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名コメディアンとして名を馳せた彼がなぜ舞台を離れたのか、なぜこんな小さな旅座で屋台仕事などしているのか、それを語るには彼が養子としてここに来た経緯から話さなくてはならないだろう。
名前を仮にヒエロとしておこう。
母親に売られてこの一座に来たとき、彼はまだ5歳だった。
誤解の無いように言っておこう。北部地方の母親たちは子供を叱るのに「言うことを聞かないと、旅芸人に売ってしまうよ」とよく言うが、そんなことは現実にはありえない。大昔ならいざ知らず、今日の旅座は身寄りのない子供のための互助措置である。親を失った子供たちを無償で引き取るのが本来であって、金銭で人身を買い叩くような、浅ましいことはしない。
それでも彼が売られた理由は、夫と死に別れた女がひとり、幼子三人を抱えて生きていくには世間は冷たすぎた、それだけの話だ。
窮したその女は古くからの友人である私の母を恃み、訪ねてきた。一番上の子を預ける代わりに、その子が将来もらうであろう給金を前借させて欲しいというのだ。私の母はその話を受けた。母子に対する救済のつもりであったのだろうが、幼子と引き換えに金をやり取りする姿は、当時の私には『子供を売った』ようにしか見えなかった。
ましてや、幼かった彼には……
こうしてヒエロは私の弟になった。彼は濡肌種の中でも港町などでよく見かける、蛙頭属の少年だ。属こそ違えど同じ濡肌種同士、肌が合うというのだろうか、私はこの弟が可愛くて仕方なかった。
だからこそ、この子を金でやり取りした大人たちが許せなかったのである。それに関しては、ヒエロのほうが幾分大人であったと言えよう。
訊ねてみたことがある。
「あんた、自分を売った母親を恨んでないの?」
「う~ん、でも、オカネがないと、困るんだよ。母ちゃんのお腹には俺の弟が入っててさあ、働かせてもらえないって、言ってたから、俺が働かなくちゃ、な」
なんということだ! この子はこんな幼くして、自ら覚悟した上で売られたというのか。
「父ちゃんが最期に残してくれた、大事な赤ん坊なんだ。だから、母ちゃんにとっても、俺にとっても、大事な赤ん坊なんだ」とも言っていた。
強い子だと思った。涙の一つも見せはしない。だが、吸盤が僅かに震えているのを、私は見逃さなかった。
そんな彼に道化の職を勧めたのはこの私だ。旅座にだけ伝わる諺に「悲しみ深いやつこそいい道化になる」というものがある。子供だった私はその諺の裏を良く知りもしないで、単純に表面の意味だけをかい撫でて、彼をその道に進ませた。
ヒエロは根が真面目だ。努力家でもある。親方の言うことを聡く汲み取り、芸の腕を磨き、ひとかど以上の道化師になった。その興行は行く先々で評判を呼び、15の年で大きな街の劇団から彼を迎え入れたいという、打診があったほどだ。
その女がヒエロを訪ねてきたのは、ちょうどその時期であったと記憶している。




