その後の、虎さんとわたし。
わたしがギーさんに連れてこられた建物は獣騎士の宿舎だったのですが、落ちているんですよ。虎さんたちならではの「抜け毛」が。
全身毛皮に覆われているんですから当然ですけど、ふわふわコロコロ寄り集まって毛玉に育ったのが廊下の隅っこに。あ、ほらそこにも……。
なんとなく拾ったり掃いたりしていたら、わたしは掃除婦になっていました。
外へ働きに出るのは区長さんとの一件で難しいのはわかっていました。
スイッチ一つで家事がこなせる便利な現代。料理はそこそこできますが、薪とか魔法じゃなくガスコンロがあれば、と注釈がつきます。わたしにできる仕事は掃除と簡単な洗濯ぐらいです。
だけどお醤油を買いに行って「えらいわねぇ、六花ちゃんは」と、お駄賃をもらってよろこんでいた頃とはちがうのです! お世話になっているお家を掃除しただけでお給料をもらうのは気が引けます。
せめてお掃除ぐらいは……と言うのですが、牙の民に近寄る人間は少ないそうで、「ここのモノグサでズボラな連中が掃除なんてするわけないから、助かっているんだ」と、ラズさんに仕事として頼まれてしまいました。
原始的に木の枝を束ねた箒でレレレのレ、毎日掃き清めています。
そんなある日、わたしは閃いたのです。毛玉を減らすためにできること。
自然に落ちる抜け毛をコントロールしたらいいと!
発想の転換です。いわゆるブラッシングを虎さんたちにしようと思い立ちました。
わたしはさっそく一番最初に見かけたブラッドくんに突撃しました。
彼は宿舎にきた初日、玄関ホールで出会った金赤の毛皮の虎さんです。ギーさんより若いのかなと思っていたら、ぴちぴち(ふさふさ?)の十七歳でした! 年下といっても体格的に人間を追い越してますから、外見で牙の民の年齢は判別できませんが。
「ブラッドくん! ちょうどよかった!」
「……んだよ、リッカさん。また掃除してんのか?」
「またって、これが仕事なんですよ」
宿舎内をウロチョロ掃除して回るわたしの認知度はそこそこ、嬉しいことに段々気安く接してくれる虎さんが増えてきました。
ふぁ~あと欠伸を噛み殺しながら傍に来たブラッドくんは、非番なのかシャツ一枚にズボンという軽装。なんと好都合な!
「あのですね、ブラッドくんにお願いがあって……ちょこっと毛づくろいをさせてもらえませんか?」
「あぁ? いきなりなんの話だよ」
「牙の民が抜け毛を落とすのは当たり前のことです。しかしですね、その毛をあっちでもこっちでもふわふわハラハラ落とされたのでは掃除が行き届きません。そ、こ、で、わたしは考えたのです! 事前に毛を梳いて、抜けるべき毛は抜いておくのです。というわけで、仕事の効率を上げるためにブラッシングをさせてください!」
一息に訴えたら、ハァ…と重い溜息を吐かれた。半眼になった金褐色の目には呆れが色濃い。
心外です、このグッドアイディアになんの不満があるというのでしょうか。
「いくら辺境出身でもその世間知らずはどうにかしたほうがいいぜ。あと他の奴らには間違っても今の話はするなよな」
「どうしてでしょうか? ブラッドくんをはじめ皆さんにひとりひとり当たって全身くまなく梳いてまわる、“みんなスッキリ!わたしもニッコリ!”計画にどこか不備が?」
「なにがニッコリだ! そんな真似を許してみろ、ギルバートさんに殺されるだろうがっ」
大げさな。ギーさんはわたしが働くことを喜んでくれてます。効率よく仕事しようとがんばっている人間を応援こそすれ、怒る虎さんじゃありませんよブラッドくん。
わたしは壁に箒を立て掛け、腰にはさんでいたお手製ブラシを取り出した。
実力行使もやむを得ない時だってありますよねー。実家の猫はよくねだってきました。
「まあまあ、ブラッドくんも身をゆだねてもらえればわかりますよ。こう見えてわたし、けっこうテクニシャンなんですから。きっと気持ちよくさせてみせます!」
「触んなバカッ、なお悪いってわかんねぇのか!」
とりあえずわたしのテクニックを感じてもらえれば彼も心変わりするはず、と抵抗するブラッドくんと揉み合っていたら、「――何をしている」と件の虎さんの声が廊下に響いた。
わたしたちはぴたりと動きを止め、冷え冷えとした声に鳥肌(毛)を立てた。
「……お、お仕事の一環です」
「シャツを剥ぎ取ることが?」
「ごっ誤解しないでくださいね!? 他意はありませんからっ、ちょっと毛づくろいさせてもらおうと思っただけです!」
慌てて手の中のシャツを放す。ブラッドくんも急いで乱れていた裾を伸ばし、チラ見えのお腹をしまった。彼の耳は力なく寝ており、肌を刺す怒気がわたしの錯覚じゃないと教えてくれる。
「毛づくろいとはどういうことだ? ブラッド」
「はっ! 抜け毛を落とさないために毛づくろいをしたいと言われ、断っていた次第です!」
「……そうか。リッカ、話がある。ついて来い」
ブ、ブラッドくん……と横を見上げると、直立不動で固まった若虎はあらぬ一点を見つめ、わたしを頑なに見ようとしなかった。
薄情者……。
なぜか怒っているギーさんの後をとぼとぼと歩き、着いたのは彼とラズさんの私室だった。ちなみにその隣がわたしの部屋だ。
「何を考えていた」
「……そんなにおかしかったでしょうか? ただ毛づくろいをして抜け毛を集めておけば、効率的に掃除が終わると思ったんです……」
「仕事がつらいか?」
ハッとして顔を上げた。必死で首を横に振る。
楽をしたいとか、そんなつもりでやったことじゃない。
「違いますっ、仕事がつらいわけじゃないんです! ただ、もっと役に立ちたかったんです。掃除が早くすんだら他にもなにか、わたしにできることがあるんじゃないかって……そう思って」
冷静になってみればブラッシングの時間が余分に生まれるわけだし、時間の短縮にならなかったかもしれない。でも居ても立ってもいられない気持ちになったのだ。
わたしにできることは少ないけれど、それに甘えていてはいけない。できることを見つけるために、できないこともできるように。
いつかギーさんの役に立てる日が来るように。
「焦るな。誰も一時に何もかもできはしないさ。お前はよくやっている」
立ち上がったギーさんが、ぐしゃぐしゃと頭を撫でてくれた。
彼は察しがいい。いつもわたしが泣きそうになっているのに気づくと、こうして慰めてくれる。
グスグスと鼻を鳴らしていたら苦い声が降ってきた。
「だがな、二度と毛づくろいをしたいなどと言って回るな」
「どうしてですか?」
「家族以外では、恋人としかしないことだからだ」
「……わ、わかりました」
お蔵入り決定となったお手製ブラシにしょんぼりしていると、ギーさんが尻尾だけブラッシングさせてくれた。
――わたしはどっちの範疇に含まれているんでしょう。




