賭け勝負
『昔の賭け勝負の、続き』
薺のあの言葉が、妙に引っかかった。俺はアイツと何か、今に続くような賭けをしただろうか。賭けはもう何度としている。芸能界に入ってからは多々ある。それこそ、『数えきれない程』その中で賭けの続きと言われても、何が何やら分からない。
俺は昔から頭が悪い。一応大学には行ったが、それはアクマでプロフィールを少しでも良く見せる為。『大学』と言う文字が付けば、『高校』で終了している学歴よりは見栄えがいいだろう。勿論行った大学は三流大学だが、……それでもまぁ大学は大学だ。
そんな俺がいちいち賭けを覚えれるわけもなく。
いくら考えたって分からないモノは分からない。それより大事なのは目の前の仕事なわけで、俺は静かにドラマの台本を開いてみた。俳優てのは、台詞覚えねぇと話しにならない仕事。
ヅラッと並んだ各々の台詞と、進行文。
「こういう暗記だけは出来んだけどな」
終わったらすぐ忘れるが。でもそれは良い事だと、いつか薺に言われた事があった。それは褒め言葉らしかったけれど、俺は余り喜ぶ事も出来なかった。
薺の顔を浮かび上がせながら台本をペラペラとめくっていると、ドアの向こう側からコンコンと音が聞こえるのが分かった。
「どうぞ」
一応相槌を打ってドアを見ていると、そこからザキさんが顔を出した。
「なんだザキさんか。何?」
「棗、これから打ち合わせだ、こないだの、『I LOVE YOU』のスタッフとキャストの顔合わせも兼ねてる」
「あぁ。そいえばさっき言ってたな。……分かった、今行く」
パタンと台本を閉じると、自然に浮かび上がった薺の顔もどこかに弾けてしまった。台本を鞄の中へ入れて、深く帽子を被って、色の濃いサングラスをかける。
「車回すから、裏で待っててくれ」
「わかった」
芸能人てのは少しでもTVで顔を出すようになれば色々大変だと、最初の頃ザキさんには言われていた。その通りだと気付くのは結構前だったような気もするが、今でもうんざりしていた。好きなところに好きな時に行けないし、一般人でも無いから顔だって隠さなきゃいけない。
一言で『大変』だった。
それでも良い事だってある。普段は入れないような高級レストランとか、遊園地だって撮影で無料で入れたりするし、撮影後の食べ物飲み物だってくれたりする。
ようは金が浮く、みたいな感じだが。
「お待たせ、早く乗れ」
それでも多忙で溜まった金なんか使えもしねぇ。
毎日毎日会うのは新しく見る初対面の人ばっかで顔だって覚えているか危うい。2,3回会ったってすぐ忘れるし、名前なんかも覚えられない。芸能界歴長いような大御所ならそれならそれでいいと思うが、俺はまだ2,3年そこらの新人でしかない。スタッフには挨拶、礼儀は大切で、1回会ったのに『初めまして』は最大の失敗だ。
肩こるし、だから疲れる。
「ニコテレだっけ、オンエアされんの」
「そ、日国テレビ。今日もそこの会議室でやるそうだ」
「こんな恰好で大丈夫だったか?」
パーカーとジーパンのいつもよりは凄くラフな格好だった。
「大丈夫、今日は撮影前の挨拶交流と意見要望交換程度だからな。ピシっとするところでも無いよ」
それなら大丈夫か、と、サイドミラーで自分の顔を1度だけ見てみた。
「あぁそうだ、お前主演ヒロインの話し聞いたか?」
「いや、……どんな奴だ?」
『ヒロイン』の言葉には少しだけトラウマ、……みたいなモノが会った。こないだの恋愛ドラマの誤報道以来だ。
「シャークエージェンシーの子らしい。オーディションでぴったりはまったんだと」
「は? オーディション? 俺そんなんやってねぇぞ」
もしかして叶もオーディションを受けて受かったのか? それだったら、あの決まった決まった言ってた時のハイテンションさも分からなくはないが。
「撮影監督と脚本の推しだそうだ。即決だとさ」
まるで自分の事のように嬉しそうな声を出してザキさんが言った。
「こればかりは推されてもなぁ……」
恋愛は苦手だから。
「さ、ついたついた。早く行くぞ」
ニコテレの地下、駐車場。薄暗く電気が灯るそこで、俺は車のドアを開けた。