或る愛の価値観とは 6
「その前に、飲み物頼みましょう」
さて、これからどんな話しを暴露するんだろうと内心バクバクしていると、薺がそんな事を言った。若干話しが先延ばしになった気がしてガッカリしたが、喉が乾いた気もしたので。
「……コーラ」
小さくそう呟いた。
「コーヒーとコーラを持ってきて」
薺が内線で秘書に飲み物を頼むと、それからほんの1、2分で薺より幾分年の言った紳士なおじさん風を装った秘書が、似合わぬお盆を両手に持って社長室に入ってきた。
綺麗な姿勢で音を立てず、薺のところにコーヒーを、俺のところにコーラを置いた。何と出来た秘書だ。俺も将来こんなおっさんになりたいと少しばかり思った。が、多分ムリな話しだろう。
「ありがとう。話しが終わるまで誰も通さないで頂戴」
「分かりました」
年が離れていても上下関係がきっちりしていて見ている側としては少々ぎこちない。そんな事もお構いなしと言う感じで、そのまま秘書はいなくなっていった。
それからコーヒーを一口飲んで、薺は口を開く。
「私が市川有紗を有沢君だと気付いたのは、ドラマの脚本家に、主役をあなたに起用したいと言われた後だったわ」
「本を読んでからか?」
「そうよ。後書きまでを全部読んで気付いたわ」
俺が何となく思っていた事はどうやら当たっていたようだ。
「何であの本の作者が壱だと知ってるのに、俺の起用を承諾したんだ? お前は俺と壱がくっつくのを嫌がってたじゃねぇか」
「そうね、……。でも、その時にはもう、それが出来なかったの」
「はぁ? なんだそりゃ意味分かんねぇぞ」
「棗君宛てのファンレター、……いつもあなたにダンボールで渡してるでしょ? その、あなたに渡すために整理してたダンボールの中に、1枚だけ、幼稚園児みたいな字で書かれた封筒を見つけたの」
毎月、渡されたダンボールの中身を全てチェックしていたが、幼稚園児からファンレターその他をもらった事は一度も無い。
記憶に無いと眉を寄せた。
「あなたには渡してないから、見た事無い筈よ」
「何、人のモン盗んでんだ」
「盗んだつもりは無いわよ。今日あなたに渡そうと思ったんだもの」
そう言って薺は立ち上がった。そのままヒールをカツカツ鳴らし、社長机の後ろにある観葉植物まで移動した。そのまましゃがみこみ、何やら植木鉢でゴソゴソとしている。
立ち上がった時に薺の手にあるものを見て、俺はあんぐりした。
「お前……それは古典的すぎないか」
「こういうのは古典的すぎる方が見つけづらいのよ」
薺の手にあったのは、銀色に光る小さな鍵だった。鉄のような女がやるような事か? と思ったけれど、その反面、薺も女なのだと久々に実感した。
その鍵はどうやら机の引き出しの鍵だったみたいで、机から小さくカチャリとした音が聞こえた。取り出されたのは薺が言っていた幼稚園児が書いたような字のファンレター。
「棗君、……エマニエルさんって、知ってる?」
「夫人か? あれは前に見たが、結構何てことない軽いポルノだったな」
「……違うわよ。ていうか見たの? 私が言ってるのは実在する人物の名前であって、映画とかそういうのじゃないの」
「じゃあ何だよ?」
「アミ・エマニエルさん……って人」
そう言って見せられた封筒には、確かに「アミ・エマニエル」と幼稚園児が書いたような字で書かれている。俺はそのまま薺から封筒を取り、ジっとその名前を見つめる。
――アミ・エマニエル……エマニエル……エマニエル…。
「……『エマ』?」
壱は確か、あっちに行ってから長い間付き合っていた女を「エマ」と言った。あの時はそれが本名だと思っていたが、もしそれが愛称だとすれば、この手紙は……。
「私も驚いたわ。多分、この手紙を手に取らなきゃ私は棗君をドラマに起用なんかしなかった」
ゆっくりと、封の開いた手紙を開く。
綺麗に折りたたまれた紙と一緒に出てきたのは、一枚の見覚えのある写真。