プロローグ2
「エマ!」
大の日本好きフランス人、エマと出会ったのは学校帰りのバスケコートのベンチだった。長くきれいな指と、それ同様きれいな金髪の髪の毛。海と空みたいな目は吸い付いてくるように澄んでいた。
日本大好きなその子と、結構日本の文化を知っている日本人の俺。条件交換と言うか、出会ってそれから、俺が彼女に日本を教えたり、変わりに彼女から語学を学んだ。気が合う存在。当然その中で友情が育み、それから仲良くなりすぎた距離からは、それっぽい感情だって生まれた。
「イチ、見て! バラって字書けるようになったの! 日本人は器用だね。こんな短い線の塊いつも書いてるんだから」
大きなスケッチブックにでかでかと、偏った『薔薇』の文字があった。
日本の漢字は元々中国から教わって、それをパクったモノだとはついこの間教えたばかりだ。それから漢字検定を受けたい、だとか、日本検定とかある? だとか、本人は受ける気マンマンの、何やら大事までに発展していた。
「エマ、寿司食べたくない? 今日家で母さんが……」
「おうスシ?! ホームパーティでもするの?」
「え、いや……そういうわけじゃ…普通に、夜ごはん招待みたいな…」
「夜ごはんにお寿司なんて、やっぱ日本人てゴージャスだね!」
最初。俺がいない間、仲の良かった日本人の兵藤は一体エマに何を吹き込んでいたのか、一回問いただしたいと思った。これは酷いと、心の中で何かが音を立てて切れ、いよいよ兵藤に問いただした時のアレは今でも忘れない。
「だって面白いじゃん」
へらへらした顔でそんな事を言ったので、やっぱり一発チョップしてやった。なので、一緒に話してみて、エマは日本人基、日本を大きく誤解していた。日本の交通システムには実は犬ゾリがあるとか、金閣寺にはラストサムライが居るとか、本当意味の分からない事だらけで、こっちが焦った。それを修正するのに、もう何千の時間をかけたことだろうか。
「どうしたの? 具合悪い?」
肩を下ろしてため息をついていると、ふと心配したように顔を覗かせるエマがいた。蒼い目が俺をうつす。綺麗だなーと、その目を少しだけ見つめた。
『恋人』
こっちにきてからつい半年がすぎた。さっきも言った通り、仲良くなりすぎた距離からは、それっぽい感情だって生まれるので。
「なんでもないよ、」
俺とエマは、付き合っていた。
コイビトドウシ。
街中でデートだってするし、手だって繋ぐ。キスだってする。人に関係を隠す必要も無く、堂々と愛を語れる。忘れていたそれは、気持ち良い事だった。
そう、だから。
あいつとは、完全に違っていた。
思い出せば笑えない程にありえない事をしていたんだと思う。今でも嘘のようだ。
『竹中 棗』
男。同性。顔が女の子みたいに可愛いわけじゃない。身長だって、体格だって立派な男で。俺はそいつが、好きだった。
そう、好きだった。
今思えば、あいつは特別だと思う。普通なら俺が男なんか好きになるわけないし、だから、あいつは特別。なんか、そういうオーラとかがあったんだと思う。でも、それだって、あっという間。一瞬だ。もう俺の中からあいつは完全に通り過ぎさって、遥か向こうにいる。距離的にも、感情的にも、だからもう好きじゃない。
それでも、エマとキスをするたび、たまに思い出すあいつの顔が消えないのは、なんでなんだろうか。キスをした回数だってもうエマの方が完全に上回っている。エマはちゃんとした恋人で、それでも、俺は棗とは付き合ってもいなかった。
付き合ったら、そういう関係になったらダメな存在。
だから離れてやったのに。
「ちょっと昔の事思い出してただけ」
お前はもう、俺の過去になったんだ。
「行こう、母さんたちが待ってる」
そうして笑ってから、エマの頭をできるだけ優しく撫でた。瞼の裏に張り付いた棗の顔を無理やり振り払い、俺は歩き出した。