勘違いエピローグ 3
「あの……」
「はい?」
きょとんとした顔で返されて、少しだけ質問に迷った。
「あぁ! ナツさんですか?」
気付いてくれたようで……。キャストさん達の顔合わせって事でここにいるのに、重要な人物がいないのを、何故みんな気にならないのか。
「すみません、先生。ナツさんは今、少し渋滞だそうで、少し遅れているそうです」
「渋滞……ですか?」
それ、会見に間に合うのか?
「多分、会見には間に合うかと思いますが、とりあえず、自己紹介はこれくらいで。会見の控え室に移動しましょうか。」
俺の考えてる事が分かるのか、なんていうようなタイミングの返しに、詰まってしまう。
「あ、はい」
そんで、少しだけがっかりとした。一番顔を見たかったのは、その棗役だったから。棗にしか絶対に合わない役に、ここまで周囲の心をガッチリと掴むその役者は、どんな人物なのか。
それだけ、気になっていたので。
「少し時間ありますね」
会見の控え室に入ると、担当さんがそんな事を言った。
「後何分くらいですか?」
「10分はありますね」
「じゃあ、ちょっとトイレに行ってきてもいいですか? 緊張してて…」
「えぇ、大丈夫です。場所はわかりますか?」
「はい」
トイレに行きたいってのは本当だったけれど、別にトイレを本当の用途として使いたいわけじゃなかった。ただ髪の毛をもう1回だけ整えたかっただけ。
控え室を出ると、また大きな廊下が広がっていた。まぁでも、昨日もここを通っているので、迷う事の方が難しいだろう。
トイレに向かいながら、俺は少しだけ記者会見での質問でも考えていた。どんな事聞かれるんだろうなー? みたいな、そんな感じ。
「あとがきの事聞かれたりして…」
まぁ、それなら別に答えて上げるんだけど。でも、それも随分と脚色された虚実なんだけれども――。
本当の事なんて、棗以外に言えるものか。
そう一人心の中で訴えながら、トイレに入る。ピカピカな鏡の前に立って、ゆっくりと深呼吸をしてみた。それから、目を閉じて3秒間。
緊張していない心臓が、ゆっくりゆっくりと音を刻むのを聞こえた。
「もっとした方が良いのかな」
緊張。
大学受験の時も、合格発表の時も、論文発表の時も、なんでもなんだって、心が跳ねた事を感じた事はあまりない。脳内では驚いているつもりだったけれども、内心はどうやら、『あたり前だろ』なんて思っているようで。
どんな自信過剰だよ、なんて思って、でもそれが俺の本心なんだから仕方ないのかも、なんて諦める。
そう、仕方ないのだ。
「あと5分…」
左手に付けてある腕時計を見ながら、そろそろ戻ろうと思って、その前にもう一度だけ鏡を見て前髪をさすった。
「よし」
十分な気合を入れて、トイレから出ようとした。
その時に、視界に誰かの胸あたりが映って、少しだけ身を引く。
「あ、すみません」
「いえ、こちらこそ」
低い声に、耳が引き寄せられる感じで、俺には聞き覚えの無い穏やかな声。落ち着くその声に、俺はふいに顔を上げてみた。
「――…」
聞き覚えの無い声の主。
「っ、……、」
見覚えのある、顔の主。
「な……」
跳ねない心を仕方ないと感想した。
そんな心が、一瞬だけ、止まる。
例えば、そう。
「っ、…いち――」
『俺が絶対見つけるから、お前のこと』
あの時の、あの頃のように。