無知の自覚 8
俺が唯一忘れていた事。
それはこいつが何よりも誰よりも一途だという事。
俺が唯一忘れようとしていた事。
それはきっとこいつに対してへの思い。
俺の唯一無二に忘れられない事。
それはこいつを好きだったという事。
「多分ずっと、好きだぞ」
「今更だろ、それは。」
俺が棗と再開して初めて知った事。
「今更じゃねぇ、遅くはねぇんだから」
それはこいつが、ずっと俺を好きだったという事。
「ちょっとばかし、休憩してただけだ。お互いに」
一体何の休憩なんだ、と。俺は思った。
「俺はどうしたってお前を忘れらんねぇ」
なんでかな。
人に散々自分の感情をぶちまけた癖に、自分の思考を人に問いてくる。そんな意味の分からない会話。
「後悔してたからじゃねぇのか」
「いや、それはねぇ」
人に聞いておいてなんなんだそれ。そんな事を思いながら、少しばかりのイライラ。
でも何故かそのイライラが懐かしく温かく感じられて、ふいに笑みが溢れそうになった。ハッとして、その溢れそうな笑みを手で塞ぐ。
「お前を想像しただけで…こう、――勃起する」
シリアスな雰囲気が一変。
「トイレで卑猥発言するのはやめろ馬鹿!」
そんな、俺今重要な事言ってますよ。みたいな感じな言い方されても困る。
俺の抑えた笑みは一瞬で崩壊してしまった。懐かしみを返してほしいくらい。
「トイレじゃなきゃ良いのか。じゃあ会見で……」
「それもやめろっ。俺の人生が危ういから!」
ドラマの記者会見で、いきなりそんな事を記者に向かって発言されたら、もう日本に恥をかきに来たのと同じことだろう。それに。
「良いのか棗、お前まで仕事続けられなくなるぞ」
「構わねぇ。お前を探すための芸能界だった。お前が俺の傍に居てくれるなら、俺はもう芸能界辞めても悔いは全くない」
そんな平然と恥ずかしい事をトイレで言われても。
「じゃあ、会見での爆弾発言は止めろ」
俺はこの先ずっと棗の傍にいるために日本に来た訳じゃないのだから――。
「何言ってんだ壱。俺がこのままお前を帰すわけねぇだろ」
「ほーぅ。じゃあ何をしたら帰すのか教えろ。」
「何ってお前、それはナニに決まって…あ、……!」
何やらまたトイレで卑猥な発言をしようとした棗が、いきなりに何かに気付いたように単発発した。それが微妙にトーンの高い声で、俺の体は一瞬ビクッと反応した。それから恐る恐る棗の方を見やる。
「なーんか忘れてると思ってた」
「?」
スーツの裾をくいっと上げて、左腕についている高そうな腕時計を見る棗に、疑問が浮かぶ。
「会見だ。もう始まってる」
「あっ!?」
その一言に、唖然とした。
その有無を確認するかの如く、俺自らの腕時計でもっと確認しても、棗の言っている事に嘘は無かった。会見はもう開始時刻を数分も過ぎている。
愕然とした体に、力が入る。
「急ぐぞ壱。こんな失態初めてだ」
少しだけしまったとでも言うような顔をして、トイレの一室の鍵を開ける。
「俺は初めての門出に失態だ」
「それは自分を悔いろ」
「元はお前のせいだろ!」
「お前が逃げるからだろーが!」
「だってお前が突然現れたから!」
急いで2人してトイレから抜け出し、ホテルの廊下をかけ走る。人目も気にせずに大の大人が冷や汗流しながらだ。
その間も言い合いは止む気配は無かった。
まるで昔のようで。
「嬉しかっただろ」
何一つ、嬉しくなんかないさ。
「お前、会見で俺との事――」
「言わねぇよ。お前がそう望むんなら」
そうだ、嬉しくなんかないさ。
これっぽっちも。