無知の自覚 1
薺視点
「最後まで言わなかったんだね」
広い社長室に、彼の言葉がドアが開く音と共に響いた。良く見知った顔に、『ノックもしないで何なのよ…』と、言おうとして開いた口が閉じる。
「何の話し?」
「棗君の話しだよ」
「ここではナツ」
一応ここは芸能事務所で、あの人はここに所属しているんだもの。なんて続く。
「ごめんね、ナツ君の事。それと……例の市川先生について」
たった数回の会話で確信をつかれた気がして、閉じた口は開かない。
「君はこんな事、最初からしない子かと思ってたけど」
「失礼ね、鉄仮面だとか言われているけれど、一応は人間よ? 思想だってあるわ」
「別に君は無感情だ、なんて言ってないさ。こんなサプライズをするなんて、ロマンチックなところもあるじゃないかと思っただけ」
「ロマンチックなんて……、ただの仕事だもの」
プライベートと仕事は別のモノ。仕事に昔の人間関係なんて、あまり良い事もないのだから。
「ただの……ね。――ナツ君にこの仕事が来た時に、原作を読んで一発で気付いたんだろ? 市川有紗が有沢だったって」
「そうね。原作を読んでて半分。あとがきを読んで全部。そういうあなたはどうなの? この話しを私に出したのはあなたじゃない?」
「僕は原作を読んだ知り合いに聞いてさ」
「あら、2人と知り合いなの? その知り合い」
「あぁ。高校の時にちょっとね。ナツ君が芸能界に入る事はその子から聞いていたから。……少しでもその子の希望になりたくってね」
高校の文字が出て、少しだけ眉が傾いた。
「だからこの業界に入ったんだ、僕らしいだろ?」
そうかしらと少しだけ考えて、得意の嘘たっぷりの笑顔をその顔に見つけ、そうでもないな、なんて思った。
「そういえば、あなた、こんなところに居ていいの?」
「あぁ、記者会見の話し? 脚本家の僕としては関係の無い事だよ」
「才能のある脚本家は背伸び出来て良いわね。サボリ魔だって専らの噂だわ」
「仕事はきっちりとやってるよ。でも僕はプライベートも大事にしたいんでね」
背伸びをしながら言うので、極わずかなため息が漏れる。
君とは正反対、なんて言いたいのかしら。結婚してからも、父からゲーム感覚で任せられた芸能事務所は今でも経営を続けていた。そのせいでプライベートには夫との溝があるのかもしれない、と考えてみる。
「大丈夫だよ、この仕事はいつも以上にきちんとするから。君の大事な大事な俳優さんを、もっと有名にさせてあげられる。絶対にね」
「頼もしいわ」
「だって、かっこういいじゃないか。別れた思い人を探すために芸能界に迷いこんだヒーローと、小さな別れを言うために書いた小説が思いの他売れてしまったヒーロー。2人とも、そんな無知を自覚していないんだ」
「無知?」
「大きなヒントが目の前にあるのに気がつかないヒーローと、自分の才能をまだよく認識出来ていないヒーロー。歯痒くていいじゃないか。僕こういうの大好きだよ?」
「そう? 私は1人のヒーローにイラつきが止まらないわ。ここまでチャンスをあげているのに気付かないんだもの」
彼がそれを聞いて笑ったので、私も冗談めかしく笑ってみた。
「まぁ、僕の仕事はもう済んだんだ。知り合いがお願いって必死に頼み込んできたからさ。その子のためにこの世界に入ったのだから、それはあたり前の事。……でももう僕の出番はおしまい。あとは2人が引き合うだけさ。君はそれで良いの?」
「あの人は良く頑張ったもの。ご褒美よ、2人にね」
「有沢にも?」
「彼には……もう一つ自覚していない無知があるから」
「?」
彼は何の事だかさっぱりだと言う風な顔をして私の顔を凝視した。その目を無視して、私は鍵のかかった机の引き出しを見る。中にあるのは、幼稚園児見たいな字で綴られた、彼への手紙。
「さ、もうすぐ時間だ。僕は行くよ」
「またプライベート?」
彼の思っている事は本当に良く理解できないと、そう思った。
「あたり前じゃないか。一番の親友と、大切な親友の為に、柴田奈緒は居るんだから」
この話、FKもそうだけど、
PPも見てなきゃ理解できないかもしれません。