君の話 1
俺が部屋の扉を開けると、バスケで鍛えられた俊敏さを有効活用したかのようなスピードで、明が部屋の中へ入ってきた。
「いやー……参った…」
先程の俺を呼ぶ声とは打って変わって、小さな声でそうブツブツ呟いている。良く見てみると、本当にバスケでもやってきたの? と思うくらいに汗が滲んでいる。
「どうした?」
「え? いや、どうしたって……」
ブツブツと呟いていた明へ声を掛けると、へにょっと曲がった眉毛をした明がこちらへ向く。その眉毛は、俺を見た途端に釣り上がった。
「お前こそどうした」
「? ……あっ…」
次にへにょっと眉毛を曲げるのは俺の方だった。乱れた髪の毛。ボタンの外れたワイシャツと、ベルトも無く、ファスナーは下がって、パンツも見える。
「お取り込み中でした?」
「違ぇよ!!!」
正確に言ってしまえばその通りだけど、そんな事を認めたくない俺は声を大にして否定した。
「喧嘩だ喧嘩!」
喧嘩でベルトも外れるのか、と聞かれればそれまでだが、何気に察しが良い明はこれで『触れてくれるな』と言う暗黙の言葉に気付いてくれるだろう。
「まぁ、…うん。そーか」
「明こそどうしたんだ」
「あー、んんー」
歯切れの悪そうな明を見るのは何となく初めてかもしれない。言おうか言うまいか迷っている感じの明を、早く話せよと催促する事も無く様子を見ていると、明が視線を部屋の奥に向けながら口を開いた。
「あいつはまだ居るの?」
「あいつ? 棗?」
「そー」
「あー……うん」
「もう帰るけどな」
俺が頷くと同時に、棗がそう言いながら奥から出てきたから少しぎょっとしてしまった。俺とは正反対にしっかりと着込まれたスーツ。だけど凶悪な顔は変わらないまま。
「あぁ、そうか。何か邪魔しちゃったみたいでごめんな」
と、明。
「全くだ」
その言葉にそれだけ返す棗。その険悪さは昔の俺と棗みたいで少し懐かしい反面、周りから見ればこんなに関係性を心配してしまうものなのか、と少しだけ反省した。
「壱。お前、またすぐあっちへ戻るんだろ?」
「あ、あぁ……そうだけど」
「俺も仕事が忙しいから、もう会えないけどよ。お前、こっちにまた来た時覚えとけよ」
「な、に?」
「どうせ遅くても来年にはこっちに来るんだろう? あぁ、その前にドラマの打ち上げもあるんだっけか。どうしたってまた会う事になるんだ」
結局、何が言いたいのか。容易に想像ついてしまう自分が憎い。
「腹括れ。俺はもうお前しかいらない」
「……」
ドラマの出過ぎだよお前。
そう口にしたいものの、それを言ってしまうとここでさっきみたいに組み敷かれてしまいそうなので、心の中だけにしておいた。なんとも歯がゆい言葉を簡単に吐いてくれるもんだ。
「じゃあな」
黙っている俺をや明を通り過ぎ、棗はそのまま部屋から出ていった。
「え、何。もしかして本当にそんな仲だったの?」
シーンとする間も無く明がそう聞いてくる。『そんな仲』って何だ。
「いやぁ、だから。『お取り込み中』の仲だよ」
「あー……うぅーん…? 違うけど…そうだった、みたいな。……何となく関係を言葉にするのは難しい関係なんだよ」
「そうなのか」
「そうそう。……で? 明はどうしたんだよ? 棗が居ちゃ話したくない事があったんだろう?」
「うん」
とりあえず玄関もなんだし座ろうぜ、と明が言ったので、二人で部屋へと向かう。ソファと空になったコーヒーカップはもう温かさを失っていて、先程の出来事が嘘みたいだった。そしてそれが現実だと実感できるのが、今の俺の姿とソファの下に落ちたベルトやボタン数個。それら全てに目を背け、破けてしまったワイシャツを脱いで、持ってきたTシャツを着た。
「それで、どうしたんだ?」
「あのさー。会見の時、的場叶っていただろ?」
「えーっと…。あぁ、あの元気な可愛い子か」
確か会見では緊張して、何度か上ずった声を発していた。その子とは別に緊張で何度かコメントを噛んでた方がヒロインの女の子だ。
「そうその元気な子」
「その子がどうかしたのか?」
「見た目も声も凄い変わってて会見の時全く分かんなかったんだけどさ。俺、昔日本に居た時あいつと家隣同士だったんだよな」