リュー運命の一日(1)
ユマ……本名、優馬。東京の美容室の階段で転落して転生。
リュー……本名リュフォイエル。大きな屋敷で一人で暮らしている美貌の貴族。
フォルメダ……魔術師でリューの友人。明るい性格。
シャンス……リュー屋敷の執事。
ヴィテー……リューの愛馬。かわいい。
凛々しい顔つきの辺境伯リュフォイエルは、頭の中で愛馬ヴィテーに話しかける。
(おお、よしよし! 今日もかわいいなヴィテーは! 散歩行くか? 行こうな、よーしよし!)
もちろん表情は変えない。ただほんの一瞬、くるおしそうに目を細めた。彼は感情表現に乏しいところがあるが、愛おしいものを見る時わずかに目を細める癖があった。
金の刺繍が施されたブルーのマントを羽織る。防寒のためだけではなく、これを纏って馬で駆けたときの裾がはためく感覚が気に入っている。
かなり久々の休日だったので、何の予定も決めず一人でゆったりと過ごしたかった。
リュフォイエルは貴族だというのに、昔から人付き合いが不得手だった。会話が得意ではなく、自分の頭の中で考えるばかりで、言葉にするのが苦手だったからだ。しかし本来、貴族にとって付き合いやお喋りは避けては通れない。それもあって、他に居場所を得ようと仕事に打ち込んだ。責任ある職務や立場があるとなれば、付き合いは自然と免除されていくはずだという目論見だった。
休日などは別に欲しくなかった。家で過ごしていては呼んでもいない客がいつ訪問してくるかもしれず、街などに行けば人に見つかり話しかけられるかもしれない。
そういうわけでリュフォイエルは、時間ができると愛馬にまたがり人気のない場所を一人で駆け回ることにしていた。
領地の端に作った小屋に立ち寄る。板を打ち付けて防水をした程度の簡単な構造。ヴィテーの水や食事を補給できる場所であり、他には休憩するための簡易なベッドと、椅子、小さなテーブルぐらいしか置いていないが、さながら彼の隠れ家だった。
飼い葉を与えるとヴィテーはさっそく嬉しそうに食べる。丸くて黒い目。つややかな黒褐色の毛並みと、さらさらの尾。目に入れてもいたくないほどかわいい。
水のろ過装置を確認しに小屋に戻ると、扉がノックされた。
「は、はい」
驚きのあまり上ずりながらも咄嗟に返事をした。この小屋を訪ねてきた者などかつていない。敢えて木々に囲まれるように作り、見つかりづらい場所を選んだつもりだ。誰かこの辺りの管理を任せてある者だろうか? 良からぬ輩の可能性を考え、万が一のために腰の短剣に手を添えてドアを開ける。
(……誰だ?)
少なくとも、悪漢にはとても見えなかった。しかし、こんなやつは見たこともない。うちの使用人ではなさそうだが。
その服装はどことなく変わった印象を受ける。シャツは無事だが、履いている紺色のズボンは、かわいそうに膝が大きく破かれている。そして荷物は何もない。強盗にでも襲われたのだろう。
「**、***……」
彼は聞いたこともない言語を話しだした。なるほど、異国の者だというなら納得だ。その声は少し高めで柔らかく、丁寧で上品な印象を受ける。しかし何を言っているか分からないのは困った。
「***、**、***……」
潤んだ瞳は混じりっ気のない黒で、珍しい色だ。日の光を反射させるつやつやの髪は黒褐色で、さらりと風にそよいでいる。
(ヴィテー……!? まさかお前ヴィテーなのかっ!?)
「ガサッ……」
違った。後ろでかすかにヴィテーの気配がする。そんなわけない、落ち着けリュフォイエール。
「****、****……」
彼は、私の目をこの上なく情熱的な目でじっと見つめてくる。憂いを湛えた、輝きを帯びる瞳。肌は人形のようにきめ細やかでみずみずしく、頬にはわずかにピンク色が差し、唇は蜂蜜でも塗ったように輝いている。現実の人間とは思えない。夢でも見ているかのようだ。
とにかく。今この状況でたった一つ確かなことは……。そう、この者は必死に私に愛を訴えているということ。
言葉は理解できなくても、本気で伝えようとしていることはわかるものだ。それだけは間違いない。
今まで誰も本気で好きになれなかった私に、神は突然、運命の人を与えたというのか。これまでの時間は彼に会うためだったと考えれば、自分の人生に納得がいく。私が生きてきたのはこの日のためだったのか。
言葉のことは、友人の魔術師がどうとでもしてくれる。問題は文化の違いを乗り越えられるか、彼の親族の了承を得られるか、といったことのほうだ。
……いや、そういう些末なことは真実の愛には関係ない! 言い訳を探すな。目の前の運命をつかみ取れ。恐れるな、リュフォイエル。
道すがら目に付いてなんとなく摘んでおいたラウの実。あれは紛れもなく、神が用意してくれたものであった。早く出せ。渡すんだ。
熱に浮かされるように勇気を振り絞り、ラウを渡す。もう一つ自分の分を出し、勢いよくかぶりつく。
彼の顔を伺うと、とても嬉しそうに頷き、果実に口を付けた。なんと可憐な口……。割れた実から雫が垂れ、彼の手首を滴っていく。なっ、なっ……! 私の妻はなんと煽情的なことかっ! 毎晩の体力はもつのだろうか……、いや、愛のためには日課の鍛錬も増やしてみせる。
彼を見て頷くと、彼も頷く。これで無事、婚姻の誓いが成立した。
これから、数々の問題も二人で越えていこう。二人で楽しい思い出をたくさん作ろう。永遠の愛を誓うよ、ハニー。
では、届けを出さねばならないな。一度家に帰ろう。
妻よ、この子はヴィテー、俺の長年の相棒なんだ。
妻はヴィテーを見るとぱあっと顔がほころんだ。なんてかわいらしい。動物が好きなんだろう、私の妻は優しい人だ。私の腕の中でも、この笑顔が見られたら。
ヴィテーを撫でたそうにしているので、私も一緒に撫でた。ヴィテーは嬉しそうに妻に顔を寄せる。妻の細い指は、ひとたび触れれば壊れそうで。……そう、私は今……、あなたを撫でたい。いや、それは少し性急だろうか……。
そうだ! 今夜は初夜なのだし! 慌てて触らなくても、いい! それはその……、あとでだ! あとでたくさん!




