第16話 天の雷はサムライの怒り
──ツカサ──
俺達はいよいよマクマホン領を抜け、ガワンディ領というところに入った。ドラゴン救援から武闘大会と脇街道への寄り道も、この小さな領を抜けながら北上することで、西へと向かう大街道へ合流することとなる。
今日も今日とて俺達はとてとてと歩き、大街道を目指して道を歩き、このガワンディ領最大の都市ガワンディへ到着した。
最大。というけど、小さな領ということなのでこの街も正直言えば村に近かった。
のどかで朴訥な雰囲気があふれ、木で作られた柵が張り巡らされてその中を羊が走り回っていたり、牛が荷車を引いていたりする。
街道の道も石畳なんてのはほとんどなく、むき出しの地面を踏み固めただけのものだ。
「別の領に入ったら、雰囲気ががらりと変わったね」
「はい。やはり領主が変わりますと土地の政治も変わりますから、その地の雰囲気もがらりと変わります」
俺が疑問をあげたら、マックスが嬉々として説明してくれた。
俺になにかを教えられるのがそんなに嬉しいのか君は。
でもまあ、不勉強な俺に皮肉も言わず嬉々として教えてくれるのなら俺も嬉しいってもんだけど。
王様から与えられる領地はそこを治める貴族が治めていて、大まかなルールはその領主が決められるのだそうだ。
日本で言えば、県の方針だけでなく、明確なルール。いわゆる条例も好きに作れるってことらしい。
だから、民を人と思わず領民は自分のものと考える領主がその長になると、民は苦しむことになるし、民のことを考える領主になれば色々暮らしもしやすくなる。
マクマホン領なんかは民衆を楽しませるために武闘大会なんかも行ったり、なにか問題が起きたら騎士団がすぐにきたりしていたから、かなりいいところなんだろう。
それに対して、このガワンディ領ってのはどこかのんびりした空気が流れている。まさに、田舎。という雰囲気だ。
だから、ここでなにか起きても騎士団や衛兵とかはなかなか来ないような空気が感じられる。
てっぺんが違うだけでこうも雰囲気が違うのだから、領主というのは大事なもんなんだなあ。
俺はマックスに説明を受け、感心した。
こうもわかりやすくしてくれるとは、さすがマクスウェル領とかを治めるお貴族様の息子さんだけある!
「ありがとう。わかりやすかったよ」
「あ、ありがたきしあわせ!」
とはいえ、そんなに喜ばれるのも困るんだけど。
「ところでツカサ殿」
「ん?」
すっごく喜んでいたマックスが突然真顔になって、俺の方を見てきた。ちなみにマックスは俺の隣(右)にいる。
どうしたんだろうと首をひねるけど、さすがに心当たりは思い浮かばない。
なので素直に聞き返すことにした。
「どうしたの?」
「いえ。先ほどから拙者達をつけている者がいるにござる」
「なんだって!?」
マックスの言葉を聞いて声を上げたのは俺の隣(左)にいたリオだった。
つけられているって、なんでまた。
心当たりを思い浮かべながら首をひねる。
『ああ。それか。そいつはあれだな。この前からずっとつかず離れずついてきてやがるんだよ』
「ん? あ、ああー。あれか」
『そうそう。あれだ』
オーマの言葉で、なにが追ってきているのか思い出した。そういえばしばらく前から猫が俺達のあとをついてきてしまっているらしい。
オーマはどうにも心配性で夜それが無事なのか心配で昼間寝るような生活サイクルになっているんだけど、俺がそいつを見つけようとすると恥ずかしがりやなのか視界に入ったとたんに逃げるという気に入られているんだか気に入られていないんだかよくわからない状態だった。
ひょっとしてだけど、俺のあの絶技(手)が忘れられなくてついてきているんじゃないか。でもされるの恥ずかしいから視線をあわせると逃げちゃう。なんて都合のいいことを考えたりしているけど、真相はわかんない。
というわけで、今度見つけたらまた撫で回してみようと思っている。
はっ! まさかこの邪な気を感じ取って逃げているとか!? だとすれば無心になる必要があるかもしれないな。
……はともかく、マックスもその猫の存在に気づいたようだ。
「つけてるヤツがいるってなんなんだよ。しかもツカサ心当たりがあるとか!」
リオが慌てている。どうやらつけられているという言葉でなにかよからぬ想像をしてしまったらしい。
いやいやリオさん。そんな慌てるような相手じゃないんですよ。
「いや、落ち着けよ。相手はただの猫だ」
「なんだよ。驚かせないでくれよ」
俺の言葉に、リオがほっと胸をなでおろした。
そういえばリオに猫のことは伝えていなかったっけ。というかリオは猫好きなのだろうか。それとも犬派? 本人ころころ表情が変わって気まぐれなところがあるからネコっぽいところがあるから同属嫌悪とかするかもな。
『相棒を殺そうとしているけどな』
「「なっ!?」」
けけっと笑ったオーマに、二人が驚いて反応した。
その言い方だとまた勘違いさせちゃうだろ。
「おいおい。人にそういうこと言うなよ」
これでさらに追求されたら萌え殺されるって言ったこと説明することになるじゃないか。そんなのどんな罰ゲームだよ。恥ずかしすぎるだろ。
「やはりそうであったか!」
「待て、おいらも行く!」
オーマの言葉を聞いた二人は、血相を変えてその猫のいる方へと走っていってしまった。
おいおい。オーマの冗談真に受けちまったのかよ。
いや、待て。俺はぴんときた。
むしろこの世界でもそういう隠喩的な『可愛くて死んでしまう』という意味も通じるのか? なるほど。だとしたら猫程度で二人が血相を変えて走っていったのも納得だ。
そうか。二人ともそんなに血相を変えるほど猫が好きなのか。
でもそんな形相で追いかけたら猫逃げちゃうぞ。俺が視線を送っただけで姿をくらましちゃうくらいなんだから。
「あーあ行っちゃった」
『ったく。行ってもしゃーないってのにな。どうするよ相棒?」
「そりゃほっとくわけにもいかないだろ。おーい。待てってー」
ものすごい勢いで走っていった二人を追って、俺も駆け出した。
──マックス──
しばらく前から感じていた、拙者達を狙うようじっと舐めるように見つめる視線。
気になったのでツカサ殿に聞いたところ、やはりあの方も気づいていたようにござる。
心当たりがあるのかと聞けば、なんとそれはツカサ殿の命を狙っているというではないか。
拙者はそれを聞いた瞬間、かーっと頭に血が上り、その拙者達を狙う視線を追いかけてしまった。
あとから考えれば、ツカサ殿が放置したまま相手にしていないのだから、そのまま放置しておけばよかったのだが、その時はそんなことも考えられず、もう「ツカサ殿の命を狙うとは許せん!」という気持ちだけで走ってしまった。
これは、リオも同じだったのだろう。
リオも拙者とほぼ同時に走り出していたが、拙者と違いその暗殺者の気配を追うことができなかったのか、途中ではぐれるハメとなった。
その視線の主が存在する物陰へ近づくと、そこから小さな影が飛び出した。
小さい。目で追うと、それは白猫であった。
普通の者ならば「なんだ猫」かと見逃してしまう存在だろう。しかし、どれだけ消そうとも消しきれぬその殺気に拙者は騙されぬ。
「待て!」
そう声を上げると、逃げる白猫を追い、拙者は地面を蹴ったにござる。
すばやい動きで逃げる白い影。しかし拙者もそれを追う。追う。追う!
羊達の群れの中を割って走り、茂みをとびこえ、森を越えた平原にそれを追い詰めた。
「くそっ! しつこいヤツだ!」
平原に出たそれは、そう悪態をつき拙者へ向きを変えた。
追い詰めたというより、この場ならばその正体を現し拙者を始末できると考えたのだろう。
だが、甘い!
拙者とてあの村の中では戦いにくいと考えていた。この場へつれてきてくれて、むしろ好都合というところだ!
腰からロングソードを引き抜き、構える。
向きを変えた猫の姿がどろんと変わる。
その姿は、人にかわった。
整った顔立ちに銀の髪と赤い瞳。ほぼ裸のような姿に白銀の毛皮を水着のように巻いた娘だった。
逃げる時も揺れていた白い尻尾がその背中でゆらゆらと揺れている。
客観的に言って綺麗な娘だとは思うが、暗殺者であることにはかわらない!
「やはりシェイプシフターか」
その正体を見て、拙者は暗殺者の正体を悟った。
人と獣に姿を変えることのできる種族。シェイプシフター。世で有名なのはやはり狼男。しかし彼女は、猫になる力を持っているようだ!
あの娘の今の状態は『半獣状態』と呼ばれ、人の姿としての利点と獣としての利点を併せ持った状態だ。
主に猫のような小さな姿では勝てぬ、サイズ差の大きなものと戦う時にとられる、いわゆる戦闘形態と言ってもいい。
「猫の姿で気配を消して近づき暗殺を働くつもりか! だが、拙者にも、そしてなによりツカサ殿にも通じぬ! あきらめるがいい!」
「誰が諦めるか! どんな手段を使ってでもあいつは殺すって俺は決めたんだ!」
「どんな手段。人質をとるつもりか。そのようなこと、させん!」
「人質、その手もあったか!」
この娘、この可能性にはじめて気づいたというように猫のような目を大きく見開いた。
この瞬間、なぜこの娘がツカサ殿に返り討ちにされなかったのかを理解する。
「今気づいたのならばやめておけ。おぬしが生きているのはツカサ殿のみを狙っているからだ。だから、許されている。これで他者を狙ったならばそれは間違いなく死刑執行書へのサインと同義だ」
「俺に指図するんじゃねえ!」
拙者の説得もむなしく、娘が両手を広げるとその爪が長く伸びた。武器を持たず人を殺せるというのか!
体を低くし、片手を地面につけまるで猫が戦闘体制に入ったかのようなかまえをとった。
拙者も剣をかまえ、娘のまわりをゆっくりと回りだす。
この娘……
(こいつ……)
──できる!
隙のないその姿に、拙者は冷や汗を流した。無名の暗殺者かと思えば、なかなかどうして実力者ではあるようだ。
じり、じりと間合いをつめながら、細かく体の動きでフェイントをかけながら、目には見えない駆け引きを繰り広げる。
ツカサ殿ほどの達人ならば、あえて大きな隙を作りそこへ飛びこませ、後の先をとり相手を倒すという方法もあるのだろうが、未熟な拙者にはこうして地道に相手の隙を作るのが精一杯。拙者にはまだ、あのように無防備に体を敵の前に晒すなど到底できませぬ!
しかし、間合いをつめようとしても中々相手の隙は見えてこない。逆に拙者も相手に隙を見せない。無言無音のまま、ただ風がふき、草が揺れる音だけがここに響いていた。
ここは忍耐が勝負。先に我慢ができなくなった方が負ける……!
そう拙者が確認し、持久戦になると思ったその時。
「お前達、ここでなにをしている!」
どやどやと、平原に何者かが踏みこんでくる音が響いた。
数はたくさん。鎧と鎧をつなぐパーツがこすれる金属音も聞こえるので、兵士か騎士だろう。
現れたのは拙者の背中。そしてそれらは、拙者の方へと向かってきている。
拙者の注意がほんの少しだけ後ろに向いた瞬間、あの暗殺者は身をひるがえし、茂みをとびこえ森の中へと駆け出していた。
「くそっ!」
「待て!」
拙者も追おうと走り出そうとするが、後ろから来た一団に拙者は囲まれてしまった。
足の速い軽装の騎士が二人、拙者の前に立ち、その後ろを遅れて来た者がとりかこむ。総勢は、十数名ほどだろうか。
他に軽装の者が一人あの娘を追うが、あの距離では間違いなくまかれただろう。
ここで目の前におどりでた二人を倒したところで間に合わぬ。見たところどこか──この領──の騎士団だろうか。
拙者は剣を腰に戻し、軽装の方から後ろに迫った本隊へ視線を向けた。
先頭にはリーダーと思われる若い男がかけている。
二十歳前半の拙者より少し若い男か。美しい輝きを放つ魔法の鎧を見に纏い、綺麗に切り整えられた金色の髪を揺らし、拙者の方へと走ってくる。
その胸にきらめく紋章を見て、拙者は驚いた。
「なぜここに王直属の王栄騎士団が?」
「おお。誰かと思えばマックス殿ではありませんか!」
そのリーダーは拙者のことを知っていた。そして、拙者もこの男のことを知っている。まさかこんなところで顔をあわせるとは思わなかった男だ。
噂には聞いていたが、まさか本当にこの若さで王栄騎士団に入団し、隊長に抜擢されていたとは。
「これはゲオルグお……」
「おっと、今の私はただのゲオルグだ。王栄騎士団五番隊の隊長でしかない」
拙者が礼を返そうとすると、言葉をさえぎられた。
それはつまり、背後関係は関係ないという主張なのだろう。
当然だが、王直属の王栄騎士団はこのガワンディ領に所属していない。王栄騎士団は王直属の騎士団であり、独自の調査権を持つ独立部隊なのである。
通常ならば、領内の犯罪はその領の警察組織となる騎士団や衛兵が捕らえるものだ。
そして、その警察を組織するのは、領主の役割である。
しかし、その組織を作る側が犯罪に手を染めていたとしたら、どうすればよいのだろう? 警察権のおよばない領内から外へ逃げた凶悪犯はどうなるのだろう?
そういった凶悪犯や貴族の犯罪を正すために組織されたのが、この王直属の騎士団。王栄騎士団なのである。
そこには貴族や平民という身分の垣根は存在せず、どんな背景を持つ者でさえ、一つの個人としてあつかわれ、その実力でしか評価はされない。
それゆえゲオルグ殿は、ここに所属を望んだのだろう。それを察し、拙者はそれ以上ゲオルグ殿のことを口にはしなかった。
ちなみに、王栄騎士団の名前の由来は王の栄光を背負う騎士団という意味だ。
それがこの土地にいるということは……
「いや、そのようなことより、逃げたヤツは拙者が尊敬する剣の師を狙う暗殺者なのだ。今悠長に自己紹介などしている場合ではない!」
「なんと。それは申し訳ないことを。部下が一人追ったはずですから、逃げられぬうちに追いましょう!」
ゲオルグ殿は素直に頭を下げ、他の隊員に追撃の命令を出した。
むう。こうも素直に頭を下げられては拙者もこれ以上は怒るに怒れぬではないか。
「わかりもうした」
しかし、追ったと思われる隊員が平原にすごすごと戻ってくる姿が見え、我等は足をとめることとなった。
「申し訳ありません隊長。見失いました」
「君がまかれるとは、とんでもないレベルの暗殺者ということか……」
なんということだ。とゲオルグ殿も唇を噛む。
王栄騎士団の追跡を逃れるとは、あの暗殺者、やはり侮れん。
このままではヤツがリオを人質に取り、ツカサ殿を……
そうまで考えたところで、拙者はオーマ殿の力を思い出した。
道中歩く中、オーマ殿が自慢していた、周囲の地形や生き物の情報を把握する力と、一度認識したものならばどこにいるのかわかるという力が自分にはあると。
その後者、誰がどこにいるのかわかるというものがあれば、あの娘がどこでなにを企み、気配を消して近づこうとしても無意味であったことを思い出した。
いくらツカサ殿といえども、リオがどこへ行ったのかまではわからない。しかしオーマ殿ならば二人の位置を同時に把握できる。
ヤツがリオを人質にとろうと動き出したとたん、その動きはツカサ殿に筒抜けとなる。最強の力を持つツカサ殿にとってもっとも大切な情報を補うオーマ殿。拙者はそちらの存在をすっかり忘れていた!
一度暗殺に失敗すれば二度目はない。ツカサ殿の余裕はこういう意味もあったのですね!
つまり、焦って暗殺者を倒そうとした拙者の行動は、完全に無駄! 完全に拙者の勇み足でしかなかった……!
この事実に気づいた瞬間、拙者は足から力が抜け、がくりと膝を落とすのだった。
「拙者は、やはり、未熟……!」
「ど、どうしました!?」
ずーんと沈んだ拙者を心配するように、ゲオルグ殿が声をかけてきた。
「だ、大丈夫。心配ご無用。少し自分の未熟さと無力さを思い出しただけにござるゆえ」
「は、はあ。そうですか」
すっくと立ち上がると、拙者は騎士団の方へと向き直った。
「先ほどの暗殺者を追う必要は無用にござる。ヤツの狙いは拙者の師。他の者になど目もくれず再び拙者達の前に現れるに違いないからな」
『「誰が諦めるか! どんな手段を使ってでもあいつは殺すって俺は決めたんだ!」』
ヤツの言葉を思い出す。
執念にも似た執着。あれほどの感情を見せつけられたのだ。ヤツは間違いなく、ツカサ殿を狙ってくるだろう。
「ゆえに、これ以上の探索は無用。敵はおのずとむこうからやってくるのだから、その時捕らえればよいだけ。あの御方はそのような不覚をとるような方でもない。そちらはそちらのやるべきことに集中してほしい」
「わかりました。あなたの言葉に従いましょう。マックス様」
ゲオルグ殿は素直にうなずいてくれた。
「しかし、あなたほどの剣士が師事を請うとは、一体どのようなお方なのです? 暗殺者も恐れる必要もない人物など、私には想像もつかないのですが」
当然の疑問に、ゲオルグ殿も他の隊員達も首をひねったようだ。
どうやら皆、拙者の師。ツカサ殿に興味があるようだ。
それも当然か。騎士とて武人。暗殺者も恐れぬほどの者に興味があるのも当然である。
──ちなみにだが、若き天才と名をはせたマックスの師という者に興味がある。という騎士もいるが、マックスはそれには気づいていなかった。
ツカサ殿のことをおおっぴらに語れるということで、拙者はご機嫌で胸を張った。
「ふっ。それは、今ちまたで噂のサムライ、ツカサ殿にござるよ!」
「なっ、なんと! 伝説の再来に! それならば暗殺者も恐れぬのも納得です!」
「まさか、本当にサムライがいたのか……」
「あの噂は、本当だったのか……」
声を上げるゲオルグ殿と、ざわざわと信じられないようにつぶやく隊員達がいた。隊長のゲオルグ殿が素直にすごいと言ってくれたので、拙者は嬉しくてたまらなかった。
「それならばむしろ、マックス殿とその師に協力を要請させていただきたい。共に行動すれば、こちらもその暗殺者に警戒ができますし、こちらの件にも協力いただければ助かります。事情を伝えますので、一考してはもらえませんか?」
「むっ?」
ゲオルグ殿が嬉しそうにそう言うが、拙者は面食らってしまった。
まさかむこうから協力要請が飛び出すとは思わなかったからだ。通常こういった騎士団は自分達のみで解決するという高い高いプライドを持っている。しかも王栄騎士団は絶大な権力を持っているから、たいていが高慢な態度をとってくる。であるが、彼は逆に協力を要請してくるとは、これもゲオルグ殿の気質にござるか。
「わかった。協力するかはツカサ殿に聞かねばわからぬが、その事情とは?」
「はい。それは……」
ゲオルグ殿が素直にうなずき、その事情とやらを説明しようとした直後。
「た、大変です!」
我々のいる平原に一人の騎士が駆けこんで来た。
ゲオルグ殿はその者の声に気づくと即座に振り返る。その反応から、彼は伝令であり、なにか重要な案件を持ってきたのだろうということが察せられた。
「どうした!」
「はい。領主動きました! 俺の見ている目の前で一人で街道を歩く帽子を被った子をさらっていきました。アレハ明らかな誘拐! これで屋敷に踏みこめます!」
「そうか。現行犯でいけるか!」
「はい!」
「ならば一刻の猶予もない。皆の者急ぐぞ!」
「おおー!」
伝令の言葉を聞くと、ゲオルグ殿は即座に考えをまとめ剣を引き抜き号令を発した。
なるほど誘拐か。
彼等王栄騎士団が動いているということは、この領に住む貴族が主犯ということ。この場にある貴族は領主のガワンディ。なるほど。彼等が出るわけだ。
一瞬先日の名もなき村の一件を思い出したが、いくらなんでも王栄騎士団の動きが早すぎる。ゆえに別件だろう。
しかし、この近くの街道を歩いていた帽子の子とは……
心あたりがありすぎて困るのだが。
「マックス殿、今回の話はなかったことに。これで!」
「待ってくだされ。いや、待つ必要はない。ともに行く!」
走り出したゲオルグ殿に併走する。
伝令が拙者のことをなんだこいつというような視線を向けてきたが、ゲオルグ殿が手を向けると視線はなくなった。
「事情はまだ話しておりませんが、協力していただけるのですか!?」
「人さらいが行われているということはわかりもうしたし、なによりそのさらわれた帽子の子とは拙者の旅の仲間かもしれんのです」
「な、なんですって!?」
ゲオルグ殿も周囲にいた騎士達も驚いた。
「聞くが、そのさらわれたというのはこういう帽子にこんなシャツで、だぼっとしたズボンではなかったか?」
横に走る先ほど走りこんできた騎士に、拙者は身振り手振りを加えながら説明する。
当然リオのことで、説明している時なにか違和感を感じたが、この時はそんなことを考えている場合ではなかったので、そのままスルーした。
「その通りだ。一人でこちらの方へ歩いているところで馬車に詰めこまれてしまった」
「やはりか!」
なんということだ。まさか拙者と一緒に暗殺者を追ったリオがそんな事件に巻きこまれてしまうとは。ツカサ殿も暗殺者が動いたのならばわかるだろうが、見ず知らずの者に狙われたのではオーマ殿も把握はできない。
これは、なんとかしてツカサ殿を探し、リオの救出を……
「ああ、そうだ。もう一つ!」
「なんだ?」
伝令を伝えた男が、思い出したとぽんと手を叩いた。
「我々が馬車が屋敷へ入るのを見届け、こちらへむかう途中、馬車を追うように一人の少年がその屋敷へ向かっていました。さらわれた子と同じくらいの年齢で、あまり見ない服を着ていましたが、関係はないと思います。が、念のため」
「ななんと!」
それを聞き、驚きのあまり飛び上がった。同時に、空に異変が現れていたことに気づく。
先ほどまで晴天だったというのに、いつの間にか空には暗雲がたちこめているではないか。これは、間違いない……!
「これは、一刻の猶予もないでござるぞ!」
「はい。その仲間のためにも急ぎましょう」
ゲオルグ殿が拙者の言葉を勘違いして急ごうと答えを返してきた。
違う。そうではない。そうではないのだゲオルグ殿。
「そうではない。そうではないのだ。急がねば、おぬし達の出番などなくなる。その悪の巣窟である領主の館など、下手をすれば跡形もなく消し飛ぶことになるのだ!」
「どういうことです!?」
「馬車のあとを追っていた少年という者こそ、拙者の師。サムライのツカサ殿に違いない。ツカサ殿はとても仲間想いの御方だ。その方が仲間がさらわれたと知ればどうなるか……!」
思い出すのは、かつて崖崩れをその身をていして救ってくれたあの時のこと。仲間に対しあんなことをしてくれる方なのだ。仲間がさらわれたと気づけば……
……間違いなく、お怒りになられる!
拙者は、チカチカと暗雲の中光はじめた空を見上げる。
直後、雷鳴がとどろいた。
「うおっ!」
「ひゃあ!」
騎士団の者達も突然の落雷に首をひっこめる。あれほどの晴天だったというのに、突然稲光が光ればいかな騎士とて驚きの声を上げるだろう。
「間違いない。この雷雲は、サムライのツカサ殿が生み出したサムライウェザー! 天の怒りならぬサムライの怒りが天より降り注ごうとしているのだ!」
「な、なんですってー!?」
王栄騎士団の隊員全員が驚きの声を上げた。
全員空を見上げ、まさか、この急な天候変化を意図的に。と疑ったようだが、サムライならばありえるかもしれない。とごくりと喉をならす。
ずっと伝説の再来。いや、伝説をこえるサムライと旅をしてきた拙者が言うのだ。間違いない!
こうしてはいられない! 彼等と協力している場合ではない! 早くその現場へむかい、ツカサ殿の活躍をこの目にやきつけなくては!
すでに目的が変わってしまったが、ツカサ殿が現場にむかったのならば結果は決まったも同じ。拙者は走る騎士達を全力で追い越し、その領主の館を目指して足を最高速で動かしはじめた。
きっと、この雷雲の落ちる先にそれはある! そう確信し。
拙者は、むかう。王栄騎士団を置き去りにして。激しく雷の降り注ぎはじめた、平原に立つ館へと。
──ツカサ──
リオとマックスを追いかけて歩いていると、前から馬車が走ってきた。
『こいつは、まずいな』
オーマが声を上げた。
『(さっきの馬車、リオのヤツが乗ってやがった。しかも知らねぇヤツが馬車の中に三人。あの娘なにかやっかいなことに巻きこまれやがったな。その上屋根の上にはあの暗殺猫までいやがる。一体なにがありやがったんだ……?)』
同時に俺も、走り去る馬車をさけ道の外で待っている間、空を見上げて、あることに気づいた。
「ああ。これは、まずい」
空が暗い。雨が降りそうだ。
さっきまであんなに晴れていたというのに、空には雷でも落としそうな真っ黒い雲が生まれはじめている。心なしか、風も冷たくなった気がするし。こいつは雨だけじゃなく、雷も来るぞ。
『(さすが相棒。おれっちと同じく馬車が通り過ぎただけでリオがピンチだと察してくれたか! ならおれっちにできることは、その場所を伝えることだけ!)』
『相棒。あのでかい屋敷だ。あそこにむかえ!』
「そうか。わかった」
オーマが言った方を見ると、馬車が入りこむ二階建ての大きな屋敷が見えた。確かにあそこなら雷が落ちても安全そうだ。
雨は当然のことだが、雷を避けるのに最もいいことは、階層の多い大きな建物に入ることだからな。まあ、木製の場合火事の危険性が生まれるけど、それをふくんでもそっちの方が生き残る確率が高くなる。
オーマの指示通り屋敷に向かって歩き出す。
『あっ……』
「どした?」
オーマが突然声を上げた。
『わりぃ、相棒……おれっち、寝る、時間だ……』
「あらら」
『あそこにゃ、リオと、あの猫がいる。マックスのヤロウはこっちにむかってきているから、早く、早くリオのところへ、行ってやってくれ……』
猫とリオがあの屋敷にいるって? なぜにじゃ。
あんな屋敷とリオに接点はない。と思ったけど、猫があの屋敷に入りこんで、リオもそれを追いかけたということならありえないことじゃない。だってリオ、あんなに必死に猫を探しに行ってしまったんだから。
本気で猫を追うのに夢中になっていれば、屋敷のへいや壁をとびこえてしまって不法侵入をしていても不思議はない。
まったく。猫を探して大事になってなきゃいいけど。家の人に見つかって怒られるとか。
やれやれと思いつつ、俺は雨宿りついでにむかえにいこうと思った。
しかし、今から寝落ちするってのに迷子探しも忘れないなんて、さすがオーマだ。
「わかった。まかせろ」
『ああ、まかせ、た、ぜ……』
オーマはそのまま、眠りに落ちた。これで数時間眠ったまんまだ。
しっかし、オーマ完全に生活サイクル狂っているな。どうにかしないと。
屋敷の方へ歩き出すと、空がどんどんと暗くなってきた。
こいつはやべえ。頭の上に広がっているの、雨雲じゃねえ。雷雲だ。現に黒い雲の中で稲光がピカピカとなっていやがる。
俺が歩いているのはぽつぽつとしか木の生えていない麦畑の広がる農園地帯。こんなところに突っ立っていれば間違いなく俺のところめがけて雷が落ちてきてもおかしくないほど遮蔽物のないところだ。
やべえ。やべえよ。
カッ!
空で、稲光がびかっと光った。
ぴゃあ!
突然のことに、びくっと背筋が跳ねてしまった。思わずキョロキョロと周囲を見回す。
よかった。オーマは寝ているし、周りには誰もいない。
雷は全然まったく欠片もこれっぽっちも怖くなんてないけど、いきなり頭の上で光られるとホントびっくりするよ。いきなり光るんだもん、誰だって驚くよね? 驚くよ。
ちなみに足が速くなったのは決して怖いからじゃなく、アレだから。あれ。安全のため。
だってほら、こんな麦畑だらけの平原に一人立っていたら雷マジで危ないから!
近くに避雷針があれば安心だけど、あれって発明されたの地球だと近代の十八世紀なんだぜ。それまで雷は好きなところに落ちてたんだぜ。それまで被害者すごい多かったって聞いたことあるし。
ここは魔法はあるけど中世文明なんだから、その避雷針がきちんと発明されているかかなり怪しい。避雷針がないとすれば、この平原で突っ立っている俺はとっても危険というわけ。命が今非常に危険なんだよ。
だから、ほら、急いであの屋敷の屋根の下に行こうとするのは生物として正しいというわけだ。
言っとくけど、何度も言うけど、雷が怖いんじゃないよ。命の危険があるから、あくまで危険だからだから。雷なんて全然怖くない。わかった!?
誰に言っているのか自分でもよくわからないけど、そうやって危険危険と言い聞かせて、俺はその屋敷のところへ急いだ。
その屋敷の門が見えてくる。屋敷は白い壁に囲まれて、門はよくあるアーチ状の格子門だった。ついでに、その門の正面。道の反対側には一本の大きな木がある。
屋敷には門番が二人立っていた。今にも雷が落ちてきそうな天気になったってのに、ご苦労様なことです。
俺は背筋をピンとはり、その門番の人達へ話しかけた。
雷なんて全然怖くないけど、ビクビクしているように思われてはたまらないからだ。背筋を伸ばし、なんでもないという顔(自称)をしながらね!
「こんにちは」
「な、なんだ?」
声をかけたら、門番は二人とも俺を見て、なぜか視線を空に向けた。
なにやらこの人達も怯えているように見える。ああ、そうか。やっぱりこの世界の人だって雷は怖いんだ。そりゃそうだよな。槍を持ってこんなところに立っていたらいつ雷が落ちてくるかわからないもんな。
そう思うと、少しだけ安心することができた。
「さっき、この屋敷に馬車が入っていきましたよね?」
「あ、ああ」
どこか怯えるように、門番の人が答えてくれた。
どうやら、ここが目指すべきお屋敷で間違いないようだ。でかい屋敷はここしかなかったから間違いようがなかったけど、念のためってヤツだ。
「ならここに、知り合いがいると思うんですけど、入れてもらってもいいですか? 俺の、旅仲間なんです」
「「なっ!?」」
門番二人がものすごく驚いたような声を上げた。
……あ、しまった。そもそもリオが家の人に許可をもらって入った確証なんてなかったんだ。不法侵入していれば逆にまずいことを教えたことになる。
雷が怖い……わけじゃないけど、気になって頭がちょっと働かなかったみたいだ。
「い、いない! そんなのいるわけないだろう!」
「そうだ。お前はなにを言っているんだ!」
おぉう。怒涛の否定が帰ってきた。どういうことだ? 侵入者いるっていうのなんか認めたくないってこと? あ、そうか。俺は中にリオがいるって知っているけど、こっちの人達はそんなの知らない。つまりさっきの発言は、「お前達は見逃したけど侵入者がいるよ」と俺が言ったことになるわけか。
つまり、門番として、ひいては見張りとしてお前達は無能だって俺がぷげらと笑ったに等しいことになる。こんなガキにそんなことを言われたら、はいそうですか中を確認しましょう。なんて言いだせるわけがないだろう。こんな反応が返ってくるのも当然というわけだ。
本当に今俺は、雷のせいで気が効かなくなっているぜ。もうしわけねえ。
こうなったら別のアプローチをかけるしかない。今度は今にも雨が降りそうで困っているということを全力でお願いすれば、入れてもらえる可能性は十分にある。この人達だって雷は怖いんだから!
まだ二人に槍を向けられたわけじゃない。挽回はきっとできるはずだ!
すぅっと小さく息をすう。
心をこめて、俺の誠意が通じると信じて念じながら……
「雨宿りさせてください!」
俺が勇気を振り絞って渾身のお願いをした刹那。
カッ! ドーン!!
俺の背中が爆ぜた。
正確に言えば、大きな稲光と轟音とともに、俺の背中側にあったあの一本の木に雷が落ちたのだ。
激しい音と衝撃があたりを襲う。
あまりのことに、一瞬意識が飛ぶかと思ったけど、体が硬直するだけでなんとか踏ん張ることができた。
後ろを振り返ることはできなかったけど、なにが起きたのかはよくわかった。
バリバリと音を立て、真っ二つに裂けただろうその木が折れて倒れるのだけは音ではっきり認識する。
恐れていたことが起こってしまった。
空の雷様はまだまだやるで。という感じで真っ黒い雲の中をビカビカ光っている。
人前じゃなかったらおいらじょばーっとお漏らししていたところだよコレ。
「うっ、うわあぁぁぁぁ!」
「た、たすけてくれー!」
門番の二人も大きな悲鳴を上げて門を開けて屋敷の中へと逃げこんでゆく。
やっぱりあの二人も雷が怖かったんだな。いや、そもそも目の前で雷が落ちたらそりゃ逃げるよ。後ろ見れないけど、下手すると燃えているかもしれないんだから。
門が開いて門番もいなくなったので、俺も乗じてくぐらせてもらうことにした。
こんなところにいるより屋敷の中の方が安全に決まっている。軒下にいるのは危険かもしれないけど、ここで立っているよりは何百倍もマシだ。
ついでにリオも探さなきゃいけないし。そ、そうだ、リオもきっと雷が怖くて震えているに違いない。だ、だから一緒にいてあげるのも優しさというもの! だから、だからリオを探すためにも行かなくちゃいけない。決して俺が怖いからじゃなく、これはリオを心配してのこと! そう、完璧!
心の中でいろんな言い訳をつぶやきながら、俺は門をくぐった。
ゴロゴロと空がさっきより激しく音を立てはじめた。こいつはまだまだ雷が落ちる。早いとこ行かないと本当に危ない。
雨はまだ落ちてこないが、それが逆に雷の恐ろしさをかきたてている気がする。
俺は急いで。でも決して走らず優雅(自称)に屋敷の方へと早足で向かう。
屋敷に向かうまで二度ほど雷がどこかに落ちたような気がするけど、俺は下を向いていたのでどこに落ちたのかは見ていなかった。ひょっとすると屋敷に落ちたのかもしれないが、こわ……くないけど確認のため頭を上げなかった俺にはわからない。少なくとも、俺には直撃していない。
屋敷の扉も門番の人が開けっ放しにしていたから、俺はそこから屋敷の中に入れてもらうことにした。
「おじゃましまーす(小声)」
中に入った直後もう一度雷がどこかに落ちた。
あんまりにも簡単にどっかんどっかん落ちるもんだから、屋敷のエントランスホールに足を踏み入れた時にはもう俺は涙目だった。いや、あくまで心の表現ね。目から塩水は出てない。出てないから。こんなのへっちゃら!
エントランスホールは、外で雷が鳴っているとは思えないほどシーンとしていた。誰もいない。とっても豪華で、正面に二階へ上がる階段があって、キンキラキンなとっても豪華なところだけど、人は誰もいなかった。
むしろ、俺はそれでほっと一息つく。
誰もいないのだから、すぐに出て行けと言われないと思ったからだ。これで、雨宿りというか、雷宿りをすることができる。
外では相変わらずピカピカゴロゴロしている。
あ、相変わらず異世界の自然災害はハードだな。それとも、雷ってこんなにポンポン落ちるもんなのか? だとすれば避雷針てマジで偉大な発明だな……
「ツカサー!」
エントランスホールでほっと一息ついていると、二階へ上がる階段からリオが降りてきた。リオも雷を避けて家の中に入っていたのか。猫がいないのを見ると、追跡は諦めたんだろう。
すごい勢いで階段を駆け下り、俺に飛びついてきた。
少し、涙目になっているのがわかった。
……そうか。そんなに怖かったのか。雷。
ぎゅっと俺に抱きついて小さく震えているリオの頭に手をおき、ぽんぽんとなでてやった。
「もう大丈夫だ。大丈夫」
俺は子供をあやすように、頭を撫でてぎゅっと抱きしめてやった。
これで少しは雷が怖くなくなるだろう。かくいう俺も、誰か他に人がいてくれるのは安心する。
しばらくすると、音もやみ、空に広がった暗雲も消えて青空が戻ってきた。
消えてゆく雷雲の隙間からさしこむ陽光がとても美しく見えた。
夏の夕立や、スコール。最近はやりの言葉で言えばゲリラ雷雨を思わせるような天気だった。
これ以上いると不法侵入で捕まってしまうのでリオと屋敷から逃げることにした。
まだリオが少し不安そうだったので、手をとって外に出る。
雨はほとんど降らなかったみたいで、ほとんど地面はぬれていなかった。かわりに、庭や屋敷の二階が雷をうけたように焦げていた。
こいつはすげぇ。火事にならなかったのが不思議なくらいだな。
門から道路に出ると、ちょうどマックスが走ってくるのが目に入った。
マックスの存在に気づいたリオが大慌てで手を放す。
俺は思わずにやにやしてしまったけど、それを言うと殴られるだろうからやめておいた。
マックスに手を上げ挨拶をする。
俺と目があうと、どこか残念そうな顔を浮かべ、そしてなにかを思い出したように突然頭をさげてきた。
「申し訳ございません。逃げられもうした!」
と言われたけど、一瞬なにに? と思った。ちょっと頭をひねると猫のことが思い当たった。いやいや、そりゃあんな形相で追っかけりゃ逃げられるだろ。たんなる毛並みのいいだけの猫なんだから。
しょぼんとしたマックスの頭をなでてあげたら、ひゃっほいと飛び上がっていつものマックスに戻った。うむ。沈んでいるよりこっちの方が何倍もいいよ。
というわけで、みんな合流したから、俺達は再び宿に向かって歩き出した。
雷はなったけど、今日もわりかし平和だったな。
────
「なあ」
「ん?」
馬車が門をくぐるのを見届け、ふと思い出したように門番の一人が言った。
「聞いたか? あの噂」
「そろそろこれも隠し切れず、王栄騎士団が調べに入るかもしれねえって噂か?」
門番二人は知っている。先ほどの馬車は、また誰かを誘拐してきた証。それは、この館に住む領主ガワンディが行っていることだ。その悪行を知った王がそれを断罪しようと動き出しているという噂があった。
「いや、それじゃねえよ。サムライだよ。サ、ム、ラ、イ。噂じゃ、武闘大会にいて、今こっちにむかっているって話だ」
「マジかよ。あの噂のサムライが……?」
「ああそうだ。通った街の悪党をことごとく潰して回る正義の味方。伝説の再来。サイドバリィなんて、暗殺事件だけじゃなく武闘大会の闇も暴いたって話だ」
「マジかよ。そんなのがここに来たら……」
「ああ。間違いなくここはサムライに潰される」
噂話を言い出した門番は、重々しくうなずいた。
サムライ行くとこ悪は滅ぶ。ストロング・ボブにはじまり、サムライが通ったとされる街の名だたる悪党どもはことごとく粉砕され、サムライには触れるな。とさえ裏の社会で言われるあの新しい伝説がここに近づいてきているというのだ。悪事に身を置いているという自覚のある彼等にとって、これほど恐ろしい噂はなかった。
「お、おい」
「どうした?」
マジかよと言っていた方の門番が東の空を指差した。
「な、なんだありゃぁ?」
もう一人も指差した方を見て驚いた。
東の方から一人の少年がやってくるのが見えた。それだけならば、ただの通行人ですむ。だが、その少年がこちらに近づくたび、空に立ちこめる暗雲もこちらに近づいてきているように見えたのである。
真っ黒い雲の中ではまがまがしい光が洩れ、稲妻が瞬いているのが見えた。
それはまるで、あの少年が黒い黒い雷雲を引き連れているかのようだ。
「お、おい」
「今度はなんだよ!」
雲を見つけた男。マジかよと言っていた男が少年を指差した。
近づいてくる少年の腰。そこに見えたのは、湾曲した剣だった。
男は、それを知っている。
それは……
……KATANA ──刀!
「ま、マジかよ」
マジかよと言っていない門番もマジかよと言った。
「ま、待てよ。ただのなりきりヤロウかもしれない。絶望するのは、ま、まだ早いだろ」
「そ、そうだな」
サムライの噂が広がるにつれ、再びサムライを騙る者が多く現れている。あの少年もきっと、サムライにあこがれたそんななりきりヤロウなのだ。きっと。
背筋をピンと伸ばし、どこか肩を怒らせるように突き進んでくる少年を見て、うろたえつつも二人はどうか通り過ぎてくれますように。と祈った。
しかし、その祈りは届かなかった。
二人の前でぴたりととまった少年は、どこか怒りを浮かべたような表情で二人を見つめ、小さく息をはいた。
それはまるで、怒りをなんとかおさえているかのように二人には見えた。
怒りで切れそうになるのを、ぎりぎりの理性で押さえつけているようにしか見えなかった……!
「こんにちは」
「な、なんだ?」
ぎろりと睨まれたような気がして、門番は二人とも少年から視線を上にそらした。
サムライではないとは願うが、向けられる敵意にも思える視線に、体が少し震えているような気がした。
少年は二人の願いになどまったく気づかぬよう、絶望を与える一言を口にする。
「さっき、この屋敷に馬車が入っていきましたよね?」
「あ、ああ」
サムライの噂を口にした門番が、反射的に答えを返してしまった。
サムライの雰囲気が、また変わる。
怒りというより、なぜか柔らかい雰囲気に変わったように感じたのだ。
ひょっとすると、やっぱりこいつはサムライもどきだったんじゃないか。とほっと胸をなでおろせるかと思った瞬間。
「ならここに、知り合いがいると思うんですけど、入れてもらってもいいですか? 俺の、旅仲間なんです」
完全なる絶望の言葉が、少年から発せられた。
「「なっ!?」」
二人は同時に驚きの声を上げてしまった。
この少年は馬車のことを質問した。その上で、知り合いがこの屋敷にいると。それはつまり、さっきの馬車に乗っていたのは、自分の旅仲間だということだ!
それってつまり、自分達の仲間が誘拐してきたのは、このサムライのお仲間って意味になる。
そのサムライが、ちょっと怒りをおさえるように、ここに、きたって……?
お怒りに、なられていらっしゃるって……?
だが、二人はまだ目の前の少年がサムライだとは信じたくはなかった。ゆえに……
「い、いない! そんなのいるわけないだろう!」
「そうだ。お前はなにを言っているんだ!」
そう、いいわけじみたことを返してしまった。
それが、いけなかった……
あとで二人の門番は、後悔をにじませがたがたと震えながら語る。
少年が小さく息をすう。
その背後に、なにか巨大なモノが集まっているように二人には見えた。
それに呼応するように、空の暗闇が大きく明滅したように感じられた。
少年が口を開く。
「あ……!」
カッ! ドーン!!
門番には、この「あ」という言葉しか聞こえなかった。
なにかが叫んだ。というのだけ認識できただけだ。
それから先は、巨大な轟音にかき消され、彼等の視界を覆うほどの光の矢によって耳も目も、白に焼き尽くされたからだ。
気づけば、少年の背後にあった、道の反対側に存在した一本の木が真っ二つに裂けていた。
なにが起きたのか、二人は一瞬わからなかったが、すぐに理解ができた。サムライがなにかを言った瞬間、雷が落ちあの木を真っ二つに引き裂いたのだ。
目の前にあった巨木が、燃えているのだ……
それはもう、少年の怒りと空の瞬きが連動してしているようにしか見えなかった。
二人には、先の少年の言葉がさっぱり聞こえなかったが、なにを言ったかはすぐに想像できた。
あの場で怒気を放ちながら言う言葉。
それは……
「あ、け、ろ!」
二人は、その言葉を思い浮かべ、それに従わなければどうなるのか、その末路が目の前にあると即座に悟った。
間違いない。この少年は、サムライだ。そして、ここにはびこる悪徳のやからを滅ぼしにきたのだ。怒りと、ともに! 神の怒りとさえ言われる、雷と共に!
悪を滅ぼす正義の味方が、自分達を倒しにきたのだ!
「うっ、うわあぁぁぁぁ!」
「た、たすけてくれー!」
二人はサムライの言いつけどおり大急ぎで扉をあけ、中へと逃げる。
抵抗は無駄だ。そう感じた門番達は、ほんの少しでも生存確率をあげるため、ほんの少しでも仲間思いだと思われ情状酌量がもらえることを願い、屋敷にいる仲間へ逃げろと伝えるために走り出したのだ。
信じられないほどの速さで庭を駆け抜け、エントランスホールに駆けこんだ二人が「サムライがきた」と叫んだ。「この雷は、サムライの仕業だ」と叫び、裏口へと走ってゆく。
屋敷の中にはその悲鳴にも似た警告が鳴り響き、用心棒達がエントランスの窓から屋敷へと歩くその少年の姿を確認した。
「た、ただのガキじゃないか」
「ほ、本物なのか?」
「なら俺が確かめてやる!」
用心棒の男が声を上げ、エントランスホールを駆け抜け、廊下を走り、屋敷の横から庭に出る扉を蹴り開けた。
その用心棒は庭へと飛び出し、庭の庭園に作られた植えこみをブラインドとし、サムライと呼ばれた少年へ不意打ちをかけようというのだ。
門番の動揺を見れば、油断をしないに越したことはない。という考えと、本当にサムライならば真正面から行って勝てるはずがない。という打算もあった。
用心棒は剣を引き抜き、庭園を走り植えこみをとびこえそのまま少年へ斬りつけようと空中で剣を振り上げる。
カッ!
刹那、天が瞬いた。
飛び上がった用心棒は、その次の瞬間巨大な咆哮とともに黒焦げになって庭の庭園へと落下して行った。
ぼてりと地面に落ち、ぴくぴくと体を痙攣させる。
エントランスホールからその行方を見守っていた他の用心棒。兵士達はそれを見て背筋が凍った。
「お、おい……」
「あいつ、用心棒の方へ視線さえ向けなかったぞ……」
「見もしないで、攻撃のそぶりさえ見せず、黒焦げにしたぞ」
雷の落ちた方へいちべつもせず、視線をじっとこの屋敷へ向け、少年は歩き続けている。
サムライの噂は彼等の中にも響いていた。その中に、背中を向けたまま投げられたナイフを軽々と受け止めたというのもある。
今回のは、それ以上の衝撃を与える一撃だった。
しかもあのサムライは、まだ刀すら抜いていない。あの状態で、刀を抜いたら一体どうなってしまうのだ……
誰もが、思った。近づけば、殺される……
「ほ、ほんものだ……」
「本物のサムライがきた! 本当だ! 俺達をぶっころしにきやがった!」
外に響く雷の轟音に負けないくらいの音量で、男達の悲鳴も屋敷の中に広がった。
その悲鳴は、天空より響く雷鳴にかき消され、外を歩くサムライの耳に届くことはなかった。
その混乱は一瞬にして屋敷中に広がり、誰もサムライに戦いを挑むようなものは存在せず、全員が裏口へと殺到した。
唯一、二階にいた領主ガワンディのみは違った。
大きく振れば振るほど強大な氷の塊が放てるマジックロッドを持ち、二階の窓を開け放ちサムライに向けそれを大きく振り下ろそうとしたのだ。
窓から身を乗り出し、大きく振りかぶる。
その瞬間、先端に金属の使われたその杖の先に雷が落ち、窓ははじけ、領主は部屋の中へと吹き飛ばされていった。
三度の雷により、この場にいた誰もがサムライにはかなわないと確信し、皆この屋敷から必死に逃げ出そうとあがく。
そうして皆、裏口へ殺到する。
誰もがその雷は、サムライの仕業だと信じて疑わなかった。
だが、そもそもの話、雷雲の下で金属の塊を高々と振り上げれば、それが避雷針の役割となりそこに雷がおちるのは当然のことだ。
少し考えれば経験則としてもわかるかもしれないことだが、サムライという強さを知り、その恐怖の幻想にとりつかれた彼等に、そんな冷静な判断などできるわけもなく、天さえ操るサムライの力という雷に恐怖し、畏れ、命大事に! と逃げ出すことしか考えられなくなっていた。
おしあいへしあいしながら彼等は屋敷を飛び出し、裏口から逃げ出す。
しかし金属の鎧や武器を持った彼等が集まって外に出れば、それは金属の塊となった巨大な一団と化す。そうなった一団に向け、また巨大な雷が落ちた。
裏口に落ちた雷は幸運にもその一団をさけ、誰かが恐れて放り投げた槍に当たった。
それにより角度が曲がり、地面へと直撃する。
彼等は直撃こそは免れたが、雷を浴び高温となった地中の水分が一瞬で水蒸気となり、内部から爆ぜ、巨大なクレーターを生んだ。
目の前に生まれた雷のクレーター。それは、「お前達は逃がさない」とサムライからのメッセージのように見えた……
雷とは、天の怒りに例えられる。
天罰とはすなわち雷と伝えられる時もある。
ならば、その雷を自在に操り、悪事を働くものへ落とす彼は……
「ひっ、ひいぃぃぃ!」
「ごめんなさい。ごめんなさい! 誘拐にかかわってごめんなさい!」
「おかーちゃーん」
絶望の一撃が天から降り注ぎ、逃げようとした彼等は近くにいるものと抱き合い震え上がった。
ガタガタと怯え、誰も彼もがその場で震えてひたすらに謝ることしかできない。
遅れて王栄騎士団のゲオルグ隊がやってくるまで、その場には「ごめんなさい」という謝罪の言葉だけが響き渡ることになった……
──リオ──
「くそっ。はなせ。はなせよ!」
じたばたと暴れるが、屈強な男三人に捕まったおいらはそれをふりほどいて逃げることはできなかった。
手かせをはめられたおいらは、どこかの屋敷の部屋につれこまれ、広いベッドの上部にある柱にその手かせをくくりつけられバンザイをするような形で身動きが取れない状態にされちまった。
「準備が完了しました。ガワンディ様」
「にひひっ。ごくろう」
おいらをベッドにくくりつけた三人の男達はガワンティという男に頭を下げた。
頭をあげて、その声のするヤツを見る。
まだ昼間だってのに、部屋の中には灯りが煌々と照らされていた。部屋の内装もキンキラキンで、ただの成金趣味でしかない。
そいつは、そんな部屋の中にいた。
男達の頭の下げる先には、ぶよぶよに太って真っ黒いパンツだけをはいた醜い男がいた。楕円を三つか四つ並べたような形をしている。
おいらを運んできた三人組は、そいつに一礼すると部屋から出て行った。
ちくしょう。なんなんだこいつら。
村はずれにむかうマックスを追いかけて歩いていたら、突然近づいてきた馬車がおいらの隣にとまった。
そこから三人の男が突然飛び出してきて、おいらはそのまま馬車の中へひきずりこまれちまったんだ。
そして、どこかの屋敷に強引に連れこまれ、手かせをつけられてこうなった。
「にひひっ。さあ、さあーて」
楕円形のおっさんがじりじりとおいらに近づいてくる。
くそっ、動きも気色悪いとかなんなんだよこいつ!
「てめえ、何者だ!」
「にひひっ。おっと、そうだったね。自己紹介がまだだったね。僕はガワンディ。ここの領主だよ。ここで一番偉いえらーい人なのさ。だから、なにをしても許される。ここは僕の土地だからね!」
なんてこった。よりによって一番タチの悪い腐った領主様かよ。権力を自由にできるからって好き勝手していい理由になんてならねーぞ! くそっ。一見すると平和で穏やかそうなところだと思ったけど、単純にここはこいつが政治に無関心でなにもしていないだけってことかよ!
こうやって自分の好きなことだけやって、領民は放置。確かに関係のない領民は穏やかに過ごせるだろうが、おいらみたいな被害者にはたまったもんじゃない!
……って、なんで男の格好をしているおいらを? 普通こういう場合女が狙われるもんだ。ひょっとしてと思い頭を確認するけど、こんな状況でも帽子はちゃんとある。なら、どうして?
「にひひっ。見れば見るほど、なんて綺麗な少年なんだ。やっぱり美少年が一番だよね!」
……男の格好しているからだったー!
なんてこった。男の格好しているのが裏目に出るなんて! そんなのありかよこの変態!
──ちなみにだが、王栄騎士団に誘拐と言われた時マックスが感じた違和感は、男の格好をしているリオがなぜさらわれたのかということだった。マックスそのものはリオが女であることを知っているので、女であるリオを誘拐するのはおかしくはないと考えたので、あの時はスルーしてしまっていたのである。
「にひっ、にひひっ。さあ、かわいこちゃん。僕とめくるめく夢のような時間をすごそう。死ぬまでずーっと可愛がってあげるから」
笑いながらおいらに近づいてくる。
うわぁ、気色悪い。気色悪い! ぶよぶよした楕円形の頭が揺れたりして本当になんなんだこいつ!
ベッドにつながれた手かせに手元に隠してある開錠道具をつっこんではずそうとしているけど、この錠無駄に複雑で中々外れない。これはなんとかして時間を稼がないと……
「ま、待って。おいらはその。そう、女だ。女なんだ!」
狙いが美少年ならば、それとは違うというのを伝え、おいらをさらってきたヤツをしかっている隙にこの手かせをはずしてやろうと考えた。
おいらの言葉を聞いたガワンディはいぶかしむようにおいらの顔をのぞきこむ。
「おんなぁ?」
「そ、そうさ。だから……」
「おんなああぁ!?」
その言葉を聞いたガワンティは、どすどすと壁の近くに立てかけてあった金属の棒を握り、大きく大上段に振りかぶった。
棒の先にある水晶がぴかりと光を放ち、壁に向かって振り下ろすと、ずがん。という音と共に、氷の槍が壁に突き刺さった。
マジックロッド……!
振るだけで使用者の魔力を使って魔法が使えるっていうとってもお高い代物じゃないか。こんなものが部屋に無造作に置かれているなんて、これだから金持ちは。
「おんな、おんな、おんなぁ!」
ガワンディはぶんぶんとその杖を振り回す。
大きく振ると大きな氷が、小さく振ると小さな氷が壁にむかって飛び出し、穴を次々と広げてゆく。
やべっ。なんか押しちゃいけないスイッチ押したみたい……
一心不乱に壁に謎のアートを作ったガワンディは、満足したように息を吐いた。
「ふしゅるるるる-。女なんて、あんな穢れた生き物この世に必要ない。僕は、美少年がいればいいんだ。お前が、女なら、女なら……! この、この昂った気持ちを君で発散できないなら、殺して、殺して慰めるしかないよ!」
ぐるりと頭を動かしておいらをみたその目を見て、こいつは本気だと理解ができた。こいつ、完全にいかれてる!
下手に逆らうとまずい。別の方法で時間を稼いで、女とばれる前になんとか手かせをはずして逃げないと!
「冗談。冗談です。男です。なんでも言うこと聞きますから殺さないで」
「にひひっ。そう。それでいいんだよ」
おいらの言葉に、ガワンディは嬉しそうに笑った。
「だから、言うこと聞くからこのかせをはずしてくれない? 服とかも、自分で……」
「にひひひひっ。いいやなにを言っているんだい。君はそのままでいいんだよ。嫌がって泣き叫んでくれなきゃ燃えないじゃないか! 服だって破くのが醍醐味なんだよ。君はわかってないね!」
ちっちっちと人差し指を立てて横に振られた。
わかるもんかよこの変態! 畜生。なんなんだよこいつ。まずい。絶体絶命だ。このまま帽子をはずされれば女だってばれちまう。これじゃ逃げられない。
「だから、いくらでも泣き叫んでくれるといいよー。どうせ、死ぬまで出られないんだから」
歪んだ笑顔が、おいらを見た。誰がおとなしく殺されてやるかよ。
苦笑いをヤツに向けながら、必死に手かせをはずそうと努力する。くそっ。なんだこれ。こんなのにまできっちり金かけてるんじゃねえよ!
「さあ。まずは顔がよく見えるように帽子から脱ぎ脱ぎしまちょうねー」
気持ち悪い言動をしながら、ブヨブヨの手がおいらの頭へむけられた。
ちくしょう。このままじゃ……
自力じゃどうしようもない。このままじゃ、ダメだ……
誰か。
誰か……!
ツカサ……!
──助けて!!
心の中で、そう叫んだその時。
カッ、ドーン!!
窓を白く染めるほどの閃光と共に、巨大な雷が落ちた。
おいらのところからじゃそれは見えなかったけど、屋敷の外にある木に雷が落ち真っ二つに裂け火を噴いたようだ。
あまりの轟音と衝撃に、わたしもあのガワンディもなにが起きたのか固まった。
二人で窓の外へ視線を向ける。
わたしの視線では外は空しか見えなかったけど、いつの間にか空は真っ暗だった。
わたしがここに連れ去られる前はあんなに晴れていたというのに、今はまるで嵐のように荒れ狂っている。
一体なにが起きているのか、さっぱりわからなかった。
でも、その理由はすぐにわかった。
「ガワンディ様大変です! すぐに、今すぐ逃げてください!」
扉を乱暴に開け、おいらを屋敷へ運びこんだ男の一人が部屋に飛びこんできた。
「な、なにがあったんだよぉ!」
飛びこんできた男に、ガワンディがつかみかかる。あんなにぶよぶよだというのに、なんて敏捷性だ。
襟首をつかみ、ぐわんぐわんとそいつを振り回した。
「サ、サムライが、サムライが殴りこみをかけてきたんです。悪事を懲らしめにやってきたんですよ!」
「な、なにぃ!」
ガワンディの顔が大きく歪んだ。
男の声を聞いた瞬間、わたしの心は安心と安堵で一杯になった。
ツカサが、来てくれた。
それだけで、もう安全だと思えたから。
サムライの名を聞いたガワンディがおろおろうろたえ、男の襟首をつかんだまままた首を振り回した。
ははっ。どうやらサムライの噂はこんなところにも浸透しているんだな。
しかも、ツカサは今、雷を落とすくらい怒っているらしい。それってつまり、わたしのために雷を呼ぶほど怒ったって思ってもいいんだろうか……?
相変わらず、スケールが桁違いの人だ。
でも、あの人ならそれくらいやっても不思議はないし、そんなに怒ってくれるほど自分が大切に思われていると気づいて、嬉しくなった。
いや、うぬぼれだと思うけどさ。ツカサの場合は、例えマックスが同じ状況におちいっても同じように怒るんだろうけど。
それでも、嬉しかった……
ピシャーン!
庭でまた雷が落ちた音が響いた。
「出て行った用心棒の先生がやられたぞー!」
「本物だ。近づく前に雷でやられる。近づいたら刀で斬られるぞ。こんなの、こんなの勝てるかー!」
外ではゴロゴロと雷の音が支配し、中は恐怖の悲鳴がここまで聞こえてきた。
おいらはこいつ等に自分はツカサの仲間だと言ってやりたかったけど、そうするとおいらを人質にとられたりして面倒になると思い、自嘲した。
「早く逃げた方がいいんじゃない? サムライがきたのなら、あんたらはもう終わりだ」
「うっ、うるさい! そ、そんなの嘘だ! ここは僕の土地だぞ。すべて僕のものだ! ここにあるすべてのものは僕のもので、僕がルールなんだ! 領主である僕に逆らうなんて、絶対に許されないんだぞ!」
肉団子がこぶしを握り、一人で激昂した。
ガワンディは壁にあるマジックロッドへ手を伸ばし、窓へと走り出した。
手下が慌てて止めようとするが、それを振り払い窓を開ける。
ガワンディは窓から身を乗り出し、庭に向かって金属の杖を大きく振りかぶった。きっと屋敷に向かう庭にツカサがいるんだろう。
「お前さえいなければー!」
そう叫び、ガワンディは魔法の杖を振り下ろす。
杖の先端が光り、魔法が発動……
ドォン!!
……しなかった。
マジックロッドを振り下ろそうとしたガワンディに雷が落ち、部屋の中へと吹き飛んだ。
雷の衝撃でマジックロッドと窓枠は砕け、その周辺は焦げている。
ガワンディの上半身は真っ黒になり、少ない髪の毛もちりちりになっていたが、生きてはいるようだ。
運のいいヤツ。いや、ツカサが加減したのか。
でもいい気味だ。
「ひっ、ひいいぃぃ! こんなの、勝てるかー!」
男は領主であるガワンディを置いて逃げてしまった。実にすばらしい忠誠心だよ。というかせめておいらのコレをはずしていけよ! なかなか外れなくて面倒なんだから! ほら、人質にすれば逃げられるとか考えてさ。そうすりゃおいらも自力で逃げ出せるってのに!
まあ、ちょっと苦戦したけど自力ではずせたけどさ。人質にされたところで、サムライのツカサの前じゃ無意味だけどさ。火に油を注ぐだけで。
かせをはずして、開いた扉にむかい走る。途中転がったガワンディを踏みつけ、おいらは部屋から脱出した。
屋敷の中にはもう、人影はまったくなかった。廊下も、一階へおりる階段にも人の気配はない。
一階エントランスホールの中央には、ツカサがいた。
ホールの真ん中で、まるでわたしを待っていたかのように立っている。
きらびやかなそこに立つあの人は、キラキラしていてとってもかっこよく見えた。
「ツカサー!」
その姿を見て、わたしは思わず抱きついてしまった。
ガワンディに囚われ、強がっていたけど、本音では怖かった。あの時わたしの心の声にこたえてツカサが雷を落としてくれなければ、わたしはどうなっていたかわからない。
恐怖で押しつぶされて、泣き出していたかもしれない。
そんなこともあって、いろんな気持ちがあふれてツカサに抱きついてしまったのだ。
「もう大丈夫だ。大丈夫」
ツカサは子供をあやすかのように、わたしの頭を撫でて、ぎゅっと抱きしめてくれた。
不安が広がったわたしの心が、一瞬にして消えてゆく。
ツカサの体温が感じられる。そのどくんどくんと静かに脈打つ心臓の音が心地いい。それだけで、不思議と安心した。
この安心は、懐かしい。母さんに抱きしめてもらった時みたいだ。でも、その時とは違う、安心感。
なんだろう。不思議……
しばらくの間、わたしはこの安心感に身をゆだねる。
ずっとずっと、これが続けばいいのにと思いながら……
──サイレントエッジ──
「……ダメだこりゃ」
人質をとるためにあの弱そうな帽子のガキを狙いに行ったけど、なぜか別の案件で誘拐されていた。
さらう機会をうかがうために馬車に乗って追ってきたのはいいけど、結局手は出せなかった。
むしろ、手を出さなくてよかった。
……アレが、サムライの怒り。
人質をとられた、サムライ。守るものを傷つけられたサムライの本性。
ゾッ!
屋敷の屋根の上から見ていたサムライの姿を思い出し、俺は背筋を凍らせる。
雷を自在に操り、無数の敵が潜む屋敷へまるで無人の荒野を進むかのごとく足を進めるあの姿は、関係のない俺でさえ恐怖を覚えたほどだ。
下手に手を出そうとすれば雷にやられ、しかもそれを潜り抜けた先にはヤツ本体が待っている。二段構えの地獄。あんなの勝てるわけがない。
ドラゴンを蹴り倒したという話もあながち嘘ではないと思わされてしまうほどの光景だった。
しかも、あの二人が再会しサムライの心が落ち着いてゆくのにあわせ、空の暗雲は霧散していった。あのサムライの心の変化にあわせたかのように……
なんてヤツだ。しかもこれってつまり、その気になればどんなところからでも一瞬で黒焦げにできるという意味でもある。
もし俺が人質をとろうとして動いたとしたら……
考えただけで恐ろしい。
その末路は、この屋敷の下で転がっている。なんてヤツだ……
ちくしょう。俺は完全に手加減されて遊ばれていただけじゃないか。
だが、見ていろ。お前がそうやって油断し、俺を殺さないでいるのはいつか必ず致命傷になる。仲間を人質にしたりするのはもう欠片も考えたりはしないが、いつか必ずお前の隙を探して殺してやるからな!
俺は屋敷から去ってゆくその背中に向け、改めてサムライの必殺を心に誓うのだった。
──ゲオルグ──
「……これが、伝説のサムライの力」
雷雲は去り、何事もなかったかのような青空が顔を出し、すべては終わった。
私達がガワンディ領主の屋敷に到着した時、すべては終わっていた。
屋敷の裏口では「ごめんなさい」とうわごとのようにつぶやくしかできない廃人と化した男達と、上半身が黒焦げでなんとか生きている、雷を受けたガワンディと用心棒。
屋敷の有様もひどかった。
その有様は、神の怒りにふれ、雷により粉々に粉砕されたという伝説の城を思い起こさせた。
しかし、証拠となる地下は無事という徹底ぶりなのだから恐れ入る。
たった一人でこれだけのことをやってのける。
彼はまさに、マックス殿の言うとおりの伝説の再来である。
「まさに伝説の再来。とんでもない男が現れましたね。王子」
「ああ。そうだが、その王子はやめてくれと言っただろう」
「おっと、もうしわけありません」
王子と言ってしまった隊員が舌を出してへへと頭を下げた。
私が王栄騎士団に入り、隊長となったのは日が浅い。ゆえにまだ隊長であることより王子の呼び方で慣れているものも多いだろう。
しかし、私はうわべだけでなくこの国の責務を果たしたいがためこの騎士団に志願したのだ。
のちの王としてではなく、一人の男として!
いずれ隊長と呼ばれる方がしっくりするようになった時、はじめて私は、この国を背負う資格を得るのだと考えている。
ゆえに、こう呼ばれる自分はまだまだ未熟なのだ。ゆえに、それを戒めとしてより頑張ろうと私は拳を握った。
「しっかし、なんて仕事ですかね。楽だったのはいいんですが、こんなこと誰かに言っても信じてもらえませんよ?」
別の部下が、やれやれと肩をすくめる。
確かに。私は思わず苦笑する。
あの有様を実際に見ていないものには、この一件は自然災害によって壊滅しただけにしか見えないだろう。
だが、だからこそ恐ろしいともいえる。自然の仕業と思えるのと同じことがサムライにはできるという証明なのだから。
私も十年前に一度だけサムライの戦いを見たことがあるが、戦場はまさにこれ。いや、これ以上の有様だった。
「それで、どうします? サムライ、ひったてますか?」
「どうやってだよ。さっきも言ったろ。こんな出来事信じてもらえないって。それともなにか? 雷を落とした罪で捕まえるか? そんな罪状使えるわけねーだろ」
「だとぉ? 揚げ足ばっかり取るんじゃねえ!」
「やめなさい!」
私を王子と呼んだ者と楽だと言った部下がぽかぽかと喧嘩をはじめた。そしてその二人を、もう一人別の部下がたしなめる。彼等はいつもこんな感じだ。
「でも、手を出せないのは事実だね。不法侵入も雷が落ちて火事になる心配を考慮した人助けだと言われたらそれまでだ」
「はい。仲間がさらわれ立腹していたとマックス様は言っていましたが、頭に血が上るだけの男じゃないようです」
「ああ。相当したたかだよ。あの子は」
さっきたしなめた子が同意してくれたので、私もうなずいた。
「正直、敵にだけは回したくないね」
私の言葉に、部下達は全員うなずいた。
──ゲオルグはそう願ったが、いずれ彼のために、あのサムライとこの王栄騎士団が激突する運命にあることを、彼はまだ、知らない……
おしまい




