第04話 サムライとリオネッタ 前編
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「おい、聞いたか?」
「ああ。ストロング・ボブ一味のことだな?」
食堂で待ち合わせしていた男が到着した直後、その友人は口を開いた。
この街では今、その話題で一杯だった。騎士団さえ簡単に手出しできず、賞金もガンガン上がっていたストロング・ボブ一派が壊滅されたという情報。それは、大きな衝撃とともに各地へ伝えられた。
このヤーズバッハの街は、今その話題で持ちきりである。
当然彼等も、その噂話に興味津々なのであった。
「まさかあのストロング・ボブがやられるなんてな。騎士団だって二の足踏んで手を出せなかったヤツ等だろ? それが辺境の村連合に負けるなんてな」
やれやれと、男は肩をすくめ、席に着いた。
「それがよ、そうでもないらしいぜ」
「ん? どういうことだよ?」
にやりと笑う友人を見て、男はいぶかしむ。
彼等の背後では他にも食事に来た大勢の客の声が木霊している。おかげで友人の声も聞こえづらい。ゆえに彼も身を乗り出し、友人の言葉を待った。
友人はもったいぶるようにしながら、同じように身を乗り出し、男へ耳打ちするようにつぶやいた。
「出たんだよ。サムライが」
一瞬男は目を点にしてしまった。すとんともとの席へと戻る。
「サムライって、あれか? 伝説の」
男の反応が芳しくなかったので、少しぶすっとしながら友人も席に戻る。
「そうだよ。十年前の再来だよ。そいつが力を貸してストロング・ボブを斬り倒したってもっぱらの噂さ。聞いた話だと、一味百人中四十人以上がそのサムライにやられたらしい」
「一人で!? 半数近い数じゃねえかよ。盛りすぎだろ」
友人の言葉に、男もやっと驚きの反応を見せた。やっと望んだ反応が返ってきたと、友人はにやりと笑う。
「それがよ、これでも小さくしているんだぜ」
「は?」
「話じゃ、山を割ったらしいぜ」
「う、嘘つけよ」
「嘘なもんかよ。相手はあの伝説のサムライだぜ。十年前のことを考えりゃやりかねん」
「た、確かに……」
ごくり。男は思わず喉を鳴らした。
ありえん。と思ったが、十年前の伝説を聞くとありえない話じゃないと思った。
「あっ……」
悠々と語っていた友人がいきなり驚いた声を上げた。目を大きく見開き、信じられないようなものでも見たかのように、体をぷるぷると震わせている。いきなりの行動に男も疑問符を浮かべる。
「どうした?」
「う、うしろ」
友人の震える指が、男の後ろを指した。
なんだ? と思いながらも男は肩越しに後ろを振り返る。
その瞬間、男も友人と同じよな反応になった。
こっちは目を見開いて震えるだけじゃなく、ぽかんと口まで開いてしまった。
そこには、食堂に入ってくる二人組があった。
一人は帽子を深くかぶった小柄な少年。そっちはどうでもいい。問題はもう一人の方だった。
もう一人、少しカーブを描いた刃を持つ剣を腰から下げた少年。
男達は、その少年の持つ剣に覚えがあった。あれは、伝説のサムライのみが持つ、刀!
カタカタと友人の方へ振り返ると、彼もガクガクと震えるように酷い状態でうなずいている。
二人は声はでないが、思いは同じだった。
──間違いない。噂のサムライだ!
と。
どうやら気づいたのは彼等だけではなかったらしい。他のテーブルの客達もちらちらと彼等を盗み見ている。
誰もが今話題のサムライのことを話していたところで、その噂の存在が現われたのだから、注目するのも当然だろう。
本物か、それとお噂を聞きつけ名を語る偽者なのか。はたまた昔から名をかたってきた偽物なのか、彼等の興味はそれだけであった。
年は、若い。まだ十代半ばといったところだろう。伝説が語られだしてきた時期より現われたサムライの名をかたる偽物とは違うようだ。ならば、噂を聞きつけなりきった偽者と考えるのが妥当だろう。
サムライの名をかたる偽者は、意外に多い。だが、たいていは名にふさわしくもないまがい物で、今まで本物のサムライが再来したという話はまったく聞かなかった。
こうした状況を省みれば、この食堂に入ってきたアレもまがい物である可能性が高い。というか間違いない。
だからなのか、そのサムライの後ろに座っていたチンピラ風の男達三人組がその背中をにやにやと笑い、動き出した。
一人がテーブルにあった料理の肉切り用のナイフをつかみ、それをサムライと思しき少年の頭にめがけて投げつけたのだ。
ひゅっと小さな風きり音が、ざわめく食堂の中に響く。
いくら食事用で切れ味の悪いナイフだとはいえ、あたればただではすまない。しかも投げたのはほぼ真後ろだ。絶対にそのナイフに気づけるはずがない。
ニヤニヤした男達は当たったあとどうしてやろうかと顔を見合わせた。例え偽者でもサムライを倒したというのは自慢になるし、偽者であるならそれで因縁をつけてこづかいをせびろうという腹なのだろう。
サムライを見ていた男達も、ナイフを投げるそれを見て、因縁をつけられるサムライを気の毒にと思った。しかし、こんな時期にあんな武器を腰にさげてやってきたのだから、あの少年も因縁をつけられてもしかたがないとも感じていた。
ナイフが飛ぶ。そのサムライに向かって。
そこで彼等は、信じられないものを見る。
ぱぁん!
そこに響いたのは、拍手の音だった。
突然鳴り響いたその音に、食堂全体がしんと静まり返る。
いや、それで静まったというのは正しくない。
場が静まり返った理由。それは、あの少年が投げられたナイフにあたると思われた瞬間、すっと頭を動かしかわし、かつ平手で挟むようにそのナイフを白羽取りしてしまったからだ。
その結果、ナイフを挟んだ手がぱぁんとなり、一度の大きな拍手が鳴り響いたのである。
誰もが目が飛び出るほど驚いた。
明らかに見えない位置から放たれた一撃。だというのに、それを相手の位置も見ずにかわし、かつそれを手で挟んで掴み取ってしまったのだ。
誰もが、目の前で実際に起こったことだというのに、一瞬なにが起きたのか理解できなかった。
あまりに信じられない光景で、誰もがぽかんと口を開いてみているしかできない。
それほど不可思議な光景だったのである!
その場で動くのは、そのナイフを受け止めたサムライだけだった。
手にしたナイフをすっと手元によせ、そのナイフへ視線を落とし、飛んできた方向へと視線を向ける。
「ひっ」
投げた男はびくぅと体を震わせる。
その視線にさらされた瞬間、まるで極寒の平原へ裸で投げ出されたような気がしたのだ。その瞳に、なんの感情もうかがえない。怒りも、悲しみも、なんの感情も、目の前にいるサムライから感じ取ることができなかった。それが逆に、男を恐怖させる。
軽い気持ちでちょっかいを出したというのに、その心は後悔で一杯だった。なにせ自分が伝説を証明してしまったのだ。振り返らずに攻撃を察知し、それを受け止められる存在など、伝説のサムライ以外にありえない。
そのサムライへ、自分は喧嘩を売ってしまった。震えるなというのが無理である。噂によれば、サムライの手にかかれば食事用ナイフも岩さえ両断する兵器に変貌するというのだから。
ガタガタと震える男のテーブルのもとへ、サムライは迷うことなくやってきた。そこにはテーブルは一つしかないし、テーブルの上にナイフもないのだから言い訳もできない。
自分の目の前にやってきた少年の姿は、暗黒の世からやってくる死神のように見えた。
自分をじっと見下ろす視線は、死よりも冷たく感じる。
男は隣にいた仲間へ助けを求めるが、両隣にいた二人は完全に他人のフリを決めこんでいた。一人なんか隣のテーブルへ無理やり椅子ごとお邪魔している。明らかにこのテーブルから椅子が減り、ありえない位置に無理やり収まっている頭かくして尻隠さずの移動だったが、それでもそんな精一杯ができるヤツを男はうらやましいと思った。
ぴたりと、自分の目の前にサムライが足をとめる。
サムライは、すっとその食事用ナイフを持ち上げた。
その所作は、とても優雅で、とても冷たい。
(ひいぃぃ!)
そう悲鳴をあげ頭を抱えてうずくまりたかったが、喉さえ恐怖で引きつり、ピクリとも体は動かない。ただ呆然と振り上げられたナイフの行方を見ているしかできなかった。
男はこの後、すとんと自分の胴と頭が泣き別れる未来を想像した。
ひゅっと、サムライがナイフを振り下ろす。
(おれしんだ!)
しかし、想像通りにはならなかった。
「落としましたよ」
サムライはにこりと微笑み、男の前にナイフを置き、きびすを返して席に戻っていった。
それは、誰もが想像していたのとは違う結末だった。
そもそもサムライは、こんな男のことなど眼中にもなかったのである。
サムライにしてみれば、この程度のオイタ、しかりつける必要もない。そんな態度だった。
男はそのまま、ずるずると椅子に沈んでいった。
路傍の石のようなあつかいをされたようなものだったが、怒りなどよりむしろ、助かったという安堵の方が男には大きかったようだ。
無関係を装った二人も、とばっちりが来なくてよかったとほっとしたように席へと戻ってくる。
「……おれ、もう、田舎かえる。トーちゃんのはたけ、手伝う……」
かたかたと震えながら、男はぼそぼそと小さな声を紡いだ。チンピラとしてこの街で粋がってきたが、彼はもう二度と悪さはできないだろう。そんな心の強さ、持ち合わせていない。
席に戻った二人は、そうした方がいいと優しく彼の背中を撫でてやった。
男は両手で顔をおおい、ひぐひぐとしゃくりはじめた。生きててよかったという感謝と、死ぬかと思ったという恐怖がごちゃまぜになった涙である。
「ごわかった。ほんとうに、ごわかった……」
テーブルにつっぷし、男はただひたすらに泣き続けた。
サムライが席に戻り、相席する小柄な少年と何事もなかったかのようにメニューを見はじめた。相席の帽子の少年は非常に居心地が悪そうだが、いまさら逃げるに逃げられないのだろう。平然としているサムライの問いに答えを返している。
そうなったところで、周囲にいた噂好きの客達も現実が飲みこめた。
ざわざわと、場に音が戻ってくる。
「す、すげぇもん見たな、おい」
「ああ。こりゃ噂の尾ひれまでも本物かもしれねぇぜ」
噂話をしていた男と友人も、ちらちらとサムライの方を見ながらうなずきあう。正直言えば、生で見たサムライの妙技は噂以上のものだった。真後ろから放たれた攻撃を見もせずさばいた。まさに伝説の再来である。
これを見た客達は、これはいい土産話ができたといわんばかりににんまりと笑った。
背後からの不意打ちをものともせず、仕掛けた相手を歯牙にもかけぬその余裕は、たちまち街中を駆け抜けた。
こうして、新たなサムライ伝説がまた一つ、生まれたのだった。
ちなみに、当のサムライはざわめく食堂内など気にせず、注目を浴びてばつが悪そうな少年と食事を続けている。
その威風堂々とした姿もまた、人々をひきつけ、噂を盛り上げるのに一役買ったそうな。
──ツカサ──
さて。俺とオーマはあれ(第三話)から一日歩き続けてヤーズバッハって街にやってきた。
一回野宿をすることになったけど、色々大変だった。
食事は幸いカバンの中に点火棒、ガスマッチ、ユーティリティライターなんて呼ばれるグリップのついた長い柄のライターと塩、コショウがカバンに入っていたので、懐に忍ばせてある釣り糸とあわせて川で釣りをすることにより満たせたので困らなかったけど、野ざらしの寝床はちと厳しかった。
でもまあ、楽しいサバイバルだと思うことにして楽しみ、朝目がさめたらまた歩いて、空が少し曇りはじめて日がほぼ真上にやってくるようなころにやっとこさ街に到着した。馬とか馬車とか利用できればもっと早くついたのだろうけど、まあそれはしかたがない。
しかし、学校の行き帰りに歩くことを考慮して悪路も走破できるトレッキングシューズを選択しておいてよかったぜおかげであれだけ歩いてもまだ足は軽い。いい靴を選んだ自分と健脚に生んでくれた母に感謝だな。
俺達は今、街の入り口である門の前にいる。
この前の村とは違い、ここは大きな門があって、レンガ造りの壁に囲まれた、実に大きな街だった。馬車や通行人が行き来し、誰も彼もがファンタジーな格好をしている。制服ブレザーを着ていて刀を腰に差している俺は実に場違いな格好である。もっとも、俺を気にしている人なんてそういないだろうけど。
「ともかく、オーマ、一ついいか?」
『おう。なんだ相棒』
今疲れが少ない。というのはこうして話相手がいるというのも大きいだろう。それに、闇雲に歩くのではなく、オーマがナビをしてくれるというのも精神的にありがたい。あてもない旅ではなく目的を持って動けるのだから。
それはともかく、今俺が聞くのは、人間社会で生きる上で最大の問題……
「お前、お金持ってないよな?」
『刀のおれっちがもってるわけねーって』
「だよなー」
小さくため息をついた。
そう。最大の問題。お金がないのだ。一応財布はあるけど、その中身は元の世界。地球にある日本の円だ。これが異世界で使えるはずなんてない。珍品として売れるかもしれないけど、そのためにはまずそれを買ってくれるところを探さなきゃいけないが、まったく知らない世界でそれを探すすべもないときたもんだ。
せっかく文明的な取引のできそうな街についたというのに、食事もままならないとは実に世知辛いものである。
『(ったく。そんならあれの賞金がもらえるように話つけてくりゃよかったのによ。まあ、そうしないのが相棒のいいところか)』
『つーか相棒。金が欲しけりゃ売るモンあるだろ?』
俺が世知辛いと思っていると、オーマがなにか心当たりがあるようなことを言い出した。
なんかすっごい自慢げな声である。
「なにかあるか?」
『あるさ。そりゃ、腕だよ。腕! 用心棒をやりゃいく……』
「却下」
言い終わる前に却下しておいた。
んな方法できるわけねーだろ。むしろ俺が誰かに用心棒頼みたいレベルだってのに!
『そーかい。ならしゃーねーな』
「ああしゃーない」
『(腕を安売りしないし金じゃ動かねぇ。か。相棒が剣を振るうのは金のためなんかじゃねえってよくわかる答えだぜ。それでこそおれっちの相棒だ!)』
なんかうなずいているみたいにオーマがカタカタ動いていたけど、声に出さなきゃなに言ってるのかさっぱりなのでひとまず放置しておいた。
「まあ、ひとまず当面の目標は今後の路銀を手に入れるってことになるかな」
帰るために必要な西の果てに行くためにも食料とか色々必要だからな。
『そうだな。さすがに相棒は飲まず食わずってわけにはいかねぇからなぁ』
刀は睡眠さえあればいいらしいからそれはそれでうらやましいな。自分では動けないみたいだからそれをあわせるとうらやましくないけど。
いつまでも門の前でぼーっと時間を潰していてもしかたがないので、人の流れに乗って街の中へと入っていく。
「おおー」
街に入ると思わず感嘆の声を上げてしまった。
レンガ造りの家が並び、中世の服装をした人達があっちへこっちへと歩いている。まるで映画のような世界が俺の前に広がっていた。
こういうのを見ると、やっぱり異世界へ来てしまったんだなぁ。とどこか感慨深いものを感じてしまう。
がやがやと人ごみが流れる中、俺も流されるようにして進んでゆく。
大通りの店先にはその店を現した看板のようなものが釣り下がっているが、それを見ても文字が読めないので何屋なのかさっぱりとわからなかった。話し言葉はオーマを持っていればわかるようになるのだけど、書き言葉は翻訳されないようで、見てもさっぱりわからない。残念である。
一応武器とかわかりやすい記号のシンボルがかかげてあったり、窓から店をのぞきこめばその店の内容もわからないでもない。でもたまに窓から中を見てもさっぱりわからないものがあった。
大通りの端っこにあった人気の少ないお店。窓から中を見ても、なにやらおどろおどろしい雰囲気が感じとれながらも宝石っぽいものやなにやら骨っぽいものが見えた。
「ここ、なんじゃろ」
『あー、ここは魔法道具屋だな。魔法で使う触媒やそれに必要な道具を売ってるとこさ。相棒にはあんま関係ねー場所だ』
「ああ、そういう」
そりゃ知るわけねーわ。元の世界にだって魔法の道具屋なんてあるわけねーもん。
わからないことはオーマが教えてくれることもある。こいつもなんでも知っているってわけでもないから、聞いても『わかんねー』と返されることもよくあるが。
魔法道具屋とかかなり興味ある。関係ないからこそ見てみたい。なんて思うが、今の状況だと完全にひやかしでしかないので金が入ってからまた来ようと思いながら、魔法の道具屋の窓から離れ歩き出したその時。
どんっ。
と、大き目の帽子をすっぽりかぶった小柄な少年とぶつかった。
「おっとごめんよにーちゃん」
「ああ」
年齢は俺の二つ三つ下だろうか。少年は声変わりもしていない高い声で元気に謝り、俺は走り去るその子へ声を返す。同時に、財布から伸びた糸に手をかけ、思いっきり引っ張った。
「うわぁ!」
さっきぶつかった帽子の少年が驚いたような声を上げ、その子の手から俺の財布が飛び出してきた。
宙を舞い、戻って来たそれを俺はキャッチする。
くっくっく。甘い! 俺の財布には紛失防止のために釣り糸がついていて盗難防止にも一役かっているのだ! ついでにお金は二つに分けてもう一つはカバンのそこに沈めてあるし、札用と小銭用でも別にしてある! さらに靴下のしたにも秘密領域が用意してあってジャンプしてもチャリチャリならない対策もしてあったりするから、我が財布保護計画は完璧なのだ!
こうして日常的に備えているからこそ、いざ財布を見失ってもうろたえない!
うーん。こういうハプニングは中学の修学旅行を思い出すなー。
ちなみにこれが、俺の懐に釣り糸が入っていた理由である。
「な、なんだ今の! 財布がひとりでに!」
突然手元から飛び出した財布を見て少年がびっくらこいてるぜ。どうやら細い釣り糸は目に入らなかったようだな。
手元から消えた財布を捜し、地面へ視線を向けてオロオロしている隙に、俺は彼の襟首をつかんだ。
「かーくほ」
「うわっ、くそっ、はなせ! はなせよ!」
俺の手を振りほどこうとじたばたするが、ちょうど真後ろからつかんでいるので相手の手も俺には届かない。小柄でパワーも少ないから、平均的な身長でしかない俺のパワーでも逃がさないようつかんでいることができた。
「さて、どうするか」
『いっそたたっ斬っちまうってのはどーよ相棒』
「さすがにそれはやりすぎだろ……」
選択肢としては、素直にこの街の警察権力に突き出すというのが考えられる。ただ、どこに突き出せばいいのかわからない。というのがこの街、いや、この異世界初心者の俺に発生する問題だが。
他に選択肢は、面倒だから逃がす。というのもある。
さて、どうするか。
「ま、待って! 待ってくれよにーちゃん! おいらが、おいらが悪かった。だから衛兵に突き出すのだけは勘弁してくれ!」
俺の雰囲気を察したのか、帽子の少年はわたわたと謝りはじめた。
『でもよ、叩き斬らねーなら悪党を突き出すのは当然のことだぜ』
「待って、待ってくれ! なんでも言うこと聞くから、それだけはやめてくれ。お願いだ!」
「ん? なんでも?」
少年の言葉に俺の耳がピクリと動いた。
なんでもやるってのなら、ぜひやってもらいたいことがある。
「な、なんでもって言ってもできないことは無理だからな! 死ねとか、自首しろとか!」
また俺の雰囲気を察したのか、わたわたと条件をつけてきた。
それなら問題ない。俺が考えているのはそんなたいそうなことじゃないからな。
「大丈夫大丈夫。たいしたことじゃない。手を放すけど、逃げたきゃ逃げていいぞ」
「むっ……」
俺が手を放すと、少年はむっとしたままこっちを振り返った。
たいしたこともできずに逃げると思ったんだろう。いわば、俺の挑発に乗ってきた。俺には珍しく、うまく口が回ったもんだ。
「で、おいらはなにをすりゃいいんだい?」
むすーっと口を結び、腕を組んで俺をじろりとにらみつけた。
相手の身長百五十センチくらい。そんな子に睨まれても怖くはない。大人じゃ怖いけど、悪いことして捕まえた年下になら強気に出れるからな!
「……って、一人? もう一人いなかった?」
俺の姿を見て、少年は首をひねった。
ああそうか。襟首つかんで背中ごしに会話していたからオーマのことわかっていないのか。
『それはおれっちだ』
「おれっち?」
突然声が響いてきたから、少年はきょろきょろとあたりを見回す。
『ここだここ』
「え?」
声のした方向。俺の腰にささっているオーマを見る。
『おれっちだ』
「うわぁ、剣がしゃべった!」
『うっひっひ。驚いたか。おれっちはこのツカサの相棒、オーマ様よ!』
「イ、インテリジェンスソードか。おいらはじめてみたよ」
目を白黒させながら、少年はオーマを凝視している。
いくら魔法のある異世界でも、やっぱしゃべる剣というのはそうそうあるもんじゃないんだな。
『で、お前は?』
「え?」
『おめーの名前だよ。名前。こっちは自己紹介したんだ。そっちも名乗るのが礼儀ってもんだろ』
おっと、そうだった。確かにこの少年の名前、知らない。
「そうだね。おいらの名前はリオ。リオって呼んでくれりゃいいよ」
「わかった。リオ」
俺とリオは視線をあわせ、一度うなずきあった。
「で、おいらになにをさせる気なんだい?」
「ああ。実は俺達、金がないんだよ」
「……は?」
あ、オーマから視線をはずして俺を見た少年が、固まった。
「俺達今日ここにはじめてきてさ。これからの食事にも困っているんだ」
「あんた金ねーの!?」
今度は一転びっくりして大声をあげた。
そりゃまあ、スリのターゲットに金がないと言われりゃそりゃ驚くか。
「はっはっは」
『はっはっは』
「笑いごとかよ!」
俺達の笑いに、帽子の少年がツッコミを入れてきた。
「って、まさか、おいらから金をむしりとろうってハラか!?」
マジで!? と言ったような表情を浮かべる。
「いやいや、さすがに俺もそんな外道じゃないよ」
『……いや、意外にいい手だと思うぜ。こんなガキでもメシ代くらいは持ってるだろ』
オーマが無慈悲なことをおっしゃっておる。確かにいい手だけど、こんな小さい子から昼飯をたかるなんて、そもそもプライドが……
「って、ん?」
くるくる表情の変わる少年を見て、俺は思わずその顔をじっと見てしまった。
柔らかい輪郭に、長いまつげ。大きな帽子で髪の毛は隠れているけど、多分金色。金髪碧眼というやつだろう。こいつ、顔を間近で見ると……
「な、なんだよ?」
「いや、なんでもない」
お前、本当に男か? とか聞こうかと思ったけど、機嫌を損ねるのはまずいと思い、言い濁した。
「金が欲しいのは事実だけど、君から金をしぼるようなことはしないさ。やって欲しいことは、街の案内と、物を買い取ってくれるようなところがあるなら教えて欲しいんだ」
この国の金は持っていないが、地球から持ってきたいろんなアイテムがカバンの中に入っている。昨日野宿で使った柄つきライターなんてこの利便性を前に出せばかなりの高値で売れるだろうし、釣り糸もうまくすれば値がつく気がする。それ以外にもカバンの中にはいろんなものが入っているから、うまくこの国の金にできないかと思ったわけだ。
「ああ、そういうことか。確かににーちゃんこのあたりじゃ見たことないかっこうしているもんな」
まじまじと俺を見て、少年は大きくうなずいた。
少年の方はぶかっとしたズボンに上着に帽子という中世風の格好で、俺は高校の制服であるブレザーという現代のいでたちだから、見たことなくて当然だろう。
「わかった。そういうことならお安い御用さ。あんたらはついてるよ。この街はおいらの庭みたいなもんだからな!」
えっへんと、少年は胸を張った。
「それは心強い」
「ただし、仲介するんなら分け前はちゃんともらうぜ!」
『馬鹿言うんじゃねえよ。分け前どころかこれで済ます相棒にもっと感謝しろや!』
「あんたこそバカ言うんじゃないよ! おいらには死活問題なんだから!」
「……そうだな。売り上げの半分やるよ」
「ちょっ、半分!?」
『ちょっ、半分!?』
二人が同時に驚いた。
『相棒、やりすぎだろ。せいぜい七三の三がいいとこだ! 二でもいいくらいだぜ』
「お、おいらだってそんなに取り分貰えるなら嬉しいけど、いいのかい?」
や、やべえ。カッコつけすぎたか。ボンボン育ちなのがバレちまう。でも、ここでひくのもしゃくだ!
「ただし、もうスリはやめろ」
「なっ!?」
絶句した。くくっ。今考えた言い訳だったが、中々いい言い訳じゃないか! 絶対に飲めないような条件だからな!
「そんなの約束できるわけねーだろ! その金がなくなったらおいらどうやって生きていけってのさ! そもそもいくら入ってくるかもわからねーってのに!」
まったく持ってそのとおりだ。
俺が心の中でうなずいていると、オーマの方が少年にかみついた。
『けっ。相棒はまっとうに働けって言ってんだよ』
「こんなガキまともに雇ってくれるとこなんてねーよ!」
『んなわけねーだろうが。里には十に満たずともしっかり奉公してる子が多い! どんなに自分が不幸だからってな、スリをやっていい道理なんてねーぞ!』
「ぐっ……!」
オーマの正論が決まった! 少年に大ダメージ!
とはいえ、それをここで論じても仕方がない。なんせスリをするなってのは分け前半分を反故にさせるため言いつくろったヤツなんだから。あんまり正論言われると、俺が逆にダメージ受けるから。
「まあ、分け前、約束に関しては出来高を見てからにしよう。ひょっとすると二束三文にしかならないかもしれないし」
「あー、確かにそうだね。売るものがガラクタじゃ分け前もなんにもねえや。つーか、そのインテリジェンスソード売りゃぁいいんじゃないかな。魔法の品物は貴重だから、売れば向こう十年。いや、二十年くらい遊んで暮らせるぜ。おいらにまかせりゃその二割り増しで遊べる値段で売ってきてやるよ?」
さっき言いあいしたオーマを見てにししと笑う。
やっぱりしゃべる剣とか魔法のような代物は高値で売れるのか。
『ちょっ、なに言ってやがるんだてめぇ!』
「そんなに高いのか?」
『あいぼぉ!?』
思わず身を乗り出してしまった俺に、オーマは悲鳴のような声を上げた。
「冗談だよ冗談。お前はどんなに金を詰まれても売らないさ。お前がいないと困るからな」
対話的な意味で。オーマがいないとこの世界で会話すらままならないんだから、日々の生活にすら困る。
すまないすまないと、軽く柄を撫でる。イメージとしては頭を撫でているつもりだ。
『だよなあ。安心したぜ』
「ま、だろうね。売る気があるならもうそこの店に入って売り払ってるだろうし」
俺達の目の前にはその魔法の品物をあつかうお店がある。オーマを売り払う気なら、リオを通さずそこへ行けば済む話だからだ。
リオがこの話をしたのも、オーマへの仕返しからだろう。
「で、なにを売りたいんだい? 売るものによって案内するところも違うからよ」
「ああ。まずはこいつさ……」
と、俺は懐にしまった財布をもう一度取り出した。
口で説明してもよかったが、現物を見せた方が早いと感じたからだ。
決して俺が口下手で説明するのが苦手ってわけじゃない。見せた方が早いと判断したからだ!
「財布? 金はないんじゃないの?」
「ああ。ないよ。この国のはね」
そう言いながら俺は財布を開き、中から硬貨を取り出す。
出てきたのは、百円玉と十円玉。銀と茶色に輝くコインをリオにかざした。
今この場で一番必要のないもの。それが元の世界の金だった。ライターやら釣り糸はまだまだ使い道があるけど、これは今の段階では使えない。物々交換に使うにしても、この価値がどれくらいあるのかわからなくては交渉にもならないわけだ。
だから、この世界の通貨や価値を知っているリオにこれがどれくらいの価値があるのか確かめようと俺は考えたのである。
「これって、銀貨に銅貨?」
「そっ。純銀とかじゃないけどね」
俺の手にある二枚をまじまじと見るリオに答えを返す。あれ? そもそも百円玉の材質って今銀だっけ? 頭を捻るけど、記憶の棚をどれだけあさろうとも答えは出てこなかった。
──ちなみに、日本の百円玉の材質は西暦1967年から材質は銅が75%、ニッケル25%に白銅をはったものに変わっている。それ以前には銀を使用していたが、いろいろあって変わったようだ。
十円玉は銅95%なので、こちらはほぼ純銅と思ってもいい。
「……純銀とか、それ以前の問題だよ」
コインを見ながら、リオは肩をプルプルと震わせた。
ありゃ。やっぱこの大きさじゃ売り物にならないか? 銅とかやっぱりあんまり価値ないのか……
残念。とため息をつこうとしたすると。
「こんな大きさのコインの中に、こんな緻密な細工がはいっているなんて、にーちゃんのいた国、一体どんなところなんだい? こんなの、どこかの大神殿に行かないと、いや、行っても見られないよ!」
へ? そ、そうなの? 俺材質のことしかか考えてなかったけど、冷静に考えてみれば、ほぼ真円を描いた直径二センチほどのサイズに平等院鳳凰堂とか桜とか描かれているんだもん、中世の文明レベルじゃとてつもない工芸品になるよな。
てことはつまり……?
「おいらに任せてもらえれば、半年暮らせるような金を作ってみせるよ!」
「おお、そいつは心強い」
『ほおー。里の金、いつの間にかそんなにすげぇ装飾が入ったのかー。職人がんばったんだなー』
オーマがそんなことを言っているが、そもそもお前の知ってる里と俺のいた地球。たぶん違うぞ。
言っても信じてくれなさそうだから言わないけど。説明がうまくできないかもしれない。口が回らないかも。なんて思ってないからね! あくまで信じてもらえないだろうからいわないだけで!
「それで、あるのはこの二枚だけかい? 数が少ない方が希少性はあがるけど、これならあるだけ売れるだろうからあるだけ出してよ!」
リオの目がキラキラ輝いている。売れるとわかったから、全力で行く気だなこの子。
こっちも小銭なんて持っていてもこの世界で使う機会はないから、あるだけ換金してもらうとしよう。
『おいおい相棒、いいのかよ』
「いいからいいから」
オーマが心配するように声をかけてくるけど、俺は深く考えずに財布をあさった。
財布をあさると、百円玉が一枚、十円玉が二枚出てきた。先に出したのとあわせて、百円玉が二枚で十円玉が三枚になる。
ああそれと一円玉が……
「隙ありっ!」
そんな声とともに、リオが突然半歩前に出て、ぱんっ。と財布をあさる手を下から叩かれた。
衝撃に財布が揺れ、開いた口の中から小銭がすぽーんと飛び出す。
見事に宙を舞う、百二十二円。
あっ。
思うだけで、俺はなにもできなかった。
その隙にリオは宙に舞った十円玉と百円玉を空中でかき集め、ものすごい勢いで逃げていった。
その手さばきはまるで舞い落ちる木の葉を掴み取るボクサーのようだ。
残されるのは見向きもされなかった一円玉と俺達。
「見事なお手前で」
思わずうなずいてしまった。
空中にばらまかれた小銭を一気にかきあつめるなんて、ボクシングの才能あるんじゃないかあの子。
そんな全然関係ないことさえ考えてしまう。
『ああ、確かになかなかだ……って、感心している場合かよ相棒! だから言ったじゃねーか!』
「大丈夫。気にするなよ。こっちには元々小銭は多く入っていない。小銭のメインはこっちだから」
そう言いながら、俺は歩くのに邪魔でカバンに入れておいた小銭いれのがま口財布を取り出して見せた。
「こっちにはさっきの何倍の小銭が入ってるからさ」
『そ、そうなのか!』
「ああ」
そう言いながら、がま口財布をふった。おつりが出るたびにこっちにいれるので、意外にぱんぱんになっていて、じゃらりともならなかった。ああそっか思い出した。だから札や定期がメインの札入れ側に小銭が入ってたのか。
さっきも言ったが、俺はお金に関して盗難対策はいろいろしている。その中で札や会員カードなんかをメインに入れる財布と、ジュースなんかを買う時に使う小銭オンリーの財布がある。
懐に入れていたのは、盗まれたり落としたりすると大変困るお札用であり、さっきの二百三十円はその中に入っていたものだ。
当然、小銭メインは別にあり、そっちにはそれとは比較にならない小銭がじゃらじゃらと入ったままなのである!
「それに、こうして盗まれたってことは、あの子の話は本当ということ。あれをとって逃げるってことは価値が十分にあるという証だ」
『そ、そうか。そうすることこそ、芸術品としての価値があるってぇ証明! そいつを確認したってのか! さすが相棒だぜ!』
「そういうことさ」
そう説明しながら、落ちた一円玉の一枚を拾う。
オーマが感心している。
そう。これは計算どおりなのだ。だから、決して負け惜しみや悔しくないと強がっているわけではない。あくまで計算どおり。余裕なのだ!
余裕だからあげたと納得する。じゃないと素直に渡してしまった俺が完全に間抜けになっちゃうからだ!
……今度からオーマの忠告もちゃんと耳を傾けることにしよう。
ともかく、これらの硬貨が金として以上に芸術品としての価値があるとわかっただけでも大きな収穫だ。うまくすれば十円で百円くらいの金が手に入るかもしれない。
なんて取らぬ狸の皮算用のソロバンをはじきながら心の中でぐへへと笑い、落ちたもう一枚を追う。それはきれいに縦になって落ちて石畳をはね転がり、さっきの魔法道具屋の入り口の方へとむかい、店に入ろうとしていた人の足にぶつかってしまった。
こつんとつま先にぶつかり、一円玉は一方の面を上にしてくるくると回りはじめた。その人は石畳の上で跳ね回るそれへ視線を向けた。とはいえ、その人はローブを頭からすっぽりとかぶり、顔はおろか性別もわからない。ただ雰囲気的に下をみただろうと感じただけだ。
「あ、すみません」
俺は反射的に謝ってしまった。
ローブの頭部分が少し動き、俺へ視線を移したその人は一円玉を拾い上げる。
「君のか?」
その声は、男とも女とも、老人とも若者ともどちらとも言えない不思議な声だった。魔法屋にくるんだからこの人は魔法使いなんだろうか? 魔法使いってのはこんな怪しくないと勤まらないんだろうか? なんてのが頭の中に流れたが、それを頭の中から吹き飛ばすように、俺はこくこくとうなずいた。
「そうかい。落とすんじゃ……」
と、俺の方に手を伸ばしたところで、その人の動きがとまった。
「……こ、これは!」
手のひらを広げた俺に渡すでなく、手首を返し、一円玉を凝視しはじめる。ローブに顔が隠れたままだから目は見えないんだけど、雰囲気的に。
ああそうか。この人も一円玉の造形が気になったのね。一円玉だからって、綺麗な円を描いているし。
「なら、いります?」
「よ、よいのかね!?」
ぐわっと俺の方へよってくるが、顔が近づいているというのにローブの中に顔は見えなかった。ぽっかりとあいた暗い穴のようで、そこにあるのは闇だけだ。でも、ぎらぎらとした視線だけがそこから感じられる。
こいつはすごいな。なので、ちょっと罪悪感を感じながらも、俺は続けて提案することにした。
「さすがに、無料というわけにはいきませんが……」
ちょっと心の中で苦笑する。なんとあくどい。一円玉を売りつけるなんて、元いた日本じゃ考えられない話だ。
「そうか。そうだな。その通りだ!」
ローブの人は納得したようにうなずき、ごそごそとローブの袖に手をつっこんで中をまさぐりはじめた。
おお、これは、一円が一円以上になりそうな予感……!
「では、一枚二十万ゴルドで買おう。その手にあるのも一緒に譲ってはもらえないかな?」
へっ?
俺は一瞬、いや、一瞬どころじゃなく、マジで呆気にとられてしまった。
に、二十、万? 一枚二十万てすごいんじゃね? い、いやでも、数はすごいがここではすごいインフレしていてパン一個が十万とかするかも……ま、まあ、数があるだけあった方がいいのは間違いない!
「くっ、やはり安すぎたか! ならば一枚五十万! 合計百万ならどうだ!」
「う、売ったー!」
もう即決だった。その数字にどれくらいの価値があるのかわからないけど、百万という数字には夢がある。
俺は二枚、百万で即決してしまった。
だって百万だよ。百万。百という数字にはロマンがつまっているからしかたないね。うん。ちかたない。
俺は1万ゴルド硬貨という金貨がずっしりつまった重い皮袋をもらい、代わりに二円を手渡した。
交渉成立である。
「いやあ、いい買い物をした。この輝き、この軽さ! いったいどのような製法で作られればこんな素材ができるのだろう。こんな触媒、見たことない。実にすばらしい金属だ。これで私は、新たな地平へ立つことになるだろう……!」
くくくと、一円玉を曇った空へかかげ笑う。
こっちが食いついたのは造形じゃなく素材の方だったー!
そういえば、一円玉の素材はアルミニウム100%。これって確か天然では化合物の形で存在しているから、単体での産出はめったにない金属だったはず。アルミがアルミとして生成できるようになったのは科学技術が発達した近代で、量産が可能になったのは電気が主軸となった現代だったと習った覚えがある。
つまり、中世世界じゃ純アルミニウムって金属はまったく未知の金属ってことになる!
ファンタジー世界で生成できないとは言い切れないけど、この反応から見てここじゃとんでもなく珍しい金属なんだ。
現代と異世界の価値観の違いに、俺は思わずほえーっと声を上げてしまった。
「くくっ、楽しみだ。本当にいい買い物をしたよ! では、また会おうか。サムライ君」
「あ、はい。また」
ひらひらと手を振るローブの人。たぶん魔法使いが手を振り、ほくほくした顔でスキップしながら帰っていった。
俺の方も金がなくて今日の夕食はどうしようかなんて悩んでいたくらいだというのに、街に来ていきなり百万なんて金が得られてホクホクがとまらない。まさかパン一枚で十万とかいう話はないだろう。このずっしりと重い皮袋なのだ。きっと価値があるに違いない。
なにより、一円玉がこんな重さの金に化けるなんて思わなかった!
「いやー。これはリオの方にも感謝しないといけないかもな……」
『なに言ってんでぇ相棒。そりゃ結果オーライだったかもしれねーけど、あいつは相棒の金を盗んで行ったんだぞ!』
「っと、悪い。予想外の収入で心が広くなっちゃったよ。確かにオーマの言うとおりでもある」
でも、もう正直二百数十円のことなんてどうでもいい。
だってこっちには一円玉はそれこそ売るほど残っているんだから!
ああ、お金を持つと余裕が生まれるっていうのは本当だったんだな。百万円。もといゴルドだっけ。そんなに持っているんだもん、なんかもう無敵な気分だよ!
むしろリオの頭をなでくりまわしてよしよしよくやったと褒めてやりたい気分だ!
俺も皮袋をカバンにしまい、スキップしながら街中へと歩きはじめた。
さーて、まずはメシにしようかー。
……と、歩き出したのはよかったものの。
「……ここ、どこだ?」
『いや、おれっちに言われてもなぁ』
不慣れな街でさらに文字も読めないときたもんだから、完全に道に迷ってしまった。
道を聞こうにも道は広いのに人影はないという見事な状況で聞くに聞けない状況なのだった。
『おっ』
腰のオーマが突然声を上げた。
「どした?」
『近くにさっきの小僧がいるぜ。反応があった』
「どゆこと?」
『へっへっへ。実はおれっちは一度会ったヤツならどこにいるかサーチできるのさ』
おお、そいつはすごい! ナビ機能といい、お前は旅に必要な機能満載だな!
まあ、食べ物屋へのナビはできなかったけど。
そりゃまあ、人のいる方向や危険な生物のいないところとかそういうナビの方法だから、食堂の場所なんてわからないのだろうけど。
『ただよ、一個いいか相棒』
「なんだ?」
まさか、相手の髪の毛とか持ち物とか、サーチするのになにかが必要だったりするのか? 魔法的に!
『いや、おれっち刀なのに、なんでこんな機能ばっかりついてんだろうな……』
ナビ機能とか、会った人サーチ機能とか……
「……」
『……』
「べ、便利だから、いいんじゃないかな?」
俺は、これしか言ってあげることはできなかった。正直ビームを出せるより便利だと思う。俺的に。
『そ、そうか。相棒が便利って言ってくれるならいいとしよう! そうだよな。相棒にはむしろビームとか必要ねーもんな!』
……ごめん、正直ビーム撃てる刀なら、そっちの方が欲しいかもしれない。でも、大人な俺は口には出さないのだった。
『ちょうどいいな。金を取り戻そうぜ!』
「そーだな」
ついでに食堂も案内してもらおう。
機嫌を直したオーマに居場所を聞き、道のカドを曲がったところにいるというので俺はそっちへと向かった。
「……!」
「っ!」
なにか話し声が曲がり角の先から響いているのがわかる。
「こいつはなんだ!」
「そいつは拾ったんだって!」
壁から顔だけ出してみると、そこには俺の落とした硬貨を手にしてリオにつめよる男と、あわあわと言い訳しているリオの姿があった。
男の姿はどこか兵士のようで、兜のようなヘルメットをかぶり、腰には剣を帯びている。
『ありゃあ衛兵だな』
リオにつめよる男を見た(?)オーマがそう説明してくれた。
衛兵。つまり、この街の警察官か。
「こんな物見たこともない! お前またどこかから盗んだんだろう!」
「またってなんでえ! 何度聞かれても拾ったんだ! ウソじゃない!」
「ウソつけ! こんな珍品どこに落ちている! どこかの行商人から盗んだんだろう! 魔法使いを呼んできて真偽を試す魔法を使ってもらってもいいんだぞ!」
「へ、へん。そんな金のかかることやれるもんならやってみろ! それってあんたの自腹なんだろ!」
「ぐっ、い、いいだろう! これでウソなら罪がさらに重くなるのだからな!」
「ぐっ……!」
衛兵の言葉に、リオは苦い顔を浮かべた。分が悪いのがどちらかと言えば、間違いなくリオの方だろう。
『ま、自業自得ってヤツだな』
オーマがはぁとため息をついた。
まあ、確かにそのとおりだ。そのとおりだとしか言いようがない。ちょっと前の俺ならオーマの意見に同意してぷげらと笑っていただろう。だが、今の俺は機嫌がとってもよかった。
だから、こんな余裕な行動もとれてしまう。
口元が緩むのをなんとかおさえながら、俺は姿を現す。
「まってくださいおまわりさん」
そういえば、俺の言葉もこの場合はオーマによって翻訳されているんだろうか? おまわりさんと言うと相手には衛兵さんと聞こえているんだろうか? なんて関係ないことを思いつつ、衛兵さんに声をかけた。
「ん? なんだ貴様は」
いい気分でいびっていたのを邪魔されたのか、ちょっと不機嫌そうに振り返ったけど、俺を見た瞬間ぎょっとしたような表情を見せた。
いかん。あんまり余裕がありすぎて頬が緩むのを抑え切れなかったか? にやにやした顔がすごかったか? いかんいかんと、俺は顔を引き締める。
「な、なんのようだ?」
「はい。その少年の持つコイン。それ、俺のなんです。さっき落としてしまいましてね」
「な、に?」
本当だったのか。というように目を大きく見開いた。
衛兵さんが背中を向けているリオの方もえ? と俺のフォローに驚きの顔が広がっている。
くくっ。逆に鼻を明かしたようで気分がいいぜ。
「お、お前がそれを落としたという証はあるというのか!? ないなら……」
「ありますよ。証拠にほら、同じコインを持っています。それ、俺の国の硬貨なんですよ。同じものを持っている人なんて他にいません。それが証拠になりませんか?」
相手の言葉にかぶせるよう小銭入れから百円と十円を取り出し、ずいっと顔の前に突き出した。
どちらもこの世界にはないはずのもの。それを他に持っているという人がいるのなら、むしろ会いたいところだ。
「ぬっ……」
『そうだぜ。おれっちもそのとおりだと言ってやるぜ!』
オーマが空気を呼んでフォローしてくれた。
オーマの声を聞いた衛兵さんは、さらにぎょっとする。
「イ、インテリジェンスソード! それにその形、ま、まさかお前……!」
『ああそうさ! あんたの想像通りだよ!』
「なんてこった。そ、それなら早く言ってくださいよ。こいつはすみません」
どうやら納得してくれたようだ。ぺこぺこと焦ったように頭を下げてくれた。こんなに素直に納得してくれるなんて、この人はいい人だな!
「ほら、落とし主が現れたぞ、返せ!」
「……」
むすーっとしながら、リオはさっきとって行った二百三十円を俺に手渡した。
「確かに。それじゃあ、これは拾ってくれた礼だ」
と、俺はリオの手をとり、渡された五枚の硬貨をその手に握り返させた。
「え?」
「なっ!?」
リオも衛兵さんもその行動に飛び上がらんほど驚いた。
「俺が証明したかったのは拾ったことにウソはないってことだから。おまわりさんも、これなら文句はないでしょう?」
「あ、ああ。これならば、文句はない。お前も、運がよかったな!」
ふん。と衛兵さんは鼻を鳴らし、この場から早足で去っていった。
残されるのは、俺達と硬貨を手に乗せて唖然としているリオ。
「なっ、なっ……?」
リオが震える喉からなんとか声を絞り出す。なんでこんなことになっているんだという、混乱した表情だ。
くっくっく。そう。その顔が見たかった。一度やられた溜飲がさがる思いだぜ!
「なんでだ……! い、いったいなんのつもりだ! なんでおいらを助けた!」
『確かにそうだぜ相棒。あのままにしおけばこいつは衛兵に連れて行かれたし、声をかけても金は返しちまうなんて、意味わからねぇぜ』
ふむ。なぜって、今懐が暖かいから余裕を見せただけなんだよな。
でも、それを素直に言っても面白くない。
くー。
たぶん実際にはなっていないだろうが、腹の虫がないたような気がした。
そういえば腹を満たすため食堂を探している途中だった。
そして、助けて食堂に案内させようというのが目的だった!
「よし、メシに行こうぜ!」
「は?」
『はあぁぁ!?』
いかん。頭の中でいろいろ考えていたけど、結論だけ口に出てしまった。
「さっき約束しただろう? 街を案内してくれって。だから、食堂に連れて行ってくれ。そのために助けたんだよ」
「な、なんだよ。つまりおいらにたかるってことかよ!」
あ、そういや金が入ったって知らなかったんだっけか。ならあとでおごってやると言っても面白いな! ならしばらくは誤解させておこう。
俺はにやりと笑い。
「よし。わかったのならすぐに行こう。さあ行こう」
リオの肩を持ちくるりと回転させ、その背中をぐいぐいと押して前に進ませる。
「ちょっ、なんでだ。というかそっちに食堂なんてねーよ!」
「あ、そう。じゃあこっちか?」
「だから押すなー! わかった。わかったよ。案内してやるから!」
「ならばよろしい。お勧めがあればそこで頼むぞー」
どっか呆れたようにため息をつき、リオは案内するように俺の前を歩き出した。
『……』
俺のメシいこうぜからなんかオーマが意味深に無言だったけど、俺は気づかなかった。
こうして俺達はリオに案内され、ヤーズバッハの街にある一軒の食堂へ足を踏み入れた。
──リオ──
最初に見た時、あの人はカモだと思った。
だってそうだろ。おのぼりさんみたいに街を見て回り、あっちへふらふらこっちへふらふらと、人通りの少ない方へと歩いていく。狙ってくださいといわんばかりだ。
でもそれが、逆に罠だったと気づいたのはかなりあとからだ。
いつもどおりドンとぶつかり、財布をすったまではよかったんだけど、その財布は見えない力でひょいっとあの人の元へと戻るし、おいらはあっさり肩に手を回されて捕縛されちまった。
このまま衛兵のところへつきだされるのかと思って覚悟したけど、そうじゃなかった。
この人は自分を囮にして、この街を知る使い勝手のいい誰かを探していたんだ。
おいらはそれに、まんまと引っかかった。
インテリジェンスソードを持った若い剣士のにーちゃんはこの国の金を持っていないって言って、おいらに金目のものを買ってくれるところを聞こうとしたんだ。
したたかな人だ。と思ったら、むしろ逆だった。
普通こういう取引の場合、悪事を働こうとしたおいらのようなヤツは足元を見られる。だというのに、あの人は五分五分で言いなんていいだした。
その時おいらは、この人はただのアホなんだと思ったね。
だってそうだろ、おいらみたいな悪党を自分と五分の人間としてあつかうなんて。
アホで馬鹿の極みさ。
でも、この時は気づかなかったんだ。あの人がわたしをちゃんとした人間あつかいしてくれていたって。
色々規格外な人だと思っていたら、持っていたのも規格外だった。
金がないって言ってたけど、持っていたのはとんでもないお宝だった。
それはまさに芸術品といってもいい。一体どうすれば、こんな細かな細工の入ったコインを量産できるってんだ。そこらの故買屋に持っていったとしてもとんでもない値をつけてくれるのは間違いない。
最低で千ゴルド以上で売れるほどの芸術品だ。
おいらみたいのは一日三ゴルドあれば暮らしていける。千ゴルドなんて大金があれば、かなりのあいだ遊んで暮らせる金額だ!
それをおいらに任せようというのだから、あのにーちゃんは間抜けなもんだよ。
盗人に鑑定をまかせるなんてね。
分け前を半分くれるだとか言っていたけど信じられるもんか。
なにより、独り占めにすれば全部おいらのもんだ!
だから、盗ってやった。
こんなおいらを信用したにーちゃんが悪い。
騙し、騙されて生きているんだ。信じられるのは自分だけ。騙されるほうが悪い。当然の話だよ。
一度はやられたけど、逆に出し抜いてやった。ふふっ。ざまーみろ!
そいつを出し抜いたんだから、スカッとしたよ。
でも、そうやって浮かれていたのがまずかった。
調子に乗ってコインをお手玉していたら、それを衛兵のヤツに見咎められちまった。
路地に追い詰められて、コインを取り上げられて尋問される。
いくら拾ったと言っても信じてはもらえない。
それだけ貧民街に住む者のことなんて信じる価値もないってことだ。
このままじゃ、せっかくの飯の種が奪われちまう。あんなに高値で売れそうなもの、そうはないってのに……!
でも、ここで逆らっても藪蛇。手を出されりゃ今度は次に支障が出る。ここは運がなかったと諦めていたら。
「まってください衛兵さん」
なぜかさっきのにーちゃんが、おいらに助け舟を出してきた。
衛兵も落とし主が現れたんだから、素直に引き下がるしかない。
しかも、金を取り返さずにおいらにそれをくれるとまで言い出しやがった。
唖然としているわたしにむかって、あの人は微笑みかけてきた。
あの人は、おいらに騙されたのは気にもしていないようだった。
なんなんだこの人は。
人に鑑定を任せたり、おいらを助けたり、盗られた金をそのままおいらにくれたり。
そんなことをして、あんたにはなんの利も得もないじゃないか。
意味がわからない。
今まで受けたことのない行為をされて、わたしは混乱した。
みんな自分のことしか考えないで、自分が得をするためになにかしているんじゃないの? この人の目的はなんなの?
それが、さっぱりわからない。だというのに、それは嫌悪するような嫌なものじゃなく、どこかほっとするような、心地いいものだったのだから……
こんな人、はじめてだ……
困惑したわたしの背を押して、強引に街を案内させられた。
逃げようと思えば逃げられたはずだ。
だというのに、逃げられなかった。
なんなんだこの人は。
わたしは混乱しながらも素直にあの人を食堂へと案内する。
でも、わたしはこの時、わたし達のあとを誰かがついて来ていたなんて、かけらも思っていなかったんだ。
──ツカサ──
というわけで俺達は、リオお勧めの食堂へやってきた。
「ちっ、なんだリオじゃねえか。てめぇなんのようだ!」
入って速攻店主らしきおじさんに嫌な顔をされた。
「今回は悪さしにきたんじゃねえよ! メシ食いに来たんだよメシに!」
「はっ、お前が珍しいな。ちゃんと金を払うってんならいいぜ。珍しくお客様あつかいしてやるよ」
けっと、二人はどこか顔を背け、リオは勝手知ったる我が家のように席へむかい、そこへ俺を案内した。
どうやら顔が広いというのは嘘ではないらしい。信頼されているかいないかは別として。
今の時間は昼。わいわいがやがやと、だいぶ賑わっている。これは期待できそうだ。
席についたまではよかった。
その直後から、なぜか俺のまわりを一匹のハエだか蚊だかがぶんぶん飛んでいる。
せっかくこれから楽しい楽しい食事だというのに、これはいただけない。食事というのは、静かで、安心して、おおらかにお腹を満腹にできる状況じゃきゃいけない……わけでもないけど、ハエがぶんぶんしているのはそれ以前に気分が悪い。
異世界だからひょっとするとハエでも蚊でもない別の虫かもしれないが、姿がはっきり確認できるわけじゃないから正直それがなんなのかはわからない。
ただ、確実に言えるのは俺の周りをピンポイントでまとわりつくようにぶんぶんと飛んでいるという事実だ。
そういえば一日歩いて風呂に入っていないから意外ににおうのかもしれない……
だがそれは今言ってもしかたがない。それとこれとは別問題だ。
「あ、あのっ……」
「しっ」
リオがメニューを出そうとしてくるが、今話を聞いていられないのでそれを手で制した。
ぶんぶんと飛び回るこの文字通り目障りな虫を退治してから、ゆっくりと聞いてやる。
ゆっくりと深呼吸し、息を整える。
俺はハエ退治に向け、精神を集中しはじめた。
じっと飛び回る虫だけに意識を集中するのではなく、居るあたりをぼんやりと見て、黒い線を描く虫の動きへ注意を向ける。
広い視野を持ちながら、動く虫だけに意識を集中させる。
徐々に俺の周囲から音が消えてゆく。
俺の精神がゾーンへと入ってゆく。ゾーンとはスポーツなどにおいて、集中が加速し周りの音が聞こえなくなり、雑音に邪魔されず自分のベストな状況へと入った状態である。
まさに今俺は、ヤツと自分以外は一切感じられない状態へと入った!
右から左へ動き、さらに動きを変えて俺の顔の近くへと動いてきた。
遅い。遅いぞスロウリィ!
その瞬間俺は手を動かす。顔に手が当たらぬようスウェーさせ、目標のいたる軌跡にめがけ両手をあわせる。
ぱぁん!
大きな拍手の音が響き、俺に音と周囲の世界が戻って来た。
「……って」
そして、気づいた。
なぜか俺の両手には、その虫じゃなく食事用のナイフが挟まっていることに。
一体なにが起こったのかわからなかった。
虫がナイフになった? いや、虫は俺の手を逃れ、そのままどこかへ飛んでいってしまっている。このナイフがなければしとめられていたか? といえば多分ノーだ。そもそも手は外れていた。
というか今俺、なんかすげぇ注目されている! いや、あんな大きな拍手もしたから、注目されるのは当然かもしれないけど、なぜに俺の手にナイフ!?
ひとまずナイフをじっと見る。
ナイフの柄が向いていた方向。多分そっちから飛んできたのだろうとあたりをつけ、俺はそちらへ振り返った。
そこにはナイフを放ったような形で固まっているお方が一人いた。
つまりあの人が、ナイフをこちらに投げたということになる。
いや、違う……!
俺はその人のテーブルにある料理へ目を向けた。
なんかそれは、俺の見たことのないような、ゼリーのような、寒天のようなものだった。まるでプリンのようにさらに盛られたそれ。
それは俺が見たこともない料理だった。異世界ファンタジーの世界だからある料理。
この瞬間、俺の頭脳はありえないほどの速度でスパークする!
そうか、見切った。そういうことだったのか。
あの料理は、ナイフを吹き飛ばすほどの弾力があるのだな。切ろうとナイフを押し付けたのまではよかったが、切れ味が悪く、さらにぷるるんとしたその弾力にナイフの方がはじかれ、俺の方に飛んできた。ファンタジー世界なんだから、そのくらい柔らかかったり、はたまた逆に鉱物かと思うほど硬かったりする料理があってもおかしくはない。
そういうことなんだろう!
俺を狙って投擲するより、そっちの方がよっぽどありえる。答えはこれ以外にないな! ナイフを投げられる心当たりは俺にはないし!
ふふっ、危なかったぜ。よくも俺にと怒った瞬間周囲の人にくすくすと笑われ、恥をかかずにすんだ。ならば、ここで俺のとる行動は一つ……!
すべてを見切った俺は、ゆっくりと立ち上がった。
そして近づき、笑顔で一言。
「落としましたよ」
実にスマート。にっこり笑顔までつけたから、自分的には百点満点だ。
結果、相手を不快にすることもなく和やかにナイフを返し終わり、食堂に音が戻ってきたのでした。
おっと、そういや妙に静かだったのは、俺のゾーンがまだ続いていたからかな。こんなに集中できていたのにあのハエ蚊を逃すとは、精進が足りないぜ。
とりあえず俺は席に戻り、リオにこれはどんな料理なのかを聞きながら、いくつか注文することにした。
──リオ──
食堂に入った瞬間から、食堂の中が異様にざわめいたのに気づいた。
そしておいれは、トンでもない事実を知る。
ひそひそと話す客達の話に耳を傾けると、サムライとか、カタナって言葉が耳に入ってきた。
ここでやっとおいらは、その存在に思い当たった。
幼いころに聞かされた、ちょっと曲がったインテリジェンスソードを持って、無敵の剣術を使う伝説のサムライ!
それが、目の前に座るにーちゃんだったなんて!
サムライが伝説になった十年前の戦いなんておいらまだ四、五歳だったから、サムライのすごさは噂でしか聞いたことないし、実際に見たことなんてない。だからあの剣がカタナだってのにも気づかなかったし、にーちゃんがサムライだったのなんて気づかなかった!
というか、スリを失敗したのも当たり前だ。ひょっとすると、あの金を盗んだ時も見逃されていたのかもしれない。じゃなきゃ、盗めたことに説明がつかない。
だって相手はあのストロング・ボブ一味を倒した噂のサムライなんだ。下手するとおいらもあのインテリジェンスソードの錆になっていたかもしれないと思うとぞっとする。
そんな人がおいらを強引に食堂へ案内させるなんて、いったいなんのつもりなんだ……
「あ、あの……」
不安に思い、いったいなんの目的でおいらをここに連れてきたのかを聞こうと思ったら、にーちゃんが右手を上げ、おいらの言葉をさえぎった。
いったいなにが? と思うと、にーちゃんは突然視線を虚空へ向け、次の瞬間には頭を振って突然拍手をしたんだ。
ぱぁんと拍手の音が鳴り響いたかと思ったら、なぜかにーちゃんの手には食用のナイフが挟まっていた。
なにが起きたのか、おいらにはさっぱりわからなかった。
周りでおいら達に注目していた人も同じだったと思う。
なにが起きたのかはっきりと理解できるまで、おいらはにーちゃんが席を立って席まで戻ってくるまでの時間がかかった。
周りの人も同じだろう。
だって、完全に見えない死角の位置からの不意打ちを、見もしないでかわしてなおかつ受け止めたんだから。
そんな神業みたいな芸当をすぐ理解しろっていうのが無茶ってもんだよ。
でも、この瞬間に、おいらをふくめた食堂にいたみんなはこの人が『本物』なんだと理解した。噂のサムライが、目の前にやってきたのだと……
そしてあの神業も納得していた。サムライなんだから、あんなことができても当然だって。伝説は本当だったんだって。
……ん?
皆が納得し、食堂中がざわめいている中、おいらはなにか違和感を感じた。
なんだろう。と考える。すると、あのナイフが飛んできた先に自分がいたことに気づいた!
にーちゃんなら、見ないままかわせただろう。でもそうすると、そのナイフはおいらに当たる。あんなのにーちゃんにかわされたらおいらかわせない。
それってつまり、にーちゃんがおいらも守ってくれたってこと?
普通にかわしていたら当たるから、あんな無茶なことを平然とやってのけたの?
いやいや、そんなことはありえない。おいらの勘違いだ。ナイフはきっとおいらには飛んでこなかった。
だって、そんなことをする理由があの人にはない。おいらを救う理由なんて欠片もないじゃないか。貧民街に救う一匹のゴミを助けて、サムライ様にどんな得があるってんだ。
おいらはないないと頭を振って自分の考えを否定した。
これだって、さっきおいらを利用してコインを査定しようとしていたように、なにか意図があるに違いない。
だからおいらは油断しない。
こんな緊張感のないにーちゃんに、騙されないぞ!
にーちゃんに食堂のお勧めを聞かれたから、とりあえず一番高いやつを薦めておいた。おいらでもめったに手が出ない一品だ。おごったりなんかしてやらないぞ。あとで皿洗いでもなんでもして払えばいいさ!
「そうか。ありがとな」
こいつがうまいよお勧めだ。って教えたら、にっこりと笑って微笑まれた。
「……」
なんなんだこの人。
この人といると、わたし、調子がおかしい……
これが、おいらと伝説のサムライ、ツカサとの出会いだったんだ。
後編に続く