決戦日3
エマ、君は俺と別れる時に、俺とこれから先ずっと一緒は、良いも悪いもない。何も無いって言っていたね。棗とまた会ってから、君のあの言葉が頭から離れないんだ。
俺が棗との先に何もないと思った理由は「体裁」ただそれだけだった。
ねぇ、俺と別れる理由も、もしかしてそんな感じじゃなかったかな。自分の気持ちに蓋をして、体の良い理由を外皮として巻き付けていなかっただろうか。
もしそうなら、君も俺も人を無残に痛めつける、何て酷い人間なんだろう。
なんて詭弁だね。
*
「棗、それ飲んだら準備してね」
ザキさんがスケジュール手帳を手に抱えながらそう言った。
自分の家の合鍵は随分昔にザキさんに渡していて、入ってくる時もインターホンは音を出さない。午後から予定されていた撮影がカメラマンの都合で延期になり、その後の仕事は何も無かった為、家で仮眠を取っていた。
16時、スマートフォンの目覚まし時計で起き上がり、そのまま風呂に入った。風呂から上がると既にザキさんがおり、俺の為にコーヒーまで入れてくれていた。
なんてできたマネージャーだ。
「今日18時にシャークシープリンスホテル。摺り合わせして19時からドラマ打ち上げだ」
「そう、分かった」
待ちに待ったこの日がついに来た。受験生のように、この日を目標にカレンダーに1日ずつバツマークを書く勢いで待ち遠しかった。
「いよいよだなあ」
俺の心を悟るようなザキさんの言葉に、一瞬だけドキっとする。ただ俺は平然を装って、ジェルワックスで髪の毛をセットしながらザキさんの話を聞いていた。
「話に聞くところ、叶もあのマネージャーと知り合いなんだって? ……兵藤さん、とか言ったかな」
名前なんぞ知らないし、興味も無ければ覚える気もない。
「凄いなあ。どういうご縁があればそうなるのかなあ」
感嘆としてるとこ悪いが、あんたのその心の純粋さはここまで来ると棘だな。
心の中でどす黒い渦を巻きながら、なんでもない風を装う。それを最近誰にも悟られなくなってきたから、俺の演技も上達したなと思うのだ。
「お前も珍しいね。自分から打ち上げ後は仕事を入れないでなんて言うなんてさ。やっぱり市川先生とはめちゃくちゃ仲よかったの?」
「……はは。そうだな、めっちゃくちゃ良かった、のかな」
イロイロと。
「最近引っ越そうかと思っててさ。この際高校の時みたく市川先生と同じ場所で暮らすのも良いかもしれないなって思ってるよ」
「えええ、それはそれは。……良いとも悪いとも言えないなあ」
「そう? まあ一応薺にも軽く伝えといてよ」
「ああ、分かったよ」
「じゃ、準備するかなあ」
若干呆れた声のザキさんの返事に嬉々として、ゆったりと洗面台からダイニングへ向かい、ザキさんの煎れてくれたコーヒーを飲み干した。そのまま流し場に空いたカップをそっと置く。そのまま自室に戻りクローゼットを開いた。
今日は何色のスーツにしようか模索する。
自分が主演のドラマ打ち上げだし、少しは派手目なものがいいかと白基調の黒ストライプシャツに触れ、違うかなとまた引っ込める。
「こういう人生の分岐点には少し地味目に格好つけるくらいがちょうど良いか」
そう考えて、黒いシャツに、シャツよりも明るい黒のスーツを手に取った。そうだネクタイは紺色にしよう。
自然と上がってしまう口角に気付き、不気味だろうなと思うが笑みは止まらない。
壱と別れたあの日から数日経って、叶から聞かされた話は疑い深いものだった。壱とあのマネージャーが付き合っているなんてちんけな嘘だと分かっている。
何故壱が俺を避けるのかその理由も薄々気が付いているのだ。そんな人間が違う「同性」と付き合うものか。
ただ、そんな嘘を付かせる隙を作ってしまった本人に俺は激怒する。話を聞いてすぐ本人の元へ殴り込みをかけようと考えついたが、その時は既に壱は飛行機で遠く彼方だった。
数ヶ月間の熱湯のように湧き上がるどうしようもない感情は怒りと復讐心へ変わった。
その結構日が今日だ。
俺は壱を見つけた。
薺にも許可は得た。
俺の好きは変わらない。
材料は全て揃った。今度こそ壱を捕まえるのに、今の俺は無敵だ。
しっかりとシワの伸びてるシャツに袖を通す。黒いベストのボタンをしめる。ジャケットもしっかりと着込み、ネクタイの締め方も完璧。
勝負は打ち上げ後。それまで感情が表に出ないよう防御壁をしっかりと張った。
「棗ー、もう行ける? この時間早めに出ないと渋滞に引っかかっちゃうよ」
「問題ないです」
腕時計を左手につけながらダイニングに戻ると、何故だかザキさんは俺を見てニタニタと笑っていた。
「なんか変?」
「いや、かっこいいよ。完璧以外に言葉が出てこないな。……じゃあ、行こうか」
壱、今日がいままでのお前の命日だ。