第49話 サムライの洗礼
──ツカサ──
アミューズメント施設を堪能し、俺達は出入り口となるロビーへ戻ってきた。
「あ、兄さんごめんなさい。電話です」
彼方がぶるぶると震える携帯をとりだし俺に見せ、ここで待っててとロビーにある電話コーナーの方へ走っていった。
電話コーナーってのは、病院とかにもある、電話をする場合はここでしなさい。って場所のことだ。
これから帰るとはいえ、流石に妹を置いて行くわけにもいかないので、素直にここで待つ。
かといって、ここでただ待ちぼうけというのもつまらない。
あたりを見回すと、お知らせの掲示板があった。
入る時は興味もなく目に入っても気にも留めなかったしろものだけど、時間を潰すにはちょうどいいかと、そこに視線をむける。
「ん?」
掲示板に貼ってあったポスターの中の一つで、思わず目が留まる。
それは、演劇の公演を知らせるポスターだった。
俺はそれが気になり、じっとそれを見てしまう。
別に演劇に興味があるわけじゃない。
跳んだり跳ねたりするという新機軸の時代劇という文言が気になったわけでもなく、出演している役者の誰かのファンというわけでもない。
気になったのは、その劇団の名前。
『劇団サムライ』
ちょっと前に異世界行ってた時その名前に縁があったもんだから、思わず反応してしまったのだ。
同じ苗字の人がスポーツとかで活躍していると思わず見てしまう。そんな感覚だ。
でも、そのサムライとこのサムライは全然関係ない。
関係ないけど、思わず反応しちゃう。
自分の意思で戻ってきたというのに、未練かな。と思い、思わず自嘲の笑いを浮かべてしまった。
「兄さん」
後ろから声をかけられた。
どうやら電話が終わって彼方が戻ってきたようだ。
振り返ると、どこか緊張したような面持ちの妹がいた。
──片梨彼方──
亜凛亜さんに言われたゲームをすべてこなし、そろそろ帰ろうかとロビーに戻ってくると、携帯がぶるぶると震えました。
亜凛亜さんからです。
兄さんに断りをいれ、電話するためのスペースへ急ぎます。
「はい、彼方です」
「彼方ちゃん。ご苦労様でした。結果、出ましたよ」
早い。
結果はすぐに出ると聞いていましたが、まさか帰る前に教えてもらえるとは思いませんでした。
「本来なら一日は置いて勧誘に行くのですが、彼方ちゃんはすでに事情を知っていますから、なるべく早く教えた方がいいと思いまして」
そういうことですか。
気遣いに感謝しつつ、私は亜凛亜さんからの結果に耳を傾けます。
私の方は、才能豊からしく、将来有望だと褒められました。
どうやら私は士力の量もサムライの資質もかなり高いようです。
一方、兄さんの方となると、急に言葉の歯切れが悪くなりました。
詳しく聞いてみると、やっぱり兄さんは一筋縄じゃいかない人なんだと再認識させられました。
兄さんは確かに士力をコントロールする術をすでに身につけているようです。
一時は完璧すぎて士力を操れないただの人と判定しそうになったようですが、その完璧さが仇となり、逆に士力がコントロールできることが判明したんだとか。
ゆえに、私みたいにその身にどれだけの士力が秘められているのか、どれだけ才能があるのかさえわからないそうです。
士力を操る術を身につけたサムライさえ欺くなんて、さすが兄さん。
きっと兄さんは最初からここがそういうところだと見抜いていたんですね。
私の誘いだから断れずここにやってきたけれど、兄さんはサムライに所属する理由がないから士力を隠した。
私にはここに属したい理由があったけど、兄さんにはそもそもないから。
ただ、兄さんが自分の力を意図して隠していたことがわかったことにより、サムライの中には兄さんを怪しく思う人もいるんだとか。
でもそれは、兄さんも同じ。
勝手に監視をしたり、力を探ろうとしたりしたのだから、警戒されるのも当然でしょうに。
そもそも兄さんが人を害するわけがありません。
妹である私がそれは保証します!
まあ、私がそう主張したところで、兄さんを知らない人はそれは信じられないでしょうし、彼等も兄は私にもその力を秘密にしていたじゃないかと言うでしょう。
一度怪しいと思われると、中々払拭できないものです。
ですが、その誤解は、兄さんの人となりを知ってもらえれば解消される問題。
兄さんが私と一緒にサムライになれば、すぐ誤解も解けるはずです!
その前に、あっちから無理に手を出してくる。なんてことがなければの話だけど。
とりあえず、兄さんにあの人達は敵じゃないと説明しなきゃ。
「ともかく、君達二人にサムライの才能があることが証明されました。明日にでも私が士君の勧誘と説得を……」
「そのことですが、亜凛亜さん」
「はい?」
「兄さんの説得は、私に任せてもらえませんか?」
「はい?」
電話のむこうの亜凛亜さんがぽかんとしているのが手にとるようにわかります。
確かに、普通まだ関係ない人が勧誘するのはおかしな話ですよね。
でも、これが一番兄さんを勧誘できる可能性が高い方法だと思うんです。
私は、その根拠を示すため口を開く。
「兄さんは今回の測定のことも見抜いていました。これで、監視に引き続き二度目。そこに亜凛亜さんが来るというのは、私達がそれをやったと白状しているのと同じです」
「……確かに、監視の際二度目はないと言われました」
亜凛亜さんが思い出したようにそのことを口にする。
やっぱり、あの時兄さんは警告していたんですね。
となると、サムライ関係者に勧誘させるのは悪手。
下手をすると反感を買ってサムライ衆側から死士と認定されかねません。
兄さんが悪くなくとも。
「だから、私が説得します。私の言葉なら、兄さんは聞いてくれるはずですから」
今回だって、兄さんは私の誘いでなければここには来なかったでしょうし。
妹の私からサムライになろうと誘いかけた方が、得体の知れない怪しい勧誘員からスカウトされるより成功率が高くなるはず……!
「……わかりました。お願いしても?」
亜凛亜さんも少し考えこんで、私の提案に乗ってくれました。
亜凛亜さんも、その方が説得できる可能性が高いと踏んだからでしょう。
「はい!」
私は元気よく返事を返した。
兄さんがサムライに力を明かすのが乗り気でないのは状況からしてもわかっている。
でも兄さん。サムライの組織に属するのは、私にとっても兄さんにとっても悪いことじゃないんですよ!
亜凛亜さんとの電話を切り、私は兄さんの待つロビーに戻る。
兄さんは、ロビーにある掲示板のあるポスターを見ていた。
いくつも掲示されたこの施設や周辺で起きるイベントを告知するポスター群。
兄さんはその中でたった一つしかない『劇団サムライ』の公演告知ポスターをじっと見ていました。
『劇団サムライ』
それは、ここの施設と同じように、亜凛亜さんが所属するサムライ衆が運営するいわゆる表の顔の一つです。
前線で戦うことになるサムライやその候補生、従者達は皆、この劇団サムライに所属することになります。
実戦で死士と戦う場合、サムライは士力を身に纏いますから、見えない者にその存在を察知されることはありません。
ですが、それが完全ではない見習いや、訓練生はそうはいきません。
それらの訓練を行うのが、この劇団に扮した団体なのです。
役者として登録されていれば、表向きはそう生活できますし、稽古と称して刀を振り回したり、跳んだり跳ねたりしていても言い訳が立ちます。
年に一、二度公演という形をとれば、活動しているという体もとれますしね。
そこにポスターが張ってあるのも、表向きはちゃんと活動していますよというアリバイ作りのためだとか。
これに出演するのは自由だそうですが、サムライの中にはむしろノリノリで出場する人もいたり、なにも知らない一般の人にファンがついてファンクラブがあったりする人もいるそうです。
はっきり言って、演劇に興味があったり、誰かのファンでもないのにたった一枚しか貼っていない無名の劇団に注目する人はいないと言っても過言ではありません。
もちろん、兄さんに演劇を見る趣味はありませんし、この劇団の誰かのファンだなんて聞いたこともありません。お気に入りの役者が出ていないからため息をついたなんてありえません。
むしろ、サムライ衆のことを知っていなければ……
兄さんはそれを見て、どこかやれやれと呆れたような表情を浮かべ、小さくため息をついていました。
それは、人々を守るサムライがなにをやっているんだと言っているように見えました。
その視線と態度に、兄さんはサムライの存在を知っていると確信しました。
やっぱり、兄さんは士力を。サムライを知っている。
でなければ、ポスターを見て呆れたようにため息はつきません。
でも、知らないフリをしている。
さすがの兄さんですから、自分がサムライ衆に目をつけられているのは気づいているでしょう。
そりゃ、兄さんなら迫るサムライを全部返り討ちにして新しい国や組織を作ることも容易いとは思いますよ。
でも、そうして彼等を敵に回したりするのは得策ではないと思います。
兄さんならむしろ、逆にこの組織を乗っ取ることだって可能です。トップに立てると私は断言します。
兄さんがなぜ、力を隠すのか、それは私でも直接聞かなければわかりません。
聞いたところで私にもわからない理由があるのかもしれませんが。
軽く笑ってはぐらかされるかもしれませんが。
ですが、兄さんが人にあだなすことを成そうと考えているとはとても思えません。
だって私の知る兄さんは、無愛想だけどとても優しい人だから。
だから兄さん。ここは彼等を安心させるためにも、無駄に敵対しないためにも、私と一緒にサムライになりましょう!
「兄さん」
私は、意を決し。ポスターを見る兄さんの背中に声をかけた。
────
掲示板の前に立つツカサの隣に、彼方が並ぶ。
彼方も劇団サムライのポスターを見て、口を開いた。
今から聞くことに彼方も緊張し、ツカサを直接見て質問できなかったからだ。
「兄さんは、サムライのこと、知っていますか?」
まずは軽いジャブ。
ある意味正面突破のストレートなのだが、ここでイエスと認めてもらえれば、話がスムーズに進むと彼方は考える。
(侍のことを知ってるか? 一体どういうことだ?)
妹からの突然の質問に、ツカサは困惑した。
一番最初に思い浮かべるのは、当然歴史に出てくる刀を持った戦士達のことである。
だが、天才である妹の彼方がその侍のことを知らないなんてありえない。
兄にそれを改めて聞くなんておかしな話だ。
(まさかイノグランドのサムライ!?)
なんて少年は思うが、それはツカサしか行っていない異世界の話。
普通に生きてきた彼女がそれについて質問するのはありえない話だった。
(んなわけナイナイ)
アホらし。と自分の考えを笑う。
(となると……)
ツカサは、じっとポスターを見る彼方の視線の先を見る。
「っ!」
そして、ぴんときた。
劇団サムライ。
(そうか。サムライとは、ここのことか!)
自称聡いツカサ君は、妹の言葉のふくみを悟ったと確信した。
(ポスターを見ていたから、俺も興味があるのかと思われたか。でなけりゃ、わざわざサムライを知っているのかなんて聞かないもんな。つまり、彼方は演劇に興味がある!? し、知らなかったぞ……!)
自身の至った確信に、ツカサは驚きを隠せない。
今まで知らなかった妹の一面を垣間見たのだ。それに気づかなかった自分もあわせ、ショックは二倍である!
ゆえに、混乱してしまい、質問に質問を返してしまったとしても責められはしないだろう。
「つまりお前は、その世界(演劇)に興味があるってことか?」
ツカサは、『劇団サムライ』のポスターを指差した。
「っ!」
ツカサから返ってきた言葉に、彼方も驚く。
その言葉は、その世界を知っているという答えでもあったからだ。
(どうやら、流石の兄さんも観念したみたいですね)
ストレートに話をぶつけたことで、ツカサはしばし悩むようなそぶりを見せ、肯定と取れる返事を返してきた。
たった一言二言の会話だったが、それだけで彼方の聞きたいこと全てが伝わったのだ。
そう、彼女は確信する!
「はい。(サムライの世界に)興味があります。実は私、そこにスカウトされてるんです」
隠すだけ無駄だと思った彼方は、素直にその事実を打ち明けた。
兄が素直に口にしたのだから、自分もそうしなければフェアではないと思ったからだし、真正面からそれを口にし、お願いするという、『一緒についてきてお願い』作戦の一環でもあった!
妹だからこそできる、兄への懇願。
これは、ツカサが士力をあつかえると判明した今だからこそできる作戦だ!
彼方の告白を聞いたツカサは、知ってた。というように、どこか諦めたように肩を落とした。
(やっぱり演劇だったか。しかし、スカウト。か。確かにウチの妹は、美人だし頭もいいし、なんでもできるから、どこからなにからスカウトされても不思議はない。でもまさか、演劇からまでスカウトされていたとは)
我が妹ながら、スゲェとツカサは感心していた。
(きっと彼方なら、セリフの覚えもいいし、持ち前の頭のよさでスターになれるだろう。でも……)
「俺は、反対だな」
「え?」
ツカサの思わぬ否定に、彼方は驚いた。
「この世界はとても厳しいものだ(と聞いたことがある)。いくらお前でも、とてもじゃないがやっていけないだろう」
(お前の才能ならやっていけるのは兄である俺が一番わかってる。でも、そっちの世界は怖いところだってよく耳にする。思春期真っ盛りな俺には刺激の強いようなことをやらされたり、しちゃったりするんだろ! 俺、知ってるんだから!)
いわゆる芸能界への悪い噂を鵜呑みにした偏見でしかなかったが、かわいい妹の身を心配するのも兄としては当然のことだろう。
若くて美人があれやこれやされるなんて、いろんなところで耳にする芸能界あるあるなんだから!
「反対するのは、お前が心配だからなんだ。お前にはもっと適した世界がある。そっちじゃダメなのか?」
普通に勉強していける世界。例えば弁護士や医者などなど。そういった世界はどうだということである。
(そうか。そうだったんですね……)
ツカサの言葉を聞き、彼方は理解した。
(兄さんは、サムライの世界に身を置こうとしなかったのは、そういうことだったんですね。兄さんがこっちの世界に残っていたのは、私を、そして家族を守るため。私達を危険にさらさないよう、守るためだった!)
ツカサがサムライの世界へ足を踏み入れれば、同じく才能のある彼方もそこへ足をむけるのは必然。
決定事項と言ってもいい!
サムライの世界とはいつ死んでもおかしくない、とても危険な世界。
そんな世界へ、かわいい妹を入門させるわけにはいかないという、優しい兄心だった!
彼女はそれを確信したのと同時に、ツカサの言葉は受け入れられないと心に刻んだ。
(私を心配してくれるのは嬉しい。小躍りしたくなるほど嬉しい。けど、でも、違うんです! 私は、兄さんの背中に守られて、その背中を追いかけるだけじゃ嫌なんです。私は、兄さんの隣に立って、肩を並べて歩きたいんです!)
少し前なら、そんなことを言われれば彼方は納得し、うなずいていただろう。
しかし、今は違う。
彼女はツカサの見ているサムライの世界を知ってしまった。
自分にもそこへ踏みこめる資格があると知ってしまった。
ゆえに……!
「そんなことはありません! 私は簡単にくじけたりはしない。それに、そんなに心配なら、兄さんが一緒に来てくれればいいんです。それなら、安心でしょう?」
「は?」
流石のツカサも、彼方の言葉にぽかんと口を開けてしまった。
(やった。逆転! 大逆転です。ピンチをチャンスに変えました。私、凄い!)
否定され、諦めるかと思いきや、ツカサの心配という言葉を彼女は逆に利用した。
これにより、ただ否定するだけではいかなくなる。
これでもう、彼方がサムライ入りするかしないかでなく、ツカサが彼方のためサムライ界入りするかしないかにすり替わった!
これが、天才片梨彼方。
それが、一瞬が生死を別けるサムライの世界において、素養があるといわれるゆえんでもある!
「私はこの世界が一番水にあうと思っています。だからどうしても(サムライに)なりたいんですっ!!」
まっすぐツカサの目を見て、彼方は言い切った。
その言葉を聞き、彼方の意思が固いとわかると、ツカサは深くため息をついた。
(そうか。そんなに役者になりたかったのか。それなら、俺にはとめられないな……)
その熱意を感じ取ったツカサは、自分だけは味方になってやろうと心を決める。
「わかったよ。そこまでの覚悟があるのなら、俺はもうダメとは言わない。俺も見守るくらいはしてやるよ」
「見守るだけなんですか?」
「参加はしない。悪いが、俺は(演劇に)興味ないからな。お前がそこまでやる気だから、ついていくだけだ」
(いくら一緒に劇団に行くといっても、セリフを覚えて演技しろとか無茶な話だから!)
(兄さん、こんなにあっさり興味ないって。まるで眼中にない感じですね。兄さんなら間違いなくサムライ世界のトップに立てたでしょうけど、少し残念です。でも……)
彼方は確信する。
ここはやはり、自分で勧誘していて正解だったと。
もしサムライの誰かが勧誘しに来たとしても、興味ないと言われただろうし、妹の彼方が参加すると引き合いにだしても逆鱗に触れるだけで、間違いなく断られていただろうからだ。
(やはり、私が勧誘して正解でしたね! 興味がなくとも私のためについてきてくれる。この特別感! 私だけが得られる特権ですね!)
「わかりました。それで十分です。兄さんと一緒なら、これほど心強いことはありませんし!!」
「……」
ぱぁっと顔を明るくほころばせた妹の姿を見て、ツカサは思う。
(そうだよな。覚悟があっても怖いもんは怖いよな。俺がいるだけで力になれるんなら、安いもんか。なにより、天才である妹に頼られるってのは悪い気分じゃない)
(そう。一緒に来てくれるだけで十分なんです! これで兄さんは亜凛亜さん達と敵対しなくてすみますし、私達もサムライになれる。そうなれば将来は安泰ですし、なによりサムライ同士なら、あのどうしようもない壁もなくなる! えへへ)
「そんなに喜んでもらえるとは思わなかったな」
「だって、これからの未来はあかるいんですよ! さあ、善は急げです。早速申し込みに行きましょう!」
「え? いきなり?」
「場所は隣ですから。早く話を通しに行きましょう!」
彼方はツカサの手を取り、隣にある劇団サムライの支部となる訓練所へむかうことにした。
──ツカサ──
アミューズメント施設の隣に、そこそこ大きなホールがある。
演劇の公演や音楽の発表などでも使われる場所だ。
そこが、劇団サムライの支部らしい。
支部だというのに、一つのホールをそのまま所有しているなんて、凄い大きなところなんだな。
演劇に興味ないからまったく知らなかったけど。
どうやらここは、日本全国に支部を持つ、国内最大級の劇団のようだ。
全然知らなかった……
俺を連れてゆく彼方にそう説明され、そこまで調べていたのかと俺は心の中で驚愕した。
いやむしろ、スカウトされた時一度来たことがあったのかもしれないな。
大きなロビーを抜け、受付につくと彼方は受付のお姉さんに名刺みたいなものを見せていた。
そうか。名刺までスカウトの人に貰っていたのか。
スカウトなんて空想の中でしかないと思っていたから、目の当たりにすると驚きを通り越して頭真っ白になるな。
「どうやら担当の人が来るまでしばらく待つことになるみたいです」
受付の人が電話で誰かを呼び出したらしく、その人が来るまで俺達はここで待つことになるようだ。
「あ、それなら……」
俺は、案内板にあるトイレのマークを指差した。
これから劇団に入ることについて話があるのなら、おトイレ済ませておいた方がいいと思ったのだ。
妹のためにも、しっかり話を聞ける準備をしておかないとな!
いざとなったら、両親に話を聞いてからにしますからとはっきり言えるようにしないと!
「はい。私はここで待っています」
背中に声を受けながら、俺はトイレにむかって歩き出した。
「おい、あいつ……」
「あれは……」
「……」
丁度その時、廊下を歩く俺を見つけた誰かがいたようだが、俺はその時まったく気づかなかった。
じゃばー。ごぼごぼごぼー。
トイレを済ませ、手を洗う。
「ふんふふふーん……ん?」
鼻歌交じりに手を洗っていると、洗面台の排水口のところでなにかが動いているのに気づいた。
渦の中、一円玉より小さな円形の物体がくるくる回っているのだ。
なんじゃろうと取り出してみる。
「……ボタン?」
それは、シャツについているような、小さめのボタンだった。
普通に考えれば、これはいわゆる落し物ってヤツだろう。
なんらかの原因で服から落ちたと考えるのが自然だ。
別にこのまま放置してもかまわないだろうが、俺の明晰な頭脳は受付のところに落し物置き場となるボックスがあるのを鮮明に覚えていた。
こんな小さなシロモノ、落とし主さえどこで落としたかもわからないようなものだろう。
なら、落し物ボックスの方に放りこんでおいた方が、発見の可能性も高まるというもの。
とはいえ、持ち主がそこを見に来るって可能性もそんなに高くないだろうけど。
ボタンなら、たいていシャツに予備があるものだから。
まあ、見つけてしまったんだから、徳を積む行為とわりきって、独善的な行為を行っておこう。
俺は親指でボタンを上にはじき、そのまま手でキャッチして妹の待つ受付へむかうことにした。
「おう」
トイレを出た直後、まるで俺を待ち伏せていたかのように声をかけられた。
そこには、受付にむかう廊下を塞ぐようにして、三人の男女が立っている。
はて?
そこにいたのは、まったく知らない人だ。そもそも俺は、ここに知り合いなどいない。
一体、誰なのだろう。
「オマエが片梨か」
背の低いワイシャツ、ジーンズの男が俺の前に出て、そう俺に告げる。
髪の毛がつんつんしているのがとても印象的な人だった。
なぜ髪をあげているのか。その理由に関しては追求しない方がいいだろう。
その人の身長が、百六十あるかないかとか、きっと関係ない。
「オマエ、入団するんだってな?」
「は?」
ジロリと、睨むようにして見られた。
「あの人に認められた期待の新人さんよぉ。入団するってんなら、俺が、オマエを審査してやるよ」
背の低いこの男は、さらに俺の方へ一歩足を踏み出した。
え? ちょっと待って。
この人はなにを言ってるんだろう?
俺はあくまで妹をバックアップするために来たのであって、舞台に立つため本気で活動するつもりはない。
というか、期待の新人て……
……あっ!
ひょっとして、妹の彼方と間違われてる!?
「さあ、やろうか」
男は、腰を落とし、まるで刀を抜く、いわゆる居合い抜きのような構えをとった。
だが、その手に刀はない。
まるで刀を持っているかのようなしぐさで、俺をジロリと睨んでいる。
なんて迫力だ。まるで、本物の侍みたいだ……!
「なにをするか、わかってんだろ?」
え? まさか……
その瞬間、俺の脳裏に、ある可能性が浮かび上がった。
これは、あれか? 期待の新人の実力を見るため、料理を作らせたり、決闘したりする先輩の洗礼。その演技版てこと!?
相手の演技にあわせて、こっちも演技するって即興アドリブで返せってのか!?
劇団への入団試験とかでよく見る、泣けとか怒れとかアドリブで演技させるあんな感じの。
この世界、そういうのもあるの!?
無理無理無理。俺、演劇のえの字も知らない素人。
そんなの出来るわけないですって!
確かに俺は片梨だけど、片梨違いなんですよー!!
──片梨彼方──
兄さんがトイレに消えるとすぐ、亜凛亜さんが二階から降りてきました。
なんて入れ違いだろう。と思いましたが、兄さんがいないなら話せることもある。と思い当たりました。
「彼は?」
「今トイレに行っています。兄さんも、サムライになることを了承してくれました。そもそも兄さんが力を隠していた理由は、私や家族を危険な目にあわせないためだったんです」
「そうですか。なら、納得ですね。その危険性は、決して否定できることではありませんから」
「でも、私も一緒に戦いたいという熱意を見せたら、しぶしぶですが、見守りついでについてきてくれるそうです」
「共に戦ってくれるわけではないと?」
「はい。サムライの世界には興味はないと。私はともかく、そちらを完全に信用していないのかもしれません」
「そうですか。今は見守るだけでも、味方の側にいてくれるのは行幸ですね。家族を守りたいという理由なら、いずれ私達はわかりあえるはずです。共に戦えるようになります。きっと」
「はい!」
ふふふっ。これで兄さんと一緒にサムライになれば、私の夢がかなう。
長い長い年月がかかると思っていたそれが、こんな手の届くところにあるなんて、夢みたい!
「おう、オマエが片梨か」
「?」
兄さんのむかったトイレの方から名前を呼ばれました。
私と亜凛亜さんは顔を見合わせ、何事かと疑問符を浮かべながらそちらへ視線をむけます。
すると、三人の男女がトイレから出た兄さんの前を塞ぐようにして立っているのが見えました。
呼んだのは兄さんの方に出た背の低い男の人。
どうやら、私ではなく兄さんのことを呼んだようです。
「あの人に認められた期待の新人さんよぉ。入団するってんなら、俺が、オマエを審査してやるよ」
「長居さん?」
亜凛亜さんがその人の名前を呼ぶのと同時に、その人は腰を落としました。
ズズズッ。
長居と呼ばれた人の左手に士力が集まり、一本の刀が姿を現しました。
あれが、サムライの武器、刀。
刀はサムライの魂と聞いていましたが、本当にその人自身が具現化させるんですね。
その長居と呼ばれた人は、鞘を左手でもち、柄に右手をそれる。
その構え。
まだサムライに関して疎い私でも知っています。
居合い抜き。
って、いきなり、なにをしているんですかあの人!?
「……まさか長居さん。正式にサムライにもなっていない子に力試しをするつもりですか!?」
亜凛亜さんが驚きの声をあげる。
「力試し?」
「刀を見せ、そのサムライの出方を見るんです。いわば先輩からの洗礼。時にその恐怖からトラウマになり、士力の門を閉ざすこともあるというのに!」
「なにをやるつもりなんですか! 兄さんはまだ監視されたことへの不信感が拭えていません。敵意を見せたら、せっかく兄さんしぶしぶながらも参加してくれるって言ったのに!」
この組織やっぱりダメだなんて言われたら、私の将来も、それどころかこの組織自体がなくなっても不思議じゃないんですよ!
あの人もこの人も兄さんを甘く見すぎです!
私の兄さんは、私に危険だと判断すればそのくらいやってのけちゃう男なんですから!
このままじゃ、せっかくの未来がダメになってしまう!
私は亜凛亜さんへ視線を送る。
亜凛亜さんも意味がわかってくれたのかうなずいてくれた。
すぐにでも、やめさせないと!
私と亜凛亜さんでとめに行こうと駆け出そうと……
「まあ、待ちたまえ」
……した瞬間、肩をつかまれ、とめられてしまった。
うそっ。肩に手を置かれただけだというのに、動けない!?
私も亜凛亜さんも、なぜか身動き一つできなくなってしまいました。
兄さんの方にむけて、声も出せません。
「これ、まさか……!」
亜凛亜さんには心当たりがあるようです。
「なぜ、こんなことをするんです。名刀十選、序列第一位、第一刀であるあなたが!」
名刀十選というものがなんなのかまだわかりませんが、第一位。第一刀という言葉から、その人が凄い人だということは理解出来ました。
そんな人が、どうして!?
「大丈夫。士力を纏ったりはしない。彼が本物なら、それを察し、軽く受け流す。決闘にもならんさ」
私達の耳元で、男の人はそう語る。
──もちろんのことだが、サムライ同士が士力を纏い、刀を抜いて本気で戦うのはある時を除いて許されていない。
今回のコレは洗礼であり、お遊びみたいなものだが、その空気も読めず相手側が士力を纏い、刀まで抜いたりすれば大変なことになる。
それは、まだサムライのことをまったく知らされていない者でも同じこと。
士力が操れる者ならば、誰にでも適応されかねない法度だった。
ゆえに、ツカサが本気でやり返せば、その瞬間ツカサは無法者として、死士の烙印を押されても文句は言えないのである──!
「待って下さい。士君はサムライの説明も受けていません。だから、サムライ同士の法度を知らないかもしれません。そんな彼が、刀を抜かれれば、正当防衛を考え、全力で対応する可能性も……!」
「っ!」
「そんなことをしたら、士君は死士としてあつかわれます。下手をすれば討伐の対象となりかねません!」
「そんなっ……!」
まさか。と思う。
それがこの人の狙い。
亜凛亜さんの言葉に、私達の後ろにいた男がにっと笑った気がした。
「そんなことはないさ。ただ、ここでとめては、彼の真価がわからない。それじゃあ、なんのために彼をたきつけたのか、わからないじゃないか」
ぞっ!
優しい声だというのに、その言葉の中にふくまれた感情に、私の背筋が凍った。
それはまるで、兄さんが敵対してくれることを望んでいるかのようだった。
なに、この人……
怖い。怖い……!
今まで他人から感じたことのない、えもしれぬ感情が私を包む。
それは、兄さんを相手にしている時と同じような、姿さえ見えない圧倒的な光を見せられているような感覚。
底も壁も見えない、圧倒的な広さを持つナニカを持つ存在。
相手をしてはいけない。
そう感じさせる、絶望的なナニカが、この人にはあった。
そんな人が、兄さんの真価を見極めようとしている。
兄さん、いけないわ。
その挑発に乗ってはダメ!
恐怖で声も出ない私は、ただ心の中で祈るしかできませんでした……
居合いの構えに刀を持った長居というサムライが、ついに動いた。
やめて。お願いっ!
──ツカサ──
俺の目の前に、手になにも持たず居合いの構えをとっている男がいる。
それはいわゆるパントマイム。
そこになにもないのに、存在しているかのように演じるって表現方法だ。
この場合、手に刀なんて持っていないのに刀を持っているかのように演じているということになる。
彼は劇団サムライの団員。
今から入団しようとしている俺達の先輩ということになる。
そんな人と俺は、なぜだか唐突にアドリブ劇をやらされようとしていた。
理由は、俺が期待の新人ということだからだ。
そりゃ、スカウトされてやってきた将来有望な新人というふれこみなら、劇団の先輩が気になるのもうなずける。
でも、でもね先輩。
悲しいかな、ここにいる片梨は、あんたの思う期待の新人片梨とは違うんです。片梨違いなんです!
あんた、俺を妹と間違えてますよ!
確かに彼方って名前は男でも通っちゃうけどさ。俺みたいな平凡普通でちょっと。ほーんのちょっとばかし人見知りで表現するのが苦手な男とは違うんだよ!
「あ、あの……」
「どうした? 抜かねぇのか?」
演技はじめちゃったー!
その腰に刀なんてないのに、本当に刀を握っているかのようだ。
それほど凄い迫力と、本当に俺を殺しかねない殺気みたいなものまで感じられる。
す、すげえ。これが本物の役者の迫力!
テレビや言葉だけでは絶対に伝わらない。生の迫力。
俺は今、それを間の前という特等席で体験している。
これは、すげぇ。
舞台やコンサートにわざわざ足を運んで生で見に行く人の気持ちがわかった気もするよ!
「そうかい。かまえねえのなら、こっちから行くぜ!」
あ、しまった。
思わず魅入ってじっと見てしまっていたら、相手が動いてしまった。
否定する暇も与えてくれず、その人は見えない刀を引き抜く。
いわゆる居合い抜きをするように体を動かした。
ひゅっ!
刀を持たぬ空の手が、空気を切り裂き、俺の眼前に刀を突きつけるように、その人は動いた。
なんという迫力。
本当に刀があったのなら、俺は驚いて腰を抜かしていたかもしれない。
でも、演技とわかっているから、感心するばかりで全然平気だった。
俺が目の肥えた演劇通だったら、本当に刀があるかのように錯覚したかもしれない。刀の幻を見てしまったかもしれない。
でも、しょせん俺は素人。凄い迫力だとは思ったが、俺の眼力では目の前の人はなにも持たず、手を振り回すパントマイムをした。ということしかわからなかった。
無知な人間に凄い技術を見せても、まったく理解できない。というのがよくわかる事象であった。
むしろ、演技とわかっていなかったら俺は、なにしてんだこの人。的な怪訝な表情を浮かべていたかもしれない。
そして、無知をさらしてわかっている人から指摘されて大恥をかいたことだろう。
それくらい、ただの素人の俺には、その技術的な凄さは伝わらなかった。
きっと凄い役者なんだろう。それくらいしか、俺にはわからない。
こんなことなら舞台とかのことに興味を持つんだった。
今の俺では、迫力が凄い! とか、そんな陳腐な感想しか出てこない。
「……」
「……」
しかし、俺はけっこう考えこんでいるけど、目の前の人は俺に手をむけたまま、まったく動かない。
なんで動かないんだろう。
俺も、その人も、さらに周りの人も俺達のことをじっと見て一言も発さない。
……ひょっとして。
俺は、とんでもないことに思い至った。
これが事実だとすると、みんなが今動かずじっと見ているのも納得出来る。
ひょっとして、今、俺のターンということですかー!?
これになにかを演技で返せってことですかー!?
場の空気を察し、俺は心の中で青ざめた。
いやいや、無理無理。俺ただの素人。演技もなにもできない俺になにをしろってのさ。
これ、演技だけじゃなく演舞とか殺陣とかまで入ってんじゃん。こんなのになにを返せってのさ!
確かに俺は、川べりとかでカッコつけて「風が哭いている」なんて言ったこともある。
でもあれは、誰も聞いていない。見ていない(と思っていた)から出た言葉だ。
数人とはいえじっと見つめる人達の前でいきなり演技しろと言われてもできるわけがない。
いきなり人前で演技しろなんて、素人にハードル高すぎだろ! しかも俺志望者でもねーし!
だからここは、素直に俺は彼方じゃないと謝って許してもらおう。
どうせ相手の勘違いなんだ。笑って許してもらえるに違いない!
「……ぅ!」
……うん。声、出ない。
一人の時は平気なのに、いざ注目が集まると緊張でガッチガチになる。
あると思います!
「……」
「……」
時間だけが、過ぎてゆく。
やべえ。やべえよ。
このまま微妙な空気をかもし出し続けたら、声を出して怒られそうな気がするよ。
どうする。どうすりゃいいの俺!?
あわあわと、俺は目を泳がせる。
俺の目の前には相変わらず居合い抜きの格好で俺の反応を待つ凄い役者がいる。
「あっ」
「っ!?」
「……!」
思わず声が出てしまった。
周りの人も、いきなりの奇声にびくっ! っと反応する。
ついうっかり、声が出てしまった。
どうしようどうしようと視線を彷徨わせた結果、目の前の役者さんに、あるものが足りないことに気づいたからだ。
俺の方に刀を握る演技をしながらむけている右手の袖。
ワイシャツは普通、手首の太さを調節するためのボタンが二つ並んでいるものだ。
なのに、そのワイシャツの袖にあるべき二つあるボタンの一つがない。
左手側には、二つついているのに。
そして、袖に残されたボタンにも見覚えがあった。
それは、俺の手におさまっている、トイレで拾ったボタンにそっくりだったのだ!
それに気づいた俺は、思わず声をあげてしまったのである。
しかし、それは明らかな失策。
演技を待っていた人達から、俺に期待をこめた視線が注がれるのがわかった。
きっとみんな、俺が自分のターンでなにかすると思ったんだろう。
やべえ。これはもう、覚悟を決めるしかねぇ!
こうなったらこのボタンを手土産に、期待の新人は人違いですと笑い話にするしかない!
『人違いなんですよー』
『うわー。そうなの? ごめーん』
『気にしない気にしない。あ、ボタン拾ったんですよ』
『うわー。ホントだ。ありがとー』
コレで仲良し。シミュレーション終了。
いけるっ!
俺の華麗なコミュ力を持ってすれば、きっと出来るはずだ。
自信を持て俺!
いくぞっ!
まず、コミュニケーションの基本は笑顔!
「……」
にやっ。
そして、華麗なトーク!
「(別人と)まったく気づかないなんてな」
俺は手の中にあるボタンを親指でピンとはじいて、居合いの演技をした男の人へそれを投げ渡した。
男の人は、それを左手で軽々とキャッチする。
「返すぞ」
決め台詞もバッチリ!
よし。完璧。パーフェクトコミュニケーション!
これでみんなのハートをゲットだぜ!!
「……」
「……」
みんな、なに言ってんだこいつって目で俺を見ていた。
ドコがパーフェクトだ俺えぇぇぇ!
やっぱダメだ。
そもそも初対面の人三人も前にして俺の口が流暢に動くわけあるわけねーっての。
そもそも演技とか無理なんだよ!(逆ギレ)
ほら、みんな呆れて固まっちゃってるよ。
演技にしたってひどすぎるもんな。
どうすんだよこの大惨事!
「兄さん!」
救いの天使がやって来た。
この惨状に気づいた妹が駆け寄ってきてくれたのだ。
よかった。これで誤解が完全に解ける。
彼方は唖然とする三人の横を通り抜け、俺の手を取って受付へ引っ張ってきてくれた。
それにより、完全にこのアドリブ劇の空気は破壊された。
本物の彼方がきてくれたことにより、彼等は、人違いだったって気づいてくれたんだ!
ありがとう。
ありがとう妹よ。
これでこの気まずい雰囲気から、俺は解放される!
本当にありがとう!
そして本気で役者を目指す皆さん、変なことやっちゃってごめんなさい!
俺は心の中で謝りながら、受付の方へと走って行くのだった。
しかし、これからあの人達と顔をあわせた時、俺はどういう顔をすればいいんだろう……
──長居研太郎──
やはり、廊下を歩いていたガキはあの片梨士だった。
我が敬愛する名刀十選の序列第一位。第一刀という名誉を不動の位置とする最強のサムライ。
その人が関心を寄せ、感心した男。
気にいらねぇな。
ヤタノカガミがゼロと判定したからって、それイコール実力ってわけじゃねえ。
ただたんにかくれんぼが得意な腰抜けだって可能性も十分あり得る。
そんなんじゃ、サムライになったとしてもまったく役に立つわけがない。
だから、俺が、名刀十選第九刀である長居研太郎が、てめえの化けの皮をはがしてやる!
声をかけ、力試しに誘う。
俺は刀を具現化し、居合いの構えをとり、殺気を飛ばした。
さすがに士力を体に纏わせ、地力をアップさせたりはしねぇ。
そこまでやると、力試しじゃなく決闘になっちまうからな。
さすがに、こんな場所での決闘はご法度。俺もヤツも死士になっちまう。
さあ、オマエも刀を体から抜け!
だが、ヤツはまるで、俺の手にある刀が見えていないかのような態度でそこに突っ立っていた。
自分に士力で出来た刀は見えませんと主張しているつもりなのだ。
悪いが、俺はそれも織り込み済み。
測定を第一刀と共に見ていたのだから、オマエが士力をコントロールでき、見えていることは知っているんだよ!
その余裕。いつまで持つか楽しみだ。
すぐに吹き飛ばしてやるからな!
俺は刀のツバを押し鯉口を切り刀を抜いた。
居合い抜きッ!!
瞬間。ひゅっと刃がヤツにむかう。
しかし、刀が引き抜かれてもヤツの表情は変わらない。
それも当然だ。
鞘の長さから推測出来る刃の長さと互いの距離を比べれば、この一撃が自分に届かないとわかるからだ。
サムライならば、その位瞬時に理解出来るのは基本中の基本。拳一つも離れていればかわす必要も感じられない。
見て明らかに空振りするとわかるそれを、どうしてかわそうなんて思う。
そう、思ってんだろ、オマエは!
その平然とする姿を見て、俺達は内心でほくそえんだ。
ぎゅんっ!
俺の刃が、唐突に伸びた。
そう。
これが俺の刀の特性。
『伸縮』!
俺は刀の長さを自在に変えることが出来るのだ!
それだけの能力だが、逆に制限は少なく弱点もほぼないといってもいい。
これにより、俺の間合いは変幻自在!
間合いを見切ったと思い、余裕をぶっこく達人ほどこの変化にひっかかる!
このギリギリのタイミングで間合いがかわれば、誰だって攻撃の行方は見切れず、驚き、あせって対処しようとする。
(相変わらずえげつない歓迎ね)
頭に声が響く。
一緒に来た俺の仲間。『伝心』の特性を持つ、後ろに立っている女。天通心の声だ。
えげつなくていいんだよ。
それを目的としているんだからな!
(だから背が伸びないのよ)
(うっせぇ! それとこれとは関係ねぇだろ!)
こいつは俺にだけ、遠慮のないテレパシーをぶつけてきやがる。
伝心。いわゆるテレパシーを強引にぶった切る。
知ってるヤツに気軽に語りかけてきやがって、今は黙ってろ!
さあ、焦って眼前に迫る刃から慌てて逃げるか、隠した士力を見せてみろよ、新入りぃ!
だがっ……!
びたっ!
俺の刃は、ヤツの眼前でとまる。
まさに紙一重。
額ギリギリのところで刀が止まったというのに、ヤツは微動だにしない。
こ、こいつまさか……
このギリギリでとまるというのは、俺が意図して行ったことだ。
相手に当たらないギリギリで刀を振るったというのに、相手は慌てて逃げ出した。
それを知った際、慌てて逃げたやつのダメージは計り知れないからだ。
だってのにコイツは、迫る刃にビビりもせず、かわすそぶりさえ見せなかった。
まさかコイツ、俺の剣筋を完璧に見切っていたとでもいうのか!?
殺気だって本物だったはずだ。
俺の刀の特性で間合いさえ見切れなかったはずだ。
なのにどうして、そうして平然と俺を見おろせる!
その平然とした態度は、本当に見えないんじゃないかと錯覚するほど、完璧な態度だった。
あの時ヤタノカガミの結果を見て士力をコントロールしていたと知っている俺でさえ、ひょっとしてと思うほどだ。
だが、その完璧な演技こそが、士力ゼロという数値を生み出す。
どんな時も動じない。
だから、第一刀のあの人にしか見切れなかった。
だからって、俺は、絶対に、騙されん!
「……」
「……」
見おろすアイツと、刀を突きつけた俺との間に沈黙が生まれる。
眼前に刀をつきつけられているというのに、ヤツは平然と俺を見おろしている。
微動だにもせず、じっと、俺を観察するだけだ。
なんだ? なんなんだコイツは。
あまりに不気味な沈黙に、誰もが無言で身動きが取れなかった。
「あっ」
「っ!?」
ヤツが唐突に声をあげた。
なにかに気づいたような声。
気を張っていた俺は思わず、刀をひいてしまった。
ふっ。
ヤツが、俺を見て笑った。
まるで、俺を哀れむかのように、嘲笑するかのように笑ったのだ。
なん、だ……?
その瞬間、俺は直感的に嫌な予感を感じ取った。
それは、絶対的な差を確信させる。第一刀のあの人を前にした時のような絶望的な予感だった。
「まったく気づかないなんてな」
同時に、ヤツの右手が動きだす。
手の中にあったモノを親指でピンとはじき、俺の方に飛ばした。
俺はとっさに鞘を消し、刀を持たない左手で顔に飛んできたそれを受け止める。
「返すぞ」
ぞわっ!
その言葉を聞いた瞬間、俺は、いや、俺達の全身が総毛立った。
なにかはわからない。
だが、死さえ生ぬるい、今まで感じたことのない圧倒的なナニカを感じとったんだ。
ちょっと前にトイレに行っておいてよかったと思う。
でなければ、俺はその事実に漏らしていたかもしれない……!
それほどの衝撃が、今から俺を襲う。
手を開き、それを見る。
俺の左手に納まったのは、なんの変哲もないボタンだった。
どこかのシャツについている。どこかで見覚えのあるボタン。
ただのボタンだったが、そこにそれがある意味は、尋常ではなかった。
……これ。
それに気づいた瞬間、血の気が引いた。
これ、俺の袖の、ボタンじゃないか……?
それに気づいた瞬間、俺の体に緊張が走った。
ドッドッドッドッドッド。
激しく心臓が動き出したのを感じる。
冷や汗とも脂汗ともわからないナニカが体中から噴出したのがわかる。
同時に、喉がからからに渇き、それでいて震えると思うほどに寒いと感じてしまった。
じっ……
周囲の視線が、俺のある場所に集まっているのに気づく。
まさか……
つられて、俺の視線もそこへ……
ドッドッドッドッ。
心臓の音がうるさい。
耳の中に、それ以外の音が聞こえないほど、心臓が激しく動いている。
こんなにも緊張する。
こんなの、サムライになってから一度も感じたことない。
それでも頭ははっきりクリアになっているような気がした。
周囲の動きがとても遅く感じる。
感じているが、止まらない。
それはつまり、この体が、この現実を見たくない。知りたくないと言っているに他ならなかった。
この体が、そう発しているのだ。
本能はすでに、気づいているのだ。
見てはいけない。
これを見ては、ダメだと……
だが、動かした視線はもう、止まらなかった。
俺は、その視線を自分の手の中にあるボタンから、刀を握る右手にうつした。
皆の視線が集まるそこ。
右手の袖に、ボタンは……
……なかった。
ぐにゃりっ。
視界が、歪む。
バ、バカな。
い、いや、ちょっと待て。
おかしい。
ありえない。
そんなことはない。
認めたくない。
俺はそれを見て、必死に否定する。
思考が固まり、事態を受け入れられない。
なんとかして事実を捻じ曲げようとする。
だが、いくら念じても、そこにある事実は変えられない。
変わらない。
どれだけそこを凝視しても、右手の袖に二つあるはずのボタンが、一つしかない事実は、変わらない……っ!!
ヤツはこの状態でそれを「返す」と言った。
それすなわち、俺の袖からボタンをとったということを意味している!
ゾッ!
その意味に思い当たった直後、吹き出た冷や汗や脂汗は一瞬にして消えうせ、寒気さえ感じなくなった。
残るのは、圧倒的な虚無感。
それは、絶望さえ感じられなくなるほどの、圧倒的で絶対的な証。
俺以外にも、その事実に気づいた全員が息を呑んだ。
なにが起きた?
わからない。
さっぱりわからない。
一体いつとられた?
それさえわからない。
まったくわからない!
特性によって時間を吹き飛ばされたのか?
いや、ヤツは刀を抜いていない。特性の発動に必要な士力さえ纏っていない!
今だ、ヤツから士力は欠片も感じられないのだから!
なのにっ!
なのに、俺のボタンはとられた!!
それはつまり、ヤツの動きをまったく知覚出来なかったことを意味している。
動きがまったく見えなかったことを現している!
なにをされたかわからない。分析さえ出来ない。
相手と対峙して、これほど恐ろしいことはないだろう……!
ただ、一つだけわかることがある。
右手の、手首……
俺が本気で斬りかかっていた場合、その結果がどうなっていたのか。
その答えを示したのが、これだ。
ヤツがその気なら、俺の手首は自身が認識出来ないまま、両断されていたということになる……!
さらに虚無感を上乗せするのは、ボタンをとった後のヤツの行動だ。
あの「あっ」となにかに気づいた言葉は、ヤツにも予想していなかった事態に気づいた言葉だった。
そう。ヤツにも予想外だったのだ。
俺達が。
サムライであるこの、俺達が、ヤツになにをされたのかまったく気づかないなど……!
あの不自然な沈黙な時間は、俺達がボタンを奪われたことに気づき、どんな動きをするのかを見ていた沈黙だったのだ。
つまりは、リアクション待ち。
だというのに、俺達はヤツの想定をはるかに下回り、なにをされたのかすら気づかなかった。
あの「あっ」は、そんなにレベルが低いのかという驚きの言葉に他ならない!
アイツが嘲笑するのも無理はない。
サムライが近くに三人。遠くにはさらに数人のサムライがヤツを注視していたというのに、誰一人としてその動きを察知出来ていなかったのだから……!
士力も使わず、光さえ見切るサムライを超えた。
そんなのありえない。
だが、ありえた……!
アイツは、次元が違う!
「……」
笑いさえ漏れない。
(完全に、立場が逆ね……)
また、天通の声が頭に響いた。
平静を保っているようだが、その声はどこか震えている。
そうだ。洗礼と称してヤツを試そうとした。
だというのに、洗礼を受けたのは俺達だった。
あぁ、そうか。完全に、その趣旨を返されたのか……
化けの皮を暴いてやるとか息巻いて、その結果がこれか。
ヤツは自分の正体を完全に隠したまま、その凄さを見せつけた。士力を発しなかったのだ。見えなかったのだ。自分はまだ、一般人だと十分言い張れる……
厳然とした事実に、俺は打ちのめされる。
彼が士力を隠して生活している理由がわかった気もする。
彼は、士力など使わずとも、『強い』のだ。
だから、士力を使う必要がない……!
そう気づき、愕然とする。
なんて、なんてやつなんだ……
我々は、とんでもない怪物を腹の中に入れたのかもしれない……
──片梨彼方──
しんっ……!
兄さんの行動の後に、場が静まり返りました。
張り詰めた緊張感や、圧迫感もすべて霧散し、かわりに戸惑いと畏れが場を支配しています。
一体、なにが起こったのかさっぱりわかりませんでした。
いえ。なにが起きたのかはわかります。
あの長居という人が無謀にも兄さんに刀を抜いて切りかかり、全てを見切っていた兄さんが微動だにせず、その袖のボタンをとった……
そうなった結果はわかります。
でも、その過程。
兄さんが、いつ、どうやって、あのボタンをとったのか。それがわからない。
あの長居という人の居合いはもの凄い速さでしたが、抜いた瞬間はわかりましたし、その軌道は見えないものじゃありませんでした。
士力を意識しはじめた私でも、その刀の軌跡はなんとかわかりました。
なのに、士力を感じさせない兄さんの動きは、まったく見えませんでした。
いつ、動いたのかすら……
これが、サムライ同士の戦い。
入門したばかりの私では足元にもおよばない、なんて凄い戦いなんでしょう。
上には上がいる。そう思ったんですが、周囲の困惑を見るに、兄さんは異質なのだと悟れました。
兄さんと対峙した長居という人も、その周囲にいる人達も、私の隣にいる亜凛亜さんさえ唖然としています。
それはつまり、達人の集まるサムライ達でさえ、兄さんの動きが見えなかったという意味。
その表情には、畏怖さえふくまれているようにも見えます。
なんということでしょう。私にとって頼りがいのあるカッコいい兄さんは、人知を超えたサムライから見ても、さらに異質な存在だったんです!
士力という自然の法則すら超越する力を操るサムライでさえ、兄さんがそれをいつ、どうやってなしたのか理解出来ていないのですから!!
士力を見せず、サムライを軽く手玉にとって見せた。
兄さんは、下手に刀や士力を使って反撃をすれば、自分が死士に認定されると把握していたのでしょう。
だから、兄さんはそのどちらも使わず、相手を屈服させる方法をとった。
そもそも、兄さんを試そうとするのが間違いなんです。
昔の私と同じで、逆に試され、その上返り討ちにあうのがオチなんですから!
最初に慌ててとめようとしたじゃいかと言われても知りません!
そんな事実ありませんからね!
いいですね?
ただ、兄さんにも予想外が一つあった。
それは、誰もソレに気づかなかったということ。
相手が力試しをしてきたと気づいた兄さんは、同じように相手も試した。
私をゲームで負かす時みたいに、実は負けていたという状況を作り出して。
兄さんはきっと、相手は気づくと思って仕掛けたのでしょう。
私が所属する集団なのだから、コレくらいは気づくだろうと。
でも、それは容易く裏切られた。
兄さんの意図に、誰も気づくことはなかった。
通常兄さんは、自分が試したことを相手には伝えません。
理解出来ない人を相手にするつもりはないから。
だから皆、兄さんを普通と評してしまうんです。
それで勝手に離れていく。
でも、今回は違った。
兄さんはまったく気づかなかったことに落胆しながらも、ボタンをとったことを伝えてあげた。
今回それをしたのは、相手に立場をわからせるため。
兄さんは言った。
『参加はしない。悪いが、俺は(サムライの世界に)興味ないからな。お前がそこまでやる気だから、ついていくだけだ』
と。
兄さんがサムライ衆を避けていたのは、私と家族の安全を守るためだけじゃなかったんです!
兄さんは本当に、サムライ達に興味なんてなかったんです。眼中にもなかったんです!
ここで自分には叶わないという真実を伝えておかないと、次。また次と同じように挑戦してくる者が現われると考えたんでしょう。
今回は、私も、いるから。
だから、あえて種明かしをし、もう二度とこんなくだらないことはするなと、警告してあげたんです……!
それは、自分より圧倒的にレベルの低い者に付き合うつもりはないという意思表示。
まさに、サムライ全体など眼中にないというメッセージ!
兄さんが興味ないと言った理由もよくわかります。
だって、サムライより兄さんの方が強いんですから。
そんな人が、自分より格下の人間しかいない組織に用があるでしょうか?
答えは、否です。
でも、私が気づいてしまったから、興味を持ってしまったからしかたなしに。というわけだったんですね……!
ごめんなさい兄さん。
わがままを言って。
でもでも、この世界は、私達の未来に絶対必要なんですっ!
兄さんはサムライの世界に興味もなく、今の世界で満足しているかもしれないけど、私はこの小さくとも大きな社会が必要なんです!
だから、いつか、必ず兄さんに追いつくから、待ってて!
ぎゅっ……!
肩に痛みが走った。
「っ!」
それは、私の肩を掴み、動きを止めていた第一位の人の手に力が入ったからです。
この反応。
どうやらこの人も、兄さんの動きが見切れなかったようです!
なら、兄さんの方が凄い。
この人だって、兄さんの恐ろしさを理解すれば、余計なちょっかいなんて……
っ!
顔をそちらにむけた瞬間。私は息をのんだ。
にやぁ。
そんな擬音が聞こえてきそうな笑みを、その人は浮かべていました。
「この、私ですら、あれをいつなしたのかわからなかった。こんなの、はじめてだ。素晴らしい。素晴らしいじゃないか……!」
男は、恐怖するでなく、慶んでいるように見えた。
全員が心を折られる中、この人だけは、まるで理想の恋人に出会えたかのような。歓喜と愉悦に打ち震えている。
期待通り。
いえ、期待以上のモノを見て、その存在がいたことを悦んでいる!
その声と表情を見たのはきっと私だけ。
この人自身でさえ、意識しているようには見えませんでした。
ヤバイ。
言葉は悪いですが、そう直感します。
この人と兄さんを戦わせてはいけない。
私は、確信しました。
兄さんを守るためにも、うかうかしてはいられない!
こんな洗礼なんて受けないように、早く兄さんをサムライとして認めさせないといけない!
そう思ったら、体が勝手に動いていました。
その手を跳ね除け駆け出します。
「兄さん!」
唖然とし続ける三人の横を通り抜け、私は兄さんの手を取って受付のところへ急いで戻ってきます。
さらに兄さんと亜凛亜さんの背中を押し、二階へと駆けあがる。
せっかく兄さんが入ると言ってくれたんだから、なんだかんだと理由をつけて断られる前に決定しなくては。
私達がサムライになってしまえば、いくら第一位のあの人といえども無茶は出来ないはずだから!
──七太刀桃覇──
彼の妹が慌ててサムライとなるため走って行った。
どうやら、サムライとなれば味方となり、私とは戦わずにすむと考えたのだろう。
味方ならば今回のようなことはあれども、本気で命の取り合いなどないと思ったからだろう。
それは確かに正しい。
しかし、間違いだ。
サムライとサムライも、本気で戦う舞台は存在している。
私が望むならば、彼をそこに引っ張り出すことは可能だろう。
私は第一刀。このサムライ衆の中で、最も強い男。
その私が望むのだ。
たった一人のサムライをエントリーにねじこむことなど、実に容易い。
彼が九番目の刀の挑発に乗り死士と認定されてもされなくても、結局は同じだったのさ。お嬢さん。
すべては、私の予測どおり。
ただ、唯一の予想外は、彼の『強さ』
士力を使わずあんなことをなせるのだから、本気を出したらどうなってしまうのだろう?
一体その高みは、どこにあるのだろう?
見てみたい。私も知りたい。
ひょっとすると、私より強いのではないか?
だがその強さは、私の望むところ!
ふふっ。ひさしぶりに楽しみになってきたよ。
御前試合の日が来るのが……!
こうしてこの日。新たな二人のサムライが、この世に生まれたのだった……
──ツカサ──
彼方の勢いにおされ、俺達は劇団サムライに入団することになった。
彼方のヤツ、もう父さん達からの許可も貰っていたらしい。
あとは俺達が自分の意思でサインするだけでオッケーな状態になっており、その書類はすでに用意されていた。
なんて用意周到。準備万端なヤツだ。
さすが、我が妹。
どおりですぐ行こうなんて言う訳だ。
このまま入団してさっきの人達と顔をあわせるのはとても気まずいが、それはある意味お互い様。真相を知って恥ずかしいのはあっちも同じだし、俺も恥をかいた。つまりおあいこということで、もう関わらないでいればいい。はず!
ここに入団して演劇の世界に入るというのは彼方の夢。
ならば、俺がちょっと我慢すればいいこと。
まさか続いて彼方にちょっかいをかけてくるなんてことはないだろうし、その時は俺がまた恥をかけばいい!
お兄ちゃんならきっと出来る!
彼方に急かされ、中の文もほとんど読まずさらさらっとサインを終え、俺達はこの劇団サムライの団員となった。
「はい。これで貴方達は正式に私達の仲間。サムライの仲間入りです」
担当した人が俺達の署名と拇印の捺印を見てうなずいた。
……ところで、この担当の人、どっかで見たことある気がするんだけど。
あとちょっと。もうちょっと。この喉元まで出ている気がするんだけど。
どうしても思い出せない。
誰だったかなぁ。
首をひねっていると、彼方が颯爽と立ち上がる。
どうやら今日はもう帰るとのことだった。
詳しい話はまた今度。どうやら、一刻も早くここから去りたいようだった。
まあ、廊下であんなこともあったから、彼方も俺のことを心配してくれたってことなんだろう。
こんな兄を心配してくれるなんて、いい妹を持ったものだ。
俺達は、速攻で二階の会議室らしき場所を出て、この演劇ホールをあとにするのだった。
帰り道。
「うーん」
俺は一人、首をひねっていた。
「どうしたんですか、兄さん?」
そんな俺を、妹が気にかける。
「いや、あの担当してくれた人、どこかで見たことがあると思ってさ」
また首をひねる。
そう。ホールを出てからずっと、俺はそれが気になっていたのだ。
どっかであったことあると思うんだけど、全然思い出せない。
もうちょっとで思い出せそうだから、余計にもどかしい。
「兄さんは、亜凛亜さんとあったことがあるんですか?」
「……っ!」
妹があの担当の人の名を呼んだことで、俺はその人のことを思い出した!
「ああーっ!」
ぽん。と手を叩く。
その名前が彼方から出た瞬間、イノグランドで出会ったアリアさんとさっきの担当の人が重なった!
人種も髪の色も全然違うからまったく気づかなかった。
でも、確かにあの人と同じ雰囲気がある。
特徴だけ取り出して似顔絵にするときっと同じ顔が二つ出来るだろう。
でも、写真にすると全然の別人が映りこむ。
そんな感じだ。
まさに、同一人物。
あの人は、この世界のアリアさんに違いない!
俺はそう確信した。納得した。
あぁ、そういうことか。すっきりすっきり。
「それで、兄さん。どこで?」
「……」
なんか、怖いぞ妹よ。
ジト目で俺を睨んでどうしたんだね?
なんでそんなにお兄ちゃんの知り合いが気になるんです?
どうして急に、機嫌悪くなっているのかね?
説明するのは簡単だ。
だが、素直に異世界で顔をあわせた人の別世界の同一人物だなんて言えるわけもない。
そんなこと言ったらさらにジト目が強くなるだろうし、俺の頭や心が心配されてしまうだろう。
「いや、他人の空似だった。よく似た人がいるもんだな」
本当ではないが嘘ではない。
嘘ではないから、いくら鋭い妹とはいえ、見破ることは出来ないだろう。
慣れている妹になら、このくらいスラスラ口は動くんだけどなぁ。
「そう。ならよかったです」
満面の笑みが返ってきた。
そんなに朗報だったか? 急に機嫌もよくなった気がするし。
ま、いっか。
俺もさっきまで引っかかっていた胸のつかえも解消出来たから、上機嫌になった彼方と一緒にスキップするかのような足取りで帰路につく。
しかし、イノグランドにも俺がいたように、こっちにも同じ人がいるんだな。
となると、リオやマックスもいるのかもしれないな。
まあ、この広い世界でまためぐりあうとか、そんな天文学的な偶然ありえないとは思うけどさ。
……ないよね?
おしまい