしろチケットが送られてきたから出ると伝えたってこと?
そういうことか。
なら、平気か。
とりあえず、このチケットで入れるのは一応劇団員となっている俺だけみたいだ。
てことは、俺のかわりに父さんか母さんが彼方の晴れ舞台を見に行くというのは無理か……
「それで、兄さんは?」
俺がチケットを確認すると、彼方が口を開いた。
どこか恐る恐るという雰囲気がある。
そりゃ、いきなり抜擢されりゃさすがの天才でも不安になるか。
だが、安心しろ。お兄ちゃんはお前を応援するって決めてるからな。
「そりゃもちろん、お前の晴れ姿を見に行くよ。お前を応援するって約束したからな。がんばれよ。俺は客席から応援している」
チケットから視線を外して彼方を見ると、驚いた顔をしていた。
おいおい、そんなに意外かよ。
そりゃ色々気まずくてほとんどお前の練習とか見に行ったりしなかったけどよ。
これでもお兄ちゃんはちゃんと応援してたんだぞ。
「わかりました。私、がんばります!」
おう。がんばれよ。
どうやらやる気も出たようだ。
「兄さんも絶対に来てくださいね!」
「ああ」
限定の公演とはいえ、まさか妹が舞台デビューを果たすとは。
父さんからカメラ借りていった方が……いや、ああいうのは学校の学芸会じゃないんだから、撮影はダメか?
チケットにそのことは書いてないから、会場行かないとわからないかな。
まあ、一応携帯もって行くくらいでいいか。
父さん母さんも行きたいと言うだろうから、俺がしっかりこの目で記憶してその晴れ姿を伝えないとな!
しっかし、御前試合か。
タイトルからじゃどんなストーリーになるのかさっぱりわからないな。
彼方もどんな役なんだろ。
聞けば一発でわかるけど、むしろ前情報なしで見るというのも楽しみのひとつか。
いずれにせよ、楽しみだ!
──ツカサ──
御前試合当日。
彼方は準備のため父さん母さんと朝早く会場へ出発した。
両親二人は、彼方を送ってそのままデートしてくるのだそうだ。
俺は会場が開場するのにあわせ行き、しっかりとそれを目に焼き付けて父さん母さんに報告するのが今日の役目だ。
朝、余裕を持って家を出る。
バスと電車を乗り継いで、会場のある場所へはけっこうかかるからだ。
家から出るのは俺が最後だから、しっかりと鍵をかけて出ないとな。
ガチャガチャと鍵がきちんと掛かっているのかを確認し、出発する。
妹の晴れ舞台。
いやー、楽しみだ。
──アニキ──
「出たな。情報どおり、一人で会場にむかうつもりのようだ」
「そっすね。でもアニキ……」
「なんだよ?」
「あの小僧が、ホントに『無刀』なんすか? とても信じられねぇんですが」
「だからテメェは愚図なんだよ。そうやって侮っていると、オメェもあの他の死士みてぇに返り討ちにされちまうぞ。言ってただろ。見た目に騙されんなって」
「そっすよね……」
弟分が。玄関から出て歩き出した小僧を見て、ううむとうなった。
俺達は今日、闇将軍様を復活させる。
その計画を、実行する。
お嬢達精鋭はすでに御前試合の行われる会場へ潜入しているはずだ。
俺達のような下っ端は、会場に侵入することも出来ず、ただ外で結果が現われるのを待つだけになっている。
実力のない俺達に出来ることは、お嬢達を潜入させるための工作が終わったところで用なしになったってわけだ。
だがよ、俺達にもできることがまだある。
片梨士。
最近唐突に頭角を現した、『無刀』なんて呼ばれるサムライの小僧だ。
こいつは俺達サムライの基本。士力を見せずに死士をブッ倒していくっていうバケモノ中のバケモノだった。
計画に計画を重ね動くあのお嬢でさえ、不確定要素と位置づけ、なんとかして排除しようとしていた要注意サムライ。
この前なんて、長老の特性をもってしても返り討ちにあったなんていう、闇将軍様復活の最も障害となりえるトンでもねぇヤロウだ。
そいつが今、家を出て、御前試合の会場へとむかった。
俺達は、そいつをこうして監視、尾行している。
「アニキ、ホントにやるんですか?」
「あたりめぇだろ。お嬢があれほど警戒するあの小僧。今日の計画を遂行する上で、予測不能の最大級不確定要素だ。そいつを、俺達で妨害する!」
俺は拳をガッと握った。
ちなみに、予測不能の最大級不確定要素ってのはお嬢の受け売りだ。
「ま、まじなんすね……」
「ああ。マジだ。俺達は、ヤツの会場入りをなんとかして邪魔する。計画がはじまるまでヤツが会場の外にいりゃ、お嬢の計画に不確定要素が入りこむことはなくなるって寸法だ。そうなりゃ、どうなると思う?」
「どうって、闇将軍様が復活するっすね!」
「そうだ。不確定要素が消えりゃ、お嬢の計画は確実に成功する。そうなった時、お嬢が最も警戒するあの小僧を足止めしたとなりゃ……?」
「チョー褒められないっすか!?」
「ああ。褒められる。最大級の手柄と言ってもいい。そうすりゃ、俺達も九刀天に取り立ててもらえるに違いねぇ!」
「く、九刀天すか!?」
九刀天とは、俺達の組織にいる最強の九人の死士に与えられる称号だ。
ぶっちゃけサムライ衆の名刀十選に対抗して作った順位らしいが、やっぱこういう称号があると俺等のやる気も違うってもんだ。
「ああ。それくらいの価値はある。いいか、絶対にアイツを遅刻させる。いいな!」
「ブッ倒してやるってとこじゃないのがアニキらしいっす!」
「だっろー。褒めんなよ!」
真正面から戦って倒せとか言われたら無理な話だが、計画の時間に間に合わないようにさせるってんなら戦力外の俺等にだってなにか出来るかもしれねぇ。
そして万一成功した場合、そのリターンは計り知れねぇってもんだ。
こりゃ、やるしかねぇだろ!
「でも、アニキ……」
「今度はなんだよ」
「俺達がとっ捕まって計画のこと知られたら、トンでもないことっすよ?」
「安心しろ弟よ」
ビクビクと怯える弟分の肩を掴み、俺は真摯な目でその大きな事実を伝えた。
「俺たちゃ計画のことなんざなーんも知らねぇだろ? とっ捕まったところで、なんの影響もあるわけがねぇ!」
「そ、そのとおりっす!」
弟分の目が、輝きを取り戻した。
俺達二人は、勝利を確信し大笑いをはじめた。
「?」
「おっといけねぇ」
「っす」
ターゲットが振り返った。
あぶねぇあぶねぇ。ついうっかり大笑いしちまったぜ。
道のカドに隠れながら、俺達は冷や汗を拭った。
「それでアニキ。どうやってアイツを足止めするんすか? やっぱ、直接ぶっ飛ばして、入院させちまうんすか?」
「ふっ。直接攻撃は最後の手段よ。仮にもヤツは、『無刀』だからな」
「そ、そっすね。やっぱ実力行使は最後の手段すよね!」
「ああそうだ。決して勝てねぇわけじゃねぇが、俺達はやっぱ、ここを使ってナンボだからな!」
「そっすよね!」
俺は、人差し指でこつこつと頭を指差し、弟分はそのとおりっすと飛び上がった。
決して俺達がよええわけじゃねぇ。
俺達のスタイルにあわねぇってだけだ! わかったな!
「まずは第一プランからだ!」
──ツカサ──
「ない、ない!」
「ないっす。ないっすよアニキ!」
駅に行くため、最寄のバス停に向かって歩いていると、道の真ん中にはいつくばってなにかを探している二人組がいた。
「ちくしょう。アレがなかったら俺は!」
「アレがなかったら大変っす。アニキ!」
「落としたのはこのあたりで間違いねぇんだな?」
「へい! 落としたのはこのあたりで間違いないっす!」
どうやらなにか落としてしまい、それを必死に探しているようだ。
あの探し方からして、コンタクトレンズだろうか……? 少なくとも、大きなものではないのだろう。
「くそっ。俺達だけじゃ、このままじゃ……」
「誰か、手伝ってはくれないもんすかね……」
「……」
どうしよう。
今通ろうとしている道のど真ん中にはいつくばっているから、そこへ行くと見事に鉢合わせしてしまう。
一緒に探してくれなんて懇願されたら、断りきれないぞ。
まだ時間には余裕があるから、少しくらいなら手伝ってあげてもいいけど……
……ん?
足元に、なにか小さいものがあるのに気づいた。
──アニキ──
「くそっ。俺達だけじゃ、このままじゃ……」
「誰か、手伝ってはくれないもんすかね……」
「……」
俺達の姿を見つけ、『無刀』の小僧が動きを止めた。
どうやらお困りの俺達を発見しちまったようだな。
そうさ。必死に落し物を探している二人組は、俺達だ!
これこそが、俺の第一プラン。『落し物大作戦』だ!
仮にもヤツは天下のサムライ。
困っているヤツは見過ごせるわけがねぇ!
あとは、同情心を煽り、手伝いにひきこんで一緒延々と探させりゃヤツは遅刻確定! 計画は成功。俺等は九刀天の仲間入り!
完璧だ。
人の善意につけこんだ行為だから、敵意もない俺達の企みなどヤツに勘付けるはずもねぇ!
さあ、あとはすがりついてでもお願いするまでだ。いいな。
(へいっ!)
俺と弟分はアイコンタクトを済ませ、ターゲットが近づいてくるのを待った。
ゆっくりと、ヤツが近づいてくる。
さすがにきびすを返し、道を変えるなんてぇ死士まっしぐらな外道は行わなかったか!
「あのー」
かかったぁ!
「そこの若いの、どうか、俺達を助けてくれ!」
「あっし達の落し物を一緒に探してほしいっすよ!」
「はい」
すっと、近づいてきたターゲットが手を差し出した。
「これ、じゃないですか?」
その掌の上には、マイクロSDカードがあった。
カードのところには、俺のイニシャルをしめす『A』という文字もある。
間違いなくこれは、お宝データ満載の、俺のマイクロSDカードだった。
なぜ、これがここに!?
「そっす。これっす! これっすよ! よく見つけたっすね!」
お前が落としたのかあぁぁぁぁ!
マジでなくしてたら俺、首をつっててもおかしくないレベルだぞ。
マジで。
マジで!
「おおぉぉ。ありがとう。本当に、ありがとう!」
思わずその手を握って涙まで浮かべて感謝してしまった。
「偶然です。それじゃ、俺急ぎますんで」
それじゃ。と手を挙げ。『無刀』は一度会釈してバス停にむかって歩いていってしまった。
俺達は、その場に残される。
「いやー、すごいっすね。こっちが声かける前にみつけちまうんすから」
「ああ。マジで助かったぜ」
去ってゆく頼りがいのある背中に感謝の念を飛ばしながら、俺はうなずいた。
「って、なんで律儀にマジ落し物してんだよ! 落としたとしてなにもないもの探させりゃよかっただろうが!」
「あっ、確かに!」
ぽん。と弟分が手を叩いた。
ったく。このヤロウは。俺のお宝マイクロSDカード、見つからなかったらどうするつもりだったんだ。
……まあ、俺も架空の落し物作戦てのは、今思いついたんだがな。
「……でもアニキ、リアリティも大事っす」
「……そいつは否定はしねぇ」
弟分の言い分も一理ある。
マジで落とさず探していても、ヤツには見破られていたかもしれない。
そうなると、あっさり無視されていた可能性も無視できない。
なら、弟分の行動も、あながち間違っちゃいなかったか。
むしろ、一瞬でアレを見つけるあいつの方がおかしい。そうしておこう!
「ちっ。こうなったらしかたねぇ! 第二プランに移行するぞ!」
「へいっ!」
俺達は道に停めてあったチャリに飛び乗り、ヤツを先回りする。
絶対に、会場へは行かせねぇからな!
──ツカサ──
バスバスバッスー。
まだお車の免許もとれないから、俺の移動手段はもっぱら徒歩か自転車か公共交通機関である。
バス停に到着すると、丁度駅行きのバスが到着したところだった。
ナイスタイミング!
計算どおりだったな!
ブシュー。とバス特有の空気ブレーキが音を立て、バス停の前で停まった。
ここから乗るのは、どうやら俺一人のようだ。
バスに乗りこみ、席に座る。
あとは、駅に着くのを待つばかりだな。
──アニキ──
パァン!
見事な音が、俺の乗った自転車から響いた。
「パンクしたあぁぁ!?」
計算外の事態。
これじゃあ、バス停に先回りしてバスに乗れないじゃねぇか!
「アニキアニキ、あっしの後ろに!」
「おう!」
とっさの判断で、俺はパンクした自転車を乗り捨て、弟分の自転車へ飛んだ。
パンクでガタガタと揺れる自転車のサドルに乗り、ジャンプだ!
「アニキ、かっけー!」
そして、荷台に、着地!
ちなみに弟分の自転車はママチャリだ!
籠も大きい。買い物もあんしんっ!
そして二人乗りで、パワーは二百倍!
なぜなら、俺もこぐから!
「いくっすよー!」
荷台に俺を乗せた弟分が、気合を足に入れる。
俺も後ろから、そのペダルへ足を伸ばす!
『ピピーッ!』
警笛が俺等の後ろから聞こえた。
振り返ると、派出所の警官が自転車で俺達の方へ走ってきている。
「こらー、お前達、本官の目の前でなにやってるだー!」
俺達は、見事なまでに目の前でやらかしたのだ。
「やべぇ、サツだ! 逃げろ!」
「ひぃー!」
くそっ。ここで下手に騒ぎを起こせないからって調子に乗りやがって!
あとで覚えとけよ、おまわりめ!
ばびゅーんと、二人気合の二百倍パワーで道をかっ飛ばす。
信号無視、一時停止無視、ついでに左右確認もなんのそのだ!
俺等は、死士だからなぁ!
「ところでアニキ、士力使ってぶっ飛んできゃよかったんじゃ?」
「アホ。こんなとこで士力使えば俺等が追ってるってバレるだろうが。プラン実行以前の問題だ」
「あっ……」
ったくこのアホが。
今日は御前試合だから、逆に試合には出ない第二刀が外に目を光らせてんだぞ。
下手に士力を使えば、ターゲットだけでなくそっちに見つかっちまうじゃねえか。
「次の目的地はわかってんだ。急ぐぞ!」
「へい。駅っすね!」
俺達は追ってくるサツをなんとかまき、駅まで走るのだった!
──ツカサ──
駅に到着。
トラブルもなく、こんなにスムーズでいいのかしらね。
思わずそう思ってしまうほどスムーズだった。
やって来た電車に乗り、さらに幸運にも着席することが出来た。
あとは、目的の駅で降りるだけ。
乗り過ごすのだけは避けないとな!
──アニキ──
「ふー。なんとか間に合ったな」
「ぜい、ぜい。ま、間に合ったっすね」
ぜいぜいと息を切らせ、なんとか俺達は電車に駆けこむことに成功した。
俺達は、休日のおかげで混みあった電車に乗りこみ、なんとか一息ついた。
バスには乗り遅れ、第二プランは潰されちまったが、同じ電車に乗った今、これで第三プランが打てるぜ!
「アニ、キ。次のプランは、なん、すか……?」
弟分の息もだいぶ切れている。
全力疾走してきたからな。しかたねぇことだ。
「ふっ。次は考え抜いたプランの中で、最強と言っていいほど恐ろしいプランだ。驚け」
「なっ!?」
「そう。こいつが成功すれば、いくら『無刀』のヤロウといえども死は免れねぇ!」
「そ、そんなすごいプランを。さすがアニキっす!」
ああ。そうだ。コイツは凄いぜ。
これが成功すれば、『無刀』だろうが『七支刀』第一刀だろうが、老中だろうが全員お陀仏だ!
聞いて、驚け!
「その名も、痴漢冤罪大作戦!」
「ち、ちかんえんざいー!?
そのプラン名を聞いた瞬間、弟分は震え上がった。
その名だけで、それがどれほど恐ろしい作戦なのか、あたりがついたようだ。
「アニキ、そいつは。それだけは……」
勘弁してくれ。と願うように、ガタガタと震える。
ふふっ。電車で男と来れば、恐れない者はいない名だからな。
「そうよ。このプランは、お前の予測どおりだ。混んだ車内。伸びる手。もぞもぞ触れるなにか。そこから生まれる勘違い! 例えサムライといえども、一度疑いをかけられれば容易に証明することは出来ない、回避不能の災害級トラップ! それがこのプランなのよ!」
「なっ、なんてプランを。まさに、最強じゃないっすか! こんなプランやられたら、裏将軍でさえ一発っす!」
ああ、俺もそう思うぜ。
裏将軍が電車に乗ってくれるかはわからねぇが。
だが、ほどよく混みあった車内ならば、このプランを実行するのは容易い!
「男なら、思いついても絶対実行できない、地獄に落ちるの間違いなしなプラン。アニキはそこまでの覚悟で! すげぇ。すげぇお人だよ。一生ついていくっす!」
「そうだろそうだろっ! ふぅー。ふぅー」
おおっといけねぇ。息が切れてるってのに興奮したから、さらに息が荒くなっちまったぜ。
がしっ!
「こ、この人、痴漢ですっ!」
「へっ?」
俺の前にいた女が、俺の手を掴み、捻り上げた。
「痴漢ですっ! この手が!」
「ち、違う! 俺はまだ、なにもしてない!」
そうだ。冤罪だ! 少なくとも俺はなにもしてない。
気合は入っていたが、弟分とは超小声で話していただけだ!
女、それは、お前の勘違いだ!
自意識過剰ってヤツだ!
「そんな荒い息を私にふきかけてきて。どれだけ興奮してるの!」
お前に興奮したわけじゃなーい!
「ほら、降りなさい!」
ちょっ!? この女、力、強い。
「ま、待って! 俺はこの電車で……!」
「待ってアニキー!」
ホームに連れ出される俺を追い、弟分も飛び出してきた。
直後、俺等の後ろで電車のドアが閉まり、出発してしまう。
なんてことだ。
なんて恐ろしい。電車と女。
俺はもう、絶対電車で女の近くには近寄らないぞと誓うのだった。
痴漢冤罪。なんて恐ろしいんだ……っ!
──ツカサ──
電車で座ってうとうとしていると、近くの車両で痴漢騒ぎがあったらしい。
うとうとしていたので、「痴漢です」という言葉で「んがっ」と起こされて、びっくりしてしまった。
ちょっと混んでるとこういうことが起きるから、電車って怖いところだぜ。
冤罪なんかじゃなく、きちんと痴漢は捕まって罰せられるといいな。と思いつつ、俺はまたまどろみの中に落ちるのだった……
──アニキ──
なんとか駅員の到着、警察を呼ばれる前にホームからの脱出に成功し、俺達は一息ついた。
流石に士力なんざ使わずとも、その気になりゃぁ一般人には捕まらねぇってもんよ!
「しっかしアニキ」
「なんだ?」
「車内に残って非常ボタン押して、冤罪だとわめき続けて電車を停め続けるって手もあったっすね」
「……」
「っすね?」
「いや、お前、口で言うのは簡単だよ? あの状況で、それ、やれるか?」
「……無理っす」
弟分が、バツが悪そうに首を横に振った。
そりゃ、明らかな冤罪とわかる状況ならともかく、冤罪と証言してくれる味方が実質身内のこの弟分一人だけのあの状況で、そんなことやれる奴いるか?
世の中の電車を使うお兄さん達百人に聞いてみるぞ? 九十九人は無理って答えるから。絶対。
死士の俺でさえパニックになるんだから、一般人なんてもっと無理だぞ。
だから、思いついてもそんなこと言っちゃダメだ。
俺との約束だぞ!
「やっぱ、痴漢冤罪はこえぇな」
「怖いっすね」
俺等は二人でぶるぶる震えるのだった。
「……はっ!」
「ど、どうしたんすかアニキ、いきなり」
俺は、とんでもないことに気づいた。
「やられた……!」
「なにがっす?」
「……あの女。密かにターゲットを守る護衛だったのかもしれん!」
「な、なんだってーっす!!」
「だとすれば、いきなり俺に痴漢冤罪をふっかけたのも納得がいく!」
「そんな。あっし等はあの時ただ電車に乗っただけだってのに!」
「ふふっ。そういうことか。ついに俺の顔も、サムライどもに知れわったって、マークされていたってことか」
「なら、アニキが狙われたのも納得っす! すっげー! すっげーっすアニキ! いつの間にか大物死士と同じ扱いを! ついに、大物死士の仲間入りをはたしていたんすね!」
「ああ。不本意ながらな」
黄昏たが、思わず胸を張ってしまったぜ。
ついに俺も、賞金を懸けられるほどの大物になるかな。
まいったな。
「だが、これでヤツから護衛も外れた。となれば……?」
「次こそがチャンスってことっすね!」
「そういうことだ!」
「でもアニキ、これからどうするんすか? 電車。途中で降ろされて、駅からも逃げて」
「ふっ。案ずるな。大物入り確実の俺は、こんな時のことも想定してある。考えておいてある! ヤツは今、あの電車に乗っているな」
「っす」
俺は、線路のむこうに消えた電車を指差した。
「だが、士力を使って追いかけることはできねぇ。使えば、追いつく前に他のサムライがやってきちまうだろう」
「っす」
「だから俺達はまず、そこのバス停からあっちの私鉄駅へ行き、そこの快速で三駅。そこから一駅分歩き、ヤツと同じ線路の特急に乗り変え、目的地の一駅追い越して、最後は鈍行。各駅停車で目的地の駅へ戻れば、あの電車に乗るヤツの電車が到着する一分前に俺達はその駅に到着出来てるって寸法だ!」
「すっげぇ。すっげぇっす! さすがアニキ! 伊達にトラベルミステリー検定準2級持ってるだけあるっす! 録画ハードディスクがパンパンなだけあるっす!」
「へへっ。褒めるなよ」
思わず人差し指で鼻の下をこすり、照れた。
各路線の電車はバスの時刻表は、俺の愛読書だからな!
「さあ、バスが到着した。ここからが、俺等の反撃の時間だ。行くぞ!」
「っす!!」
追って、今度こそヤツを遅刻させるんだ!
──ツカサ──
危ない危ない。危うく寝過ごすところだった。
きちんと到着時刻にアラームがなるよう、携帯をセットしておいて良かった。
ポケットの中でぶるるっと震えてくれたから、きっちり起きられた。
「わひゃっ!」
なんて声が出たような気がするけど、きっと気のせいだ。
気のせいに違いない!
──アニキ──
追いついた。
俺達は改札を見張り、ヤツが姿を現すのを待つ。
「いたっす!」
「ああ。見つけたな」
改札口から出るヤツを見つけ、俺達はうなずいた。
「それでアニキ、第四のプランは?」
「第四? いいや。これが最後のチャンスだ。だから、最後のプランだ!」
「最後。ファイナルっ! ついにきたっすね!」
「そしてこれは、究極のプランだ!」
「さ、最強のプラン。痴漢冤罪以上のっすか!?」
「あっちは最強。こっちは究極だ!」
「すっげー!」
「そう。これこそが、俺達最後のプラン。その名も、実力行使!」
「つ、ついにきたっすね! 実力行使!」
「おうよ。最後とくりゃぁ、やはりこれよ。俺達二人じゃぁ『無刀』のヤツをコテンパンにするのは難しいが、時間さえ稼げばいい今なら、話は別だ。時間稼ぎだけならきっと、俺達だけでもなんとかなる!」
「そうっす! アニキとあっしなら、きっとなんとかなるっすよ!」
「その通りよ!」
「それで、いつやるんす? 今すぐっすか?」
「おいおい。ここは改札口。こんな広いトコじゃすぐ逃げられるし、援軍も呼べる。もう少し待て」
「あ、そっすね」
一般人がいくらいようと、士力が見えなければその存在を知覚出来ないので、そいつ等にとって俺等はいないも同然。
ゆえに、実力行使を行う場合のサムライと死士に目撃者の心配は関係のない話だ。
ただ、問題は場所だ。
ここは特急は止まらないが、そこそこ大きな都市だ。
毎回何百人もの乗客が出入りし、それだけの人間が動くのだから、ヤツも簡単に逃げられる。
今回俺達はヤツの足止めが目的なのだから、ここで襲撃するのは得策じゃぁないのは弟分でもすぐわかるこったな。
「もっと狭いところで狙う。もちろん俺は、ちゃーんと場所も考えてある!」
「っすがアニキっす!」
この駅は、少し特殊な構造をしている。
駅には地下道が一本通っており、そこを通ると駅の前を通る無駄にひっろい大通りを信号を使うことなく渡ることができるのだ。
御前試合の会場はその大通りを渡った先にあり、電車を使ってそこを目指すなら、大体のヤツがその地下通路を使うという道だ。
そこはもちろん、改札口とは比べ物にならないほど狭い通路!
実力行使ならば、そこが狙い目の場所だ!
地下通路の入り口に先回りをする。
「いいか、プランはこうだ……」
「っす!」
三車線×三車線という無駄に広い大通りを渡る地下通路。
それはひたすらにまっすぐで。当然のように狭い。
ヤツがそこに入ったら、俺と弟分でその前後から挟み撃ちをする。
「ここで戦うんすか?」
「何度も言うが、真正面から『無刀』に戦いを挑んだところで俺等にゃ勝ち目はねぇ」
「っすよね」
「挟み撃ちにしたところで、一対一を二回やられて終わりとかいう話になるだろう」
「っすよねぇ」
「だから、ヤツが入ってきたら、俺とお前で前後の天井を崩す!」
「っすか!?」
さすがのこいつも驚いたようだ。
「そりゃ、地下通路が崩れたくらいじゃサムライであるヤツは死なねぇだろう。だが、しばらくは身動きが取れなくなる。他に地下通路をあるってる奴等がいれば、そいつ等を助けざるを得なくなる。そうなりゃ……?」
「あっしらに構ってる暇なんてねぇっすね!」
「ああ。通路をどうにかしようとてんやわんやだ。その上この上は大通り。下が崩れりゃ当然上にも影響が出る。例え無事素度へ脱出したとしても、地下道破壊のショックで上も大混乱てぇわけだ」
「そうなったら、怪我人も続出してて、大変な事態になってるっすね!」
「ああそうだ。それを放って御前試合にいけるか? いや、行けねぇ!」
「そうなったら救助して、ヤツは間違いなく時間までここに残ったままっすね!」
「ああ。間違いなく、な!」
「さすがアニキ! 力技となったらこれ以上ないくらい外道っす!」
「そりゃ俺は死士だからな! ちょっと本気を出せばこんなもんだぜ!」
「すっげーっす! さすがアニキっす。惚れるっすー!」
「ははっ。褒めるな褒めるな。そんなに足をぽふぽふしてもなにもでねぇぞ」
「ぽふぽふ? なんすかそれ?」
「なにって、説明はじまったくらいからずっと俺の右足ぽふぽふしてるだろ?」
「だからぽふぽふって……?」
「わんっ!」
「……」
「……っす?」
足元を見てみると、俺達を見上げながら尻尾を振る毛並みのいい犬がいた。
どうやらずっと足に感じていたこの気持ちいいぽふぽふはこいつの尻尾だったようだ。
「ア、アニキ。どうします。犬に聞かれちまいましたよ」
「落ち着け。慌てるな。犬ごときに聞かれたって問題ねーだろうよ」
「それもそっすね」
「わんわん」
しっかし、人懐っこく近づいてきやがるな。
「アニキ、こいつ首輪つけてやすよ」
「ああ、飼い犬なら人懐っこいのも納得だな。迷子か?」
「首輪になにか吊り下げられてるっす。住所っすかね……?」
「どうだろうな。とりあえず……」
「ぐるるるるっ」
足元にいた犬が、唐突に喉を鳴らした。
ブワッ!
「っ!?」
「っす!?」
犬から、士力が発せられる。
ヤバイ。と直感した。
だが、もう遅い……
士力を操る動物。
それは幻獣なんて呼ばれたりするが、今の問題はそういうことじゃねえ。
士力に目覚めた獣は、人間と同じくらいの知性を有する。
つまり、人の言うことを理解することができるようになる。
コイツは俺達の話をずっと聞いていた。
地下道をぶっ壊すとか、怪我人を出すとかいう話を聞いていて、普通の頭がありゃ……
結果は、この敵意だ。
犬はすでに、俺の足元。この距離は、犬の射程内!
犬の士力がその体に収束し、周囲にドリルのような形に見える、力ある士力が現われたように感じられた。
ガオン!
足元から俺達を襲う衝撃。
次、俺達が目を覚ましたその時、そこは病院のベッドの上だった。
計画は。闇将軍様復活は一体どうなったのか。それは……
──ツカサ──
駅から目的の会場にむかうため、地下通路とやらを目指す。
目指すが、一度全然違う方へ行って迷いかけたというのは秘密である。
決して迷ってない。迷いかけた。だから、間違えないように。
いいね?
「わんわん!」
地下道にむかって歩いていると、唐突に犬の声がした。
この鳴き声、聞いたことがある気がする。
はたと思って立ち止まり、キョロキョロあたりを見回す。
ちょーっとばっかり道草を食ったせいか、同じように会場へむかう人の影はない。
そのかわり、俺にむかって「はっはっ」と息を弾ませかけてくる人影。もとい犬影があるのが見えた。
あの姿……
「マックス? なんでお前、こんなところに?」
嬉しそうに俺に飛びこんできたのは、マックスだった。
こっちの世界の、お犬のね。
嬉しそうに俺の周りをぴょんぴょん飛びはね、尻尾を全開にで振り回して喜びを表している。
なんでここにいるんだー。と思いながら、その腹や背中を撫で回す。
歩いて行ける高校の周辺とは違い、ここは家から電車をたくさん乗ってくるところだ。
同じ生活圏に飼い家があるマックスがここにいるのは尋常なことじゃない。
「ひょっとしてお前も招待されたのかー?」
なんて思いながらいつもどおりわしゃわしゃモフっていると、首輪になにか吊るしてあるのが見えた。
これは、いつもはついていないプレートだ。
そこにはなにやら文章が書いてあるように見える。
なになに……?
『本日、予防注射の日。この子が脱走して一人でいた場合、こちらにご連絡下さい』
と、今日の日付と連絡用の携帯番号が書いてあった。
まだ顔をあわせたことのない飼い主さん。こういうところに気軽に電話番号とか書くのはいかがかと思いますよ。
いや、捨てアドならぬこれ専用の捨て携帯なのかもしれないけど。
マックス宅、超でっかいから、その位あっても不思議ないし。
まあ、いいや。こうして俺が見つけたんだから、結果オーライとしておこう。
「お前、逃げてきたのか」
わしゃわしゃモフるのをやめ、聞く。
「くぅーん」
俺の言葉の意味がわかったのか、イノグランドでもこっちでも見たことないくらいしょんぼりした姿を見せた。
うん。マジで逃げてきたんだな。
「そっか。注射、嫌いか」
「わふ」
ものすごい勢いで返事が帰って来た。
嫌いかー。
「まあ、気持ちはわからないでもないけど、これは飼い主を思っての行動なんだからな? 逃げたらダメだし、迷惑もかかる。わかってるよな?」
「くぅーん」
俺が頭を撫でると、申し訳ないというようにしょんぼりした。
「俺には迷惑かけてもいいけど、飼い主さんに迷惑かけちゃダメだろ」
俺の言葉に、意を決したように身をただし、俺から離れた。
そして……
「わんっ!」
と頭を下げ、俺から離れてゆく。
マックスの言葉はわからなかったけど、心はわかった。
勇気を出し、飼い主のもとへ戻っていったに違いない。
俺はそう、信じる!
「じゃあなー。またなー」
俺は男らしく去るマックスに背をむけ、会場へむかう。
今のアイツに、俺は必要ないだろうからな!
まあ、これ以上道草していると遅刻するかもしれないという不安もあるからだけどね。
ここにたどりつくまでけっこう迷ったから、会場まで迷いそうだから余裕が欲しいとか、そういうことは欠片もないけどね。
三十分前行動は大切だから。
俺は、行くよ!
──マックス──
がるるるるっ!
がうっ!
わふっ!?
わんわんわ。
わんわんわんわ。わんわんわ!
わんっ!
わふっ。
くぅーん。
わんわんわ。
わんわんわおーん!
わんっ!!
──ツカサ──
無事、会場に着いた。
街のど真ん中。ビルの下にこんなところあったなんて知らなかった。
劇団サムライって、意外にすごい劇団なのかね。
……でも、一ついいかな。
こんなひっそりした会場じゃ、わっかんねーってのー!
おかげで駅の地下道以上に探してしまったじゃないか。
決して迷ったわけじゃないけどね。
ちょっとこのあたり探検してたんだけどね。
おかげで開演時間ぎりぎりになってしまったよ。
俺と同じようにチケットを持ち、地下に降りていく人もまだいる。まだ大丈夫。間に合った!
俺はひとまずほっと胸をなでおろし、もぎりの人にチケットを見せ、その会場へ入っていくのだった。
──有浦まほろ──
細工も上々。あたし達はあっさりと御前試合の会場に入りこんだ。
どんだけ警備を厳重にしても、しょせんは人のやること。
いくらあたしが潜入したところで気を引き締めたとしても、穴はいくらでもあるもんなんだよ。
大勢の人間が出入りする時は、特にね。
「さあ、この日が来たよ」
あたしの隣にいる死士達に声をかけた。
様々な反応が、あたしに返ってくる。
闇将軍様復活のためなら命も惜しまない、九人の命知らず。九刀天があたしと一緒に潜入した。
あたしをふくめ、たったの十人での襲撃だが、それでもあたし達の悲願は達成できると信じている。
唯一の不確定要素はあの少年。片梨士だ。
だが、その不確定要素を考慮して計画を進めないという選択肢は、ない。
計画はもうとめられない。
前に現われたのならば、全力で排除するまでだ。
むしろ、ここに集ってくれた九人なら、あの男さえ倒せる!
命さえかけているのだから、当然だ!
「さあ、お前達。あのサムライ達が好き勝手に作り上げた社会。あたし達に都合が悪く、アイツラに都合のいい社会をぶっ壊す時が来たよ!」
「ああ」
「うむ」
「おおー!」
自信に溢れた返事が返ってくる。
恐れを抱くものは一人もいない。
そう。それでいい!
「さあ、行くよ。闇将軍様を復活させ、あの方のご意向の元、新たな世界を作るために!」
ついに、時が来た。
いよいよ、御前試合がはじまるのだ。
そしてこの日、この凝り固まったサムライのひと時代が、ついに終わる……
おしまい