例の執事
ユマ……本名、優馬。東京の美容室の階段で転落して転生。
リュー……本名リュフォイエル。大きな屋敷で一人で暮らしている美貌の貴族。
フォルメダ……魔術師でリューの友人。明るい性格。
シャンス……リュー屋敷の執事。
ヴィテー……リューの愛馬。かわいい。
夢も見ず朝までぐっすり眠った。昨日はあまりにもいろんなことがあってかなり疲れたけど、熱もないし少しは回復した気がする。
リューはもう見当たらない。
「おはよう 仕事に出る ゆっくり過ごして」
枕元に置き手紙があった。
ベッドを抜け出して部屋をきょろきょろ見回していると、音を抑えたノックが聞こえる。
「はい、どうぞ」
「お目覚めでしょうか」
シャンスさんだった。
「はい、おはようございます」
「奥様、体調はいかがですか。本日はどうぞゆったりお過ごしください」
その呼び方やめて、と言ったらシャンスさんの機嫌が悪くなるだろうか。
あの美味しいハーブティーの準備をしてくれている。改めて見ると、リューと同じかそれ以上に背が高そう。茶色い髪は完璧にセットさられて清潔感に溢れ、その所作が美しく、大人っぽい落ち着いた声色の人だ。
「ありがとうございます……。リューは仕事ですか」
「本日は巡回のため早朝よりお出かけになりました。夕方までにはお戻りとのことです」
「巡回……、どういうことをするんですか?」
「さあ、よくは聞いておりませんが、近くで害獣の群れが出没しているとかで、その警備でしょうか。領民たちは早朝から活動するのでその時間に合わせないといけませんから」
怖っ……。昨日何も危険に遭わずに歩いてこれたの、かなり運が良かったんだな。ちょうどリューにも会って助けてもらったし。
「昨日はお休みだったんでしょうか」
「さようでございます。ご主人様はめったに休みを取られませんが、昨日がたまたまその日でございました。お若いながらもずっと懸命に働いてこられて、部下や領民たちから強い信頼を得ているのですよ」
ふうん、みんなの評価としては、真面目で優しい人、なのかな。
「仕事が好きなんでしょうか」
「と言いましょうか、ご主人様は貴族としての人付き合いにあまり積極的でないようにお見受けします。それよりは仕事をしていたほうがいいとお考えなのではないかと」
うん、僕もその推測当たってると思う。
「シャンスさん、お忙しいところすみませんが少しお話ししても?」
ソファを促すと、シャンスさんは一瞬躊躇う。でも立たせっぱなしがどうも落ち着かない。
「リューとの出会いのことをお話ししますから……」
次の瞬間、もうシャンスさんは座っていた。滑り落ちそうなほど浅く腰掛け、身を乗り出して言う。
「時間などはなんとでも」
僕だけじゃなく、たぶんこの人も緊張していたんだろう。当たり前だ。自分が長らく過ごした家であり職場でもある場所に、いきなり得体の知らない人が住みだすんだもんな。しかもこの人は責任者らしいし、自分たちのテリトリーがどうなるのか警戒ぐらいしたって不思議じゃない。むしろ寛大なほうだったかもしれないな。まずはとにかく少し自分を知ってもらわないと。今後の身の振り方を相談できる相手が欲しいし、味方はいくらでも欲しい。
「シャンスさんはリューと付き合いが長いんですよね」
「ええ、もとは父がこちらの執事だったので、私もここで育ちました。母は幼い頃に亡くなりましたが、ご主人様も気にかけてくださって、今までさみしさを感じることはほとんどありませんでした」
なるほど。この人たちの関係って、単に仕事の上の主従というだけじゃなくて、兄弟とか家族に近いものなんだろう。
「リューのご両親は? ここには暮らしていないんんですか?」
シャンスさんはゆるやかに首を横に振る。
「ここにご主人様の家族や親族はおられません。いるのは使用人だけです」
で、どこにいるのかについては言わないし、いるのかいないのかも言うつもりはなさそうだ。
「後は本人から聞いた方がいいですよね」
「奥様はお優しい方でいらっしゃいます」
最初はどうなるかと思ったけど、この人は誰かさんと違って言葉も行動も洗練されたちゃんとした大人だ。昨日はろくに人とのコミュニケーションが取れなかったので、この打てば響く反応はとても心地よい。
「ええとそれで、僕は今後この部屋で過ごすんでしょうか?」
「いいえ、もちろんお部屋がございます。後でご案内いたしましょう」
そこで俺はすっと立ち上がる。
「そうですか、お願いします!」
「あ……ええ、かしこまりました……」
彼の口の端は少しだけぎゅっと結ばれている。
僕たちの出会いについての話をまだ一切聞いていないことに不満そうだが、忘れたふりのまま歩き出した。
「僕の部屋、楽しみだなー」
「……」




