第01話 伝説のサムライ
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「……ここは、どこだ」
気づくと俺は、見たこともない場所。いわゆる異世界に立っていた。
なぜここが異世界なのかわかったのかと言えば、ここが今まで生活していた場所とはまったく違う場所だったからだ。
古今東西、異世界に迷いこんでしまうというのはよくあるおとぎ話だ。
亀を助けて時間の流れの違うお城にだとか、ウサギを追いかけて穴の先でとか、妖精に導かれてだとか召喚されてだとか光の輪をくぐってだとか神様の気まぐれとか運命とかあれこれそれこれと。
どれもこれもフィクションで語られることであり、本で読んだ時にはわくわくどきどきしたものだが、実際に自分のみに降りかかるだなんて誰も思ってもいやしない。
当然俺も、思っていなかった。
高校から帰るいつもの道が工事中で通行止めだったから、普段使わない道にあるトンネルを抜けたその時。
俺は、日本じゃない別の場所に立っていた。
足元にあるはずのアスファルトの地面はむき出しの土に変わり、目の前に広がるはずの様々な種類のビルや民家は生い茂る草木に変貌し、何本も乱立し一種のアートを形成していた電柱は樹齢何百年かという木に変わっていたのだ。
正確に言えば、変わったというのは正しくないのだろう。トンネルを抜けたら全然違う場所に出てきてしまったというのが正しいのだろう。
振り返れば出てきたトンネルは崖の裂け目になっているし、戻ってみてもその先はすぐ行き止まりになっている。
目の前に広がるのは明らかに知らない森。しかも雰囲気は日本の森ではなかった。西洋に広がるような森のように見える。よく知る木や植物と、種類が違うのだ。
ここまでなら、異世界に来たのでなく、地球の別の地域に来た。という風に思ってもおかしくはなかった。
でも、違いを決定づけたのは、空。
森の切れ目から空が見えたのだが、元いた世界では絶対に見られないというか存在しないものがあったのだ。
空中を旋回して口から炎をはく羽の生えたオオトカゲ。わかりやすく言えばドラゴン。それが空を飛び、空中でくるりと物理法則を無視した停止と回転をし、そのままどこかへ飛び去っていったのである。
空中で急停止して炎を吐いて急旋回かつ急加速とかいう、明らかに俺の知る科学では絶対に実現できない動き。
それを目の当たりにして、俺はここは地球なんかじゃない、まったく知らない異世界なのだと直感的に理解したのだ。
「おーけー。おーけー」
俺は一人しかいないのに、落ち着けと両手を前に出し上下させる。自分を落ち着かせるための行為だが、もし誰かに見られたら変な人に思われただろう。
まず一つの可能性。これは夢や幻かもしれないということ。トンネルを抜けた瞬間、暗いところから明るい場所に出たせいで気絶をして夢を見ているなんて可能性もありえなくもなくもない。
そもそも心身喪失して、自分が何者なのかさえわからず、正気を失って幻の世界を見ているのかもしれない。
ひとまず自分の正気を確認するため、目を瞑って一回大きく深呼吸をする。
まず、俺の名前はツカサ。最近誕生日が来た十六歳で父、母、妹の四人家族。身長は百七十センチで靴のサイズは二十六センチ。黒髪黒目の中肉中背でわりとどこにでもいるはずのちょっと口下手な高校一年生だ。
頭の中で自分のプロフィールを思い出す。うん。間違っていない。少なくともおかしくはないはずだ。おかしくないなら、目の前も……
淡い期待を抱きながら、俺は再び目を開いた。
風景は変わらず、見知らぬ森の中だった。俺が正気だというのなら、目の前にあるこの世界はなんなんだろう……?
がくりと膝をつきそうになった。
まてまて。まだ夢や幻という可能性もある。
これは夢なのか。という問いに答えを出すため、古典的だが俺はほっぺたをつねってみた。うん。痛い。ひりひりするほどに痛い。どうやら夢ではないようだ。
そもそも草木の匂いやそよぐ風の音、肌に感じるその風の柔らかな動き、そして、森の奥から聞こえる鳥の鳴き声など、とてもじゃないが幻とは思えない。
改めて、俺はやっぱり、全然知らないところへ来てしまったのだと確信する。
もう一度膝から力が抜けかけたら、なんとか持ちこたえた。こんな理不尽な状況だというのに、泣き叫ばなかった俺は偉いと思う。うん。
「そうだっ……!」
そうだ。携帯を! と藁にもすがる思いでカバンから取り出すが、当然圏外。
そりゃそうか。とため息をついた。
『もし……』
「っ!」
声が、聞こえた。
とっさに動きをとめ、耳を澄ます。
『もし、そこのあなた。私の声が聞こえるなら、こちらへ……』
確かに森の中から俺を呼ぶ声が聞こえた。
目の前に広がる茂みの奥。そこから声が聞こえる。
『私の声が聞こえるなら、お願いします……』
その声は、どこか優しさをふくんだ、不思議と安心させる声色だった。
そんな声に導かれたのだ。いきなりなにも知らない場所へ放り出されて心細かった俺が、なんの疑いもなくそちらに向かって走り出したとしても不思議はないだろう。
なんの状況もわからない今の状況で、話が通じるという相手はとんでもなく心強い。その声は、俺にとって天の助けのようにも聞こえたんだから。
茂みの先には、小さな祠があった。
道端にたまに見かける、木で作られた小さな神様を祭る建物。こっちの世界ではそれを祠と呼ぶのかはわからないけど、俺の知識ではそれは祠のように見えた。
もっと正確に言うと、それは観音開きの格子戸がつき、雨よけのため広くなった屋根がついている。そしてその中には、石が祭ってあった。それはまるで、墓石を祭ってあるかのようにも見える……
そして、その祠の前の地面には、一本の刀が突き刺さっていた。
真っ黒く艶光りするような鞘を十分の一ほど地面に埋め、綺麗に細工の入ったツバと、丹精に滑り止めの巻かれた柄はそれだけで芸術品のように見えた。
完全に素人の俺が見ただけでも、その中にはきっと美しい刀身が収められているのだろうというのが想像できる。
そんな代物が、目の前の地面に突き刺さっていた。
刀、日本刀。実にロマンの溢れる男心をくすぐるアイテムである。
なぜこんな物がこんなところにあるのだろう? 俺は疑問に思う。
『その刀を、手に……』
また、声が響いた。どこから聞こえたのかはよくわからない。キョロキョロと周囲を見回しても誰もいない。
これはいよいよ俺の正気もやばいのかもしれない。なんて思いながらも、俺は言われるがままに地面に突き刺さった刀へ手を伸ばした。
声に言われたから。というだけが理由じゃない。こんな得体の知れない場所で武器もないまま歩きたいとは思わなかったからだ。刃物が一本あるだけでも、安心感が段違いで、ちょっとだけ強くなった気がする。そんな気がしたからである。
柄を握り、ちょっと力をこめると、その刀は地面からあっさりと引き抜くことができた。
長さは多分、一般的な時代劇で見る刀の長さと同じように思える。
地面から引き抜き、今度はその刃を見てみようと鞘に手を伸ばしたその瞬間。
『ぷはぁ!』
鞘がカタカタとなり、刀から、声がした。
「っ!?」
さっき俺を呼んだ声とは違う。どこか粗野な雰囲気を感じさせる声だった。
俺は、飛び上がりそうになるかと思った。
思っただけで、体の方は硬直してまったくかけらも反応しなかったが。
『ほほう。おれっちの声を聞いても顔色一つ変えないとは、さすが相棒。こいつは期待できそうだ』
刀がなんか感心している。
いや驚いているさ。ただちょっと、驚きの事態が連続で起こりすぎて理解しきれず反応もできなかっただけだ。
というか目もついていないのに見えるのかよ。そもそも声はどこから出しているんだよ。しかも相棒ってなんだよ。なんで俺はここにいるんだよ。さっきの声はなにもんだよ。お前と関係あるのかよ?
様々な疑問が頭の中を駆け抜けるが、中々口が動かない。
決して俺が人前で表情を動かすのが苦手とか、話そうとしても声が出ないとか、そんなことはない。こうして頭の中でユニークなことは考えているし、お茶目な反応だってどうだろうと思ったりはする。ただ、ちょっとなかなか表に出せないだけだ。時間さえあればさっきの疑問も全部口にする。今は、そう、驚きすぎていてちょーっとばかし口が回らないだけなのだから、誤解しないでほしい。俺は決してコミュ障とかじゃなく、ちょっとだけ、ちょっとだけ人前で話したり表情を動かしたりするのが苦手なだけなのだ。
ちょっとだけな!
『さて。おれっちの名前はオーマ。相棒の名前はなんてんだい?』
「お、俺はツカサ」
『そうかい相棒! まさにサムライそのものの名だな。いい名前だぜ』
そうかな? 名前を褒められて、なんか嬉しくなった。どうやらこいつ、悪いやつではなさそうだ。
「ともかく、さ、ここがどこだか、教えてもらえないか?」
ひとまず、一番最初の疑問をぶつけてみた。本当はこのあとなんでお前はしゃべるんだとか、好きなものとか嫌いなものとか色々聞きたいところだったけど、なんとか口に出せたのはそれだけだった。
『おう。そっか。こんな森の中じゃよくわからねーしな。まず目指すのは西だな!』
「え?」
いや、そういうことを聞いたんじゃなくて……
『わかってるわかってる! 言わずともわかっているともさ。相棒。俺とお前は一心同体。俺はお前の魂とも言える。だから、なにを言いたいかよーくわかっている! その目的もな! だから、まずは西だ!』
「そ、そうか」
どうやらこの謎の刀は、俺の考えることがわかるらしい。さすが見たりしゃべったりする不思議な刀。
言わずともわかってもらえたのなら話は早い。俺の心情を読み取り、帰りたいという意図まで察してくれたのか。
つまり、西に向かえば帰れるということだな!
「わかった」
俺は大きくうなずいた。
(ああ、そうよ。すべての元凶の眠る西へ行けば、きっと出会えるはずだ! おれっち達の敵にな!)
見事なすれ違いだったが、この時の俺達にそれはまったくわからなかった。
『ああ。さあ、そういうわけだ。出発しようぜ、相棒! 相棒の左手側にある茂みから降りていけば道に出るはずだ。そして森を出れば、村もあるはず。まずはそこに向かおうぜ!』
「ああ!」
俺はオーマの言葉にもう一度うなずき、歩くのに邪魔にならないようオーマを腰のベルトにさしこんで歩きはじめた。
制服に刀って、なんか変な感じだ。ちょっとテンションがあがる。
同じように俺という相棒を得てテンションのあがったオーマと一緒に鼻歌を歌いながら、俺は示された茂みをかきわけ、その道とやらを目指して歩き出した。
これが俺と、迷惑な太鼓持ちの刀、相棒のオーマの出会いだった。
──ツカサ───
とりあえず色んな疑問はあるが、どこに向かえばいいのかという目的がはっきりしたのは大きい。今まで俺を押しつぶそうとしていたプレッシャーはだいぶ薄れ、しかも話相手ができたことで余裕さえ生まれた気分だった。
俺達は鼻歌を歌いながら、森を抜けるために道を歩いてゆく。
森の中をしばらく歩くと、獣道のように人一人分しか歩けないような幅から、車が一台通れそうな幅の道に出ることができた。
当然そこも舗装などされておらず、土がむき出しの道だが。
「さてと、今度はどっちへ?」
『ああ。西は相棒の左手の方さ』
そちらの方を見ると、まだまだ道は続いている。まっすぐではなく、微妙に曲がりくねっていてでこぼこしている。いまさらだが、現代日本の道というのはすごいもんだと実感した。
そんなことを考えつつ、その道を歩いていると。
「きゃー!」
俺達の進行方向の先から悲鳴が聞こえた。
何事か。と俺は思わずその方向へ走り出してしまった。深い考えがあったわけじゃない。誰かが助けを求めていたら、手を差し伸べに行ってしまった。それだけだ。
でも、行ってからここは、俺の知る日本じゃなく別の世界なんだと思い出した。
曲がりくねる森の道を駆けると、前から走ってくる女の子の姿が見えた。
肩まである金色の髪を振り乱し、緑色の服を着た女の子の姿が。
西洋のファンタジーなんかで村娘が来ているような簡素な服装だ。テレビでやるなにかのイベントとかでしか見たことのないような昔の格好。その姿で必死に走る女の子がいた。
「た、助けてください!」
そうして俺を見つけた彼女は、俺の背中に隠れるようにして身体を縮めた。
年齢は俺より少し下か同じくらいだろうか? 俺の妹と同じくらい。西洋の人は大人びて見えると聞くけど、ここは俺の知る世界とはちと違うみたいだからなんとも言えないか。
「おうおう。てまぁかけさせてくれるじゃねえか」
「ひひっ。ダメだぜぇ。無用心に村から出たらよぉ。わるーいおじさん達が、目を光らせているんだからなぁ」
さらに目の前に現われるのは、斧を持ったヒゲ面の男達。古いイメージのまたぎやきこりなんかを思わせる格好をしている。
俺は、彼等の姿を見た瞬間、サーっと血の気が引いた気がした。
男のどちらも凶暴そうな顔をして、ヒゲの下からのぞく歯はぐちゃぐちゃに乱れ、前に出てニヤニヤ笑う腹の少し出た男の方には顔にまで傷がある。
後ろの男はその男より少し優男だけど、これまた凶悪な顔をしている。眉毛が太くて、おでこがひろい。どちらも斧を持ち、両手で振り回すそれを片手で軽々と振り回している。
しかもその斧はさびていて、その刃にはなんか赤黒くて嫌な染みまでついている。
その人達は、現代日本にいるちょっと粋がった不良どころか、ヤクザの方々でさえ裸足で逃げ出しそうな、本気で殺し合いをしたことのあるような面構えをしていた。
そう。ここは俺の知らない世界。
とてもじゃないが、現代社会の便利さになれた俺が戦ってかなうような相手じゃあなかった!
でも、俺の背中に女の子が隠れている。身を小さくして見つからないようにしているけど、そんな抵抗まったく無意味で、広がったスカートとか隠し切れない身体とかが見えてしまっているのは間違いない。男達はそれを見て逃げない女の子をにやにやと笑っているようだった。
「助けて。助けて……」
女の子は震える手で俺の背中をつかみ、そう小さくつぶやいている。
どちらが悪役か、一発でよくわかる状況だ。
あぁ。どうしよう……
今すぐにでも逃げ出したいというのに、これじゃ逃げられないじゃないか……
「おう、なんだ小僧」
小太りのならず者が俺を見てニヤニヤと笑う。
ちぃ、完全に舐められている。でも、気持ちはわからないでもない。俺はこんないかにも暴力をとりえに悪いことをしてきました。なんて人間とは無縁だった男だ。そんなモヤシの俺を見れば、舐めたくなるのも当然だろう。
「その娘を大人しく俺達に渡すのなら、命だけは見逃してやってもいいぜぇ」
命。命ときたもんだ。平和な日本じゃ考えられない単語だよ。なんてことを……って、あれ? おかしいと俺は感じた。
そもそもなんで、この人達の言葉がわかるんだ……?
こんな状態だというのに、俺はそんなどうでもいいことが気になってしまった。一度気になると頭から離れないもので、男達から視線をそらすのもうっかり忘れ、じっとその人達を見てしまった。
明らかに日本人でもない。いわゆる西洋文化圏に住んでいるような人達だ。身体も大きく、筋肉質。しかもここは間違いなく俺の知らない世界。だというのに、言葉がわかる。
なぜだ……?
「な、なんだ……?」
俺はちょっと考えに没頭してしまい、彼等の動揺には気づかなかった。怯えて命乞いするようなガキが平然と値踏みするように自分達を見ているのだ。いぶかしまないわけがない。
『ふふっ、ふへへ。お前等じゃ相手にならねぇってことさチンピラよぉ』
考えに沈みかけた俺の腰から、突然そんな言葉があがった。
俺の思考も、その声に中断される。
「だ、誰だ!」
男達が突然上がった声に、きょろきょろと周囲を見回す。
「こ、こら!」
俺は突然しゃべりだしたオーマに手を伸ばし、おさえた。
いきなり挑発するんじゃない。いくら刀のお前を持っているからって、あんな戦いなれたようなおっさん達に素人の俺が勝てるわけないだろ!
って、こいつのどこをおさえればこのしゃべりはとまるんだよ! カタカタしているツバか? それとも鞘か!?
つかんでぎゅっとするが、カタカタは収まっても言葉はとまらなかった。
『さっさと逃げた方がいいぜぇ。相棒に勝てると思っているのなら、千年早いからなぁ!』
「そ、それは……!」
「インテリジェンスソード、だと……?」
カタカタと揺れながら言葉を発するオーマを見て、男二人は驚きの声をあげた。
二人は俺の腰にあるしゃべる刀を見て、なにか信じられないようなものでも見たかのように驚いている。
ああ。この世界でもやっぱりしゃべる剣というのは珍しいんだね。俺はそんなことを思ってしまった。
でも、ただ珍しいだけじゃないって、あとで思い知るんだ。
「あ、あれは、刀じゃないですか兄貴……!」
「あ、ああ。しかも、しゃべる。まさか、お前……」
デコの広い男の震える手が、俺を指差した。
意味がわからない。俺はなんと答えたいいのかわからないまま立っていると、オーマが得意げに口を開いた。
『あぁその通りよ! 耳ぃかっぽじってよく聞きやがれ! ここにいるツカサこそなぁ、世界最強にして斬れぬ物はない無敵のオーマ様の相棒にして、究極の剣の業を持つ世界最強のサムライさぁ!』
「な、なんだとー!」
「やっぱサムライかよー!」
オーマの言葉を聞き、二人が飛び上がって驚きの声を上げた。
「ええっ!」
俺の後ろで震えていた女の子まで驚いている。
え? なになに? なにがどうなっているの?
俺だけが、話についていけない。
「ば、バカな。サムライは十年前のダークシップ殲滅戦で相打ちになり全滅したはずだ。いまさら現われるわけがねぇ!」
「そ、そうだ! よくいる偽者に決まっているぜ!」
「そうだ。大体こんなガキが十年前にいたサムライなわけねぇ! はったりもいい加減にしろ!」
『はっ。偽者だとかアホなこと言うんじゃねぇよ。若くて当然よ。ツカサは新世代。厳しい修行を終え、そのダークシップを完全に滅ぼし、世界を救うため里へ降りてきた最強のサムライなんだからな!』
「な。なんだと-!」
オーマのたいそうなお言葉を聞いたデコの広い男が驚きの声をまた上げた。
「いや、俺はサムライなんかじゃ……」
わからない単語がバンバン出てきたが、唯一わかるサムライってのだけは否定する。俺の認識と違いがなければ、俺は剣術も学んでいないし、武士道なんかも知らない。だから、サムライなんじゃない。
というか、もうちょっと俺にわかる単語で話してほしい。一体なんの話なんだ。
『あっ、す、すまねえ相棒。どうやら相棒は謙虚なようだぜ。自分を自慢したりするのは好きじゃぁねえようだ。だが、俺の言ったことは事実よ。今からさっさとケツまくって逃げねぇと、大切な尻が四つに割れるぜ』
「ぐっ……」
頼むから挑発するのはやめてくれと思っていたが、なにやらひるんでくれているので結果オーライなのかもしれない。
どうやらこの世界でそのサムライってのはなにかすっごいステータスのようだ。
お願いですから、このままお二人共お引き取りください……
「な、なにがサムライだ! ダークシップの軍勢をたった十四人で打ち破ったとかあんなのただの伝説じゃないか! お、俺はそんなの信んじねぇ! はったりかましてんじゃねぇぞ!」
「お、おい待て!」
太った方が、声を荒げ、デコの広い男の制止を振り切って斧を振り上げて俺に迫ってきた。
背中の女の子が、小さな悲鳴を上げて手を離し、後ろへ後ずさったのがわかる。
喧嘩なんかしたことのない俺だけど、今が命の危機だってのはよくわかった。このままボーっとすれば、間違いなくあの斧は俺の頭をかちわって汚いスイカ割りみたいなことになってしまう!
俺はとっさに、腰にさしたままの刀に手をかけ、それを抜いてぶんまわそうと考えた。いわゆる居合い抜きってやつである。
ひとまず刀を横に振り回せば相手の突撃もとまるだろう。そうなったら次は女の子の手をとって全力で逃げる!
これしかない!
俺は右手で柄を持ち、思いっきり刀を引っ張った。
……のはいいんだけど、なぜか抜けなかった。
(ちょっ!?)
ぐん。と引っかかり、なぜかうまく抜けない。斧は迫ってきているというのに、うんともすんとも刀が抜けなかった!
左手で鞘を持ち、右手に柄を持って引き抜こうとしているのに、どれだけ引っ張ってもうまくいかない。
なぜだ、なぜだ! と力だけが入る。
俺はこの時知らなかったけど、刀ってヤツはまず鞘をおさえる左手でツバを押して鯉口を切るという動作をしないと、刃がかっちりと鞘にはまったままになり、うまく刀が外れないそうなのだ。右手で引くだけでなく、左手で押してやる。そんな動作刀も持ったことのない俺が知るはずないだろう!
中々抜けないそれにさらに力をこめる。迫る斧の恐怖に手が震え、さらに力がこもった。
斧がせまる、せまる、せまる。
俺はあせる、あせる、あせる!
(こんにゃろー!)
力いっぱいの全力の力をこめ、俺はついに刀を引き抜いた。
鯉口を切らなくたって、思いっきり引っ張っていればそりゃ刀も抜けるってもんよ!
きん。という音とともに、勢いよく刀が鞘の中から飛び出した。
それは、デコピンのごとく、ためられた力が解放されたせいなのか、ものすごい勢いだった。
自分でもびっくりするほどの速度と威力で俺の前に半円が描かれ、途中サンッ。なんて軽い音が聞こえた。
俺はその刀の勢いに少し振り回されるように、大きく刃を振り回してしまった。
右側に身体が引っ張られ、少しだけバランスを崩す。
ヤバイ。これは明らかな隙。このまま女の子を連れて逃げる予定が、そのせいでうまくいかなくなってしまった。
さっきの一撃でうまく隙が作れていなければ、相手の斧が俺の身体に振り下ろされる。そう思い、急いで視線を前に戻した。
なんとか突進をとめられていればいいんだけど……
なんて希望的観測で見たそこには、ぺたんと尻餅をついて地面に転がっている小太りの男がいた。
「あっ……あ……」
なんか口をパクパクして手元を見つめている。
顔は青ざめて、脂汗がだらだらと流れているのも見えた。
「……?」
思わず首をひねってしまった。なにかを握っているようだけど、俺にはそれがなんなのかよくわからない。
「な、なんて速さだ……抜いた瞬間も見えなかったぞ……」
デコの男が、そんなことを言っている。
『言ったじゃねぇか。ツカサは本物だとな。ここで命をとらなかったのは、せめてもの慈悲だ。まだ、やるってぇのか!』
オーマの言葉とともに、小太りの男の足の間の地面にどすんと斧が落ちてきた。
ここで俺は一つ納得した。あのおっさん、俺に切りかかるのに失敗して、滑って尻餅をついて斧を上に放り投げちまったのか。
俺はその失敗に、ちょっと笑ってしまった。
あせって損したぜ。
「ほ、本物だー!」
「ま、待ってくれよアニキー!」
オーマの言葉を聞いた二人は、脱兎のごとく逃げ出して行った。
ああ、よかった。オーマのはったりがうまくいき、どうやら俺は助かったようだ。
すげぇなこの世界のサムライって肩書きは。
俺は、ほっと胸をなでおろした。
──アニキ──
「ほ、本物だー!」
俺は一目散にその場から逃げ出した。
俺達の目の前に現われた刀を携えた小僧。
ヤツは、本物のサムライだった……!
村から逃げ出した娘を追い、森の中までやってきたのはよかったが、その俺達の目に表れたのは、中肉中背で黒髪の小僧だった。
見たこともない型のジャケットを羽織り、カバンをたすきがけにして背中に背負い、腰には刀をさしていやがった。
人語をしゃべる湾曲した片刃の剣。
それは、十年前にこの地に現われたダークシップを撃退したサムライと呼ばれる伝説の戦闘集団の持っていた、たった一つの武器だった。
奴等はそれを片手に持ち、一万を超える『闇人』をたった十四人で切り倒し、そして浮かび上がったそれを『カミカゼ』と呼ばれる方法で墜落させたのだという。
西方に残るそのダークシップの残骸は、大地より突き出した角のようであり、今は誰も近寄らない廃墟となっている。
各地には決戦前に起こした様々なサムライの伝説が残っており、いわくたった一太刀で山を切り裂いただとか、溢れる溶岩を斬って流れを変えただとか、海を切り裂いただとかいう話しがごろごろと聞こえてくる。
そんなサムライも、ダークシップとの決戦の後、二人しか残らなかったというのだから、あの『闇人』の恐ろしさも十分にわかるといえるだろう。
このイノグランドの地で育った者ならば、サムライの強さも『闇人』の強さもどちらもよく知っている。
そんなサムライを名乗る小僧が、目の前にいる。それが本物であれば、俺達に勝ち目などはない。
現にヤツは、俺達を前にしてあせりもせず、ただじっと俺達二人を値踏みするように見ているだけだ。顔色一つ変えない、落ち着き払った態度。とてもじゃないが、ガキの風格とは思えなかった。
伝説のサムライの名を語った偽物が多い中、こいつは本物のインテリジェンスソードを持ち、平然と俺達の前に立っている。
やはりこいつ、本物なのか……?
「な、なにがサムライだ! ダークシップの軍勢をたった十四人で打ち破ったとかあんなのただの伝説じゃないか! お、俺はそんなの信んじねぇ! はったりかましてんじゃねぇぞ!」
「お、おい待て!」
痺れをきらした弟が、斧を振りかぶり斬りかかった。
俺はやめろと静止したが、遅かった。
だが、弟の斧は、最初そのサムライに命中するかと思った。
すっと刀へ手を伸ばしたサムライは、そのまま動くことなくじっとしていたからだ。
弟はこのチャンスを逃すまいとその脳天に斧を振り下ろす。
俺も、その時は勝った。と確信した。
だがそれは、格の違いを見せ付けられる結果に終わった……
キンッ!
なにかが一瞬、きらめいた。
小さな風が吹きすさみ、気づけば弟の振り下ろした斧は消えていた。
弟は信じられないと手元を見て、ぺたんと尻餅をついた。
斧は、その柄を切られ、宙を舞っている……
俺も、なにが起きたのか信じられなかった。
気づけば小僧は刀を抜き、振り切っている。
いつの間にか刀が振りぬかれ、弟の斧が切り裂かれていたのだ。
俺はその時はじめて、なにが起きたのかを理解した。
あれは……
あれこそは、伝説の『イアイギリ』!
刀という特殊な構造を利用した、神速の一撃!
伝説では聞いたことがあったが、まさかあれほど速いとは思わなかった。
振り下ろされた斧よりもあとに出し、その斧を切り裂く。振り下ろすそれよりも速いなんて、そんなのどう対処しろというんだ。隙を見て斬りかかったとしても、それを見て逆に斬られるほどの速さだ。勝てるわけがない!
しかも、ヤツは振り下ろす斧を欠片も見ていない。その状態で自分に迫る斧の柄だけを正確に切り裂いた。
これも、伝説の一つだ。サムライは相手の気配だけを感じ、暗闇の中で敵だけを正確に斬るという。この場合、あの小僧は、いや、サムライは弟の斧の柄だけを斬ったのだ!
さらに驚くのはその刀の切れ味だ。
速さだけではなく、斧の柄も大きな音もなく簡単に切り裂くその鋭さ。それも見逃してはならない。あの刀が言っていたことも、偽りではなかった。すさまじい切れ味の刃と圧倒的な業の融合。
これがサムライなのかという驚きとともに、俺達の心にその恐怖を植えつけるのには十分な一撃だった。
俺は直感した。こいつは、ヤバイと。たった一太刀しか見ていないが、あの一撃を見てこいつを恐ろしいと思わないやつは居ない。
それほど速く、それほど鋭い一撃だったのだから。
背筋が凍った俺は、さらにぞっとする体験をすることになる。
尻餅をついた弟を見て、あのサムライは首をひねっていたのだ。なぜ、こいつは腰を抜かしているんだ。そんな顔だった。
その涼しげな態度に、俺は脂汗がどっと溢れるのが感じられた。
レベルが、違う……っ!
ヤツのあの一撃は、ほんの小手調べのような一撃でしかなかったのだ。
パンチで言えばジャブ。それで相手が腰を抜かせば、誰だって驚く!
なら、本気で刀をふるったなら、どんな一撃になる? 俺の脳裏に、サムライ伝説のいくつかが思い浮かんだ。岩を、山を、海を、空を真っ二つに切り裂いたといわれるあの伝説を……!
下手をすると、斬られたことさえ気づかず死んでしまう。それはまさに、伝説の再来だった!
この素人感丸出しの態度はフェイクだ。達人ほど気を張らないというが、こいつはまさにその領域だった!
百戦錬磨の俺にはわかる。こいつは本物だ。本物のサムライだ!
「な、なんて速さだ……抜いた瞬間も見えなかったぞ……」
俺は、思わずそんなことを口走っていた。
『言ったじゃねぇか。ツカサは本物だとな。ここで命をとらなかったのは、せめてもの慈悲だ。まだ、やるってぇのか!』
刀がこの言葉を発した瞬間、ヤツは笑った。
その顔は、とても優しく、まさに慈悲に溢れたような笑みだった。
その笑顔を見た瞬間、俺はなぜ弟を斬り殺さなかったのか理解した。
まさに、一度限りの慈悲を与えたのだ。その笑顔は、優しいが、次はないと語っている、美しくも厳しい笑みだった。
今逃げなければ、この慈悲にすがらなければ、俺達は殺される。俺はそう直感し、脱兎のごとく逃げ出したのだ。
もうダメだ。俺達では勝てない! 早く、早くこの場から逃げないと!
「あ、アニキ、まってー!」
俺は、弟がついてくるのも確認せず、ただひたすらにアジトへ向かい逃げ出した。
この家業から、足を洗うために……
──ツカサ──
あー、よかった。なんだかよくわからないけど逃げてくれた。これで一安心だ。
俺は刀をしまい、後ろで震える女の子へ声をかけた。
「大丈夫?」
「は、はい。ありがとうございました!」
彼女は飛び上がり、ぺこぺこと頭を下げた。
「礼は、いらない。無事でよかったよ」
本当はいやいや、お礼なんていらないさ。俺も君も無事で本当によかったよ。とか長々としゃべりたいが、どうにも初対面の人には口が回らない。だから、ちょっとぶっきらぼうになってしまった。
『ははっ、相棒はちょっと照れてんだぜ。弱いものを助ける。そいつは当然のことだからよ!』
「そうなんですか。自分の力を誇示しないその謙虚な態度、素敵ですね」
「誇示なんてしていない」
俺、別になにもしていないんだから。オーマのはったりで相手を追い払っただけなんだから。
『かー。あんまり謙虚でいても嫌味だぜ相棒。せめてサムライってのは認めろや』
「……そうだな」
確かに、サムライってステータスははったりにつかえるようだ。なら、ちょっとだけ認めておいた方が今回のように相手をびびらせるのにつかえるか……
『素直でおれっちは嬉しいぜ』
「やっぱり、あなたはサムライなんですね!」
俺達の会話に、女の子がわぁいと喜んだ。
『ああ、そうだぜ! 俺達は最高の相棒で最強なのさ!』
「それは言いすぎだ」
『ったく、そこはまだ謙虚なのかよ』
オーマがけたけたと笑った。
「いいえ、あなたが強いのはよくわかりました。サムライ様! ですから、お願いします! 私の村を、村を救ってください!」
「……は?」
一難去ってまた一難。
やっぱりサムライって認めない方がよかった。
俺はそう思ったけど、後の祭りである。
おしまい