第58話 サムライ支配
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辻斬り斬左。
サムライ、一般人もふくめ、三十名以上を無差別に殺害した辻斬りであり、死士である。
この死士の特徴は、姿形はわからないというのに、刀の形だけは知られているという点だ。
※斬左という名は左利きの辻斬りということでつけられた仮の名であり、その死士の正式な名ではない。
目撃者が出るたび、毎回変わる姿に、変装や変化の特性を持つのではないかと推測されているが、確定はしていない。
現着した幾人ものサムライを返り討ちにし、逃げおおせているのもその特性に起因していると言われているが、その謎は今だ解明されていないのだった。
自身の特性を隠すため刀を公にしないサムライ、死士は多いが、刀の情報だけがあるというのは珍しいことだ。
その日、日も落ちて間もない時間、通り魔の通報があった。
被害者からの通報で、同時に死士特有の冷たい士力があふれたことにより、その通り魔は辻斬り斬左と推測された。
その情報は第0課を通じサムライ衆に通達され、近くにいたサムライ達は現場へと急行することとなる。
通常ならば、ここでサムライがいくら急ごうと、すでに事件が発生していては間に合わない。
しかし今回は違った。
偶然にもその近くに、サムライがいたのだ。
そして彼は遭遇する。
その、得体の知れない、サムライに!
その遭遇は、間違いなく偶然であり、必然でもあった……
──水島──
自分の名は水島。
名刀十選第九刀を預かるサムライだ。
刀の特性は水。刀から水を生み、それを自在に操る力がある。
水をまとめ、遠くのものに穴を開けたり、霧のように散布し視界を遮ったり、雑菌のない無菌の水であるので傷口を洗ったり、乾いた土に潤いを与えたりなど、制限をしない場合の汎用性は高い。
ちなみに水は士力の変化であるため、霧を発生させた場合士力を感じるサムライや死士にしかそれは見えない。ゆえに、人質をとろうとしたりする死士の目をくらまし、彼等を逃がす時などに重宝する。
時に雨も降っていないのに服が濡れていたなんてことがあれば、それは自分が出した霧の中を通ったということかもしれない(士力で生み出した水と、その影響によって空気中から湧き出す水があるので感じられるのはそちらになる)
特性の汎用性を失わないため、自分はその特性に制限をほとんどつけていない。なにもないところから水を出せるというのは非常に便利だからだ。
蛇口のごとく刃から水が滴るなら、多くの事態に対処できる。
そのため、相手への攻撃力は低い。それでも自分が名刀十選第九刀の座に座れるのは、剣技が優れているだけでなく、戦い以外でも多くの人を救える力というものが認められているからだ。
大きな制限をつけ、派手なことをしなくとも、こつこつと人を救うことがきちんと評価される。
それを認められるサムライ衆はとても素晴らしいところだと思う。
「きゃぁっ!」
日が沈んだばかりの街をパトロールをしていると、悲鳴が聞こえた。
自分の耳に届いたそのSOSに反応し、即座にその場へ足を向けた。
士力を纏い、道路を駆け、角を曲がり現場へ到着する。
路地に入ると、そこには刀を左に握り、転んで後ずさりする女性を斬ろうとした人影が見えた。
転んでいる女性の足から血が流れているのが見えた。
どうやらこいつは、いたぶるように女性を斬ろうとしていたようだ。
自分がここで到着できなければ、一体どうなっていたことか。
月明かりが光り、その振り上げた刀を照らす。
あの刀。間違いない。奴こそが辻斬り斬左!
「待て!」
自分も刀を抜き、抜刀の構えをとり斬左のもとへ駆ける。
あのような外道、放っておくわけにはいかない!
自分の気配に気づくと、斬左は被害者を斬りつけるのをやめ、自分の方へと駆けた。
走る自分とやって来た斬左の体が交錯する。
キンッ!
交錯と同時に刃が走る。
双方の刃が月の光に反射し、小さな音だけが響いた。
「……」
「……」
通り過ぎ、互いの距離が開く。
自分も奴も、刀を抜いた状態で動きが止まった……
ぐらりっ……
体が傾いだのは、斬左の方だった。
ぶしゅっと逆袈裟に着られた体から血が噴出し、そのまま仰向けに倒れていった。
手ごたえアリ。
間違いなく致命傷。いや、あれでは即死だ。
右腹から左腋にかけて大きく斬ったはずだ。骨も断ち、心臓も通った手ごたえがあった……!
振り返り残心をとり、刀を鞘に収める。
奴はピクリとも動かない。
体はほぼ真っ二つ。すでに絶命しているのは明らかだった。
大の字に倒れたまま、血だけがゆっくりと地面に広がっていくだけだ。
「大丈夫か?」
「は、はい……」
被害者の女性は、なにが起きているのか理解できていないようだ。
士力を感じ取れないのだから無理もない。
刀も見えないのだから、なにがなんだかさっぱりわからないだろう。
足を見る。
深い傷だが、サムライ衆の治療班にかかれば治療できる傷だった。
最低限の応急処置のため、特性による水でその傷を洗おうとしたその時だった……
ゆらりっ……
「っ!」
斬ッ!!
「……っ!」
とっさに彼女を抱え、奥に飛びのいた。
右肩に痛みが走る。
どうやら、肩を斬られたようだ。
深手だ。刀を振るう右腕が上手く動かない。
着地した自分が見たそれは、信じられないものだった。
なんだ、これは……
自分を斬ったのは、すでに事切れた斬左だった。
ゆらりゆらりと体を揺らしながら、こちらへとむかってきている。
「ひっ、ひいぃ」
女性が悲鳴を上げる。
当然だろう。斬左の顔は青白く、すでに目の焦点もあっていない。
体もほぼ真横に真っ二つになり、脇の下の肉で辛うじてくっついているにすぎない。
だというのに、それでも平然と動いているのだから。
さながら、ゾンビのようだ。
……っ!
いや、ゾンビ。ゾンビなのか!
自分の発想にぴんときた。
今まで現着したサムライを何人も返り討ちに出来たのか、その理由もわかった。
何故刀しか目撃情報が出なかったのかもわかった。
なぜなら、その刀こそが斬左本体だったからだ!
人としての体を捨て、その魂全てを刀に移した。
そして他者の体を奪い、それを自由に操り凶行を繰り返している!
まずいっ!
直感が、告げた。
特性を発動させ、刀から濃霧を発生させる。
「っ!」
相手が一瞬怯んだところで、士力を足に集中し、大きく跳んだ。
壁を飛び越え、家を跳び越え、ビルも跳び越える。
体を奪うというのなら、自分だけでなくこの被害者になりかけた女性も危険だ。
それは、傷からでも体を奪えるという可能性があったからだ。
相手に体を奪われる前に、この場から離れればならない。
その支配範囲がどれだけあるかはわからないが、距離がとれればとれるだけその範囲から逃れられる可能性があがる。
今、利き腕の効かないこの状態で戦うのは不利どころか危険極まりない。
それは、被害者の安全というだけでなく、この情報は絶対に持ち帰らなければならない情報だからだ。
距離を離し、女性の安全を確保する。それを優先した。
今まで斬左がサムライを倒せたのも、この特性が謎だったからだ。
相手が確実に倒れたのを確認したのだから、勝利を確信し、油断しない者はいない。
そこで不意をつかれ、返り討ちにされていたのだ!
ひょっとすると、今まで被害者とされていた者の中には、体を奪われてサムライに倒された者もいたのかもしれない。
倒したサムライの体を奪っていないのも、その可能性にたどりつかれないようにとのことだろう……!
だから今は、なんとしても逃げ切らなければならない。
全力で、この場から離れなくては!
この事実を皆に伝えるために……!
──斬左──
「ちっ」
濃霧が消え、誰もいなくなった路地を見回し、俺は舌打ちをした。
舌打ち。というが、音もまともに出ていない。
やはり、体を横一文字に斬られては体の維持も難しくなるか。
やれやれと、肩をすくめる。
おっと、右手がもう動いてねぇや。
サムライのくせに、思い切りのいいヤロウだ。
敵に背を向け逃げ出しやがってサムライ失格だと罵ってやりたいところだが、とっさの判断で俺とコレを見抜き、あの獲物を助けるためと仲間に伝えるためこの場を脱出しやがった。
恥や外聞にこだわりなんてねぇ。
不意の一撃も致命傷はギリギリ避けてかわしやがったし、今まで切り倒してきたサムライとは格が違うってことか。
なにをすべきかよくわかっている、一番相手にしたくないタイプのサムライだったぜ。
おかげで俺の特性もバレちまった。
まあ、明らかに死んでる上半身ぷらぷらの状態じゃ無理もねぇか。
俺の特性は、『支配』
刀を持った奴を俺の自由にできるというモノだ。
昔は生身の体もあったんだが、より支配力を高めるため。そして、奪った奴をサムライ並に動かせるようにするため、俺自身の体を捨てた。
そうすることにより、サムライさえ支配し、ただの一般人でもサムライ並の強さを発揮できる。
もちろん刀だけの状態だから、本体だけでは自由に動けないし、体がなければなにも出来ない。
それは大きなデメリットだが、まさか刀が本体だとは思われないというメリットもあった。
だが、今回のこれでそのメリットも消えた。
これは、しばらく大人しくしている必要があるかもしれねぇな。
今ボロボロの体を変え、本体である俺を見えないように隠してしまえば、サムライの奴等から隠れるのは難しくない。
まあ、どうするにしても、このままの姿で誰かに見つかればすぐ騒ぎになってしまう。
普段なら心配してやってきた奴を探して動くもんだが、今回それで騒ぎになるとすぐサムライがやってくることになるだろう。
特に今回は特性さえバレている。下手に騒ぎが起きると、逃げ場さえ塞がれてしまうだろう。
そうなる前に、誰か別の体を奪わなければ……
「わんわん」
お、いいところに。
運良く犬を見つけた。
首輪もついていない。野良だ。
体を捨てて得たこの支配力は、人間だけに限定されない。
支配できる対象を限定し、威力を上げる必要性はすでにないからだ。
士力の鞘を出し、刃を戻して犬を捕まえる。
士力もなにも使えないただの柴犬が、サムライの力を得た人間から逃げられるはずもない。
暴れようとする犬に俺をくわえさせる。
暴れる犬の抵抗が、一瞬にして消え、かっと目を見開けば、その体はもう俺のものだった。
今まで使っていた体の方は糸の切れた人形のように地面に崩れ落ちた。
俺の『支配』から解放されたから、ただの死体に戻ったのだ。
いや、ただの死体というのは正しくねぇな。
地面に崩れ落ちたそれは、その衝撃で体の形が維持できず、ボロリと崩れる。
残るのは塵の山となった残骸。
それも風が吹けばすべて霧散するだろう。
俺の支配は、相手の体に俺の士力を流しこみ、器となる体を士力で満たし、その体を自由に支配する。
その結果、体の中に俺の士力が満たされた奴は、徐々に俺の士力に食われて行く。
士力とはいわば魂。俺とすべて完全に一体化すれば、そいつはもちろん死ぬ。
そうなったあと、俺が体を動かしていると、今度はそいつの体の方が俺の士力と一体化していく。
早い話、体の方も俺に食われていくわけだ。
余り長いこと同じ体を使っていると、士力が漏れはじめ士力の見える奴にその体がおかしいとわかってしまう。
さらに、体がまともに動かない状態になったのに無理に動かせば、その侵食が一気に進み、支配をといた直後その体は塵以下となり消えてしまうというわけだ。
体を自然の理に背き不自然に動かすわけだから、当然の結果とも言えるな。
もちろん、意図的に体を崩壊させる方向に持っていくのも可能だ。
今回はすでに体にガタが来ていたからなにもせずとも崩れたが、そうでない場合もある。その場合は無理に体をオーバーロードさせたり、乗り換えたあと士力で爆散させたりもする。
こうして俺は体を崩し、次々と体を乗り換えてゆく。
これが、俺の特性が今まで周知されなかった理由でもあるな。
ちなみにだが、人を殺すのは趣味だ。
この本体の維持に他人の士力が必要だとかそういうことはない。
生きるために仕方なく人を殺している。そんなことはない。
正真正銘、ただ肉を切り裂く感触と、生暖かい血にまみれるのが大好きなだけだ。ただ、それだけだ!
だから、この特性が見破られたからといって、無理に人殺しを続ける必要はない。見つからないよう我慢すればいいだけだ。
もっとも、いつまで我慢できるか知らねぇがな!
さて、当座の体も手に入ったことだし、今度はコレを利用し、人間の体を手に入れるとしようか。
さっさと逃げねぇと、追っ手が来ちまうからな。
──ツカサ──
「ふんふんふふふふーん」
ちょーっとばっかり遅い時間だけど、俺は鼻歌を歌いながら学校から家路についていた。
まったく、生徒会長さんは人使いが荒いんだからよ。俺は生徒会とかそういうの興味ないって言ってんのに、強引に手伝わせるんだから。
おかげでこんな時間になっちまったじゃないか。
ちゃんと遅くなるとは連絡したけど、彼方に心配されちまうよ。
「ふんふふんふふーん」
え? なのになんで上機嫌なのかって?
ふふっ。怒られない自信があるからさ。
なんせ手伝ったお礼に前買えなかった限定プリンがもらえたからな!(第52話参照)
こいつを手土産にすれば、全てチャラというものぞ!
「ふんふふんふーん」
俺もこのプリンは嫌いじゃないなので、帰ってから食べるのを心待ちにして思わず鼻歌まで出てしまう。
「ふんふ……ん?」
家にむかって歩いていると、道の先からなにかが走ってくるのが見えた。
四足の、なにか。
なんじゃろと目を凝らしてみる。
でも、月明かりだけじゃなんだかよくわからなかった。
走るそれが街灯の下に入る。
すると、なにかをくわえたそこそこ毛並みのいい犬だった。
最近よく戯れるマックスほどではないが、なかなかいい毛並みをしている。
そいつは俺を見つけると、鼻息を荒くしてその口にくわえているものをぐいぐいと押し付けてきた。
ほほう。野良犬が自分からよってくるとは今日はさらについている日だな。
どれどれ。
撫でて堪能しようと思うが、その前に口にくわえたものをどうにかしなければ。
なにが言いたいのかはわからないけど、その口にあるのを明らかに俺に渡そうとしているからな。
ひょっとすると、飼い主が倒れて俺へのメッセージだったりするのかもしれない。
なにをくわえているのかと改めて街灯の下で見てみると……
「刀?」
そう。犬がくわえていたのは刀だった。
最近では異世界でもここでも触ってしたりみた刀だ。
犬は、その刀を俺にとって欲しいというように顔を近づけてくる。
それはまるで、とってこーいと投げられたものを飼い主に差し出すかのようなしぐさだ。
だから、とりあえず、受け取れ。ということなんだろう。
まあ、深く考えてもしかたがない。
撫でるのに邪魔だからひとまず預かっておこう。
なんで君はこんなもんもってんの?
疑問は尽きないわけだけど、俺は犬からその刀を受けとった。
──斬左──
見つけたっ!
道を走っていると、てふてふ歩く高校生のガキを見つけた。
運の悪いガキだ。
だが、俺はついてる。
若いが普通の男子。
これだけで体としては及第点である。
戦士と考えるとタッパは足りないが、まあ、ガキなら平均的だし、つなぎとして使う分には十分だろう。
犬の体を操り、刀を差し出す。
「刀?」
ガキがどこか困惑した声をあげる。
まあ、当然だろうな。
だが、経験上これでいい。
いきなり人間に刀を差し出されれば困惑して手を伸ばすのをためらったり、逃げ出したりするだろう。
拒絶もあり得る話だが、犬がくわえているなら話は別だ。
無邪気に犬がそれを差し出しているというだけで、九割以上の人間は困惑しながらもそれを受け取る。
誰も、犬が自分を陥れるとは思っていないからだ。
賢い犬が自分になにかを求めている。
たいていの人間は勝手にそう思い、刀を受け取る。
これは、今までの経験から学んだ、俺が生きるためのテクニックだ!
だから、近くに犬が来た時、ついていると思った。
さあ、ガキ、犬から刀を受け取れ。
お前には、その資格がある!
ガキは首を捻りながらも、素直に俺の体。刀を犬から受け取る。
きたきたきたー!
新しい、人間の体だ!
これで、俺はサムライから逃げ切る。簡単に!
さあ、貰うぞ、その体!
むぅんっ!!
ずぎゅんっ!
こんな音が聞こえそうな勢いで、俺はこのガキの体に士力を流しこんだ。気合と共に。
これで俺の士力とガキの士力が混ざり合い、その体に満たされればこの体は俺のものだ!
ずずっ。
ずずずずずずっ。
ガキの体に、俺の士力が満ちて流れこんでゆく。
ずずずずっ。
さあ、この士力が満ちれば……
みち……
……なん、だ?
違和感を感じた。
普通なら、普通の奴なら俺の士力を注ぎこめば二秒とかからずその体に士力が満ちる。
だというのに、二秒三秒、いや、それ以上こいつの体に俺の士力を流しているというのに、その体に士力が満ちる気配がなかった!
お、おかしい。いつ、こいつの体に俺の士力が満ちる?
なんだ。なにか、なにかがおかしい。おかしいぞっ!
まるで穴の開いた空っぽな容器に水を注いでるようだ。
全然、満ちる気配がない。
それほどまでに大きな器なのか、それとも本当に穴が開いているのかはわからねぇ。
だが、このままでは、このままでは……!
俺の士力の方が、先に、尽きるっ!!
ぞっとした。
こんなガキ相手が、俺より高い士力を持っているなんてありえない!
ありえない、が、満ちない!
やめろ。これ以上、俺の士力を注ぐな!
必死に止めようとする。
だが、注ぐのが止められない。
止まらない。
そもそも士力を注いでいるのは、俺だ。
俺が、支配するためにこいつの体に士力を注いでいる。
それは、刀を握られている限りとめられない。
それは、俺が自分にかけた制限のせいだった。
動けないという制限が、俺をヤツから逃がさないっ!
一度注ぎこんだら支配するまで止まらないそれのせいで、止められない!
バカなッ! バカなっ! 絶対に支配するため得たこの体と制限が、この制限のせいで……!
──制限は威力をあげるというメリットを生むばかりではない。リスクがあるからこそ、それ相応の強さを与えてくれるのだ。
動けない体というデメリットに、支配のため士力を注ぎこむというリスクは避けようのない事態となった。
自身の生み出した限定のおかげで、彼は一度士力を注ぎこんだら、その行為は自分ではとめられないのだ──!
こんなこと、こんなことおおぉぉ!
ありえない。
そう思いたかった。
だが、ありえないなんてことは、ありえなかった!
そもそも俺は、なにに士力を満たそうとしているんだ。
手ごたえがまるでない。
まるで、注ぎこむ器など存在せず、外に士力を放出しているかのようだ。
それとも、それともまさか、こいつの器は世界と同じ広さと錯覚するほど大きい……!?
どちらにしてもありえない。
こんなのが、この世にいるとはとても思えなかった。
むしろ、この世界のモノとはとても思えなかった。
こいつは、我等サムライとも違う、別の法則の上に存在する別次元のナニカとしか思えなかった……!!
俺は、俺は、おれはあぁぁぁぁ!!
ずずずずずずずずっ!
……俺はそのまま、自分の全士力をそれに流しこみ、その深い深い闇の中に、飲みこまれていった……
──ツカサ──
刀を受け取ったら、犬が驚いたように飛び上がってきゃいんきゃいんと俺から逃げてった。
これじゃ君を撫で回せないじゃないか。なしてや。
もしかして、俺の邪心が駄々漏れだったとか?
それとも、あくまでコレを渡すのが目的だった……?
首を捻っても答えは出ない。
刀を見おろすが、別に怪しいところはなかった。
そこそこに重い。
最近模造刀を持って振り回したばかりだから、本物も偽物も持った俺には、持っただけでその真贋が……
……うん。わっかんね。
とりあえず、抜いてみようか。
それを見て、貰って帰るか交番に届けるか、それともここに捨て置くか考えよう。
手に持っていたプリン入りの箱の入った紙袋を手首にからませ両手をフリーにし、刀の柄を握る。
鯉口を切り、ゆっくりとその刃を……
きゅっぽんっ。
そんな音がして、刀が抜けた。
そこには、刀の肝である刃がなかった。
鞘と刀を固定するハバキという金具はあるけど、その先はない。
刀身のない刀なんて正直言えば、ガラクタ同然だ。
「なんだ、こんなものか」
思わずがっかりした声が出た。
やっぱり、心の中では本物の刀ってモノには憧れがある。
俺も男の子だからね。
でも、これだけじゃなんの意味もない。
そりゃ、犬がくわえてもってくるようなモンが本物の刀なわけねーわな。
最初暗かったからわからなかったが、よく見れば、柄も鞘もぼろぼろだ。
骨董品というより、粗大ゴミと言った方がよいレベルで。
一体なんだったんだろう。これ。
もちろん持ってきた犬はもういないのだから、考えても答えは出ない。
やれやれと、ため息をつく。
丁度近くにゴミ捨て場があったので、俺はそれを鞘に戻してそこに置いた。
念のため、触ったところをきゅきゅっと拭いて。
ぶっちゃけね。面倒はイヤだよ!
なので、あとは次に発見した人に任せて、俺は見なかったことにしてお家へ帰るのだった。
──水島──
周囲を見渡せるビルの上に降り立ち、助けた被害者と自分に簡単な応急処置を施し、斬左の特性を仲間に伝えた。
ここまで来て、奴が追って来ていない上、どちらの体も奪われていないのだから、彼女も自分ももう安心だろう。
どうやら、斬ることが体を奪う。もしくは体を支配するという条件ではないようだ。
体を奪うのにどのような条件があるかはまだわからないが、ここまで来て彼女にも自分にも変調がないところを見ると、斬られるのはその条件に当てはまらないと見ていいだろう。
あの体は、士力で無理矢理動かしている状態のものだった。
あの状態であるというのに、一番簡単に奪えそうな自分と彼女の体を奪おうとしなかったということは、その傷とそれとは関係ないと予測出来る。
距離も離れればこうして意味がない。
となれば、刀に触れている人間を支配する。という条件があるのは確定だろう。
斬られた際、肉体に刀を突き立てられなかったのは幸いだったか。
刺されたままなら、自分の体が奪われていた可能性もあった。
ゆえに、彼女の安全は確保出来たと言っていいだろう。
あとは、彼女の保護は警察──第0課──に任せればいい。
問題は、斬左。
自分達の体が支配できなかったとなれば、別の被害者が生まれる可能性がある。
ここでこのまま奴を逃がせば体を変え、地下に潜ってしまうだろう。
このまま仲間を待っている時間はない。
特性の種がバレたのは奴も承知しているはずだ。
だから、なにがなんでもここで決着をつけなければならない!
あの傷ではすぐ騒ぎになる。
ならば、すぐ体を変えようとするだろう。
人の体でヤツを探すのは無意味。
探すとすれば、あの刀!
まず、さっき斬った体の方を探知する。
斬った際、自分の刀から滴る水がついた。
それについては、自分の特性として追うことができる。
反応の現場に着いたが、そこには誰もいなかった。
あるのは、塵が山のようになっているだけ。
即座に悟った。これが、さっき自分が斬った体の成れの果てだと。
怒りがこみ上げる。
こうして体を使い潰し、行方知れずとなった人達を何人出した。
ああして辻斬りをするだけでなく、体を奪いその命も奪ってきたのか奴は!
塵がこうして積もっているということは、まだ遠くには行っていないということ。
逃がさん。
絶対に逃がさんぞ!
例え自分の身を犠牲にすることになろうともだ!
「きゃいんきゃいん……!」
一匹の犬が悲鳴をあげるようにして走り去るのが見えた。
ぴんとくる。
奴は、犬の体もいけるのでは? と。
早い段階ならば、死ぬこともない。そして、都合のいい体さえ見つかれば……
自分は、犬が来た方とは反対の方へかけた。
この先にっ……!
ビンゴだった。
走った先には、鞘に収まった斬左を持つ少年の姿があった。
あの刀、間違いない!
さっき見たばかりだ。あの柄を、ツバを、見間違えるわけがない。
少年は刀を引き抜こうとしている。
体はすでに乗っ取られているのだろうか? それとも鞘から抜かなければまだ平気なのか?
それらの条件はここからではわからない。
わかるのは、今の段階ならあの犬と同じように、少年は救えるということだった!
少年を人に害をなす怪物とする前に、自分は奴を倒さねばならない。
だが、すでに体を支配され、自由が奪われていたとすれば、怪我を負った自分では勝てるかわからない。
手加減をしてあの斬左を倒せるかもわからない。
それでも、自分はサムライだ。
今の状況で、逃げるわけにはいかない!
自分は刀を抜き、今にも斬左を抜こうとする少年のもとへ……
ずずっ。
「っ!?」
違和感を感じ、自分は思わず足を止めてしまった。
なん、だ。これは……
ずずずずずずっ。
斬左の体から、少年にむかって士力が流れている。
それは、斬左が自分の士力を少年に移し、それをもって支配するという支配の過程だった。
ならば今すぐ刀を砕けば、その支配から少年を解放出来る。
自分はそう悟った。
だが、自分は動けなかった……
なぜなら、斬左の士力がどれだけ流れこもうと、その少年の体に欠片もたまらなかったからだ。
少年を支配するため流しこんでいる士力が、底の抜けたバケツに吸いこまれるかのように、少年の体にそそがれ、どこかへ消えてしまっているのだ。
刀の士力が、逆に食われているかのようだ……!
ありえない。
体を捨て、自由を捨てるほどに制限をかけ生まれたその支配の力を、支配することのみに特化した士力を、逆に食らってしまうなんてそんなのありえない。
普通じゃない。
その光景は、この世のものとは思えなかった。
これほどの制限、その支配力は第一刀の士力さえ飲みこんで不思議はないほどだというのに、それさえこの少年は、容易く覆そうとしている……!
きゅっぽんっ。
少年が力をこめ、鞘から刀を抜いた。
空気が抜けるかのような音だけが、この場に響く。
引き抜かれた刀は、刀の命ともいえる刃の部分がなかった。
鞘と刀を固定するハバキの部分は残っていたが、その先がない。
さっき自分を傷つけたそれが、影も形もなくなっていた……っ!
この刀は、斬左だ。
そして、その刃は、サムライの魂。斬左そのもの。
それが、完全に消失していた。
それはつまり、斬左の士力はすべてこの少年に吸われ、枯渇し、消滅してしまったということを意味している……!
「なんだ、こんなものか」
刃のない刀を見た少年が、どこかがっかりしたような声をあげた。
まるで期待はずれ。そう言わんばかりの声だ。
その言葉から、彼は意図的にその刀を手にとり、相手の、斬左の支配を受けたということになる。
そして逆に、その支配を打ち破り、斬左を滅した!
それに特化した存在を、同じ土俵に立ち、弱点を突くわけでもなく、真正面からそれを返り討ちにする。
あの少年は、体を乗っ取られることもなく、それを実行したというのか!?
雲客の位を持つものも容易く支配しそうな制限をかけた、あの強大な特性を!!?
その圧倒的な強さにぞっとする。
なんだ、この子は。
彼は本当に、人間なのか?
サムライの自分から見ても、得体の知れない怪物のようにも見えた。
本当に、この世のモノなのか……?
はっ!
気づく。
少年の顔に、自分は覚えがあった。
ここしばらくサムライ衆の中で話題になった一人の少年。
士力を使わず現第八刀をあしらい、豪腕自由同盟を一人で壊滅させた『無刀』と呼ばれる噂の子だ!
納得する。
噂の彼ならば、斬左を真正面から打ち破っても不思議はない。
自分が唖然としていると、彼はもうこの刀に興味はないといわんばかりに、近くにあったゴミ捨て場へそれを置いてしまった。
彼が去ると、残された柄と鞘が色合いを失い、朽ちてゆく。
斬左が滅され、残っていた士力もつきたからだ。
自分は去ってゆく彼に声をかけることはできなかった。
その時頭がまだ、この事態を理解していなかったといってもいい。
頭ではわかっていた。だが、心では納得できていなかったのだ。
それほど、あの少年はとんでもないことをこともなげにやってのけた。
自分が見ていなければ、この偉業ともいえる行為は記憶されなかっただろう。
そのくらい、自分の手柄に興味なく、去っていってしまったのだ。
なんて少年なんだ……!
自分は、今まで聞いた彼の噂は、脚色どころか少し矮小化されていたと思い知った。
本当なのかもしれないな。
彼が、世に迫る危機を救うというのは……
一つの噂を思い出し、ぼんやりとだが、そんなことを思った。
──亜凛亜──
その報告書は、サムライ界に大きな衝撃を与えた。
その一件は、今までにない派手な解決がなされた事件だったわけではない。
むしろ、解決の仕方はとても地味だった。
それは、厄介な死士。辻斬り斬左が討伐されたからでもない。
確かに斬左討伐は大きな事件だったが、サムライ界に大きな衝撃を与えるモノではなかった。
大きな驚きを与えた事実。
それは、あるサムライの戦果が、正式に確認されたからだ。
そのサムライは、自身の半身である刀さえ抜かず、戦いの基本である士力さえ見せずに死士を倒すと噂されていた。
いくつかの状況証拠はあったが、本当かどうかも定かではなく、風の噂としてサムライ達の間で流れていた都市伝説のようなものだった。
だが、その報告書で初めて、そのサムライが実際に士力も見せず、刀も抜かずに死士を殲滅せしめる現場が目撃されたというのだ!
しかも、相手の士力を完全に吸収しきるという、捏造ではないかと疑われた豪腕自由同盟壊滅時に見せた謎の力もあわせて。
これにより、あの映像は死士の捏造ではなく、実際に起きた死士殲滅の証であったと証明された。
そして、今まで推測と状況証拠だけでしかなかったそれが、やはり事実であったと誰もが確信した報告書だった!
その情報が出回ってすぐ、私は刀十郎先生と共に、再び開かれた老中会議にやってきていた。
「あの動画、どうやら捏造。偽物ではなかったようじゃな」
メンバーが集まるなり、老中の一人が口を開いた。
士君の死士討伐が見られたことにより、老中方の中でもあの動画は捏造ではないという結論になったようだ。
「……」
腕を組んだ無口な老中が、どこか誇らしげである。
彼は二人の老中と違い、最初からあの動画は本物ではないかと主張し続けてきた。それゆえだろう。
「となると、あれが捏造でないのならば、彼の刀の特性は『吸収』か?」
「その可能性も高くなったな。じゃが、まだ『予知』である可能性も捨てきれん」
「『予知』よりは、観察力の高さから来る彼の判断力ではないか? 特性である必要はない」
「……確かにのう」
うなずいた。
「じゃが、『吸収』した士力を『封神』でフタをし、力を蓄え続けるその目的は、結局なんじゃ?」
「……全てを滅ぼすことでは?」
無口な老中が、ぼそりと呟いた。
動画が正しいと言っていた彼は、この吸収がいずれサムライにむくのではないかと危惧している。
「いや、秋水との面談の折、彼は世を救うみずからメッセージを送ったはずだ。そのために力を蓄えている。そうだろう?」
「……死士に堕ちた者の言葉など信用出来ぬだろう? お前は、少々秋水に肩入れしすぎているのではないか?」
元々無口であるゆえ、口を開くとその迫力は一気に高まる。
ぎろり。と音が聞こえるのではないかと思えるほど、その眼力は凄かった。
「確かにそれは認めよう。だが、彼は我等に見られることも承知で、あの『禍薙剣』を模した剣を抜いたのではないか? それは、我等にも察しろというメッセージではないのか?」
「……」
老中が、無言に戻った。
「ヌシが未来を見据え、心配する気持ちもわからんでもない。彼はワシ等にまったく心を開いていないと言ってよいからな」
刀十郎先生が口を開いた。
「だが、いずれ世を滅ぼすのが目的だというのなら、あの日ワシや亜凛亜を救う必要はなかったはずではないか? むしろ、疑われる危険性を増やしただけではないか。そうまでしてワシ等を救う理由。それは、彼が人のために動く者だからじゃろう?」
「むう……」
「っ!」
「……っ!」
先生の言葉に、三老中が息をのんだ。
「ワシは彼を信用してよいと思うておるよ。彼は、人のために動ける人間じゃ。ちぃとばかし、意地悪じゃがな」
「それは先生が意地の悪いことをしようとしたからです」
「ウチの弟子は手厳しいのう。じゃが、そろそろワシ等も認めねばならん。ワシ等は、彼にまったく頼りにされていない。ということを」
先生の言葉に、今度の三老中は息を殺した。
そう。彼は最初から、我等サムライ衆など眼中にない。
彼はなんらかの目的のため、ただ一人でまい進しているだけなのだ。
ゆえに、老中方は彼がなにか悪しきことを考えているのではないかと邪推する。
あれほどにはっきりとしたメッセージを送ってきたというのにもかかわらず。
それは、彼等の中にある世を守るというプライドが、自分達は蚊帳の外にされているという自尊心が、なにか悪いことを企んでいるに違いないと思わせてしまっているのだ……
「じゃから、認めよう。そして、信じよう。そうして、彼を疑い、従わせるため引き入れようとするのでなく、彼の邪魔をせぬよう、動こうではないか」
「……そう。じゃな」
「うむ。刀十郎の言うとおりかもしれん」
「……」(重々しくうなずいた)
先生の説得により、この会議は終わりを告げた。
これ以後、士君に対してサムライ衆からなにかを問うことはもうないだろう。
彼のすることを邪魔せず、最大限のバックアップを執り行う。
万一力を貸して欲しいと言われれば、喜んで力を貸す。
それが、老中達が決めた方針だった。
……つまるところ、今までと変わらず、遠巻きに見ている。ということだった。
こうして、今までと表面上はなにも変わることはない、彼の処遇が決定した。
ただ、一つ大きく変わったことがある。
影で囁かれていたその名が、この一件を機に表に出るようになった。
今まではずっと確証もなく、噂の上での名前だったが、ついにその名が現実を帯びたのだ。
その名も、『無刀』
本来ならば刀も抜けぬ無能という意味合いだが、これは違う。
士力を発さず、刀も抜かず敵を倒すサムライ。
本来とは間逆の意味で、畏れと共に語られるようになったのだ。
この時、ついにその伝説が、人々の前に姿を現したのである。
そして、人々はじき知る。
その時が来て、はじめて気づく。
彼が、なにをなそうとしていたのかを……
おしまい