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サムライトリップ・イノグランド  作者: TKG
第3部 サムライトリップ・ホームグラウンド
55/88

第55話 サムライ対談


────




 名刀十選第四刀。剣聖刀十郎引退!


 この電撃引退の一報は、サムライ界だけでなく死士の世界にも大きな衝撃を与えた。

 多くのサムライは偉大な戦士がいなくなることを悲しみ、おふざけをしながらも心強いアドバイスがもらえなくなることを惜しんだ。


 さらに一部の死士も、正々堂々と勝負を仕掛ける刀十郎と剣を交えられなくなることを嘆き、恐れた者達からは安堵の声が広がった。


 しかし一方で、長年第一線で戦い、体がボロボロになっていたのだから、むしろ遅すぎたという声もあった。

 刀十郎は巨大な刀というだけで主だった弱点もなく、どのような特性を持った死士とでも互角に戦えた。だが、いくら強大な制限をつけたとはいえ、鎧谷とほぼ相打ちとなるのは昔なら考えられなかったという、彼を神聖視する者からの声だった。


 誰もが刀十郎の引退を惜しむ。

 だが、その引退によって、名刀十選第四刀の席が空く。


 剣聖、大断刀。剛靭と呼ばれた男の後継が誰になるのか。


 悲しみを受け入れた者達の興味は、そこにあった……



 名刀十選。



 それは、選ばれた十本の栄誉ある刀に与えられる称号。

 日ノ本最高の十名に与えられる、サムライの誉れ。


 平和を脅かす死士はその名を聞いただけで震え上がり、仲間のサムライを鼓舞する。


 その選抜は、三種類存在する。



 一つ。十選みずからが引退を決め、退く時、その引退を決めた十選はその後継を指名することが出来る。


 一つ。引退を決めた十選が後継を指名しなかった場合、老中をふくめたサムライの代表を集めた会議によって相応しいものが選ばれる。


 そして最後。現代のサムライ達の最高権力者、裏将軍みずからがツルの一声をあげるというものだった。



 たいていの場合、引退した十選は後継を指名する。


 それは名刀十選は権威の象徴であり、その席を手放したくない力あるお国やお家のためにあった制度の名残である。

 それほど、この十席はサムライにとって価値があるものなのだ。


 もっとも、力なき者が名刀十選を受け継いだとしても、形だけのお飾りではサムライの見本として、平和を脅かす者と最前線で戦うことを求められるその責務を勤め上げることはまず出来ない。

 栄誉のためだけにその席を得たとしても、その者はすぐ敵に倒され、後継を告げる間もなく消えてゆく。


 そうして淘汰され、後継を指名できなかった場合が二つ目となるのである。

 十選が後継を指名しなかったというのは、次代を告げる間もなく亡くなった時も当てはまる。その場合は全サムライの中から十選に相応しいものが選ばれ、繰り上がりを経て第十刀の席にその者は座ることになる。


 ちなみに、刀席が繰り上がる場合、その席にこだわりがある者はそこから動かずにいるというのも可能である。

 例。代々第何刀を継いで来た一族。というところは繰り上がりを拒否する場合がある。


 その場合はその席を無視して刀番が繰り上がる。



 そして最後の裏将軍の一声は、誰も覆せない決定である。

 滅多に起きないことだが、裏将軍の気まぐれで十選全員が交代ということもあり得るという……



 今回は刀十郎が引退を決めたということで、その後継に誰が指名されるのかという話題で持ちきりだった。


 やはり、自身の弟子に連なる誰かだろうかと、誰もが推測する。



 新たな名刀十選第四刀。

 それが誰になるのか。サムライだけでなく死士さえ注目の目を注ぐ一大関心事となっていた。



 そして、刀十郎の選んだそれは、見守るすべての者が驚く答えだった……!




──ツカサ──




 週末、俺は家族と一緒に山奥にある温泉旅館にやってきた。


 母さんが商店街でやってた福引で一家旅行を当てたとかいうのだから驚きである。

 予定のなかった我が家はそのまま家族四人で一泊二日のお泊り旅行と相成りました。


 しかし、やってきて思う驚きの山奥。


 まさかこの時代に携帯のアンテナも立たないほどの山の中だとは。

 景色は綺麗だけど、現代っ子を極めた俺には退屈すぎてたまらないぜ。


 旅館は古式ゆかしい温泉旅館て感じの木造だし、まわりには小さな湖と小さな山しかないし。


 到着した今はすでに夕方。

 チェックインしたあとすぐ夕飯になって観光なんかはまた明日って日程だ。



 でも、一日ここにいたところで、一体なにを見ればいいんだろう?


 ひとまず、温泉行くついでに旅館の中を探検してみようか。

 ちなみに両親はまだ二人で酒を飲み交わしてます。彼方は先にどっか行っちゃった。



 この旅館。けっこう広い。


 三階建てで、離れやコテージみたいになってるところもあるらしい。


 ウチは、二階の家族用の大部屋で和室だった。今日は久しぶりに家族で雑魚寝とかになりそう。



 とりあえず、客室にめぼしいものはなかった。

 家族ときてるから枕投げとかやれそうにないしな。


 ちょっと離れて、売店なんかも探す。

 このへん名物の饅頭とか謎のタペストリーとかが置いてあるのが見えた。


 お土産買うのは親に任せてあるので、俺は気にしない。

 鞘に納まった刀キーホルダーとかちょっとひかれるものがあったけど、さすがにひと時の迷い。絶対買って帰ったあと後悔するに決まっている!


 せっかく貰った小遣いなんだから、もっと有意義なことに使わないと!



 売店の近くには、ゲームコーナーもあった。


 おおっ? そこにあったモノを見て、俺も驚く。

 これが噂に聞くアーケードゲーム。しかも20円入れて出来るヤツなんてはじめて見た!


 1回20円て、スタミナ関係なく100円で五回も出来ちまうなんてすげぇところだ!


 グラフィックはしょぼいけど、やってみるとけっこう面白い。昔の人が熱中するわけだ。


 これ、延々やっててもいいかもしれない。旅館。スゴイ。



 あ、温泉風呂から出てすぐにある自動販売のところに卓球台もある。

 すごい。こんなにザ。旅館のイメージにあうところは他にないんじゃないか!


 なんか縁側っぽいところには木製の長いすがあって将棋盤まで置いてある。

 これ、風呂上りにうちわとか持ったおっさんがタバコふかしながら将棋やってるようなヤツだよね。


 こんなのはじめてみた。


 ある意味ここ、俺の知ってる世界じゃない。

 この旅館。ある意味異世界だ。


 写真とっとこ。こりゃ、週明けクラスで人気者に間違いないな、俺!



 さって、残るは温泉ー。


 さすがに混浴とかはなかった。

 あったとしてもいるのは妹か湯治のおばちゃんとかだろうから意味ないけどさ。


 でも、ちょっとあったらいいなと期待するのも仕方ない。


 だって俺、男の子だもん!




──亜凛亜──




 予定通り、旅館に士君をふくむ片梨一家がやってきた。


 私は女将さん達が出迎えるのを、客室で見ている。

 なぜ、私もここにいるのかと問われれば、士君の母が当てた福引。あれは私達サムライ衆のしこみだからです。


 そもそもこの旅館は私達サムライ衆の経営する温泉宿だったりします。

 数百年前にこの宿の裏手にある湖に住まう邪龍をサムライが封じ、監視するために作られたのがこの宿の成り立ちです。転じて多くのサムライがここで疲れを癒し、新たな戦いへ出向く気力を蓄える湯治宿となった。


 そこに、ある目的をもって片梨家。正確に言えば士君を呼んだ。


 そう。士君と、先生をあわせんがために……!



 先生が引退を決めたあのあと、私に言いました。


 士君と話をする機会をセッティングして欲しいと。


 あの時のことを思い出すと、今でも頭が痛くなります。



 回想。


「はい?」


「じゃから、その士君とちと話をしたいと言うておる」


「ですから、この病室に呼びますと言っているんです」


「ヤじゃ!」


「だからなぜ!?」


「まったく。わからずやじゃのう」


 やれやれと、先生は肩を大げさにすくめました。

 いや、先生が毎回おふざけするから、色々信用ないんです!


「そもそも、ワシに会いにこいと言うたらその目的がすぐわかってしまうじゃろうに。それではダメなんじゃ。むこうが予測していない。そう、不意打ちでなければな!」


「はあ」


 なぜそんな回りくどいことを。


 先生は、また大げさにやれやれと肩をすくめます。



「今回は時間もないから、答えを言うが、毎回答えがもらえると思うな?」


「毎回回りくどくてわかりにくいんです。先生のは!」

 先に抗議をしておく。



「老人とはそういうもんじゃ。すぐ答えを求めるのは若者の悪い癖じゃて」



「それはわかってます。それで、どういうことなんですか?」



「でなければ、彼の素が見きわめられんじゃろ?」


「っ!」


 この瞬間。先生がなにを考えているのかわかりました。

 先生は、士君を第四刀に指名しようと考えているのです!


 だから、なんの予備知識もなく士君と顔をあわせ、その本質を見極めようとしている。

 身構えてやってきた彼でなく、想定外の邂逅をして、素の士君を見て!


 そして、それだけのことをするというのだから、先生がどれほど本気なのかもわかった。



 それを理解した瞬間、私の心に悔しさがこみあげた。


 弟子である私でなく、なぜ士君なのか。と。

 でも、その次の瞬間には納得し、その嫉妬の心も小さくしぼんでいくのがわかった。


 そもそも、先生の弟子とはいえ私にはそれだけの実力はない。


 対して士君は豪腕自由同盟だけでなく、その力を隠したまま何人もの死士を撃退するきっかけになっている。

 表に出ていない功績しかないが、それをポイントとすればすでにかなりの功績となっているはずだ。


 そこに、秋水の判断まで耳に入っていれば、選ばれなくてどうするというレベルまで来ている。


 悔しいけど、実力を尊重するなら、彼が選ばれるというのに不満は欠片もなかった。

 むしろ、先生の跡を継いで第四刀になってくれるのなら、安泰だとさえ思ってしまう。


 ゆえにこうして、先生の湯治もかね、士君にはなにも知らせず、先生との邂逅の場がセッティングされたのです。



 片梨家一向が到着し、夕飯を召し上がって自由時間。


 私は今、温泉に入っている。

 先生の湯治なのになぜ私が温泉? とまた疑問が生まれるかもしれないが、私がここに浸かっているのにもちゃんと理由と意味があるから安心して欲しい。


「あ、いました。亜凛亜さん」

 からからと入り口を開けて入ってきたのは士君の妹にして稀代の天才かつ期待の新人。片梨彼方ちゃんだった。


 そう。私がここにいる理由は、彼女と落ち合うためだ。


 温泉(女湯)ならば、さすがの士君も入って来れない。

 なら、ここで今後のことを話しても彼の耳に入ることはない。


 ここで話をつけておけば、旅館の中で彼方ちゃんと一緒にいるところを士君に目撃されても、偶然ここであったということにも出来る。

 だから、初接触はこの温泉でと決めておいたのである。

 こうすれば、以後彼に不審がられず堂々と動けるというわけだ。



「無事、士君を連れてきてくれてありがとうございます」


「いえいえ。私がお願いすれば兄さんは断りませんから!」


 ちなみに、カムフラージュのため彼の母が福引を当てたとなっているが、その福引券をわたし、商店街に買い物へ行かせたのは彼女のアシストである。

 さらに温泉旅行に行きたくないとゴネた場合も、彼女が説得して同行させる計画だった。


 もっとも、行きたくないとゴネたりはしなかったようだが。

 思春期だから、家族旅行なんてイヤだと言っても不思議じゃなかったけど、そうじゃなくて安心したわ。


 ともかく、今回の邂逅は彼方ちゃんにも協力を仰いでいる。

 今も彼を隣の温泉へ誘導し、出たところで先生とばったり顔をあわせるという予定になっている。


 素の士君を見たいのなら、むしろ温泉でまったりしてる時のがいいんじゃねーの? と思った方もいるでしょう。

 私も思いました。


 でもそれは、彼方ちゃんの方に拒絶され、温泉後ということになりました。

 一応温泉後でも、ゆっくりあったまった後だから油断しているという理由もあります。


 でも、なぜダメなのか。彼方ちゃんには彼方ちゃんの考えがあるようだけど、気になるところだ。


 なので……



「それで、なぜこの温泉中ではダメだったんです?」


 素直に聞くことにした。

 ちょっと前にすぐ聞くのはダメだぞといわれた気がするけど、それはそれ。コレはコレ。



「ふふっ。せっかくの温泉です。兄さんには、ここでゆっくりとしてもらいたかったんです」



「……」

 ああ、そうか……

 言われ、気づいた。


 先生と顔をあわせたら、もうのんびりはしていられない。

 本質を試されてしまうことになるのだから、せっかくの温泉が台無しになってしまう。


 彼女はそれを見越し、ひと時でも平穏な時間を満喫して欲しいと気づかったということですか……


 私も先生にのんびりと湯治して欲しいとこの場を提案しましたのと同じということですね。

 彼女の気遣いに、私は胸がじんわりと暖かくなるのを感じた。



「だって、ゆっくり入ってくれないと、私がじっくりねっとり兄さんのほんのり赤くなった湯姿を堪能できなくなっちゃうじゃないですか!」



 ばしゃーん!


 思わず頭から湯船につっこんでしまった。


 なに言ってんのこの子ー!



「おおー、広いなー」



 ぴくーんっ!


 彼方ちゃんの耳が大きく動いた。


 同時に、湯船から拳を出し、力強く握り締める。



 彼女がこの声を聞き間違えることはないだろう。

 そう。今のは士君の声。


 彼が隣の男湯に入ってきて声をあげたのだ。



「亜凛亜さん。この温泉、覗きの対策としてか、女湯の方が高いところにあります」


「え、ええ」


 突然説明をはじめた彼方ちゃんに、私は圧倒される。

 サムライにしてみれば、ちょっとした段差など無意味だけど、わざわざよじ登って見に来るとなれば抹殺されても文句は言えない。


「でも、逆に言えば女湯からは男湯が見放題ってことなんです!」


 だからなに言ってんのこの子ー!



「というわけで、私ちょっと、所用がありますから」


「いやいやいや、ちょっと待ちなさい。ちょっと待ちなさい?」


「なんですか? 今私、とっても忙しいんです。はっ! まさか亜凛亜さんも、兄さんの裸体を見たいとか!?」



「言っちゃった! なにするか言っちゃった!」


 答えあわせ出来ちゃったよ!



「大丈夫です。亜凛亜さん。女の子が覗くのは犯罪にはなりません!」


「なりますよ! 十分犯罪です!」


「ええっ!? うそっ!?」


「どうしてそんなに驚くんです! 普通にダメでしょう」



 しょぼーんとした。


 ……この子、お兄さんのことになるとたまにバカになるわね。



「でもでも、私サムライですから、この前亜凛亜さんがウチを監視してたみたいに、兄さんを監視するということで!」


 そうきたかー。

 片梨家を監視してたって言われるのはちょーっと痛いのよね。


 でも……


「いい、彼方ちゃん。いくらサムライといえども、理由なく。いえ、私利私欲のためにそれを使うのは禁じられているわ。あの時は、士君が何者かわからないから平和のために仕方なくやったことだけど、今回は違うでしょう?」


「ええっ!? あの時兄さんの素敵さに気づいてその素顔を見たいから監視もしていたんじゃないんですか!?」


「しませんよ!」


「おかしい。お風呂やトイレまで監視してたくせに。私だってカメラとか仕掛けるの我慢してるのに……!」



 ぎりりっととっても悔しそうにした。


 ……この子、お兄さんのことになるとたまにアホになるわね。



「なら仕方がありません。私の特性、『理想』を強化するためです。理想の兄さんを召喚するために、素の兄さんを見ておく必要があります。これならサムライ無罪です!」


「いや、貴方の特性は理想のお兄さんを召喚することじゃありませんからね? 貴方の理想を具現化するものですからね?」


「? 私の理想に兄さんがいないなんてそんなことあるわけないじゃないですか」



 ……ダメだこの子。もう手遅れだ。

 絶対に理想の士君しか召喚できない限定はつけさせちゃいけない。


 もの凄く強そうだけど、宝の持ち腐れになる!


 彼女の特性は、もっと大きな可能性を秘めているのだから。



「というか、見たくないんですか、兄さんの裸体!」


「女の子がそういうこと言うんじゃありません! ありませんよ!」


「そんなっ。兄さんの裸体を見たくない女子がいるなんて……はっ! まさか他に見たい裸体があるんですか!?」


「女の子が裸体裸体言わないの! そりゃ、私だって見たい人はいま……ってそれはどうでもいいんです!」


「そうですか。兄さん以外の人を。私なら、その人を理想で召喚できますよ! だから……!」


「……」


 私の見たい人。

 それって……


「……いや、なに言ってるんですか! アウト。アウトです!」


 ごちんと頭を叩いてあげた。



「いたーい。というか、ちょっと間がありましたね。揺れましたね!?」



「それ以上言わないの。悪魔ですか貴方は!」


「悪魔じゃありませんー。サムライですー」


「屁理屈をいうんじゃありません。先輩として、後輩が道を踏み外すのは全力でとめさせてもらいます!」


「これは、私の理想を作り上げるのに必要なんです。ただでさえ最近兄さん私とお風呂入ってくれなくなっちゃったんですから!」


「知りませんよそんなこと」


 というか、思春期真っ只中のお兄さんにとってみればいろんな意味で地獄じゃないですかそれ。

 そりゃ、入らないでしょうよ。


 まったく。先生もこの子も士君も好き勝手して! 色々調整する私の身にもなってください!



「もう今日という今日は怒りましたよ。私の目の前で、覗きなんてことは絶対にさせませんからね」


「……あ、れ? 亜凛亜さん。ちょっと、いえ、かなり怒ってます?」


「いいえ。怒ってません」


「いや、絶対怒ってます!」


「怒ってません。ただ、ちょっと今までの鬱憤が爆発するだけです」



「やっぱり怒ってたー!」



「というか、女の子が覗きとか、普通逆でしょうがー!」



 ばしゃばしゃと、湯を掛け合ったりしました。

 あとで思い返してみれば、私もなんて子供っぽいことをしていたんだと思います。


 反省。



 ちなみに、士君はいつの間にか温泉からあがっていました。



 あとは、先生と出会うだけです。


 先生は士君をどう見るんでしょう?

 私は、彼のことはまったくわかりません。


 底が、見えないんです。


 先生なら、なにかわかるでしょうか……?




──ツカサ──




 いやー、いい湯だった。


 ほっかほっかと体から湯気を出しながら、俺は男湯と書かれた暖簾をくぐって温泉をあとにする。


 崖といっても差し支えない程上にある女湯がちょっと騒がしかった気もするけど、よく聞こえなかったから正直気にならなかった。

 泳げるほどの広さの温泉を独り占めしてのんびりしていたからそれどころではなかった。というのもある。


 客が俺一人しかいなかったというのはちょっと心配になるけど、きっと時間的な穴場だったんだと思っておこう。

 ウチ以外にも宿泊客はいたはずだし。


 しかし、温泉は最高だった。

 星も綺麗だったし、ゲームコーナーも興味深いし。なにもないと言ったら間違いなくバチが当たるな。


 なにもない。なんてない。今日ここに来て俺が学んだことの一つだね。



 そう考えたら明日になるのが楽しみになってきたぞ。いっちょ早起きして周囲を散歩してみるかー。なにか新しい発見があるかもしれない。

 イノグランドに行くまでは森を歩くのなんて億劫とか思ってたけど、あっちで色々歩いて経験してきたから、景色見るのは面白いと知ってるからな!


 さーて、夕飯も食べたし、お風呂も出たし、どうしよっかなー。


 ひとまずコーヒー牛乳でも飲もうかな。と卓球台とかがあった自動販売機置き場へ足をむけた。


 卓球台と将棋盤もあるスペースでビンに入ったコーヒー牛乳を売ってるのを見つけた。

 こういう時くらいしかこういうの飲まないからなー。


 と思いつつ、牛乳にするかコーヒー牛乳にするか迷う。


 なっ!? フルーツ牛乳と、イチゴ牛乳、さらにバナナオレだと!?

 いや、それだけじゃない。レモン牛乳にメロン牛乳なんてのもある。


 なにこれ。なんでも牛乳と混ぜればいいなんてもんじゃないぞ!


 くっそー。どれも興味が惹かれるじゃないか。

 風呂上りの火照った体にならどれもマッチしそうな小憎らしい奴等ばかりだからな!


 だが、流石に二本も三本も飲んでられない。シンプルな牛乳一本でも怪しいのに、そんなに飲んだらお腹壊しちゃう。


 飲めるのはせいぜい一本。なのにこんなに魅力的なナントカ牛乳があるなんて!

 この中から、俺は、どれを選べばいい……!


 迷った末、俺はお金を入れて適当にボタンを押す決断をするのだった!



 目を瞑ってピッと選択!


 がこんと音を立て出てきたナントカ牛乳は……



『ミルク牛乳』



 なんぞこれー!?


 なになに? コーヒー牛乳ならぬ牛乳の中に牛乳を混ぜたミルク牛乳。これこそまさに牛乳100パーセントの味!(説明文)

 結局牛乳しか入ってねーじゃねーか!



 まあ、買ってしまったのはしかたがない。

 とりあえず飲んでみよう。



 うん。普通に牛乳でした。



「そこの少年」


「ん?」

 縁側にあった将棋盤の置いてある木製の長いすで外を見ながらミルク牛乳を飲んでいると、後ろから誰かに声をかけられた。


 この声、なんか聞いた覚えがある。

 でも、誰だっけ?


 ミルク牛乳を片手に振り返り、俺に声をかけた人を見る。


「あっ」


 そこには、トウジュウロウさんがいた。


「トウジュウロウさん……」


 確かにトウジュウロウさんだ。でも、この人は俺の知ってるトウジュウロウさんのはずがない。俺の知ってるあのご老人は、異世界イノグランドにいるのだから。

 でも、そこにいる人は俺の知ってるトウジュウロウさんにそっくりだ。


 つまり、亜凛亜さんやマックスと同じ、この世界のトウジュウロウさん!

 見ただけで同じ人だとわかるのは初めてだ。



「いかにも。ワシは刀十郎じゃ」



 うなずいてるが、どこか俺を不審な目で見ている。


 って、初対面なのにいきなり名前呼んだらそりゃ不審がるよ!


 やべえ。なぜ知ってるとか聞かれても、異世界で同じ人にあったことがあるからですなんて説明できるわけないぞ。

 異世界であったことある人にあうと毎回こんな感じのこと言ってないか俺!?


 いつまで学習しないんだよ俺!


「そ……」

「あ、将棋やりませんか!?」


 それで何故ワシの名を。なんて聞かれそうな雰囲気だったので俺は慌てて口を開いた。

 何故将棋なのかといえば、単純にすぐ近くにあったからだ。


「……む?」


「将棋をやれば、すべてわかると思います」


 きりっと、無駄に意味深に言ってみた。

 前からの知り合いと同じ姿だから、どもったりせずきちんとしっかり口に出来た。


 でも、意味不明で強引すぎる。

 将棋で一体なにがわかるというんだ。


 むしろその理論なら、ここは卓球に誘った方がよかったんじゃないか!?



「うむ。そうじゃな。では、一局お相手願おうか」



 なんか乗ってきたー!?

 だが、好都合。


 それなら普通に将棋をやればいいだけ。

 あとは適当にあわせて流れで言い訳すればいい。そう。たまたま同じ人を見たことあるとか。気のせいでしたが偶然ですねとか!


 ……それ、将棋って言う前に口が動いてたらよかったな。


 まあ、将棋やろうって言っちゃったんだからもうあとの祭りか……



「最近の若者は将棋のルールを知らぬというが、期待してもよいかね? こう見えてワシ、将棋は得意なんじゃよ」


 なんですとー!?


 ふっ。だがこっちだって将棋は子供の頃からウチの彼方につきあってやっているんだ。

 彼方に勝てたためしは一度もないが、あいつと幾度もやりあっているのだから、その分経験値はいっぱい稼いであるはず!


 いくら得意だからってプロを倒す彼方ほどの強さではあるまい。なら、趣味での得意ならきっといい勝負も出来るはず!


 こっちから勝負を持ちかけた手前、情けない勝負には出来ないぞ。


 頑張れ俺!



 パチパチと、駒が盤上で動く音が響く。


「……」

「……」


 俺も刀十郎さんもどちらも無言だ。


 じっと盤上を見て、駒の動きに全神経を集中している。


 これはお遊び。だけど、本気の勝負だ。


 というか、刀十郎さんフツーに強い。

 彼方より強いのかと問われると、どっちも俺よりレベル高くてわっかんねー。というくらいだ。


 あれよあれよというまに駒をとられ、どんどこ俺の王将を守る手勢が減っていく。

 情勢は一手一手ごとに悪化していく。



 いかん。これ、絶対勝てないレベル差だ。



 盤上に駒はまだまだ残っているけど、俺は確信出来てしまった。


 わかる。わかるぞ。

 彼方とやってる時もそうだった。


 あいつも全然手加減してくれなくて、すぐこりゃダメだとわからされた。


 それでいてアイツは何回も何回も俺とやろうと言ってくる。

 まあ、勝てるんだから楽しいのかもしれないけどさ。


 おかげで「あ、これ以上やっても無駄だ。」て状況だけはよーくわかるようになった。


 んで、今回もそれとおんなじ状況である。


 それくらいの実力差がある勝負だった。



 彼方との勝負の場合、こうなったら俺は無駄に粘らない。

 余裕がある状態のうちに、参りましたと素直に負けを認めてしまう。


 ひょっとするとすっごい頭のいい人なら逆転の一手とか考え出せるのかもしれないが、俺には無理だからだ。


 だから、余裕があるうちに負けを認め、妹に勝ちを譲ってあげたという体をとるわけである。

 そうすれば、自分から負けてあげたのだと、最低限のプライドは守られる。というわけだ。


 これまでは妹が天才すぎるからしょうがないんだと心に言い聞かせることもできたが、今回の勝負で普通に俺は弱かったということをつきつけられた。

 強い人と戦っていたからといって、自分が強くなっているかというと答えはノーなのである。



 でも、この人は彼方とは違う。

 例え負けたとしても、コンプレックスを感じる必要はない。


 なら、王手をされて完全に詰むまで戦ってもいいはずだ!


 例え負けたっていいじゃないか。最後まで諦めないのが人のいいとこ……っ!?



 きゅるるるるるっ!



 お腹に、違和感を感じた。


 唐突。唐突にである!


 手の中で遊んでいた駒の動きを止める。

 この違和感。俺は、知っている。


 唐突にやってくるお腹の痛み。


 お尻に感じる、大きな圧力。



 原因がなにかをあえていう必要もないだろうし、それを責めていいわけはない。

 悪いのは、悪いのはすべて、俺のお腹の弱さにある……!


 せっかく彼方の時とは違い、最後まで頑張ろうと持ったのに、これじゃ……っ!



 ぎゅるるるるるっ!


 はうっ!



 将棋という頭脳を必死に動かす戦いにこの大きなハンディはきつすぎた。

 もう、頭を回すより、別のところを回さないことに全力をつくさねばならない。


 俺は、頭で戦うことを諦めた。


 手の中にある駒を駒台に置く。



「参りました」



 素直に、負けを認める。



「うむ」

 盤面を見ている刀十郎さんもあっさり認めてくれた。


 そりゃそうだ。元々刀十郎さんの方が圧倒的に有利で、勝利はほぼ揺ぎ無い状態だったのだから。

 負けを認めることに文句をつける理由は欠片もない。


 俺の敗北を確認すると、俺はお腹に力を入れながらゆっくりと立ち上がった。



「む?」



「かっ、は、腹が痛いのでトイレに行きます……」



 ちゃんと口が回ったかもわからない。

 笑顔も引きつっていたかもしれない。


 でも、それを確認している余裕は俺になかった。


 刀十郎さんの答えも聞かず、俺は歩き出す。



 まだ、尻に力を入れていれば大丈夫。

 このピンチは何度もあったじゃないか。そしていつも生還した。


 そう考えれば、この戦いにおいて俺は歴戦の勇者。

 篭城戦の帝王!


 だから、今回も大丈夫だ。俺!



 がんばら。がんばれー。



 俺の、城門!




──刀十郎──




 時は来た。

 件の少年が風呂から出るのを待ち、一息ついたところで声をかける。


「あっ」


 ワシが声をかけ、振り返ったツカサ少年はワシを見て驚いた。


 その驚きは、ワシがなぜここに。という驚きで、明らかに初対面の者に対する反応ではなかった。


 ふふっ。若いの。ワシの姿を見て動揺するとは。

 ほんの一瞬じゃったが、見逃さんかったぞ!



「トウジュウロウさん?」



 反応してしまったことに観念したのか、素直にワシの名を呼んだ。

 まだワシ等は自己紹介もしていない。


 なのに名を呼んだということは、どうやら彼は、この接触だけで目的を察しているようじゃ。


 聞きしに勝る観察力じゃな。


 これだけでも、不意打ちで会いに来た価値があったというわけじゃ。



 それなら、話は早い。



「そ……」

「あ、将棋やりませんか!?」



 むっ?

 彼はワシの言葉を遮り、将棋を勧めてきた。



「将棋をやれば、すべてわかると思います」



 それはつまり、そういうことだった。

 ワシの意図を察して将棋を挑んできた。


 それはつまり、この一局の中にその答えがあるということなのだろう。


 確かに、彼の話を聞くに、彼はそのずば抜けた観察力で場を思い通りに動かし、士力も使わず死士の弱点を平然とついている。

 将棋の対局も、いかに戦局を読み、相手の先を読み、思い通りの展開にもっていくかというのに通ずる。


 つまり、将棋を持ってその実力を示そうということか!


 確かに言葉にするより話が早い。

 では、その実力見せてもらおうか!



「うむ。そうじゃな。では、一局お相手願おうか」



 ……



 パチパチと、駒が盤上を動く音だけが響く。

 ワシは、少しだけ困惑していた。


「……」


 なんじゃろう。なんというか、一言で言うと、弱い。


 将棋のセオリーをなぞるわけでもなく、なにか意図があって打っているようにもまったく見えない。

 その駒運びは場当たり的で、将棋の素人が浅い考えで指しているかのような駒の動かし方だ。


 彼に言ったとおり、ワシは将棋には自信がある。

 さすがにその道のプロ並の腕前とは言わぬが、それでもかなりの腕前であると自負している。


 将棋、囲碁は昔からサムライのたしなみでもあるからだ。


 勝負はずっとワシ有利で進み、その差は覆しがたいものとなった。


 どれだけあがこうと、彼の勝利はもうまずない。



 すでにどの手も詰んでいる。

 逆転がありえるとすれば、誰も思いつかなかったかのような奇跡にも近い一手が必要となる。


 これは一体、どういうことだ?

 ワシは、困惑する。


 この勝負でわかることは、彼に大局を読みきる力などない。ということだ。

 本当に高い観察力を持っているのかさえ怪しいと言わざるを得ない。


 あの時ワシを助けたのは確かにこの少年じゃ。

 じゃが、これでは到底それを成せたとは思えない!


 これが、指せばわかるという言葉の答え?


 では、あの時のあれはただの偶然だというのか?

 そして、他の手柄といわれるものも、間違いや勘違いだったというのか!?



「参りました」



 士少年は手の中で転がしていた駒を駒台に置き、頭を下げる。


 彼はあっさりと自分の負けを認めたのだ。

 確かに、もう場は詰んでいる。


 これ以上やっても無駄なのだから、負けを認めるのも当然の話だった。


 ワシはその降伏を素直に認めた。

 重々しくうなずき、盤面をじっと見る。


 正直、期待はずれだったという気持ちを隠しきれない。

 表に出してしまってはいけないとは思うが、それはそれだけ彼に期待していたということの裏返しだ。


 だがまさか、ここまで期待はずれだとは思わなかった……!


 敗北を認めた彼は、ゆっくりと席を立つ。



「むっ?」


「……」

 ぼそぼそと、なにかを口にし、そのまま逃げるように去っていってしまった。



『片腹痛い……?』


 発音がはっきりせず、すべては聞き取れなかったが、そんな言葉は口にしていたような気がする。


 それはまるで、捨て台詞のようだった。

 だが、明らかに負け惜しみ。


 ワシはため息をつく。

 がっかりしてたまらない。


 最初のあの姿と、亜凛亜からの報告。さらには秋水が救世主とまで評した彼を、ワシは過剰に期待しすぎていたようじゃ。

 鎧谷の弱点を一瞬で見切ったと思ったからこそ、将棋でワシに負けるなどとは想像もしておらんかった。


 彼が指定しての勝負でこれだ。ダメなのを疑いようもない。


 どうやら、第四刀の席は彼に重すぎたようじゃな……



 見込み違いであった。



 そう、ワシは結論づけ……



「……続き、いいですか?」


「む?」


 終わった盤を見ていたワシの正面に腰を下ろしたのは、士少年の妹であった。

 すぐ後ろに、浴衣姿の亜凛亜もいる。


 どうやら二人とも風呂から出てあの勝負を遠くから見ていたようじゃ。



「続きをしたいというのは別にかまわんが、勝負はすでに……」



「ええ。勝負はもう、ついてます」


「む?」

 わかっておるなら、なぜここから続きを……?


 突然現われた少女の意図がわからない。



「兄さんが最後にいじっていたのは、この駒ですね?」

 駒台を見た彼女は、一つの駒を持ち上げる。


 確かにそれは、最後彼が手の中で転がし、指さなかった駒だ。



 それがいったいどうしたと……



 ぱちんっ!



 ……いう、の……だっ!?



「やっぱり」

 彼女が、確信を持ってうなずいた。



 それが盤上に置かれた瞬間。ワシの表情が変わった。


 今まで彼側が圧倒的に不利だった盤面が一変した。

 意味不明だった序盤の歩の移動に意味が生まれ、死に体で残っていた桂馬が見事に王の逃げ道を塞いでいる。


 次に角を動かされ、とられた銀を置かれればワシの攻勢は完全に無意味と化すものとなった。

 あとは順を追って王を追われれば……


 たった一手だというのに、攻守が完全に逆転しているのが見てとれた。


 王を逃がそうと頭を働かせる。

 しかし、どれだけ考えても王はもう逃げ切れない。


 すでに敗北の道筋は確定してしまっている。

 いわゆる、完全に詰みの状態に成り代わってしまっていた!


 まさか、ありえない……!



 それはまさに、神がかり的な一手。


 俗に言う、神の一手が、そこに顕現していたのだ。



 何万手もある将棋の手をすべて把握するのは不可能だ。

 だから時に、プロでも思っていなかった手が飛び出し、思いもよらぬ一手で盤上の優位が簡単にひっくり返ることもある。


 しかも、絶対的敗北の状態を唯一ひっくり返せる勝利の道を生み出す一手など、滅多にどころか意図しなければありえない……!


 それは、サムライの戦いの中でも同じ。

 一発逆転の可能性はどこにでもあり、それを見抜き、実行できた者だけが生残る……



 その一手を目前として、彼は投了した。


 置くべき駒を手に持ち、弄びながら……!



 つまり彼は、この絵図が出来ていたにもかかわらず、あえてやらなかった!!



 一体、なぜ?



「兄さんは本当に、意地が悪い」

 彼女はやれやれと肩をすくめ、笑った。


 ワシははっと気づき、目の前に座った少女の顔を見た。


 会うのは初めて。

 あの士少年の妹。


 この子は、ワシも気づかなかった一手に気づいた。


 ワシの視線に気づいた彼女は、どこかいたずらっぽく笑った。



「なぜって思いますよね。でも、簡単な話です。兄さんは自分を試そうとする人に対して、同じように試し返した。それだけです」


「試し、返した。じゃと……?」


「はい。試そうとしているのなら、兄さんからも試されてもしかたないと思いませんか? 兄さんにだって、選ぶ権利はあるんですから」


「むっ……!」


「そういえば、長居さんの時も……」

 亜凛亜がなにかを思い出したように、ああ。と声をあげた。


 長居。というのはあの第九刀。士力も使わず、ボタンを奪ったというあの話のことか!



「あの時兄さんがボタンをあえて返さなければ、みんな兄さんがなにをしたか気づかず動けなかっただけの男とバカにしていたでしょうね」


「……確かに」

 亜凛亜がうなずく。


「あの時は私の立場があったから、あえて知らせてあげた。意図を伝えたいから、ああした。でも、兄さんだけなら、他人の評価なんてどうでもいいんです。兄さんはそれに気づかれないなら気づかれないで全然かまわない。だって、そうすれば試された側は試した上で、自分達の方が優秀だと勘違いして勝手によって来なくなるから」


「っ!」


 確かに、ワシは彼女に指摘されなければ、期待はずれだったと彼の評価をどうでもいいものにし、第四刀の推薦など白紙に戻しただろう。


 それは、試しに来た者に対する彼の返礼……!



「兄さんは優しいけど、とても意地悪なんです。でも、気づけないなら兄さんにはついていけないってことなんですから、それでいいんです」


 にっこりと、少女は微笑んだ。


「……」

「……」

 ワシも亜凛亜も、その笑顔に答えを返すことはできなかった。



「まあ、私も今回気づけたのは、昔同じようなこと兄さんにやられた経験があるからですけどね」


 えへへ。とはにかんだ。



「くくっ。ははは」

 思わず笑みがこぼれた。


「確かにその通りじゃ。湖を覗きこめば、その湖の側からも見られる。当然の話じゃ。澄んだ水の中になにが潜んでいるのか。それを見きわめられぬようではダメダメじゃ。ははははは」


 もう、ワシは笑うしかなかった。


 いつしか、ワシは勝手に他人を見定められるほど偉くなったと勘違いしていたようじゃ。

 第四刀という席に座り、上から見おろすのが当然などと思っていた。


 だというのにどうだ。目が曇ってまったく見通せていないではないか!


 なんとも滑稽な話である。



 そうか。そういうことか。士少年。

 君があえて真正面からつぶしにこないのも、そういう意味があるからなんじゃな。


 そうすることで、湖に映る自分の姿に気づけともいいたいわけじゃな。


 試すというのだから、己も試さねばならない。

 試しにきた者へ、なんという皮肉を返してくれるもんじゃ。



『将棋をやれば、すべてわかると思います』

 彼の言った言葉の通りじゃ……



「どうやら彼は、ワシ程度では計り知れぬほど大きな男だったようじゃ」


「だって兄さんは、私の兄さんですから!」


 えっへんと彼の妹は胸を張った。

 確かに君も、あのカラクリにすぐに気づいたのじゃから、ふんぞり返る権利もあるのう。


 末恐ろしい兄妹じゃよ。



 こうして、彼の本質はまったく測ることができなかった。


 じゃが、ワシの考えはまとまった。



 第四刀の席は……




──ツカサ──




 ざごーっ。


 いやー、いい旅館だから、おトイレもいい機能もってるね。

 スッキリした。


 間に合った!



 これで、この旅を思い出すたび嫌な気分にならずにすむ。

 むしろ世界を救えたかのような清々しい気分でいられるってもんだぜ!


 すっきりして改めて自販機のところに戻ったけど、もう刀十郎さんはいなかった。



 せっかく異世界知り合いの同じ人に出会えたんだから、もうちょっと普通に話もしたかったな。


 いや、出来なかったのは自爆したり自爆したり自爆した俺が悪いんだけどさ!



 ま、縁があればまた会うだろ。

 今日のところはお腹冷やさないようにして寝よーっと。




──片梨彼方──




 ホント、兄さんは意地が悪い。


 子供の頃、私はむしろ、兄さんのことが嫌いでした。


 平凡普通。勉強も運動も、ゲームもなにひとつ私に勝てない。唯一勝っている点は、私よりほんの少しだけ早く生まれた、兄という点だけ。

 子供だった私ははっきり言って、兄さんのことを見下していました。


 友達だって私の方が多かったですし、褒められるのはいつも私でした。


 この時の私は、天才とおだて褒められ、自分は優秀だと天狗になっていました。

 兄などただ先に生まれただけで、どうしようもなく劣った存在だと思っていました。



 でも、その認識はある時を境に崩れ去ります。



 それに気づいたのは、今回と同じく兄さんと将棋をやった時でした。

 気まぐれで将棋大会に出て、ゲストで来ていたプロも破ってきた私を、兄さんはすごいと素直に褒めてきました。

 嫉妬するわけでもなく、悔しがるわけでもなく、素直に褒めてくれました。


 私はそれがなぜか気に入らなくて、将棋で勝負を挑んだんです。

 きっとこの時私は、兄さんより私の方が上だと認めさせ、兄さんを悔しがらせたかったのでしょう。


 勝負はいつもどおり、私の大勝でした。

 すぐ大勢は決し、今回と同じように、兄さんの負けは覆せないものになりました。


 兄さんは勝負を諦めたのか、投了をしました。


 この時私ははじめて、兄さんを悔しがらせることに成功したと思いました。

 兄さんは負けを認めると、どこか残念そうにため息をつき、去っていきました。


 私は兄さんを倒して上機嫌になりながら、放置された将棋の駒を片付けようと、兄さんが投了する前に触っていた駒に手を伸ばしました。



 この時です。

 その駒と盤面が目に入った瞬間。私の体に電撃が走りました。


 気づいてしまったんです。

 その駒を使い、ある一手指せば、私が負けていたことに!


 今回と同じく、逆転のルートが出来ていたんです。



 この事実に気づいた瞬間。

 今まであった勝負が全部頭の中でリフレインしました。


 あの時も。あの時も。この時も!


 どれもこれも、勝負は私の勝ちでした。



 でも、冷静に思い返してみると、もう一歩押せば兄さんが必ず勝てる道筋が用意されていたと気づくのです。


 兄さんはあえて、私に勝利を譲ってくれていたのです!



 その事実にに気づいた瞬間、私は兄さんのため息の意味に気づきました。


 私は、兄さんの期待にまったく答えられていなかったのだから!!



 兄さんが私に嫉妬しないのも当然です。

 そもそも、私は兄さんにまともに相手されていなかったのですから!


 上には上がいる。


 天才と呼ばれちやほやされる私を歯牙にもかけない、本物の天才が、そこにいたんですから!



 自分の兄が自分よりすごい人だと気づいた時の衝撃は今でも忘れられません。

 その時から、私の世界は大きく変わりました。


 今までつまらない灰色だった世界が、急に色づいて見えたような気さえしました。



 この事実に気づいた時から、私は兄さんの背中を追いかけはじめました。



 すると、あのような試しは、私の兄として同じ天才なんじゃないかと近づいてきた人達にも行っていました。

 その人達は兄さんを試しに来ているんでしょうが、逆に兄さんに試されていたなんて気づきもしません。


 誰も彼もが期待はずれだとがっかりして去っていくだけです。


 自分達の目の前に、本物の天才がいるなんて気づかずに……!



 兄さんを観察し、知れば知るほど、その背中が遠くに見えて追いつけないと思うほどでした。


 いつの間にか私は、その背中に憧れていました。

 そして、私のことを見て欲しいと思いました。


 私はその日から、今までずっと、兄さんの背中を追っています。

 近づいたかと思えば、また知らない面が出てきてすぐ遠ざかり、いまだに追いつけないままでいます。


 時には、その背中が遠すぎてどこにあるのかさえわからなくなることさえあります。


 でも、私は信じています。

 いつの日か、その背中に追いつけると……




「ところでなぜ、教えてくれたのかね?」


 兄さんのやった逆試験のことを説明したのち、刀十郎さんに言われました。


「兄さんはサムライの世界の地位や名誉に興味はないみたいですけど、私は兄さんにある程度の立場があって欲しいと思っているからです。兄さんほどの人が隠れたままだなんて、世の損失だと思いませんか?」


「……それは一理あるの」


 だから、兄さんを第四刀に推薦してくれていいんですよ!




──刀十郎──




 次の日。

 早朝。


 ワシの判断を聞くため、緊急の集まりがあった。


 老中が一人。そして、名刀十選が最低三人集合し、他、名だたるサムライ達が集まり行われる、名刀十選第四刀の後継を決める十選会議である。


 もちろんその会議の主役は、引退を決めたワシ。

 ワシの一言が、この選抜の行方を担うと言っても過言ではない。


 まず、ワシが後継を推挙するかしないか。

 そして万一しない場合、この場に集まった者達が刀席繰り上がり空いた第十刀の席に座るに相応しい者を選抜するという流れになる。


 引退でない場合、名刀十選を選ぶ会議には多くのサムライが集まってくるが、今回はワシが引退し後継を推薦する可能性が高いゆえ、会議に集まった人数は最低限より少し多い。というくらいだった。

 それでも、老中が一人。名刀十選が三名ワシふくむ。他八名のサムライがこの場に集まっている(非推薦の場合はこの三倍は集まる)


 万一ワシが後継を指名しなかった場合、彼等の意見で新たな十選が選ばれる。

 ちなみにこの時、老中に投票権はなく、平等な裁定を行う議長役をするのが通例となっている(老中が二人以上いた場合議長以外は投票可能)


「では、刀十郎よ。第四刀を継ぐに相応しいものがいるのならば、もうしてみよ」

 ワシと同年代の老中がうながす。


 ワシはうながされるままに立ち上がり、視線をむける者達を見回した。

 まだ早朝で窓の外には朝もやを反射する朝日の光が輝いている。


 彼等はここでワシの発する一言で、この会議は終わり、温泉にゆっくり浸かって帰ろうとでも考えておるのじゃろう。

 じゃが、そう簡単にはいかぬものぞ。


 ワシは、どこかいたずら小僧のような笑みを浮かべ、口を開いた。



「ワシからの指名は、ない!」



 ざわっ!


 ワシの後継推挙なしの言葉に、場の全員が驚いた。



 まぁ、そりゃ当然とも言えるじゃろう。

 せっかく後継を指名出来るというのに、指名しないというのじゃから。



「あいつじゃないのか!?」

「てっきり彼を後継に指名するものとばかり……」


 名刀十選の中で出席した第九刀、長居の小僧とその友人の第六刀の叢雲雷太が驚きの声をあげた。

 士少年に一杯食わされた者であり、彼が亜凛亜の知り合いであることを知っているからの言葉だろう。


 老中のヤツもワシの言葉に驚きを隠せないようじゃ。

 議長の癖にあんぐりと口をあけ、ワシを見ておる。


 そういやそっちも、亜凛亜から色々士少年について聞いておったな。



「残念じゃが、彼は名刀十選の席に座る器ではない。第四刀の席は、彼には役不足ということじゃ」



 全員がまた驚きの声をあげる。

 なにかの間違いじゃ? という声も聞こえた。


 じゃが、ワシは間違ったことは言っておらん。



 なぜなら、この役不足は正しい意味の役不足だからだ。



 近年でよく誤用される、役をするのに力が足りない。という意味ではない。

 正しく、その『人』に対して、『役』の方が不足している、という意味である。


 そう。彼が第四刀などという『役』におさまる器ではないのだ。



 名刀十選などという席におさめることこそおこがましい。



 サムライの地位につけば、一見自由に動けるようになったかのようだが、その分しがらみも制限も増える。

 彼がサムライの自由度を利用しようと考えているのなら、すでに力を示し、サムライとしての身分は手に入れているはずだ。


 だが、彼はそれをしていない。あえて、秘密にしている。

 それはつまり、サムライ衆に所属する理由はあっても、サムライとしての地位は必要ない。ということだ。


 彼には彼の考えがあり、それを邪魔してはならぬ。


 そう思ったからこそ、ワシは彼を後継に指名しなかった。



 ならば亜凛亜に。とも考えたが、亜凛亜ではまだ力不足。最近手柄を立てていると言うが、ありゃ自分の実力じゃないしの。あと五年もすれば自然と選ばれるじゃろうから、今は精進してもらうしかない。



 さて、今日はこれから名刀十選第十刀を選ぶのに大紛糾するじゃろう。


 ワシが後継を指名するとしてやってこなかったサムライ達に対し、今日たまたまででもやって来た者達は自由に繰り上がりで空くこととなる第十刀について意見を言えるのじゃから。



 このチャンスを逃さず、第十刀に食いこもうとする者も多かろう。


 だからこそ、早朝から皆に集まってもらったわけじゃ。



 はてさて。新たな十選は、一体だれになるんじゃろうな。

 ワシの手を離れ、完全な傍観者となったワシは、紛糾しはじめた場を見て、小僧のように笑みを浮かべるのじゃった。




 おしまい

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