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サムライトリップ・イノグランド  作者: TKG
第1部 伝説のサムライ編
20/88

第20話 さよならサイレントエッジ


──ツカサ──




 とってとってと歩いて大街道に入り、そしてまた街道へそれつつ西にむかい、俺達はレイムレーヴという村にやってきた。

 ここは鍛冶を生業とする村で、武器や鎧。そして装身具などを作ったり補修をしたりして生計を立てている村らしい。


 聞けば裏にある山で良質な鉄が取れて、そこから生成される非常に質のいい鋼が自慢なのだそうだ。


 村。というが、石壁に囲われた壁がないだけで、広さは小さな街ほどはゆうにあった。それだけここが栄えているという証であり、村の中には鍛冶屋武器屋があふれており、いたるところからカンカンコンコンと鉄を叩く音が聞こえてきていた。


 とはいえ、人口という数で言えば、数百人規模。というところだけど。


 今回大街道からそれてこの村に来た目的は、前回妖刀に折られてしまったマックスの剣を新調するためである。



 さてどこに頼もうかと多い選択肢に頭を悩ますマックスと、武器にはまったく興味がなく、武器屋鍛冶屋にまったく興味を示さないリオがいた。


 そりゃまあ、興味のない人からこの村を見たら、同じような武器がいろんな店に並んでいるだけだからなぁ。一つ一つが違うといっても、興味がなければどこが違うんだとなるだろう。


 ちなみに俺は、けっこうこの村には興味がある。やっぱり男の子だから、武器というのは全体的にワクワクしてしまうものだからだ。



 今まで行った街でも武器屋とかはあったけど、寄っている暇はほとんどなかったから、こうして見てまわるのはいい機会だと思う。



「すみませんツカサ殿。拙者の新しい剣を探すため、このようなところに」

「? どうして?」


 なにかに気づいたのか、突然頭を下げられてしまった。



 なぜに謝られる?



「ツカサ殿からすれば、腰のオーマ殿を超える武器はないというのに、わざわざ必要のない武器の村へよることになったのですから」

 ああ、そういうことか。


 安心したまえマックス。俺も男の子。こんな鋼の世界を見せられてテンションが上がらないわけないじゃないか!


 こう見えて、実はかなりテンションがあがっているんだぜ!



「そんなことはないよ。色々武器を見てまわるのは楽しいし」



『な、なんだってぇ!?』

 俺がマックスに答えたら、オーマが悲鳴を上げた。


『そ、そんな……おれっちだけじゃ不満だってのか相棒……』


 腰のオーマがカタカタと揺れながら、悲しそうに言う。このカタカタは言葉を発するためじゃなく、恐怖に震えているんだろう。


 ふっ。オーマよ。別に他の武器が欲しいわけじゃないんだ。ただ、本物の武器をこうしてゆっくりじっくりと見てまわる機会が今までなかったから、その反動だ!



 許されるのなら鎧だってちょっと着てみたいし、剣だけじゃなくモーニングスターとか槍とかも持ってみたい。今日はそんな体験をする特別な日だと思ってくれ!



 だから……っ!



「バカだなオーマ。こうして他のに触れることで、お前がやっぱり一番だというのを確認するために決まっているだろ」


『あ、相棒……』

 俺が言った適当ないい訳に、オーマがきゅん。としたのを感じた。



 すごい。今日の俺はすごいな。こんな言葉がすらすら出てくるなんて。無駄にテンション高いだけあるぜ!



「ではツカサ殿、ともに武器屋鍛冶屋をまわりましょう! 拙者にあう剣を見繕ってくだされ!」


「いいや、それはできない。自分の武器は自分で選ぶんだ。ただ、一緒に行くのはやぶさかではない!」


「では、ともに参りましょう!」



 ひゃっほーいとテンションをあげたマックスは飛び上がった。



 別に今日はまだ日も高いから、十分な時間もあるし、一日くらいウインドウショッピングに走ってもばちは当たらないだろう。



「ツカサ殿ツカサ殿! こんな両手剣が!」


 村に入ってすぐのところにおいてある刃渡りだけで人の背丈をこえるようなでっかい剣が置いてあった。明らかに客寄せ。こいつを振り回せばドラゴンも叩き潰せるんじゃないかと思えるようなでっかい剣だ。


 両手で握っても人間がぶん回せるとは思えないほどのサイズの物を、マックスがきゃっきゃと指差す。


『さすがにそいつはおめーにでもでかすぎるだろ』


「その通りでござるな!」


 オーマの呆れた声に、あっはっはとマックスは笑い声を上げた。



 俺とショッピングできるのがそんなに嬉しいのかよ君は。



 かくいう俺も、でっかい剣を見てテンションあがっているわけだけど。人の背丈ほどもあるでっかい剣なんてホントにファンタジー世界じゃなきゃお目にかかれないからな。そりゃ俺だってテンション上がるよ。


 そして、そうして目を輝かせている男の子な俺達とは裏腹に、武器に興味もないリオはどうでもいい。という感じでため息をついていた。


 確かに、興味のない人からすれば、マックスの話も退屈なものだったろう。



 俺までこうしてテンションあげちゃったから、ついていけないというのも無理はない。



 でも、無理に俺達につき合わせるのも悪い。


 だから……



「リオ、俺達しばらく店を見て回るから、先に宿をとって休んでいていいよ」


「……そうだね。おいら、先に宿とって休んでいるよ」


 呆れつつ、リオは了承してくれた。



「じゃあ、頼んだ」

「うむ!」


 リオの宣言に、俺とマックスは明るく返事を返した。



 まだ昼間だけど、俺もマックスも今日はもう完全に観光モードに入っている。テンションの上がった俺達は間違いなくこの村にある武器、装身具、鍛冶屋をはしごして回るだろうと判断したのだろう。


 だから今日はここで一泊。ということで、リオは先に宿を取りに行くことを選択したのだ。



 さすがリオ。伊達に長いこと旅をしていないね!



 ちなみに、村にはいくつか宿があるようだけど、宿をとったらその部屋の窓から自分がいるという(タオルとか)を外につるしておいてそこに合流するのである。


 こうして俺達は、一度自由行動としてバラバラにわかれることになった。




 俺とマックスは、さっき見た大剣が置いてあった店からまわることにした。


 マックスは俺と一緒ということでうきうきだったが、武器屋に入るとすぐスイッチが切り替わった。



 自分の使う分身ともいえる剣を探すマックスと、ファッション感覚で武器を見る俺とでは、完全に見るところが違うからだ。



 マックスは武器を取り、手になじむかの感触を一つ一つ確かめて選ぶのに対し、俺は飾ってある武器を見て感心するだけしてたいして触りもしないのだ。することはせいぜい自分の持つ姿を想像するだけで、手には取らない。

 だから、じっくり見てまわるマックスに対し、俺はすぐに店の中のものを見て終わってしまう。すぐに店の中で手持ちぶさたになった。


 なので俺は、マックスに先に行くと声をかけ、別の店にむかうことにした。


 一応マックスから「はい」と返事はあったけど、本当に聞いているのか? でも、武器を手にして軽く振り回していたりもするので近づけないからこれは聞こえたと判断しておこう。無防備に近づいて殴られてはたまらないからな。



 俺はマックスを店に置き、別の店へとむかった。


 最初に入った店はほぼ武器の専門店だったが、隣にあったところは主に防具の専門店だった。隣の店主と顔が似ている人が店番していたので、きっと兄弟なのだろう。



 三件目。ここは武器だけじゃなく、指輪のリングやネックレスにイヤリングなどの装身具が多く並べられていた。



 俺はその店にはいり、店を物色する。


「……せっかくだから、二人になにかプレゼントでもしようか」


 俺はぼそりとつぶやいた。


『はっはーん。だから二人と別れ、こっちにきたのか。さすが相棒だぜ』


「いやいや、今ここで思いついただけで、マックスの話にテンションあがったのは事実だよ?」


『いいっていいって。おれっちわかっているからよ!』


 絶対わかってない。でも、仲間想いだって思われるのはいいことだし、プレゼントしようと思ったのも時間差はともあれ事実なのでこれ以上否定はしないでおいた。


「そんなことより、なにがいいか、オーマはないか?」


『武器のおれっちになにがいいかとかわかるわけねーって』


「だよなー」

 理想としてはあまり邪魔にならず、便利で使える小物がいい。でもそれは、刀のオーマにわかるわけがない。



 仕方ないのでオーマからのアドバイスは諦め、俺はアクセサリーを物色しはじめた。



 イヤリングやピアスは男であるマックスにも、男装をしているリオにも喜ばれはしないだろう。


 小物入れや財布を固定するための紐につけるとめ具とかはありだな。


 ボタン。も考えたけど、マックスは基本羽織袴でボタンを使っていないのを思い出した。



 細工の入った髪留め、ヘアピンが目に入る。でもリオは男装しているから……あ、でも髪をまとめ、帽子の下に隠れるというのならありかもしれない。前にも一度、帽子が風に飛ばされた時髪がバラけたこともあるし。リオはこれでいこうか。



 マックスは、和装にあわせるか、それとも武器のロングソードにあうようなのにするか。それともさっきの小物入れのヒモのとめ具にするか。いやはや悩むなあ。


 うーんと首をひねりながら、髪留めととめ具を持ち上げる。



「おっ、にーちゃんそいつに目をつけるとは、なかなかやるねぇ」



 店のカウンターにいたおじさんが声をかけてきた。


 頭にバンダナを巻いて髭をつけた、樽のような体形をしたおっさんだった。



「はい?」


 突然声をかけられ、俺は戸惑う。

 それを見たおじさんは、楽しそうに笑った。


「ああ、驚かせてすまない。ワシはそいつを作ったモンさ」


 けたけたと笑うおじさんは頭をぽんぽんと叩きながら俺に謝る。



 他に客もいないせいか、カウンターから出てきて、俺の方へやってきた。



「誰かの贈り物かい?」



「はい。ここまで一緒に旅をしてきた仲間に送ろうかと思って」

 リオ達のためだからと思うと、相手は初対面の人だというのに言葉が躓かずにすらすらと言うことができた。



 今日の俺、なかなかすげぇな!



「へぇ。仲間に。そいつはいいな。仲間のことを考え、なになら喜んでもらえるか、どれがいいか。そいつは自分で使うのより難しいからなぁ」


 おじさんがうなるのに、俺も同意とうなずいた。


 自分なら色々妥協もできるし、適当な選び方もできるけど、人に送る場合は好みやその人の状態など、どれがよくてダメなのか、色々悩まされる。



 実際俺も、今なにがいいのか必死に頭をフル回転させ、どうにかこの二つを選んだところだ。



「かー。いいねぇ。気にいった! にーちゃんの仲間はいい仲間を持ったもんだな! よーし、せっかくだ。おじさんおまけしてやろう。にーちゃん品物が決まったのならちょっとこっちについてきな!」


 なかば強引に決定され、俺は選んだ商品を手におじさんに店の裏手へと連れて行かれた。



 カウンターの裏を通り、おじさんの家を抜けて店。というか家の裏手に出る。



「にゃーにゃー」

「わんわん!」

「ひひーん!」


 裏手に出てみると、そこには大きな柵と小さな柵に犬や猫、馬や牛などの動物が包帯などを巻かれたりして飼われている(?)ところに出た。


 でも、飼われているというのにはどこか違和感がある。例えるならここは、動物病院の一角のようにも見えたからだ。


 猫にはいわゆるエリザベスカラーがつけられていたり、馬の尻のあたりに包帯が巻かれていたりと。



 鍛冶屋のおじさんがここに顔を出すと、柵の中にいる動物達は嬉しそうに各柵の中からこちらに向けて声を上げていた。



「なにこれ?」

「ああ。ワシは副業で動物達の怪我や病を診ていてな。収入の半分近くが近隣の家畜の病を診たりだとか、怪我を治したりだとかになっていて、今ではどちらがメインなのかわからなくなってきておるよ」



 いわゆる獣医というヤツか。



 獣医ってのは地球じゃ近代になってから学問化したものだけど、同じように近代から学問化された医者も昔からいたんだから、同じように獣医という存在がいても不思議はない。そもそも機械のないところでは牛や馬のパワーは不可欠だし、それが調子が悪くなると生活にも関わる。鍛冶の村だからといってもそれらの動物は重要な財産だし、その健康を保ってくれる人がいるのなら、十分仕事として成り立つだろう。


 だからといってアクセサリーの方にも手を抜いているとは思えないから、ずいぶんと多彩な才能を持ったおっさんだ。



 でも、なんで俺をこんなところに?



 なんて思っていると、鍛冶屋のおじさんがあっはっはと笑いながら一番近くにいた犬のアゴをワシワシと撫ではじめた。



 その瞬間、俺は脳天からつま先に電撃が走ったような衝撃を受ける。



 一瞬にして、その犬が恍惚の表情を浮かべたのだ。そしてその体をもっと撫でてといわんばかりに、おじさんに体をあずける。


 犬がもっともっとと求めるように撫でるなんとすばらしい撫で方!



 モフモフしたものを愛で、撫でる。


 わかる。俺にはわかるぞ。



 この人も、俺と同じ、一流の撫でリストだ!



 俺の背後で雷がなったような気がした。



 一通り犬を撫で、犬の感性をどろどろにとかしたあと、おじさんは俺の方を見た。


 にこりと髭を揺らし笑い。



「ぬしも、じゃろう?」



 俺の体に衝撃が駆け抜けた……!


 この人、俺はなにもしていないというのに、俺を撫でリストと見抜いたっ……!



 俺をこの動物の楽園に呼んだのは、こういうことだったのか!



 この人が獣医を副業にした理由もなんとなく察することができた。趣味と実益。なんて人なんだ……!


 おじさんが、すっと別の犬に手でうながす。



 俺は、その指示に従い、その犬の前に立った。



 そうか。そういうことですね。俺の実力が、見たいということなんですね。いいでしょう。


 嬉しそうに近寄ってきた犬に向かい、俺は俺の撫でアーツを放った!



 見てください。俺の撫でアーツ!



「おおっ!」

 おじさんが、驚きの声をあげる。



 アゴを、腹を、そして腰を撫で回し、犬が犬とは思えぬ声をあげ、とろけてゆく。

 しばらくしたのち、同じ柵の中に二体のとろけた犬が完成していた。


 俺は小さく満足の息を吐き、おじさんに笑顔をむけた。


 おじさんも、髭の顔をしわくちゃにして、俺に笑顔を返した。



 走るシンパシー。



 俺達はうなずきあい、硬い握手をかわした。



「できるな、少年」

「あなたこそ」


 俺達は、互いに撫でリストとして認め合ったのだ。



 まさか異世界で、こんなモノノフに出会えるとは!



『一体なにが起きたんだー!?』



 一人理解できないオーマが困惑していた。



 理解できなくともしかたがないさ。撫でリストには撫でリストにしかわからないモノがあるからな……!




 困惑するオーマをヨソに、友情を確かめあった俺達は互いの撫でアーツを見せあい、とても有意義な時間を過ごすのだった。




──サイレントエッジ──




 サムライ達三人は、レイムレーヴの村へやってきた。



 俺は今日も今日とてそのあとを追い、暗殺の機会をうかがっている。


 いつも三人でいるヤツ等が、今日は珍しくバラバラに行動をはじめた。はっきり言えば、チャンスである。



 だが……



 ……ダメだ。



 一人で店をまわるサムライを見て、俺は心の中で舌打ちをする。今日もまったくチャンスが見出せない。



 やっぱり隙が……いや、隙がありすぎる!



 なんて大胆なヤツなんだ。俺に狙われているとわかっているはずなのに、ヤツは欠片も緊張していない。それどころかだらけきっている。


 常に自然体で動きでいて、かつ隙だらけだ。



 だから俺は、手が出せない。



 通常達人を狙う場合は、そいつが隙を見せるタイミングを見つけて不意を打って暗殺を仕掛ける。


 俺の場合なら奥の手として使うシェイプチェンジでの接近だ。



 猫が近づいて隙を見せたその瞬間を狙い、相手を殺す。



 隙を見つけることというのは暗殺をするにはとても大事なことだ。



 しかしヤツは隙がありすぎる。それはつまり、あえて隙を見せ、俺を呼びこもうとしているのだ。隙を見つけたとうかうか近寄れば、きっとまたあの辱めを受けるに違いない。


 ヤツはあえて隙をつくることにより、どれが本当に気を抜いた隙なのか、あえて作った隙なのかをわからなくしているのだ。



 なんて大胆なヤツなんだ。



 これでは隙を見つけたとしても、うかつには攻められない。


 攻めると方が有利な暗殺だというのに、これっぽっちも俺に有利とは思えなかった。



 なにより屈辱なのは、あの態度は俺程度では緊張を張る必要もないと馬鹿にしているようにも見える。



 本当に腹の立つヤロウだ。



 だが、だからこそ燃える。


 あれを殺せば、俺は間違いなくこの国一。いや、世界一の暗殺者だ!



 村の屋根の上からヤツを睨んでいると、一人でとことこ村を歩くサムライの仲間が目に入った。



 あの帽子を被った小僧か。いや、俺は知っている。あれが女であることを。


 サイモン領で起きたあのドラ息子からの求婚から決闘の流れはちゃんと見せてもらった。



 まさかビッグGでも名をはせた魔狼の破裂魔法をサムライが使うなんて想像もしていなかった。自分の手の内はまったく見せず、それでいてあの場を一撃で終わらせる魔法を使ったのだから、やはりあのサムライは侮れない。


 なにより、あのサムライの強さはすでに完成されたものだと思っていたが、まさかまだ新しい魔法を習得するなど、成長の余地があるなんて聞いてないぜ。



 ただでさえ手ごわいサムライが、ますます手ごわくなるなんて悪夢としか言いようがない。



 そんなサムライの仲間が一人でのほほんと村を歩いている。


 並の暗殺者なら、これ幸いとあの娘を人質にしてサムライを暗殺しようとするだろう。


 だが俺は、それが最悪の手段であることも知っている。



 そんなことをすれば、間違いなく雷を落とされるからだ。比喩ではなく、実際に。



 あのサムライの仲間に危害を加えようとするのは、間違いなく愚か者のすることだ。ヤツを殺すには、直接その手でくださなければ不可能。ずっと観察し、俺はそう結論づけた。


 ゆえに、あの娘が一人で歩いているからといって、俺は手を出すつもりはない。



 怪我をさせようものなら最後。俺は、死ぬ。



「……ん?」



 ぴん。と閃いた。


 敵意を持って近づけば、間違いなく抹殺されるだろう。だが、敵意もなく、殺す気もなく近づけば、あの無敵のサムライといえども俺へは攻撃してこないんじゃないか? そういう仮説だ。



 近づくだけなら問題ないのは、今俺がここに生存していることこそがその証明だ。



 なら、ただあの娘に接触するだけならばなにもしてこないだろう。ただ話を聞くだけなら、きっと平気に違いない……!


 そうして接触し、あの娘からサムライの情報を聞き出せば、俺からでは見えないあいつの情報が得られる。隙だらけの中の隙に、本物の隙を見つけるヒントが得られるかもしれない!



 敵対行動はせず、ヤツの情報を集める。なんという手段を思いつくんだ俺は!



 俺は自分の頭の良さにくらくらきてしまった。さすが世界一の暗殺者(予定)。こんなことを思いつくなんて、自分に惚れ惚れしちまうぜ。


 そうと決まれば屋根をおり、人の姿へ戻る。近くに隠してあった服を着て、あの娘への接触するため動き出した。



 さて。どう接触するか。



 相手が男ならば、出会いがしらでぶつかるなりなんなりしておくと、ワリと簡単に引っかかる。だが、相手は女だ。俺の色仕掛けにひっかかりはしないだろう。


 いやだが、相手が娘だからって出会いがしらでぶつかるというのは使えないわけじゃない。あの娘とぶつかって、俺が転んで足をくじく。これは悪くないんじゃないか!


 俺は娘が来るのを曲がり角で待つ。やってきたところで俺が飛び出し、出会いがしらでぶつかれば……



 ……はっ!



 そこまで計画して、俺はとんでもない間違いをしていたことに気づいた。わざとぶつかりに行くということは、それを敵対行為と気づかれてその瞬間雷を落とされるんじゃないか!? ぶつかった程度でそんなことをされるとは思いたくないが、俺はすでにあのサムライにマークされている。絶対にないとは言い切れない。


 しまった。安易な考えで自分の首をしめてしまっている! どうする? やってみるか? だが、それは賭けに近い。それで負けるくらいなら、いっそ隙を見てサムライに飛びかかった方が同じ結果なら後悔はない。



「ぐうぅ……!」


 頭を抱え、悩む。飛び出すか、飛び出さないか。まさか、こんなことで……っ!



「あの、大丈夫?」



「へっ?」

 声をかけられた。



 変な声をあげて顔を上げると、俺を心配そうにのぞきこむあの娘がいた。



 どうやら悩みに悩んだ俺は、頭を抱えてうずくまっていたらしい。



 そのあまりの姿を心配した娘が、声をかけてきたようなのである。予定とは違ったが、むこうから声をかけてきたというのなら作戦は成功としておこう。むしろ、これが俺の狙い! かしこい!


 しかし、男装をしているから警戒心が高いかと思ったが、こうして困っているヤツに声をかけてくるなんて、どうやらこの娘も少しばかりあのサムライの甘さに当てられたようだな。



 俺を心配する瞳と、ちょっと驚いた俺の瞳があう。



「あ、ああ。少し頭痛がしてね。悪いんだけど肩を貸してはもらえないか? 通りのベンチまで連れて行ってもらえるとありがたい」


 俺は頭をおさえながら、通りにある休憩用のベンチを指差した。



 近くには露天が出ていて、そこで買ったものを座って食べたり、休むために村で設置されたものだ。



「いいぜ。それならおいらの肩に捕まりなよ」

「ありがとう」


 笑ってうずくまる俺へ、肩を貸してくれた。俺の方が背は高いが、彼女の肩に捕まり、ベンチにまで移動する。



 ベンチに座り、一息ついた。



「ここで平気かな? それじゃおいらは……」


「あ、いや、悪いんだけど、しばらく気を紛らわせるのに付き合ってはもらえないか? 話をしていれば、この頭痛が収まるまで気を紛らわせることができる」



 去ろうとした娘に、俺はちょっと無理を言ってしまった。無理があるか? と思ったが、その苦い顔をしたのが逆に聞いたのかもしれない。



「しょうがねえな。少しだけだぜ」

 腰に手を当てた娘はやれやれとため息をつき、俺の隣へ歩き出した。


 ふふっ。成功だ。我ながら口がうまいもんだと自画自賛してしまうぜ。


「あ、やっぱりちょっと待って」


 しかし、娘は急に立ち止まった。



 えっ? ちょっ。



 そしてそのままきびすを返し、通りの反対側へ走っていってしまった。



 あまりに唐突なフェイントで、俺は声すら上げられず、目を見開いたままその背中を見送ってしまった。



 なんてこった。ちょっとにやりと笑ったくらいで失敗するなんて。調子に乗ったのがいけなかったのか? それともあの娘も、サムライと同じでなにかとんでもない力があるのか?


 俺はこの大失敗に頭を抱える。



「ぐうぅぅ……」

 思わずうなってもしまった。



「やっぱりそんなに頭いたいのか?」

「へ?」


 顔を上げると、むこうへ走っていったはずの娘がまた俺をのぞきこんでいた。


 俺と目が合うと、にっと笑い、俺にむけて背中に隠していたりんごを一つ差し出した。



 おいしそうな赤が日の光を反射し、俺の目にとびこんでくる。



「おいらの母さんがさ、頭痛にはりんごが効くって言ってたからさ。はい。おいらのおごりさ」


 唖然としている俺の手に、両手に一つずつ持っていたりんごのうち一つをぽんと置いた。


 どうやらこの娘、通りのむこうにあった露天で、このりんごを俺の分と自分の分を一つずつ買ってきたようだ。


 それで、ちょっと待ってと走っていったのか。



 しゃり。という気持ちのいい音を立て、娘がそのりんごにかぶりつく。



「お、うまい」

 小さな感想を浮かべ、娘はしゃりしゃりとりんごを口に運ぶ。


「……」

 なんだ、こいつは。



 俺は一瞬、いったいなんのためにこのりんごを俺に渡したのか、その意図がわからず困惑してしまった。



 実は毒が入っていて、俺を毒殺しようとしているのか? それとも痺れ薬で、尋問でも……いやいや。そんなことはない。このりんごに毒も痺れ薬も入っている気配はない。匂いは芳醇だし、色だって普通だ。どこかに細工をした形跡もない。


 なら、なんのために? ひょっとして本当に頭痛に効くと聞いたことがあるから買ってきたってのか?



 別にとくもないのに、俺の、ために?


 こんな俺の嘘のために……?



「……なんで、だ?」



「ん?」

 ポツリとつぶやいた俺の言葉に、娘はりんごを食べるのをとめた。



「なにが?」


「なんでお前は、ちょっと目についただけの俺に、ここまでのことをしてくれる?」


 うずくまっていた俺をベンチに運んでくれたり、頭痛のためにりんごまでくれたり。こんなお人よしなこと、とてもじゃないが考えられなかった。


 ひょっとしてこの娘もなにか目的があって俺に近づいたというのか?



「なんでって……」



 言われ、娘は首をひねった。自分でもなにか不思議そうな顔をしている。



「ははっ。そういやそうだね。ちょっと前なら道で誰かがうずくまっていてもおいら声なんてかけなかったよ。でも、おいらの尊敬する人は、困っている人に当然のように手を差し伸べる人なんだ。その人、息をすうように人を助けて、それでいて礼も求めず助け終わったらさっといなくなっちまうんだ。それを見ていたらさ。ちょっとくらい真似したい。なんて思っちまったのさ」


 だからかな。と、娘は笑った。



 にへらと口元を緩めただけの笑顔だったというのに、それはとても美しく輝いているように見えた。


 暗殺者なんて後ろ暗いことをしている自分には、絶対にできない笑顔だった。


 とてもじゃないが、俺はその娘の顔を直視できない。



 それだけでこいつは本当に尊敬する人──きっとサムライのことなんだろうが──を尊敬しているのがわかった。



「……」


 ああ。確かにそいつは、とても優しいお人よしなんだろうさ。そしてさらに仲間思いで、その仲間を傷つけようとするヤツには本気で怒る。そんな男だって、俺も知っているよ。俺だって、ヤツがそうするところを散々見ていたからな。


 だから、知っているよ。本当は、殺したりしちゃいけない男だってことも……



 手にしたりんごに、俺はじっと視線を落とした。



 娘は首をひねり、俺に食べないの? という視線を送ってきた。俺はその純粋な視線に耐えられなくなり、それを一口口にふくんだ。



 しゃり。という音と共に口の中に甘さが広がる。



「うまいな」

「だろ? おいらが選んだんだから当然さ!」

 にひひ。と娘は鼻をこすって笑った。


「そうだ。せっかくだから、その尊敬する人って人のことを聞かせてもらえないか? そんなにすごいのなら、興味がある」


 俺は今思いついたというような口調で娘へうながした。


 よし。これでサムライのことを聞いても全然不思議じゃない。これでこの娘からサムライの情報を手に入れることができる。



 そうすると、娘は目をキラキラさせて、嬉しそうに俺へ笑顔を見せてきた。


 どうやら自慢したくてたまらなかったようだ。



 ますます都合がいい。噂が噂を呼び、確定した情報がほとんど得られなかったサムライを間近で見てきたヤツから、生の情報が聞ける機会はこれを逃せばもうないかもしれないからな。



「すごいんだぜ。その人は。ここだけの話だけど、その人は今あちこちで噂になっている、伝説のサムライの再来なんだよ!」


「おいおい。眉唾モンの話をされても困るよ」


 本当はこの娘がサムライの仲間だとは知っている。だからといっていきなりそうか。と信じては怪しまれる。だから俺は、白々しくも疑いの目を向けた。


「へへっ。別に信じてもらえなくてもいいさ。おいらは事実として語るだけだからよ」


「わかったよ。聞いてやるから言ってみな」


 疑ってはいるが、きちんと聞いてやるという姿勢を見せ、俺は娘の話をうながした。



 娘は、これまであったサムライの活躍を語りはじめた。



 共に旅した仲間にしかわからない情報がいくつもあった。


 そして、聞けば聞くほどバケモノだった。



 この娘。リオという名前だったが、彼女とサムライは、ヤーズバッハという街で出会ったのだという。



 噂に聞いた、ヤーズバッハでしのぎを削っていた二大一家を滅ぼしたこと。


 街を出て、宿場で袖刷りあう縁で関わりあった一家を救うため、たった一人で喧嘩相手の一家に立ち向かい、巨大な竜巻を生み出したこと。


 崖崩れの発生に、その身をていして仲間を守り、その結果あのエンガンに捕まり、仲間に助け出された後、追ってきたエンガンを逆に滅ぼしたこと。



 さらに噂でしかなかったドラゴンを、本当に倒していたことには驚かされた。


 しかも、蹴り倒したとか、情報以上じゃないか……!



 そしてあの『無貌』のダンナの仕事を失敗させ、さらわれたリオを救うために雷を落とした。



 そこから先は、俺も知っている。



 聞けば聞くほどバケモノとしか言いようのない。


 ある程度の噂を知っている俺でなければ、完全に作り話にしか思えないような内容だった。



 であるから俺は、話し終わったところで「それ本当か?」と聞きなおす。



「本当なんだって! しかもそれだけのことをして、褒美も謝礼も求めず去っていくんだ。ツカサは本当にすごい人なんだから! あんただってあってみりゃすぐ理解できるよ!」


「そうだな。機会があればあってみたいものだよ」


「なら、会いに来ればいいよ。おいら達は今日この村の宿に泊まるからさ。興味があるなら一緒に来るかい?」


「頭痛が治って余裕があればな」



 実際に行く気は欠片もねーけどな。あのサムライも、そのおつきのサムライもどきも俺のことを知っているだろうから、下手に近づくわけにはいかねぇ。


 それでも、リオにあわせてやった。



「約束だぜ」

「ああ。約束だ」


 俺達は顔を見合わせ、にっと笑った。



「そういえば、このまま西へ、王都の方へとむかうのか?」


「うん。おいら達は西へむかってる。ツカサはたぶん、王都を越えた先にある、西の果てを目指してる」


「……なんでそこを目指しているんだ?」


「……理由は、聞いてない」


 うつむくようにして、リオは視線を地面に落とした。



 聞くのが怖い。というような表情だ。きっとこいつは、そこが自分達の旅の終着点だと気づいている。そこについた時、この旅がどうなってしまうのか。それが不安なのだろう。



 西。



 西といえば、『カミカゼ』と呼ばれるサムライの攻撃によって沈んだ『ダークシップ』がある。


 サムライとくれば、きっとそこを目指しているのだろう。ここまでは予測できるが、そこについてからなにをするか。そこまでは聞けないのだろう。


 俺もそれに関しては、深くは踏みこんで聞かなかった。



 サムライの目的なんて俺には関係ない。目的がわかったところで、ヤツを殺すのには変わりない……!



「ま、それは今はいいよ。なにかやることがあるんだからさ!」

「そうだな。じゃあ……」



 それから俺達は、他愛のない話をした。



 どんな食べ物が好きだとか。


「実は俺、にんじんが苦手でよ……あの苦味が」


「ちゃんと火を通せば甘くなるよ? それでもダメ?」


「悪いがノーだ!」


 こんな、本当にたわいのない話だ。



 普段なにをしているのかだとか。これを聞かれた時、ちょっと困った。



「……」


「どうしたの?」


 一瞬、俺は空を見て黙りこんでしまった。

 リオがそれを見て、俺の顔をのぞきこむ。


「いや、なんでもない」


 そういえば、こうやってなにも考えず話すのは、いつぶりだろう?


 今まではいつもいつも人を殺すことばかりで、こんなにも穏やかに話をしたことなんてなかった。



 なんだろうな。こんな穏やかな時間、過ごせるなんて思わなかったよ。



 自分から情報を得るために近づいたというのに、いつの間にかリオのペースに巻きこまれ、サムライ以外の話ばかりをしていて俺は驚いた。


 サムライを追いかけていると暗殺者としての存在が揺らぐが、こいつといるとそのまま揺らいで消えてしまってもいい。なんて思ってしまう。



 サムライとは違う意味で、こいつは不思議な子だ……



 サムライがこの娘を近くにおいておく理由が、なんとなくわかった気がした。


 暗殺なんかどうでもいい。こんな時間がいつまでも続けばいいと、不覚ながらも思ってしまった。



「……っ!」


 だが、その時間も長くは続かない。



 俺はそれを感じた瞬間立ち上がった。



「ど、どうしたのいきなり?」

 リオが驚き、俺に声をかけてくる。



「……」


 俺はリオの問いに答えず、あたりを見回した。



 こっちにむかってくる気配がいくつか。そいつらは、明らかに殺気を撒き散らしながらこっちへ来ている。



 またサムライを狙いに来た同業者か?



 いや、違う。むかってきているのはこっちだ。俺達のいるここ。なのに、狙いは俺じゃない。なら……



「どうしたんだ、ホントに?」

 自分を見た俺の視線に、リオはわけがわからず首をひねっている。



 狙いは、この娘。リオだ!



 なんでこんな娘を。いったい誰が狙っているというんだ。


 サムライの仲間だから? いや、だからって狙われる理由にはならない。サムライを殺すための人質? それならこんなに殺気をまとってやってくる必要はない。むしろ気配を消してくるはずだ。



 こちらへむかってきているヤツ等の気配。それは、明らかにこの子を殺そうとしている!



 理由はわからない。それに、俺がなにもしなくとも、この娘の危機ならサムライが黙ってはいないだろう。


 いや、下手をするとすでにサムライの魔の手が迫ってきているかもしれない。


 そうなった時、このままここにいれば、俺も巻きこまれる。



 そう思った俺は、即座にここから逃げることを決めた。



「悪い。用事を思い出した。行かなくちゃいけないようだ」


「あ、そうなんだ。頭痛はもう平気なのかい?」


「ああ。もう平気だ。付き合ってくれて助かったよ。次の機会があったらそのサムライにあわせてもらおう」



「もちろんさ。今日は宿にいるから、いつでも来ておくれよ。もう、おいらとアンタは友達だからな!」



「……っ!」


 駆け出そうとした俺は、思わず足をとめた。



「実は、こういうの一度言ってみたかったんだよ。おいらの住んでたとこは治安悪くてさ。心許せるやつなんか一人もいなくて、こんな言葉間違っても言えなかったからさ」


 えへへ。と、リオははにかみながら笑った。



 俺は腕だけを上げ、返事を返し、リオの言葉を背にそこから走り出した。



 ……変なところで似ていやがるな。こいつと、俺は。



 俺も、似たようなものだ。この(シェイプシフト)を持って生まれて、疎まれて。『イクリプス』に拾われたあとも、いたのは仲間じゃなくて、すべて蹴倒すだけの邪魔者だった。



 ずっとずっと一人でいて。今も一人で……



 でもこいつは、サムライとであって変わった。心許せる人間ができて、こうして他人に手を伸ばせるようになった。


 あんな綺麗な笑顔を浮かべることができている。



 ひょっとして俺も、こいつやサムライに手を伸ばして一人じゃなく……そこまで考えて、俺は自分でそれを否定した。



 そんなこと考えてなんになる。俺の手はすでに多くの血で汚れている。


 そんな俺がなにを願う。そんな資格、俺にはすでに存在しない! すでに割り切っていたはずだというのに、なんで今更そんなことを思う!



 ひょっとして。




 ひょっとして俺は、こいつを羨ましいと思ったのか……!?




 こいつのように笑いたいとでも思ってしまったのか!?


 いや、そんなはずはねえ。こいつに近づいたのは、あくまでサムライの隙を見つけるため。この娘のことなんて俺には欠片も心に響かなかった。だから、この気持ちはこの娘とはなんの関係もないことだ。



 この娘が誰から狙われ、誰に命を狙われていようと、俺には関係ない。



 この娘が誰に殺されようと、誰にこの笑顔を潰えさせられようと、そんなの俺には関係ない。



 関係ない。が、気にいらねぇ。


 なにが気にいらないのかさっぱりわからないが、気にいらねえ。



 だから、憂さ晴らしをしなければいけない。



 ちょうどよく、ここに殺気をバリバリに纏った一団が来る。俺の機嫌が悪い時に間の悪いことだ。そいつらは、俺に喧嘩を売ったとみなす。


 どうせ俺に見逃されてもサムライに倒される命だ。なら俺が刈り取っても問題ないだろう。



 これはりんごの礼なんかじゃないし、あの娘にありえたかもしれない自分の姿を重ねたなんてこともない。ただただ、俺がイラついて、近くにそいつ等がきたからこのイラつきをぶつけようと考えただけのことだ。



 それ以外に、他意はない!




 通りの影に消えるのと同時に、俺は屋根の上に駆け上る。


 殺気のありかを探る。建物の影に潜み進む何者か。その数、四。俺はそれを確認し、屋根を蹴った。


 そして、路地の一番後ろで身を隠す男のうしろへと音もなく飛び降りた。その瞬間、相手は俺の存在に気づいたが、すでに遅い。爪を伸ばしその首をひとなで。それだけでその男は壊れた人形のように動かなくなった。


 残り、三。


 男を引きずり、影へと動かす。これで、しばらく誰にも見つからないだろう。


 そしてまた同じように屋根の上へと駆け上がり、別のところでリオの方へと近づく男の背後へ。また、ひとなで。


 剣に手をかけたところで男は倒れた。これで、残り二人。


 残りの二人は一緒に行動していた。


 それでもそいつ等は俺の敵ではない。


 二人一緒にいるからといって同じ場所を常に見ているわけではない。二人の視線がずれ、別々の場所を見ていれば死角が必ず生まれる。二人の視線がずれ、別々の方を見た瞬間、俺は屋根から飛び降り、一人の喉をなでた。



 男が小さく悲鳴をあげる。



 その悲鳴を聞き、残りの一人が剣を引き抜いた。俺はそれにあわせ、そいつの喉へと腕を伸ばす。



 ザッ!



 伸ばした爪が、斬りかかろうとした男の一撃より早く喉を貫いた。


 つう。と俺の頬から血が滴る。



「……」

 他愛ない。と言いたいところだが、地面に転がった男達を見て少し戦慄した。



 紙一重だった。こいつ等は俺のかすかな気配にも気づいて反応をしようとはしていたし、真正面から戦っていたら負けていただろう。相手が一人だったから勝てたが、三人いたら返り討ちにあっていたのはこっちだったろう。



 こいつらただものではない。暗殺者ではないが、相当な手だれだ。変装はしているが、あの身のこなし、こいつらは騎士か?



 髪をつかみ顔を確認してみるが、当然見覚えはない。身分をあらわすような物がないかを見てみるが、残念ながらそれらしい物は持っていなかった。


 だが、それで逆に俺は確信した。


 騎士でありながら、こんな方法さえ平然と行う騎士団に心当たりがあったからだ。



「まさか……リザレフ騎士団……?」


 なぜ領外のこんなところにその一団がいるのかと、声さえ漏らしてしまった。



 リザレフ騎士団。


 マクスウェル領の隣にあり、マクスウェル騎士団と共にかつて存在した北方の蛮族侵攻をおさえるため発足した武闘派集団。


 その騎士団の強さはマクスウェル騎士団と肩を並べるほどと言われ、それだけでなく自分達の信じる正義のためならどんな非道な手段もいとわないという、ビッグGさえ恐れる超過激派騎士団だ。


 王都にも近い。しかもリザレフ領でもないというのに、こんな無茶を平気でする騎士はあの騎士団しかいない。



 なんてヤツに、俺は手を出してしまったんだ。



 俺でさえこうして一瞬後悔するような一団に狙われるなんて、なにをやったんだよあの娘は。



 というか、ヤバイ……!



 この瞬間、俺は最悪の光景が眼に浮かんだ。


 最初のこいつ等は先遣隊だ。それが戻らず、第一陣が失敗したとなると、ヤツ等はさらに過激な方法に出る。



 間違いない。確信する。



 ヤツ等が次に行うのは、この村ごと目標を消すこと。ここに倒れた仲間ごと騎士団がそこを蹂躙し、灰にする。ヤツ等が一番好んで行う方法だ。


 たいていの場合それは大火事という事故で処理されてしまうが、ヤツ等の仕業である粛清は、年に何度かは発生しているという話さえ聞く。



 その引き金を引いてしまったのは、誰でもない俺だ……



 なんてこった。頭に血が上ってなんてことをしてしまったんだ……


 だが、まだ取り返しのつかないことではない。



 相手はまだ、この失敗に気づいていない。




 なら、俺が、この手でヤツ等を……!




 サムライが近くにいるというのに、俺はなにをトチ狂ったのか、そんなことを考えてしまった。



 たった一人の少女の笑顔を守るため戦うとか、どこぞの礼を求めないサムライのようだ。



 暗殺者一人がこの村を守ることなどできるはずもないのに、俺はそんなことを考え、そのリザレフ騎士団の潜むであろう場所を探すため動き出す。


 誰も望んでいないというのに、たった一人の娘の命を守ろうと……!




──エニエス──




「おや、エニエス殿か」

 マクマホン卿の護衛として王宮へ参上し、帰り支度のため単身廊下を歩いていると背後から声をかけられた。


 振り返り、その姿を確認すると、そこにいたのは五十を超えた壮健な男だった。


 額から頭部へ一筋白髪の束が見えるが、それ以外はとても五十を超えるとは思えないほど若々しい姿をしている。


 実際、その剣の腕も若かりし頃よりまったく衰えはないとさえ言われているほどの男だ。



 彼はリザレフ伯爵。マクスウェル領の隣にあるリザレフ領をおさめる御方である。


 領の広さこそはないが、彼の命令ならばいかなることも命さえいとわず実行する、勇猛果敢な騎士団を保有している。



 もっとも、武闘過激派と表現した方がしっくりくる一団だが……



 悪党はおろか、味方にまで恐れられる騎士団。それを束ねるのが、この男なのである。


 そんな伯爵様が、ドラゴン退治の功績があるとはいえ、マクマホン騎士団のしがない副官でしかない私にいったいなんのようだろうか?


 ドラゴン退治のことならば、共にやってきた団長のマイク様に聞けばよいのだし……



「聞きましたぞ。あの娘の話を」



「っ!」

 唐突に発せられたリザレフ伯爵の言葉に、私は思わず感情を表に出してしまった。



 それほど動揺する一言だったのだ。



 まさか、よりにもよって彼の耳にあの方の話が入ってしまうなんて……!


 リザレフ伯爵は、我が主マクマホン卿と同じ派閥ではあるが、その方法は正反対。静かにことを見守る卿(結果私が秘密かつ独断で動いている)に対し、この男は間違いなく直接あの方の抹殺を図るに違いない。過激が過ぎるこの方は、目的のためならば村さえ平気で焼き払いかねん。ゆえに耳に入らぬよう慎重に行動していたというのに。


「そんなに驚きめされるな。国の一大事となれば私の耳に入るのも当然。そなたも秘密裏になにかをしようとしているようだが、もう必要ないことなので伝えようと思ってな」


「なっ!?」



「なに、我等の目的は一緒。ならば、あとは私に任せておきたまえ」



 獰猛な狼のように、伯爵はにやりと笑った。その笑みは、この私も思わずぞっとするような飢えた肉食の獣を思わせた。



「で、ですがあの方には……」


 サムライも、あのマクスウェル家の次男。マックス様もいる。下手に手を出せば……!



「私には関係ないな。それともなにかね? 私に意見するとでも?」



「ひっ。あ、いえっ。滅相もございません!」


 私が彼の意に反することを言おうとした瞬間、あの笑みは得物を狙うような鋭い物に変わった。


 味方にさえこのような姿を見せ、恐れられる。規模こそ大きくないものの、その強さだけ見ればマクスウェル騎士団に勝るとも劣らないというのも、納得である。



「ならばよい。それに、勝手気ままに国をさすらうサムライとて、倒してしまってかまわぬのだろう?」



 くっ。なんと頼もしい発言だ。だが、伯爵はどうやらダークソードの件は情報を得ていないようだ。あれが発見された今、下手にサムライは排除できない。


 ドラゴンさえも蹴倒すあの圧倒的な強さは、ダークソードという脅威を排除するのに必要な力であると考えているから。



 だというのに、リザレフ伯爵はそんなのおかまいなしのようだ。



 むしろ、知っているのかもしれない。知っていてあえてサムライを排除し、騎士団の力を世に知らしめようと考えている可能性もありえる。


 やめさせたい。だが、私の言葉がこの方に届くことはないだろう。



 ゆえに私は、なにも言わないことにした。



 万一あの方の抹殺に成功するならばよし。サムライの逆鱗にふれ、返り討ちにあうもよし。


 どちらにしても、あのサムライ殿はあの方が狙われていることに気づいているのだ。



 それでもああして堂々と道を歩き、王都を目指している。



 それを村一つ壊滅させようとして勝てるとはとても思えなかった。


 むしろ、それこそ彼の逆鱗に触れるような悪手。



 そんなことをしようとすれば、間違いなくその騎士団は……



「……」


 自信満々に去ってゆくリザレフ伯爵の背中を見て、私はむしろチャンスであると考えた。


 サムライに騎士団が返り討ちにあえば、リザレフ伯爵の力は一気に削がれる。それを利用し、追い討ちをかけることができれば、伯爵を追い落とすことができる。


 彼が消えれば、のちのマクマホン卿の地位はさらに上がるだろう。



 ならば……



 その背中へ向け、私もにやりと笑みを浮かべた。




 こうなれば、サムライも、その力も利用してくれる……!




────




 レイムレーヴの村の裏手にはこの村で使う鉄を産出する山があり、その裏には広大な森が広がっている。


 村では鍛冶のためマキが大量に消費されるため、周囲の森を計画的に栽培、伐採しているのだが、この裏手に広がる森は現在育成中の森であり、村の者はほとんど入らぬ土地になっていた。



 その森の中に広がる小さな平原。



 リオを狙うリザレフ騎士団の一団。彼等はそこに潜んでいる。



「……戻らぬ、か」


 リオ抹殺部隊の隊長がつぶやいた。


 先遣隊の四名の精鋭が時間になっても報告にも戻らぬことについてだ。

 戻ってさえ来ないということは、返り討ちにあったのだろうということは簡単に推測できた。


 隊長はゆっくりと目を瞑り、そして次の作戦を決定する。



「予定通り、村ごと消す」


「はっ!」


 隊長のつぶきに、二十五名の精鋭達は一斉に返事を返した。


 隊長をふくめ三十名(戻ってこない四名ふくむ)と少ない数だが、これだけで数百人いる村を滅ぼすのはわけない実力を持った猛者達だ。


 それだけでなく、どんな非道なことをしようと眉一つ動かさず、むしろ嬉々としてやってのける。


 リザレフ伯爵の命令は絶対。この騎士団は、それを確実に行えるもの。もしくはそれを喜びとして行えるもののみから構成される集団なのである。



 これが、敵にも味方にも恐れられるゆえんだ。



 ゆえに、この決定に異を唱える者は一人としていなかった。



「全員を斬り殺し、そして火を放て。今回は鍛冶で使われた炉の火が村へと牙を剥き、すべてを焼きつくしたとする」

 計画としては凶暴な強盗集団のせいにでもしておけばいい。


 どうせ皆殺しにして火をつけ焼き尽くし、返ってこぬ部下ごと証拠は隠滅されてしまうのだ。


 それは、いつもの彼等のやり方であった。



「では、作戦を変更する。行くぞ!」

「はっ!」


 隊長の命令に、隊員が答えた直後。



「ぐあっ!」


 騎士の一人が突然糸の切れた人形のように、膝から崩れ落ちた。



 どさりと倒れ、ぱっくりと割れた喉から血を流している。


 絶命しているのは明らかだった。



「敵襲!」


 声と発するのと同時に、隣にいた騎士が剣を引き抜き近くの草むらを薙いだ。


 背の低い草が舞い、そこから白い毛を散らし、小さな影がとび出す。


 鋭い一撃をなんとかかわし着地した白い影を、騎士団全員が睨みつける。



 そこには、白く美しい毛並みを持つ猫が四本の足を地面につけ、立っていた。



(ちっ)



 白い猫。サイレントエッジが心の中で舌打ちをした。




──サイレントエッジ──




 くそっ。二人は不意打ちで始末できると思ったってのに、たった一人しか殺れないなんてなんて反応だ。最初に来た騎士よりさらに強いヤツ等が集まっているってのかよ。


 俺は心の中で舌打ちをした。



 これが、この国で最も凶暴と恐れられるリザレフ騎士団……!



 だが、だからってもう逃げ場はない。すでに覚悟は完了している!


 俺はジグザグに走り、斬りつけてきた騎士へと近づいた。



 びゅん。と剣が頭の上をかするが、それをかわし、喉へと噛みつく。



 猫という小さな体だが、ここに食いつければ例え大きな人間でも十分致命傷を与えることができる。


 ぐらりと仰向けに倒れるそいつの頭を蹴り飛ぶ。



 びゅん。と俺のいた場所を剣が掠めた。



 間一髪でかわしたが、左の肩あたりから小さく血が舞った。



 完全にかわしたと思ったってのに、かすっていたらしい。空中で一回転し、人間と猫の中間体。いわゆる『戦闘形態』へと変化した。足を伸ばし、爪を伸ばして剣を振るったヤツの顔を狙う。


 しかし、その一撃はかわされた。



 攻撃後の隙をついたというのに、この一撃をかわしやがった。


 着地し、まだのけぞっているそいつとの間合いを一気につめ喉を……



 ……引き裂こうとする直前、俺は背後へバックステップをした。



 刹那、俺の蹴りをかわした騎士の胸から剣がはえた。


 その背後にいた騎士が、仲間ごと俺を殺すため剣を突き刺したのだ。



 仲間を、なんてヤツだ。



 だが、敵が一人減った。それでいい。



 これで残りは、二十三。



 身をひるがえし、人間形態になり長く伸びた髪を振り回す。


 何本もの髪が抜け、周囲に飛び散る。逆立てた毛を針のように飛ばしたのだ。


 何人かの騎士から悲鳴があがる。


 この一撃で視界を奪われ、俺を見失った騎士の懐へと飛びこみ、猫へと姿を変えながら、急所を一刺し。



 ついで、そいつの股下を潜り抜け、走る。



 足元には背の低い草が生い茂っている。これで一瞬はヤツ等は俺を見失うは……っ!?




 ゴッ!!




 俺のターンは、そこまでだったと言ってもいい……



 崩れる騎士の足元を抜けた直後、俺は腹に衝撃を受け宙を舞った。



 息が詰まる。くるくると回転する視界に一人の騎士がなにかを蹴り上げた格好でいるのが見えた。


 くそっ。あんな名もない騎士Aみたいなのでさえ俺を見失うことなく補足して俺を蹴り上げたのかよ!



 とっさに戦闘形態になり舞い上がるその力を利用し、そいつの喉に爪をつきたてた。



 そのどこにでもいそうな騎士Aは口から血を吐き倒れてゆく。


 こんな名もない騎士Aのようなヤツでもこの反応。リザレフ騎士団は本当に噂どおりの……



 視界に、隊長と思しい騎士が槍を逆手に持ち帰るのが見えた。




 やばい……!




 下手なことを考えている場合じゃない。


 槍を逆手に持ち、それを俺に向けて振りかぶる。



 背筋が凍り、とっさに体をねじろうとするが、宙に浮いている俺の体はそれをかわすことができなかった。



 びゅん! と風を穿つ音とともに、俺はその槍とともに平原を抜けた木に磔にされた。



 なんてパワーと正確性だ……!



 腹に穴が開いちまったじゃねえか。


 ついでに最初の蹴りで、アバラもやられた。内蔵とともに、こいつは痛い。



 爪で槍の柄を斬り、腹から抜いてその傷を変化の力で塞ぐ。



 変化の力でアバラも元の形へとゆがめる。



 一見すると傷がなくなったように見えるが、実は強引に塞いだだけで、外面を繕っているだけのはりぼてだ。血だけはとまるけどな。



 くそっ。やっぱりとんでもない。



 真正面から戦うなんて、暗殺者のすることじゃねぇ。


 背中を木に預け、休んでいる俺のところにむかい、残り二十一人を数えるヤツ等が俺にとどめをさそうとむかってきている。



「シェイプシフターか。なぜこんなところに」

「わからんが、作戦の障害にはなりえん。排除した後、作戦に戻るぞ」


 騎士の誰かと隊長の口がそう動いているのが見えた。



 ははっ。理由なんてわかるわけねーよな。



 まさか暗殺者が人助けってヤツをしてみたくなったなんて、誰が信じるよ。


 あのサムライみたいに、無償で誰も感謝してくれることもないのにお前等なんかを相手にしているなんてな……!



「本当にわからん」

「たった一人で、我等に勝てるなんて、なぜ思った」



 知っているよ。



 暗殺者ごときが三十人からなる騎士団を全て暗殺できるなんて思っちゃいない。




 でもなっ……!




 それでも、俺はあの子を自分の手で守りたいと思ったんだ。



 サムライが守っているから必要ないとかそんなの関係ない。ただ俺が、自分の意思で、自分の友達を守りたいと思ったんだ!


 だから、サムライがいるから無駄な努力だだとか言われる筋合いはねえし、勝てないんだから戦うのが無駄だとかそういうのは俺には無意味な言葉なんだよ!



 ……ひょっとすると俺は、サムライのマネをして、リオの興味をひきたかっただけなのかもしれない。



 あいつの笑顔と、ありがとうという声を聞きたいだけなのかもしれない。


 だが、戦う理由なんて、それだけで十分だ! 十分だから、俺は、こんなこともできる!



 今までセーブしていた心の内側にあったなにかをかちりとはずす。



 例えるなら、そう。リミッターだ。




 これは、奥の手。




 暗殺に使うにはあまりに派手すぎるから今までまともに使ってこなかったが、こういう場合は間違いなく有効な手段だ!


 喉の奥から声を張り出し、俺はそれを開放した!



「『妖獣開放!』」



 戦闘のため、猫の特性を表に出したまま人の姿を取るのが戦闘形態。それをさらに一段進め、人間サイズの獣へと変化するのがこれだ。


 完全な獣と化し、相手を殺すという力は格段にあがるが、暗殺に適さぬ巨体と本能は滅多に使うことなんてなかった。



 だが、こういった場合の乱戦には非常に有効な手段になる!



 俺の体が長い毛に覆われ、猫にもトラにも似た二本の尾を持つバケモノへと変化する。



「ガアアァァァァァ!」



 俺の咆哮が合図となり、戦いが再開された。


 熊を超える巨体でありながら、猫を超える瞬発力でヤツ等を翻弄し、巨大化した爪で一人、また一人と騎士を切り裂いてゆく。



 しかし、その巨体に対し騎士達も剣をつきたてる。




 何度も何度も何度も。何本も、何本も何本も。




 俺の体は引き裂かれ、そのたびに体を変化させ即座に表面を繕い、傷がふさがったように見せる。



 相手から見れば、斬っても斬っても倒れず動き回るその姿は不死身のバケモノを相手にしているかのようだろう。


「ふ、不死身かこいつは!」

「ば、ばけもの……!」


 いかなリザレフ騎士団とはいえヤツ等も人間。不安が表に出れば表情が変わる。



 そうしてひるんだヤツを狙い、俺はそいつとの間合いをつめ、その喉へと噛みついた。



 それを食いちぎるのと同時に、残った体を他のヤツに投げつけ、さらに爪を振るう。


 ヤツ等ももう死ぬ物狂いだ。あの隊長ですら余裕を失い、大声を上げながら俺に剣を振り下ろしてくる。



 さあ、勝負だぜ人間。



 俺の命が尽きるのが先か、それともお前達が全滅するのが先か。勝負だ!



「ひるむな。殺せ。なんとしても殺せー!」




 ……




 …………




 ………………




「はあ。はあ」


 森の中にある平原に、騎士達のむくろが転がっている。



 荒い息をはいているのは、俺だ。



 すでに『妖獣開放』も維持できず、今は戦闘形態に戻って体中は血まみれだ。


 それは、自分の血なのか、騎士達の血なのか。それさえわからない。



 だが、森の中に立って息をしているのは、ここにいる俺一人だけだ……




 勝った。




 ここで動く者はもう誰もいない。あのリザレフ騎士団から、俺は友達を守りきった!


 ざまあみろサムライ。お前が守るはずだったものを、お前より早く俺が守ってやったぞ。お前より、俺の方が上だ! お前なんて、リオを守るのに必要なかったんだ!


 俺はこぶしを握り、喜びをあらわにした。



 あとは、あとは……



 フラフラと、森の中を歩く。



 気づくと、俺は村に戻ってきていた。


 血まみれの体で人に見つからなかったのは、骨の髄まで暗殺の技術が身についているってことかね。



 遠くには、なにも知らず村の通りを歩くリオの姿が見えた。



 その姿を見て、俺は彼女を守りきったのだと確信した。



「ははっ」



 それを見て、俺はなぜかとてもいい気分になった。


 暗殺じゃ得られなかった不思議な充実感。それが、俺を包みこむ。



 これが、人知れず人を救うサムライの気分か。悪くねぇ。



 でも、俺にはちと過ぎた褒美だったみたいだな。


 膝が地面に落ち、体が倒れた。


 なんとか体を猫に変える。このまま人の姿でくたばっているのが見つかっては、リオのヤツを悲しませることになっちまうからな……



 悪いな、リオ。約束は、守れない。



 裏路地で倒れ、建物の影で死ぬ。


 俺みたいなクズにはお似合いの死に様だよ……



 不思議な充実感に身を任せ、俺はそのまま、意識を闇に手放した。



 俺が、どこか深い暗闇の底へと沈んでゆく……




 あぁ、これが、死か……




──リザレフ──




「……全滅、だと?」

 私はその報告を聞いて、愕然とした。


 娘一人殺せぬどころか、村にも傷一つなく、それどころか私子飼いの騎士達だけは全滅したという報告が私の元にもたらされたからだ。



 まるで巨大な獣にでも襲われたかのような姿で彼等は発見されたのだそうだ。



 なぜそこに騎士達がいたのかは問題にはされなかったし、獣にやられ、あくまで事故ということで処理されることになった。


 これが、事故? そんなわけあるはずがない。



 だが、なぜ私の計画が破綻したのかはわからない。



 まさか、本当にサムライが? 獣の仕業のように工作したとでもいうのか?


 ありえん。と否定したいところだが、騎士団が全滅したのは事実……!



 考えをまとめようと目をつぶろうとしたその瞬間……



「失礼する!」



 乱暴に扉を開け、数人の男達が私の私室へ踏みこんできた。


 思考を邪魔され、イラつきが最高潮に達した私は、こめかみをひくつかせながら立ち上がる。



 いったい誰だ。私の部屋へ無断で踏みこむ愚か者は。この私を誰だと心得る。リザレフ伯爵なるぞ!



 しかし、踏みこんできた先頭に立つ騎士を見て、私は目を剥いて驚いた。


 キラキラと美しく輝く剣を私に向け、きらびやかな鎧を来た彼こそは、この国の王子。ゲオルグ様だったのだ!



「なっ、なっ!?」

 困惑する私を尻目に、王子は堂々と口を開く。



「我等は王栄騎士団。リザレフ伯爵。あなたの息子に誘拐の容疑がかかっている。それについて、あなたにもそれに手を貸した容疑がかけられた。それ以外にも他領においての虐殺の容疑もかかっている! ゆえに、あなたを逮捕しに来た!」



「お、王栄騎士団だと!?」


 王栄騎士団。それは、この国を守るため、領を超えた犯罪を取り締まる国王直属の治安維持部隊。そこには身分の垣根はなく、平民であろうが王子であろうが平等にあつかわれるこの国唯一の身分を超越した超法的機関だ。



 そいつが、私を……!?



「そんなっ、ま、待ってください王子! 私は、私はあなたのために……!」


 息子が愚かなことをしていたのは認めよう。しかし、私の行動は、すべてあなたのためを思ってのことだ!

 ゲインザイ領の虐殺も、あなたに牙をむこうとする者を排除しただけだし、リーズベナンの街に毒をまいたのもあの娘を取りこもうと画策した一団がいたからだ!



 すべては、すべてはあなたのためだというのに、あなたの忠義の僕である私が、なぜ王子に断罪されなければならない!



「違う、違います王子! 話を……!」



「今の私は王子ではない! 私は王栄騎士団五番隊隊長のゲオルグ! それ以上でも以下でもない! 連れて行け!」


「はっ!」



 私の話を一言で切り捨てた王子は、部下に指示を出し私を連れ出した。



 私は暴れようとするが、時すでに遅かった。


 三人の騎士にとりおさえられ、私は外へと引きずられてゆく。



 なぜだ。なぜ、私が。わたしがあぁぁぁぁ!



 この後、王栄騎士団五番隊の調査により、リザレフ伯爵の悪行は次々と暴かれた。


 踏みこむきっかけとなったのは、マクマホン領内で起きようとした名もなき村での誘拐未遂事件。あれを突破口にし、王栄騎士団はリザレフ伯爵の屋敷を調査するにいたったのである。



 結果、悪行の証拠が出るわ出るわ。



 これにより、北方の蛮族からこの国を守るため生まれたリザレフ領は消滅することとなる。


 その土地は隣にあるマクスウェル家預かりとなり、いずれ手柄を立て、領主に抜擢された何者かが王より拝領を許されることとなるだろう……




──エニエス──




「……やはり、か」


 予想通り、リザレフ伯爵の騎士団は全滅した。



 私は全員サムライに斬り殺されるかと予測していたが、結果は違った。



 リザレフ騎士団の騎士達は全員なにか獣のようなモノにやられた形で発見された。これは正体不明の巨大な獣にやられたということで処理された。


 レイムレーヴの村は一時警戒を余儀なくされたが、その獣は発見されず、数日すれば元の生活に戻ったことだろう。



 これは、なにも知らぬものから見れば、ただの不幸な事故にしか見えなかっただろう。しかし、裏を知る者からみると、これは舌を巻くほどに見事な工作にしか感じられなかった。


 これは、あの時と同じである。



 私が雇った男達を同士討ちに見せかけた、あの時と。



 サムライは獣の仕業に見せることにより、リザレフ騎士団を全て倒したのだ。


 熊を超える巨大な獣の仕業というが、サムライならばそれくらいやってのけるだろう。いや、サムライだからこそできる芸当だ。



 相変わらず、尻尾を見せない見事な手腕である。



 これではどれだけサムライを騎士殺しとして追及しようとしても、事故で言い逃れされてしまう。


 なにより、リザレフ伯爵はこの一件を表に出し、騎士団を壊滅させた犯人探しなどすることはないだろう。獣のせいではないと公表すれば、騎士団がなぜあの地にいて、なぜ消滅したかの理由を説明しなくてはならないし、なにより彼は、騎士団について発言できる立場にないからだ。



 こちらも、まさかこんなにうまくいくとは思わなかった。


 マクマホン領で起きた誘拐未遂事件。その情報を王栄騎士団に事細かに流し、リザレフ伯爵逮捕の流れを作り出したのは私の手腕だ。おかげで、騎士団がいなくなり強行突破を軽々と許したリザレフ伯爵は、今までの武闘過激な正義の執行を断罪され、失脚した。


 リザレフ領は取り潰され、新たに選出された何者かがその領を得ることとなるだろう。



 あの誘拐未遂事件にもサムライ(マックス様がだが)が関わっていたのだから、リザレフ伯爵もそれがとっかかりとなるのなら満足だろう。



 しかし、親が親なら子も子だな。バレければなにをしてもいいという考えを持ち、他領で好き勝手なことを行うところは……


 明らかになった彼等の悪行を見て、見るのも嫌になりため息をついた。



「しかし、困った……」



 暴れん坊のリザレフがいなくなったのはいいが、最大の問題はまだ消えていない。むしろ残ったままだ。



 あの方を抹殺するにはあのサムライは避けて通れぬ道だ。



 しかし、サムライに対しあのリザレフ騎士団さえ手も足も出ず消滅したとなると、あのサムライと真正面から戦える集団はこの国にはないと断言できるだろう。


 街の悪党集団を倒し、ドラゴンも倒し、騎士団さえも軽々と倒して見せたサムライ。



 そんなカイブツがあの方を守っているのだ。



 私のため息もわかってもらえると思う。



 だが、私は諦めない。このままあの方が王都へ到着すれば、この国は大きな混乱に襲われるだろう。


 二つの勢力がぶつかり合い、間違いなくこの国は二つに割れる。



 それだけは、絶対に避けねばならないのだから!




────




 レイムレーヴの村。


 そこにある宿の食堂。



 そこでツカサ達三人は夕飯をとっていた。



 互いに今日なにがあったのかということをその席で話している。


 マックスは新たに手に入れた剣の話を。そして、リオは新しくできた友の話を。



「てぇわけで、今日一人友達が増えたんだぜ」


「へえ」


「用事があってどっかいっちまったから、また会えるかはわからないけどさ」



 ツカサの同意に、リオは少し残念そうに笑った。



『おれっちがそこにいたのなら、すぐにでもどこ行ったか調べてやれるんだがなぁ』


「それはそれで風情がねーだろ」


『そうか?』



 オーマの言葉に、リオがあきれている。



「縁があったらまたあえる。ということにござるな」


「そういうこった。だからオーマはダメなんだよ」


『なっ!? おれっちが悪いのか!?』


「うむ。今のはオーマ殿が悪い」


「ノーコメントで」


『それって無言で肯定してるってことだよな相棒!』


「あ、そうだ二人とも」


「ん? なにツカサ?」


「なんでござる?」


『話題そらした! 相棒あからさまに話題をそらしたー!」』


 オーマが悲痛の叫びをあげるが、彼等はそれをそっと無視した。


 ただし、ツカサがオーマの柄頭を軽くなでると、気持ちよさそうな声を上げ黙ってしまったが。



 ツカサは懐から二つのアクセサリーを取り出し、二人にそれを渡した。



 ぽん。と手にのせられた髪留めととめ具を見て、二人はぽかんと口を開けた。



 別にリオにとめ具、マックスに髪留めを渡すという失敗をしたわけではない。二人は手にのった代物を見て、驚きのあまりぽかんとしてしまったのだ。


 店の中にともされた光に、二つはきらりと反射する。



「こ、これは?」

「なんに、ござる?」



「プレゼント。見てまわって、二人に似合うと思ってさ。いつも俺に色々してくれているから、そのお礼ってヤツだよ。ありがとな」



 ツカサは今回、思っていたことをきちんと口にすることができた。


 この二人とはかなり長い時間一緒にいるから、慣れてきたという証なのだろう。



「うっ、うおおぉぉぉん!」



 とめ具を両手にのせ、とても大事そうにマックスは天にそれをかかげながら吼えた。しかも泣いた。


 思わずツカサもびくぅと体を震わせるほどに、びっくりしたほどである。



(喜びすぎだろ)

「喜びすぎだろ」


 ツカサがそう思うのと同時に、リオもその言葉を発していた。



「ったく。こ、こんな小物一つもらったくらいで家宝にするとかよ。なにかんがえてんだよ。ったく」


『顔が緩みきってるぜリオー』


「そ、そんなことねー!」


 真っ赤になってにへにへわらって口元が緩みまくっている状態では、説得力は欠片もなかった。



 それを見てツカサも嬉しそうに笑う。



「喜んでもらえて、よかったよ」


「……よ、よろこんでなんて、なくも、ないけど……ありがと」


 後半は早口小声だったが、よく通る声なのでツカサの耳にきちんと届いた。



「どういたしまして」


 そう笑顔を向けられリオはツカサから顔を背けてしまったが、そっと手元にある髪留めを見おろし、「にへへ」と笑ってしまうのだった。


 人の出会いは一期一会。そのおかげで、リオもツカサも。そしてこの村も救われ、リオはかけがえのない宝物を手に入れた。


 このプレゼントを見るたび、彼女はこの村のことを思い出すだろう。



 そして、ほんの少しだけ話をした、友人のことも……



 しかし、この後リオとその友人。サイレントエッジは二度と会うことはないだろう。




 なぜならこの世にもう、サイレントエッジはいないのだから……




──サイレントエッジ──




「……」


 ゆらゆらと海面のようなところを漂うような感覚。


 そこから、波が引いて、意識がはっきりとしていって……



 ぱちり。



 俺は、目を覚ました。


 木の天井が視界に入る。なんだ? ここは? 地獄にしては、偉く小奇麗なところだ。まるで、医者のような……



「おお、やっと目を覚ましなさったか。一週間も眠り続けて、心配したぞ」



 俺にむけて声が響き、俺は驚いてそちらへ顔を向けた。



 今の俺は猫だった。足元には白いシーツが敷き詰められ、カゴに寝かされていた。頭を持ち上げると、小屋と思われる部屋の中にはバンダナを巻いた樽のような体形のじいさんがいた。


 なん、だ? ちょっと太目のこの爺さんが、地獄の門番とでもいうのか? いや、なにかおかしい。



「ああ、事情が飲みこめておらんのか。それもそうだな。見た目は軽傷に見えて、致命傷をいくつもうけておったのだからな。自分の状況を理解しておれば、不思議にもなるか」


 じいさんは俺が混乱するのを見て、わっはっはと笑った。その受け答えはまるで、俺がただの猫じゃないのを知っているかのようだ。



 地獄の悪魔なら納得だがそんなわけはない。



 むしろ、俺が生きていて、このじいさんに看病されていたと考えた方が納得がいく。


 いや、納得はいかない。あの怪我で、なぜ俺は生きている! 最低でも四つの致命傷を受けていたのだから、あのまま死んでいるのが普通じゃないか!



 猫の体でぺたぺたといろんなところをまさぐる。



 余計に信じられないことがわかった。傷そのものがないといっていい状態になっている。小さな傷跡が残っているが、あれほどの大怪我でこんな小さな傷跡だなんて、いくら姿を取り繕えるシェイプシフターだからってありえるはずがない!


 俺はカゴの上で、自分の体を観察してくるくると回ってしまった。



 それを見て、じいさんはまた笑う。



「不思議のようじゃな。なら、あの子に感謝するといい。親切な少年が君を獣医であるワシのところへはこびこみ、その命を助けるため神秘の霊薬。『妖精の粉』を使ってくれたんじゃからな。でなければ、あんな大怪我をおって助かるはずがない」



 なん、だと……?



 俺は獣医というじいさんの言葉に信じられないと目を見開いた。『妖精の粉』といえばどんな怪我もたちまち癒すといわれ、買えばひと舐め十万、百万はくだらないというとんでもない霊薬だ。


 時の王でさえどれだけ欲しがっても妖精の気まぐれでしか手に入らないという伝説の品物だってのに、そんなとんでもないものを一体誰が俺に! しかもあの時の俺は、ただの猫なんだぞ!



 ぽかんとじいさんを見ている俺を見て、じいさんはまた笑った。



「ワシも驚いたよ。じゃがな、君を運びこんできた少年。ツカサ君はこう言ったんじゃよ。『この子を死なせるわけにはいかない! とてつもない借りがあるんだから!』とな」


 俺は、じいさんの言葉に体が揺れた。体の中で爆発したような衝撃が俺の中をかけめぐった。



 なんだそれ? なんでサムライが、俺を助ける。



 意味がわからなかった。



 俺はヤツを殺そうと何度も何度も命を狙った。そんな俺を、なぜあいつが助ける! あいつにとって俺は、命を狙う危険な暗殺者じゃないか!


 そんな俺を助けるような借り。そんなの心当たりは……



 ……一つだけ、ないことはなかった。




 それは、命を懸けて、リオを助けたこと。




 だが、なんでそれでお前が神秘の霊薬なんて言われるほど貴重な薬を使って俺を助けるんだよ!


 意味がわからない。俺が生きていれば、また命を狙われるというのに。



 本当になにを考えていやがるんだ!



「しかし、驚いた」

 俺が困惑していると、じいさんは白湯を皿に注ぎ、俺の転がるカゴへ置いた。



「彼の言っていたとおりじゃな。君は、生まれ変わった……」


 俺を見て、じいさんはため息をついた。



 ……はっ? 一瞬じいさんの言っている意味が理解できなかった。



 じいさんの言葉を頭の中で反芻し、じっくりと頭の中で繰り返すことで、やっとその意味が理解できた。


 理解できたが、生まれ変わったとは、どういうことだ……?



 いや、本当はもう、理解してる。



 あのサムライが、このじいさんにどんな意味の言伝を残したのか。



 だがそれは、あまりに俺にとって虫のよすぎることだった。



 彼の言葉を素直に受け取れば、暗殺者サイレントエッジは死に、別のなにかに生まれ変わったということになる。それはつまり、暗殺者をやめて、別の人生を生きろということだ……



 だから、だからサムライは俺を生かしたってのか? たった一人の人間を助けたくらいで……?



 信じられなかった。だが、あのサムライならそれくらいやってしまうと思わせるなにかがあった。


 敵のことさえ思いやるような、大きな大きな器が……



 なんなんだお前は。



 なんで敵である俺のことまで考えてんだよ!


 サムライに情けをかけられて、俺はくやしかった。だが、その中で一番わけがわからないのは、そう言われて、暗殺者失格だと伝えられて嬉しいと思う自分の気持ちだった。



 俺はその日、泣いて泣いて泣いて泣きまくった。



 泣きつかれ寝て、朝起きると世界が今までと違って見えた。



 さようなら。サイレントエッジ。




 おはよう。新しいあたし……




──ツカサ──




 これは、夕方も近くなり、リオがとったであろう宿を探して歩いている時の話だ。


 そんなに広くもない村だが、鍛冶の村でもあるからマックスのように武器や防具、その他装身具を買い求めるお客が多いので宿の数は多い。



 なのでフラフラフラフラと目的の目印があげられた宿を探して歩いていると、建物の影となる裏路地に白い物体が見えた。



 あの白さは見まごうはずがないと近づいてみると、えらくぼろぼろで腹から血を流している白猫の姿が目に飛びこんできた。


 あまりのぼろぼろさに絶句する。



『こ、こいつは……あまりに反応が小さくなりすぎて、おれっちでも気づかなかったぜ。一体なにがあったんだ?』



 なにがあったのかは俺にもわからない。この子はいつも俺達についてきたこの村の猫からすればよそ者だ。ひょっとすると縄張り争いで喧嘩したのかもしれない。はたまた、誰か心無い何者かにやられてしまったのかもしれない。


 だが、神でもない俺にその理由はさっぱりわからなかった。



『この怪我じゃ、もう助からねぇな』



 じんわりとお腹から血があふれ、体のいたるところの毛が刈られたように切れている。


 このぐったり具合から、俺にもこの子は長くないと悟れた。


 無理だ。と肯定するのは楽勝だった。でも俺は、カバンからタオルを取り出し、この子を抱えあげる。出血そのものが少なく見えるのが不思議だが、そんなところを不思議がっている場合じゃない。



『あ、相棒、どうすんだ? まさか……!』


 そのまさかさ!



「もちろん助ける」



『なっ!?』


 オーマも絶句していた。そりゃそうか。たかだか猫一匹をそんな必死になって救う理由がどこにあるのかと思うのも無理はない。


 だが、俺はこの子のすべすべ毛ざわりにずいぶんとお世話になった。ここで死なせては、俺の撫でリストとしての名が廃るし、ナデナデ界にとって大きな損失だ!


 俺は彼女を持ち上げ、ダッと走り出した。



 目的地は、さっきの鍛冶屋! 獣医を自称するおじさんのところだ!



 大急ぎで店に飛びこみ、この猫を見せた。


 おじさんもこの子の惨状を見て飛び上がり、即座に裏の治療所へ案内してくれた。



 だが、診察台に乗せた直後、おじさんは即座に首を振った。診断は、オーマがくだしたのと同じだった。



「外もぼろぼろじゃが、中はもっとひどい。今生きておるのが奇蹟みたいなもんじゃ……」


「だからって、この子を死なせるわけには行かないんです! この子には、とてつもない借りがあるんだから!」


「なんじゃと……!? いや、ワシにはとても信じられん」



 俺の一言で、おじさんもなにかを悟ったようだ。


 さすが一流の撫でリスト。このボロボロな子の毛並みが実はすごいのだと気づいてくれたようだ。



「今はこんな状態だけど、生き残れば必ず見違えた姿になるから。どうにかして助けられませんか!?」


「無理じゃ。いくらワシでも、ここまでボロボロでは、奇蹟や魔法がなくては……!」


 しかし、おじさんは悔しそうに唇を噛んだ。


 例えこの子の毛並みがボロボロのままであっても、おじさんは命を助けようとしただろう。それさえさじを投げるというのは、まさに絶望。



 魔法や奇蹟という人知を超えた力に頼らねばこの子は救えないということだった。



 いくら獣医がいたとしても、この人は魔法は使えない。使えるならばすでに使っているはずだ。せっかくのファンタジー世界だというの……に……!



 ぴん。と頭になにかが閃いた。



 そういえばあれがあった。確か、カバンに……!


 診察台にカバンを放り出し、その中をあさる。



「ど、どうしたんだいきなり!?」


『あ、相棒!?』



「あった!」



 俺はカバンの中から小さな小瓶を取り出す。


 こいつを使えば、この子は助かるかもしれない!



 この小瓶の中には『妖精の粉』と呼ばれるどんな怪我でも治してくれるという万能治療薬が入っている!



 これに入っている分しかストックはないが、猫の小さな体なら潤沢に使うことができるだろう!


『まさか相棒、本気なのか!?』


「本気も本気だ! こういう時使わず、いつ使う!」



「な、なにかねそれは!?」



 オーマとおじさんの驚きを無視し、俺はビンのフタを空け金色に輝くその粉をこの白猫にふりかけた。


 キラキラ輝く粉が、猫の体に触れると金色に輝きはじめる。



 するとみるみるうちにその傷が癒えてゆき、浅かった呼吸も力強く、安定してゆく。



「これはまさか、話に聞く『妖精の粉』……! これなら、助かるかもしれん!」



 光の繭に包まれた猫を見て、おじさんも驚きの声を漏らした。


 俺も『妖精の粉』を使うのははじめてだけど、なんて幻想的な光景なんだ。



 光が消えても毛が汚くぼろぼろな汚れは落ちなかったが、その体は一瞬にして治ったように見える。



「……」



 恐る恐るおじさんが白猫の体に触れる。


 すーすーと気持ちよさそうに眠る猫の体に優しく触れ、彼はうなずいた。



「怪我が、消えておる。すごいのこいつは……」


「看板に偽りなしか」


 俺は粉のはいっていた小瓶を持ち上げ、これをオーマにくくりつけてくれたユラフニッツ村のニースちゃんに感謝した。



 おかげで、命を一つ助けることができたよ。



 俺は眠る白猫の体を優しくなでた。なにかに斬られたのか、毛がふぞろいでばらばらだ。さすがの『妖精の粉』もそこまでは直してくれるわけじゃないらしい。これじゃしばらくはあの超艶々な毛並みは味わえないだろう。



 でも、体を洗って毛がはえそろえば見違えるほどの存在になりますぜダンナ。それこそ、生まれ変わったかのように!



「あとは、いつ目覚めるかじゃな。怪我も治ったから、いつ目覚めても不思議はないが、怪我で体力も奪われておるし、明日になるか数日後になるかはなんとも言えんな」


「そうですか」


『つっても、さすがにおれっち達がこいつを連れて行くわけにもいかないぜ?』


「ああ。だから、悪いんですけどこいつが目を覚まして出て行くまでここで預かってもらえませんか?」


 この子は元々ノラだ。怪我が治れば勝手に出てゆくだろう。それまでお願いできないかと、俺は頭をさげた。



「いや、かまわんよ。むしろこちらが世話を願いたいくらいだよ。君のおかげで、この子は助かったのだからな。『妖精の粉』を迷わず使えるとは、さすが、君じゃよ」


 ぽんと肩を叩き、おじさんは親指を立てた。



 さすが一流撫でリスト。俺達の心はすぐに通じ合う!



「では、こちらでこの子を預かろう。君の見立てどおり、美しい毛並みを持つ子に戻るのかも興味あるしな」

 やはり、そこに興味がいきますね。


「安心してください。まるで生まれ変わったかのように、必ずため息をついてしまうほどの子が姿を現しますよ!」

「そいつは楽しみじゃ」



 ちなみに撫でリストあるある。


 撫でリストは、モフモフする動物と話す時は人間に話しかけるのと同じように話しかける。相手が猫だろうが犬

だろうが羊だろうがなんだろうが友のように語り掛けてしまうのだ。そうして話しかけている撫でリストを見かけても不審に思わないようお願いしたい!


 だからこのおじさんも俺に話しかけるように他の動物にも話しかけることだろう。



 俺は余計なことと思いつつも、治療費として一万ゴルド金貨をタオルの下にしのばせ、俺達はこの診療所を去った。



 この村から出発する前にもう一度見舞いに行こうかとも思ったけど、そっと置いておいた一万ゴルドを突っ返されると困るので見舞いは遠慮することにした。非常に名残惜しく思いながらも、俺達はレイムレーヴの村をあとにする。




 元気になって、また美しい毛並みを揺らしながら走るのを祈りながら……




 おしまい

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